5話:軽トラペーパードライビング。
そんなこんなで、柿の収穫作業も新鮮なことだらけだ。
めつみ作業に比べると体力的にはハードだが、なかなかどうして楽しい。それに、自分の収穫した作物がそのまま市場に出回り、色んな家庭や人たちの口に運ばれていく。そんなことを想像するだけで無性にワクワクしてくるのだ。ふ……、俺も少しは農家らしくなってきたかな?
「ほな、今日はこの軽トラに乗って畑まで来てくれ」
「……」
そして、渋柿の収穫が始まって約二週間後の今朝。
乙葉家前に呼ばれた俺は、農主さんからそんなエキサイティングな指示を仰いでいた。
ここ最近は柿の色づきもぐんと進み、今日から全穫り……つまり、今までは色づきを見ながら収穫していたのを、今回からは一つ残らず穫っていく方法に切り替わるという。
ひたすら穫るので、必然に一日の柿の収量が増える。由愛さんいわく、軽トラには乗り切らないくらいだそうだ。
「そこで、オレは今日から二トントラックで出荷場まで持っていく。でも畑には軽トラでしか入れん。だからMT免許を持ってるお前に軽トラで来てもらう」
「乗れるな?」と半ば確信的に問いかけてくる農主さんに、俺は「乗れます!」……そう答えようとしたのだが、ぐっとその言葉を呑みこんだ。
ふと脳裏に、数ヶ月前の出来事が思い出されたのだ。
あれは、めつみ作業の時。
俺が脚立で無茶をして失敗した時のことだったっけ。あの時の由愛さんの言葉……。
『今度からはちゃんと無理なことは無理って言うこと。危ないことをする時は、先にちゃんと報告と確認をすること。わかった?』
……そう。俺はたしかにMT車の運転免許を持っている。でも、教習所時代から一度も乗っていないのが実情だ。
そんなMTペーパードライバーの俺が急に軽トラを運転するとなれば、それはそれは危険である。
もしここで「乗れる」と豪語すれば、あの時の俺からまったく進歩していない。それじゃ、あの時由愛さんに叱られた意味もなくなってしまう。そんなのはダメだ。
だから俺は、一度深く息を吐き、落ち着いた口調で言った。
「乗れません」
「乗れ」
「えっ!?」
「どんなに危なっかしくても不格好でもええ。教習所で培ったお前の運転力を、この田舎道に見せつけたれ」
なんだかデカいこと言い放ち、そのまま農主さんは二トントラックに乗って風のように去ってしまわれた。
「……」
「……」
隣で休憩セットを抱きかかえた由愛さんと二人、呆然と立ち尽くす。
ちなみに聖犬は美夜子さんと朝のお散歩中なので、辺りはハロウィン後の街みたく静かだ。
「あはは~……、え~と、とりあえず……ゆっくりでいいから行ってみよか」
「……ちなみに、由愛さん? 軽トラの運転などは嗜まれます……?」
「……隣で応援してるからねっ!」
ガッツポーズされた。顔が引きつってます、由愛さん……。
とほほ……仕方ない。
では、久々のMT運転と行きますか。
その後、教習所で培った運転力とやらを見せることとなった。……もちろんガチガチに錆び付いていたがな! もはやあの有名な潤滑剤『チョウダイ5-51』でも歯が立たないだろう。
エンジン始動時のエンスト、三回。
登り坂での逆走未遂、二回。
ギアチェンジミスによる激しい振動、奇跡の二桁超え。
由愛さんの声にならない悲鳴……プライスレスもといカウントレス。
「おう、無事辿り着いたようやな……て、なんや二人とも。顔が真っ青やぞ?」
そして『乙葉おれんじふぁーむ』の入口に停めた時には、二人ともゲッソリと痩せこけていた。
「す……すいません由愛さん……危ないゲームに巻き込んでしまって」
「い、いいねん。そもそも軽トラ乗れへん私も私やし……うっぷ」
「ま、慣れんことして疲れたやろう。今日は開始を三〇分遅らせるから、座って茶でも飲んどけ」
そして休憩時間が増えたのは不幸中の幸い……っていうのかこれ?
「おう、正信ー」
「由愛ちゃん、おはよぅ~。あ、草太さんも、お久しぶり……です」
畑の入口付近でワイルド運転の熱を冷ましていると、一台の軽トラがそばに停まった。そしてそこから前野歳三さんとその孫、麻実ちゃんが降りてきた。
「あ、おはようございます前野さん。麻実ちゃんも久しぶりだね」
何度もペコペコとお辞儀しながらこちらに寄ってくる麻実ちゃん。多少は慣れてくれたみたいだけど、もともと謙虚な性格の子なんだろうな。
「あれ? でも、今日はどないしたん?」
「うん。今日はおじいちゃんが正信さんと話あるっていうから、あたしもついてきてん」
「そうなんや……」
見れば、少し離れたところで歳三さんと農主さんが話している。二人とも、以前のようにふざけた感じはなく、柿の実を手にとりながら真剣な表情だ。
ただ、真剣なのは農主さんたちだけでなく、俺の隣に座る由愛さんも同様だった。
「きっと、あのことかなぁ」
「え?」
「はなくん。一つだけ、収穫時に関しての注意事があるんやけど……」
* * *
前野さんたちと別れてしばらくして、柿穫り作業が再開された。
数日間の作業を経ているだけあって、我ながらずいぶんこなれてきたと思う。
柿の軸にハサミを入れるテンポも良くなり、脚立に上る動きもいくぶん軽やかだ。
でも、油断はいけない。
さっきも由愛さんから、新しい注意事項を受けたばかりだしな。
「まだ確定じゃないんやけど……」との前置きで由愛さんが言っていたのは、『柿の実に黒い斑点がついてたら、捨てずに台まで持ってきてほしい』ということだった。
見た目こそ、鳥つつきや熟し柿より綺麗なんだけど、なにやら柿にとってはあまりよろしくないものらしい。
どれだけ管理や手入れをしても、やはり自然物。俺には到底分からないくらい沢山の事象があるみたいだ。
農主さんや由愛さんが考え込む姿を見るのはちょっと歯痒いけど、新人の俺はせいぜい言われたとおりにするしかない。見落としだけはないように、しっかりチェックしないと。
「ん~……よし、大丈夫だな」
でも、その斑点つきの柿は全く見つからない。
その日も。次の日も。また次の日も……。そんな感じで収穫作業はひと月ほど続き。
そしてとうとう、渋柿収穫も最終日を迎えたのだった。
「はなくんお疲れさまー」
「あ、お疲れさまです。あの斑点のやつ、見つからなくてよかったですね」
「うん。最初の一つだけで留まってくれてよかった~」
最終日は時間に余裕をもって終わったので、今は畑の最上段で下界の景色を眺めていた。
緩やかに蒼い空の下。町のところどころにある田んぼはすっかり稲の黄金色だ。その畦では、まるで稲に遠慮するかのように彼岸花が並び咲いている。ここから見ると、田んぼの輪郭をかたどっているかのようだ。
カラカラカラ……と、畑に点在するスプリンクラーが水を撒きながら踊らせている。
収穫前の長雨が嘘のように、ここひと月は晴天続きだった。柿にとっても久しぶりの水浴び。すっかり緑一色に戻った樹々もホッと一息ついているようである。
「作業はキツかったけど、穫り終えるとなんだか寂しいですね」
「そうやねぇ」
「その気持ちがわかったなら、はなくんももう立派な農家さんやね」と笑う由愛さん。
「あと数日したら甘柿の収穫やけど、それまではちょっと中休みかなぁ。いつもは休みなし状態やってんけど、今年ははなくんのおかげで助かったよ。ありがとうね」
「ああ、いえいえそんな……」
改まってお礼を言われると照れますぜ……。
無垢な笑顔を向けてくれる由愛さんから顔を逸らすように、畑の上で踊り続ける水の軌跡を眺めていた。