4話:虹と千手観音。
最初は戸惑いがちだった柿穫り作業も、時間とともに慣れてくる。
口内に広がる渋が抜けきる頃には、ある程度作業の勝手がわかってきた。
「暑い……」
でも、体力的には結構キツい。
まだ九月の中間地点。気温も三〇度近くある。
太陽の熱が頭上はるかからギラリと降り注ぎ、無骨な柿の樹の間も難なくすり抜けてしまう。
「かゆい……」
しかも、柿の入ったポテをずっと腰に引っかけているもんだから、腰回りの血行が異様に良くなってしまっている。
汗ばむ陽気もあいまって、余計に体力を奪われるような気分だ。
「バイト、あそこに取り残しがあるぞ」
「あっ、ほんとだ……っ」
おかげで集中力も切れ切れ。
初日だけあって、農主さんからの注意事項も多く飛んでくる。それをちゃんと理解するだけでいっぱいいっぱいだ。
「バイト、多少の傷はええけど、大きい生傷のある柿はその場に捨てとけよ」
「は、はい……っ」
「バイト、ポテに満タンになる前に台に戻れよ。入れすぎてこぼしたら元も子もないからな」
「は、はい……っ」
「バイト、うちの味噌はハナ○ルキとちがって、タ●ヤミソやぞ」
「は、はい……っ」
……あれ?
今のは返事してもいいところだったよね?
返事のあとにひどい違和感があったけど、きっと農主さんからのエールだったんだと思う。
よし……もう少し頑張るかっ!
「バイト」
「は、はい……っ」
「休憩や」
「はい……て、あ」
もうそんな時間なのか……。柿穫り作業に必死で、時間の感覚もわからなくなってたぜ。
這々の体で選別台のある場所へ戻る。やっと腰の重みから開放され、ホッと一息だ。
しかし、午前中の数時間でこんなに体力を奪われるとは思わなかった……。
「はなくんお疲れさま。ちょっと待ってね。これだけ選別してしまっとくわね」
戻ってきた俺たちを見て、由愛さんは選別の手を早める。台の上にあったポテの中身は、あっという間にコンテナの中に吸い込まれていった。
「ん? 正品と……良品?」
台に置かれた二つのコンテナ。そのそれぞれに『正品』『良品』と書かれた紙が添えられている。
「ああ、うん。綺麗で価格の良い柿が『正品』。傷があったり形が悪いけど、なんとか商品にしてもらえるのが『良品』になるねんで」
「なるほど~」
たしかに『良品』コンテナに入った柿は、形が歪だったり表面に傷や変な模様があったりだ。これを素早く見分けるのが、由愛さんの今している作業なんだな。
「……あ」
「ん? どした由愛ちゃん」
「叔父さん……これって……」
最後のポテに差し掛かったところで、由愛さんは一つの柿を農主さんに手渡した。
なかなか良いサイズで綺麗な柿なのだが、一箇所、黒い斑点がある。ほんの小さな点だけど、実のお腹部分……目立つ部分にある。なのであれも『良品』になるのだろう。
「……」
農主さんは感情の窺えない顔で柿を眺めていたが、すぐにその柿を軽トラの助手席に放りこんだ。あれ? 持って帰るの?
「はなくんお待たせ。休憩しよか」
「……あ、はい」
と、由愛さんの作業も一段落したらしい。ついでに今は手さげカバンと小さなクーラーボックスを携えてらっしゃる。休憩道具のようだ。
三人揃って日陰になった草の斜面に腰を下ろす。
「はい、どうぞ」
「こ、これは……!」
由愛さんが俺に手渡してくれたのは、冷たい缶コーヒー。そして、
「めつみの時にはなくん、いつもこれ買ってきてたよね? 前に段ボールで安く売ってたから、まとめ買いしといてん」
「おお……ありがとうございます!」
そう。俺がいつも好き好んで飲んでいるメーカーのものだったのだ!
由愛さん……こんな細かいところまで気を遣ってくださるとは……! おらぁ感激して涙ちょちょぎれるだぁよ……。
「じゃあ、いただきます」
腰を下ろしていても、ふもとの町の景色が一望できる。まだまだ気温は高いが、動いたあとのそよ風はやはり心地よく、一撫でするごとに疲れごと奪い去ってくれるようだ。
そこで頂く好きなコーヒーの味はまさに……ごくり。
「……ぷはぁッ! レインボーぉぉぉ!」
「わっ!?」
最高だった。生きてるって、素晴らしい!
「はなくんって、時々意味不明なこと叫ぶよねぇ」
由愛さんの愛ある毒舌も耳に心地よい!
俺はこの一〇分間、天高い青の下で山々の景色を満喫していた。
* * *
……その、帰り道のことである。
程よい疲れと充実感を胸に車のエンジンをかける。
はなうたでも歌いながら帰ろうと窓を開け、好きなバンドのイントロを口ずさんでいると、その声が聞こえてきた。隣の柿畑……『S・K・E』からだ。
「……き、きぇぇぃ!」
結構近いが、トリコさん……ではない。男性の声だ。
低く、こもったような油っぽいような…………うん、きっと黒部氏だな。
その声音には、若干疲れの色も感じられた。
窓の外を見ると、フェンスのすぐ向こうの畑道に選別セットが広げられている。
ただし、そこにアルミ製の選別台はなく、代わりにポテやコンテナは薄い段ボールの上に並べられている。
その中央で、座布団に正座する小柄な背中。
「トリコさん……」
くの字の背中は微動だにしない。時々その場所に戻ってくる黒服メンバーの荒い息づかいだけが、秋の夕空に霧散していく。
「おお~、バイト君じゃないか~」
「あ、玲さん。お久しぶりです」
ついつい車を停めて園内の不思議な場面を眺めていると、ふと玲さんがこちらに気づいて近づいてきた。
「久しぶり~。どうしたんだい?」
「ああ、いえ。なんか黒ぶ……黒部さんたちの叫び声が聞こえたもんで、なんだろうなぁと思いまして……」
「ああ~、なるほど。まぁ、ただ作業してるだけなんだけどね~」
どうやら、『乙葉おれんじふぁーむ』と同じく、柿の収穫・選別作業中らしい。
……が、雰囲気がうちと全然違う気がするのです。
と、玲さんとやりとりする間に、トリコさんたちに動きがあった。
目の前には十数個の柿入りポテ。そのすぐ近くでは、黒部氏を含む黒服集団が「ぜぇぜぇ」と肩で息をしていた。
「ぶ、ぶひぃぃ……。こ、これだけ柿があれば、トリコさんといえどかなり時間がかかるはず……!」
黒部氏が豚テキ……もとい不敵な笑みを浮かべる。話からするに、トリコさんは彼らがポテを持ってくるのを待っていたらしい。
「……」
しばらくの静寂のあと、トリコさんのくの字背中が揺れ、両腕がゆらりと持ち上がっていく。
そして、
「……キェェェ~~ッ!」
「なっ!?」
トリコさんの腕が……増えたッ!?
……いや、よく見ればトリコさんは選別を開始したのだ。ただ、その手の動きが速すぎて残像が見えるだけで……て、それでも十分オカシイよ!
「シェェェェ――イィィッ!!」
彼女の人間離れした動きに、黒服集団は顎を落とすばかり。一番前列にいた黒部氏なんて、自慢のグラサンがずり落ちてしまっているのにも気づいていないようだった。
そして、さほど時間も要せず、トリコさんを取り囲んでいたポテはすべて消滅したのだった。
「す、すげぇ……」
「いやぁ、ばあちゃんの腕は衰えないね~。さすが『柿畑の千手観音』の二つ名はダテじゃないね~」
「……、異名もすげぇ……」
由愛さんの選別も相当素早いと思ったが、トリコさんのそれは別次元……。もはや人間の域を超えるものだった。二つ名が現すように、ほんとに手が十数本に見えたしな……。
「お、恐ろしや……トリコさん……」「参ったトン……」「このお方にはやはり敵わないブヒ……」「さすが『柿畑のスパイダーウーマン』と呼ばれるだけはあるブゥ……」
あまりの圧倒的な戦力差(?)に、黒服さんたちは言語障害に陥り、語尾が変になっていた。
というか、異名いっぱいあるのねトリコさん……。
「バイトくん、どう? なにか参考になったかな?」
「は、はぁ……上には上がいるもんだなぁと……」
『乙葉おれんじふぁーむ』からすぐ隣なのに、遠くの観光地でショーを見たような気分だった。




