3話:収穫しようっ!~作業説明編~
「いいか。今の時期の柿は、全部が色づいてるわけじゃない。すでに赤いやつもあるが、半分以上はまだ色づいてないか、色づきはじめたばかりの柿や」
選別台の側。手近にある樹を見本に、俺は農主さんの説明を受けている最中だ。
「今は赤い実だけを狙って穫っていけ。最初は見分けづらいが、オレが先に穫るからそれを判断基準にしろ」
「は、はぁ……」
「返事は『はい』や」
「あ……は、はいっ!」
だが、俺はどうにも農主さんの説明に集中できない。いや、話の内容はちゃんと理解できるのだが……どうも気になることがあるのだ。
「……」
その視線は、すぐ近く。選別台に両手を置いた状態で立つ少女……的なおねいさんから発せられている。
「(むぅ~……っ)」
由愛さんがこちらを見つめているのだ。熱い眼差しもとい、冷たいジト目で。しかも頬を膨らませながら「むぅ~っ」と唸り声のオマケつき。
さっきの抱きつき疑惑事件が、まだ尾を引いているらしいのだ。
「例えば……これくらい赤くて実も肥大してたらオッケーや」
そんな姪っ子の無言の抗議など全く知らずな様子で、農主さんは柿の実を触っている。
よもや自分の発言が由愛さんをスねさせたとは、ちっとも思ってないんだろうなぁ……。
これで相手が美少女なら、「この鈍・感・さんっ♪」……とでも言ってやりたいところが、相手は間違っても強面のおっさんだ。そんなことを日和った時には、きっと世界は崩壊する……ほどに俺の体調が乱れるきっと。
ところで農主さんの手にあるのは、赤くて大きな実。他の実と比べてもしっかり成熟しているのがわかる。
「むむぅ~……はなくんもはなくんや、さっき気づいた時に言ってくれればよかったのに……ぶつぶつ」
「……」
いまだふくれっ面の由愛さんに弁解したいが、今は農主さんの説明をきくのが先決だろう。
「そこで、今渡したそのハサミで果梗をできるだけ短く切るように。……果梗ってのは、実と枝を繋ぐ軸の部分や。そこが長いと、ポテやコンテナに入れた時に実が擦れて傷ものになるからな」
「な、なるほどぉ」
沢山なっているとはいえ、やはり一つ一つが商品になる柿。こういった細かいことに注意を払い、デリケートに扱っていかなければならないんだ。
「軸切り、それとポテやコンテナに入れる時に乱暴にせんこと……それさえ守ったら後は穫っていくだけや。わかったか」
「は、はい……!」
「返事は『はぐ』や」
「は、はぐっ! ……ん?」
……はぐ?
「むむぅ~~っ!」
と、その言葉を疑問に感じる間もわずかに、由愛さんの顔が一気に赤みを帯びる!
えっ? えっ? どうなすったんですか由愛さん……?
今のやりとりを思い返してみる。
由愛さんに変化を生じさせたのは、おそらく農主さんの言葉……『はぐ』だ。
はぐ……。
英語で……"hug"。
つまり…………抱擁。
そう……。農主さんはあろうことか、遠回しに由愛さんに精神攻撃をおしかけになりやがられたのだ!
てか、なんでいきなり掘り返すんやッ!
「もぉぉ~っ! さっきのは違うって言ってるやろぉぉ――っ!?」
そして、由愛さんは猛る牛のごとく叫びながら、いつのまにか手に持っていた真っ赤っかな柿の実を大きく振りかぶっていた。
それはそれは、トマトのように真っ赤で、見た目もぽよぽよと柔らかそう。
今にも中身が滴り落ちそうに熟しに熟した……熟し柿っ!?
……そして、俺は思う。
いきなりの農主さんの言動には戦慄したものの、あれはきっと、農主さんなりの二人への祝福の言葉だったのだろう、と……。
もちろん真相はわからないし、もしそうだとしても壮大な勘違いではあるのだが、農主さんの優しさと男気を垣間見たような……気がしないでもなくもない。
由愛さん必殺の『熟し柿★ボム』を農主さんと仲良く顔面に浴びながら、俺はそんなことを考えていた……。
といいますか……そろそろ収穫しませんか?
* * *
そんな紆余曲折もあったが、ようやく作業開始。
数ヶ月ぶりの脚立に上り、柿の枝と枝の間に頭を滑り込ませる。
今回はめつみの時と違って、腰にはポテとハサミの入ったポーチがついている。なのでそのぶん動きづらさがある。
それに……。
「あれ……、これは、赤いのかな?」
最初こそ慎重ながらも順調に収穫できていたのだが、途中から色の基準がわからなくなってきていた。
ヘタ付近が赤いと思い穫って、改めて見ると、お腹の部分がまだ青かったり。
微妙な黄色をした柿は、穫ればいいのか悩んでしまうし。
……こ、これは、めつみ作業とはまた違った難しさがある……!
うん。ここは一度、農主さんが穫っておいてくれたサンプルを確認するとしよう。
「はれ? はなくん、どしたん?」
「あ、あの……ちょっと柿の色のチェックを……」
選別台に戻ると由愛さんが尋ねてきた。もうさっきまでのふくれっ面はない。よかった……。さっきのボム攻撃で全部水に流してくれたみたいだ。
ちなみに俺の顔面に襲いかかった柿汁は、ウェットティッシュで洗い流してもらった。うん、終わりよければすべてよしである。
ところで、俺の獲ってきた柿は……うん、なんとか基準の範囲内。
安心しつつちらりと横を見やると、由愛さんは二つのコンテナに穫ってきた柿を振り分けている。素早いながらも丁寧な手さばきで、綺麗な柿と傷や形の良くない柿とを分けていく。
「あの、ところで……今さらなんですけど、この柿ってなんていう種類なんですか? 甘柿とか渋柿とか……」
「ああ、これは――」
「ほれバイト」
由愛さんが声を発するのに被せて、背後から農主さんが柿を一つ、差し出してくる。
「形が悪くて傷がある……商品にはならん柿やけど、味は問題ない。試しに食ってみ」
「あ……」
ぐいっと目の前に出される柿。
お、俺……今まで柿を食べたことがないんだけど……。
「……ごくり」
でも、これも仕事の一環と思ったら、退くわけにもいかないのか……。
ええいっ! 悩むな塙山草太! しょーもない過去のトラウマも、この際ズバッと切り捨ててしまえ!
そして一息に「あっ! はなくん待」……ガブリッ!
すぐそばで由愛さんがなにか訴えんとしていたが、聞き取れなかった。
だが、俺はとうとう、生まれて初めての柿の味、食感をこの口の中で感じ…………。
「ごはぁぁッ!?」
……る前に、強烈ななにかが口内で暴れ回る!?
し、しっぶぅぅぅッ!?
「ふふ、引っかかったな……」
「おべべべべべぎゅぉぉぉ……ッ!?」
「て、手遅れやった……。て、叔父さん!? イタズラもいい加減にしなさいっ!」
「ほほ~い」
「ほほ~い」ってアンタ! そんな怖い顔で言っても似合わねぇよ!
それよりこの柿、渋やんけっ! また俺をハメやがったな!
「~! ~~っ!」
目で訴えるも、その視界すら涙でぼやけらぁ……。
渋みは口の中にとどまらず、目から鼻から俺の顔中すべてを蹂躙する。
ひぃっ……ひぃぃっ!
渋柿の渋ってこんなにキツイもんなのか……!
まるで『ギュッと凝縮したゴーヤエキス入り砂』を全力で頬張ったような口当たりやでぇぇ~……!
「はなくんっ、これでガラガラぺッしてっ」
その場でのたうち回る寸前で、由愛さんが咄嗟に水のペットボトルを手渡してくれた。がらがらがら……ぺへッ!
た、助かったっす……由愛さん。さすが柿畑の天使さまだぁよ……。
だが、渋だけにしぶとい口当たりは、完全には消えてくれない。相手は想像以上に手強いようだ……ぐぇぇ。
「あ~、あのね、はなくん……。刀根柿とか、平核無とか、詳しく言ったら色んな種類があるんやけど……、九月から十月くらいに獲れるのは大抵が『渋柿』やねん……」
「ぐへ……な、なるほど……勉強になりました……」
ですが、ちゃんと話を聞いてから判断すべきでした……。
……大学四年生の早秋。
初めて食べた柿の味は、青春にしてはあまりに渋すぎる味でした。
お、覚えてろよおっさんッ!