1話:聖なる犬に迎えられる。
山一面の果樹園を通り抜けて坂を少し下ると、ちらほらと民家が並ぶ場所に出た。
ほとんどの家が瓦屋根だ。
その近くには小さな畑が点在している。
道路も舗装されてるしそれなりに拓けてはいる方なんだろうけど……やっぱり山間の集落というイメージだ。
しばらくして、姉ちゃんの運転する車は一軒の民家の前に停まった。広い庭の奥にある木造二階建て。けっこう大きい家だなぁ。立派な縁側もある。
「多分ここだ。乙葉さんち」
「ん、乙葉?」
さっき見た看板の名前と同じだ。
じゃあ、あの畑の持ち主が……
「ウルァッ!」
「「うおっ!?」」
するといきなり、後ろの方から怒号が轟いた。
おそるおそる声のした方を見ると、そこにいたのは一匹の犬だった。
白い毛並みの犬が、鋭い眼光でこちらを睨めつけている。小さい子どもくらいなら優に背中に乗せてしまえそうなほどの巨躯。見るからに凶暴そうな犬だ。
「なんだ、わんちゃんじゃないか」
「あ、おい姉ちゃん!」
俺が止めるまもなく姉ちゃんは犬の方へ駆けていく。
だ、ダメだ姉ちゃん! それ以上近づいたら凶暴犬のエサになっちま……
「アひぃぃぃ~ん」
「お~、よしよし。大っきいな~おまえ」
だが予想に反して、その犬は近づいた姉ちゃんの足元に寝そべり腹を見せていた。
……あ、あれ?
思ったより人懐っこい犬なのかな?
さっきの唸り声はなんだったんだ……。
両うしろ足の間で威厳をかもすソレを見るに、ヤツはどうやらオスらしい。ふ、ふんっ、おおお俺と良い勝負してやがるな……!
「草太も来なよ。なかなか良い毛並みしてるぞこの子」
言われるがまま俺もそっちに近づく。
犬は腹を見せてひっくり返ったまま、こっちをチラリと見てきた。
「近くで見るとさらにデカいな~。それにコイツ……」
ブ……ッサイクな顔してんなぁ~。
アンバランスに垂れた耳に、微妙に上向いた鼻先。
それはもう是が非でも、なにがなんでもブッサイクだった。
だらしなく舌を出してるせいで、余計にブサイク面に見え――
「アァン!? ヴルァ! ゴルァァ!」
「ひぃっ!?」
俺が近づくと、犬は突然巨体を起こして吠えてきやがった!
ひぃっ。な、なんだよコイツ……! 姉ちゃんにはアヒアヒ言いながらじゃれついてたくせに!
もしやこの犬……俺の心を読んだというのか……!?
「草太、今変なこと思ってただろう。犬って人の考えてることわかるんだから」
「マジかよ……」
思わず尻もちをついた俺に、犬はなおも飛びかからんばかりだ。鎖に繋がれていなかったら、今頃俺はコイツの昼飯になってるところだったぜ……。
「でも、姉ちゃんはなにも思わなかったのかよ」
起き上がって尻についた土をはたく。姉ちゃんは平然とブザ犬の頭を撫でながら……て、ブサイクは嘘ですからこっち睨まないで!
「いいか、草太。あたしの中では、この子は『ぶさかわいい』なんだ。だから、あたしが思うブサイクってのは肯定的なブサイクなのだよ」
なんだろう、姉ちゃんのドヤ顔がやけに癪に障る。
ふむ……ぶさかわいい、か。
見た目ブサイクだけど、愛嬌があってかわいいというアレだ。
もう一度犬の顔を見てみる。
上の歯茎を全開に剥き出して、白目をむかんばかりにガン飛ばしてくる。
うん、愛嬌なんてぜんぜんないっす。
でも実際、ブサイク連発する姉ちゃんに犬は吠えない。むしろ汚ぇツラして媚び売ってやがる……。
そうか、犬。
お前は、アレか。
ただのエロ犬か。
「あら? もしかして……塙山さん?」
しばらく犬と対峙していると、本宅の玄関が開き、中から年配の女性が顔を出した。
……人んちの前でちょっと騒がしくしすぎたかな?
「こ、こんにちは。塙山と申します。すみません、お宅の前で騒々しくして……」
「あらあらいいんよ気にせんでも~。いらっしゃい。えっと……そちらが今回お話を聞きにきてくれた?」
「は、はじめまして。塙山草太です。今回はお世話になります」
「ええ、はじめまして。ここでもなんですし、まずは上がって」
「「おじゃまします」」と声を揃えて、俺たちは玄関をくぐる。
「……あ、そうそう。さっき犬小屋の近くにいたけど、エクスカリバーが悪させぇへんかった? あの子普段は大人しいんやけど、たまにめっちゃ吠える時あるから……とくに男の人に」
「……いえ、大丈夫でした……」
それよりも、ほら。奥さん奥さん、ちゃんと見て。
あのだらしない舌、危ない息づかい。
アレどう見ても聖犬ちゃいますから……。