6話:せせらぐ川にどんぶらこ。
小学時代の遠足の時も。
高校時代の修学旅行の前夜も。
俺は今まで、『ワクワクして眠れない』という経験をしたことがなかった。
今となっては、ほんと"色"のないガキだったんんだなぁと思う。
が、かつての塙山草太少年にもそれなりの事情なりポリシーがあったんだろう。
……いや、それらの記憶すらおぼろげなのにポリシーもなにもないか……。
とにかく、だ。
大学も四回生になった今現在。俺は初めて『ワクワクして眠れない』夜を越えたのだった。
「う……うう~……」
「草太ぁ? 眠いんなら無理しないで寝てていいんだよ?」
そして今日は川遊びの当日。
姉ちゃんの車の助手席で、俺はどうにか途切れそうな意識を繋ぎとめていた。
道具はあちらで貸してくれるとのことで、荷物も最低限で済み、準備は楽チンだった。その心の余裕も、俺に巣くう睡魔のエサとしては上等だったのかもしれない。
後部座席には由愛さんと保科が乗っている。
乗り始めた時こそ、自己紹介やら身の上話やらで盛り上がっていたが、今の車内はしんと静かだ。
「姉ちゃん……。俺は……、俺は、こんなところで眠るわけにはいかないんだ……」
「うん。……いや、由愛も綾ちんも眠ってるしさ、そこまで意地張らんでも……」
「ほうら、見てくれよ。俺の拳には、まだ光が宿ってんだぜぇ……。この網焼き用お肉たちが、早く焼いてくれよと俺に囁きかけてきてよぉ……」
「うん。ワケわからんから。寝ぼけてないでちゃんと寝な? てか、その握りしめてる肉の袋は早くクーラーBOXに直した方がいいぞ?」
姉ちゃんの涙ながらの説得も、今の俺の心を揺らすには至らない。
俺には、美味しいお肉を由愛さんに食べてもらうという使命があるんだ。
それまではけして、この命の炭火を消すわけにはいかない……。
「あ、ほら。言ってる間に着いちゃった」
俺が長期戦をも覚悟した途端、車は目的地に到着したようだ。
ふ……、拍子抜けだぜ。
……というか、それもそのはず。
目的地は乙葉家から車で約一時間半という、わりと近場だったのだ。
本流である大きな川沿いを上りダム湖を越えた支流のあたりに、その場所はあった。
「ほれ草太、外に出てきな。目も覚めるよ。んん~……っ」
ポニーテールを揺らしながらノビをする姉ちゃん。ちょうど太陽と重なって、スレンダーなうしろ姿がシルエットとなって映っていた。
どうやら車を停めたと同時に外に出ていたようだ。行動早ぇな……。
「う……うご? 川のニオイがするっす……」
「ふぁぁ……」
後部座席のお二人もお目覚めらしい。
「由愛さん、もう目的地に着いたみたいですよ。保科も起きろ?」
軽くひと声かけてから、俺も外に出ることにする。
窓からキラキラと差し込む光に目を細めつつドアを開けると、
――一気に目が覚めた。
駐車スペースの少し下った場所には一面に砂利が敷きつめられ、陽を浴びて真っ白に染まっている。
対岸には草木が群生していて、苔生した岩肌が木々の隙間から顔を覗かせる。
その間を沿うように流れる川は穏やかに澄み、少し離れたこの場所からでも底がうっすらと見えてしまうほどだ。
それになんといっても、ここの空気は下界とはまるで別もの。真夏だけに日差しはジリジリと照りつけるが、このあたりはその熱を感じさせない。むしろ、口や鼻から流れ込んでくる涼やかな風はひやりと気持ちいい。
美夜子さんがオススメされるのも納得できる癒やしスポットである。
……だが。
この川辺の自然美もそうなのだが、俺を一気に目覚めさせる要因はそれだけではなかったのだ。
「なぁ、草太? あれってさ……」
隣に立つ姉ちゃんも気づいたようだ。
目を擦ってもう一度見てみる。
ゆらり揺れる川面。そこに、一部だけ波の歪な部分があった。
そして、その歪な波をつくっている原因であろう、白っぽい影……。
わりと幅のある川は、俺たちの目の前を横切るように流れ、途中で左右に分かれていく。左側こそ小川のように幅が狭くなっているが、右方向は本流へ向かっているのだろう、より幅をきかせている。
その影は、ゆっくりながらも着実に、その運命の分岐点へと進んでいた。
「はなちゃん、ごめんねぇ、寝ちゃってて……。って、あっ、あれって……!」
口元を手でおさえながら出てきた由愛さんも、その白い影を発見。
そして、その円らな目をいっぱいに見開いた。
「あれって…………早乙女さんやんっ!!」
「草太っ! 助けるぞ!」
「お、おうッ!」
由愛さんの叫びを皮切りに、俺たち姉弟はその白い影……川でどんぶらこっこと流される早乙女農園の農主さん、玲さんを救出すべく疾駆した。
~数分後~
「いやぁ~、たまにここに来てサボ……休憩してるんだけどねぇ~。今日はちょっと寝過ぎちゃったみたいで~。いやいや~、助かったよ~」
「「ぜひぃ……ぜひぃ……」」
どうにか分岐点の右に進みそうだった玲さんを助けた俺と姉ちゃんは、盛大に酸素を欲していた。もちろん二人ともずぶ濡れである。
白いTシャツの端っこ、後ろで結った長い髪を順に絞りながら、玲さんはほのぼのと経緯を話す。
どうやら玲さんは、川べりで日光浴をしていたところでついウトウトとしてしまい、眠りについたまま川の流れにさらわれてしまっていたらしい。
「ちょっと冷たいとは思ったんだけどね~、気持ちいいし、このままでいっかな~ってね~。……てへり」
「「てへり、とちゃうわいっ!」」
目上・初対面なんてのには目もくれず、俺たち姉弟のツッコミはシンクロしながらやまびこを作った。
……そしてわかったこと。
美夜子さんが言っていた『川遊びの一式を貸してくれる人』が、まさにこの玲さんだったようで。
よくこの川へ(本人いわく)休憩しにくる彼女は、毎回色んなレジャー道具を持ってきては片付けに困り、遊びに来る他の人に貸出しするようになっていたそうだ。知らぬ間に地元の許可を取っていたあたりは、黒服のニオイがしないでもない。
ちなみに、そのレンタル料金は一切取らないとのこと。
「え? ……じゃあ、この無料パスは?」
「ああ、それね~。だってさ、ただ無料ってより、そういうパスみたいなのがあった方がお得な感じするでしょ~?」
……らしい。
つまり……これってどういうことでしょうかね、美夜子さん?