おまけ:空の支配者。
今回はおまけ回になります。
俺たちがまだ、『乙葉おれんじふぁーむ』でめつみをしていた頃のことだ。
――とある日の早朝。
俺はいつものように、寝ぼけた頭で車を走らせていた。
国道から田舎の農面道路に入り、やがて山林へ潜っていく。このルートにも少しずつ馴染んできた。
ところどころにタンポポやレンゲが咲き、まだ水も入っていない田んぼの畦を彩っている。
薄明るい田舎の景色は、朝露を帯びて透明の世界を創り出していた。
「……ん?」
そんな道すがら、俺の視界はふと、なにかを捉えた。
道のど真ん中にソレを認めた俺は、すぐさまブレーキを踏んで車の勢いを緩める。
そのまま少しずつ近づいていくと、そこにあったのは黒い物体……いや、黒い生き物だった。
黒い羽に、黒いクチバシ。
それに同化するかのように、黒い目が鈍く光っている。
黒ずくめの生き物……それは、カラスだった。
一羽のカラスが道のど真ん中で羽を休めていたのだ。
「おいおい、そんなところにいると轢いちまうぞ?」
俺はぼやきつつ、カラスを避けるようにハンドルを右に切った。
その時、
――バササッ。
「うぉっ!?」
今までは剥製のように動かなかったカラスは、とつぜん羽を広げてその身を宙へ浮かべる。
そのまま車から離れた場所、これまた道の上に着地した。
だが、俺の運転する車は当然、再びソイツに近づいていく。
そして、今にも轢いてしまいそうかというほどに近づいた時、またもやカラスは少し向こうへ飛んで、降りる。
近づいては離れを繰り返すヤツをみて、理解した。
「コイツ……遊んでやがる」
そのカラス、車の運転手(今回は俺だ)が危険を感じるまでその場でじっとし、そしてぶつかるギリギリで避ける……そんな遊びに興じている。
ようは、俺を挑発して楽しんでいやがるのだ。
しばらくして飽きたのか、カラスはすぐ側の電柱に移っていったが、遊びに付き合わされた体の俺はどうもスッキリしない心地だった。
* * *
――また別の、ある日。
めつみの最中のことだ。
黙々と蕾を摘んでいると、ふと後方に影が動く気配を感じた。
そちらに視線を移すと、十数メートルほど離れた樹の付近で、黒いなにかが群れていた。
……そう、カラスだ。
数羽の群れは、しきりにその羽をばたつかせたり、「カー」と鳴いてみたりとせわしない。
「……あ!」
俺のすぐ近くで作業をしていた由愛さんもその光景に気づいたのか、一つ声を発したあと慌てて脚立から下り、その方向へ走っていった。
「こらー!」と両手をぶんぶん振りながらカラスを蹴散らす。
そんな由愛さんは必死そうだが、不謹慎ながら微笑ましく見守らせていただいた。
この頃から、俺の当面の夢が「由愛さんを高い高いする」に定まっていたのだが、それはまた別のおはなしだ。
……が、それも束の間の幸福だった。
どこか渋い表情の由愛さんがテコテコと力なく戻ってくる。その手には白いビニール袋が引っかかっている。
カラスにやられたのか、ズタボロになったその袋には、俺のよく行くコンビニのロゴがプリントされていた。
そうそう、今朝もそのコンビニに寄って昼食を買ったん…………って……。
「……ま……、……まさか…………」
そんな俺の予感の答え合わせをするかのように、由愛さんが「ありゃりゃ、こりゃダメやね……」と呟きながら袋の中身を取り出す。
そこに本来あったはずのものはすでに原型を失っており、骸となったナイロンの一部には『テリヤ……たまごサン……』の文字が……。
あ……アイツら……。
俺の……俺のテリヤキたまごサンドを……!
よくも……。
「よくも俺のたまごサンドを食ってくれたなぁぁぁあああああ!!」
咆哮と睨み全開で空を仰ぐと、ちょうどタイミングを図ったかのように群れの一羽が「アホー」と鳴いた。
「お、おまえらがアホじゃぁああ! あほ! あほぉぉおおおお!!」
「ちょ、ちょっとはなくん……! 気持ちはわかるけど落ち着いて……!」
以来、俺は昼食をチャック付きのカバンの中に入れて持参している。
* * *
……そう。
この柿畑周辺には、カラスがやたら多い。
由愛さん曰く「近くに巣があるんやろなぁ……。たまに、空一面が真っ黒になりそうなほど飛ぶ時もあるんよねぇ……」。
ようは、この辺の空はヤツらのホームグラウンド……いや、ホームスカイか。
時に、空高く、けたたましく鳴きながら、自分より一回り以上も大きいトンビを追いかけ回したり(見かけによらず、トンビは逃げ戸惑うばかりだ)。
時に、地低く、畑に備えられた案山子の頭をつっつき回し、彼らをボンバーヘッドにしたり(『スケアクロウ』とはいったい……)。
色々とやりたい放題。
まるでヤツらは、この周辺の空の支配者のようだ。
「都会でも田舎でも、アイツらは好き放題なんだなぁ……」
本日のめつみ作業を終え、ぼんやりと思いながら畑道を登っていく。
俺も知らずうちにアイツらの支配下に置かれてるのかな……気に食わんな……。
ただ、畑にいるカラスに関しては、完全な悪者でもないようで。
ヤツらは柿に害をなす虫を食べにやってくるので、時に益鳥にさえなってしまうのだから始末が悪い。
「……あ」
そして、しばらくして辿り着いた姉ちゃんの車……そのフロントガラスには、大量のおみやげがへばりついていた。
もはや恒例のように、上空ではカラスの群れが騒いでいる。
そしてまた一つ、新たなおみやげが空から車へ降り注ぐ。
――べちょ。
定期的に洗車されているキレイなボディは、もはやカラスのフンまみれになってしまっていた。
フロントガラスにつくソレは、まるで潰れた牡蠣のようにグロい……。
「カキ畑ゆえにカキっぽい……ってか! 畜生めぇぇぇぇ――――――――!!」
必要以上に負けた気分になり、俺は、カラスの鳴く空の下で叫ぶほかなかった。
次から新章【夏のひととき篇】へ入っていきます!