6話:前野もんもんぱーしもん。(1)
初バイトから数日が過ぎ、町の景色もいっそう緑色を濃くしていた。
五月。
春は曙。
やうやう白くなりゆく山際。
……をゆっくり堪能してる余裕もなく、俺は軽自動車のアクセルを踏みつけていた。
というかすでに、曙ではない時間なのですが……。
今日はゴールデンウィーク初日。
普段なら大学にも行くこともなく惰眠を貪るのが常だったが、今はめつみ作業の真っ只中だ。
この繁忙期。
一通り作業を終えるまで、農家の方々は休日らしい休日をとらず、延々と柿の蕾を摘み続ける。
柿の成長具合の関係もあって、短期間集中でこなさなければならない作業なのだ。
早いところだと、朝の五時頃から夕方六時過ぎまで、延々と樹に張りつく農家もあるそうな。
まさに春は曙(からお仕事)である。ちなみに『乙葉おれんじふぁーむ』の農主さんは早い人だ。
そして、蕾のつきが多い年などは、雨の日だろうと合羽と長靴装備で作業をする。
傍目からするととことん地味な作業だが、いざその中に入ってみると実にハードなのである。
そこで、朝八時から夕方五時までの時間帯とはいえ、俺も休日にできるだけバイトに行くことにした。
少しでも農家さんの……いや、由愛さんの苦労を軽減できるなら休日出勤くらい……といえば格好つくのだけど。実際は、皆さんが頑張ってらっしゃるのに自分一人だけがのうのうと休日を満喫するのがいたたまれないのだったり……。
だというのに、だ。
いつもの癖が抜けず、休日初日早々、俺は寝坊してしまったのだ。
「うおお……」
畑に続く山間の道、そのカーブ。まさに山の肌をなぞるかのようなヘアピンだ。
いつも以上に遠心力がかかるのにも耐えつつ、押してくる時間との戦いを繰り広げる。
チラリと時計を見ると、時刻は七時五十分。
ここから『乙葉おれんじふぁーむ』までは、大体十五分。
……。
オワタ。
「いや……まだだ……!」
折れそうになる心をすんでのところで奮い立たせる。
たしかに、今のままだと遅刻は免れない。
とはいえ、無理にこれ以上の速度を出して事故ったり、お巡りさんちにお邪魔したりすれば、タイムロスどころの問題じゃなくなる。
だが、諦めるにはまだちょっと早い。
俺にはまだ試みていないことがあるのだ。
「ごほん……実は今日、途中の道ばたでお婆さんが産気づいてて……」
……。
遅刻時の最終兵器……THE・イイワケを考えていると、あっというまに『乙葉おれんじふぁーむ』前に到着した。
時刻は午前八時五分。
フッ……予定通り過ぎるぜ。
「実は運転中、とつぜん道ゆくお婆さんにボンネットに飛び乗られて……」
――ブロロロロ……。
脳内で冴え渡るイイワケ語彙に紛れて、ふと畑道の坂の下から聞いたことのあるエンジン音が聞こえてきた。
これは……農主さんの軽トラの音だ……!
さっそく俺の最終兵器を出す時が来たってわけか。
「あ、おはよー、はなくん。ちょうど良かった」
「実はお爺さんが川で集団リンチに…………あれ?」
努めて冷静に身構えていた俺だったが、軽トラから覗く二つの顔に遅刻を咎めるような色はなかった。
農主さんはいつもの無愛想面だけど、由愛さんに至ってはにこにこ笑顔である。
「お、おはようございます。どしたんですか? 二人とも軽トラに乗って」
危惧していたことはどうやら起きないようで。内心ホッとしつつ何気なく尋ねてみた。
「そうそう、ちょうど良かってん。今からちょっと行くところあって、はなくんにもついてきてもらおうと思ってね」
「はぁ」
てなわけで、そのまま軽トラの荷台に乗って乙葉家に。
久々のエクスカリバーは相変わらずのブサ犬だった。
てかなんか口に咥えている…………あれは、ネズミのしっぽ!?
缶コーヒーや缶ジュースの段ボールを俺と同じ荷台に乗せて再出発。
畑に戻るのかと思いきや、軽トラはそのまま『乙葉おれんじふぁーむ』を通り過ぎ、横道に逸れ、コンクリートで舗装された凸凹道をくねくねと進んでいく。
「あれ? っ……どこ……っ、にっ……行くんんっ……」
「今から……っ……近所っ……の……のの……のんっ、のん……っ」
くそう。振動のせいで話すことすらままならない。
多少クッションのある助手席に座る由愛さんですらこの調子だ。
のんのん言っててかーわーいーい~。
しばらく振動やら父性本能やらで脳みそを揺さぶられていると、軽トラはとある倉庫の前に停まった。
やや古びたガレージが二つ、その上に屋根を被せただけのようなシンプルな倉庫だ。
「まずはここ、前野さんの農園。うちと同じ家族経営で、規模は小さいけど、古くからやってるベテラン農家さんやで。……すみませぇぇ~んっ。前野さぁ~んっ。乙葉ですぅ~!」
説明のあと、助手席から下りた由愛さんが眼下に広がる柿畑に声をあげる。
でも、ここから見る限りだと人影は見当たらない。
手持ちぶさたなので、荷台から飛び下り辺りを見回してみる。
地形こそやや急な場所だが、『乙葉おれんじふぁーむ』と同じで周りは一面の柿畑。たまにここのような小さめな倉庫がポツポツと佇むばかりだ。
「おお、おまへはんふぁ……」
「……ん?」
ボンヤリと景色を眺めていると、背後からこもったような声がした。