塙山姉弟の食卓~そして異世界(?)へ~(1)
――異世界、行きてぇなぁ……。
晩ご飯の用意をしている途中、そんなことをふと思っていた。
鍋の中でコトコトと揺れる二尾のカレイ。すっかり醤油色に染まった彼らを眺めながら。
コイツらももしかすると、今頃あっちの世界に行ってるのかもしれないな。
チートでヒラメにでもなってるか、もしくは魚の擬人化美少女たちを侍らせてハーレム気取ってやがるか……。
「う……羨ましくなくなんてないんだからねっ!」
身体にぷすぷすと菜箸で穴をあけてやった。
このカレイ畜生が! ちょうどいい煮加減だからって調子に乗るなよ!
おっと、いかんいかん……。ついカッとなってやってしまった。反省もしているし、猛烈に後悔もしている。
カレイを皿に移しかえるあいだに冷静さを取り戻した。魚(今日の晩メシ)に話しかけた挙げ句嫉妬までするとは……色々とヤバイな、俺。
でもまぁ、仕方あるまい。
今の俺はそれほどまでに将来を憂いているのだ。
幼少の頃からとくに打ち込めるものも持たず、流されるままに過ごしてきた俺。
高校卒業後も、将来なにかと有利だからと、なんとなく大学に入学した。そして今現在までノンベンダラリと学生生活を続けている。
将来の夢・目標なんてのは、まだない。
小さい頃から一貫して夢を追い続ける……もしかすると、そんな人種の方が希少なのかもしれない。だが、どうやら俺は、いつのまにか人生の中でも一際大きな波に呑みこまれていたらしい。
――就活戦線、その波である。
二回生時の後期日程が始まった頃だったろうか。
その日暮らしに大学生活を送っていた俺の耳に、新卒求人情報サイトなんたら、インターンシップがどうたら……初めて耳にするような言葉が呪文のごとく流れこんできた。
当時の俺にはなんの話しをしているのか全然わからなかった。
正確には、わかろうとしなかったのだ。
企業の合同説明会やらエントリーシートがなんやら、日に日に学生たちの目の色が変わっていくのをほとんど他人事のように眺めて過ごした。
徐々に騒がしくなっていく周囲の雑音に耳を塞いでいた。
そして四回生になった今年。あと一年で大学も卒業……そう意識しはじめた時、ようやく俺は気がついたのだ。
その煩わしい音のひとつひとつが、将来を決めるうえで重要な情報の集合体だったということ。
だが、時すでに遅し。
その時点で俺は、他の学生たちよりも何十歩も何百歩も出遅れていた。
どんな企業に入って、どんな仕事をするか。
そんなの考えたこともなかったし、そもそも適当に生きてれば自然と将来が現実になるもんだと、ダダ甘な考えが無意識の内にあったかもしれない。
一応、申し訳程度に就活の真似事はしていたが、他のやつらにすれば完全に「落ちこぼれ」「就活負け組」な思考の俺だ。企業様方から手が差し出されることなどあるはずもなく。
ようは俺――塙山草太は今、就活戦線の真っ只中で迷子になっておるのです。
* * *
「ただいまぁ」
座卓の上に煮つけを並べていると、玄関の開く音と一緒に涼やかな声が聞こえた。
声の主は、俺の同居人であり姉――塙山朝花だ。
「おう、おかえり姉ちゃん。もうすぐ晩メシできるよ」
「いいニオイだなぁ。毎度思うが、帰ってすぐご飯用意されてるって幸せすぎるな」
嬉しそうに頬を緩めながら、姉ちゃんは鞄を置き、着ていたチェックのベストを脱ぎ捨てる。
そのままキュロットのファスナーを下ろし、上のカッターシャツのボタンを手際よく外し、あっという間に下着姿に――
「――って、ちょっと待ったらんかい!」
姉ちゃんが振り向くと同時に緑フレームのメガネが光り、快活な印象の栗色ポニーテールが揺れた。
ついでに淡い桃色の下着に包まれたふくよかな果実も揺れに揺れた。
細身ながら健康的なラインを存分に晒し、あられもない姿で仁王立ちする我が姉。
「ほえ?」
「『ほえ?』ちゃうわ! なにいきなり脱いでんだ!」
いくら弟とはいえ男の前での脱ぎっぷりが豪快すぎだぜ……。それこそ男前な脱ぎっぷり。
我が姉ながら、目の前に晒される白い柔肌には、DTを瞬殺するほどの絶大な魔力が宿っていた。
「……ああ、わかったわかった、よ~くわかった。つまり草太はこう言ってほしいんだろ? …………そーちゃんの…………えっち」
そうそうそれそれっ! さすが姉ちゃ……て、ちゃうわい!
下着姿で部屋うろつくなと言っとるんやい!
「早く脱衣所に行ってきなさいっ!」
「ほほ~い」
まったく。
もう社会人なんだし、姉ちゃんにはもうちょっと大人の女性らしさってのを身につけてもらいたいもんだ。
そのまま、クネクネする姉ちゃんの背中を押し脱衣所に追いやった。
「「いただきま~す」」
二人の挨拶が8畳間に響く。
「……あ、美味い。草太、煮つけ上手になったなぁ」
「……んん。まぁ、だいぶ数やってるからなぁ」
食卓にのぼったカレイを二人でつっつく。この三年ちょいの間でもはや普遍の、二人での夕食だ。
俺は今、姉ちゃんの暮らすアパートに住まわせてもらっているのだ。大学の立地上、実家から通うよりもこちらの方が近いから。
はじめは一人で部屋を借りるつもりだったんだが、「あんたそんな金ないでしょ」と母に切り捨てられ、「じゃあ姉ちゃんと一緒に住むか! 同棲すっか!」と姉に迫られ、いつのまにか荷物を運び込まれて今に至る。
基本、家賃や生活費などは社会人である姉ちゃんが支払ってくれている。そのかわり……といってはなんだが、せめて居候状態の俺は家事全般をなるべくこなすようにしている。
おかげで料理スキルも、カレイの煮付けを完璧にこなせるくらいには上達していた。
……でも、わかってる。
今のままだと完全に、姉ちゃんにおんぶに抱っこのヒモ状態だ。
あ、このまま専業主夫になるのもアリかもな……なんて思考が少しでもチラつくので困る。
「あ、そうだ草太。アンタって今、バイトとかしてないよな?」
「んあ?」
しばらく悶々と考えていた俺だったが、姉ちゃんの声に顔を上げる。
「ああ、うん……おかげさまでな」
姉ちゃんには住まいのことだけでなく、俺の生活費の面倒まで見てもらっている。
なので俺はこの三年と少し、ノンベンダラリとした大学生活を送れているのだ。
こうして改めて振り返ると、いかに着実に堕落転落の道を辿っているのかがわかるな……。
「で、それがどうかしたのか?」
「ああ、うん。もし草太がよかったらなんだけど、バイトしてみない?」
「へ?」
「あたしの高校時代の友達が手伝ってるところがな、ちょうど人手が欲しいって言っててさ」
バイト……か。
ちょうど自分の今までに後ろめたさを感じていただけに、やってみようかなという気持ちもあるにはある。
「でもそれって、俺でも大丈夫な仕事なのかな? 俺、バイトの経験ないし」
「そこは大丈夫だ。初心者でもできる単純作業らしいから。まぁどっちにしろ、その気があるなら一度話聞きに行った方がいいな」
詳しい話を聞けるし、そのうえでどうするか決めればいい……と姉ちゃん。
姉ちゃんの知り合いのツテのようだし、全く接点のないところよりは融通が利くかもしれない。
「それに、絶対とは言えないにしろ、バイトして経験積めば就活にも有利に働くだろうし……。やってみて損はないと思うよ?」
「た、たしかになぁ……」
……ううん。これはけっこうオイシイ話なのかも。
「ちなみに、どんな仕事なん?」
そういえば肝心なところを聞いてなかった。
その質問に、姉ちゃんはカレイの身を咀嚼しながら言った。
「んむ、農業だ。果樹農業。オグリキャップ」
「そりゃ競走馬だよ」
農業は「アグリカルチャー」だよ。
なんか一気に不安になった……。