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第八話

 ――十日後――


「ねぇグレッチェン、今日もシャロンさんは店にいない訳??」

 購入したペッサリーを受け取りがてら、常連客の若い女がグレッチェンに尋ねる。

「すみません、店主は体調を崩していて、しばらくの間寝込んでいるんです」

「先月からずっとよ??シャロンさんのことだから、どうせ仮病なんじゃないの??でも、もし本当に悪い病気だったら、私がつきっきりで看病してあげたいわぁ」

 女は甘ったるい猫撫で声を出して、グレッチェンにそれとなく視線を送る。暗に、シャロンの私室へ入る許可を得たいのだろう。

 シャロンは童顔で線が細く、まだ二十代半ばと言っても通じる外見の若さと紳士的な物腰に加え、女性の扱いが上手く、しかも独身なので彼に気がある客も少なくない。おそらく、この女もその内の一人だろう。

 グレッチェンは曖昧に口元に笑みを浮かべただけで、女の媚を売る態度をそれとなくあしらった。女は一瞬だけ表情を苦々しげに歪めたが、「じゃ、また来るわね」と、あっさり引き下がり、店を後にしたのだった。

 もしも、彼女がシャロンの真の姿を知ったとしたら、それでも憧れを抱いていられるだろうか。

 表面上は爽やかで紳士的な優男だが、女にだらしがないだけでなく、一度何かに没頭し始めたら最後、寝食を忘れ、身の回りのことですらまともにこなせなくなるような男だ。しかも、直接的ではなかったとはいえ、婚約者とその父親を始め、大勢の人々の命を奪うという大罪を犯しているのだ。

 自分なんかと出会ってさえいなければ、今頃は若き医学研究者として活躍していたかもしれないのに。

 マーガレットと結婚をし、子宝にも恵まれて幸せな家庭を築いていたかもしれないのに。

 だが、彼の手を取って罪に加担したのも、紛れもなく自分自身だ。

 この特異体質を治すことが彼の新たな夢であるならば、最大限の協力をしてあげたい。例え、それが決して許されることでなかったとしてもーー。

 けれど、グレッチェンの特異体質を変える手掛かりを発見してからのシャロンは、彼女の目から見ても異様な程、研究に取り憑かれていた。ある種狂気掛かった彼の姿は父レズモンド博士を思い起こさせ、そこはかとこない恐怖すら感じてしまうのだ。

 もう一つ、グレッチェンの心の奥底でずっと押し込めてきた想いーー、『特異体質も含めて全部自分なのだから。この身体ごと受け入れて、生きていきたい』という想いが日増しに成長し続けている。

 特に、シャロンにキスされたことで、到底叶う事はないと諦めていた願い事が叶ったことで、余計にその想いは強くなっていた。

 九年前の火事の際、グレッチェン、いやアッシュが『取るに足らない』と言い捨てた願いーー、『お伽話のお姫様のように愛する人とキスを交わし、その人と日々を幸せに生きること』

 あの頃はぼんやりとただ憧れていただけだったけれど、今は違う。

 キスはともかくとして、シャロンと日々を穏やかに暮らすことができるならば、他に何もいらない。

 だから、これ以上自分のために無理をして欲しくないのに、と、天井を仰ぎ、大きく溜め息をつく。ついでに壁時計を見やり時間を確認する。

 まだ暇な時間帯の午後三時と閉店後の午後九時になると、グレッチェンはシャロンに食事と飲み物を作り、私室へと運ぶ。

 一心不乱になって研究に没頭するシャロンに話し掛けることもなく、ベッドの上にトレイを置き、前回置いた食器類(時々、手つかずになっていることもあるが)や洗濯物を持ってすぐに部屋を出て行く。

 現在の時刻は午後三時十一分。

 グレッチェンは一旦玄関の鍵を閉めると、奥の部屋の流しを使って食事の準備を始める。

 資料を調べたり書き物をしたりしながら食べられるものでないと駄目なので、どうしてもサンドイッチやオートミールのような簡単なものばかりになってしまう。

「グレッチェンは食が細いなぁ。太りたいなら、もっと食べなければいけないぞ??」

 そんなことを人に忠告する割に、自分だって食に頓着しないではないか、と、などと考えつつ、ベーコンと野菜のスープにパンを付け合せたものと紅茶、水差しをトレイに乗せ、階段を上がっていく。

 返事が返ってこないと分かりつつも扉を叩き、中へ入る。

「……??……」

 シャロンはベッドの上で眠っていた。

 正確に言うと、ベッドの掛布の上でうつ伏せになり、眠っているというよりも気絶していると言った方が正しかった。

 大方、床の中へ入ることすらままならない程の眠気に襲われてしまったのかもしれない。

 起こすのも可哀想だし、どうしたものかと思案しながら傍まで近づいてみたグレッチェンは、危うくトレイを床に落としそうになった。それだけじゃなく、全身の血の気がサーと頭のてっぺんから爪先に向かって引いていく感覚を覚え、思わず身震いをする


 シャロンが顔を突っ伏している枕が、ところどころ血で赤く染まっていたからだった。


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