第六話
どのくらいの時間が過ぎただろうか。
僅かにしゃくりあげながらも泣き止んだグレッチェンに、シャロンは更なる質問を投げ掛ける。
「そいつは誰だね??ハルか??」
グレッチェンは即座に首を横に振って否定の意を示すが、堰を切ったようにシャロンは身近にいる男の名前を思いつく限り並べていく。
その度にグレッチェンは無言で首を振り続けていたが、次第にその動きは徐々に弱々しいものになっていき、泣き腫らした顔を下へ下へと俯かせていく。
これでは罪人を尋問する刑事みたいではないか、と自嘲し、必要以上に追及するのは可哀想だと思う一方で、根負けして想い人の名を吐くまで問い詰めてやりたい、という加虐心にも蝕まれていた。
「年も近いから、ランスロット??マリオンか??」
「……違います……。……シャロンさん、本当は分かって言っていますよね?!」
シャロンの執拗なまでの質問に、とうとう耐え切れなくなったグレッチェンは再び淡いグレーの瞳に涙を浮かべ、悲しげに小さく叫ぶ。
細い肩を小刻みに震わせ、今にも崩れ落ちそうになりながら佇むグレッチェンの姿に、しまった、とシャロンは後悔の気持ちに苛まれた。同時に、九年前の火事の際、彼女が『取るに足らない事だ』と言っていた願いを今になってやっと思い出す。
シャロンはベッドの中から抜け出すと、立ち竦んだままのグレッチェンの傍にそっと寄り添う。
「……すまない、グレッチェン。少々苛めすぎたみたいだ」
「……嫌です。絶対許しません……」
まだ涙を流し続けるグレッチェンを、シャロンは強く抱きしめると彼女の頬に手を添えて顔を近づける。
「……駄目です!!」
慌ててグレッチェンは、両手でシャロンの顔を押しのけようとする。
「毒には当たるだろうが、死にはしない」
「いけません……!!死ななくても、死ぬほど苦しい思いをしますよ……」
「構わない。後で苦しんでもいいから、私は君にキスをしたいんだ」
「貴方が良くても私が嫌なんです……。シャロンさんが毒のせいでもがき苦しむ姿なんか、見たくありません……!!」
グレッチェンの健気な言葉は、シャロンを更に焚き付けるばかりでしかなかった。
シャロンはグレッチェンの両手首を強く押さえつけると、強引に彼女の唇を奪ったのだった。
「――んんっ……!……」
グレッチェンは、シャロンの手首を振りほどこうと身を捩って必死で抵抗する。
しかし、いくらシャロンが中背で細身の体格とはいえ、男の力に敵う筈がない。ましてや、小柄で華奢なグレッチェンでは尚更無理である。
またグレッチェン自身も、もっと本気で抵抗しなければ、と頭の中では警鐘が煩く鳴り響いているにも関わらず、今まで経験したことのないような胸の高鳴りを感じていた。
それは決して不快なものではなく、むしろ余りの心地の良さに身も心もとろとろに溶ろけてしまいそうで。始めは触れ合う程度の軽いキスを繰り返していただけだったのが、次第に唇を噛み合ったり、舌を絡めるような激しいものへと変化していったのだった。
ところが、長い時間キスを交わしているにも関わらず、シャロンの身体には毒による異変が一向に生じない。
そのことがグレッチェンは段々恐ろしくなっていき、彼女のシャツのボタンにシャロンが手を掛けたのをきっかけに、力一杯彼の身体を押しのけたのだった。
しばらくの間、二人は呼吸の乱れを整えるべく、お互いに言葉を交わせずにいた。
「……さすがに、少し気が早かったかな……」
「……それもありますが……」
どうやらシャロンの方も、グレッチェンと同じく疑問を抱いたようだ。
「何故、長い時間キスを交わしていたにも関わらず……、私は毒に当たらなかったんだ??」
シャロンは寝間着の上にガウンを羽織ると、「グレッチェン、ちょっと実験に付き合ってくれ」と、共に階下へ降りるよう促したのだった。
カンテラのおぼろげな灯りの元、採取したグレッチェンの唾液を試験管に移し、毒性を判定する特殊な試験薬を一滴落とし込む。
毒性反応が示されなければ無色透明のまま、ごく僅かでも反応すれば、毒性の強弱により色の濃さは変わるがたちまち青紫色に変化する。
これまでなら彼女の唾液は中間の濃さの青紫に変化していたのだが、今し方採取した唾液は変わらず無色で、毒性反応が一切示されなかった。
「これは一体……、どういうことなのでしょうか……」
「……私にもさっぱり分からない……」
信じられない結果を目の当たりにした二人は顔を見合わせ、混乱するばかりだ。
試験管を持っていない方の手で自身の顎を掴み、親指を唇に押し当てながらシャロンは目を閉じる。彼が考えを巡らせる際の癖だ
「グレッチェン。明日もう一度唾液を採取させてくれないか。そのために、申し訳ないんだがいつもより早く店に来てほしい」
「分かりました」
「よし。そうと決まったら、今日はもう帰りたまえ。私はこれから調べ物をしなければいけないからな」
そう告げたシャロンはすでに研究者の顔付きに変わっていたので、グレッチェンは黙って彼の言葉に従い、帰り支度を始めたのだった。




