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第五話

「薬が効いたみたいですね」

 閉店後に再び部屋に訪れたグレッチェンは、すっかり乾いてしまった布を取り払うとシャロンの額に掌を当て、もう片方を自分の額に当てて熱の有無を確認する。

 グレッチェンがベッド脇から立ち上がるのと入れ替わりに、今度はシャロンが掛布をめくって半身を起こす。

「汗をかかれているかと思ったので、身体を拭くようにと洗面器に湯を張りましたし、着替えも用意しました。……着替えを持ち出すのにクローゼットを勝手に開けてしまったこと、許して下さい」

「いや、気になどしていないさ。むしろ私の方こそ、何から何まで世話を掛けてすまない」

「いえ……」

 確かに、汗を大量にかいたせいで寝間着は湿り気を帯び、ひやりとした布の感触が肌に張り付いて大層気持ちが悪い。ゆえに上着の端を掴んで胸元まで捲り上げてみたものの、部屋にはまだグレッチェンがいるのだと、慌てて服を元に戻した。

「私のことは気になさらずに」

「そうは言っても、さすがにレディの前で裸を見せるなど失礼にも程があるだろう??」

 シャロンの発言にグレッチェンは、ふふふっと噴き出した後、からかうような口振りで尋ねる。

「こんな、少年と間違われることが多い私でも、一応レディと見なしているんですね??」

「当たり前だろう」

「分かりました。では、私は後ろを向いてシャロンさんを見ないようにしていますから、構わず身体を拭いて着替えて下さい」

(……少年と間違われることが多い、か……)

 短い髪や、シャツとサスペンダー付ズボンという男性的で簡素な服装、性差が余り感じられない薄い身体つきに化粧っ気のない顔。成人女性にしてはかなり小柄なことも含めて、グレッチェンは男性とも女性とも言い難い、未成熟で危うい魅力を持っている。

 加えて、華やかさには欠けるが、愁いを帯びた淡いグレーの瞳に理知的な顔立ちは充分美人と言えるだろう。上流階級の出だからか、どことなく気品も湛えている。

 しかし、彼女は自身の魅力に対して全くの無自覚どころか、気付いてすらいなかった。

 特異体質のことさえなければーー、年相応に恋をし、今頃は結婚や子供の一人二人くらいは儲けていただろうにーー、などと、シャロンは身体を拭きながら、ぼんやりと考えていた。

「グレッチェン、着替え終わったからこっちを向いても大丈夫だ」

 新しい寝間着を身に付けたシャロンは、グレッチェンの背中に声を掛ける。

「では、私はこれで失礼します。また喉が渇いたり、熱が上がってきた場合のことを考えて、机の上に水差しと薬、カップを置いておきますね」

 洗面器と脱いだ寝間着を手に、グレッチェンは部屋から出て行こうと扉に近づいていった。 

「グレッチェン」

「はい??」

 振り返ったグレッチェンに向かって、シャロンは問い掛けた。

「君は以前、今の自分を不幸とは思っていない。充分幸せだと言っていた。ということは……、身体も治らなくてもいい、ということなのか??……絶対に怒ったり咎めたりはしないから、正直な気持ちを聞かせて欲しい」

「…………」

 途端にグレッチェンは顔を強張らせて口を噤む。

 シャロンの質問に対して戸惑っているだけでなく、どう返答すべきか困惑し、考えあぐねているといったところか。まるで、悪さをして叱責を受けている子供が言い訳を述べようとしているみたいだ。

『私はこの身体を治したいと思っています』

 グレッチェンがこのように即答してくれればーー、薄っすらと期待を抱いていたシャロンは内心ひどく落胆した。やはり彼女は……。

 グレッチェンは中々口を開こうとしなかったが、シャロンは辛抱強く待ち続けた。

 やがて、シャロンの機嫌を窺うような瞳でせわしなく目線を泳がせ、遠慮がちにグレッチェンは答えた。

「……特に日常生活に支障をきたしていませんし……。それに……、……私は結婚や出産というものに一切憧れがありませんから……。……シャロンさんのご厚意には反してしまいますが……、この特異体質のままでも構わない、と、思っています……。それと……」

 再び口を閉ざしかけたグレッチェンに、「この際、思っていることを全部吐き出してくれないか。その方が私もすっきりする」と、シャロンは有無を言わせぬ強い口調で続けるよう促す。

 グレッチェンは益々身を縮ませながらも、小さな声で答える。

「……私のために、シャロンさんが無理をされている姿を目にするのが、……正直辛い時があります……」

「…………」

 シャロンは平静を取り繕いつつ、「そうか……。君の本音を聞くことが出来て良かったよ。ありがとう」と、静かに告げた。

 しかし、グレッチェンはどこかスッキリしないと言った体で、まだ何か言いたそうにしている。

「まだ言い足りないことがありそうだな。答えたまえ」

 苛立ったシャロンはやや高圧的な口調で問い詰めたが、グレッチェンは「いえ……、取るに足らないことですし、大したことじゃありませんから……」と、三度口を噤み、今度は決して答えようとしなかった。

 体調が優れないことに加え、胸の中で燻りつづけていた仄暗い感情が遂に爆発したシャロンは、「はっきり言ったらどうなんだ!!??」と、グレッチェンを思い切り怒鳴りつけてしまったのだった。

 いつになく激しく怒りを露わにさせるシャロンにグレッチェンは酷く怯え、ガクガクと身を震わせている。

 すっかり出会った頃の彼女に戻ってしまった様子に、さすがに罪悪感を覚えたシャロンが謝罪を述べようとした時、淡いグレーの瞳を潤ませながら、グレッチェンは消え入りそうなか細い声で、ぽつりと答えた。

「……ただ……、一度でいいから……、ずっとお慕いしている方と……、キスができたらいいのに……、とは思って、います……。……でも、こんなつまらない理由なんかで、シャロンさんに負担を掛けるのも、申し訳ないから……」

 顔を真っ赤に染め上げ、大粒の涙をボロボロと零すグレッチェンの姿に普段の冷静さは何処にも見当たらず、小さくて華奢な体格も相まって幼い少女のようだった。

 シャロンもシャロンで、思いもしなかった彼女の心情にただただ驚き、泣きじゃくるグレッチェンを慰めることすら出来ずに呆然と眺めるより他がなかった。


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