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レティシア・ブランシェットの華麗なる休日⑤

(1)


 馬車を西へ走らせること、約三十分。

 馬車は、頑強な黒い鉄柵に囲まれた白い聖堂、イースト地区の教会の正門前に止まった。


 門を潜り、聖堂の入口へと続く白い石畳の小道を歩き、懺悔室の横を通り過ぎ、礼拝堂の扉を開ける。

 夕刻の時間はとっくに過ぎ、夜の帳が降り始めたこの時間帯。

 当然、礼拝堂の中に人の気配は見当たらない。

 否、一人だけ、レティシアとここで待ち合わせている人物がいる筈――、いた。

 深紅の絨毯が敷かれたヴァージンロードを中心に、左右対称に七脚ずつ置かれた長椅子の内、聖壇から数えて左側四つ目の席の端に、()はいた。

 レティシアは、小柄で少し頼りなげな背中に向かって、彼の名を呼び掛けた。


「ブランシェット警視」


 レティシアに呼ばれたシューリスは、慌てて席を立つと彼女の元まで小走りで駆け寄ってくる。

 薄布を被せた携帯用のカンテラを手にしながら。


「待たせて悪かったわね」

「いえ、構いません。恐らく、あの方はまだお越しに」

「なっていないでしょうねぇ……」

 レティシアは、ふぅ、と軽く息をついてみせる。

「全く……。確かに人気のない場所、時間を指定してくれたのは有難いけど、何もあんな場所じゃなくても……」

「確かにそうですね……」

 シューリスも引き攣った顔付きでハハッと空笑いする。

「シューリス、いくら気が小さいからって怯えて逃げたりしないでよ??」

「し、しませんよ!!」

「絶対よ??」

 レティシアは意地悪く笑うと、礼拝堂から外へ出るようシューリスを促した。


 礼拝堂を出た二人は、聖堂を越えて奥にある小さな森、もとい、この教会の墓地の中へ足を踏み入れる。

 ウエスト地区やサウス地区の墓地とは違い、余り裕福でない中流階級や清貧の労働者階級の者達の墓ばかりのせいだろうか。

 墓地周辺の手入れが行き届いておらず、全体的に雑草や下生えの草が茫々と伸び放題に生い茂っている。

 各家の墓石もごちゃごちゃと入り乱れ、どれがどの家の墓石なのか、よく見て探さないと全く分からない有様である。

 雑草に埋もれ、苔むした墓石群に加え、初冬の夜闇の中、カンテラの薄っすらと朧げな光を元に目的の墓石を探すのは中々の至難だ。

 それでも、何度か訪れている記憶を頼りに、大体のあの辺りだろうか、という場所まで、シューリスと共に足を進めた。


「あったわ」


 確認のためにカンテラの光を、隣同士で二つに並ぶ、十字架を模した墓石に当てる。

 墓石の一方には『ハロルド・サリンジャー』と、もう一方には『アドリアナ・スミス』と記されているので、この場所で間違いない。


「何、やっぱり夜の墓地は怖いの??」

「いえ、違いますよ……」

 隣に立つシューリスがやけに神妙な顔をしているのが気になり、揶揄い口調で尋ねる。

「こう言っては不謹慎ですけど……。切り裂きハイドの手で奪われた恋人と、ようやく一緒にいられるようになったんだなぁ、と……」

「あぁ……」


 九年前、この街を恐怖で震撼させた、切り裂きハイド事件。

 目の前の墓石の主達は、事件に巻き込まれた最後の被害者とその恋人なのだ。

 当時、警官になったばかりだったシューリスは、最後の被害者アドリアナの遺体の第一発見者であり、図らずも彼女の遺体を目にしてしまったハロルドとも面識があった。

 あの事件の顛末を思い起こす度彼の中で苦い思いが込み上げ、二度とあのような事件を引き起こしてはならない、と、胸に固く誓っていた。


 しかし、哀しいかな、彼の誓いを嘲笑う出来事が今現在も発生していたのだった。


「それにしても、遅すぎるわね……。もしかして、薬屋で一喝くれてやったのが気に入らなかったのかしら」

「え??どういうことですか??」

「あー、貴方が絶賛懸想中の、グレッチェンを」

「……あの、誤解ですって……」

「憧れも懸想も似たようなものでしょ。グレッチェンを薬屋に送って行ったら、偶々あの男が来ていたのよ。それで。グレッチェンに物凄く失礼な発言してきたものだから、ぶん殴ってやろうと」

「ちょっ、警視!何て恐ろしい事を……!仮にも、サリンジャー一家の」

「は??誰が相手だろうと、女の敵は許せないのよ」

「さっすが、警視の姐さん!!かっけーなぁー」


 自然に会話に入り込んできたため、一瞬受け流しそうになったものの。

 だらだらと間延びした口調を耳にし、思わず振り返ると。


 二人の背後で、だらしない笑みを浮かべた長身黒スーツを着た男、ディヴィッドがいつの間にか佇んでいた。




(2)

「なになにー、姐さんのワンコくんもあのお嬢ちゃんに惚れてんのぉ??俺とお仲間じゃん」

「……だから、違いますって……」

「はいはい、どうでもいい話はやめて。ただでさえ寒いのに、墓荒らしと間違えられたくないから、さっさと必要なことを教えなさいよね」


 相変わらずふざけた態度のディヴィッドに苛立ち、レティシアは腕を組んで爪先でタンタンと小刻みに地を踏み鳴らす。

 あからさまに機嫌を悪くするレティシアを、面白そうにディヴィッドは見下ろしている。

 それが益々持って、レティシアの機嫌を傾けていく。

 対峙する二人の横ではシューリスが、また、始まった……、と、軽く身体を前へ屈ませて鳩尾付近を抑え込んでいる。

 ディヴィッドは依然ニヤニヤと不遜に笑っていたが、ふと、薬屋で一瞬だけ見せたような、真剣な表情へと切り替わった。


「姐さんよぉ、あんたが今追ってる事件の被害者の共通点が何なのか、分かったかぁ??」

「いいえ、まだよ……」


 レティシアは現在、『歓楽街で女性を絞殺、もしくは首を骨折させて殺害』する連続通り魔事件を担当中であった。

 被害者の数は、最初に事件が発生した二週間前から現時点で三名。

 いずれも若い女性ばかりが狙われたことから、『切り裂きハイドの再来、通称首折りヘンリー』と呼ばれている。

 その首折りヘンリーについての手掛かりをディヴィッドが掴んだ、と聞きつけ、彼に面会を求めたのだ。

 朝、施設でシューリスが指で示した『○』は、ディヴィッドが面会を許可したことを意味していた。


「ふーん……。まぁ……、クリスタル・パレス炎上事件がきっかけで男爵様が本格的にテコ入れ始めたとはいえ、警察の不甲斐なさは相変わらずだねぇー」

「…………」

「あいつらがもっとしっかりしてくれてれば、兄貴(ハロルド)も死なずに済んだってのによぉ……」


 間延びた口調はそのままに、ディヴィッドの顔からは完全ににやけた笑みは消え失せ、代わりに冷たい無表情へと切り替わっていった。

 返す言葉が見つからず、レティシアは悔し気に唇を噛み締めるより他がない。


「……まっ、死んじまったもんは仕方ねーしぃ、別に姐さんとワンコくんを責める気は毛頭ねーしぃ??あんたらが頑張ってんのは、生前のハロルドからよく聞かされてたから知ってるしよぉ」


 頭をガリガリ引っ掻くと、重たい空気を払拭するようにディヴィッドは、うひひと、妙な笑い声を立ててみせる

 そして、後ろ手で持っていた大きめの茶封筒をレティシアの目の前に差し出した。


「あくまで暫定でしかないから、捜査は慎重になぁー」

「……どうも。助かるわ」

「いーえー。俺、こう見えて紳士だしぃ、美人さんの頼みとくれば幾らでも頑張れるわぁ」

「あっ、そう。じゃ、ついでにもう一つ、聞きたいことがあるんだけど」

「えっ、なになに??」

「Mr.マクレガーに忠告したのは、首折りヘンリー絡みのこと??」


 ディヴィッドは一瞬、亡き兄と同じ、金色が入り混じったグリーンの瞳を細めてみせた。


「……姐さん、勘が良すぎるねぇ。あぁ、そうさぁ」

 目付きに反し、ディヴィッドは意外にあっさりと認めた。

「もしかして……、被害者の共通点が、あの子にも当てはまってる……とか??」

「その通り。資料の中にも書いてあっけど、被害者の共通点の一つは『小柄で細身の体格、特に首筋が華奢でほっそりしている』あとは、『ブロンドの髪の若い女』だ」

「…………」

「切り裂きハイドは娼婦ばかり狙っていたが、首折りヘンリーは堅気の女も襲っている。だから、旦那に忠告したんだよ」

「…………」

「これもハロルドが死ぬ直前、口を酸っぱくして言い含められたけどよぉー。あの夫婦は何かと厄介な事件に巻き込まれやすくて危なっかしいから、気をつけてやってくれってなぁー」

「あぁ……、それはちょっと分かる気がするわ……」

「だろ、だろぉ??姐さんも多忙極まるだろうけど、あのお嬢ちゃんと仲良しみたいだしぃ、ま、ちょっくら気に掛けてやってくれよ、な、な??つーことでさぁ、俺、もう行っていい??寒くて小便したいんだけどぉー」

「あのね……、仮にもレディの前ではしたないんだけど……」


 苛々する程軽いかと思えば、時たま、ふと至極真面目な顔になったり。

 どちらがこの男の真実の顔なのか、本気で分からなくなってくる。

 彼の亡き兄も飄々とした男だったが、この男は更に輪を掛けて掴みどころがない。

 立場上、掴ませないようしているのかもしれないが。

 けれど、必死に尿意を堪える間抜け極まる姿を見ていると、ただの阿保かもしれないとも思えてくるのも事実。


「分かった、分かった……。いい歳してお漏らしされても困るから、さっさと行って頂戴」

 レティシアは面倒臭そうに、シッシッと野良猫でも追い払うかのような仕草でディヴィッドに帰るよう促した。

 ディヴィッドもこれ幸い!とばかりに、脱兎のごとく兄達の墓石の前から出口へと駆け去っていく。

「やれやれ……。あんなのが頭目で、サリンジャー一家の先行きは大丈夫なのかしら……。さてと、シューリス。今から署に行くから、付き合って頂戴」

「えぇっ、こんな時間からですか?!」

「馬鹿ね。情報が手に入ったら、すぐに動かなきゃ駄目でしょ」


 貴重な休日でさえも常に仕事のことばかり考え、実際、ろくに休む間もなく動き続ける女上司に、シューリスは只々呆れるしかなかった。


(終)

最終話に出てきた「首折りヘンリー」の事件については、また後日連載する予定です。(ただし、現在連載中の長編ファンタジーを完結させてから……なので、確実に来年後半以降になりそうですが……)

切り裂きハイド事件の詳細は、灰かぶりの毒薬の一篇「Stand My Ground」、クリスタル・パレス炎上事件の詳細は、灰かぶりシリーズと同世界での別作品「争いの街」にて書かれています。

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