レティシア・ブランシェットの華麗なる休日④
(1)
レティシアとグレッチェンを乗せた辻馬車は施設の門前から、歓楽街内の薬屋まで向かって動き出す。
途中、馬車はレティシアの邸宅前で止まると、レティシアは「一〇分くらいで戻るから」と言い残し、グレッチェンを車内で待たせて邸宅内へと入っていく。
宣言通り、約一〇分後、男性用スーツに着替えて、再びレティシアは馬車に乗り込んだ。
「今からお仕事……、ですか??」
隣に座ったレティシアに尋ねるグレッチェンに、返事の代わりに首肯してみせる。
「今日はお休みなのに……、大変ですね……」
「まぁね。仕事、といっても、個人的にちょっと調べたいだけだから、手当てが付く訳でもないけどね。でも、どうしてもやっておきたいことなの」
肩を竦めるレティシアに、そうですか、と、グレッチェンは言ったきり黙ってしまった。
根掘り葉掘りと探りを入れてくる真似をしない思慮深さは、彼女の美点の一つだと思う。
歓楽街へと進む馬車の小窓からは、施設にいた時よりも陰りを帯び始めた陽光が差し込んでくる。
太陽がほんの少しずつ西へと傾く様子から、夕刻が迫っている。
とりとめのないお喋り(と言っても、レティシアの世間話にグレッチェンが相槌を打つ)に興じ、二〇分程経過した後――、馬車はゆっくりと速度を落とし、やがて静かに停車した。
御者に手伝って貰いながら、グレッチェンと馬車から降りる。
降車するなり、『薬屋マクレガー』と書かれた立て看板、次いで白い石造りの二階建ての建物が目に映った。
玄関のドアノッカーを叩いてから、扉を開ける。
薬草と化学薬品が入り混じった臭いが、ツンと鼻腔の奥まで微かに流れてきた。
「ごきげんよう、ミスタ・マクレガー。貴方の奥方をご自宅まで送り届けにきたわ」
正面奥――、黒檀で作られた長いカウンターの中、三つ並んだ薬棚の前に立つ、仕立ての良い高級スーツを着た優男、もとい、紳士――、グレッチェンの夫シャロンに、レティシアは極めて事務的な口調で告げた。
「わざわざご親切に……、ありがとうございます。ブランシェット警視」
シャロンはレティシアに向かって爽やかに微笑み掛ける。
外面の良さと表面的な物腰の柔らかさは相変わらずね、と、内心鼻白んだが、それよりもレティシアにとって不愉快な事案が発生していた。
(2)
「あっれぇー、誰かと思いきやー……。ブラナー署の姐さんじゃーん??何なにー、マクレガーの旦那の若奥様と仲良しとは、これまた意っ外だねぇー」
「……何で、あんたがここにいるのよ……」
「えぇー、ひっでぇ言い草!俺が管轄してる歓楽街の店に足を運ぶのは、俺の自由じゃん??」
カウンターを挟んでシャロンの目の前に立っている、ハニーブロンドの短髪にひょろりとした長身、へらへらと軽薄な笑みを浮かべる男。
歓楽街を裏で支配し、ファインズ男爵家とも深い関わりを持つと言われる、サリンジャー一家の二代目頭目、ディヴィッドだった。
よく見ると、客はディヴィッド一人だけではなく彼の傍らには二人の女――、やけに濃い化粧や派手めなドレスを纏っている辺り、一家が経営する娼館で働く娼婦だろうか――、が、くっつくようにして立っている。
おそらく仕事で使用する『何か』を買うために出掛けた彼女達に、どういう理由でかは知らないが(別に知りたくもないが)付いてきたのだろう。
ディヴィッドの軽すぎる口調や態度に苛立っているのはレティシアだけでなく、シャロンも同様らしい。
一応は穏やかな顔つきを作ってはいるが、口元が微妙に引き攣っている。
だが、シャロンの微妙な表情が本当に意味するところまでは、レティシアは気付く由もなかった。
ディヴィッドが、レティシアの隣に立つグレッチェンの姿を目に留めるまでは。
ディヴィッドの金色が入り混じったグリーンの瞳が、グレッチェンを捉える。
途端に、グレッチェンが僅かに身構えた気配をレティシアは感じ取った。
シャロンも気付いたらしく、ディヴィッドに声を掛けようとした矢先。
ディヴィッドの、元々締まりのない顔付きが更に緩くなり、異様なまでの俊敏さでグレッチェンの元まで歩み寄ってきたのだ。
グレッチェンは思わず身を引いて後ずさったものの、逃げることが叶わず。
気付くと、ディヴィッドの大きな両掌にしっかりと手を握られてしまっていた。
「いやー、お嬢ちゃん、久しぶりだねぇー。元気してたぁー??すっかり良い女になっちまってぇー!ってゆーか、前よりちょっと肉がついたんじゃね??人妻の色気??みたいなもんが滲み出てて、いいわぁー!すっげぇー、いいわぁー!!あー、あれかぁ??毎晩、マクレガーの旦那に可愛がってもらってんだろー??」
「ち、ちが……、違います!!」
強い力でしっかり握られた手を振り解くこともできず、一気にまくしたてるディヴィッドから反論の機も窺うこともままならず。
ただ、最後の一言だけは何としても否定しなくては、と、グレッチェンにしては珍しく声を荒げて反論する。
カウンターの中では「毎晩ではないぞ……」と、シャロンがそれはそれで新たな誤解を招きそうな呟きをさりげなく漏らしていた。
「いい加減にしなさい!!調子に乗るんじゃないわよ!!この変態!!」
シャロンはどうでもいいとして、酷く困惑し羞恥に身悶えるグレッチェンのため、レティシアはディヴィッドの頭上に思い切り拳を振り下ろす。
非常に腹立たしいことに、ディヴィッドはレティシアの怒りの鉄拳をするりと躱し、グレッチェンの手から自らの手をパッと放した。
「姐さん、まだまだだねぇー」
「…………」
にやにや笑いながら見下ろされ、赤縁眼鏡の奥の青い瞳が一層険しくなる。
レティシアの鉄拳を食らって躱せた男は、この男の、今は亡き異母兄だけだったのに。
(……本当、兄弟揃って嫌な男だわ……)
レティシアの胸中に一瞬だけ過ぎった感傷に気付くことなく、ディヴィッドはカウンターを振り返ると、「よし、お嬢ちゃんとも会えたことだしー、お前らの用も済んだことだしー、そろそろ店に帰りますわー」と、シャロンと連れてきた娼婦達に向かって告げた。
「ありがとうございます。また何か御入用の際は、いつでもうちの店にお越し下さい」
あくまで客という立場上にこやかな顔で礼を言いつつ、内心「さっさと帰れ」と憤るシャロンに、「……旦那ぁ、さっき話した通り、色々気をつけなよぉ??」と、口調は軽いままでふと真顔になって忠告してきた。
「……えぇ、勿論、分かっています」
「……なら、いいやぁ。じゃ、邪魔したよ。お嬢ちゃんと姐さん、またなぁー」
シャロンと意味深なやり取りを交わすと、ディヴィッドは娼婦達を引き連れて店を後にする。
二人の様子が気に掛かったものの、程なくしてレティシアも店から出て行き、再び馬車に乗り込んだ。
次なる目的地へと急ぐために。
ディヴィッドはハルの腹違いの弟で、灰かぶりの毒薬の一篇「Everybody’s Fool」「Stand My Ground」に登場します。
ちなみに、今話の時系列は「争いの街」から一年近く経過しているのでハルは登場しません。




