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レティシア・ブランシェットの華麗なる休日②

 階段で二階へ上がり、施設内の南側に位置する応接室までレティシアはグレッチェンを案内した。


 南向きの窓からは明るい日差しが差し込み、暖かな色調で統一された家具調度品を更に暖かそうに見せてくれる。

 中央の丸テーブルに座るようグレッチェンに、また玄関から付き添ってきた職員には、ロザリーとプリシラにこの部屋へ来るよう伝えて欲しい、と告げた。

 職員はすぐに退室し、レティシアもグレッチェンの隣に腰掛ける。


 数分後、職員に伴われてロザリーとプリシラが応接室へとやってきた。


 ゴールドブロンドの巻毛を緩くまとめたロザリーは、レティシアとグレッチェンに深々とお辞儀をしてみせ、ブルネットの長い髪を両耳の下で三つ編みに垂らしたプリシラは、グレッチェンの姿を見るなり、いそいそと傍に近付いてくる。


「こんにちは、グレッチェンお姉さま。ご機嫌はいかが??」


 スカートの端を少し摘み上げ、プリシラはグレッチェンに微笑みかけた。

 幼い子供の笑顔にしてはぎこちなく、目も口元も引き攣った固い笑顔。

 それでも施設に入所したばかりの頃、周囲に頑なに心を閉ざし、決して笑顔を見せることがなかったのを思えば、相当な進歩を遂げたことになる。

 日常的に母や使用人達、時にはプリシラ自身にも暴力を振るった父のせいで負った深い心の傷が、以前よりかは癒えているのか。

 ホッと安心すると同時に、改めてジョセフ・パイパーへの怒りが沸々と静かに込み上げてくる。


 レティシアの腹の中の怒りなど気付く由もなく、プリシラはグレッチェンの隣に座ると、最近習ったという移住予定先の異国の言葉をグレッチェンに説明していた。

 夢中になって話続けるプリシラに、グレッチェンは真剣に聞き入り、丁寧に相槌を打っている。

 ロザリーは二人のやり取りを黙って眺めているが、その眼差しはどこまでも穏やかだった。

 和やかな空気を壊してはいけない、と思い、三人に気付かれないよう、レティシアは怒りを身の内へと鎮めていく。

 本当ならば煙草を一本吸いたいところだが、非喫煙者の彼女達の手前、遠慮しなければならない。

 仕方なく、赤縁眼鏡をかけ直す振りで両端を指先で押さえながら、何度も繰り返し上下させた。

 煙草を吸えない状況下で、気を落ち着かせるための手癖のようなものだ。


 レティシアの怒りが収まってきた頃、茶器とティーポット、シュガーボックス、小皿をトレイに乗せて、職員が応接室に入室。

 それぞれの手元にカップを置いては淹れたての紅茶を注ぎ、菓子が乗った小皿を置き、テーブルの真ん中にシュガーボックスを置いていく。


 レティシアとロザリーは砂糖を入れずにカップに口を付けたが、プリシラとグレッチェンは一杯ずつ砂糖を入れてからカップを口元に運ぶ。

 プリシラはすぐに紅茶を口に含んだのに対し、グレッチェンはふぅふぅと何度も息を吹きかけ、ちびちびと舐める程度に紅茶を口に含んでいる。

 理知的な容姿に反する意外な姿に、レティシアが密かに頬を緩ませていると。


「グレッチェンお姉さま、熱いのが苦手なの??」

 すでに紅茶を半分以上飲んでしまった、レティシアやロザリーに対し、まだ三分の一すら飲めていないグレッチェンが気になったのか、プリシラが気遣わしげに話しかけてきた。

「……はい、実は。」

 やや俯きがちになり、恥ずかしそうに答えるグレッチェンが可愛くて、レティシアは思わず噴き出してしまった。

「まぁ、そんなことお気になさらなくても宜しいのに」

 笑い声こそ出さないものの、ロザリーもおっとりと苦笑を浮かべている。

「そうよ、グレッチェン。熱いのが苦手なのは体質みたいものなんだから、萎縮する程のことじゃないわ」

「そうでしょうか……」


 一人、何やら真剣に考え込む姿が益々いじらしいというか、何というか。

 どちらかと言えば冷たい顔立ちに加えて潔癖な質のせいか、近寄り難いグレッチェンの意外な一面を知れば知る程、好感を抱いてしまう。


 断じて悋気ではないと言い切った上で、自身の元恋人でもあり、数多くの女性と浮名を流してきたシャロンが彼女だけを盲目的に愛する理由が、レティシアには当初全く見当がつかないでいた。

 確かにグレッチェンは美しい女性だが、彼好みの人目を引きつける華やかな美しさ、というより、儚げで楚々とした美しさだ。

 例えるなら、薔薇や百合ではなく、水辺にひっそりと咲く水仙のような。

 性格だって快活でお喋り上手な質ではなく、物静かで口数が少なく、冗談や軽口を余り好んだりしない。

 まぁ、十何年も時を経れば、多かれ少なかれ人は変化するものだし、女の好みだって変わるだろう、くらいにしか考えていなかったが。

 グレッチェンと接していく内に、レティシアにも理由が少しずつ分かってきたのだ。


 彼女を知れば知る程、放っておくことが出来なくなる、と。


 繊細な見掛けに寄らず気丈で自立心旺盛なのはいいが、無自覚で無理をしてしまう、自分ではなく、あくまで他人の為に。

 人の三倍は健気なだけと言えば聞こえはいいが、見ているこっちはハラハラして気が気でなくなる。


 そうして気付くと、彼女からすっかり目を離せなくなってしまうのだ。


(……まぁ、彼女のそういった性格のお蔭で、この母娘も救われたのだけどね……)


 未遂とはいえ、自分を暴行した男の家族など憎しみを抱くのが普通だろうに。


 彼女も父親から虐待を受けていたと打ち明けていたが、似たような境遇の者と、かつての自分の姿を重ね合わせるのだろうか。

 自らが体験した辛い思いを人に味合わせようとする者の方が多い中、危ういまでの真っ直ぐさには強く心を打たれざるをえない。

 少なくとも、レティシアの場合は。


 二杯目の紅茶も飲み終わった頃、レティシアは三人にある提案を持ち掛けた。


「さ、お茶もお菓子も頂いたことだし、今日は珍しく天気も良いことだし……。軽い運動がてら裏庭でサイクリングでもしない??」

「あら、楽しそうですわね。プリシラもどうかしら??」

「お母さまがいいなら、私はいいわよ」

「グレッチェンはどうする??」

「…………」


 グレッチェンはほんの少しだけ浮かない顔付きで、迷うように口を開け閉じさせている。


「お姉さまも。私達と一緒に遊びましょ??」


 プリシラが青い瞳でグレッチェンの顔を覗き込むように見上げ、両手をキュツと握り締めてくる。

 自分を慕う少女からの誘いを無下にはできない、と思ったのだろう。


「……分かりました。では、私も皆さんとご一緒します」

「わぁ、嬉しい」

 途端にプリシラは顔を綻ばせ、つられてグレッチェンも薄く微笑んでみせる。


 どこか観念したようにも見えるグレッチェンの態度が気になりつつ、「そうと決まれば、早速準備しましょ」と、レティシアは三人に部屋を出て外へ行くよう、促したのだった。

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