眠れない夜に
昨日の「ベッドの日」夫婦VER.のSS。
時系列はフローズン最終話、プリシラに会いに行った直後くらいです。
風呂から上がったシャロンは、濡れた髪を拭きながら階段を昇り、自室の扉を開ける。扉が開くと同時に、甘ったるい香りが鼻先を掠めていく。
部屋の中ーー、海老茶色の長椅子では、寝間着の上にショールを羽織ったグレッチェンが座っていた。
「眠れないのか」
はい、と小さく答えるグレッチェンの隣にシャロンも身を置く。途端に、先程の香りが強さを増し、鼻腔の中を支配し始める。
どうやら甘い香りの正体は、グレッチェンが両手持ちで抱えているカップの中身ーー、黒に近い焦げ茶色の液体から漂っているようだった。
「ホットチョコレートか」
「はい、お義母様から頂きました。病み上がりの身体では、まだ日常生活を送るだけでも疲れるだろうから、と。本当はシャロンさんの分も作ろうかと思ったのですが……」
「いや、私は遠慮しておくよ」
「そう仰ると思ったので、止めました」
シャロンに向けて微かに唇の端を持ち上げてみせると、グレッチェンはホットチョコレートを口に含み、喉へと流し込む。その動作を何度か繰り返した後、空になったカップをローテーブルの上に乗せる。
グレッチェンがカップの取っ手から指を離すのを確認したシャロンは、彼女の頬に手を添え、そっと唇を重ねた。
「やはり、遠慮して正解だったな。この味は、私には少々甘すぎて飲み切る前に胸焼けしてしまいそうだ。だから、これで充分だよ」
「…………」
「ん??何をそんなに動揺しているのだね。そもそも、この間、君からお強請りされたことをしたまでの話だよ」
「…………」
不意打ちでキスをされたせいで、グレッチェンは顔から胸元までこれ以上ないくらいに真っ赤になり、すっかり狼狽してしまっている。
結婚して三か月近く経ったと言うのに、相変わらず初心な反応ばかりを示す妻に思わず苦笑を漏らす。
「……き、き、き……」
「き??」
「……キ、キスは……、狡いです……。と言うより、シャロンさんは、いつも狡いです……」
「……言葉の文法がおかしくなっているんだが……」
「…………」
グレッチェンは、それっきり黙り込んでしまった。
そこまで動揺しなくても……、と、少しだけ、ほんの少しだけ呆れるシャロンだったが、しばらくの沈黙の後、グレッチェンは真っ赤な顔はそのままに上目遣いでシャロンを見上げてきた。
「……シャロンさん、今夜は、いえ、今夜こそ……、い、一緒に寝てください……」
「は??」
一緒に寝るも何も、毎日同じベッドで共に寝起きしているじゃないか、と喉元まで出掛って、はたと言葉を止める。
あぁ、そういうことか。
確かに、あの事件のせいで(未遂とはいえ)心身を傷つけられたことに加え、体調を崩していたことも重なり、触れたりしたらまた傷つけかねない、とシャロン自身一線を引いていたのは事実だった。
だが、それが却って、グレッチェンの中で不安を感じていたのかもしれない。
しかしながら、いかにも不器用かつ、初心で慎み深い彼女の精一杯の誘い文句がつい微笑ましく思えてしまう。
噴き出しそうになるのを堪え、「……分かった……」と、シャロンは辛うじて答えたのだった。
(終)
リクエストがあれば、ムーンライトの方で続きを書くかもしれません。




