フローズン(15)
今回、マクレガー夫妻は出てきません。
――十数時間後、翌深夜〇時半頃のラカンターにて――
閉店時間まで残すところ一時間半を切り、店内にいた客は一人また一人と帰っていく中、一息ついたとばかりに、ハルはカウンターの中でグラスに注いだダーク・ラムに口を付ける。
「ボス、飲み過ぎには気をつけてくださいよー」
「あ??うるせえよ」
従業員の青年ランスロットによるからかい口調の忠告を、うざったそうにして一蹴する。
他の者であれば萎縮し兼ねないハルの荒い言葉遣いにも、ランスロットは一切臆することがない。元々が物怖じしない豪胆な性格なのに加え、かれこれ五年近くラカンターで働いているのでハルの性格や態度に慣れきってしまっているからだ。
ランスロットに言われなくても、今夜のハルはこの一杯だけで酒を飲むのは控えようと決めている。
ダーク・ラム特有の、濃い褐色の色合いと甘めの風味に騙され、際限なく飲み続ければ後で悪酔いしてしまうし、悪酔いした時の自分が晒してしまう醜態を考えると、人前で飲み過ぎる訳にはいかなかった。
「ボス、客もいなくなったことだし、まだ早いけどボチボチ片付け始めてもいいっすか??」
ランスロットは、鳶色のどんぐり眼でハルを真っ直ぐに見据えて指示を仰ぐ。長身のハルよりも更に背が高いので、自然と彼を見下ろす形で。
ハルはグラスの中の氷をカラカラと遊ばせつつ、少しだけ逡巡していたが、「そうだな……、だが、多分あと一人くらい店に来るような気がする。とりあえず、グラスや皿の片付けだけやっておいてくれ」と答えた。
了解っす、と、ランスロットが各テーブルの上に置かれたままのグラスを集め出した時だった。
キィィ、と扉を軋ませて、一人の客――レティシアが店に入って来たのだ。
「いらっしゃい……、って、誰かと思いきや、警視の姐さんじゃないっすか」
「こんばんは、ランスロット君。今日は、幼なじみの銀髪君はいないの??」
「マリオンっすよね??生憎、今日は休みっす」
「あら、残念。あの子、見た目が下手な女性より美形なだけじゃなく、性格も純粋で可愛いから気に入っていたのに」
「あぁ、あいつは週に三、四日しか店に入らないし、日付を跨ぐ前には帰っちまうんで」
「おい、レティシア。お前はいつから年下の男好きになったんだ??」
ランスロットとレティシアのやり取りを黙って聞いていたハルが、話に横槍を入れてきた。
「は??そんなんじゃないわよ。でもまぁ、少なくとも、枯れつつある男寡状態のひねくれ男や、年甲斐もなく鼻の下伸ばして若い妻に盲目的な男よりも、ランスロット君やマリオン君の方がよっぽど素直で可愛げはあるわね」
「誰が男寡だ。俺は一人の女に縛られるのが嫌なだけだ」
「よく言うわ。『懐中時計の中の君』に、がんじがらめに縛られ続けている癖に」
「あぁ??余計なお世話だ。それよりも、俺に話があってここへ来たんだろ??」
「えぇ、貴方の言葉をシャロンに伝えてきたわ。そしたら、彼からも伝言を預かった。『お前に言われなくても、すでにそうしているから心配は結構。後、様々な根回しに関しては恩に着る』ですって」
「そうか。言っておくが、俺はシャロンのためじゃなくて、グレッチェンのために動いたまでだ。シャロンはどうでもいいが、グレッチェンにはこれ以上傷ついて欲しくないからな。でなきゃ、誰が親父の力に縋ろうとするかよ」
「でも、貴方のお父様からしたら、溺愛している息子に頼られるのは嬉しいんじゃない??」
「あ??違ぇ。あいつが溺愛していたのは俺の母親だけだ。あいつにとって、俺は一番お気に入りの愛人と面差しがよく似た息子だから気に掛けているだけだろ」
どうでも良いことだと言わんばかりに、ハルは軽く鼻を鳴らした。
ハルの母は高級娼館の一番人気の娼婦であり、実父は歓楽街を裏で取り仕切る、裏社会の要人だった。
それ故に、ハルの言葉一つ持ってすれば、最悪犯罪すらも秘密裏に引き起こすこともたやすくできる。
かつてのグレッチェンとシャロンの裏稼業を人知れず広めたのも、彼らに足が付かないよう警察の目を上手く誤魔化せていたのも、偏に、ハルが影で実父の力を大いに利用していたからである。
勿論、レティシアには嗅ぎつかれないよう注意をよく払っているので、彼女は二人の秘密に気づいてすらいなかった。
最も、レティシア自身も、時々ハルを通して彼の実父の力を借りることがしばしばだったけれど。
ハルと話しながらレティシアはカウンター席――、ハルの目の前の席に座ると、煙草に火を付ける。
「ハロルド、レモネードをお願い」
「何だ、今日は飲まないのか??」
「ここを出た後、また署に戻って仕事をしなきゃいけないのよ」
「そりゃご苦労様だな」
レティシアが煙草を吸っている間に、ハルは厨房からレモネードの瓶を取りに行く。
「ほらよ」
「ありがとう」
煙草を灰皿の縁に置き、ハルから瓶を受け取る。
「それで、まだ俺に言いたいことがあるんだろう??」
「えぇ、まずはお礼。ジョセフ・パイパーの暴力被害に遭った女性達の素性を、カストリ新聞社の人間達が面白おかしく記事に書き立てたりしないよう、上手く手を打ってくれて本当にありがとう。ただでさえ心身が著しく傷ついている彼女達を、世間の好奇の目に晒さずに済んだもの」
「俺はただ、グレッチェンを守りたかっただけだ。礼には及ばんさ」
グラスに残っていたダーク・ラムを飲み干すと、ハルも煙草に火を付けた。
「シャロンはまだ分かるとして、貴方まで随分とあの娘を気に掛けているのね」
「何だ、嫉妬かよ??」
「は??違うわよ。純然たる興味よ。まさかと思うけど……」
「おい、勘違いしてくれるな。確かに、シャロンの馬鹿には勿体なさ過ぎるいい女だとは思うが、俺の好みじゃないし、女と言うより手の掛かる妹みたいなもんだ。一見聡明で思慮深いようだが、案外思い込みの激しい直情的な面があるからなぁ。危なっかしくてつい手を差し伸べたくなっちまう。あぁ、あいつだけじゃない、シャロンも同じだ。ったく、あいつら、揃って似た者同士過ぎて、何だかんだで放っておけねぇんだよ」
「そんなところだとは思ったけどね」
「なら最初から聞くんじゃねぇ。お前、めっきり性格悪くなったよな」
「あら、失礼しちゃう。男の世界で生きているんだから、嫌でも神経が図太くなってくるわよ」
「だろうな。やたら勝気な反面、赤毛に劣等感抱いてわざわざ栗毛に染めていたくらい繊細だったお前が、警視にまで昇りつめるまでになったんだ。しかも女であり、その若さでありながら。全く大した女だぜ」
「散々貶しておきながら、最後に持ち上げるなんて。貴方、やっぱり口が上手い男ねぇ」
「まぁな。少なくとも、シャロンよりは女の扱いが上手い自信はある」
「いい年して、何を子供みたいな程度の低い張り合いしているんだか……」
レティシアはわざと大きく溜め息をついてみせると、レモネードを一気に飲み干した。
「私のことを変わったと言うけど、貴方もシャロンもあの頃とは随分変わったわよ??上手く言えないけど……、今の貴方達には守るべき者がいるからこその強さや優しさを備えているもの」
「シャロンはそうだろうが、生憎俺にはそんな奴はいなくてね」
「そうかしら??私には、貴方にも大事な人がいると思うけど」
「俺にとっての大事な人間は、すでにこの世に存在しない。だから……」
「そう思っているのは貴方だけよ。少なくとも、シャロン達夫婦やランスロット君、マリオン君は貴方にとって大事な人じゃなくて??」
表情を曇らせて目を伏せるハルの言葉に被せるように、レティシアが問い掛ける。
ハルは、驚いたように金色が入り混じったグリーンの瞳を数秒見開いていたが、「……レティシア、一つだけ訂正させろ。何度も言うが、シャロンはどうでもいい人間だ。ただし、あいつに何かあったとあれば、グレッチェンが嘆き悲しむのが目に見える。それを避けたいから、結果的にあいつの世話を焼かざるを得ないだけだ。分かったか??」と、憮然としながら答えたのだった。
灰かぶりシリーズと言うより、争いの街番外編的な話になってしまいました。
次回はマクレガー夫妻出てきます。




