フローズン(12)
(1)
レティシア達が踏み込んだのを皮切りに、警察関係者が続々とパイパー邸に入っていき、現場検証を行い始める。
そんな中、グレッチェンとシャロンは互いに抱き合うような形で、廊下の隅に座って待機させられていた。否、正確に言うと、グレッチェンの方がシャロンに身を寄せている、と言った体であった。
シャロンは濡れそぼったフロックコートとスーツのジャケットを脱ぎ、ロザリーから借りたタオルを肩から掛けている。対してグレッチェンは、破かれた衣服からどうしても見えてしまう胸元が目立たないよう、レティシアから借りたコートを羽織っていた。
お互い、心身共に疲弊しきっているせいか、会話を交わす余裕などなかった。
しかしグレッチェンは、店を勝手に閉めてパイパー邸に訪れたこと、運が悪かったとはいえこのような事件に巻き込まれ、シャロンに多大な心配を掛けてしまったことを改めて謝罪するため、重く閉ざしていた唇をゆっくりと開く。
「シャロンさん……、私が勝手な行動を起こしたせいで……、貴方にご迷惑と心配をお掛けしてしまい……、本当に申し訳ありませんでした……」
声を震わせ、深々と頭を垂れるグレッチェンに、シャロンは長く深い嘆息を一つだけついてみせる。
「……もういい。……全く腹が立たないと言えば嘘にはなるが……、それでも、君が無事でいてくれただけで……、それだけで充分だ……」
シャロンはもう一度だけ軽く息を吐くと、愛しむようにグレッチェンの髪を優しく撫でる。
「……ただ、本来思慮深い筈の君の事だ。何の考えもなしにいきなり店を飛び出して、パイパー邸を訪問した訳ではなかったのだろう??」
髪を撫でる優しい手つきと声音に、張りつめていた気持ちがたちまち緩んでしまったグレッチェンは、『ゲルダから聞いた、行き場を失くした女性達を保護し、自立支援を行う施設の話をロザリーに教えたかった』という旨を、正直にシャロンに告げたのだった。
「……まさか、君が私と全く同じ考えに行き着いていたとは……」
「……え??」
「……実は、私が連日昼間外出していたのは、その施設にマダム・ロザリーの件を相談しに行っていたのだ。その施設を設立し、管理を行っているのはレティス……、いやブランシェット警視なんだが……。どうも、過去にパイパーから暴行を受けた女性――、恐らくこの邸宅で働いていた元使用人が、暴行された件を彼女に訴え出ていたらしい。それで、奴が今まで起こした複数の使用人達への暴行・傷害容疑を立件するための捜査をしていた時に、丁度私が、奴が妻子にまで暴力を振るっているという情報を持ってきたから、図らずも捜査に協力する羽目になったのさ」
「……だから、外出する理由を私に告げなかったのですね……」
「あぁ、捜査に協力する以上、守秘義務を課せられるからね。それでも、私が黙っていたことで君に不安を感じさせていただろう。すまなかった」
今度はシャロンがグレッチェンに頭を下げる番だった。
「……いえ、理由が理由ですから、仕方のないことだったと思います」
シャロンの外出理由が判明し、安堵するグレッチェンだったが、同時にあることに気付くと、途端に顔色を青ざめさせた。
「……どうした??」
「……いえ、その……」
絶対に人に聞かれる訳にいかないーー、グレッチェンはシャロンの耳元に唇を寄せ、周囲の人間には聞こえないくらい、シャロンですら聞き取り辛い程に声を落として言葉を続けた。
「……この事件での取り調べを受けることによって、万が一、過去に私達が犯した罪まで調べ上げられでもしたら……」
「…………」
自分とプリシラに向けてジョセフが発砲してきた時以上に、身体をガクガクと大きく震わせて脅えるグレッチェンを宥めるように、シャロンは彼女の身体をそっと抱き寄せ、耳元で囁いた。
「……その心配をする必要はない。マダム・ロザリーと面識を持った経緯を聞かれ、下手に隠し立てをすると却って怪しまれるだろうとーー、正直に、毒を売っているという噂を耳にした彼女がうちの店に訪れたのがきっかけで……、と話した。その際、ブランシェット警視から一瞬疑いを掛けられたが、『うちにとって迷惑極まりない、ただの噂話だ。どうしても信用できないと言うのなら、気が済むまで家宅捜査をすればいい』と、しらを切り通して、どうにか疑いの目を逸らすことが出来た。仮に、本当に家宅捜査をされたところで、目に見える証拠になるものなど何も出てこないのは本当だしね」
「……そう、ですか……」
まだ完全に不安は払拭しきれていないものの、とりあえずはホッと胸を撫で下ろす。
「……アッシュ、私を信じてくれ。……私はろくでもない男であるのは紛れもない事実だが、何があっても君だけは絶対に守りたいと思っている」
「……はい……」
すっかり冷え切っている筈なのに、シャロンの身体に触れていると何故か気分が落ち着いて来る。それが心地良くて、グレッチェンがより一層身を寄せようとした、その時――、シャロンの脳天目掛けて、またもやファイルの角が叩き落とされたのだった。
(2)
「このお喋り男。まだ事件は解決していないって言うのに、ペラペラとよく喋るわね」
再び頭を抑え込んで蹲るシャロンの背後には、腕組みをしながら仁王立ちの姿勢で彼らを見下ろすレティシアが佇んでいた。
「まぁ、奥さんに浮気を疑われたら困る、なーんて、しきりに気にしていたものねぇ。それにしても、綺麗な顏なのに小さくって華奢で……、本当に可愛らしい娘だわ。一体どんな手を使って騙したのかしら」
どうやら、話の前半部分しか聞いていなかったようで(と言うより後半部分は、人目を憚らず、やたらとくっついては仲睦まじくしているようにしか見えなかったらしい)、「でも、いくら新婚で仲が良いからって、場を弁えなさいよ。部下が目のやり場に困っているわ」と、呆れたように二人を嗜めたのだった。
「君ねぇ……。いちいち人の頭上に調書を叩きつけるの、止めてくれないか……」
三度も頭をはたかれては、さすがのシャロンも文句の一つも言いたくなるだろう。
「口で言うより行動でわかりやすく示す方が人は理解が早いんだもの」
悪びれもせず、あっけらかんと言い切るレティシアに、シャロンは思わず閉口せざるを得なかった。
やけに親しげなレティシアとシャロンのやり取りが非常に気になったグレッチェンは、「……あ、あの、お二人は……、以前からのお知り合い……、なのでしょうか??……」と、遠慮がちにかつ、口籠りながら尋ねた。
「あぁ、彼女は寄宿学校時代の知り合いで……」
「は??何誤魔化そうとしているのよ。私と彼は、寄宿学校時代に恋人として付き合っていたのよ」
あぁ……、余計なことを……、と、額に掌を押し当てるシャロンを尻目に、一人グレッチェンは衝撃を受けると共に、レティシアの容姿等をそれとなく観察してみた。
中背のシャロンと余り背丈が変わらない辺り、女性にしては長身の部類である。長く伸びた四肢に、全体的にほっそりとした体形だが決して痩せすぎではない上に、胸元の膨らみだけはえらく突出している。化粧っ気も少なく、それでいて眼鏡で隠れてはいるが、目鼻立ちのはっきりした顔立ちで美人の部類だ。職業柄か、はたまた性格が表れているのか、目付きはきついものの、女性らしい服装や化粧をすれば必ずや人目を引くに違いない。
その性格も苛烈な部分はあれど、自信に満ち溢れた堂々たる姿は同性のグレッチェンから見ても充分魅力を感じる。
知らず知らずの内、レティシアに劣等感と嫉妬心を刺激され、自然とグレッチェンは項垂れてしまっていた。
あからさまに落ち込むグレッチェンの様子に、レティシアが思わず苦笑を漏らす。
「でも、安心して頂戴。かれこれ十六年くらい前の話だし、この男に未練なんて一切ないし、今更焼け木杭に火が付くことは神に誓って絶対に有り得ないから。それに、この男も貴女以外の女は眼中にないみたいだし。……と、まぁ、無駄口はここまでにして……。悪いけど、二人共これから事情聴取受けてもらうから、署まで同行をお願いしたいのだけど」
「私は構わないが……」
シャロンはグレッチェンを気にしていた。
精神面については勿論、先程抱き寄せた時に気付いたことだが、グレッチェンの身体が心なしか、いつもより熱かったように思う。単に、自分の身体が冷え切っているからそう感じたのかもしれないが、今現在もグレッチェンの頬が妙に赤いような気がする。
「私も……大丈夫です……」
「そう。繊細そうな見掛けによらず気丈なのね。貴女にとっては辛い事も聞くことになるけど……、同性の私が相手だから多少は気が楽だとは思うわ……。ま、そういう訳で、さ、立って」
レティシアに促され、立ち上がろうとした矢先――、グレッチェンの視界が突如ぐらりと揺れーーたかと思うと、一瞬にして世界が反転しーー、そのまま意識がぷつりと途切れてしまう。
「グレッチェン!!」
寸でのところで慌てて抱き留めたシャロンは、改めて彼女の身体が熱を持っていることに気付き、顔色を変えた。
雨に当たって身体を冷やしてしまったことに加え、極度の緊張状態から脱したことで一気に気が抜けると共に、急激に体調を崩してしまったのかーー、シャロンの思っていた通り、グレッチェンは高熱を発していたのだった。
「……きっと体調の変化に自分自身も気付いていたのだろうけど、ずっと耐えていたのね……」
「……彼女は、そういう女性だ……。辛い、苦しいと言った感情を必要以上に抑え込み、決して口に出そうとしない質でね……。下手をすると、こちらが気付いて吐き出させない限り、ずっと我慢し続けてしまうんだ」
「……そう。何にしても、この様子じゃしばらく取り調べは無理ね。シューリス、悪いけど辻馬車を捕まえてきてくれない??」
レティシアは、偶々近くを通り掛かったシューリスに馬車を手配するよう指示をした。
大切な宝物を扱うようにしてグレッチェンを抱きかかえているシャロンを、レティシアはじっと見据える。
「……貴方、本当に変わったのね……。『どんなに熱い恋心を抱いた相手であっても、僕の人生に置いて負担や足手まといにしかならない、と感じたら最後、一切の興味が失せてしまう』とか豪語していたのに」
「……そんな偉そうな発言をしていたのか、昔の私は……」
「それはそれは、きっぱりはっきりと言い切っていたわね」
「…………」
「だから、そんな貴方の負担になってはいけない、と、私も含めて皆、貴方の前では絶対に弱音を吐いたり、暗い顔を見せてはならないと必死だった」
「……そうか。今更だが、それは悪いことをしたよ。すまなかった」
余りにさらりとシャロンが謝罪を述べたため、レティシアは眼鏡の奥にある瞳を丸くする。
「……貴方って本当に嫌な男。チクチクと刺してやろうと思ったのに、あっさり謝られちゃ何も言えなくなるわ」
「……散々人の頭を殴っておいて、まだやる気なのか……」
「冗談よ。私もちょっとお喋りが過ぎたわ」
そう言った直後、警官の一人がレティシアに声を掛けてきたため、シャロンを残して彼女はその場を立ち去っていったのだった。




