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フローズン(11)

(1)

 母の悲鳴を聞いたプリシラは血相を変え、玄関から奥の階段へと続く廊下を一目散に走り出す。

「プリシラお嬢様っ!」

「グレッチェン!!」

 シャロンの腕の中から擦り抜け、プリシラの後を追うグレッチェンを、更にシャロンが追い掛ける。

 廊下の突き当りを左に回り、三メートル程先――、階段に近づいた途端、三人は目の前に映る光景に目を疑った。


 階段途中の踊り場で倒れているロザリーと、彼女に銃口を向けるジョセフの姿。

 猟銃を奪われた際にジョセフに突き落とされたのか、もしくは自ら誤って転がり落ちたのか、手すりの下でロザリーは美しい顔を苦痛で歪ませ、身動きが取れないでいた。


「誰かと思いきや、マクレガーじゃないか。三十を超えたと言うのに、相変わらず線が細くて軟弱な若造みたいだな」

 ジョセフは踊り場からシャロンを見下ろしながら、どこか芝居掛かった大仰な口調で話し掛ける。対するシャロンは、冴え冴えと底冷えするような冷たい表情の中、ダークブラウンの瞳にのみ激しい憤怒の炎と昏い殺気を揺らめかせていた。

「大体、何だその格好は。頭から桶の水を被りでもしたのか??そんな姿でよくまぁ、人の家に上がり込めるものだ。恥を知れ……」

「……パイパー、今すぐ下へ降りて来い……」

「ん、何だと??」

「今すぐ下へ降りて来い、と言っているんだ!」

「ふん、性格の方も相変わらず傲慢な男だ。十五年前は寄宿学校創立以来の秀才と持て囃されていたが、今や卑しい淫売どもの薬売りに成り下がったお前風情が……、偉そうに命令するな!!」

 当時のシャロンへの劣等感と現在の彼に対する優越感がないまぜとなり、ただただ激高するジョセフとは反対に、シャロンの怒りと殺気は見る見る内に消えて行き、代わりに酷く冷めた切った目付きをして、くすりと鼻先で笑ってみせた。

「何が可笑しい!!」

「これは失敬。確かに、貴様の方が私よりも身分も職業も格上だった。すっかり忘れていたよ」

「あぁ、そうだ!身の程を知れ!!」

「いやはや、本当にとんだ失礼を。ただ、一つだけ言わせてもらおう。言っておくが、私は店の客である娼婦達を卑しいなどと思ったことは一度足りとてない。何故なら、卑しいと蔑むべき人間は他にいるからな」

 シャロンは心底軽蔑していると言わんばかりの視線をジョセフに送り付ける。その意味に気付いたジョセフは、たちまち茹蛸のように顔を真っ赤に染め上げた。

「……わ、私が、卑しい人間だと!?」

「私はそんなこと一言も口にしていないがね。でも、貴様自身が自分に対してそう感じたと言うならば、それが真実なのだろう。だがな」

 シャロンは、再び憤怒と殺気を込めた鋭い眼光でジョセフを睨み上げる。

「本来守るべき存在である筈の妻子を傷つけるだけでなく、何の関係もない私の妻を始めとする多くの女性を嬲るような輩は卑しい人間、いや、それ以下の野蛮な獣でしかない。身分なんか関係ない。貴様はただの害悪だ」

「黙れ!!」

 ジョセフは手にしていた猟銃をシャロンに向けて構えた……、と思わせて、シャロンが立つ位置より後方――、グレッチェンとプリシラに向けて発砲したのだ。

「グレッチェン!!」

「プリシラ!!」

 シャロンとロザリーが同時に叫ぶ。

 弾は二人には当たらず、二人の横をすり抜けて隣の壁に貫通した。

 グレッチェンは気丈にも声一つ上げずに、咄嗟にプリシラの身体を抱きしめて彼女の身を庇っていたが、その顔は恐怖と怒りで引き攣り、少しだけ肩を震わせている。

「……怖い、怖いよ……。……もう嫌!……」

 とうとう恐怖に耐えられなくなったプリシラは、グレッチェンの腕の中で身体を震わせ、声を上げて泣き始める。

「貴様!自分の娘に何てことを!!」

「うるさい!!妻も娘も所詮は私の所有物だ!!何をしようが私の自由だ!!」

 耳を疑う信じ難い暴言にシャロンの怒りは頂点に達しーー、階段の一段目を上がり掛けた時だった。


 いつの間にか、手すりに掴まりながらロザリーが立ち上がっていてーー、ふらふらと覚束ない足取りで背後からジョセフに近づきーー、彼を階下へ向けて突き飛ばしたのだ。


「マクレガーさん!!お退きになって!!」


 その声に従い、シャロンが階段から離れた直後、間の抜けた悲鳴を上げてジョセフが階段から転がり落ちてきた。

 仰向けの姿勢で無様に床に寝転がりつつ、近くに転がっている猟銃を拾おうとするジョセフだったが、手が届くか届かないかのところでシャロンが銃を蹴り飛ばし、遠くへ押しやる。

「くそ……、ぐふぅぅっ!?」

「無様な姿だな。どうだ、貴様が蔑視している人間に足蹴にされる気分は」

 シャロンは、脂肪でたるみ、突き出たジョセフの腹を思い切り足で踏みつける。その際、ズボンのベルトが外れていることに気付く。途端に、先程のグレッチェンの姿を思い出したシャロンの怒りの炎に益々もって油が注がれる。

「ぷぎゃっ!!??」

 ジョセフが豚の泣き声を思わせる悲鳴を上げた。

 シャロンが腹から股間へと足をずらし、思い切り全体重を掛けて押しつぶしにかかったからだ。

「貴様にこれは必要ないだろう??」

「……や、やめ……、ぎゃあああーー!!!!」

「そう言えば東方の異国には、宦官と呼ばれる去勢を施された官吏が存在するとか。その国の文化に傾倒しているならば、いっそのこと彼らに倣ってみるのもいいではないか??」

 最早人間のものとは思えない声で泣き叫ぶジョセフを、シャロンは顔色一つ変えずに急所を足蹴にし続ける。

 シャロンの冷酷極まりない行動にグレッチェンは言葉を失うばかりで、プリシラの瞼を手で塞いでこの光景を見せないようにすることだけで精一杯であった。



(2)

 恐怖と緊張に支配された空気の中、異様なまでに速い足音を響かせて一人の人物がシャロンの背後に近づく。その気配に気付いたシャロンが振り返るよりも早く、その人物――、燃えるような鮮やかな赤毛を短めのおかっぱに切り揃え、男性用のスーツを纏う黒縁眼鏡を掛けた長身の女――は、彼の頭頂部目掛けて、分厚いファイルを思い切り叩きつけたのだった。


 痛みと衝撃により思わずその場に蹲るシャロンに、その人物は「これ以上やったら、過剰防衛の暴行罪で貴方も捕まることになるわよ」と、冷たい口調で言い放つ。

「レティス……、いつの間に……」

 シャロンが目尻に薄っすら涙を滲ませながら呟いた言葉に対し、その人物――、レティスと呼ばれた女によって再びファイルのーー、今度はわざわざ角を向けられて、頭に落とされる。

「ブランシェット警視と呼びなさい」

 女は黒縁眼鏡の奥からアイスブルーの瞳を鋭く光らせながら、更に冷たく返す。

「……レティスだと…?!まさか、この女、あのレティス……」

 股間の痛みを堪えながら、どうにか半身を起こそうとしているジョセフの呟きにも容赦なく、「煩い!あんたにはもっと愛称で呼ばれる筋合いはない!気持ち悪いのよ!!女の敵が!!」とレティスは罵倒の言葉を吐き散らす。

「ブ、ブランシェット警視!僕より先に踏み込むとは危険すぎます!!相手は銃を持っているんですよ?!」

 一足遅れて、二十代後半と思しき男――、おそらくレティスの部下だろう青年が、息を切らしてこの場に踏み込んでくる。

「シューリス刑事、さっさとパイパーを拘束しなさい!!」

 レティスは、シューリス刑事の苦言を一切無視して彼に命令を下す。

 やれやれ、後で上から何言われても知りませんよ……、と、ぼやきつつ、シューリス刑事はジョセフを拘束し、手錠を掛ける。

 突然起きた、目まぐるしいまでの逮捕劇に唖然とするグレッチェンとプリシラ、踊り場で腰を抜かしているロザリーと、レティスは順番に視線を送りながら、「レディ達、ジョセフ・パイパーは暴行罪及び殺人未遂の疑いで逮捕しましたから、もうご安心下さい。私はブラナー署のレティシア・ブランシェットと申します。以後、お見知りおきを」と名乗ったのだった。

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