フローズン(10)
前回に引き続き、女性への暴力行為の描写が出てきます。
くどいようですが、こういった一連の行為は歴とした犯罪です。
(1)
――一方、時同じ頃、シャロンは……――
シャロンはかれこれ一時間半近く、大荒れに荒れた悪天候の中、パイパー邸を目指してひたすら歩き続けていた。
あれからーー、パイパー邸に向かおうと家を出た途端に雨が降りだしーー、一旦傘を取りに薬屋に戻ったものの、その間にセントラル地区でも一気に強い雨が降り出してしまったのだ。
おまけに、仕事から人々が帰宅する時間帯とも重なったことにより、辻馬車が中々捕まらず、雨の中仕方なくシャロンは、徒歩でウエスト地区へ向かうことにしたのだった。
セントラル地区からウエスト地区まで歩いて約一時間は掛かる上に、西へ進むにつれて雨足と風の勢いは益々強くなる。焦りばかりが募る心情とは裏腹に、自然と足取りはどんどん遅れて行く。
傘は押し迫る暴雨風のせいですでに使い物にならなくなり、道端へ投げ捨ててしまった。お蔭で、服を着たまま寒中水泳でも行った後かと思う程、シャロンの全身は水浸しの状態であった。
冬の嵐の中、ようやくウエスト地区に辿り着く。
もしかしたら、すでにグレッチェンは薬屋に戻ってきているかもしれない。
ふと、そんな考えがシャロンの脳裏を過ぎったが、それ以上に不吉な予感がぐるぐると胸の内で渦を巻いている。
ハルには及ばないものの、シャロンも勘が鋭い質――、ことグレッチェンに関しては過敏すぎるくらいである。だからこそ、この予感に従って突き進むべきだと思うのだ。
それでも、この勘が今回ばかりは外れていて欲しいーー、と、シャロンは願いつつ、歩みを進めていたのだった。
(2)
部屋全体を満たす、暖かみのある照明の光が視界の僅かな隙間に差し込み、グレッチェンは意識を取り戻した。途端に、自分が置かれている信じ難い状況に強い衝撃を受けることとなった。
東の異国風に作られ、薄絹の天蓋付の寝台の上に身を横たえさせられている。
そして、身体の上にはジョセフ・パイパーがのし掛かっていたのだからーー
「――!!――」
叫ぼうにも、口には布でしっかりと猿ぐつわを咬ませられているので、声一つ上げることが出来ない。
「やっと目を覚ましたか。気を失われていては泣きもしなければ抵抗もしない。それでは面白くないのでね」
ジョセフはにやにやと笑いながら、ベストを脱ぎ捨ててネクタイを緩めた。
その隙をつき、グレッチェンは背を逸らして起き上がろうとしたが、すぐに両手首を掴まれ、再び寝台の上に押し倒されてしまった。
ぎりぎりと奥歯と布を噛みしめながら、グレッチェンはジョセフをキッと鋭く睨みつける。
「いいぞ、いいぞ!もっと怒れ!!だが、怒ったところで、所詮非力な女が男の力に勝てる訳などないのだ!!せいぜい怒って暴れるがいいさ!!それだけ私は愉しめるからなぁ!!」
酒臭い息がかかる程に顔を近づけ、ジョセフはグレッチェンを挑発してくる。
(……この男、狂っている!……)
過去、彼女が直接手に掛けた人間の中にも、頭のネジが一本外れているような狂気掛かった人物は少なからずいたものだが、この男も最早常軌を逸脱しているとしか思えない。
嫌悪感と恐怖心のみが頭の中を埋め尽くし、ジョセフからおもむろに顔を背ける。
「……んーっ!!……」
ジョセフの舌がグレッチェンの首筋を這い、思わず声にならない悲鳴を上げる。
(……シャロンさん以外の人になんて……、しかも、よりによって、こんな男なんかに……、絶対に嫌!……)
猿ぐつわが咬ませられていなければ、犯される前にグレッチェンは舌を噛み切っているところだろう。
「……んんっ!!んー!!……」
「マクレガーも随分と女の趣味が変わったものだ。こんな痩せた胸のどこがいいのだか」
服の上から胸を掴まれ、さすがのグレッチェンも必死に手足を動かして抵抗しようとする。が、彼の言う様に男の力に敵う筈もなく、すぐに抑え込まれてしまう。
「やはり着衣のままでは、気が乗ってこないな……」
ジョセフはグレッチェンを抑え込みつつ、派手な音を立ててローブドレスの胸元を引き裂いた。
「……これなら、いいだろう。……マクレガーに抱かれていると想像でもしていろ」
(……そんなこと出来る訳ないじゃない!!嫌よ、嫌……)
グレッチェンの目尻に涙が薄っすらと浮かびあがる。
それすらも、この男にとっては興奮を促すきっかけの一つにしかならないだろう。
とうとうジョセフは、ズボンのベルトを外し始めたーー。
ドン!!
扉の向こう側から、耳をつんざく爆発音――、いや、あれはおそらく、誰かが銃を扉に向けて発砲した音――、が響き渡ったと共に、扉に穴が空けられた。
ジョセフもグレッチェンも今し方起きた出来事に驚き、思わず動きを止めて一斉に扉へと視線を向ける。
ドン!!
すぐにもう一発発砲される、今度の弾は扉をぶち抜き、そのままジョセフの顔のすぐ横をすり抜け、壁に当たったのだった。
「誰だ!!」
怒り心頭のジョセフはグレッチェンの身体から離れて寝台から降りると、勢い良く扉を開け放したその先――、扉の向こう側に立っていたのはーー
腰を引かせて、全身をぶるぶると震わせながら猟銃の銃口をジョセフに向ける人物の正体――、彼の妻、ロザリーであった。
「ロザリー!お前っ!!」
怒髪天をつく勢いでジョセフが、ロザリーへと拳を振り上げようとした。が、ひっ!と悲鳴を上げつつ、ロザリーがジョセフの顔に銃口の向きを変えたため、拳を高く掲げたまま動きをぴたりと止める。
「……あっ、あなた……!!動かないでください!!動いたら……、すぐに引き金を引きますから!!」
「な、なんだと!!ふん、気の弱いお前なんかに出来るものか、やれるものならやってみろ!!」
ドン!!
ジョセフが言葉を言い終わると同時に、ロザリーは三度発砲する。
弾はジョセフの耳たぶを僅かに掠めただけだったが、元来肝の小さいこの男を脅すには充分効果をもたらしたのだった。
「……お姉様、逃げて!……」
膠着状態の二人の横をすり抜けて部屋の中に入ってきたプリシラが、身を起こしたグレッチェンの手首を掴んで、強引に連れ出していく。
「プリシラ!待て……」
「……行かせませんわ!!」
ロザリーはいつになく険しい表情をジョセフに向け、銃口を喉元に突きつけて動きを封じる。
その間にも、グレッチェンとプリシラは階段を駆け下り、玄関に向かって急いでいた。
「……お姉様、鍵は空いているわ。だから、このまま外へ……」
猿ぐつわをようやく取り外したグレッチェンは、プリシラの言葉に目を見開く。
「でも、そしたら、貴女達がまた酷い目に……」
一人だけ逃げることを躊躇するグレッチェンに、プリシラは激しく首を横に振ってみせた、その時だった。
「パイパーさん!!つい先日、ここへお邪魔したマクレガーです!!私の妻がこちらに来ていないでしょうか!?それと、先程から聞こえる銃声は一体……」
激しい暴風雨の音に負けじと、玄関の向こう側で盛大に大声を張り上げて叫ぶシャロンの声。
考えるよりも先に、グレッチェンは扉を開け放していたーー。
(3)
暴風雨に晒される中、長時間歩き続けたシャロンの全身はずぶ濡れを通り越し、最早水の中にいるのと変わらない姿に成り果てていた。
シャロンもまた、叩かれた痕と猿ぐつわを咬ませられた痕を頬に残し、衣服の胸元が裂かれた妻の姿に言葉を失っていた。
愕然としながらも、「……失礼を承知で、このような姿で邸宅に入ること、お許しを……」と、二人の傍に佇むプリシラにどうにか告げると、シャロンはパイパー邸に足を踏み入れ、玄関の扉を閉ざす。
次の瞬間、グレッチェンはシャロンの胸に縋りつき、はらはらと静かに涙を流し始めたのだった。
水分がすっかり浸透しきったフロックコートと、シャロンの髪から滴り落ちる水滴がグレッチェンの服までも濡らしていき、彼女の身体も冷やしていく。それにも構わず、グレッチェンはシャロンの身体により一層身を寄せてくる。
シャロンは自分の状態を考え、抱きしめてやるべきかどうか、しばらく悩み立ち尽くしていたが、最終的には彼女の心情を察してそっとか細い身体を抱きしめたのだった。
「……シャロンさん、ごめんなさい、ごめんなさい……。……ごめんなさい……」
「……グレッチェン、余り心配を掛けさせないでおくれよ……。心臓が幾つあっても足りないじゃないか……」
「……ごめんなさい……」
「……とにかく、君が無事でいてくれたから……」
「……ですが……、……私……」
シャロンのコートを掴むグレッチェンの手の力が一段と強くなる。
先程目にしたあられもない姿と脅えきった様子から、彼女が誰に何をされたのか想像がついてしまったシャロンの目に、冷たい殺気が籠り始める。それを即座に感じ取ったグレッチェンは顔を上げてきっぱりと言い切る。
「……危ないところではありましたが、寸でのところでマダム・ロザリーとプリシラお嬢様が助けてくださったので、完全に奪われることはありませんでした……」
「……そうか……」
明らかに安堵の表情を浮かべたシャロンだったが、(完全に、ということは……、嬲ることは嬲った、ということか!!)と、再び怒りを滾らせた矢先――、二階からロザリーの悲鳴が玄関まで聞こえてきたのだった。




