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フローズン(9)

今回、児童虐待、及び女性への犯罪等を想起させる描写が出てきます。

ですが、実際のそのような行動を助長させるためではありません。

このような行為は決して許されざる犯罪行為です。

(1)


 ――グレッチェンが先程まで隠れていた、プリシラの部屋での出来事――


 ジョセフに見つかることなく、グレッチェンは無事にプリシラの部屋の中へと逃げ果せた。

 プリシラに誘われるままに入った子供部屋の内装や家具までも例に漏れず、他の部屋と同様に東の異国風造りとなっていた。この事から、ジョセフ・パイパーという男が家族に対し、いかに独善的で抑圧的な人物かということがよく伺う事ができたのだった。

 プリシラは戸惑うグレッチェンを尻目に、寝台のすぐ近くに置かれた、丸い座卓の上の燭台に火を点す。そして、寝台の上へちょこんと腰掛けると、空いた場所を手でポンポン叩いて、グレッチェンに座るよう促した。薦められるがまま、グレッチェンはプリシラの隣に身を置く。

「…………ごめんなさい…………」

 今にも消え入りそうな小声で、プリシラは俯いたままグレッチェンに謝る。

「……あの人が帰ってこなければ……」

「あの人って、貴女のお父様、のこと??」

「……あんな人、お父様、なんかじゃないよ……」

 

 ぐっと唇を噛み締めたプリシラの肩が震えている。


 肩を抱くなり、慰めの言葉を掛けるなりしてやるべきだろうが、グレッチェンは中々行動に移すことができず、ただただ彼女の隣にいてあげることしかできずにいた。下手な慰めなど、却って彼女を傷つけかねないのでは、とも思ったからだった。


 外では雨足の強さが加速する一方で、最早嵐と言っても過言ではない。

ビュービューと凄まじい音を立てて吹きすさぶ強風に流された雨粒が、屋根や窓に勢い良く叩きつけられ、頑強な筈の窓枠をガタガタと大きく揺らし続ける。


 ガタン!!


 一瞬、風に飛ばされた何かが外壁に当たったかした音かと思った。

 しかし、その音に続いて階下から微かに女の悲鳴が耳に届くーー


 ――もしかしたら、ジョセフ・パイパーがロザリーに暴力を振るい始めたのか??――


(……助けに行かなければ……)

 寝台から立ち上がり、扉に近づこうとするグレッチェンに「……お姉様、行っちゃ駄目!!」と、プリシラが必死な声音で呼び止める。

「……あの人が怒っている時は、絶対に近付いちゃ駄目……。女の人である以上、あの人に殴られる……。下手をしたら、もっと、酷いことを……」

 プリシラは母譲りの整った顏をぐしゃぐしゃに歪め、今にも泣き出しそうにしている。


「……私が、今よりもっと小さい頃は……、メイドさん達があの人にいつも殴られていたの……。お茶の淹れ方が下手だとか、掃除が雑だとか言って……。お母様も、殴られるメイドさん達を庇う度に殴られていたわ……。だから、すぐに皆辞めてしまって、新しく入った人にも同じようにするから……、とうとうお母様は一人で家事をするようになったのよ……。そしたら、今度はお母様がいつもあの人に殴られるように……」

「…………」

「……あの人は、お母様にもっと酷い事をするの……。散々お母様を殴った後、夜中に寝室に閉じ込めて、お母様が嫌がるアレをして泣かせるの……。殴った後すぐに、居間とかでも無理矢理……」

「……プリシラお嬢様、もういいです……。これ以上お話を続けるのは、貴女にとってお辛いだけでは……」

「……私、アレが大嫌いよ……。だから、あの人がお母様にアレをしないように、色々邪魔をしていたら……、殴られてしまって……。……それから――――」


 ここで、プリシラは急に黙り込む。

 顔色も青白いを通り越し、血の通った人間ではなく、まさに陶器人形を思わせる異常な白さへと変貌している。


 ――まさかと思うが……


 どうか、この予感が的外れなものであって欲しい。


「……アレは、嫌なの……。あんな、怖くて、痛いのなんか……」

 

 気付くとグレッチェンは、扉から離れてプリシラの身体をそっと抱きしめていた。


「……お嬢様、これ以上は本当に、もういいですから……。……さぞやお辛かったでしょうに……、苦しかったでしょうに……」


 きっと自分なんかがどんな言葉を伝えたところで、一時の気休めにすらならないだろう。

 胸にしがみつくプリシラの小さな身体の震えは、一層大きくなっている。

 

 ロザリーがジョセフの毒殺を謀ろうとした気持ちが、今初めてグレッチェンは痛い程理解することができたのだったーー。



(2)

 沸々と胸に湧き起こる激しい怒りと殺意を必死で押し留めながら、グレッチェンはジョセフと対峙している。

 対するジョセフも、シャロン・マクレガーの妻と名乗る若い女を眼前に、少年時代の忌まわしい記憶の数々を思い出していたーー。


 

 代々銀行の重役を任されている家系柄、パイパー家は中流階級の中でもアッパーミドル、つまり上流に近しい身分にあたる家だった。

 そのため、ジョセフは幼い頃から優秀な人間となるべく、評判の高い家庭教師達から高度な英才教育を受けており、厳格な両親や家庭教師達からも多大な期待を寄せられて育ってきた。

 そして、更なる期待に応えるべく、十三歳になったジョセフはこの街屈指の名門寄宿学校への入学を果たしたのだった。


 しかし、一人の少年の存在によって、彼が今まで培ってきた高すぎる程の自尊心は見事に打ち砕かれることとなった。


 この寄宿学校は、入学前に行った試験の成績順に教室を分けている。

 当然ながら、ジョセフは成績上位者ばかりの教室へと入ったが、そこには『寄宿学校始まって以来の秀才』と噂され、学校中の人間から注目を浴びる少年がいたのだった。

 彼は裕福ではあるものの、身分自体はそれほど高くはなかったため、教育水準の低い下町の学校へ通っていたという。それにも関わらず、全ての試験教科に満点を取っていたのだ。

 

 ――この僕が、家柄が格下の、程度の低い学校出身の者に、試験で負けるなんて!!ーー


 恐らく、ジョセフ以外の他の少年達も同様の気持ちを彼に抱いていただろう。


 だが、ただ嫉妬や羨望の気持ちを抱くのみで何もしないのは馬鹿のすることだ、逆に仲良くなって優秀さを利用した方が何かと都合が良いだろう、と思ったジョセフは、ある時その少年に近づき、彼の優秀さを褒め称えて友好関係を築こうと試みた。


 ところが、その少年は端正に整った涼しげな顏に侮蔑の表情を浮かべ、心底見下したようにジョセフを嘲笑ったのだった。


『僕に言わせれば、何故あの程度の試験で満点が取れないのかが、不思議で仕方ないんだけど。それって、単純に君の努力が足りないだけの話じゃないのかな??あぁ、それと読書の邪魔をされたくないから、本を読んでいる時は僕に話し掛けないでくれよ』

 

 ――この僕がわざわざ話し掛けてやったのに、あっさりと一蹴されるなんて!!――



 一度ならず、二度までも傷つけられた自尊心が憎悪の念に変化するのに左程時間は掛からなかった。


 だが、彼は試験では常に首席を取っていたし、教師の前では従順で礼儀正しい好青年として振る舞っていた為、どの教師からも気に入られていた。故に、虐めに走ろうものなら、反対にこちらが罰を受ける羽目となる。


 だからジョセフは、「いくら成績優秀で容姿端麗だろうと、所詮は阿片中毒者と酒場の淫売女を両親に持つ卑しい人間ではないか」と、彼の出自を蔑むことで自尊心を慰めていたのであった。

 けれど、蔑めば蔑む程、家柄以外で彼に何一つ勝てる要素を持たない自分の惨めさも痛感させられる。



 特に女性関係に置いて、ジョセフは彼に到底太刀打ちなどできなかった。



 ――あれは、年一回行われる、女子寄宿学校との交流を兼ねた舞踏会のことだった。


 その年、ジョセフは前年の舞踏会の折りに一目惚れしつつも声を掛けられなかった女生徒に、駄目で元々の玉砕覚悟でダンスを申し込んだところ、思いがけず承諾を得られ、舞い上がる心をどうにか抑えつつ、彼女と一曲踊り切った。

 ダンスを終えた後しばらく経過した後も、まだ早鐘を打つように逸る鼓動を静めようと夜風に当たりに人気の少ないバルコニーへと足を運ぶとーー


 先程自分と踊っていた少女と彼が、人目を忍んで恋人同士が交わすようなキスをしている姿が視界に飛び込んで来たのだ。


『人の逢瀬を盗み見るなんて、随分と悪趣味じゃないか。パイパー君』

 

 彼はあの時と同じ、見下しきった冷たいダークブラウンの瞳でジョセフを見返す。


「何よ。たった一曲踊ってあげただけだって言うのに、恋人面しないで頂戴。気持ち悪い!」

 彼の背中に隠れつつ、にこやかな笑顔を向けて一緒に踊ってくれていた筈の少女の非情な言葉が、見えない刃としてジョセフの胸を貫く。 

 

 ――この僕が、気持悪いだと?!ーー


 今すぐ二人諸ともに、バルコニーから突き落としてやりたい衝動を堪えつつ、ジョセフは尻尾を巻いてこの場を逃げ出すよりも他に方法がなかった。

 

 今にして思えば、力を持ってして女を痛めつけ、屈服させることを快感に思うようになったのは、この一件が原因になっているのだろう。


 何にせよ、ジョセフの中では未だに彼――、シャロン・マクレガーという男の名を耳にするだけで劣等感を大いに刺激され、平常心を忘れさせるのだったーー。



(3)

 目の前の女の、整った冷たい鉄面皮が、かつて憎んだ男の表情と被さって見えたジョセフは、気付くと女の頬を平手で思い切り張り倒していた。


 均衡を崩した女の身体が床に投げ出され、背後からは妻の悲鳴が聞こえる。

 ジョセフは、起き上がろうとする女を更に平手で殴りつける。

 いや、正確に言えば女ではなく、女の中で見え隠れするシャロンの存在を殴っているのだ。

 

「……あなた!お願いですから、おやめ下さい!!この方の旦那様に知られでもしたら……」

 ロザリーがジョセフの右腕を掴んで止めようとするが、いとも簡単に振り払われ、女と同じく床に投げ出される。女は、二回目に叩かれた時点で気を失ってしまっていた。

「……知られたら、何だと言うのだ。むしろ、妻がこのような目に遭うのは、管理の目が行き届いていない夫の責任でもある」

(……確かに、若く美しい女ではあるが、髪は短いし、子供と見紛うくらい小柄で貧相な身体つきだな……)

 倒れている女の全身を舐め回すように眺めていたジョセフだが、ほっそりとした白い首筋に目を留めると、唇を厭らしく捻じ曲げる。

「……あなた、一体、何を……」

 夫の醜く歪んだ笑みの意味を悟ったロザリーが起き上がるよりも早く、ジョセフは女の身体を肩に担ぐ。

「女をこの家に閉じ込め、しばらく外に出さなければいいだけの話だ。いいか、絶対に誰にも話すんじゃない。私の言うことに逆らおうとするな!!」

「貴方!いけませんわ!!その方を旦那様の元へ返してあげてください!!お願いします!!」

「うるさい!!私がお前に暴力を振るっていることを知られた以上、ただで帰す訳に行かないんだ!!」

 ジョセフは怒鳴りながら、ロザリーを殴りつけて力づくで黙らせると、女――、グレッチェンを担いだまま、二階の自室へと向かったのだった。

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