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フローズン(6)

(1) 

  歓楽街から教会へ続く道の途中で無蓋の二輪馬車を拾うと、グレッチェンは御者の男にウエストエンド地区まで馬車を走らせるよう告げた。

 冬の凍てついた空気の真下に晒され、ガタゴト、ガタゴトと揺られながら、ぶるりと身を震わせる。一応、深いワイン色の薄手のコートを羽織ってはいるが、それでも吹きさらしの中を進むので、冷たい風が諸に頬へとぶつかってくる。

 寒さを誤魔化すかのように、かじかんだ手で大きめの三角襟の端や茶色い胡桃釦をいじったりしている内に、馬車はウエスト地区へと入っていく。


 コートのポケット内を探り、懐中時計を探し出す。

 時刻はすでに三時を回っていた。


(……この様子じゃ、シャロンさんの方が私より先に帰ってくるわね……)

 慌てて店を飛び出してきたとはいえ、生真面目なグレッチェンのこと、最低限の片付けや店と裏口の施錠は抜かりなく行ってきた。

(……そう言えば、シャロンさんはちゃんと鍵を持って出掛けたのかしら??)

 もし鍵を持たずに出掛けていたなら、自分が帰るまでの間シャロンは中に入ることが出来ない。加えて、仕事を放り出したグレッチェンに対し、不信感を更に強めてしまうだろう。

(……でも、毒を使って罪を犯す以外の方法で人を救おうとしているから……。理由をきちんと話せば、シャロンさんならきっと分かってくれる……、って思いたい……)


 シャロンに対する過ぎた甘えに他ならないと、自覚はしている。

 普段のグレッチェンであれば、むしろ恥ずべき行動と考え方だと自分に強い憤りを感じるだろう。

 しかし、意見を決して曲げようとしなかったことが原因とはいえ、愛する人との間に溝が出来てしまったことが、思いの外グレッチェンの心の均衡と安定をなし崩しにしてしまっていたのだったーー。


「レディ、着きましたよ」

 目的地のウエストエンド地区に到着すると、すぐに馬車から降りて御者に乗車賃を支払った。

「空と雲の様子からして、どうやら雨が近いようです。どうかお気をつけて」

「お気遣いありがとうございます」

 柔和な笑みを浮かべる御者につられ、薄く微笑んで礼を述べる。

 御者が言った通り空は濃灰色に染まり、薄灰色の大きな雲がこの街に狙いを定めたかのように、上空から街全体を取り囲んでいた。

 この国の天気が変わりやすいことは周知してるはずなのに、慌てていたとはいえ傘を持ってくるのを忘れるとは。

 恨めし気に空を見上げたグレッチェンの鼻先に、トン、と小さな雫が落ちてくる。

 まさか……、と思っている間にも、空から雨粒が鼻先や頬、唇のみならず、頭や肩にも次々と振り落とされていく。

(雨足が強くなる前に早く行かなきゃ……)

 手にした地図と記憶を頼りに、グレッチェンは足早にパイパー邸へと向かったのだった。


(2)


 ――一方、時同じ頃、セントラル地区ではーー



 今日に限って、シャロンはいつもよりも一時間程早く帰宅したのだが、店の前まで近づいた途端、思わず眉根を寄せることとなった。

 それもそのはず、出掛ける時には確かに出ていた『薬屋マクレガー』の立て看板が仕舞われていて、ドアノッカーの真上に『臨時休業』と書かれた紙が堂々と貼りつけられていたからだ。

(……これは一体、どういう状況なんだ??)

 シャロンはうーん、と小さく唸った後、とりあえず中へ入ろうとドアノブに手を掛けた。


 ガチャッ。


(……ガチャッ……って……。鍵まで掛かっているのか……)

 出掛ける間際の、何か言いたげにしつつも黙って見送ってくれたグレッチェンを思い出す。

(……もしかしたら、行き先も告げずに連日出掛けていたことに対して、遂に堪忍袋の緒が切れてしまったのか??)

 グレッチェンは自分の気持ちを押し殺しがちであり、それが溜まりに溜まると爆発し、暴走する危うさを秘めている。

 確かに、行き先や誰と会っているのか全く皆目見当が付かないなど、彼女の性格上不安を募らせてしまうことは承知の上だった。

 ましてや、煙草の臭いまで染み付かせてくるのだ。

 ひょっとしたら、シャロンの今までの素行から浮気を疑っているかもしれない。


 当然ながら、シャロンは決して浮気をしている訳ではない。

 先方から、解決するまでの間他言無用だと告げられている以上、相手がグレッチェンであっても話す訳にいかないのだ。

 煙草に関しても、「妻からあらぬ疑いが掛けられては困るから、悪いが控えて欲しい」と、これまた先方に頼んではいるものの、「疑われる要素を持つ貴方が悪いし、指図される謂れはない」と、聞く耳を一切持ってくれないだけだった。


「おーい、グレッチェン。そこにいるんだろう??決して怒ったりしないから、鍵を開けておくれよ」

 シャロンはドアノッカーを強めに叩き、扉越しに声を掛ける。

 しかし、錠を外す音はおろか、人が扉に近づく気配すら一切感じなかった。

(……ひょっとして、店の中にいない……??)

 今度はシャロンが不安に陥る番だった。

 シャロンは店をぐるりと半周し、今度は裏口の前に移動すると、フロックコートのポケットからキーケースを取り出し、鍵を開ける。

 夜通し酒場で飲んだり、女と遊んでいた独身時代からの癖で、裏口の鍵だけは常に持ち歩く習慣が身についているのだ。


 裏口から奥の部屋を通り抜け、カウンターの中へ続く扉を開ける。

 やはり、グレッチェンの姿はそこにはなかった。


 シャロンは募っていく不安と焦りと戦いながら、今度は二階の階段を上がっていく。

 夫婦の生活空間にあたる場所にさえ、グレッチェンはいなかった。


「……一体、どこへ行ってしまったんだ……」

 シャロンは前髪をくしゃりと握り潰し、込み上げる様々な負の感情をどうにか抑えつけ、忽然と姿をくらました妻の行方に考えを巡らせていたーー。



 どの程度時間が過ぎたのか、実際は数分程度の短さだっただろうがーー、シャロンには何時間も経過したように長く感じられーー、とにかく、シャロンは一つの結論を導き出した。



 ――自分が出掛けている隙をついて、毒を渡しにパイパー邸に向かったのかもしれないーー



 シャロンはすぐに家から出て行くと、馬車を拾うため通りに向かって歩き出したのだった。

「……む、雨か……」

 外に出た途端、鼻先に二、三粒、冷たい雫が当たった。

 西の空がやけに暗いとは思っていたが、とうとうこちらでも雨が降り出したらしい。

 きっと雨雲の動きからいって、ウエスト地区ではすでに雨がざんざん降っているかもしれない。

 馬車を捕まえる間にも雨足が強まりそうなので、仕方なくシャロンは一旦踵を返し、傘を取りに元来た道を戻って行ったのだった。


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