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第二話

 シャロンが再び目を覚ますと、額には濡れたガーゼが乗せられていた。

 ガーゼを取り払い、熱による悪寒と倦怠感に耐えながら、緩慢な動きで半身を起こす。


「すみません、起こしてしまいましたか」


 アッシュブロンドの短髪に、一見すると少年と見紛う男装姿の若い女――、グレッチェンが医学書数冊を胸に抱え、申し訳なさそうにしてシャロンに謝る。

 どうやら、シャロンの介抱をしがてら、部屋の片づけもしてくれていたようで、足の踏み場もない程散らかっていた部屋の中が跡形もなく綺麗になっている。


「……いや、私こそ、世話を掛けてすまない」

「いえ、お気になさらずに。それよりも……、だいぶ熱が高いようですが薬は飲まれたのですか??」

 グレッチェンの質問に答える代わりに、シャロンは首を横に振る。

「……昨夜ラカンターから帰った後、そのまま長椅子で眠ってしまってね……。明け方近くに目を覚ました時にはすでに熱が上がっていて……、それからはこの通り、ベッドの上から一歩も動けずにいる」

「では、薬どころか、食事も水分も摂っていないと??」

 シャロンは大仰に頷いてみせる。

「……何となくそんな気はしていましたが。やはり、水と食事、解熱鎮痛薬を用意しておいて正解でしたね」

 机には水差し、カップ、小皿、散薬の包みが載ったトレイが置いてあった。

 ご丁寧にも、埃が入らないように薄布が掛けられている。

 几帳面なグレッチェンなりの配慮だろう。

「用意してくれたことには感謝するが……、どうにも食欲がなくてね……。すまないが、薬と水だけくれないか」

「気持ちは分かりますが……。この解熱鎮痛薬は副作用が強いので、空腹のまま服用すると胃に負担が掛かりますよ??下手をしたら、胃に穴が空きます」 


  グレッチェンは水差しを手に取るとカップに水を灌ぎ、シャロンに手渡す。

 すぐさまシャロンは一気に水を飲み干した。

 カラカラに渇き切った喉を、冷たい水が潤してくれる。

  それだけでほんの少しばかり楽になる、気がしたが、あくまで気がしただけですぐに倦怠感と関節痛に全身が襲われた。

 とてもじゃないが、食事を口に入れる気になど到底なれっこない。

  シャロンの様子を黙って見ていたグレッチェンは、空になったカップに水差しを向け、再び水を灌ぐ。

 するとシャロンはまた一気に飲み干す。

 そんなことを何度か繰り返している内に、とうとう水差しの中身が空になってしまった。


   薬を飲む前に水が切れてしまったため、「すぐに水を足してきますから、少し待っていてください」と、グレッチェンは階下に降りて行こうとしたが、その際、「食欲がないことを見越して、これなら食べられるだろうと思いましたので。薬を飲むために、一口二口だけでもいいので口にしてください」と、小皿と匙を強引に押し付ける。

 小皿の中身は摩り下ろした林檎だった。

  てっきりパン粥かオートミールかと思っていたシャロンは拍子抜け、思わずグレッチェンの顔を見上げる。

 グレッチェンはやや照れ臭そうに、微かに微笑む。

「昔、熱を出して寝込む度、食欲のない私にシャロンさんが林檎を摩って食べさせてくれたので」

 それだけ告げると、水差しを持ってグレッチェンはシャロンの部屋から階下へ降りて行ったのだった。


 随分と子ども扱いされているな、と力無く苦笑しながら、シャロンは匙で掬い上げた林檎を口に含む。

 硬すぎず、かと言って柔らかすぎない、程良く歯触りの良い食感と、薄めた蜂蜜にほんのり酸味が加わったような爽やかな甘さは、熱で鈍った味覚を優しく刺激し、気付くと瞬く間に全て平らげてしまっていた。


「どうやら完食できたみたいですね」

 いつの間にか部屋に戻って来たグレッチェンが、何処となく勝ち誇った表情で(これはシャロンだからこそ分かるようなもので、他の者から見たら、いつもの鉄面皮に見えるだろう)シャロンを見下ろしていた。

「食べなければ、梃子でも薬を飲ませてくれないだろう??」

「当然です。シャロンさんだって、私によくそう言っていたではありませんか」

「そうだったか??とにかく、課題を修了したのだから……」

  薬をくれとシャロンが言う前に、「どうぞ」とグレッチェンは包みを手渡す。

 散薬を口にした途端、その苦みに自然と顰め面を浮かべれば、すかさず水を手渡してくれる。

  言葉を口にしなくても、グレッチェンはシャロンの些細な行動で彼がして欲しいことを即座に汲み取ってくれる。

 その様子はまるで、長年連れ添った夫婦のようである。


「では、そろそろ店の方に戻りますね」

 部屋から出て行こうとする、グレッチェンの痩せた背中に向かってシャロンは、つい「……今日は怒らないのだな」と口走ってしまった。

「何がですか??」

「いや……、その……。体調を崩したのは不摂生が原因だが……」

「怒って欲しいのですか??」

「いや……、今は勘弁して欲しい……」

「心配しなくても、シャロンさんが元気になり次第、コンコンとお説教します。ただ、今は身体を休ませることが一番ですからね」


 それだけ告げると、グレッチェンは空になった小皿や匙を手に、今度こそ部屋から出て行ったのだった。


(やれやれ……、すっかり立場が逆転してしまっている……)


 出会って九年の間に、心身共にグレッチェンは著しく成長を遂げている。

 反面、自分は年を取るばかりであの頃と何も変わっていない。


『グレッチェンは、本当に身体を治したいと思っているのか??』

『お前は医者になるという夢に成り代わる夢として、グレッチェンの身体を治したいと思っているだけで、本当の彼女の気持ちに目を向けようとしていないんじゃないのか??』


 昨夜、ハルから突きつけられた厳しい言葉が頭から離れない。


 同時に、少し前にグレッチェンがシャロンに告げた台詞――



『……私は、今の自分を決して不幸などとは思っていません。今でも充分すぎるくらい、幸せです』


 彼女はどのような気持ちを持ってして、この言葉を自分に伝えてきたのだろうか。


 薬が徐々に作用してきたのか、激しい睡魔に邪魔をされて考えることがままならない。

 シャロンは思考を巡らせることを放棄し、何度目かの眠りに落ちていったのだった。


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