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番外編 九年後(後編)

 シャロンとグレッチェンが二階の部屋へ上がっていくと、エリザベスはすでにベッドの中に入り、眠ってしまっていた。

「やれやれ、本当に寝つきの良い子だよ」

 シャロンが残念そうに眉尻を下げ、眠っているエリザベスの枕元に近づく。

「わぁっ!!」

「おぉ!?」

 髪を撫でようと手を伸ばした時、いきなりエリザベスが掛布を捲り上げて飛び起きたため、シャロンは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「えへへー、父さま、吃驚した??」

「あぁ、悪戯娘にすっかり驚かされたよ。よーし、お返しをしてやる!」

 シャロンはエリザベスの小さな身体を、思い切り力強く抱きしめる。

「きゃははは、父さま、苦しいよー」

「悪戯を仕掛けた罰だ!!」

 楽しそうに戯れる夫と娘の姿を、グレッチェンは微笑ましげに目を細めて眺めていたが、「シャロンさん、エリザベスを余り興奮させては寝つきが悪くなってしまいます。エリザベスも、父さまはまだお仕事が残っているから、早くおやすみなさいの挨拶をするのよ」と、注意を促し、「はい!母さま」とエリザベスは素直に返事を返す。

「父さま、母さま、おやすみなさい!」

「おやすみ、エリザベス」

 再びベッドに潜り込んだエリザベスは、鼻先まで引っ張り上げた掛布の中からダークブラウンの瞳を覗かせ、「父さま、母さま。リジーが寝るまで一緒にいて??」と、シャロンとグレッチェンに懇願する。

 二人は顔を見合わせた後、グレッチェンはエリザベスの右隣、シャロンは左隣と、エリザベスを間に挟む形でベッドの中に身を置く。両親に挟まれたエリザベスは満足そうな笑顔を浮かべ、目を瞑る。

 ポン、ポンと、一定のリズムを刻むように、二人掛かりで優しく身体を撫でてあげる内に、エリザベスは眠りの世界へと誘われていった。

 娘のあどけない寝顔を見つめていたグレッチェンだったが、ふとシャロンからの視線を感じ、彼の方に顔を向ける。

「いや……、君もすっかり母親の顔になってきたなぁ、と思ってね」

「……そうだと良いんですが……」

 自信が持てないのか、表情を陰らせるグレッチェンに、「アッシュ。そんな顔はしないでおくれ。心配しなくても、君はエリザベスをちゃんと愛せている」と、シャロンは宥めるように諭す。



 エリザベスを身籠った際、無事に生まれて来ること以上に、グレッチェンには不安を感じていたことがあった。


 母の愛を知らない自分が、果たして子にちゃんと愛情を注ぐことが出来るのかーー。


 日を追うごとに膨らんでいく腹を抱えながら、同じく不安も膨らませていた。

「赤ちゃんが生まれてくるのが、楽しみでしょう??」などと周りから声を掛けられる度、複雑そうに曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかったし、正直な話、母親になることが怖くて仕方なかったのだ。

 勿論、子が無事に生まれてきて欲しい気持ちはあったが、それさえも「シャロンを悲しませたくない」という想いからきているものだったし、死にもの狂いで産んだ直後に娘の姿を目にした時も戸惑いばかりが大きく、これからどうすればいいのか、と、密かに途方に暮れてすらいたのだ。


 だが、初めてエリザベスをこの手で抱き、乳を与えている時だった。


 必死で生きようと懸命に乳に吸い付く我が子の姿に激しく心を揺さぶられ、気付くとグレッチェンは涙を流していた。


 何故、とめどなく涙が溢れてくるのか、グレッチェンには訳が分からず動揺したものの、同時に何があってもこの子を大切にしたい、守っていきたいという、使命感にも似た、確固たる強い思いが込み上げてきたのだ。

 その後、今までの不安や葛藤も含め、グレッチェンは包み隠さずシャロンに全て打ち明けた。

 グレッチェンの不安に関してはシャロンも薄々勘付いていたらしく、二人で話し合った末、グレッチェンは「分からないなりにも、自分なりに娘を愛していく」、シャロンは「グレッチェンの不安が少しでも解消できるよう、支えていく」と約束をしたのだった。

 その約束は、エリザベスが生まれて四年が過ぎた今でも変わることがなく、ずっと守られ続けている。


 ふいに、シャロンが大きな掌を口に当てる。

 どうやら、エリザベスを寝かしつけている内に眠たくなってきたようで、欠伸を噛み殺したのだ。こころなしか瞼が重たそうに擡げている。

「珍しいですね、こんな時間にシャロンさんが眠くなるなんて。まだ九時半ですよ??」

「うむ、どうやらエリザベスの眠気が移ってしまったのかもしれない」

「いっそのこと、今日はもう眠ってしまわれては??そんな状態では、研究も捗らないと思いますよ??かく言う私も、眠たくて仕方ないのですが……」

 言葉通り、グレッチェン自身も、今にもまどろんでしまいそうな程の睡魔に襲われている。

「……そうだな、たまには早い時間に眠ってしまうのもいいかもしれない」

「そうですよ。眠れる時には寝てしまった方が、身体のためにも賢明です。シャロンさんも四十過ぎて、そろそろ無理が利かなくなってきているんですから」

 痛いところを突かれたシャロンは思わず苦笑いを浮かべるが、「では、今日は親子三人でゆっくり眠るとしようか」と、素直にグレッチェンの忠告を受け止めたのだった。

 シャロンがベッド脇に置かれた灯りを消すと、部屋は一気に暗闇に包まれる。

「おやすみ、アッシュ」

「おやすみなさい、シャロンさん」

 エリザベスの胸の上で二人は軽く手を繋ぎ合わせると、娘と同じく眠りに落ちて行ったのだった。



『哀れな灰かぶり姫と罪深い王子様には、まだまだ苦難が残されてはいます。けれど、少しずつ、少しずつではありますが、着実に細やかな幸せを手に入れていましたとさ』


(終)



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