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第十二話

 ――四か月後――


 ラカンターの舞台の上でハルがギターを演奏していたところ、グレッチェンを伴ったシャロンが扉を開けて中に入ってきた。

「ハル、お前が人前でギターを弾くなんて珍しい」

「今日はランスもマリオンも休みだからだ。文句あるか??」

「いや、別にいいんじゃないか??腕前が落ちていなければの話だが」

「言いやがったな??シャロンの癖に生意気な」

 顔を合わせれば憎まれ口を叩き合う二人の様子に、やれやれ、困った人達だわ、と言いたげにグレッチェンは肩を竦めてみせる。

「お前はどうでもいいとして、グレッチェン、何を飲むんだ??いつものやつでいいか??」

 ギターを片付けがてら、ハルがグレッチェンの注文を取ろうと声を掛ける。いつものやつ、とはレモネードのことだ。

 グレッチェンはうーん、と少し考え込んだ後、「……たまには、お酒をいただこうかと思います」と答えた。

「そうか、じゃ、女でも比較的飲みやすいシャンディ・ガフでも作るとするか。シャロンはいつものスコッチでいいな??」

 ハルは奥の部屋へギターを置きに行った後、すぐに厨房の中へと姿を消し、グレッチェンとシャロンはカウンター席に並んで腰を下ろす。

 程なくして、グラスの中で綿飴のようにふわふわとした白い泡が乗った、薄い黄金色の飲み物がグレッチェンの目の前に運ばれてきた。

「こいつはジンジャー・ビアと、エールを混ぜ合わせて作った酒だ。平たく言やぁ、ビールを薄くしたようなもんだ」

 グレッチェンはグラスに口を付けて、コクンと少しだけ口に含む。生姜のピリリとした辛さがほのかに舌に伝わるが、思っていたよりスッキリとした喉ごしで確かに飲みやすかった。

「美味しいです」

「そうか、そりゃ良かった」

 感想を聞いたハルは満足げに笑い、つられてグレッチェンも口元を緩めてみせる。

 そんな彼女を、テーブル席に座る若い二人組の男達がニヤニヤと思わせぶりに笑っている。すぐに彼らの様子に気付いたグレッチェンは、不安そうにハルとシャロンに向けて交互に視線を送った。

「あぁ、お前さんがいい女だから、つい見惚れちまっているんだろ??気にすんな」

 相変わらず、シャツとサスペンダー付ズボンという服装ではあるものの、短かったはずの髪が現在では肩に掛かる長さにまで伸びている。更に、少しだけ肉も付いたことで身体付きが女性らしくなってきたせいか、近頃は外へ出ると男から色目を使われることが多々あった。

「グレッチェンは元が美人だし、そこへ持って色気が滲み出るようになったんだから、当然と言えば当然の反応だな」

 煙草に火を付けながら、ハルはシャロンに意味ありげに視線を送り付ける。

「せいぜい愛想憑かされないようにしろよ、旦那」

「その呼び方は止めてくれないか」

 妻に向かって若い男が色目を使ってきたことに加え、ハルにからかわれたことでシャロンは不機嫌そうに唇を捻じ曲げる。

「そう言えば……、この間店に来たいちげんの客が言っていたんだが……。女の体内には特有の分泌物が存在するってな。月経痛を始めとする婦人病は、その分泌物の乱れによるものとか何とかだって、延々と語ってくれた。まぁ、医者とかじゃなくて、独学で研究している奴の言う事だから信憑性は疑わしいが」

「いや、それは興味深い話だ。ぜひ聞かせてくれないか。ひょっとしたら、『灰かぶり姫』の身体に関する手掛かりが掴めるやもしれない」

「私からもお願いします」

 シャロンとグレッチェンは、ハルに話を続けるよう促す。

「シャロンはともかく、グレッチェンに頼まれたからには続けることにする。で、更にその客が言うには、『女が性的な高まりを感じると濡れてくるのもその分泌物の影響で、好意を持っている相手であればある程、その分泌物は活性化して循環が良くなる。よく、恋をした女が美しくなる、というのも、活性化した分泌物によって身体や肌の調子が良くなるから』だそうだ」

 ハルが話し終えたと同時に、他の客から軽食の注文の声が飛んでくる。そのため、この話はあえなく中断されてしまった。

 ハルが厨房の奥に引っ込み、カウンターに残された二人は周りに話を聞かれないよう、ひそひそと小声で会話を交わす。

「……もしかしたら、その分泌物が活性化するのと同時に毒の作用が薄れるのか??だから、私が君とキスをしても毒に当たらないのか??」

 あまりに非現実すぎる仮説だが、可能性は無きにしも非ずだ。

 第一、グレッチェンの特異体質自体が非現実性の塊なのだから、その分泌物に関しても一笑に付すには惜しい説だと思う。

 以前、グレッチェンの唾液には媚薬、血液には精力強壮剤に成り代わるかもしれないと、毒から薬に変える方法ばかりに着目していたが、こちらの方が彼女の身体を治す近道に繋がるような気もする。

 もしもその説が正しかった場合、分泌物が活性化する機会をもっと増やせば、毒の要素が少しずつ減っていくかもしれないし、その分泌物が活性化する要因の一つが強い愛情を感じることであれば、いずれは子を儲けることも可能かもしれない。

 母親の血液が毒性を持っているのに胎内で無事に成長するのか、成長できたとしても障害を持って生まれやしないか、はたまた出産時に母親の血液を浴びて命を落とさないか、気掛かりなことが余りに多すぎるため、二人が愛し合う際は子が出来ないよう細心の注意を払っている。

 結婚する以前は、母が自分を産むのと引き換えに命を落とし、それを責められ続けてきたせいか、グレッチェンは子を産むことに対してまるっきり無関心だった。

 しかし、最近になってから、「命を賭して、母が私を産んだ理由が今なら少しだけ分かるような気がします」と言うようになってきたのだ。

(……欲というのは、次から次へと湧いてくるものだな……)

 一人考え事に耽っていたシャロンだったが、隣に座るグレッチェンが心配そうに見つめているのに気付くと、何でもない、とばかりに表情を緩めてみせた。

「その説が正しいならば……、分泌物を活性化させるために夜の務めにもっと励んでみるかね」

 途端にグレッチェンはひどく蔑んだ眼差しをして、冷たく言い放つ。

「公衆の面前で卑猥な台詞を言うのはやめてください。下品です」

 そこへ丁度厨房からハルが戻ってきて、「何だ??夫婦喧嘩か??どうせ、シャロンがろくでもないこと言って怒らせたんだろ??」と、目の前で繰り広げられる痴話喧嘩を呆れた様子で眺めていたのだった。


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