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第十話

 滞りなく日常を過ごせるだけで充分に幸せだから、それ以上を望んではいけない。

 ましてや、本来なら彼は姉のものだったのに、意味合いは違うにせよ彼女から奪ったのだから、のうのうと彼に想いを寄せるなど図々しくないか。

 何度も何度も、彼への想いを断ち切ろう、捨ててしまおう、と試みた。結局は上手くいかなかったけれど。

 だから、彼への想いは墓場まで持っていこう。

 ずっとそう心に決めていたのに。

 一度漏れ出してしまったら、全て流れてしまうまで止まらなかった。


「シャロンさん」

「んー??」

「んー……じゃありません。そろそろ店に戻らねばいけないのですが……」

「そうか」

 グレッチェンは、ベッドに腰掛けるシャロンの膝の上に乗せられ、向かい合った状態で彼に抱きしめられている。しかも、この態勢のままでかれこれ一〇分は経過している。

「冗談は抜きにして、放してください」

「嫌になってきたのか??」

「嫌とかいう問題ではなく、いつまでも店を閉めたままでは……」

「店など今から臨時休業にしてしまえ」

 この人は一体何を言っているのだ。

 生真面目なグレッチェンは呆れ、開いた口が塞がらなかった。

「いけません。私生活のせいで仕事に穴を空けるなど言語道断です。どうしても放してくれないのでしたら、実力行使に出ますが」

 言うやいなや、グレッチェンは右手を握りこぶしに形作っていく。

 過去にグレッチェンに鳩尾を殴られた経験があるシャロンは、その時の痛みを思い出すとようやく彼女を解放した。

「グレッチェン、続きは閉店後にしようか」

 ドアノブに手を掛けた際、背中越しにシャロンがこう呼び掛ける。

 きっと今の彼は、若い娘をからかう余裕たっぷりの年上の男、という顏をしているに違いない。

 悔しいから、振り向いてなどやるものか。

 グレッチェンはシャロンに背中を向けたまま、こう答えた。

「……気が向けば、来る、かも、しれません……」

「そうか」

 一呼吸置いてから、シャロンは言った。

「待っているよ、アッシュ」

 シャロンは狡い男だ。

 そんな風に言われてしまえば、グレッチェンが逆らえるはずがないことなど周知しているだろうに。

 店に戻って仕事をしている間も、グレッチェンは閉店後に彼の部屋に訪れるかどうか、ひそかに迷っていた。

 想いを通わせている男女が、夜更けに密室で二人きりになったらどうなるか、それくらいグレッチェンだって見当がつく。

 いくらなんでも、まだ早くはないか。

 それに、経験が豊富なシャロンと違い、経験のないグレッチェンは不安しか湧いてこないので、正直な話怖かった。仕事柄、知識だけはやけに詳しい分尚更だ。

 しかし、いざ閉店後の店の片付けを終えると、グレッチェンは当然のごとく二階の部屋の扉を叩いていた。

 思考とは裏腹に、身体に染み付いた習慣がそうさせてしまったのだ、と、誰に言うでもない言い訳を心の中で唱えながら中に入る。

 カンテラの薄明かりの元、シャロンは机に向かって書き物をしていたが、グレッチェンの気配を感じると彼女の方を振り返った。グレッチェンは扉の前で黙って佇んでいる。

 しばらくの間、二人は無言でただ見つめ合っていた。

 瞬き一つの動きだけでも、空気が変わった瞬間沈黙は破られ、何かが始まってしまう。そんな危うい空気が部屋の中を充満しきっていた。

 しかし、シャロンが椅子から立ち上がったことで遂に沈黙は終わりを告げた。

「アッシュ、こっちへおいで」

「…………」

 本名を呼ばれる事が何よりも恐ろしかった。

 父と姉が『アッシュ』と呼ぶ時は、罵倒されるか暴力を振るわれるか、実験道具にされるかの内のどれかが始まる証拠だった。

 でも、シャロンだけは違った。

 彼にだけは名を呼ばれた瞬間、身を竦ませて怯えなくてもよかった。

 グレッチェンは吸い寄せられるように、シャロンの元まで一歩、また一歩と近づいていく。

 あと一歩、というところで、グレッチェンはシャロンの腕の中に引き込まれていた。

「……君は、本当に小さくて、折れそうな身体をしている。無理をさせたらすぐに壊れてしまいそうだ……」

 そう言いながらも、シャロンはグレッチェンを抱く力を益々強める。

 グレッチェンは息苦しさを感じつつ、それ以上に彼の温かな体温や微かに耳に届く心臓の鼓動に、大きな安心感を覚えていた。

 思えば、こんな風に誰かに抱きしめてもらうことなど生まれて初めてのことかもしれない。

「……貴方になら、何をされても……、構いません……」

 普段の彼女なら決して口にしない、ある意味大胆な誘い文句にシャロンの方が驚き、思わず彼女を一旦身体から引き離した。

 引き離されたことで、心なしか残念そうな素振りすら見せているグレッチェンに、「……後で、私を嫌いにならないでおくれよ??」と、シャロンが怖々と念を押すと、グレッチェンはおずおずと彼の胸にしがみ付いてみせた。

 その後、シャロンの理性が見事に崩壊したのは言うまでもなかった。

この後の二人については、ム―ンライトノベルの「灰かぶりの媚薬」(http://novel18.syosetu.com/n9363cs/)にて詳しく書かれています。(18歳以上の方対象です)


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