試しの鬼女
愛してるっていって心の中では大嫌い。
ねえ、本当の心はどっち?
私は無関心を装ってあなたを窺う。
着物に香を焚き染めて、長い黒髪に香油を塗って、唇に紅を引く。
あなたは振り向いてくれるかしら………?
それともあの女の所に行ってしまわれるかしら。
そうなったら私は鬼女になりましょう―――。
◇◆◇
月明かりの下。広々とした妙に侘しい貴族屋敷の一室で、男女は向き合っていた。
「愛しています。愛しています」
「そうか。私はおまえのことが大嫌いだ」
震える彼女の肩。泣いているのか?
男が女の肩を抱こうとすると、小さく着物を掴んでいた女の手が力なくぱたりと落ちる。涙がひとすじ、零れ落ちた。涙の雫は床に手を着いた男の甲に落ちる。
右手の指先で男は女の小さな顎を持ち上げた。
泣き腫らす女。
月光に濡れるその涙はとても綺麗で、額には禍々しい二本の角が生えていた。
蒼白い月の光に照らされた顔は魂が凍るほど美しい。
―――はて? こんなに綺麗な女だったか。我が妻は。
男は思わず見惚れた。
女の白い繊手が男の太い首にそろりと伸びる。すべてがコマ送りの如くゆっくりと鮮明に見えた。男ははぁ……と息をつめた。自分の首に女のほっそりした繊細な手がかかる。
女は変わらず泣いている。
私の首を絞める手が迷っているみたいだ。我が妻は声を潜めて泣いている。
私はおまえ以外の女のもとに通ったというのに、まだ好いていてくれているのか?
鬼女になるまで心を殺して、私の帰りを待っていたお前は、どんな気持ちであっただろうか?
他の女の元に通った帰りの私を出迎えたお前は、聞き分けのいい良き妻を演じてはいたが、その心のうちにどれだけの闇を生み出し、抱え持っていたであろう?
仕事だと言い置いて、他の女にうつつを抜かす私を、おまえはどんな気持ちで見送っていたのであろう?
ああ、おまえはとてつもなく綺麗だ。
影からこっそり私の姿を窺うお前を、薄気味の悪い陰険な妻だと思っていた昔の私を殴り飛ばしたい。今、理解した。あれは好意の表れだったのだ。
嗚呼、嫉妬に狂った我が妻は魂を抜き取られそうなくらい美しい。
―――殺されてもいいかもしれない。
こんなに綺麗で、こんなにも私を好いてくれる女になら、殺されても………いいかもしれない。
だがその前に――。
この女の唇を奪っていこう。
時代背景的には、平安から室町辺りまでのどこかの時代。
二人は貴族。男は女の親に恩があり、好きでも無い女を娶った。
物陰からこっそり男を窺う女。男は不審に思いながらも放置。ただ、薄気味悪い女だな、と悪感情を抱くようになっていた。それが祟って浮気。だけど、家に帰って出迎える女は感情を表さず、いつもどおりに――。
知っているはず、いや、知らない。だけど心の闇は溜まっていく。
女は男に賭けた。期待を裏切る男。女は賭けに負けて鬼女になる。
嫉妬した女を思わず綺麗だと思ってしまった男。
さて、ここから女は男を突き飛ばしたのか。殺したのか。許したのか。
この話の結末は、皆さまの想像力にお任せいたします。
敬具。(Twitterより転載した、電車内での即興話より)