第6話 姫と指輪
魔法の道具に無闇に触れてはいけませんよ、と昔マキノに注意された事がある。その時の僕は、誰が好き好んでそんなものに触るもんかと、かなりタカをくくっていた。
……もっとちゃんと聞いておけばよかった。
この大馬鹿!
この指輪。はじめは、正直に言ってさほど怖い物だとは思えなかった。いきなり喋り出して、マキノに封殺されて。その状況に僕はただただ混乱していただけだけど、メイルも傍で調べてくれて、フィンも匂いを確かめて、アレクも指輪に軽口を叩いた。でも。
「誰がババアですって! もう一遍言ってみなさいよ!」
その途端に指輪はマキノの縛りをいとも簡単に破り、僕の右手を動かしてアレクに鉄拳をぶちかました。僕の意思に反して動かされた右手、あり得ない力だった。アレクはもんどり返って吹き飛び、地面に突っ込んで潰れたカエルみたいな呻き声を上げた。開いた口が塞がらなかった。
マキノが再び動いた。僕らや周囲の村人までもが止めるのも気にせず、容赦なく魔法をかけまくる。当然、僕らはショーロの村から追い出された。宛ても無く森をさまよった末に、今は村人が避難場所に使っているという森の中のあばら家に失敬している。
建物自体は今にも壊れそうな木造で、あちこちで雨漏りをしている。机や椅子の代わりに所狭しと木箱が積み上げられている様子は、家というより物置。いや、今は物置と言うより魔術師の工房だ。
あばら家はマキノが簡易的に作った魔術道具で埋め尽くされている。メイルとフィンも取ってきた薬草を使って何かの香を焚いていた。そんな所に籠り始めて、もう二日。
そう、もう二日だ。
僕は床に大の字に寝かされて、封印のせいか身動き一つできない。その上からもマキノは際限なく魔法をかけまくっている。二十を超えた辺りから数えるのはやめた。延々と続く作業の中、僕よりも早く手元で指輪がぼやく。
「飽きたわね……」
こうして指輪が暇そうに喋っているのを見ると、封印も効いているのか、いないのか。
「ねえメイル、これいつまでかかるの?」
「分からないよ。でもあなたがクライムから離れてくれたら、すぐにでも終わると思うけど?」
「そうねえ。でも一端離れたら、私本当に動けなくなっちゃうのよね」
「だからって、ボク達はあなたを捨てたりしないよ?」
「もしかしたら、と思うと私も怖いのよ。まあ私も何かするつもりはないから。心配しないで」
そっかーとメイルは少し残念そうに僕に向き直る。
「ごめんクライム。駄目だってさ」
「……そ、そっか」
この二日、僕の代わりに指輪の相手をしていたのがメイルだ。本当にもうあっという間に仲良くなった。少し変わった二人だけど、やっぱり女同士だと話も盛り上がるんだろうか。と言うかこの指輪は女の人、で、良いんだよね。
「ところでそこの彼、もしかして雪の竜? 初めて見るわ」
「そうだよ。ボクも本当にこの目で見られるとも思ってなかったよ」
「銀色の毛に流れるような体を持ち、雲の中を飛び地上に雪を降らせる。本当に文献通りね。この世で最も美しいとまで言われるのも分かるわ」
「でしょう? 冬になったら本当に雪を降らせてみても良いって言ってくれたし、今から楽しみなんだ。あ、でも内緒だよ。知ってると思うけど……」
「分かってる。無理やり幸せを絞り取ろうと考えていた奴なら、私も見た事があるから。彼も苦労しているのね」
「余計なお世話」
フィンが唸る。
メイルとの話が弾む理由の一つはこれだ。指輪はとても物知りだった。それに昔の伝説や御伽噺なんかにも詳しくて、本の虫のメイルと話が合う。合うのは良いんだけど。
「メイルはもっと見た目に気を使えばいいのに、勿体無いわ。ね。いつか私が見繕ってあげましょうか?」
なんだかもう友達感覚だ。こんな楽しそうなメイルはそう見ない。気付かなかったけど、もしかしたら男だらけの環境で少し窮屈な思いをさせていたのかもしれない。こんな形じゃなくても、メイルには同性の友達が必要なんだろうな。
でも、残念だけどここまでだ。
「終わりました。もう動いても大丈夫ですよ」
指輪を中心に何重にも張られていた魔法陣が一気に集束した。マキノが作った魔法が指輪を徹底的に縛り上げているらしく、魔法陣にあった呪文が青く光る刻印になって指輪に刻み込まれていた。
僕はゆっくり上体を起こす。
指輪は、相変わらず抜けなかった。
「ねえ。もう大丈夫なんだよね」
「ええ、取り敢えずは」
指輪をつっつくメイルに、マキノが雰囲気を変えてそう言った。
思い思いに過ごしていたみんなが集まる。
アレクがひょいとメイルを摘まんで指輪から離した。
さて。
ここからが本題だ。
***
僕らは円形に座り直した。
メイルには一応お目付にフィンが付いている。
僕は右手を差しだして指輪をみんなの中心に。
まるで尋問が始まる様な雰囲気だった。
聞きたい事は山ほどある。でも僕はしばらく黙っていよう。今までの指輪の話しぶりを聞く限り、僕よりずっと口は上手い。これからこの指輪との腹の探り合いになると思うと僕なんかはお呼びじゃない。言いくるめられて今度は何をやらかすか。
「まあ話が出来るのは分かった。で、指輪女」
「誰が指輪女よ失礼ね。何?」
アレクが切り込んだ。いつも通り単刀直入に。
「さっさと話してもらおうか。お前は一体何なんだ。目的は」
「目的か。さあ、何だと思う?」
こういう話に関してはまるで相手にされない。遊ばれているような気さえするし、指輪はむしろこの状況を楽しんでいた。僕は何か口にしようとする自分をぐっと抑える。
「封印が完成したから本題に入ろうって、ちょっと卑怯じゃないかしら」
「何とでも言え、自分の立場を考えた上でな。流石のお前でもそう簡単には動けないだろ」
「そう簡単には、か」
突然、指輪から硝子にひびが入るような鋭い音がした。
封印が一気に十も破られて指輪に掘りこまれた刻印が砕ける。右手がまた勝手に動きそうになって冷や汗が出た。
今、本当に破りにかかっていた。
ここ数日で麻痺していた緊張が一気に戻ってくる。
メイルもかなり驚いていた。
「確かに、そう簡単にはいかないかもね」
指輪が不敵に笑った。かなり、余裕がある。
始めからそうなる様に仕掛けていたのか、破られた分の封印が勝手にかかり直さり、指輪に新たな刻印が刻み込まれた。でも、やろうと思えばいつでも破れたから彼女は今まで封印を黙ってかけられていたのかもしれない。直ったとは言えあっという間に十だ。マキノは一つかけるにもあんなに時間をかけたのに。
それにしても、なぜだろう。
この指輪の話ぶり、誰かに似ている気がする。
「あなたなら解けない事が分かるでしょう。解けるにしても、時間はかかる」
「力比べ、そういうのも久しぶりね。面白そうじゃない。受けて立つわよ」
指輪は物騒な事を平気で言ってのけた。
ハッタリにしても笑えない。
「そんな事より最初の質問です。あなたは一体誰なんですか」
「剣ならともかく指輪に銘なんて無いわよ。好きに呼んでくれていいわ」
「でもあなたは指輪そのものではない」
当の僕は何も言えないままマキノと指輪が話す。というか全くついていけない。みんなにも分かっていないのか、黙って二人の話を聞いている。
「はぐらかさないで下さい。指輪は単なる道具であってあなた自身ではない。私も色々気になっているんですから。ちゃんと答えてもらいます」
「はぐらかすなんて、滅相もないわ」
二人とも声が笑っているけど、空気が怖い。つまりだ。僕らが今話しているのは指輪じゃなくて、指輪を使って話している別の誰かって事なのかな。でも指輪が本当にただの覗き窓だとしたら、覗いている彼女本人は、一体どこに。
指輪が楽しそうに笑った。
なんだか、いつも楽しそうだ。
「さてと。それじゃあどこまで分かっているか話してみてよ。お姉さんが採点してあげるわ」
主導権が移った。そんな風に空気が変わる。
皆が黙る中、マキノは一瞬考えた後、口を開く。ではお願いします、採点の後は正解も教えて下さいよ、そう前置きして。
「この種類の魔法の指輪は何度か見た事があります。二つの指輪が対になり、片方の指輪の持ち手が、もう片方の持ち手に語りかけるものです。使いようによっては相手を縛ることも出来ると聞きました。その気になれば操ることも」
「その通り。続けて」
「しかしそれには相応の魔法が使えなければなりません。気になって魔法の跡を遡ってみました。しかし分からなかった。指輪の持ち手はいるはずなのに、魔法の跡がどこかで途切れている。本来ならあり得ませんが、あなたが何かの結界の内側にいるなら辻褄は合う。身を守っているのか、あるいは閉じ込められているのか。あなたの態度を見ている限り、後者だと考えます」
……どんどん指輪の正体が割れてくる。
本当になんなんだマキノって。
でも、すらすらと話していたマキノの口が塞がった。何やら考えているようだ。再び話し始めた時、目つきも空気も少し張りつめたような感じだった。
「……あなたは破格の魔術的素養がある魔法使いだ。訳あって捕えられ、目的は恐らく脱出か報復」
「そうかもね」
「そしてクライムさんの手に渡っても動かなかったあなたが初めて反応を示したのは、あの岩のドラゴンと接近した時。とても偶然とは思えない。魔法の性質がどことなく似ている気もする」
その言葉に空気が凍る。
でも沈黙の後、指輪は不敵に笑った。
「……ふふ」
それを合図にアレクが立ち上がり、素早く剣を抜いて僕の手にあてた。
指輪に、アレクに、僕は二重に悪寒が走る。
「おい、確か指輪のせいで手から先の形は変えられないって言っていたな。でも斬り落としてしまえば取り敢えずは外れる。お前に限っては本物の腕って訳でもないんだろ」
「ちょっとやりすぎじゃないかい? 一応マキノの封印もあるし」
「ダメだよアレク! やめてよ! 斬るなんて!」
「話は終わりだ。こいつは切り離して湖に捨てる。歯を食いしばれ」
「待って下さい」
マキノがアレクを手で制する。
「待って下さい。それでも、私は彼女があのドラゴンの仲間だとは思えないんです。岩の怪物から感じる露骨な悪意や殺意がないし、そこで話を戻したいんです。もう一度最初から話し直しましょう」
アレクは依然、剣を僕の手に当てている。
納得はいっていない顔だ。それでも、斬り落とすのもそれはそれで面倒くさいと思ったのか、剣を鞘に収めた。不服そうな顔で近くの木箱にどっかり腰を落とす。
「……」
僕は、全然違う事を考えていた。
誰と似ているのか分かった。メイルだ。出会ったばかりのメイル、初めて見る里の外の世界が何もかも新鮮で刺激的で、小さなことでも感動して、どんなことでも楽しそうだった。
いくら本を読んでも、それを実際に見る事が許されなかった彼女。
強い力を持っていても、一人ではどこにも行けない彼女。
「僕はクライム」
自然と、言葉が口から滑り出た。
黙っていようと思っていたのに、いつの間にか口が開いている。
「クライムさん、自分から名前を……」
「顔の無い者とか変わり者って呼ばれていて、今はアレクに体を真似ている。ここの所ずっと旅をしていて家は別に無い。えっと、あとは。そうそう、林檎が好きだ」
何かを、何でも良いから話そうと思っているせいか、口が上手く回らない。魔法使い相手に自分から名乗るなんて正気じゃない。それは知っていたけど、それでも僕はどんどん話を進めた。指輪は黙って聞いている。
「変わり者のくせに変われなくて、特技も何も今はない。僕自身に関してはそんなに話せる事はないんだ。だから、今は君の話を聞きたい。指輪のままじゃ、あまりにも分からなさ過ぎるよ」
「……私脅かしたんだけど、分かってた?」
「それでも僕は話がしたいんだ」
話をする。そうだ。きっと彼女は脱出だとか報復だとかじゃなくて、今は誰かと話したいだけだ。
「レイよ」
指輪、レイ。
「レイさん。レイでいいかな」
「どちらでも。でも変わり者のくせに変われないって。君は十分変わっているよ」
「あはは、よく言われるよ」
さっきからずっと居心地が悪そうにもじもじしていたメイルが、椅子代わりの木箱を飛び降りて僕の膝に座った。
「……私も、少し悪ふざけが過ぎたわ。脅かしてごめんなさい。ただ、からかってみたかっただけなの」
くしゃくしゃと僕はメイルの頭をなでる。
気まずい雰囲気がようやく解けた感じがした。
いいわ、と指輪が言った。
「じゃあ、約束の答え合わせをしましょうか。マキノ君の言う通り、私は今、ある場所に閉じ込められていて指輪を通して話しているわ。先にはっきりさせましょうか。私は君達が岩のドラゴンと呼んでいる奴の仲間じゃないわ。むしろ、その逆でね」
君って付けないで下さい、恥ずかしいです。そう照れくさそうに頭をかくマキノ。話は続く。
「私をここに閉じ込めているのがそいつなのよ。ああ、一つだけ不正解ね。私は脱出も報復も考えてないわ。ただその指輪をあの暗がり、闇小人の鉱山だったんですって? 逆戻りにされるのだけはごめんよ。暗いのは嫌。私はただ、ただ外の世界を見たい」
寂しげな声だった。その様子から、僕はレイの素性を詳しく訊けなかった。でもあれね、囚われのお姫様って言えば結構サマになるかしら。すぐにけろっとした声で冗談を言う。
「中々信じ難い話です。ではその岩のドラゴンに私達が遭ったのも偶然ですか」
「驚いてるのは私の方よ。指輪を通した外でまであいつの顔を見るなんてね。それがきっかけで君達と話せるようになった訳だけど」
「ならどの程度知ってるんだ」
アレクが訊いた。
「お前、村で口を挟んだよな。知っての通り俺達はこれからどう動こうか考えてる所だ。この際、お前の意見も聞きたい」
「じゃあやめて」
一言。
ただ一言。
そう言われた。
凄く険しい口調だった、何かを恐れているような。
「あれは君達が考えている様な物じゃない。迷っているなら答えは一つ、やめなさい。あれは……」
レイは、少し言葉を切る。
「ドラゴンなんかじゃないわ」
ドラゴンの姿をしていても。
それはまるで、この指輪が指輪の形をした別の誰かであるように。
……じゃあ、あのドラゴンは。
一体、誰なんだ。
***
静かな夜だ。
風に木々がざわつく音と、梟の鳴き声だけが聞こえてくる。
夜ってこんなに静かだったかな、今は何故か眠れない。暗闇に慣れた目には部屋の様子がはっきり見えるし、気のせいかカビ臭いにおいもしてきた。
マキノは既に毛布をかぶって熟睡していた。
アレクはいつも通り剣を抱えて壁に寄りかかっていて、寝ているんだか休んでいるんだか分からない。
どこかの陰ではメイルが毛布の中で丸くなっているだろう。昔からの習慣で光があると眠れないらしい。
フィンは、また屋根の上かな。いつも夜の見張り役を買って出てくれて、僕らは安心して休めている。フィンと旅をするようになってから寝込みを襲われた事は一度も無い。
でも、そう言えば。
ショーロの村で喧嘩して以来、フィンの機嫌は悪いままだ。ここ数日はろくに話してもいない。僕から謝る気にはなれないんだけれど。レイとも和解した形で話は落ち着いたけど、それもフィンは納得がいっていない感じだった。単に興味が無かっただけだったのかな。
余計な事ばかり考えてしまう。
「レイ、起きてる?」
不意に呼びかけた言葉に、当然のように応えがあった。
「ええ。君は、寝ないの?」
この際だ。少しすっきりしよう。
「ちょっと外に出ない?」
森を吹き抜ける風はほんのり冷たくて心地よかった。湿気が多い森での空にしては、今日はとても綺麗に見える。小屋から出て、なるべく音をたてないようにその扉を閉めた。やっぱり今は寝ない方が気持ちいい。丁度いい感じに夜の森の空気が張り詰めている。大きく伸びをして、軽く体を動かした。
僕は辺りを見回して一番高そうな樹に登る。これも狼相手に森を走り回って身に付けたものかもしれないな。枝もくぼみも多いし、それほど苦労せずに登れた。葉をかき分けて、鳥の巣を避けて、そろそろ空が近くなる。
「月……」
登り切った時、レイが茫然と呟いた。晴れているおかげでとてもよく見える。ここまで来ると、本当に本が読めるくらい明るい。ちょうど良く太い枝があって、僕は幹を背にそこに腰かける。
目の前に広がる樹海。その先には大きな山々が見えた。これから行こうと話していたのはあの向こうだったのかな。確かに超えるのは厳しそうだ。反対側の森の途切れる辺りから見える光はショーロの村だ。近隣都市からの支援も来て今は夜通し救出作業に当たっているだろう。もう僕らの手の届かない事だ。
「もしかして、月を見るのは久しぶり?」
「……ええ。もちろん月明かりは分かるけれど。ああ、そういえば、こんなにも綺麗だったのよね」
「今レイがいるのは、部屋、みたいな所かな。それとも……」
「それともの方ね。狭いし汚いし良い事無いわ。その上、今までは指輪の向こうの景色まで真っ暗だったから。まさか鉱山の中だなんて、なんでそんな所に転がり込んだんだか。嫌になるわ」
牢獄。
想像するだけで心が重い。
誰もいなくて。何もなくて。何も見えない。結局訊けずじまいだった。いつからいるのか、なぜいるのか。樹の上は森の中より風が強かった。念のため持ってきたマントを羽織る。
「どうしてやめておけなんて言ったの?」
「え?」
「ドラゴンだよ。レイ本人は動けないにしても、僕自身を人質に取ってみんなを脅迫すれば良かったんだ。あいつを倒せって。マキノもフィンもずっとそれを警戒していたんだ。なのに……」
「偶然だって言ったでしょう。私は自分が助かるために、君達を死なせようとは思ってないわ」
そう、はっきり言った。毅然とした声だ。僕にはレイの事がまだよく分からない。なぜだろう。こうやって明るく話しているレイも、誰とも関われずに日々を過ごす事を寂しく感じているはずだ。牢獄というなら、いつ命を奪われてもおかしくはないのに。
「レイを閉じ込めているのがドラゴンなら、あいつさえ倒せば自由になれるんだろう? いや、そもそもどうして捕まっているの?」
「さあ。あいつの尻尾に噛みついたからだったかしら?」
レイは平静だった。不安になるほどに。この状況を受け入れていると言わんばかりに。それとも閉じ込められているという話は嘘なんだろうか。でも僕に分かる事なんてレイの言葉だけだ。それが嘘か本当か、分かるはずもない。
「ただ、私はあいつが許せない」
「許せない?」
「言い訳がましく聞こえるかしら。誰も危険には晒せない。でも放っておけば、あいつは世界に自分の悪意をばら撒き続ける。決して止まらない、誰かが止めるだけよ。でも今のままじゃ誰にも止められない」
ただ囚われているだけじゃない。レイはドラゴンを知っているんだ。会って、話をして、どんな相手か分かっている。その上で言ってるんだ。まだ始まったばかりだと。
「でも、フィンが言っていたように、いずれどこかの軍隊がなんとかしてくれるんじゃ……」
「軍隊、か。昔の話だけどね、あいつはたった一人で軍隊を壊滅させた事があったわ。ドラゴンの分身に対して武器が効きづらい事も知っているでしょう。まして本体があの大きさ。ふふふ、間近で見て改めて嫌いになったわ。あんなにゆっくり飛んでいるなんて。完全になめてるわね」
なめてる。
その言葉は僕に違う考えを沸き立たせた。感情がある、意思がある、はっきりとした敵意があるんだ。表情を持たない岩のドラゴンには、台風や雷のような無機質さを感じていたけど。やっぱりあれは「敵」なんだ。ドラゴンの標的はレイの話通りなら、この世の全てだ。
「大がかりな石弓を揃えるならまだしも、軍隊なんてまとめてやられるだけで逆効果よ。やるなら黄金と白銀を探し出して、少数で空から一気に切り込むしか……」
そこでふと、レイは詰まった。
「違う違う! こんな話はどうでもいいの!」
僕も、我に返る。
森や星空がやけに新鮮に感じた。どこにいるかも忘れて話していたんだ。大きくため息をつくと、冷たい空気が肺の中に流れ込んで気持ちが切り替わる。白い息が夜の森に溶けた。
そうだ、こんな話はどうでもいいんだ。
僕は少しとぼけて言ってみた。
「じゃあどんな話をしようか?」
「え?」
話を振られるとは思っていなかったのか、レイが何か難しく考えている。えーっと、と口を開いては考え込む。結構面白い、こういう所は僕らと変わらない年頃の女の子みたいだ。背は僕と同じくらいなのかな、髪は短めだろうか、そういえば魔法使いってことは人間なのかな。
姿が見えないレイを勝手に想像していると、ようやくレイは話を決めた。
「じゃあ、さ。君の事を話したいかな。その姿の事とか」
「ああ、これ? やっぱり分かるかな」
「それはもう。兄弟でもないのに、あのアレクって彼と似過ぎてるわ」
そんなにか。これでも結構変えているつもりなんだけど。
「変わり者って、泉の魔物の事でしょう? どんな姿にでもなれるって聞いたんだけど、変われなくなってしまったのはなぜ? それに変われないのなら、どうやってその姿に?」
「初めてアレクと出会った時に色々あってね。この姿にだけは、なんとかなれるんだ」
あの時は僕も必死だった。メイルを助けようと思って、目の前のアレクを見ながら崩れそうな体を死に物狂いで押し固めた覚えがある。もう一度やれと言われても無理な話だ。思い出しても、つくづくアレクの第一印象は最悪だった。
それにしてもレイは本当に自分の事を話したがらないな。
まあ、それでもいいか。
「じゃあついでだし、今は離れているけど故郷の話でもしようかな」
「君の故郷、離れているの?」
「もう、ないんだよ。今はみんなで旅をしているけど、昔の仲間を探すのが僕個人の旅の目的なんだ。でも中々見つからなくてね。オデオン、故郷の一人なんかは昔からそうなんだ。みんなでアカドリの卵を探しに林に入った時も、一人はぐれたきり全然戻らなくて。見つからないって言われていた卵が見つかったのにオデオンはいつまで経っても見つからないんだ」
「アカドリの卵? いつの話か知らないけどよく見つけたわね。そもそも三年に一度しか卵を産まないでしょう。すごく美味しいからって街で買ったら相当はるわよ」
「食べたいって言い出したのは別の奴なんだけど、そう、買えなくて」
「その人達、故郷の人達もみんな君と同じ?」
「いや、変わり者は僕と父さんだけで、それ以外はごく普通の村だったよ。僕らの事に関しては誰にも話していなくて、人間として暮らしていた。でもバレかけたことは何度もあったよ。そうだな、一番ヤバかったのは……」
僕の思い出話。今のレイにとって良いことなのか、余計に暗くさせてしまうのかは分からなかった。でも、あれやこれやと取りとめもなく僕は話して、レイはそれを面白そうに聞いてくれた。
静かな夜に、僕らはひたすら話し続ける。
少しづつ歩み寄っている気がしていた。
いつか実際に会って、一緒に話して、一緒に笑って。
そんな日が来るんだろうか。