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変わり者の物語  作者: あなぐま
第4章 道の先
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第47話 舞踏会

 レイが攫われた。

 この僕の、目の前で。


 正直に言えば、世界会談に出席していた沢山の人達をこの目で見て、僕の考えも変わりつつあった。誰も本気で戦争なんて望んでない。誰も好きで仲間を裏切ったりしない。元凶だなんて分かり易い物はなくて、責任なんて誰にもない。複雑で曖昧で、納得できない。それが現実なんだと思った。


 でも間違っていた。律儀なまでに歴史を繰り返す彼等を見て、怒りを通り越して感心する。本当にもう紛う事なき元凶だった。非常に分かり易い構図。大変親切だ。


 僕はすぐさま動いた。凱旋とか終戦とか知った事じゃない。レイの行方を全力で探りつつ、山猫を総動員した奪還作戦の段取りを整える。彼女さえ確保できればこんな国とはお別れだ。後の事なんて怖くない。


 それは、僕にしては珍しく早い動き出しだった。でも思えばフェルディアに来てからずっとこの状況を予感していたような気がする。フレイネストで殺されかけた時からか、スローンと戦った時からか、もしかしたら最初からか。


 そう、予感はあったんだ。その時が来たという事だ。

 きっと最初から、避けては通れない事態だったんだろう。



***



 窓の外は、今日もお祭り騒ぎだった。首だけの僕には参加する事もできない。見ているだけだ。それにしても終戦から大分経つのに、みんな凄い元気だな。


「メイル。僕に遠慮しないで行ってきて良いんだよ」

「それ、前にも言ったじゃない。それで行ってきたから、もう良いんだよ」


 そう言ってメイルは机の上に顎をのっけたまま、脚をぶらぶらさせている。アルバに与えられた僕らの私室。城の高い所にあって、僕はその窓際の机の上に乗っている。賑やかな首都の様子がよく見渡せた。そしてメイルは、そんな僕の角を面白そうに触っている。


「……メイル、楽しい?」

「うん、楽しい」


 こんな近くから微笑まれると、なんだかこっちが照れる。


 今の僕は酷い有様だ。禁術の炎にくべられた体がそう簡単に返ってくる筈もなく、首から下が未だに回復しない。山猫達がレイを探して頑張っているのに、僕はここでみんなからの吉報を待つばかりだ。


 更に悪い事に、中途半端に回復したせいか泉の魔物の形が表に出てしまっている。鏡で見せられた時驚いた。髪の毛は苔色、目は濁った琥珀色、なにより頭から山羊の角が二本生えている。でも文字通り手も足も出ないせいか、誰も避けないでいてくれた。メイルなんかずっとこの調子だ。


「嫌じゃないの? 前に見せた時は……」

「あの時は急にだったもの。もう慣れちゃったよ」


 そんな事を言いながらくしゃくしゃと頭を撫でてくる。不本意だ。でもこの子の笑顔を見ていると安心する。全部終わったんだって思えていた。


 見下ろせば、街の熱気は冷める気配もない。誰も口にはしなかったけど、魔族の存在はずっと影からこの国を苦しめていたんだろう。これが今までの戦いが報われた結果だというなら悪くない。僕らはヴォルフさえ倒せれば国とかどうでも良かったけど、あんなに喜ぶ人達を見て、不満に思う訳がない。


 そう、何も悪くない。

 これが正しい姿なんだ。

 悪く思うなんて間違ってる。

 僕はこの状況を喜ぶべきなんだ。


「クライム、あの、顔、怖いよ」


 メイルに言われて、眉間にしわが寄っていた事に気付く。


「ごめん。つい」


 ……駄目だな。

 全然切り替えできない。


 凱旋した同盟軍を待っていたのは、早馬で終戦を知った多くの人達だった。歴史的な大勝に全ての国が湧き、軍は意気揚々と首都に戻った。英雄として持て囃された人もいる。二代目黄金の騎士ウィリアム。二代目白銀の騎士ジーギル。三代目白銀の騎士アレクサンダー。魔王を倒した英雄様だ。


 逆にこの宮殿で噂される決戦での話に、レイの名前は全く出てこない。彼女が抜けた穴には全て彼等が嵌っていた。英雄なんて大層な物じゃない。彼女の存在を抹消する為に利用されているだけだ。


「スローンも、こんな気持ちだったのかな」


 僕の呟きに、メイルは難しそうな顔をした。


「どう、なんだろう。でも一緒に仕事をしていた時、スローンからはタリアさんの話を何度も聞いた。何度も、何度も聞いたんだ。本当に好きだったんだよ。ヴォルフを復活させたのも国を滅ぼそうとしたのも、全部その裏返しだ」

「いつだったか、あいつに言われたよ。この国は僕とは真逆の道に走る。人間がいかに醜いか、僕は知らないんだって」


 国を憎み、人を信じなかったスローンの言葉。それを否定して僕はここまで来たのに、結局スローンの言った通りになってしまった。本当は彼が正しかったんだろうか。彼には最初から、この結果が見えていたんだろうか。


「ボクには分かんないよ。スローンが極端過ぎるとは思うけど。でも彼の時とは違う。レイは無事で、まだこの城のどこかにいる筈だよ」

「そんな確証はない。間違いなく城にいるのはベルマイアだけだよ。この祭りの締めの行事が彼の公開処刑だから、逆にそれまでは安全だ。でもレイは捕まった事さえ公にされてないんだ。いつどうなっても、おかしくない」

「だ、大丈夫だって。山猫のみんなにも動いて貰ってるし、そろそろマキノ達も帰ってくる。あの時の黒覆面の一人でも尻尾を掴めれば、レイもきっと見つかるよ」


 そう言ってメイルはぎこちなく僕の頭を撫でた。少し申し訳ない。僕はあれからずっと、頭に血が上ったままだ。

 

「おや、相変わらず仲が良いですね」

「あ、マキノ。おかえり」


 扉を開けて三人が戻ってきた。でも何だか大荷物だ。と言うよりあれは、お祭りからの戦利品じゃないだろうか。アレクとフィンは今もモグモグしてるし。


「お祭りに行ってたんだね、楽しかった?」

「もちろん。それに腹が減っては戦が出来ないと言います。メイルさんもどうぞ、甘いですよ」

「わー! ありがとうマキノ! いただきます!」

「食え」


 アレクは問答無用で僕の口に肉を突っ込んだ。こんなに食べられないと喋る事も出来ず力づくで押し込まれていると、隣から視線を感じた。フィンだ。無表情で僕を見て、そしてハッと鼻で笑う。雑に扱われている気がする。


「しっかり噛んで下さいね。クライムさんには早く治って貰わないと困ります。この分だと、アルバを直接問いただすのが一番早いようですから」

「アルバまで捕まらないの?」

「彼に限らず、上流階級のほとんどが捕まりません。戦争が終わって公務が目白押しですから。戦没者の追悼式、各国との国交回復、第三回世界会談の準備」

「あと正騎士の叙勲式もあったな。ウィルが出てたぞ。ジーギルも」


 どうもかなりの所を見逃したみたいだ。

 でも、それならアレクはどうなんだろう。


「叙勲式、アレクは出なかったの? フェンリルを倒したんだろ?」

「倒してねぇよ。リューロンに丸投げした。しかも結局あの獣畜生、ヴォルフが死んだ途端にケツ捲ったらしい。奴の目的はヴォルフとは別。戦っていたのはあくまで契約だったからだ。まあここから先の話は、俺の知った事じゃない」

「そっか。それで白銀の剣もジーギルに返したんだね」

「当たり前だ。しがらみだらけの剣なんて持ってられるか」


 あっさり答えながら、アレクはひたすら食べ物を口に詰めていた。本当に気にしてないみたいだ。しがらみだらけでも最強の剣なんだけど、そこもまたアレクらしい。でも。


「それでマキノ。状況はどう?」

「……正直に言えば芳しくありません。どうもかなり上からの密命で事が進んでいるようなんです。実際動いたのがどこの国なのかも、まだ絞り込めません」


 まずいな。時間が経てば経つほど僕らは不利になっていく。このままだと本当にこの国を丸ごと掘り返して虱潰し叩いていく羽目に……。


「また悪い事考えてる。だめだよクライム」


 そう考えているとメイルに頬をつねられた。


「しかし嫌な予感がします。恐らくもう正攻法では見つからないでしょう。そこで話していたんですが、クライムさん、近日中に終戦祝いの舞踏会が催されるのを知っていますか?」

「メイルから聞いたよ。僕らも招待されてるって……。そうか! 上の人間達が出てくる!」

「誰一人逃がしません。片っ端から問い詰めて回ります。それに内密の話が動くのは、得てしてこういう華やかな場の片隅です。主犯を押さえられる可能性も高い」


 確かに、もうこれしかない気もしてくる。急にやる気が出てきたな。そうと決まれば、それまでに人の形は保てるようになっておかないと。


「フィンごめん、そこのパンも取ってくれる?」

「嫌だ」

「ボクが取るから。ほらクライム」

「ところでマキノ。お前はあの黒覆面、どこの回し者だと思ってる」

「分かりません。どこの国の刺客でもおかしくありませんから。一番可能性が高いのはヴェランダールですが、単独で動くとも思えない。円卓の総意だとも考えられます」

「ふん、まあいい。その場合は全員ブチのめすだけだ」

「だ、だめだよアレク、もう無茶したら嫌だよ。それにドミニクが言っていた通り、彼等が王の毒剣なら、アルバを説得すればすぐだよ」

「どうでしょう。戦争が終わった今、彼にとって私達は用無しです。その上で毒剣なんて都合の悪い物を見られたなら、今からでも殺されかねません」

「その場合は全員ブチのめすだけだ」

「円卓の命令で毒剣が動いているのか、毒剣の目を掻い潜ってどこかの国が動いたのか。そもそも捕まえた彼女をどうするつもりなのか。全て推測の域を出ません。まずは少しでも事実を埋めていきましょう」


 マキノの言う通りだ。僕らは揃って怪我人だし、それこそ腹が減っては戦は出来ない。舞踏会に行けば何もかもが分かる。今はひたすら、英気を養う時なんだ。


 レイの件はまだまだ裏がある気がするし、上の思惑なんて僕らには分からない。フィンはともかく、僕自身の事さえ、みんなは知らずにいるんだから。だからこそ僕は臆病者で、状況は入り乱れていて、事態はもう少し複雑だ。打ち明けてしまえば単純になるのかも知れないけれど。


「……」


 王の毒剣の正体は。


 僕だ。



***



「おや、似合うじゃないですか」


 マキノは礼服を着た僕を見てそんな事を言ってきた。


「ありがとう。どうかな。これで英雄様っぽく見える?」

「ハッ、自分で言ってて恥ずかしくならないのかい?」

「そ、そんな事ないよ! それっぽいよ、クライム!」

「知るか。それより首キツいぞこの服」


 控室の僕らはそんな事を言い合っていた。確かに、同じく貴族用の礼服を着てはいるけど、身なりを整えたマキノや髪を縛ったアレクの方が余程似合っている。桃色のドレスを着たメイルなんてなおさらだ。その肩に乗っている白イタチだけが目障りだな。


「まあ、少しでも整ってればいいよ。貴族の顔は大体覚えてるし、僕はそれに声をかけて回る」

「分かりました。私は当初の予定通り、氷雨の魔法使いを問いただしてみます」


 恰好なんてどうでもいい。不本意だろうが、せっかくアルバが押し付けてくれた肩書だ。最大限使ってやる。そしてレイの居場所が分かり次第、すぐに舞踏会も切り上げて助けに行く。今日が山場だ。


「では皆さま、どうぞお入り下さい」


 役人に声を掛けられて、僕らは少し姿勢を正す。

 そして扉が開けられた。


 舞踏会、会場。

 大勢の人が揃っていて、広くて、眩しくて、良い匂いがした。


「ここは……」


 見覚えのある場所だった。第一回会談で僕らが城に突入した時、冬の魔法使いが待ち構えていた場所だ。あの時は全てが氷漬けで真っ白だったけれど、こうして見ると凄い。広大な空間に、上からは立派なシャンデリア。本当に式典用の場所だったんだろう。


 場の空気はすっかり出来上がっていた。広間の中央では大勢の人が豪華な恰好をして踊っていて、壁側では料理を食べたり談笑したりしている。どうも良く分からない段取りを長々と続けた後で、僕らみたいな賓客扱いを順次参加させているらしい。


 アルバの姿はない。

 でも上座に設けられた席には沢山の国の王族や貴族がいた。

 ウィルやジーギル、見知った騎士達もあちこちで談笑している。

 彼等と目が合った。互いに無言で頷く。


「それでは皆さん。手筈通りに」


 マキノの言葉で僕らは分かれた。


 歩きながら改めて周囲を見回すと、見覚えのある顔も多かった。すぐに攻め方も決まる。僕は人混みに紛れるように歩きつつ、周囲の視線に注意しながら素早く顔を変える。そしてにこやかに話しかけた。


「大臣、ご無沙汰しております」


 顔見知りに化けた僕を見て、彼はすぐに顔を綻ばせて迎えてくれた。互いの身の上話から始まって、酒も交えてどんどん内容を進めていく。和ませて、持ち上げて、口が滑りやすいように。この人がレイの死を願ったんじゃないか、そんな黒い感情を押し殺したままに。


 幸い、と言うべきか彼は何も知らなかった。それが分かった時点で会話を切り上げる。そして人混みに紛れ、顔を変えて、次の人に話しかける。次の人へ。また次の人へと。


「……」


 それにしても本当に誰も、何も知らない。レイに関する情報は完全に影に葬られている。重い不安が胸に溜まってくる。レイはまだこの国にいるんだろうか。そもそも本当に、存在したんだろうか。そんな馬鹿な事まで考え始める。


「そうなんだよ。私の領地も大分やられてしまってね。毎日パンと葡萄酒だけで過ごしている」

「それは羨ましい。侯の領地なら選り取り見取りでしょう。この際、今まで取っておいた年代物を開けてしまうのはどうですか? ところで……」


 会話を続けながら、僕の頭はレイの事でいっぱいだった。

 熱くなっている自覚もある。


「『彼女』の件は、そろそろ動きそうですか?」


 声を殺してカマを掛ける。

 時間が惜しい。そんな焦りが僕を動かしていた。


「……」


 答えは、無言。

 相手の貴族の顔が固まっていた。


 まずい。彼は、当たりだ。でも訊き方を間違えたかも知れない。焦って言葉を選ばなかった。怪しまれただろうか。舞踏会が終わった後、アレクに頼んで彼を捕まえるべきか。


「彼女の、件だな」


 貴族は左右に目を走らせた後、更に声を落とす。大丈夫だったみたいだ。これで少しは前に進める。彼は話を続けて、僕は一言を聞き漏らすまいと集中する。


「私も危惧していた。このままだと『彼』の件に間に合わない」

「彼の件は、確か祭りの最終日だと聞いていましたが」

「そうだ。今も各国に頼んで彼女を探しているが、影も形も見当たらないのだ」


 適当に話を合わせるけど、なんだろう。

 何かがおかしい。彼も外れだったんだろうか。


「君も知っての通り、当初の予定では終戦直後に確保する手筈だった。それが空回りに終わって、今も空回り続けている状態だ。面倒が起きる前に片付けて、また美味い酒を飲みたいものだよ」

「そう、だったんですか。本当に、その日が待ち遠しいですね……」


 そのまま少し話して、彼とは別れた。


 顔を元に戻して、壁際まで歩いて、椅子に座った。


 整理しよう。彼の話をまとめると、同盟は最初からヴォルフを倒した時点でレイも捕まえる予定だった。なのに刺客が到着した時点で、既にレイの姿はなかった。だから今も探していて、見つかり次第ベルマイアと一緒に処刑してしまうつもりらしい。


「……おかしい」


 何を言ってるんだろう。刺客はちゃんとレイを攫った。レイは彼等の手に落ちている筈だ。なぜ嘘を付いているんだろう。やっぱり警戒されたのか。それとも、彼も本当の事は知らされていないんだろうか。それにもし本当に刺客がレイを捕まえられなかったなら、あの場に現れた黒覆面は、いったい誰なんだ。


 嫌な想像が頭を掠める。あの黒覆面、本当に人間だったんだろうか。


 ヴォルフが倒された後のレイの利用価値。死ぬほどあるだろう。復讐の為に魔族一派が捕まえた可能性もある。過去を清算するためにエルフが介入してきた可能性も十分ある。そうだ、思えばあの黒覆面は身綺麗だった。他種族のエルフなら、戦争自体に加担しなかったのも説明がつく。いや。でも。


「一曲、私と踊って頂けませんか?」


 急に頭上から声がした。


 驚いて見上げると、目の前にいたのは青いドレスを着た知らない女性だった。いや、顔だけは知っている。確かガレノールの縁戚に当たる貴族の娘だ。つまり、情報源にはならない。少し気分が悪いフリをして断った。でもその後も次々と色んな女の人が僕を誘いにきた。全部断る。途中から顔も碌に確認しなくなった。


 少し白い視線を感じた。見れば、あちこちで男性が女性を踊りに誘っていた。受けてくれた人もいれば断られた人もいる。彼がすごすご引き下がれば別の人が挑戦した。そういう慣習なんだろう。逆に女性から誘うなんて殆どないみたいだ。それなら、なんで僕なんかを……。


 いや、そうか。僕はアルバの腹心って名目でここにいる。親に言われて国王との繋がりを作りに来ているんだろう。今後のために。


「今後、か……」


 フェルディアが主導する人間の世界。これも時代の流れと言えばそこまでだ。鋼鉄と策略が、魔法と神秘を駆逐して新しい秩序になる。彼女達は、目の前で楽しんでいる人達はその世界で生きていくんだ。彼等は悪くない。でも僕は嫌だ。少なくとも、浮かれて誰かと踊る気になんかなれない。


「一曲」


 また来た。

 赤いドレスが視界の端に映る。


「お相手、頂けませんか?」


 断った。でもこの場で情報が得られないとしたら、どうしよう。誰かはレイの居場所を知っていると、僕は高を括っていた。でも、もし、誰も知らなかったとしたら。


「そう無下に扱わないで頂けません? 勇気を出して、お誘いしたのですから」


 アルバしかない。彼なら絶対に何か知っている。仮に無関係だったとしても放置は出来ない筈だ、味方に出来る。味方にしてやる。何ならそこで踊ってる豚、じゃなくて最高議長を人質に取って、それで誘き出したアルバを更に人質に取って、良いからさっさとレイを出せと要求する。隠し事をしていたのは向こうだ。容赦しない。僕を敵に回すとどうなるか思い知らせてやる。本当にアルバはいつもいつも……。



「ふふ、相変わらずつれないのね。もう私に、月を見せてはくれないの?」



 聞き流していた言葉に、不意に聞き流せない言葉が混じった。


 聞き覚えのある言葉、聞き覚えのある声色。頭が麻痺していた。こんな所に居るはずがないと。だから全然分からなかった。いつかも、こんな調子で、僕は誰かに気付いた事があった。


「え……」


 思考が中断して、自然と顔が上がる。そこにいたのは、目の前にいた赤いドレスは、あの時と同じ僕の見知った顔。見紛う筈もない、彼女の顔。


「レ……!!!!」

「はいそこまで」


 叫ぼうとした口を指で押さえられた。

 立ち上がりそうになったのを、そのまま座らされる。


 口から飛び出そうになった言葉を無理矢理飲み込んだ。でも、レイだ。紛れもなく彼女本人だ。いやちょっと待って。何これ。頭が追いつかない。咄嗟に周囲を見渡した。誰かに見つかったりしていないだろうか。


「レイ、どうしてここに、いや違う。無事なの? あの後何があったの? 今はどこに……」

「落ち着いてクライム。息を吸って吐いて、それからやっぱり落ち着いて。まず私は無事。表向きにはまだ投獄中の身分よ。ここにいるのは秘密。秘密を知っているのはアルバだけ。お分かり?」

「いや全然分からないよ。だってレイ、捕まったよね。みんなでずっと探していたんだ。今までどこにいたの? 酷い事はされてないよね。もう死んでるとか言わないよね」

「心配してくれたのは嬉しいんだけど、これは大分重症ね……」

「だってベルマイアが処刑されるって専らの噂なんだ。レイは、大丈夫? 処刑されたりしない?」

「あら、面白いこと言うのねぇクライム」


 レイがにんまりと微笑んだ。悪魔のようなその笑みに、何故かヴォルフが復活した時の絶望を思い出して冷や汗が出た。血は争えない、そんな言葉が脳裏を過る。


「この私が、あんな連中相手に、遅れを取るとでも、思ったのかしら?」


 開いた口から言葉が出てこない。僕は、とんでもない勘違いをしていたんだろうか。レイが無事なら何でも良かった筈なのに。あれ、無事? 無事ってなんだっけ。


「ご、ごめん。でも心配したんだよ。そうだレイ、僕達が舞踏会に参加しているのだって……」

「さっきアレクに聞いたわ。私の事を調べる為なんですってね、ご苦労様。一応この場にいる山猫には全員顔を出したけど、なんだか随分面白い事を企んでたみたいじゃない」


 面白くはない。相手が旧同盟と同じ手段に出るなら、僕もスローンと同じ手段に出ようかと半ば本気で考えていた。


「でも詰めが甘いわ。そんな力業に出ても一時凌ぎになるだけ。嫌いじゃないけどね」

「じゃあ、レイはどうするつもりだったの」

「ふふ、どうしてくれようかしら。でも私もあの後アルバと少し話して、そうね。安易に私達を処刑するのもアルバの思惑から外れるだろうって結論になってね。まだ考えている所なのよ。ああ、私が大っぴらに外を出歩いているのも秘密ね。秘密」


 そう言ってレイは自分の口に悪戯っぽく指をあてた。


 改めて見れば、彼女の姿はお出かけ仕様だった。黒い髪に白い肌は変わらないけれど、赤かった目は褐色に、尖っていた耳は丸くなっている。当然ながら水鳥の翼もない。多くの人が彼女に目を奪われているけど、魔族だからじゃない。単純にレイが綺麗だからだ。それにしても視線が気になった。


「秘密はいいけど、なんかみんな見てない?」

「見てるわね。君を探している間も散々声を掛けられて大変だったんだから。まさかこんな所で一人壁の花になってるなんて」

「勘弁してよ。別に僕は踊りに来た訳じゃないんだから」

「ふうん。それで? いつまで私に恥をかかせるつもりなのですか?」


 沢山の人がチラチラとレイを気にしていた。僕が彼女の誘いを断れば彼等が群がってくる。そしてレイは面白半分でも受けるだろう。それはまずい。凄くまずい。これ以上目立つ真似はさせられない。


「王女を誘って下さるのは騎士のお役目でしょう? それとも、私では御不満?」


 芝居がかった口調でそんな事を言う。こいつ、分かってて言ってるのか。深い溜息が漏れた。なんだか嵌められた気分だ。


「……僕で良ければ、喜んで」


 立ち上がって、その手を取った。



***



 聞こえてくるのは静かな円舞曲。

 外は少し寒いのに、ここは暖かい。

 すれ違う人みんなが、柔らかい表情をしていた。


「固いですよ。もっと力を抜いて」

「慣れないんだ、許してよ」


 僕はレイに合わせるように踊っていた。酒場で騒いだ記憶しかない僕と違って、彼女の動きは完璧だった。僕は足を踏まないように、流れを止めないように必死に動いている。左手はレイの右手に、右手は彼女の腰に、時折彼女が優雅に回るからその時は左手をああしてこうして。


「適当でいいんです、こういう時は」

「適当。分かった。頑張る」

「ふふ、馬鹿な人」


 改めて見てみると、レイの無事を知った山猫達はみんな先に踊っていた。


 マキノは氷雨の魔法使いをそのまま誘っていて、踊りながら何やら楽しそうに話している。

 アレクはヴィッツを引っ張ってきたみたいだ。何故かアレクが踊れていて、ヴィッツは必死にそれに合わせている。

 メイルは僕が知らない人と踊っていた。銀色の長髪を軽く括った細身の青年だ。整った顔立ちと雪のように澄んだ青い瞳が印象的だった。人見知りのメイルにしては随分親し気にしているけど、誰だろう。どこかで見た事があるような気もする。


 みんなが楽しそうだった。心に引っかかった何かは取れないままだけど、当のレイがこうして笑っているんだ。僕がそれ以上言う事はない。綺麗な曲は続いていて、僕も段々慣れてきた。そしていつの間にか、僕達は広間の真ん中で踊っていた。僕はともかく、美人のレイはひたすら目立つ。


「ねえレイ、秘密で来てるって自覚、ある?」

「あら、良いでしょう? 私も話題の方々とお話したかったんですから」


 さっきからレイの口調が変だ。身なりも整えて、綺麗なドレスを着て、これじゃあ本当にどこかの国のお姫様みたいだ。いや、結局は本当にお姫様だったのか。


「レイ。ヴォルフの娘だったんだね」

「……ええ。最初にお話しした筈ですよ、知らなくてもいい事もあるのだと。もっとも今は血の繋がりだけで、それ以上の物は何一つ残っていませんでしたが」

「今更こんな事を言うのも卑怯だけど、大丈夫なの?」

「もちろんです。あなた方には、本当に感謝しています。あの男の凶行は全て娘である私の責任。それを少しでも償う機会をくれたのですから」


 話しながらもレイは優雅に踊っていた。クルリと回っては、広がるスカートを踏まないように慌てる僕を意地悪な顔で笑ってくる。


「黒の王を倒したのが僕らって事になってるのは、納得いかないけどね。僕なんか最後に横槍を入れただけで、ほとんど何もしてないのに」

「馬鹿な事を。あなたはずっと、私を見ていてくれました」


 そう言って彼女は僕を真っ直ぐ見た。


「私が逃げないように、挫けないように、最後までずっと見ていてくれました。それで私がどれだけ勇気づけられたか、あなたは知らないのでしょうけど」


 その口調でそんな事を言われると少し恥ずかしい。

 アルダノームの王女としての、彼女なりのお礼のつもりなんだろうか。


 曲が変わって緩やかな空気が流れる。踊る人も増えて、レイを気にする人も増えた。周囲の注目を避けるように踊りながらさり気なく移動して、二人でバルコニーの方へ向かった。


 ここで踊っているのは僕らだけだ。

 広間からの明かりが、僕等の足元に長い影を作っていた。

 そよ風のせいか少し涼しくて、熱くなった僕には気持ちいい。


「傷は、もう大丈夫なのですか?」

「ん? ああ、禁術のか。実はまだ少し隠してるんだ。でも平気だよ」

「平気な筈はないでしょう。どう考えても無理のし過ぎでしたよ」


 僕の肩に添えられていたレイの手に、少し力が入った。本当に心配してくれてる。流れてくる曲が段々とゆっくりになってきた。この曲もそろそろ終わりみたいだ。


「仕方ないだろ。それくらいしないと、僕じゃどうにもならなったから」

「……それは、確かに。褒められた方法ではありませんが、黒の王をあそこまで消耗させたのは、きっとあなたが最初で最後だったでしょうね」

「そうだと、少し嬉しいよ。自分の全てを賭けたつもりだったから、それで全く駄目だったら情けなくなってくる」

「誇っていいと思いますよ。魔王に正面から挑むなんて、誰にでも出来る事ではありません。本当に、あなたらしくもない」


 横目で広間の人達を見ると、どうも曲の終わりで踊り方が変わるらしい。レイの真似をしつつお互い一歩下がって、最後の音に合わせてお辞儀をした。広間からは静かな拍手が起こった。


 もう夜も深いのに、城下に見える街からはまだ祭の明かりが灯っている。澄んだ空気が気持ちよくて、星がとても綺麗だった。次の曲の為に楽団が準備する傍らで、踊っていた人達はその場で少し言葉を交わしていた。お上手でした、なんてお世辞が聞こえたりもする。僕も何か言った方が良いんだろうか。


「……さて。では私も王女として、魔王を倒してくれた騎士にお礼をしなければなりませんね」


 気付くとレイが二歩、歩み寄っていた。

 どうしたんだろう、凄い近い。

 なんだこれ、凄い近い。

 凄い近い。


「あれ、えっと、なに?」


 そのまま彼女の両手が、僕の両肩に添えられる。

 決して力は入ってない。でも僕は何故か動けなかった。

 彼女の褐色の瞳から、目を逸らせない。


「そう固くならないで。こういう時の作法は、聞いた事もあるでしょう?」

「聞いた事って、いやでも僕は別に何も……」

「私からの感謝の気持ちです。受け取って下さればいい」

「感謝っていうならウィルとかもいるし、だから、その……」

「口を、閉じて」


 凄い近い。

 レイの顔がすぐそこだった。

 こんな近くで彼女の顔を見た事はない。

 睫毛の一本まで、瞳の奥まではっきり見える。


 そのまま顔が近づいて。


 レイが目を、閉じて……。



「レイ! 何をやっているのですか!」


 その一喝で、熱い空気が一気に吹き飛ばされた。

 僕は我に返ってレイから飛びのき、レイも驚いて振り返る。

 バルコニーの入り口で、金髪の女の人が仁王立ちしていた。


「はあ!? ブリュンあんた、なんでここに!」

「なんで、ではありません! 数百年振りに顔を見たと思ったら、悪い所は何も直っていませんね! こんな若い男を誑かすなんて、恥を知りなさい!」


 そのまま肩を怒らせて歩いてきた。


 えっと、レイの知り合いだろうか。数百年振りって事は旧大戦で同盟軍にいた人かな。式典用ではないけど、刺繍の入った綺麗な白い服を着ていた。そしてレイと同じで細長い耳が髪から突き出して見えている。でも魔族じゃない。髪は金色で、瞳は碧色だ。ひょっとして。


「レイ。あの人は、もしかしてエルフなの?」

「……ええそうよ。ちょっとクライム、ここにいて」


 そう言ってレイは苦々しい顔のまま向かっていく。決闘でも始まりそうな雰囲気。なんだか二人の間柄も分かってきたな。


「よくも邪魔してくれたわね! 誰が誰を誑かしたって!?」

「自覚がある所がなお悪いのです! エルフの王族であった者がなんとも嘆かわしい! 近づく男を片っ端から揶揄っていたあなたが、今更初心な少女面するなんて笑わせないでください!」

「誰が初心よ誰が! 大体あんた、生きていたなら今までどこにいたのよ! まさか不戦の掟だとか何とか、まだ律儀に守っていた訳!? 信じられないわ!」

「こちらの台詞です! 本当にあなたときたら……」

「先生!?」


 僕が入る余地もない喧嘩に、急に誰かが割り込んできた。

 バルコニーの入り口で、金髪の男の人が立ち尽くしている。

 あ、ウィルだ。


「ウィリアム・アデライド!」


 またしてもエルフの雷が落ちた。


「ここに直りなさい!」


 その一喝でウィルは呼びつけられた飼い犬みたいに慌てて走ってきて、エルフの前で石のように固い直立不動を作った。なんだろうこれ。色々と台無しだ。


「よくも私の言いつけを破りましたね! 剣士は常に自由であれと、国などの為に戦うなと、子供の頃から口を酸っぱくして教えた筈です! それなのにあなたは何を聞いていたのですか!? これは没収です!」


 そう言うや否や、彼女はウィルから黄金の剣をひったくった。そのまま延々と説教が続く。ウィルはすっかり小さくなっていた。彼女の矛先が変わってレイが逃げてきた。僕は二人を眺めながら小声で話しかける。


「ごめん。さっきから全くついて行けてないんだけど、レイとウィルの知り合いなの?」

「あいつとウィルの関係は知らないわ。彼女はブリュン。私達魔族がまだエルフだった頃、立場上よく顔を合わせていたのよ。私とタリアとブリュンでね」

「そうなんだ。あの様子だと彼女が「先生」。話に聞いていたウィルの育て親なんだね」

「初代黄金のレオが死んだ後、預かっていた剣を弟子に託した。そんな所でしょうね。まあどうでも良いわ。クライム、後は任せるから私はこれで……」

「話は終わっていませんよレイ! そこにいなさい!」


 地獄耳だあの人。

 それにしても、よくもあんなに説教できるな。


「先生、でも仕方がなかったんだ。あの戦いに加わらないなんて、そんな事俺には……」

「百歩譲ってそこは目を瞑りましょう! ですがあのベルマイアに挑むなんて、馬鹿ですか!? 私から一本も取れなくて泣きべそかいていた小童が、百年早いというものです!」

「頼むからそんな昔の話は……。それに俺は勝ったよ。辛うじて」

「そもそも挑んだ事が問題なのです! 勝ったにしても相当な無理をしたのでしょう!?」

「それはそうなんだけど」


 そこでウィルは少し口元に手を当てて考え込んだ。


「あの、先生。実はあの時どうやって勝ったのか、俺自身も分からないんだ。必死に戦っていたら、よく、分からない事が起きて」

「…………聞きましょう。続けなさい」

「アルカシアを失って、近くにあった剣を適当に使って戦ったんだけど。その剣に急に宿ったんだ。アルカシアと同じ、黄金の光が」


 ウィルが言っている事をよく理解できない。ウィル自身も分かっていないんだろう。でもブリュンは静かにそれを聞いていた。


「あの後、何度試しても再現できないんだが、あれは一体何だったんだろう」

「それを、私が正しく答える事は出来ません。黄金、白銀、黒鉄。三本の剣を打った闇小人の鍛冶師が亡くなった以上、本当の意味で剣の力を解明する事は、永遠に出来ないのです」

「そう、なのか。でも人の手で作られた物なら、人の手で解明できるのでは?」

「うふふ。人間の考えって何故かいつも似通ってくるのよね、ブリュン」

「ええ。興味深い事です」


 レイとブリュンが笑った。

 僕とウィルは顔を合わせて首をかしげる。


「あのねウィル。昔、人間の魔術師達が同じように考えた事があったのよ。旧大戦で黄金が戦果を出し始めた頃、彼らは剣を複製しようと考えた。その剣から光の力を引き抜いてね」

「神秘の力を地に墜とす。いかにも魔術師らしい考え方です」

「そんな事があったのか。それで、どうなったんだい?」

「失敗したわ」

「そこで初めて分かったのです。この剣には、そもそも引き抜くべき光の力など無かったのだと」


 そんな馬鹿な。アルカシアに魔法の力が込められていないなら、今までウィルがあれだけの力を振るっていたのは、いったい何なんだろう。


「さて問題はそこです。ウィル。あなたはこの剣が齎す光を、正しく理解していますか?」

「……光を生み出すのが剣でないなら、その使い手?」

「で、でもさウィル。それは翻せば、使い手次第でどんな武器でも黄金の剣になり得るって事なの? もっと言えば、誰もが黄金の騎士になれる?」

「あなた達の間違いは、英雄だの伝説だのを雲の上の存在として考えている事です。少なくとも初代黄金のレオパルドはいい加減な性格の飲んだくれで、英雄とはかけ離れた男でした」

「人間のクズだったわね」


 レイがペッと唾を吐く真似をした。王女様の雰囲気が台無しだ。


「いいですか。力だなんて、そんなもの大なり小なり皆が持っているのです。あの剣は、単にそれを分かりやすい形で示しているだけなのですよ」

「あとは、それに気付くかどうか、なのか」

「そう簡単な話ではありませんが、扉は常に開かれています。ウィル、人は誰もが光になれるのです。奇跡を起こすのは、いつだって唯の人間なのですから」


 ただの人間、か。ウィルはまだ納得できない顔をしているけど、僕は不思議と納得してしまった。始めて出会った時からウィルは変わらない。それが剣に認められたってだけの話なんだ。


「まだ分からないなら、これをあなたへの宿題とします。剣は返しましょう。ですが奇跡が必要になるような事態は二度と許しません。いいですか?」

「はい。ごめんなさい、先生」

「聞き入れましょう。ですが許しません。あなたはいつも口先ばかりじゃないですか。自分の身も顧みず、周囲の心配も気にしない。あなたを探してようやく首都まで着いたかと思えば、国の命令を無視して飛び出したとフェルディア王に聞かされて。その時私が、どれほど心配したか」


 ブリュンはまだブツブツ言っていたけど、ウィルは剣を受け取った形のままポカンとしていた。どうしたんだろう。


「あの、先生」

「なんですか」

「俺の事、心配してくれたんですか?」


 するとブリュンは少しムッとして答えた。


「当たり前です」


 その言葉でウィルは剣を握ったまま感極まった顔をして、そのままブリュンを抱きしめた。小柄な彼女はその腕の中にすっぽり収まっている。彼が子供だった頃は、逆だったのかな。でも今はウィルも大人になった。師弟のようにも、親子のようにも、恋人のようにも見える。


「変わりませんね、ウィリアム」


 そう言ってポンポンとウィルの背中を叩いた。小言もすっかり引っ込んでしまったみたいだ。なんだかそれが微笑ましくて、僕とレイも頬が緩んでしまう。


 でもしばらくして、レイが静かに声をかけた。


「ブリュン。アルバに会ったのね」


 ウィルが名残惜しそうに離れて、少し顔を引き締める。


「ええ。この馬鹿弟子を探している時、最終的に引き合わされました。あなたが言いたい事も分かっていますよ」

「あっそう。それじゃあ、あなたも今回の一件に加わるって事でいいのね?」

「不戦の掟に反しない限り力は尽くすつもりです。元を辿れば、これは私達エルフの問題ですから」


 二人が僕の知らない話をしている。僕が首一つで部屋に引き篭もっている間、外ではどれだけの事が進んでいたんだろう。ふとブリュンが僕の方へ向き直った。


「初めまして。挨拶が遅れた事を謝罪します。私はブリュン。あなたがクライムですね?」

「あ、はい。初めまして、ブリュンさん」

「ねえねえクライム。先生って呼んであげたら喜ぶわよ」

「黙りなさいレイ。さてクライム。粗方察しているとは思いますが、私達はこのままレイを処刑させるつもりはありません。あの王にも色々と思惑はあったようですが、今回に限っては折衷案で妥協すると言っていました。彼と、あなたの、折衷案です」


 そう語り掛けるブリュンの目は、彼女の目とは違った。

 今の言葉は、きっとアルバの言葉だ。


「この舞踏会が終わった後、王は執務室であなたを待つそうです。最後の話をつけてきて下さい」



***



 フェルディア王の執務室では、カリカリとペンが紙を引っ掻く音だけが聞こえていた。


 元々はそれなりに広い部屋だったのだろう。しかし今では所狭しと本や書類が積み上げられ、執務室というより書斎か作業部屋のようだ。


 フェルディア王アルバトスは、そこで無言で業務をこなしていた。鋭い目、栗色の髪、高めの背丈、痩せ気味の体。形式ばった服は適当に椅子に掛けられ、髪はかなり乱暴に掻き上げられている。王は眼鏡を時折指で押し上げ、黙々と作業を続ける。


 既に夜も深い。宮殿全体が眠りにつき、この執務室の周囲にも最低限の警備しかない。扉もカーテンも閉め切られ、完全に密閉されたこの部屋では、蝋燭の灯りだけがゆらゆらと揺れていた。


「来たか」


 急に王はそう呟いた。そしてペンを止め、両手で書類を揃える。


「遅かったな。まだ本調子ではないのか」


 机の上を片付けながら、虚空に向かって話しかけていた。執務室には何ら変わった所はない。鍵も掛かったまま。カーテンも揺らぎさえしていない。しかし、何かが王に答えた。


「余計なお世話だよ。そういうアルバの調子は良いみたいだね。暫く見ない間にこんなに散らかすなんて。あの地下の部屋と変わらないじゃないか」

「また片付ける気か。警備を呼ぶぞ」

「悪くない考えだ。ご自慢の王の毒剣でも呼べばいい」


 部屋に響くその声は、かなり不機嫌そうにそう言った。


「返答次第ではただじゃおかない。どうしてレイが攫われたんだ。いや、理由はこの際いいよ。でもなぜ僕に言わなかった。僕に黙ったまま、最初からあの筋書きを考えていたの?」

「考えていた。だが悪意があって黙っていた訳ではない。知らなくてもいい事、だからだ」


 王の返答に声は黙る。姿は見えなくても、露骨に顔をしかめたのが分かった。


「その言い回し。ここ数日、随分レイと仲良くやっていたんだね。この裏切者」

「私がお前を裏切る筈がないだろう。お前を敵に回せばどうなるかはよく分かっている」

「そうだね。アルバが復権するまでに僕がやった事を、国中に触れ回っていたと思うよ」


 声の不機嫌さを警戒する様子もなく、王は話しながら紅茶を注いで一口飲む。すっかり冷めていて、顔をしかめた。


「アルバを地下室から出してしまったのは、言い訳できないよ、僕の責任だ。だからせめて犠牲なく終わらせようと力を貸した。反対派を脅迫して、嘘の噂を流して、暗殺者の類も返り討ちにした。マキノにさえ、黙ったまま」

「ふ。しかし王の毒剣とは大層な名前も付いたものだ。この国の全てに精通し諜報暗殺に優れた、少なく見積もっても百人規模の秘密部隊らしいぞ、お前は」

「変わり者の力を知らなかったらそう思うだろうさ。顔のない僕は謎のまま。毒剣は僕一人。そう思っていたんだけど? いつの間に毒剣は正式な組織名になって、正式な人員まで補充したのさ」

「お前が勝手に出立した直後だ。どれだけ強い切り札でも勝手に出歩かれては無価値だからな」

「ああそうですか。誉めてくれてありがとう」


 声はあからさまに皮肉を口にする。一国の王に対する口の利き方ではないが、王もそれを咎めなかった。そして終始不機嫌な声に対して、王は溜息をついて話を続ける。


「いいか。そもそもこの状況はあの女が第二回世界会談に姿を現した時から想定できた事態だ。お前に話さなかったのは話した所でどうにもならない事だからだ」

「どうにもならない?」

「お前の目下の目標はヴォルフを倒す事だったろう。それ以降の話をした所でお前は取り合ったか? 今を重んじるばかり未来を軽んじるお前が、戦後の事にまで気を配ったとでも?」


 見透かしたようなその言葉に対して、声は心底嫌そうに唸った。

 やはりこの男とは、相容れない。


「偉そうな事を言わないでよ。アルバが黙っていたおかげで、僕らは戦いに集中出来たって言いたいの?」

「その通りだ。そして同盟軍の刺客が到着する前に、私の毒剣がレイを確保し保護した。今日までここから一歩も出さなかったから、随分と暇そうにしていたがな」

「はあ? じ、じゃあ僕達が必死に探している間、レイはアルバの隣で茶菓子でも食べていたって事?」


 疑問を口にしながら、声はその状況に納得していた。牢獄にも地下室にも彼女の姿が無かったのは仲間達から聞いていた。そんな分かりやすい所にいたなら、彼等だけでなく同盟の刺客も見つけただろう。だが王の執務室までは手が及ばない。近付いたというだけで国際問題になりかねないのだから。


「とにかく時間が必要だった。あの女の処遇は国の今後を決める重要事項だったからな。全ての要素が揃ってから検討する必要があった」

「……調子の良い事言ってるけど、その前に僕が全てを台無しにするとは考えなかったの? 事と次第によっては、僕が第二のスローンになっても良かったんだけど」

「しないさ。お前は」

「知ったような事を」


 だが実際しなかった。そういう男だと王は知っていたのだ。逆に声も、王の事をよく知っていた。意見は合わず、性格も合わない。互いに分かっているのは、この男は決して自分を裏切らないという事だけだ。


「これだから、僕はあなたが嫌いなんだ」

「ほう。これは奇遇だな。実は私もだ」

「僕達は気が合うね」

「まったくだな」


 嫌いと言いながらも、声はどこか諦めている風でもあった。それが国王と忠臣とのよくある関係だとは気付いていない。だが王は気付いていた。だからこそ、この男を誰よりも信頼し、そしてこの男に最後の決定を任せていたのだから。


「で、一応聞こうか。アルバは、これからどんな筋書きを考えているの?」


 王は不服そうな声の態度に笑っていた。そして概要を説明する。自身の野望と、この男の望みを合わせた妥協点を。王にしてみれば、最大限譲歩した極めて良心的かつ平和的な解決策を。


 だが声は、言葉に詰まっていた。


「……あのさ。アルバ、本当に世界を平和にしようとか、そういう事考えてる?」



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