表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
変わり者の物語  作者: あなぐま
第4章 道の先
49/57

第40話 平原の戦い

 剣を手に、盾を構え。

 同盟軍は雄叫びを上げながら地を蹴った。

 無数のそれが重なり合い、大地を轟かせる様は山津波のようだった。


 その眼前に映るのは、同じく迫る漆黒の壁。

 大盾大槍を構え、平原を呑み込みながら押し寄せてくる黒の軍勢。

 西方諸国の兵にとっては敵、黒の軍勢を見るのはこれが初めてだ。


 鋼の鎧で身を包んだ大柄な兵士だ。兜の隙間から見えるのは獣のように鋭い目。その下から漏れる熱い吐息。魔族によって戦う為だけに創り出された種族、カドモス。強靭な体に人間並みの知能、そして何より敵を殺すというその一点に特化された残忍性を持つ魔物。


 この体格差でぶつかれば間違いなく人間の方が吹き飛ばされる。止まらない体に反して恐怖が頭を埋め尽くした。だが隣では、自分達を煽り立てたあの騎士王が先陣を切って走っている。それだけで恐怖を超える熱い火が灯った。この覚悟は王からも借り物だ。だがそれでも、灯った火は紛れもなく本物だった。


「作戦開始」


 本部から短い指示が飛ぶ。


 同時に戦場より遠く後方、同盟軍本陣で出番を待っていた者達が一斉に動き始めた。激突直前の同盟軍に一瞬、影が落ちる。直後、目の前の黒の軍勢に石礫の雨が叩きつけられた。


「次弾、撃て」


 弓矢も、同盟軍も、彼等の理解も追い越す速さで、本陣に並ぶ数十の投石器から再び石礫が発射される。それは再び狙い違わず敵陣に着弾、粉砕し、周囲の兵を根こそぎ薙ぎ倒した。


 突然の事で、迷いなく走り続けていた同盟軍の足が僅かに止まる。攻撃が終わるまで待つべきか、ここで留まって敵を引き付けるべきか、そんな考えが彼等の脳裏を掠める。


「おおおらぁあああああああああ!!」


 一人の傭兵がそこから飛び出した。


 周囲の動揺も降り注ぐ投石も完全無視。体を掠める矢も瓦礫も物ともせず、全力で走り続け、鞘に手を添え、力強く柄を握り、そして抜き放った。


 先頭の黒の兵が斬り捨てると同時に敵陣に頭から突っ込み、獣のように吠えながら猛然と突き進む。それに続いて同盟軍の足に力が戻り、僅かに崩れた黒の軍勢と正面から激突する。戦いが始まった。


 敵も味方も入り乱れた激戦の中、剣戟の音と叫び声が潰し合うように響き渡る。だがその中でも、真っ先に切り込んだ命知らずの傭兵の唸り声は、誰よりもうるさくがなり続けていた。


 そしてそれは、冬の魔法を通して本部にまで轟いていた。


「何やってんのアレク!?」


 メイルがそれを聞き間違える筈もない。


 地図上で一つ明らかに前に出過ぎた駒が見えるが、間違いない。気を付けてと、無茶はするなと散々声をかけて、生返事だろうが曖昧にだろうが奴は分かったとか何とか言っていた気がする。だが、何をどう気を付けたらこんな事になる。話が違う。


「いや、それよりあれ投石器だよね。攻城兵器でしょ? 人に向けて使う?」

「いえまあ、城壁が壊せるくらいですから、敵だって倒せるでしょうね」


 マキノは他人事のように冷静に分析した。


 だが、この本陣から最前線までどれだけの距離があると思っている。桁違いの射程に、この正確性と破壊力。どれもがメイルが知る現代兵器の常識を軽く超えている。


 アルバの仕業だった。これは元々、岩のドラゴン討伐戦において開発されたエレンブルクの最新兵器だ。当時の作戦こそ無惨な結果に終わったものの、アルバ指揮下で復讐に燃える職人達が大量生産し、今ここに絶大な戦果を上げている。


 第三次攻撃、第四次攻撃が次々と放たれる。投石は敵味方が完全に混じるまでに全て撃ち尽くす算段だ。黒の軍に同様の兵器が無い事も確認済み。初戦はこれで少しでも優位に立てるだろう。


「あの食わせ者め」


 ガレノールだけが人知れず舌打ちした。本来ならばもっと敵を引き付けた所で使用するつもりだった。自軍も巻き添えになるが、その方が戦果は大きい、必要な犠牲だ。だがあのグラム王が先陣を切ると言い出した事でガレノールの予定が狂った。面倒な事だ。あの王は兵を庇う為に、己の身分を盾にしているのだ。


「進め! このまま押し切る!」


 当のグラム王は、本部の悩みなど全く無視して前線で戦い続けている。戦争全体を鼓舞するこの戦場では、王を含めて派手な面子が揃えられていた。


 派手さ筆頭だったアレクは、既に遥か先に切り込んで単身暴れ続けている。どうも小隊長に相当するカドモスに狙いを定めたようだ。

 恍惚とした表情で敵を斬っている老騎士はラビア王国が誇る剣の死神、フェリックス。統一戦争中にはジーギルと何度も引き分けた人格破綻者で、うっかり斬られないように味方も彼から距離を取っている。

 身の丈を超える巨大なハルバードを振るっていたのは山猫のリューロンだ。ドラゴンの血が混じる彼は超重量級の武器を楽々と使いこなし、一振りする毎に数人の敵を薙ぎ倒している。

 そのお目付け役であるナルウィは彼の背後を護っていた。魔物嫌いの狂信者は、気のせいか普段より活き活きとして見えるくらいだった。


 他の戦闘も思ったより善戦している。魔物の兵が相手でも同盟軍は一歩も退かず、彼等の奮戦ぶりを見てその周囲も益々力を増す。


 そこに、矢が降り注いだ。


 戦っていた兵が一斉に倒れた。一方で敵兵は盾を上に構えて当然のようにそれを受け止め、倒れた同盟軍に次々と止めを刺す。そして再び盾を構えた。咄嗟にグラム王もそれに倣うが、間に合わなかった仲間が再び一斉攻撃の餌食になる。そしてまた、一人ずつ、丁寧に、止めが刺されていく。


「邪魔を、するな!!」


 怒りの叫びと共に黄金の光が爆発した。ウィリアムが振るったアルカシアが、彼を足止めしていた数人の兵を鎧ごと粉砕する。三度上空から矢が迫るが、ウィルは仲間の下へ駆け寄り、それを薙ぎ払うように打ち消した。そして敵陣を睨みつける。


 その先にいたのは密集していた黒の弓兵部隊。ウィルは敵陣の隙間を縫うように走り、あっという間に密集陣形に辿り着き、そして剣を大きく振り上げる。


「あれが……」


 遠くからその光を見た兵が思わず呟いた。弓兵部隊を押し潰した英雄の一撃、戦場を照らす黄金の光。それはこの圧倒的な劣勢の中にあって、目に見える確かな勝利への希望だった。歓声が上がり、士気が高まる。


「後退、だと」


 一方で左翼騎兵部隊を率いていたジーギルに、本部から思わぬ命令が届いていた。部隊長の肩に乗った氷細工の鳥が、ガレノールの声で喋り続ける。


「側面に回り込んでいた敵部隊が二手に分かれた。丘の陰に隠れながら時間差で突撃してくるだろう。第一波はそこの部隊が、そしてお前達は後退して遠回りしてくる第二派を逆に奇襲しろ」


 言われてジーギルは目を向けるが、あの丘の向こうに敵がいると言われても見える訳もない。隣で共に戦っていたギブスに目を遣るが、彼も厭らしい笑顔のまま肩をすくめるばかりだ。


「了解した」


 それだけ答えると、ジーギルは溜息をつきながら白銀の剣で背後を一閃。黒の兵は近付く事すらできずに両断されてバタバタと倒れた。そして鐙で馬の腹を叩くと、騎兵を引き連れて走り出す。


「ヒヒッ、安全地帯で胡坐をかいている臆病者共の方が、現場より現場が見えているって? なかなか不思議な話だなぁ団長殿」

「やめろギブス。その発言も聞かれている」

「そいつは怖い。じゃあこの戦争が終わった後、オレは金を受け取り次第さっさと逃げなきゃあいかんな」

「金は仕送りにするから、大勢が決した時点でケツをまくれ。短い付き合いだったな。私はこのまま敵の正面を迎え撃つ。お前は丘を登ってその側面を叩け」

「了解了解。仰せのままに」


 ギブスは厭らしい顔のまま、七騎を引き連れジーギルと別れた。本部の指示は半信半疑だったが、ジーギルも指示の通りに九騎を引き連れ馬を走らせる。


 そして、いた。

 丘の陰から鋼の鎧がちらりと見えたのだ。


「ほう」


 短い感嘆の声を漏らすとジーギルは白銀を逆手に握る。一瞬その手がぶれると、まだ輪郭しか見えない敵兵が鎧ごと縦に割れた。そこで敵が動揺した所を丘から駆け下りてきたギブス達七騎が蹴散らす。次いでジーギル達九騎が正面から残りを押し潰した。


「敵部隊、殲滅しました。こちらも所定の位置へ戻ります」


 遠目にその様子を確認した部隊長は、氷の鳥にそう報告する。


 本部でその声を受け取っていたガレノールは、敵の駒を無言で地図から払い落とした。冬の印が付いた味方の駒は、払い落とすまでもなく勝手に動き続ける。


「凄い……」


 その手慣れた様子を見て、メイルは呟いた。


 ガレノールの手元にある氷の球からは、ひっきりなしに各戦線からの報告が聞こえてくる。それを基に指揮官達が指示を飛ばし、同時に敵の配置を表す駒を何人かの兵が動かし続けていた。


 カトルに喩えるなら数十の盤面を同時に動かしているような物だ。しかもこれだけ大規模な魔法が使われているというのに、冬の魔法使いは相変わらず暇そうに葡萄酒を飲んでいるだけ。まだまだ余裕がある。


「こんな戦い方が、可能なんだ……」


 メイルは冬をカトルで倒す為に、当然その専門書から軍記や戦略史まで幅広く読破した。しかしそのどれを引き合いに出しても、ガレノールと冬の戦い方は常識破りだとしか言いようがない。


 しかし一つ、不安が残る。

 それはマキノの口から出てきた。


「メイルさん。敵の動きはどうですか?」

「……気持ち悪いよ。気持ち悪いくらい、正確だ」


 同盟軍がこれだけ緻密で素早い作戦を駆使しているというのに、敵は一行に崩れない。メイルが思うに、指揮系統では同盟側が圧倒的に勝っている。それでも結果だけ見れば戦略的には互角で、数の分だけ押されている。


 つまりは敵陣で指揮を執っているという魔族、ベルマイア。彼が何手も先を読んだ指示を出しているのだ。そして気持ち悪いほど最善手を打ち続けている。そもそも戦略的に互角だというのもおかしい。まるでこちらに歩幅を合わせているような、様子を見ているのだと言わんばかりの動き方だ。


 底が見えない。

 相手にしているのが人間ではないのだと、思い知らされる。


「む?」


 前触れ無しに、地図上の氷の駒が一つ砕けた。それが何を意味するか分からないまま、すぐにその隣の駒も砕ける。ある国の指揮官がすぐに冬に怒鳴った。


「おい! 酒ばかり飲んで、手を抜いているのではないだろうな!」

「やかましい御仁だ。酒でも飲まないと、こんな退屈な事はやっていられないだろう」


 冬は仮面のように取り繕った顔のままぞんざいに返事をする。持っていた瓶が空になったのを確認すると、ポイと捨てて新しい瓶の蓋を開けた。


「其の駒の事なら至って正常だ。駒は予め兵に施した印の位置をなぞっているだけ。壊れたと言うのは、つまり其の兵が死んだという事だ」


 そうしてまた一気に飲み干した。そう言っている間にもまた一つ、駒が壊れる。あくまでも呑気な魔法使いの一方で、本部はすぐさま事態の深刻さを理解した。


「……まずい」


 すぐに指示が出された。


「ああ! 此方からも見えている!」


 ジーギルは上空を注意しながらそれに答える。


 氷の鳥はギブスの肩に留まっている。元々鳥を託されていた者、冬の印がついた部隊長は長槍に馬ごと体を貫かれ、地面に縫い付けられるようにして死んでいた。


 ジーギルの視線の先にいたのは、同盟軍の頭上を飛び回るカドムだった。ついさっきまで目障りに飛び回ってこちらを観察していたが、何かに当たりを付けたのか急に攻撃を開始したのだ。


 カドムは背負っていた無数の槍からおもむろに一つ引き抜き、あろう事かその高度から同盟軍の一点に向けて投げつけた。遠くてジーギルには見えない。だが、命中した筈だ。


「本部、氷の駒は壊れたか!?」

「ああ、まただ! 何が起こっている!」


 カドムはまたしても背中から槍を引き抜いた。奴は最初から魔法の起点を潰しに来ていたのだ。それが何か具体的には分からなくとも、冬が印を付けた兵士をあの高度から見分け、そして一人ずつ確実に消していっている。


 ジーギルは再びアルギュロスを振りぬいた。しかしカドムはひらりと躱す。この距離からあれほど小さな的を狙い撃ちにするには、カドムは余りに速過ぎた。


「白銀、止めろ! 何としてもだ!」


 本部から怒鳴り声が飛んでくる。これ以上あのカドムを放置すれば、指揮系統が崩れるだけでは済まない。作戦として有効だとベルマイアが判断すれば、同じ装備のカドムが山と送り込まれ、手の届かない上空から一方的に追い詰められかねない。たった一人でこのザマ。これ以上増えれば致命的だ。


 地図上の駒が、またしても壊れた。

 これで八個目になる。


 ジーギルが再び剣を振るった。当たらずとも牽制程度にはなる。こうして少しでも気を逸らしている間になんとか打開策を見つける。動きに規則性がないかと薄く目を凝らした。最早一刻の猶予もない。


 だが、そのカドムが支配する灰色の空を。

 突如どこからか放たれた炎が真っ二つに切り裂いた。


「なんだ!?」


 ジーギルだけでなく、戦場のほぼ全員がその炎に気を取られた。白銀のように一点を狙い撃つのではなく、広範囲を焼き払うドラゴンの炎。赤々と燃え盛るそれは曇天を、戦場を深紅に染め上げた。なんとか炎から脱出したカドムは、しかし続く二撃目の直撃を食らう。今度はその元が目で追えた。炎は同盟軍の本陣から放たれている。


 低く重々しい竜の咆哮が、堂々と戦場に響いた。



***



 同盟軍本陣から巨大なドラゴンが飛び立った。


 新雪のように真っ白な毛に覆われた、見た事もないほど美しいドラゴンだった。羽ばたく度にぐんぐん空高く昇り、あっという間にカドムと同じ高さにまで到達する。低い咆哮と共に、首がぐっと後ろに引かれ、二度も撃たれてボロボロになったカドムに再度炎が吐かれる。


 今度こそカドムは躱した。そしてドラゴンを撃ち抜こうと槍を構える。だがそのドラゴンの背中から、魔法使いのような重厚なローブを纏った誰かが飛び出した。カドムと同じ黒い恰好に、背中に水鳥の翼を備え、長槍を構えた女が。


「カドム・ラウ! そう言えば、あんたとの決着もまだだったわね!」

「レイ! この裏切り者が!」


 ラウは雄叫びを上げながら突撃し、レイは笑いながら躍りかかった。共に槍を手にした上空での一騎打ち。それは一瞬で決着がついた。槍を弾き上げられたラウは二本目を構える間もなく奪われたその槍で胸を貫かれ、続くレイの槍の一閃で両断された。


 落ちるカドム、バラバラと散らばる槍。

 同盟軍から歓声が上がり、ジーギルもようやく一息ついた。


「レイ!」


 構えを解いたレイの横をフィンの巨体が掠め、その背中から手を伸ばしたクライムが掻っ攫うようにレイを捕まえた。


「いきなり飛び出すなんて! 無茶しないでくれ!」

「無茶じゃないわよ。槍がどの程度の物なのか、試したかったし」

「ほ、そうかい。それで無茶して試した結果どうだったんだい?」

「ドールが闇小人に作らせた当初の力は、まあ失われてないみたい。良く刺さるし良く斬れる。少しは期待が持てそうね。と言うかフィン、無茶とかなんとか、君に言われるのは心外かな」

「ああ、目の前で小蠅が煩く飛んでいたから、目障りでついね」


 フィンはしれっとそんな毒を吐く。


 本当なら、戦場にベルマイアや蜘蛛といった厄介な敵が出てきている事を確認した上で飛び出す手筈だった。そして脇目も振らず一気に城を目指し、そこで高みの見物を決め込んでいるヴォルフの首を取る筈だったのだ。だがそれもフィンの気まぐれでブチ壊しだ。


「まあ、でも」


 クライムは遥か下の戦場を見下ろす。


 そこには圧倒的な数を誇る黒の軍勢と、それに抗う同盟軍が見えていた。戦況は芳しくない。それでも多くの兵が再起し奮戦しているのが分かる。自分達に向かって歓声を上げながら手を振っている兵達までいた。


 面倒臭がりの白イタチから、久し振りに元の大きさに戻ったフィン。幸せを運ぶという伝承を持つ雪の竜として、その姿は溜息が出るほど美しい。伝承は伝承、フィンも彼等に祝福を施すつもりは毛頭ない。それでもこうして姿を見せただけで、どれだけ多くの人間が救われたか分からない。


「らしくないわね、フィン。良い仕事したじゃない」

「何の事だい? それより二人とも掴まって。邪魔が入る前に終わらせるよ」


 そう宣言するが早いかフィンは体に力を込め、二人も慌ててしがみつく。フィンは目の前の黒の城に狙いを定めると再び加速した。


 こうして改めて向き合うと、黒の城はうんざりするほど大きかった。

 見上げる程の大きな山から削り出したような、とてつもなく巨大な建築物だ。


 フェルディアの首都ティグールにある城、それを無作為に積み重ねたような歪な造り。捻じ曲がった建物が複雑に重なり合って出来た城は、それ自体が一つの街のようだった。その下層では製鉄場の赤い光が溢れ、城中では夜の街のように火が灯り、城全体から吐かれた煙が空を黒く染め続けていた。


「最終確認だけど、ヴォルフがいるのは、あの城の最上階でいいのかい?」

「ええ。ここまで近付けば大体分かる。今もあの玉座でふんぞり返っているわ」

「よし、フィン。直接窓から乗り込む。僕とレイが行くから、すぐにフィンも……」

「危ない!!」


 レイの叫びでフィンは身を大きく翻した。

 間一髪、そこを黒い何かがこそぎ取るように掠める。


「なんだ、一体……!」


 今しがた掠めた黒い煙のような何かは、城の至る所から噴き出ていた。そのまま耳障りな音と共に城の周りを飛び回り、どんどん大きくなり、ついには巨大な竜巻のように城全体を覆ってしまった。聞こえてきたのは風の音と呼べるほど生易しいものではない。蟲の羽音だ。


 フィンは様子を見るように距離を取って飛んだ。

 黒い竜巻の正体が分かった。それは何万、何億と言う蟲の大群だ。


「レイ、あれって」

「ええ。どうやら攻勢に出ているのはベルマイアで、蜘蛛は守勢として城に陣取っているみたいね」


 首都での戦いで見た通りだ。魔法使いモーリス、蜘蛛の体は無数の蟲達によって形作られ、必要に応じて集合、拡散する事でこちらを翻弄してくる。文字通り蟻の這い出る隙間さえあればどんな場所へも侵入でき、そして複数の体に別個で固まる事で、世界各地で同時に活動できる。


「聞きたいんだけどさ」


 未だ手を出せずにいるフィンが唸る。


「あのお爺さんが操る蟲って、数に限りがあるの? それとも本人はやっぱり一人だけど、搔き集めた蟲は好き放題に使い魔として使役しているのかい?」

「いいえ。例え何人に分身して見えても、蜘蛛本人はただ一人。そして彼が操れるのは自身で呪いをかけた蟲だけよ。そこらの蟲達を無尽蔵に操れる訳じゃない」

「い、いやでもあんなの見せられたら説得力ないよ。あれで、限りがあるって?」


 クライム達の侵入を拒む蟲の壁はどんどん数を増して厚くなっていく。今に伝わる旧大戦の記録では、彼は空を覆い尽くす程の大群を率いてフェルディア中の麦を食い尽くしたと言う。つまりあれが全てではないのだ。むしろ目の前の蜘蛛が囮で、別の場所で本体が暗躍している可能性すらある。


「そうね、でも彼に限っては頭を悩ませるだけ無駄よ。どうせ考えたって分からないし、せめて素早く動かないといけないわ。時間を与えるだけ、何をしてくるか分からない奴なんだから」

「ああ、それだけ聞ければ十分さ。数に限りがあるって事は、殺し尽くせるって事だろう」


 そう言ってフィンは再び低く唸った。そしてその口に、炎を溜め始める。

 その間も蟲達は気味の悪い羽音を立ててますます数を増やしていく。


「目障りだ」


 一気に撃ち込む。黒い竜巻を削り取るように焼き尽くしていくが、飛んできた蟲が後から後からその穴を塞ぎに来る。構わずフィンは炎を吐き続けた。黒い煙が上り、煤のようになった蟲が落ちていき、それでも一向に穴は開かない。


「……駄目だ」


 クライムが茫然と呟く。溜めた炎を撃ち尽くした後も、蟲の数は減っているように見えない。むしろ当たってさえいなかったのではと疑いたくなる程だ。こちらの努力を嘲笑うかのように蟲達の羽音が強くなる。だがフィンは、それを見て低く笑った。


「健気な」


 そして、またしても炎を溜める。


「聞いていた話と随分違うね。文字通り身を挺して主を護るとは、とんだ忠義者もいたもんだ。いいさ、そこを動くな。今、焼き尽くしてやる」


 らしくもなくやる気を出しているフィンを見て、クライムとレイはなんかまずいと顔を合わせた。だが彼の言う通り、蜘蛛の壁を突破しなければヴォルフどころの話ではない。せめてあのベルマイアが戦場から引き返さない内に、城に潜り込まなければ。


 そう、クライムが無意識に戦場を見下ろした時だ。

 ますます状況が悪くなっている所を目撃した。


「レイ、まずい。あいつだ」


 黒の軍の中央で、兵達を蹴散らしながら大柄な男が突進しているのが見えていた。


 同盟軍ではない。その男は黒の本陣から飛び出して同盟軍側へ進撃している。味方である筈の黒の兵を、ただ邪魔だからという理由で殺しながら。


 これだけ遠目でも目立つほど大柄な男だった。ボサボサの茶色い髪が背中まで伸びていて、簡単なズボンを穿いているだけで上半身は裸。筋骨隆々の岩のように盛り上がった体で、その両腕は更にはち切れんばかりに膨らんでいた。


 人の姿でレイを監視していた牢獄の番人。

 狼の姿でアレクやテルルを散々に苦しめた魔物。

 その様子は、クライムが黒の城で襲われた、あの時のままだった。



***



「来やがったな」


 フェンリルの進撃に最初に反応したのはアレクだった。誰よりも前へ先行していた彼には、真っ直ぐこちらへ向かってくる暴威の塊のような男が見えていたのだ。


 その拳から逃れようと、黒の兵は逃げるように道を空ける。だが逃げ遅れた一人が、払い除けるかのように無造作に振るわれた拳を食らった。そのたった一振りで、完全武装の黒の兵が鎧ごとひしゃげ、紙切れのように宙を舞う。悪夢のような光景だった。


 アレクはその場を動かず、待ち構えるようにして剣を構えた。


 フェンリルは走りながらもその姿を変える。体が膨らみ、針のように固い毛が皮膚を突き破って全身から生えてきている。髪の中からは四つの獣の耳が、後ろからは太い尻尾が付き出した。鋭く並んだ牙の向こうに、更にもう二列の歯が並んでいる。その奥から炎の混じった熱い吐息が漏れた。辺りが僅かに暗くなる。


 人でも獣でもなく、狼男という言葉が似合う中途半端な姿でフェンリルは迫る。対してアレクは一瞬息を整えると、剣を構えて突進した。だが狼の赤い目にアレクという剣士は映っていない。単なる障害物だ。箒で塵を払うように、ただ殺す。


「受けちゃ駄目だ! アレク!」


 空からのクライムの叫び声は届かない。

 身の毛もよだつような速度で拳が迫る。

 アレクはその懐に飛び込み、剣を突き出した。


 拳が空振りし、その左肩にアレクの剣は突き刺さる。フェンリルは忌々しそうに一度叫ぶが、その脚は止まらない。アレクは剣の柄から手を離さないまま引き摺られた。


「止まれこの野郎!!」


 体を地面で削られながらアレクは右手一本でしがみつき、左手で抜いた短剣で狼を刺しまくった。それを全く意に介さず、狼は猛烈な勢いで走り続ける。黒の兵を叩き潰し、同盟軍を弾き飛ばし、どこまでも突き進む。


 それは同盟軍本部からも見えていた。



***



「なんだ。これは」


 彼等が見ていたのはアレクの駒だ。他の誰よりも先行していたその駒が、急に反転して引き返している。それも信じられない速さでだ。狼の報告はすぐに届いた。


「おのれ、あの魔物は敵陣の奥深くにいたはず。なんて速さだ」

「とにかく対応を! 前線のグラム王に指示を出しましょう!」


 にわかに本部が慌ただしくなる。


 このまま狼の進撃を許せば、たった一匹の魔物に陣形が中央突破される。それどころかこの本部にまで牙が届く。指揮官達は各国の実力者に迎撃の指示を出すが、この狼の速度に間に合うだろうか。


 メイルも不安そうにマキノの服を掴んだ。


 本部で戦闘、予想はしていた。鼓動がじわりと早くなり、掌に嫌な汗を掻く。それでも自分を安心させるように状況を確認する。


 大丈夫の筈だ。狼が来ると分かっていれば、中央に陣取っているウィルやリューロンが対抗出来るだろう。アレクにしてもこのままでは済まさない筈だ。そして万が一全てを掻い潜られても、ここには冬の魔法使いがいる。敵として戦ったからこそ分かる。この男を倒せるものなど、この世に存在しない。


「……あれ?」


 急にメイルは思考を中断して顔を上げた。きょろきょろと周囲を見回す。


「メイルさん、どうしました?」

「いや、何か聞こえる。何の音だろう」


 メイルの聴覚は人間より鋭いが、緊張の余り耳鳴りでも聞こえたのだろうか。氷の球からも変わった報告はない。地図を見る限り、狼は同盟軍側に入ってもいない。メイルも気のせいだと流そうとした。しかしそれを否定するように本部の外が騒がしくなった。


「元帥殿!」


 一人の兵が真っ青な顔で入って来る。

 対フェンリル戦に備えていた指揮官達はそれを睨みつけた。


「後にしろ! 今は忙しい!」

「逃げて下さい、今すぐ! 外に馬を用意しています!」


 上官に取り合わない悲鳴のような報告。その鬼気迫る様子に本部の人間も考えを改めた。聞こえた何かは近付くように大きくなり、メイルの心臓は速まる鼓動で破裂しそうだった。マキノは無言でその手を取って本部から出ようと踵を返した。


 一瞬の判断が生死を分ける。

 今がその局面だと感じていた。

 足を速める。手遅れになる前に。


「本部を捨てろとは何事か! 状況を……、」

「メイルさん!!」


 マキノに抱きしめられメイルの目の前が暗くなる。

 次の瞬間、轟音と共に二人の体は凄まじい力で吹き飛ばされた。

 メイルは悲鳴を上げながら、訳も分からずしがみつく。


 上も下も分からないまま信じられないほど長く滞空し。

 そして鈍い衝撃を受け、メイルは意識を失った。



***



「おい本部! おい、何とか言え!」


 突っ込んでくるフェンリルを迎え撃て。

 そう指示を出し、具体的な話をしている最中だった氷細工の鳥が、急に口を噤んだ。


 左翼で指示を受けていたギブスは苛立たし気にその頭を小突くが、鳥は知らん顔だ。しつこくすると本物の鳥さながらに指をつついて抗議の声を上げる。しかし、先程までギブスと話していた指揮官の声が、再びその口から聞こえる事はなかった。戦闘中だったジーギルが馬を走らせて戻ってくる。


「どうだ、ギブス」

「駄目だなぁ。本部の連中すっかり無口になっちまった」

「話していて、おかしな様子はなかったか?」

「奴ら高みの見物決め込めなくなって随分と泡食っていたが、その程度だ。まさかオレより先にケツまくったんじゃあるまいな」

「ない。だが……」


 考え込むジーギルの判断を、ギブスはじっと待つ。グラムの騎士達が嗅覚と呼ぶ、この騎士団長の判断に狂いはない。そんなだから目元の隈が取れないんだとギブスも思うが、今、何かが臭っている。何かが起きているのだ。


「私が行く」


 一言、そう告げた。


「本部には奇襲を受けたと考えるべきだ。左翼の指揮はゴルビガンドに任せる」

「構わんが、団長殿が抜けていいのかい? もし黄金の色男までも向かっていたら、前線が手薄になりやしないか?」

「あの責任感の強い男が持ち場を離れるとは思えん。それは私の仕事だ」


 ウィルの近くにはグラム王がいる筈だ。

 共に研鑽を積み、共に戦ってきたからこそ分かる。

 あの弟弟子なら間違いなく、同じ考えに至るだろう。


「ギブス、鳥を手放すな、いつ復旧するかも分からんからな。アルギュロスは必ずこの戦場へ戻らせる。それまで持ちこたえろ」

「ヒヒッ、嫌な言い方するね。戻ってきた剣には、ちゃんとお前さんの首も付いてるんだろうな」

「そう願う」


 ジーギルが手綱を引くと、馬が嘶いて方向を変えた。ギブスは緊張感のカケラも無い様子で、ひらひらと手を振った。


「ではでは団長殿、お気をつけて」

「ああ。割に合わない役を任せてすまんな」

「いつもの事だよお前さんと会ってからね。さっさと片付けてきてくれ」


 ジーギルは頷くと、一人馬を走らせた。目指すは同盟軍本部。馬で向かっても大分かかる、間に合うかは微妙な所だ。運が良ければそこで狼と鉢合わせる。悪ければ戦場を離れてでも更に追撃しなければならない。


 前線は、既に突破されているだろうから。



***



 恐ろしい唸り声と共に、狼の頭をした毛むくじゃらの大男が突っ込んできた。


 グラム王は庇われるようにして一人の兵に押し倒され、他の兵達が一斉に魔物に挑みかかった。そして、それが一瞬で蹴散らされた。


 部下達のバラバラになった首が、脚が、手首が降り注ぐのを見て、グラム王は喚きながら自分を庇う兵を押し退けようとした。しかし兵は頑として動かない。その間も激しい戦いの音が聞こえるが、すぐにそれも遠ざかる。前線が突破された。


「どけ!」


 ようやく王は兵を跳ね飛ばした。跳ね飛ばせた。それまでの抵抗が嘘のように兵はごろりと力なく転がる。その背中は獣の爪で鎧ごと引き裂かれていた。既に兵に息はない。王を庇った時点で死んでいたのかも知れない。遠くには今なお兵を殺し続ける狼の姿が見えた。グラム王は歯噛みし、やり場のない感情を吐き出すように天に叫んだ。


「本部から報告です!」

「遅い!」


 遅れて走ってきた小隊長に、王は八つ当たりのように噛みついた。


「奴に関する指令だろう! なぜ遅れた!」

「し、指令が途中で途切れたのです! 状況を考えると、敵が本部を襲ったとしか……」

「それで今更奴を止めろと!? だから、遅いと言うのだ!」

「陛下!」


 続いて駆け寄ってくるのは漆黒の祭服を纏った女剣士と、草色の髪をした大男だった。


「フェンリルがこちらに来ているのが見えました、間に合わず申し訳ありません」

「それと、奴にアレクがぶら下がってたぞ。何やってるんだ、あいつ」


 ナルウィとリューロン。この山猫二人を加えれば少しは足止め出来たかも知れない。そこにウィルが加わればこんな事態にはならなかった。本部への奇襲、遅れた指令、狼の進撃、間違いなく敵の作戦だ。今すぐ対応しなければならない。


「すまない。感情的になった」


 王に頭を下げられ、逆に小隊長は慌てふためく。


「奴を追う。部下の報告ではあの狼は作戦などに縛られない。このまま放置すれば国内奥深くまで侵入を許し、この戦争、勝っても負けても民は残らず喰い尽くされるだろう。馬がいる。ナルウィ、探してこい」

「いえ、リューロンなら馬より速い。私達が行きます」

「ドラゴンとの混血、だったな。任せる」

「で、では陛下、本部の意向は不明ですが、私はウィリアム殿を、」

「報せるだけでいい。既にジーギルが向かっているだろう。黄金と白銀、二人も欠かす訳にはいかん。追撃は、奴の仕事だ」


 ジーギルの下にも狼の情報は届いている筈だ。

 共に研鑽を積み、共に戦ってきたからこそ分かる。

 あの兄弟子なら、間違いなく同じ考えに至るだろう。


「小隊長、鳥を手放すな。いつ復旧するかも分からん。それと敵がどんな方法で本陣にまで奇襲をかけたか、分かり次第私に報告を……」

「分かったぞ」


 リューロンの唐突な一言で全員が振り返る。だが当のリューロンは明後日の方向を向いていた。黒の城の方角。目に付くのは城を護る蟲の大群と、それを焼き続ける雪の竜。彼が何に気付いたのか分からない。だがすぐにそれは見えた。


「馬鹿な……」


 蟲の大群を背景に見えなかった宙の一点。ゴミのように小さく見えたその「何か」は、猛烈な勢いで空を切り、王の頭上を掠め、吸い込まれるように同盟軍本陣に着弾した。



***



 二度目の衝撃でメイルは飛び上がるように目を覚ました。


 ふらつく頭を押さえながら体を起こす。視界が煙に覆われよく見えない。分かるのは至る所から聞こえる悲鳴、大勢が戦う音、三度目の衝撃、そして自分の背中からずるりと落ちる誰かの手。


「マキノ!」


 ようやくマキノに抱えられていた事に気付いた。自分の下敷きになるように倒れたマキノ。あの一瞬で庇われたのだ。メイルは青くなりながらその頬を叩くが、マキノは目を覚まさない。ピクリともしない。メイルは乱暴に胸倉を掴んで揺すった。


「いやだ! 目を覚まして! マキノ!」


 二人のすぐ近くに大きな何かが着弾し、四度目の衝撃が走った。メイルは咄嗟に飛び散る瓦礫から守るようにマキノに覆いかぶさる。


「何なの……。どうなってるんだ……」


 四度目が収まった所で周囲を見渡す。メイルがいるのは変わらず本陣のどこかだった。だが見渡す限りの全てがぐちゃぐちゃに壊れて見る影もない。すぐ傍にあるのは四発目、地面にめり込んだ鋼の塊。あれがどこからか飛んできて本部に直撃したのだろう。その本部はどこかと再び周囲を見渡し、そして見つけた。


 酷い有様だった。天幕と骨組みは潰れ、地図のあった机はひっくり返り、駒と思しき小さな氷はあちこちに散乱している。そして同じように散乱している物があった。同盟軍全体に指示を出していた、指揮官達の亡骸だった。


「そんな……」


 地図の上から投げ出された駒はもう動かない。奇跡的に無事だった氷の球からは変わらず誰かの声が聞こえて来ていて、来る筈もない指示を求めている。早く駆け寄って、指揮官の一人でも助けなければとメイルは思った。しかしマキノを置いてはいけない。


 その背後で、鋼の塊がもぞりと動いた。


 メイルは硬直して振り返れない。鋼はそのまま緩慢な動きで腕を伸ばし、地面に手をつき、徐々に体を起こした。


 本能的な危機感が恐怖心を押しのけ、メイルはゆっくりと振り返る。

 そこにいたのは、鋼の鎧で身を包んだ、巨大なトロールだった。



***



 遠く彼方、黒の軍本陣から四人目の着弾を肉眼で確認したベルマイアは、少し目を細めて様子を見る。


「少し、外れたか」


 狙いは同盟軍自慢の投石器だったが、大分右側へ逸れてしまった。当たったのは一人目とほぼ同じ地点。開戦前に此方を覗き見していた魔法使いから、蜘蛛が逆に覗き返して見つけた同盟軍の本部と思しき場所だ。


 だが次は外さない。トロールはまだ彼の後で長蛇の列を成している。ベルマイアが軽く手を上げると、その先頭が隣にまで歩み寄り、跪いた。


「ご苦労。お前も先の者と同じだ。到着次第、敵攻城兵器の破壊にのみ専念せよ。邪魔をする者は全て、蹴散らせ」


 トロールは低い唸り声と共に頷き、体を丸める。ベルマイアはそれに手をかけ、歩き出した。人間と変わらないその体躯で、トロールに比べれば小枝のように細いその腕で、魔族はさも当然のようにずるずると巨大な鋼の塊を引き摺る。そして踏み込み、走り出した。


 一歩ごとに地響きがするほど重々しく、大地が陥没するほど力強く。

 十歩ほど助走をつけた所で、ベルマイアはトロールを上空高く、投げた。


 生ける砲弾は唸り声を上げて一直線に敵陣を目指し、戦場上空を突っ切り、そして今度こそ狙い違わず同盟軍本陣、投石器群に着弾した。


 直撃を食らった投石器が粉砕され、その破片が当たって左右数基の投石器が破壊された。整備していた兵隊が蜘蛛の子を散らすように逃げ出すが、その場では既に四体のトロールが破壊の限りを尽くしていた。



***



 メイルは泣きながら動かないマキノを引き摺っていた。


 目の前で暴れ出したトロール。すぐさま兵隊が駆け付けてくれなかったなら、二人とも既に命は無かっただろう。流石のトロールとは言えこの衝撃から立ち上がっても無事ではないらしく、四体目も右腕を潰してしまっていた。しかしそれでも、その強さは一般兵が敵うものではない。


 トロールはテントの骨組みや投石器の破片を武器にして暴れている。兵は必死に抵抗するが、戦力不足も甚だしい。そこへ思い出したように巨大な狼が突っ込んでくるが、誰も、何も出来ないまま、あっという間に突破された。続いて狼を追うように大きな何かが駆け抜けていったが、本陣にいる彼等にはどうする事も出来ない。


 メイルはなんとかマキノを本部まで引き摺ってきて、荒い息を吐き、力尽きてその場に倒れた。そして同じく倒れていたガレノールと目が合った。動かない。


 ガレノールが、死んでいた。


「メイルさん」


 掠れ声がしてメイルはバッと振り向く。

 マキノだ。倒れたまま顔だけなんとか動かしてメイルを見ている。


「っ……!」


 もう言葉が出て来なかった。メイルはそのままマキノの胸に飛び込んで泣きじゃくり、何度も何度も拳で叩いた。


「あの、よく分かりませんが、許して下さい。治癒の魔法は掛け続けていますが、どうにも怪我をしてしまったらしくて……」

「そんなの知ってるよ! ばか! ばか!」


 泣き続けるメイル相手にどうすれば良いのか分からず、マキノはその背中を優しくさすった。


 震える腕に力を込めて、体を起こす。マキノは無意識にでも治癒の魔法が使えるため、気絶していようと自力で回復できる。しかし、自分の体を自分で治癒する、それは腹が減ったからと自分の体を食べているようなものだ。回復は遅く、反動もある。


 それでもマキノは自分の体に鞭を撃つ。その目は群がる兵を蹴散らして此方に迫るトロール達を捉えていた。二人がいるここが本部だと知っているのだ。そして油断なく、一人も残さず、徹底的に潰す気でいる。


「メイルさん。すみませんが、手を貸してください」


 それでメイルもトロールに気付く、涙を拭きながらマキノを支える。息をしている暇すらない。ここは既に戦場だ。瀕死のマキノだろうが子供のメイルだろうが戦わなければならない。


 マキノは懐から小さな小袋を取り出す。

 メイルは短剣を探して腰の辺りをまさぐる。


「塵共が」


 ぞっとするほど冷たい声が聞こえてきたのは、その時だった。


 どこからか風に乗って雪が集まり、それが二人の目の前で人の形を取り始める。長い純白の髪、薄手の布を重ねた白い服、全身に纏った銀細工。そして身の丈を超える程の、細く美しい杖。あの一瞬をどんな魔法で回避したのか、この魔法使いは傷一つ負っていなかった。


 現れた冬の魔法使いはちらりと後ろを振り返る。傷だらけのマキノと泣き腫らした目をしたメイル。そんな二人を全く無視して、その更に後ろを見ていた。そこにあったのは砕け散った氷の椅子と、小振りなグラス、そして割れた酒瓶。


「酒が、零れた」


 憎々し気に目の前のトロールを睨みつける。


「さて数が増えたが、どいつの仕業だったかな」


 そして長い杖で、地面を一突きした。


「お前か?」


 一瞬にしてその周囲に無数の氷塊が現れる。

 そしてゆらりと動くと、冬の合図と共に一斉にトロール目掛けて襲い掛かった。



***



 低い唸り声を上げると、フィンは歯を食いしばり、溢れ返るような苛立たしさを炎に変えて吐き出した。


「どう、レイ! 蜘蛛の場所、掴めそう!?」

「全然駄目ね! 分かってたけど!」


 盛んに羽ばたいてその場を維持しつつ、フィンは炎を撃ち続ける。さっきの一発より更に威力が上がっていたが、景気よく蟲達を消しながらも、やはりその全てを焼くには至らない。


 手伝う事も出来ないレイは、本体である魔法使いの居場所を探っていた。だがあれほど有能な魔法使いが一度逃げに徹すれば、同じ魔族のレイでも見つけるのは不可能だった。


「何とか他の手を考えるしか無いわ! 名案でも!?」

「ないよ! フィンでも駄目なら、もうどうしようも……」

「駄目って何さ、クライムに、そんな事、言われる筋合いは、ない」


 炎を吐きながら、器用な事にフィンが背中越しに反論してきた。

 その途端、これ以上ないほど威力を上げていた炎が、更に勢いを増した。


「うわ、ちょっと! フィン!?」


 火の粉がクライム達にまで飛んでくる。流れ出る汗が熱さで蒸発しそうだ。やり過ぎだと叫びそうになったが、見ればその効果はあった。


 そして遂に、その勢いから逃げるように蟲の嵐に隙間が出来た。


「突っ込め!」


 クライムとレイは同時に叫び、聞くまでもなくフィンは飛び込んだ。


 炎が残る嵐の隙間の向こうから、ようやく黒の城の街並みが見えていた。煤になった何かが絶えず降り注ぎ、徐々に周りの蟲達も集まって来る。だがこの機を逃すまいとフィンは全力で飛び続け、二人も必死にしがみついた。


 そしてその鼻先がとうとう嵐を超えた、その瞬間。

 緩慢に動いていた蟲達が堰を切ったようにフィンに襲い掛かった。


「くそ! レイ!」


 目の前が蟲だらけだ。二人は武器を抜いて手当たり次第にそれを払う。しかし既にフィンは体中びっしりと蟲達に取りつかれている。振り返れば、今しがた突破した嵐の隙間は当然のように塞がっていた。誘われたのだ。


 クライムが一匹の蟲を倒す一方で、千を超える蟲がフィンの体に噛みつく。フィンはうねるように宙で悶えるが、食いついた蟲は全く振り払えない。


「ああ、もう、面倒だ……」


 二人が聞いたのは、そんな諦めの声だった。ようやく蜘蛛の妨害を抜けた黒の街の真上で、フィンは力無く羽ばたくのをやめた。気持ちの悪い一瞬の浮遊感、このままでは街に落ちる。


「しっかりしろ! 僕達がすぐに、」


 何とかするから。

 そう口にする前に、ふっとクライムは宙に取り残された。


「あれ?」


 隣を見れば、レイも同じように呆けた顔でクライムを見ている。そして周りにはやはり同じように取り残された蟲達がいた。まるでフィンだけが、霞の如く消えてしまったかのようだった。夢でも見ているかのような事態を受け入れる間もなく、現実は容赦なくその全てを落とし始める。


 そのクライムの頭に、すとんと小さな白イタチが飛び乗った。


「面倒だから、着地は任せるよ」


 巨大なドラゴンから小憎らしい白イタチへ、一瞬で姿を変えたフィンは飄々とそんな事を言った。遅れてレイがようやく状況を理解して絶叫する。


「こ、の……!!」


 続くクライムの怨嗟の声は、あっという間に黒の街へと落ちて行った。


 そう言えば自分達も飛べたのだと二人が気付き、レイが翼を生み出しクライムが鴻に変身したのは激突直前。結局二人はなんとも無様な形で地面にめり込み、雨の如く降り注ぐ蟲を避けるようにして黒の城へと向かった。


 フィンへの恨み言もほどほどに。

 クライムは剣を抜き。

 レイは不死殺しの槍を構えて黒鋼の街を走る。


 天高くそびえる黒の城、その最上階。本来ならそこへ直接乗り込む筈が、二人が走るのは地下とも言うべき下層だった。蜘蛛の使い魔が空を飛び回っている以上、今から再び飛ぶ訳にもいかない。


 遠くから見れば城下町のようだったこの下層部も、実際に見てみれば軍事拠点の寄せ集めのような構造だった。武器庫、門衛棟、側塔などがひしめき、その隙間を縫うように階段や橋が伸びている。


 そして更に下層では巨大な製鉄所と武器工房が稼働しており、今もカドモス達が武具や兵器を作り続けていた。奈落の底では溶けた鉄が大河のように流れ、赤い光が揺らめき、朦々と煙が立ち込めている。まるで火口の上に街が建っているようだ。


 逆に上を見れば、絶望するほど遥か高みに目的地が見えていた。かつてクライムが一人で何日も彷徨った広大なこの城を、再び通り抜けなければならない。そして黒の王にたった三人で戦いを挑み、効くかどうかも分からないこの槍を突き立てる。それが彼等の作戦だ。


 二人の走る先、上層へと続く城門が開き、中から重武装の衛兵が押し寄せてきた。そんな連中まともに相手をしている暇はない。どれだけ無茶な作戦でも、後ろで戦う者達全ての命運がかかっているのだ。


 フィンがさっと後ろに退がると、クライムは走りながらトロールに変身して鈍い声で吠える。その巨体に隠れて跳躍したレイは、空中で槍を構え直して狙いを定める。


 そして突進するクライムに合わせ、衛兵達目掛けて一気に切り込んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ