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変わり者の物語  作者: あなぐま
第4章 道の先
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第38話 山猫騎士団の集結

 隊列を喰い破って、巨大な狼が地面を駆ける。


 馬に乗って走り続けるアレクの目の前で、体当たりで死んだ馬が、上半身をこそぎ取られて宙を舞う騎士が勢いよく転がってくる。アレクは手綱を操ってなんとかそれを躱す。再び顔を上げれば遠くには黒煙を吐き続ける街が見えた。あと少しだ。


「くそ! ついてねぇ!」


 視界の端では、馬ごと騎士を喰い殺した巨獣が土煙をあげながら方向転換し、再びこちらへ向かってきていた。残る騎兵はアレクを含めて八騎。馬も人も、汗が滝のように流れていた。


「うまく直前で躱せよ! 奴の方が速いぞ!」

「矢でも槍でも撃ちまくれ! 近づけさせるな!」


 焦げ茶色の体毛に覆われた巨大な狼が、地響きと共に猛然と走って来る。あっという間に距離が詰まり、気付けば爛々と光る三対の目がすぐそこまで迫っていた。巨獣の足音が僅かに乱れたのを感じて、アレクは手綱を引く。


 狼は信じられないほど高く跳躍し、寸前までアレクがいた地点に頭から突っ込んだ。地面が砕け、瓦礫が飛び散り、粉塵で視界が奪われる。すぐに晴れた。狼はまだ後ろだ。並走する仲間の数を確認する。


 自分を入れて六騎。

 二人やられた。だが。


「着いたぞ! 街だ!」


 開け放たれた城門から一気に街へとなだれ込む。


 アレク達先遣隊は首都を出発してからというもの、既に二度もあの魔物の襲撃を受けている。被害を抑えるため小隊規模に分けられた中で、よりにもよって目的地直前で三度目の襲撃に遭ったアレク達は、もうついていないとしか言いようがない。


 だが街へは着いた。狼の追撃はない。頭を切り替える。


 この先遣隊の目的は敵部隊の攪乱と、開戦時に運悪く最前線に居合わせていた兵と国民の救出だ。隊を率いる髭の部隊長は敵拠点まで攻め返してやるなどと息巻いていたが、そんな余裕はない。兵の安全が優先だ。


 そしてその兵の中には、アレク達の顔見知りがいる筈だ。エイセルの命令により黒の城を偵察すべく先行していたグラムの騎士が。奴等なら間違いなく一番危険な戦場で延々と粘っているだろう。そしてその戦場とは、この街であるはずなのだ。


 ボロボロになった街の中央街道を六人の騎士が全速力で突っ切る。

 あちこちから聞こえる剣戟の音から、ここに生き残りがいる事は間違いない。

 そして探すまでもなく、街道の先を埋め尽くすように攻めてきている敵の軍隊が見えた。


 黒っぽい鋼の鎧を纏った大柄な魔族軍の兵隊。

 それを足止めしようと奮闘する、灰白色の鎧を纏ったフェルディア兵。


 そして、いた。


 フェルディア兵に紛れて、見覚えのある赤毛が戦っている。

 アレクを含めた六騎は馬上で剣を構えた。


「どけぇええ!」


 アレクの雄叫びでフェルディア兵が気付き、彼等が飛び退いた所に一気に切り込んだ。騎馬の突進で弾き、すれ違い様に斬り捨て、密集しすぎて動けない敵前衛を蹴散らす。そして一旦離脱した六騎は、生き残りを囲んで再び隊列を組み直した。


 フェルディア兵は自分を護るように背にする仲間の出現に喜びを隠せない様子だ。

 鋼の兵士、カドモス達も、現れた騎兵に対して敵意を新たにする。

 そんな中でただ一人、赤毛の女騎士だけが馬上のアレクに対して吠えた。


「ちょっと! 邪魔しないでくれる!?」

「うるせぇ! 邪魔はお前だろうが!」


 無事でよかった。

 そんな言葉の代わりに、懐かしい暴言が口を衝いて出た。

 首都の剣闘場で互いを磨き合っていた、あの頃のままの。


 その戦闘でアレク達が救出したのは、グラムの赤毛の騎士、ヴィッツを含めて二十人。騎兵の機動力と街の地形を駆使して敵を振り回し、城壁を破壊して侵入してきた狼とすれ違いになるようにして全員が脱出に成功した。


 引き返す道中、別経路で生存者を探していた小隊と次々合流する。

 そして最終合流地点には、到着していた本隊と溢れんばかりの難民が詰めかけていた。


「テルル!」


 ヴィッツはすぐに逸れていた相方を見つけた。大勢の負傷者が横たわる中でも、彼女の青黒い長髪は目を引く。重傷だった。体中に包帯が巻かれ、その全てが赤黒く変色している。ヴィッツは乱暴にその手を取ると、傷に障るのもお構いなしに強く握って顔を埋めた。包帯の向こうから途切れ途切れに声が漏れる。


「……次に、会ったら」

「何よ」

「次に会ったら、殴ってやると、言われたが、」

「今度にしてあげる。でも覚えておきなさいよ」

「そう言うな。お前は、必ず、帰らないと」


 言われてヴィッツは胸元の何かを服越しに確かめた。

 分かってる、と小さく呟く。


 駆け寄ったヴィッツに遅れて、馬を留めたアレクが歩いてきた。皮の鎧にマントを羽織った軽装で、腰にはボロボロの長剣と血濡れの小斧を二本差している。頭を動かせないテルルは軽く目を閉じて会釈した。


「借りが出来たな」

「貸しは作らねぇ」


 見れば周囲でも同じように、再会出来た者達や、出来なかった者達が言葉を交わしていた。アレクにしてもようやく見つけた仲間を前に一息つきたい所だ。しかしこの場にいるべき者が、一人足りない。


「リメネスはどこだ」


 黒の城に向かったグラムの騎士は三人だった。二人の師匠、あの金色の髪をなびかせた寡黙な女騎士が見当たらない。確かめるまでもない無神経な問いだったが、この場で遠慮する神経などアレクにはない。


 ヴィッツは答えなかった。

 テルルも無言で目を閉じた。


「そうか」


 アレクもその一言だ。

 嘆いている暇はない。まずは。


「お互い、話さなきゃならない事が、色々とありそうだな」


 どっかりとその場に腰を降ろし、剣を腰から引き抜いて地面に置いた。ヴィッツはテルルの手から顔を上げ、テルルもなんとか首を動かす。


 アレクはすぐさま話し始めた。首都における第一回世界会談、その直前に出発した二人に分かるよう、作戦の経緯と顛末、そしてアレク達がここへ来るまでの事だ。


 この合流地点は丘の狭間にあり簡単に見つかりはしない。それでも今日一日他の合流を待って明朝には出発する。既に日は暮れ始めた。時間はない。二人もすぐに内容を飲み込んだ。


「そう、エイセルがね」


 腕を組んだままヴィッツがふんと鼻を鳴らす。


「ヴィア姐に子供を頼んでおいて自分だけ先にくたばるなんて、結局最後までだらしないんだから」

「だが敵将、カドムを十人も討ち取った、というのは大きい」


 テルルは自分達の経緯も説明する。ここに至るまでの度重なる戦闘において、翼を持つカドムの実力、機動力を活かした統率力と戦闘力の異常な高さについても、併せて話した。


 それは威力偵察としての彼女達の役割を十二分に果たした情報だった。テルルは言葉を続ける。敵の主力である鋼の兵隊、カドモスについて。少数ながらも配備されているトロールについて。総司令ベルマイアが退いてからの指揮系統について。そして敵部隊の侵攻とは全く無関係に出現するあの狼、他とは明らかに異質な空気を持つ巨大な魔物について。


「余りにも手が付けられないから、テルル達には誘導をお願いしていたのよ。奴自身はそれほど戦略的に動いている風でもなかったし」

「フェルディア兵には、感謝しないといけないな。剣も魔法も通じなくて、このザマだ」

「ああ、マキノの奴が言ってたな。あの、なんだ、確か……」


 星喰らいの狼。


「……フェンリル?」


 テルルが信じられないといった顔をする。アレクも戦ったのは今回が初めてで、それ以前は遠目に一度見たきり。実際に遭遇したのはクライムだった。黒の城に囚われていたレイを救出する際に襲われたという。人から狼へと姿を変え、三重の顎で岩でも何でも喰いまくっていたと。


「創世神話の、怪物か。太陽を喰らったというのは眉唾だが、実際に戦ってみると、簡単に笑い飛ばせないのは、困りものだな」

「今更なによ、魔族にしたって伝説級の相手でしょ。息をして心臓が動いているなら十分。殺せるわ」


 そうヴィッツは断言し、アレクも同意する。

 問題はその手段が手元にない以上、逃げ回るしか術がない事だ。

 そう、逃げ回るしかない。これは撤退戦なのだ。


「でも、やばいわよね」


 ヴィッツは視線を上げて顔をしかめる。戦地のど真ん中とは思えない人混み、しかもそのほぼ全てが難民だ。生存者を搔き集めるという目的は大成功だが、集めた彼等をどうしろと言うのか。


 馬車で来ている者はまだいい。馬もなく、荷物も捨て、家族を連れて徒歩で来ている者が余りに多い。しかも怪我と疲労と空腹で満足にも動けない、それがこの数。これを護りつつ敵の侵攻を抑え、フェンリルの脅威に怯えながら唯ひたすら西へと進む。だが、どこまで。


「魔族侵攻の報せはアルバの野郎、国王から全土に通達されてる。どこも自領を護るのに大忙しで、必要最低限の駐留軍の他は大した戦力も残してねぇだろ」

「嫌になるわね。その、防衛線的な物もあるんでしょ?」

「知るか。今頃大急ぎで作ってんだろ、どっかでよ」

「どっかって、どこよ。私達どこまで逃げればいいのよ……」


 先の見えない戦いに、流石のヴィッツも疲れが隠せない。それは皆も同じ事だろう。出発前は元気一杯だった髭の部隊長も、今となっては錯乱して泡を吹くばかりだ。誇り高く非現実的で、味方ごと理想に殉じようとする。いかにもクライムが嫌いそうなフェルディア人だ。


 この場にいる者に戦意がある者は殆どいない。

 ただ、この地獄から一刻も早く抜け出したい。そればかり考えていた。


「……すまない」


 テルルは、きつく唇を噛む。彼女は狼の爪をまともに食らった。右肩の傷は骨まで届いていて、剣士の命である利き腕は、もう一生動かない。未だ終わりの見えないこの状況で、彼女は戦力なれないのだ。


 そして夜が明ける。

 難民の移動が、開始された。



***



 地面を緩慢に這う蛇のように、難民はずるずると西を目指した。


 動きは遅い。アレク達はその最後尾で周囲を警戒しつつ、追撃する敵に仕掛け、時間を稼ぎ進路を変えさせなければならない。それも余力があればの話だ。


「斥候だ!」


 遠くからの声にアレクもヴィッツも素早く反応する。見えたのは敵の小隊だ。反転して本隊に報せようとする敵を、すぐさま騎兵が猛追撃する。こちらに向かってくる相手にしても討ち損じは許されない。二人はほぼ同時に剣を抜き、他の誰よりも早く突っ込んだ。


 それからも一日として休まる事はなかった。最初に街が見えた時は皆が歓喜したものだが、その街が無人で籠城すら出来ないと分かり、逆に空気がこれ以上ないほど重くなった。そしてまたひたすら西へ歩く。重い足を動かすごとに疲労が重なり、それがまた足を重くした。


 テルルの傷が悪化したのはそれから数日後だった。


 高熱と共に激しい痛みを訴え、全身から脂汗が噴き出ていた。

 苦しみのあまり暴れて傷が開かないよう、ヴィッツはひたすら押さえつける事しか出来ない。


「しっかりしなさい! 今アレクが医者を呼んでるから!」


 テルルは答えられない。舌を噛まないよう口に詰められた布の向こうから、声にならない悲痛が漏れるばかりだった。すぐにアレクが戻ってきた。だが一人だ。右手に雑草のような何かを、左手に湯気が立ち上る器を持っている。


「アレク! 医者は!?」

「死んでいた! 代われ!」


 アレクはヴィッツを押しのけるとテルルを押さえ、服を脱がせて包帯を取った。ヴィッツが息を呑む。フェンリルに付けられた肩口の荒々しい傷が、緑色に膿んでいたのだ。獣の爪、それも五百年も腐っていた魔物の爪を受けた結果だった。アレクは短剣を抜き、器に溜められた熱湯に突っ込んだ。


「ちょっと、何する気!?」

「前にメイルに教わった、言わば拷問の類だな。テルル、いくぞ」


 鋭い悲鳴が響き渡った。


 治療とも呼べないアレクの暴挙でテルルの意識は三日戻らず、それでも功を奏してか熱が引き、目を覚まして口が利けるようになるまで更に五日の時間を要した。


 その間、一行は二つの街を経由したが、どれもやはり無人だった。そして敵部隊の目を逸らすのに大掛かりな突撃をかけ、その三分の一が犠牲になった。こちらの斥候がフェンリルの影を捉え、十騎が誘導として出発、そして未だ帰らない。日に日に敵本隊との距離が詰まっている。


「俺か? 姉が一人いたがとっくに死んだ。親は知らん、興味もない」


 テルルの意識を迂闊に落とさないように、休息時は三人集まって他愛のない話をするのが日課だった。最初はヴィッツが騎士を志してリメネスに師事するまでの経緯。テルルも何とか、剣を学びながら魔術を齧り始めたきっかけを語る。そして今はアレクの番だ。


「知らんものは知らん。俺は故郷じゃお尋ね者だ。当時仕えていた目上の騎士を殺してから、一度も戻ってねぇ」

「殺した? ちょっと待って、どういう事?」

「あいつらが俺の姉を殺した。だから俺があいつらを殺した」

「意味分かんない」

「……つまり、お前は、師であり上官だったその、ロロという騎士に姉を殺され、やむなく、仇を取った、という事か」

「ロロを含めたあいつら五人は、領主の悪趣味の道具だった」

「師匠、よくも殺せたものね」

「ブチ殺したのは他の四人だ。ロロは、黙って俺の剣を受けた」

「そう。その人といいエイセルといい、あんた師匠には碌に恩も返せないのね」

「うっせー。俺の知った事か…………、雨だ。ヴィッツ、布」


 ほどなくして曇天から大粒の雨が降った。


 雨は翌日もやまなかった。泥沼に変わった街道がますます人の足を遅くする。敵が近い。もういつ追いつかれても不思議はなかった。もし追いつかれれば、待っているのは地獄だ。


 上で方針が決まったようだった。これ以上進むのは不可能だ。遠くに見えるのは雨にけぶる街、アレク達先遣隊が行きで通りがかった時には既に無人だった廃街。そこにどうにかして籠城し、救援を待つしか手はない。それも街まで、敵に追い付かれなければだ。


「おい、立て! 止まるな!」


 雨の中の行進で崩れ落ちる兵が出る。心が完全に折れていた。他の兵士が散々檄を飛ばしても、絶望を喚き散らすだけで一歩も動こうとしない。雨が地面を叩く中で彼の言葉を聞き取れなかったが、その悲痛な声色で周囲の顔も悪くなっていく。


「あいつ……!」


 テルルを任せてヴィッツが走る。まずい状況だ。これ以上空気が沈めば、最悪混乱した難民が散り散りになりかねない。なんとしても止めなければ。と、思っていたヴィッツの目に映ったのは、その兵を殴り飛ばしていたアレクだった。


「っ……殺せよ! もう楽にしてくれ!」

「介錯ならしてやる。自分の命は自分でけじめを付けろ」


 容赦のない言葉を浴びせるアレク。

 その周囲は、自然と足が止まっていた。

 兵は頭を抱えながら、雨とも涙とも分からないもので顔を濡らしていた。


「……勝てる訳なかったんだ」


 雨が弱まり、そんな掠れ声まで聞こえてくる。


「最初から決まっていたんだ。なのに、なんで戦うんだ。いつまで、戦えばいいんだ」


 思わず漏れる彼の言葉は、ここにいる誰もが思っていた事だった。誰も口にしなかったのは、言えば二度と立ち直れないと直感していたからだ。絶望が伝染病のように広がっていく。そんな様子を見て、アレクは歯噛みして唸った。


「いつまで、だと……!」


 少しづつ、雨がやんでいく。

 雨の音も、小さくなる。

 そして聞こえた。近付いてくる地鳴り、敵の軍靴の音だ。


 雨を蓄えたままの曇天に、気持ちの悪いほど湿気た空気。それでも視界が微かに晴れて見えたのは、追撃してきた黒の軍本隊だった。あれほどの大軍が、まさか豪雨に紛れて忍び寄って来るなど誰一人考えなかった。追いつかれた。その事実に、もうすっかり血色が悪くなっていた人々の顔から、更にさっと血の気が引いた。


 アレクは遠くに見える敵を睨む。

 難民も崩れ落ちた兵をそのままに、剣を抜いて歩を進めた。


「いつまで戦うか、そんな事も分からねぇなら俺が教えてやる!」


 周囲の兵は、逃げるべきか応戦すべきか、混乱して体が動かない。

 敵軍は完全にこちらを捉え、急ぐ必要もないとばかりに進軍してくる。


 その敵に向かって一人剣を突き付け。

 アレクは獣のように吠えた。


「死ぬまでだ!!!」


 身震いするほど勇ましい声で、アレクは吠え続ける。


「生きている限り戦い続けろ! 剣が握れるなら前へ出ろ! 俺達は戦って戦って戦い続けて! そして必ず勝つ!」


 剣を抜いてヴィッツがその隣に並ぶ。そしてアレクの檄に蹴飛ばされるように、兵達も徹底抗戦の構えを取り始める。そして戦闘は始まった。どう転ぼうと、これで最後の戦闘だ。


 数で圧倒的に劣るアレク達は一撃離脱を繰り返して時間稼ぎに徹した。盾と長槍を装備した本隊は、若干の犠牲を出しながらもじわじわと包囲を狭める。今までにない統制された動き。どこかに敵将、カドムがいるのだ。一方で難民は最後の力を振り絞り、先頭集団は既に街まで辿り着いているようだ。


 だが全ての難民が街に入るまで、どれだけの時間が掛かる。

 アレク達が街に転がり込むには隙を作るしかないが、そんな隙など敵将が許すだろうか。

 そして城門を閉めたとして、その後どうすればいい。

 救援など、こんな所まで来るのか。


 戦いながらも、兵達の頭にはそんな事ばかり浮かんでいた。そして、急に辺りが暗くなる。目の前の敵とは別に、聞き覚えのある地鳴りが近づいてきた。


「来やがった!」


 粉塵を巻き上げながら向かってくるのは、あの狼だ。

 対抗策がなく逃げるしかない相手。

 だが今は逃げ場がない。


 考える間もなく狼は突進し、顎が裂けるほど口を大きく開いたまま戦場を一直線に走り抜けた。

 アレクは転がるようにしてそれを躱し、すぐに体を起こして確認する。


 近くにいた味方がいない。腕しか残ってない物もある。そしてそれは味方だけでなく敵もだった。巻き添えに前線を喰い破られ、大勢の黒の兵がごっそりと消えている。離れた場所でようやく足を止めたフェンリルは敵も味方も一緒くたに、鋼の鎧も巨大な岩もまとめて噛み砕いていた。そして、再び助走をつけ始める。


「まずい! 止めろ!」


 誰かの声でアレクの注意が狼から逸れる。振り返れば、叫んだ誰かが今まさに弾き飛ばされている所だった。敵陣から飛び出してきていたのは、カドモスと同じく鋼の鎧に身を包んだ巨人。人間の倍程の背丈だ。全体的にずんぐり丸く手足も太いが、恐ろしいほどの速度を保ったまま走り続けている。


 トロールだ。テルルから話を聞いていたのに、完全に狼に気を取られていた。トロールは大きな斧を片手に、進路上の兵士を弾きながら走っている。その先には、まだ街に入ってもいない難民の一団がいた。


「くそ!」


 踵を返してアレクは追い掛ける。しかしトロールはずっと先を走っていた。馬でもなければ追いつけない。いや、馬があっても最早追いつけない。それでもアレクは全速力で走り続けた。手が届かない遥か向こうで、難民が逃げまどう、トロールが斧を構える。


 間に合わない。

 トロールが、斧を振り上げた。


 その時、突然だ。 

 遥か遠く、豆粒ほどにしか見えないトロール。

 それが突然、何かの冗談のようにポンと宙へ打ち上げられた。


「あ?」


 アレクの口から間抜けな声が出る。思わず足が止まった。その間にもトロールは放物線を描きながら律儀にこちらへ戻ってきて、近づくその姿はみるみる大きくなる。嫌な予感がして、咄嗟に二三歩後ろへ下がった。


 轟音と共にトロールはアレクの目の前に着弾し、大地にひびを入れるほど派手にめり込んだ。衝撃でアレクも軽々と吹っ飛ばされる。余りに突然で夢でも見ているような気分だ。しかし目の前で無様にも頭から地面に突っ込んでいるトロールは、紛れもなく現実だった。


 再びトロールの向こう、街の方角へ目を向ける。

 逃げ惑う難民達の中に、明らかに一人異質な人間が立っていた。


 僅かに見える髪は草色。

 やたらと背が高く、髪は腰の辺りまで伸びている。

 疲れ切った難民と言うには余りにガタイが良く、戦う兵士と言うには余りに無防備だった。

 男は簡素な服を着ているのみで武器は一切持っていない。まさかあの男がこの巨体を、しかもこんな遠くまで、よりにもよって素手で殴り飛ばしたとでも言うのだろうか。


 アレクはまだ事態を飲み込めない。そうこうしている内に難民を掻き分けるようにして一人、また一人と異質な人間が増えていく。彼らはちょうど街と難民を庇うようにして草色の大男の隣に並んでいった。兵士というには装備も恰好もバラバラで、強いて言うなら雑多に搔き集められた急造の傭兵集団だ。


 だがその一団に、アレクは激しく見覚えがあった。


「嘘だろおい……」



***



「これはこれは、また派手にやったものですね」


 マキノに始まり、自然と一列に揃った面々はざわざわと楽しそうに話していた。


「って言うか向こうでへたり込んでるの、アレクか?」

「彼さ。無事だと思ってはいたけれど、こうしてまた会えて安心したよ」

「先走るなと言った筈だけど、キミは本当に私の話を聞かないな」

「うるさい。こちらへ来るのが分かっていたなら、最初から打って出れば良かったんだ」

「ね、ねえみんな。分かってると思うけど、まともには戦わないでね。避難が終わるまで時間を稼いでくれるだけで良いんだからね。頼むから敵を叩きのめそうとか無茶な真似は……」

「黙れ。お前が集めておいてなんだその逃げ腰は」

「さーて行っくわよぉ。五百年溜まりに溜まったこの鬱憤、どう晴らしてくれようかしら」


 レイが目の前の敵先行部隊を見て腕を鳴らす。たった今、一撃でトロールを倒したリューロンは、鎧のように鱗で覆われた無骨な拳を確かめるように握っている。人間の体からドラゴンの右腕が直接生えたような歪な姿だったが、それもすぐに縮まり、何食わぬ顔で人の腕へと戻った。そんな彼をナルウィやウィルは諫めるが、逆にシンやコールはやる気満々だ。


 何も変わらない皆の様子に、クライムも諦めたように溜息をつく。


 あのトロールが倒されて、敵もこちらに気付いたはずだ。当初は城門前で待ち構え、アレク達を中へ誘導しつつ殿を固める予定だったが、これでもうリューロンの言う通り打って出るしかなくなった。


「御命令を」


 そんなクライムの胸中を察してか、一人の将校が後ろから近づく。歴戦を思わせる風貌に、この状況にあってなお冷静な雰囲気。そんな人間が自分の指示を仰いでくるなど、クライムにはむず痒くて仕方ない。それもこれも全部アルバのせいだ。


「は、はい。みんなを城門の外へ。そろそろ行きます」

「了解しました」


 将校の合図で、城門内へと押し寄せる難民と入れ違いになるようにして、灰白色の鎧に身を包んだフェルディア軍が駆け足で出てきた。後から後から溢れ出して城門前を埋め尽くす。それはアレク達先遣隊の当初の数を遥かに上回っていた。


 鬨の声と共に大盾を一斉に地面へ打ち付ける。

 覇気で大気が震えたような感覚をクライムは味わっていた。


「うわ……」


 むず痒い。むず痒い。

 なんでこんな事になったんだ。

 三人だけの強襲作戦だったはずだ。

 駄目元で声を掛けただけなのに、なんだってこんな何百人も集まったんだ。


「ほら行くぞ、一声かけろ」


 隣に立つ騎士、シンに脇を小突かれて、クライムが少しよろける。


「いや、なんで僕が!?」

「一度は解散した俺達山猫を呼びつけたのはお前だろうが。それに後ろの連中をフェルディア王から借りてきたのもな。まあ元々俺達に頭はいない。でもこれからは、お前が団長なんだ」


 シンの言葉にクライムは途方に暮れたような顔をするが、とにかく時間がない。

 腹を括ったように口を結ぶと、腰の剣を抜いた。


「抜剣!」


 その将校の号令で、横に並ぶ騎士達に加え、フェルディア軍も次々と剣を抜く。


 クライムは息を少し吐いて。

 大きく吸い。

 腹に力を込めた。


「山猫騎士団!!」


 集った騎士達が一斉に剣を構えた。

 遠くの敵軍が態勢を立て直しに、ゆらりと蠢く。



「やっつけろ!!!」



 間抜けな号令が轟くと同時に、城門前の全員が敵に向けて突進した。真っ先に走り出したクライムはあっという間に追い抜かされ、ウィリアム、シン、リューロンといった面々が先陣を切る。気迫と共に叫びながら大地を蹴り、アレク達に足止めされて動けずにいる敵本隊に真正面から襲い掛かる。


「なんだこりゃあ!」


 突進に巻き込まれまいと、アレク達は思わず道を譲るように横へ逃げた。


 その隙に黒の軍は一瞬で陣形を整えた。隙間なく並べられた盾で鋼の壁が出来上がり、その上部から次々と長槍が伸びてくる。後方では止まった相手から狙い撃ちにしようと弓兵が矢を番え、更にその後方ではトロールが武器を強く握る。


「任せろ!」


 ウィルの合図で、シンとリューロンは僅かに足を緩める。

 大部隊の先頭を一人走るウィルは、両手で剣を持ち換え、力を込めた。


 その剣から爆発するように金色の光が噴き出し、戦場を照らした。


 城壁の中に避難していた難民達さえ、その光に何が起こったのかとざわついていた。ウィルの後ろに続く騎士達もその美しさに思わず見とれる。そして、それを間近で食らった敵の前衛は一瞬顔を背けた。


 ウィルは光り輝く剣を構えたまま走り続け。

 敵陣にぶつかる直前で剣を大きく振り上げた。

 遠くに見えるその動作に、岩のドラゴンを倒したかつての姿が重なり、クライムは思わず息を呑む。


「打ち砕け! アルカシア!」


 剣が降り下ろされ、圧倒的な光の奔流が撃ち込まれた。


 地面が割れ、重装歩兵が吹き飛び、敵の密集陣形はたった一撃で崩壊した。

 間髪入れずにシン、リューロン、そして後続の騎士達が次々と雪崩込む。


 ウィルのアルカシア、リューロンの拳、騎士団の剣は、南部に現れた岩の怪物達を駆逐した時と同じ勢いで、山のような黒の軍を圧倒していく。主戦場とは離された場所でフェンリルも足止めを受けていた。少し遅れて、好機だと見たアレク達も再び戦闘に加わる。


 だが、黒の軍の動きは鈍らない。


 彼等にとっては未だ数で勝る上、山猫達が真正面から突っ込んできたおかげで包囲がし安くなっていたのだ。中央の部隊はどんどん押し込まれるが、その一方で、子を抱く母の腕のように両翼の部隊が足を速める。包囲が閉じれば再び陣形が立て直され、山猫達は圧殺されるだろう。


「そろそろ、かい?」


 ウィリアムは最前線で戦いながら、周囲を蠢く陣形の動きに注意を払っていた。黄金の剣アルカシアという派手な目印を見せつけつつ、それに対する敵の反応を逐一分析する。まるで姿も見えない敵将と話をしている気分だ。


 ぎゅっと柄を握る。

 再び剣が光り出し、敵が動揺した。


 見た所、敵の真意はこちらの戦力を少しでも削ぎ落す事だ。そして団長、クライムの真意は味方の犠牲を出さない事だ。ならば形振り構わず剣の力を撒き散らし、敵にはこれ以上の戦闘は割に合わないのだと知らしめ、同時に仲間の活路をこじ開ける。


 幼少期より自分を鍛え、このアルカシアを与えてくれた先生。その彼女の口癖だ。剣士は常に自由であれと。国の為、人の為に戦っても幸せになれないのだからと。今の自分の行動は完全に教えに反しているのだろう。だがこの仲間達の為ならば、彼女に背いてでも剣を取る。


 かつて同じ決意を胸に集い、共に岩のドラゴンと戦った仲間達。

 フェルディアの騎士としての誇りを取り戻させてくれた仲間達。

 そして、自分を信じ、再び必要としてくれた仲間達。


「その期待に! 今、応える!」


 ウィルは、決意を新たに剣を握る。

 対して黒の軍から冷酷な命令が発せられた。


「あの技の直後を狙え。逃がすなよ」


 轟音と主に戦場の中心で黄金の光が溢れ、黒の軍は二度目の大打撃を受ける。だがそれも彼等の想定の範囲内。旧大戦においても初代黄金の騎士があの剣で甚大な被害を齎した。今ここでどれだけの損害を出そうと、あの騎士さえ討ち取れるのならば。


「!?」


 そう考えていた黒の軍の思惑を邪魔するように、全く別方向から新たな戦端が開かれた。


 街から現れた山猫騎士団とは真逆、黒の軍の後方から突然百人規模の騎兵が現れたのだ。ウィルの一撃と同時に突っ込み、完成しつつあった包囲網を滅茶苦茶に蹂躙した。そして台風のように通り過ぎると、反転してまたこちらへと向かってくる。その姿を、クライムはようやく捉えた。


「あれは!」


 見間違える筈もない。グラムの騎士達だ。先頭を走るのはグラム王国騎士王マグヌス。それに続くのは見覚えのある山猫の騎士、ジーギル、ゴルビガンド、コムラン、ギブス、ドミニク、もういちいち確認するまでもない、全員来ている。


「なんで、みんな来れないって……!」


 クライムがマキノの鳥文を借りて山猫全員に声をかけた時、ジーギル達グラムの出身は揃って王の判断を仰ぐとだけ返事をよこし、そして今まで現れなかった。国の事情で動けないのも仕方ないと割り切っていたつもりだったが、それがどうしてグラム王旗下の正規軍が来ているのか。


「ジーギル!」


 王の合図で、ジーギルが馬を速め、騎馬隊の先頭に出た。

 そしていつものくたびれた顔のまま、腰から一振りの剣を抜き放つ。

 その姿がまさに先程の自分の姿そのままで、ウィルはすぐに理解した。


「そうか……。ジーギル、君がか!」


 敵地に居てなお、興奮と喜びが隠しきれなかった。

 そしてウィルの考えを証明するように、鋭い白銀の光が天を衝いた。


「げっ!!」


 クライムを含め、第一回会談でスローンと戦った全員が呻いた。あの時こちらに向かって振るわれた魔剣の威力は皆が、文字通りその身をもって知っている。


 だが同時に分かった。

 あの剣が今、この上なく頼もしい味方の手にあるのだと。


「切り裂け、アルギュロス」


 くたびれたジーギルの口調とは裏腹に、切っ先から伸びた銀の光は無音で一気に曇天を、雨雲を、そして黒の軍を斬った。


 敵の兵隊も陣形も、鎧を纏ったトロールまでもが何が起こったか分からないまま真っ二つに両断された。そして切り開かれた敵陣の傷を押し広げるように、グラムの騎士達が突撃をかける。


 戦場は混乱の極みだった。


 度重なる援軍の出現で黒の軍の陣形が定まらない。レイとリューロンに加えウィルにジーギルと、人外の力を持った騎士が暴れまわり完全に乱戦状態だ。加えて足止めを食らっていたフェンリルが妨害を振り切り、再び戦場を走り始めた。敵も味方も、あの狼には関係が無いらしい。


「……」


 戦闘が続く中、二人の男が睨み合っていた。


 一人は青黒い髪に煌びやかな長剣を構えたグラム国王、マグヌス。

 もう一人は鱗に覆われた顔に、他より大柄な黒の将、カドム・ロア。


 先程から黒の軍に指示を出している敵将がどこにいるのか、マグヌスは探し続け、見つけ出した。そして自軍の統率をゴルビガンドに任せると、戦闘を終結させるべく馬を降り、自ら剣を取っている。対するロアも逃げる様子はない。護衛もなくダラりと剣を下げ、静かにマグヌスを睨みつけている。二人の気迫に呑まれ、誰も手を出せずにいた。


 ロアは揺るぎない視線をマグヌスに送る。獣と同じく細い瞳孔が、更に針のように細くなっている。相手の思考も思惑も、何もかもを見透かしているようだった。


「……」


 その目が閉じられる。

 ロアは、剣を静かに収めた。


 マグヌスは構えを崩さない。だが無防備にこちらに向けられたその背中にも斬りかかる事もなかった。ロアが近くの兵に何か指示を出すと、それはあっという間に軍全体へと広がり、徐々に剣戟の音がやみ始めた。フェンリルだけが、そんな空気を読まずに破壊の限りを尽くしている。


「いい加減にせんか」


 アレクが聞いたのは、そんなしわがれた声だった。


 目の前にいるのは焦げ茶色の体毛をもった巨大な狼。目にも留まらぬ速さで暴れ回っていた筈が、そのしわがれた声に応えるようにピタリと動きを止めた。爛々と光る三対の目でアレクを睨み、三重の顎でギリギリと歯ぎしりをしながら、しかし誰に襲いかかる事もない。


 その声に聞き覚えのあったアレクは、すぐにフェンリルの肩に乗っていた蜘蛛を見つけた。毛むくじゃらで醜く膨らんだ、見るも汚らわしい蜘蛛だった。


「既に命は出ておる筈だ。戻れ」


 言葉が通じるかも怪しい怪物に向かって、蜘蛛は再度声をかける。

 アレクもフェンリルを睨み返しながら動かなかった。


 そしてしばらくして、もう他の黒の兵が撤退を始めた頃になってようやくフェンリルは顔を背けた。黒の軍は逃げるように東へと退いていき、勝利を悟ったフェルディア兵が歓声を上げ始める。だがアレクはゆっくりと歩き始めるフェンリルから目を離さない。


 狼の足が、ピタリと止まる。


 そして最後に、その口から地響きのような呪いの言葉が吐かれた。



「また、来る」



***



 重々しい音と共に、城門が閉じられる。

 僕には、それが戦場から切り離された合図のように感じた。


「はぁ」


 無理をし過ぎた。

 今すぐ倒れたいくらいだ。


「大事ないか、クライム」

「え、ええ、大丈夫です」


 バレてるとは分かっていても思わず強がった。そんな僕を横目に、ジーギルはいつも通りくたびれた様子でアルギュロスを鞘に収める。


 この人は、僕たち殿を待ってずっと門の傍にいてくれたんだ。目の下の隈は深くなっているし、相変わらず病人のように疲れ切った顔に見える。でも剣を握っていた時の彼は、魔物も裸足で逃げ出しそうな迫力があった。こうして隣に立たれるだけで安心感が凄い。


 でもこの状況じゃあ、気を抜くのはまだ早い。


 城門内は騒然としていた。東から逃れてきた難民、それを護っていたヴィッツ他フェルディア兵、アレク他先遣隊、それに僕たち山猫騎士団と、アルバからの増援、更にはマグヌス旗下グラム軍。なんでこんなに揃ったんだろう。首都に置いてきたメイルに至ってはフィンに乗って先回りしていた始末だ。その全員が街に収容されて、なんだかもう大騒ぎだった。


 勝った、助かった、とほとんどの人が盛り上がっていた。一方で大量の負傷者を手当しようと慌ただしく走り回っている人達もいる。いつからかの再会を喜んでいる人もいれば、家族を探して声を張り上げている人もいた。


「死ねぇええ!」


 そうかと思えば誰かに殴られてアレクが地面に倒れた。

 え、いや、何で!?


「久しぶりだな田舎者! 俺の前に顔を出すって事は、覚悟は出来てんだろうなぁ!」


 倒れるアレクを指さして狂暴に笑うのはグラム王と来た元山猫、ディグノーだ。アレク並みに好戦的な表情と、熊の毛皮を羽織った狩人のような恰好。よほど派手に暴れていたのか、その服もボロボロだ。アレクはプッと血を吐くと、むっくり起き上がった。


「いい度胸だこの野郎。魔族の次は、お前だな」


 そしてそのまま始まる殴り合いの喧嘩、ヤジを飛ばす人達、面倒臭そうに傍観するジーギル。あー、うん、そう言えばこの二人、最初から仲悪かったな。あの時はお酒があったのとエイセルの仲介で何とか収まったけど。……どこかにお酒とかないだろうか。


 いや、違う、そうじゃない。

 巻き込まれそうで近付けないまま声だけかける。


「ア、アレク。大丈夫なんだね? 怪我とか、ないの?」

「うるせぇモヤシ! 今取り込み中だ!」


 そして叩き返される罵声。

 うん、知ってた、そうだよね。


 いつもそうなんだ。どんな窮地に陥っても無事なのは嬉しいけど、アレクは無事過ぎる。僕がどれだけ心配したか知りもしないで。いや、もういい。あれだけ元気に喧嘩出来るなら問題ない。相手はディグノーとは言え、同じ山猫だし。


「あれ?」


 妙な物に、目が留まった。


 破れた服の合間から見えたディグノーの体に、刺青のような模様が覗いていた。腕にも、首元にも、腹にも、多分全身に。あんな物あったのか。見る事なんてなかったし、見た事もない刺青だ。でも、いや、どこかで見たような気も……。 


「ジーギル!」


 そんな僕らに、人混みに揉まれながら駆け寄って来る人がいた。ウィルだ。汗と返り血でドロドロだけど、その顔は子供のようにほころんでいる。ウィルは周囲に構わず、どうしようかと迷っているジーギルを思いっきり抱きしめた。


「来てくれると思っていた! 久しぶりだな!」

「あ、ああ。お前も変わらないな」


 無邪気に喜ぶウィルに対して、ジーギルは子供をなだめるようにその背中を叩いた。


「でも、まさか陛下と一緒とは思わなかったよ!」

「うちの国王は、会議のテーブルより戦場が好きでな。まあ、大変だった」

「そうなのか! それにしても凄いじゃないか! 白銀をもう使いこなしているなんて!」

「お前の国の王の画策で私に回ってきた。断る理由も、なかったからな」


 その姿に、岩のドラゴンを落とした後、騎士団が解散してそれぞれの国へと帰っていく二人の背中が思い起こされた。次に会う時は敵同士になるんじゃないかと怖かった。それでもウィルは友情を貫こうとして、離れていても陰ながら協力し合って、そしてこうして再会できている。また、同じ仲間として。


 黄金と白銀、フェルディアとグラムか。あの二人の騎士を見ていると、会談の場でみんなが揉めていたのが嘘みたいだ。国同士が助け合うなんて、こんな簡単に成し遂げられる事じゃないか。僕は何を恐れていたんだろう。


 でもその傍らではアレクとティグノーがボコボコと殴り合っていた。

 まったく、こいつらときたら。


「私の言う事は聞いてって、何度も言っているよね」


 そうかと思えば、咎めるようなキツい言葉が聞こえてくる。鋭い眼差しで見上げるナルウィと、まるで悪びれる様子のないリューロンだ。戦闘の熱が冷めていないのか、彼の顔には少し鱗が浮き出たままだ。


「キミ、あの髭の将軍を殺したね。彼は味方だって、私が言わないと分からなかった?」

「分からなかったな。威光だの散り際だのの為に負傷兵にまで特攻を命じるような奴は、俺の基準だと味方とは言わない」

「だから戦闘のどさくさに殺した? 良いか悪いか、善か悪か、それを決めるのはキミじゃない」

「お前の神か? あの髭の暴走を指をくわえて傍観しているような、お前の?」

「論点を摩り替えないで。……続きは後で話そう。今晩だ。逃げるなよ」

「ああ、続きは後でだな。お前こそ逃げるなよ」


 プイと互いに背を向けると、何事もなかったように離れる二人。ドラゴンとの混血と、魔物嫌いの聖職者か。全くそりが合わないようでも、それでも徹底的に話し合うから噛み合っているんだろうな。本当に変わらない。


 本当に、変わらない。みんなを覚えてる。皆と話して、一緒に笑って、その全ての積み重ねの上に今の僕があるのだから。顔の無い男を僕としてくれるのは、今まで出会った全ての人達のおかげなのだから。


 でも、そんな事を言ったら。

 またフィンに怒られるかな。



「この大馬鹿!」



 ヴィッツの怒声に、僕は我に返る。

 そうだ、ぼうっとしてはいられない。

 戦いが終わってからが大変なんだ。


 僕が走っていくと、大勢の負傷者に紛れてテルルが倒れていた。その傷口に巻かれた包帯からは、新しい血が滲んでいる。マキノが隣で治癒の魔術をかけて、メイルが袋から新しい包帯を取り出していた。


「ああ、クライムさん。良い所へ。少し手伝ってくれませんか?」

「自分が一番大怪我して腕まで潰したクセに! 他の怪我人を庇って戦う奴があるか!」


 傷ついたテルルをヴィッツが容赦なく怒鳴りつける。僕も駆け寄ってメイルを手伝った。テルルは少し申し訳なさそうに微笑んでいた。


「テルル、また無茶したの? それより腕、潰したって……」

「ああ、下手を打ってな」


 そう言いながらも、彼女はその右腕をひらひらと振って見せる。


「今は体の中に魔術を通して無理矢理動かしている。普段なら動きの補助程度なんだが、さっき咄嗟にやってみたんだ。動くには動いたんだが、ざまは無い」

「ヴィッツさんもそのくらいにしてあげて下さい。彼女もこうして無事だったんですから」

「そりゃあ身体強化の魔法があるからね! 無事でしょうよ! 今はね! この後は!?」


 ヴィッツの言葉は止まらない。

 僕もテルルの怪我を直に診るけど、確かに彼女がそこまで怒るのも納得だった。


「……軽率だったのは認める。すまかった」

「次はないわ。もしまた無理をして戦うような事があれば、敵に殺される前に、私が殺す」


 そう言ってテルル固く口を結ぶ。


「……やめてよ。本当に」


 口から出た言葉とは裏腹に、ヴィッツの拳は震えていた。


「あんたまでいなくなったら、私は、どうすれば良いのよ……」


 その姿が痛々しくて、僕はヴィッツの肩に手を掛ける。それは今まで彼女が潜り抜けてきた戦いがどれほど辛かったか、言葉より重く表しているようだった。


「ん?」


 不意に下から気配を感じた。

 僕の足元にいたのは、この場に余りにも不釣り合いな、猫。

 猫は憮然とした表情で僕らを見て、低い声でニャアと鳴いた。


「あんたは……」


 ヴィッツも猫に気付いた。どこかで見た事があるような猫だったけど、僕が思い出すよりも早く、その答えが歩いてきた。辺りの人がざわざわと姿勢を正す。


「構うな。手当を続けろ」


 そう言って周りを手で制するのは一際立派な恰好をした騎士だった。いや騎士じゃない、王様だった。グラム王国騎士王マグヌス。第二回会談で顔を合わせて以来だ。彼が来ると、猫は振り返って再びニャアと鳴いた。


「…………」


 ……ああ、思い出した。

 そうか、あの人は、ダメだったんだ。


 王の後ろにはジーギルやゴルビガンド、そして散々に殴られて顔を腫らしたディグノーもいた。構うなと言われた通り、僕らは軽く会釈するだけでテルルの手当を続ける。グラム王は軽く足を揃えて二人に声をかけた。


「ご苦労だった。交易路の復旧と障害の排除、岩のドラゴン討伐を命じてからというもの一度も国に戻れず、それでもよくぞ今まで戦い続けてくれた」

「もったいない、お言葉です、陛下」


 畏まった調子でヴィッツが答える。

 それでも、目の前の国王より、足元の猫が気になって仕方ないといった感じだった。


「その、陛下。そちらの猫は、どうして」


 戦闘が終わったばかりの今、それも国王直々に労いの言葉を貰った今、ヴィッツはそんな事を訊いた。猫はヴィッツの方へ擦り寄ってきて、盛んに臭いを嗅いでいる。グラム王も少し意外そうな顔をしたけど、猫を軽く足で小突いて面倒くさそうに言った。


「フェルディアの宮殿で放し飼いにされていた奴だ。何故か俺にまとわりついて離れない。ちょうどいい具合に大きいし非常食にでもしてやろうと連れてきたが、どうもお前達の事も知っているようだな」


 グラム王に何度小突かれても、猫はヴィッツから離れなかった。

 ヴィッツも、そしてテルルも、そんな様子を見て辛そうにしている。

 それでも意を決したように、重い口を開けた。


「それは指南役、リメネスの飼い猫だったんです。恐らく陛下から、指南役に似た何かを感じたのかと」

「……そういう事か」


 ヴィッツはぎゅっと胸元を押さえる。

 グラム王は、そんな彼女を見て何かを悟ったようだった。


「聞こう」


 顔を歪めるヴィッツを、優しく促す。

 胸元を押さえたまま、ヴィッツは淡々と答えた。


「…………。……エイセル副団長の命令を受けて、私、テルル、そして指南役の三人は黒の城へと偵察に向かいました。ですが城へと辿り着く前に、恐らく第一回会談での黒の王の宣戦布告があったのかと思われます。私達が目にしたのは既に進軍していた魔族軍と、それと交戦中のフェルディア軍。そのまま避難民を回収しつつ西へ撤退を開始しました。そして石の街アルゴでの戦闘において敵将ベルマイアと遭遇し、指南役、リメネス・ナキアが戦死。ですが結果としてベルマイアは敵地の奥へと引き返しました。今回の戦闘において勝利を収めたのも、彼女の功績といって過言ないものと、私は思います」


 ヴィッツは胸元から何かを取り出した。


 チリンと、鈴のように綺麗な音がした。

 ヴィッツが出したのは、質素で、それでもどこか綺麗な髪飾りだった。

 猫はそれが気になっていたのか、鈴の音を追いかける。

 グラム王は差し出された髪飾りを見て顔をしかめた。


「……で。なんだそれは」

「指南役から預かりました。ベルマイアとの決闘の直前に。邪魔だから、持っていてくれと」

「ふ、そうか、なるほど、邪魔、ときたか」


 心底不機嫌そうに髪飾りを受け取る。

 そして呆れたように、つぶやいた。


「……人からの贈り物を最期にわざわざ返してくるとは、相変わらず、いい度胸だな」


 贈り物。

 髪飾りの贈り物。

 国王から騎士に、というよりむしろ。


 ……よそう。これはきっと彼と彼女、二人だけの話だったんだ。


「ご、ごめんなさい……」


 震える声でそう言った。

 顔が強張ったまま、目から涙が溢れ出す。

 それが、ヴィッツの限界だった。


「ごめんなさい……! ごめんなさい王様! 私、何も出来なかった! リム姐があいつに挑んだ時、こうなるって分かっていたのに! 私じゃあいつに敵わなくて、リム姐が逃がしてくれているなら逃げなきゃとか、卑怯な言い訳ばかり考えて! これだけは! これだけは絶対に守らなくちゃとか! そんな、馬鹿な事ばっかり……!」


 涙を流すヴィッツを、グラム王が抱き寄せた。

 僕達も、周りの誰も、彼女の嘆きに対して、一言も出てこなかった。


「いいんだ。お前の所為ではない。誰の所為でもないんだ」

「リム姐、リム姐が、あ、あぁあああああああああ……!!!」


 グラム王は、その泣き声を受け止めた。

 持っていた髪飾りを、きゅっと握る。


「よく、連れ帰ってきてくれた」



***



 その晩。

 僕達はすぐさま作戦会議に招集された。


 街自体は住人が避難して空だったけど、その避難した住人も何もかもを持って逃げた訳じゃない。僅かでも水に食料、まだ使える服や武器、何より屋根のある建物に暖かいベッドが残っていた。集った兵はフェルディア、グラムと自然に別れつつ、街の適当な区画でゆっくり英気を養っている。


 一方で僕らが集められたのは街の中央付近に位置する一際大きな建物。会議室には収まり切らない人数だったから、中央エントランスに机や椅子を大量に持ち込んで代用する事になった。


 ここには山猫騎士団、グラムの王立騎士団、それにフェルディア軍からも主だった人が集まっている。僕達も何故か前の方へ押しやられて座っている。久々に顔を合わせた騎士達がざわざわと言葉を交わしていた。僕もみんなの活気に当てられて気味が悪いくらい頭も冴えてる。でも正直、かなりきつい。一度意識を手放せば、もう戻ってはこれないだろう。僕なんかこの程度だ。


「クライム、大丈夫? 具合悪そうだけど」


 後ろの席からメイルがひょいと身を乗り出す。

 まずい、平気なふり平気なふり。


「大丈夫だよメイル。大分動いたから少し疲れただけだ」

「そっか。怪我とかじゃないんだね?」

「あんまり心配しちゃ駄目よメイル。男の子はみんな格好つけなんだから」

「まったくです。死にかけの体で全力で喧嘩する人だっていますし、ねえ?」

「あ? 何の話だ」

「そうだ、喧嘩と言えばメイル。ちょっと教えて欲しい事があるんだけど、」

「うるさいよみんな。国王陛下様々がいらっしゃったみたいだ」

「あ、じゃあクライム、後でね」


 姿勢を正す。

 この場にいた全員も話をやめた。

 二階右手の階段からグラム王とジーギルが来ていた。


 中央階段の踊り場にジーギルが大きな机を置き、そこにグラム王がどさっと書類を置く。するとリメネスの猫が僕らの足元を掻い潜り、階段を登ってさも当然のように机の上を陣取る、なんだあいつ偉そうだな。ジーギルはやっぱり疲れ切った様子で隣の階段に腰を降ろし、グラム王は猫を無視して資料を開いた。


「よく集まった。早速始めよう。まずは状況を確認する」


 そう言ってグラム王はコツコツと机を叩く。


「言うまでもなく我々の立場は危うい。まさに各国の同盟が成立したばかりの大切な時に、その縦割りを無視して飛び出した大馬鹿者共だ。脱走兵と変わりない。私も含めてだがな」


 松明が弾ける音が響く中、みんながざわざわ話している。

 戦いには勝ったけど、これが現状か。分かってはいたけれど。


「だがクライムがフェルディア正規軍を引っ張ってきた事で少し事情が変わってな。彼等と、それに後から我々が出発した事もあって、ここにいる者は身勝手な鼻つまみ者というより同盟軍の一番槍という見方が強い。後続の本隊が合流しても、まあ罰せられる事もないだろう」


 それを聞いて隣の席のレイがバシバシ背中を叩いてきた。容赦ない。


「クライムの癖にやるじゃない。そこまで考えてたの?」

「そ、そんな訳ないよ。知ってるだろ、アルバが勝手によこしてきたんだ」


 アレク達を助けにこっそり出発した筈の僕達は、首都を出てすぐに、待ち伏せしていたアルバの軍に捕まった。連れ戻されると思って逃げようとしたら、彼等は僕達に従うよう命令された部隊だという。


 アルバめ。邪魔をされると思って黙っていたのに、どこから聞きつけたのか。用意周到もここまでやられると嫌味の域だ。お前程度の企みに気付かないとでも思ったか馬鹿め、みたいなあの偉そうな態度、やっぱり腹が立つな。いや、助かったけどさ。


 僕と同じで安心してか、みんなも思い思いに話していた。

 私語厳禁の首都と違って、ここには上下の確執が少ないみたいだ。


「あの部隊はそういう事だったのかよ」

「おかげで堂々と動ける訳だ。ひょっとすると首が繋がったかもな」

「どっちでもいい。こいつの手紙が届いた時点で、そこまで気にする奴もいなかっただろう」

「いやみんな、本当にごめん。こんな面倒な立場に引きずり込んで……」

「逆の立場でもキミなら来ていた。気にする事じゃない」


 そっけないナルウィの言葉が、じわりと胸に染み込む。


 縋るような気持ちで、諦め半分で、僕は各地に散っていた山猫騎士団に手紙を出した。すぐ傍にいた筈のジーギルから、傭兵としてどこにいるかも分からないシンにまで。でも、家の事を放り投げて真っ先にウィルが駆け付け、道中でシンやリューロンが加わり、それがどんどん増えて最後には全員集まった。


 ごめん、じゃないな。


「……ありがとう、みんな」


 僕の言葉に、誰かはフンと鼻を鳴らし、誰かは笑顔を返してくれた。


「さて。それにも関する事だが、ジーギル達元山猫の出発を遅らせたのは私だ。理由がある。それを合わせてここで共有しておきたい」


 コツ、と再びグラム王が机を叩いた。


「まず、同盟自体は既に揺るぎないものになっている。盟主はフェルディア。方針は徹底抗戦。忌々しいがあのアルバトスの実力には脱帽だな。噂の近衛部隊、王の毒剣とやらが随分とうまく働いているらしい」


 王の毒剣? 今? そんなはずない。……いや、アルバが毒剣を正体不明にしているのは、こういう形で活きてくるのか。まあ、今はどうでもいい話だ。


「首都では同盟軍全軍がほぼ集まったが、それでも今後の作戦が決まらず軍を腐らせている。各地から仕入れた情報が、どうにも信じ難くてな。だがそれも実際に敵と相対して確信できた。既に首都へは使いを放っている」


 そこで少し、言葉を切った。


「敵は、全軍が撤退を始めている」


 みんなが再びざわついた。僕も正直、意味が分からない。

 一応挙手して山猫のシンが意見する。


「陛下、俺は傭兵の身で戦況には疎いが、敵はほぼ全勝でここまで来てるんだろ? 今日の戦いがこちらの初勝利だと思っていたんだが」

「その通りだ。魔族軍は万単位の大隊規模に「小分け」された上で進軍し、着実に地図を塗り替えてきていた。だからこそ、それが一斉に撤退しているというのが信じられないのだ。しかし、アレク」


 話を振られて、アレクが嫌そうに口を開く。


「……狼、フェンリルと一緒に蜘蛛がいた。確かに言っていた。命令が出ている、戻って来いって」

「本当なの? 蜘蛛が言う事なんて、半分が大嘘で半分がゴミ以下の冗談よ?」

「分かってるレイ。でも俺達は連中に追い詰められてここまで逃げてきたんだ。いくら善戦できたとは言え、急に奴らがケツをまくる意味が分からねぇ」


 そこまで来て、またグラム王が話を引き継いだ。


「敵の意図は分からないが、これは好機だ。今日ぶつかった規模の部隊が複数、それも無作為な経路で別個に攻めてくるとしたら、我々にその全てを防ぐ手立てはない。今回善戦できたのも、レイに加えて黄金と白銀が揃ったからだ。絶対的な兵力差を覆す事は出来ない、これは不動の事実だ」

「それが、敵が城まで退いてくれれば覆るってか?」

「包囲するなり水攻めにするなり、戦術的には不可能ではない」

「それは私達にとって、なんとも都合の良い状況ですね」

「まったくその通りだ」

「……罠だ」


 そう言ってウィルが顔をしかめた。周りのみんなも同じだ。


「そういう事だろうな」


 これが、蜘蛛の嫌なところだ。罠があると気付かせもしないマキノの方がまだ可愛い。蜘蛛は落とし穴があると教えておいて、でもどこにあるかは絶対に教えない。迷う僕らを見て楽しんでいる。罠があるのは分かってる。でも、何だ。どんな罠を用意してる。


「だが、罠だろうが何だろうが好機である事に変わりはない。これまでは好機など一つもなかった。これを逃せば、もう次は無いだろう」


 そうなる、行くしかない。

 これはまさに、千載一遇だ。


「開戦してからというもの防戦一方だったが、我々はこれから最初で最後の攻勢に出る。一度きりの戦いだ。再戦に賭ける兵力はない。戦場となるのは黒の城の麓にある大平原、つまり敵に地の利はある。どんな罠があるかも不明だ。だがその全てを食い破ってでも縋りつき、勝たなければならない」


 そうなる、行くしかない。

 勝たなければならない。


 ……嫌な予感しかしない。千載一遇の機会だなんて言っても、あいつらの行動のせいで僕達の選択が狭められているだけだ。首都で戦った時に思い知った。魔族は僕達が考えもしない手段で、予想外の所から攻めてくる。それを踏まえた上で、僕達は更にその上を行かないといけないのか。


「ヒヒッ。しかしそこに敵の全戦力が集中してると考えると気が滅入るな」

「今日戦ったフェンリルにカドム。……それに、あのベルマイアも、いるのよね」

「黒の王、ヴォルフが出て来ないというのは間違いないのかい?」

「これまでの状況から見て間違いないでしょう。八つの封印の内の最後の一つ。それが無事である限りヴォルフは動けない。クライムさん」


 マキノに振られる。

 そうだな。今のあいつを知っているのは、僕とレイだけか。


「うん。レイの指輪を付けていた時に見たんだけど、ヴォルフは薄暗い所、たぶん城のどこかで鎖に縛られていたよ。もしかしたらその鎖自体が封印の効果なのかも知れない」

「だけどよぉ。逆に言えばその封印、神殿だったか? それが破壊されれば、その化物が戦場に出張って来るって事なのか?」

「うふふ、そういう事になるわねー。みんなで一生懸命戦っている所に岩のドラゴンが五体も六体も生み出されたら、ちょっとどうしようもないわねー」


 ちょっとレイやめてくれないかな。

 そんな絶望的な事態、想像もした事ない。


「お前達の心配も尤もだが、そこはこの決戦においての生命線だ。同盟も既に手は打ってある」

「あら手が早いわね。どういう事なのかしら」


 グラム王は自信たっぷりだ。でも、それが逆に怖い。


「同盟軍本隊は既にガレノール元帥指揮の下、首都を出て此方へ向かってきている。主軍はフェルディア、それに我らグラム、ヴェランダール、エレンブルグ等と続くが、ルベリア国軍本隊五万は別行動だ。今頃は封印防衛の為に別途進軍を開始しているだろう」

「なんだってぇ!!?」


 僕は思わず立ち上がった。


「五万? その人達、決戦に来てはくれないの?」

「本国に魔族の奇襲がある可能性を考えれば、遠方まで本隊を送る事は出来ないそうだ」

「で、でも封印だって、ルベリアから近い訳じゃないでしょ?」

「分かれってクライム。要は戦争が終わった後、ボロボロになった同盟相手に優位でいたいから、少しでも軍隊を温存したいんだろ」

「……正気? 僕等が負けたら「戦争が終わった後」なんて無いんだよ?」

「決定は覆らん。その代わり彼らは責任もって封印を死守するとの事だ」

「うわぁ頼もしい。そういう事なら、本当に何の問題もないね」


 統一、統一、統一か。頼もし過ぎて涙が出そうだ。っていうか僕はいつまで立ってるんだ。メイルに袖を引っ張られて座り直す。ちょっと恥ずかしい。


「そこも確認したい点の一つだな。レイ、お前達はどうするのだ」

「ん?」


 言われてレイが首をかしげる。


「ジーギルから概要は聞いている。お前とクライムと雪の竜、フィンと言ったか。三人でヴォルフの暗殺に向かう予定だそうだな」

「ええ、まあ、そうね、そういう予定だったわ。あいつらが全軍出てるなら逆に城は蛻の空。少人数で侵入するのも楽かなって、思ってたんだけれど」

「今は状況が真逆になった」

「そうなのよね……。もうこれしかないと思うんだけど、どう思う?」


 レイに言われて、僕も頷いた。


「うん。こっそり城に入るのはもう無理だ。僕達も途中まで一緒に行かせて下さい。戦場に敵の主力が出てきているのが確認できれば、僕らがヴォルフの元に辿り着ける可能性も、増えるから」

「仕掛けるなら決戦が始まった直後、という所か。だがお前達が持っているというその槍。本当に奴を殺す事が出来るのか?」

「ふふ、本当はそれを確かめに一手間掛けるつもりだったんだけど、ね?」

「……悪かったよ、勝手な事して」

「いいのよ。噂の巨人、私も顔くらい見ておきたかったけど、何をどう試したってヴォルフに通じる確証にはならない。他に代案もないし、どの道この槍に賭けるしかないわ。それに私、ここぞって時には博打張る方が好きなのよねぇ」


 僕は正直勘弁して欲しい。でも、槍の検証より仲間の救出を優先したのは僕だ。自分の選択に後悔はないけど、不安がまた一つ増えてしまった。


「いいだろう。仮に万が一にでも我々が敵軍を殲滅できたとしても、奴一人を倒せなければこの戦争、我々の負けだ。私も打てるだけ手は打っておきたい」


 グラム王は黙って許してくれた。本当に申し訳ない。彼だって、レイという最強の駒を手元に置いておきたいだろうに、ジーギルを通して僕達の事も信じてくれている。


「……」


 でも。

 みんなが信じてくれて、もし、それを裏切る事になったら。

 もし、これで槍が全くヴォルフに効かなかったら。

 もし、レイが殺されてしまうような事があったら。


 ……いや。もうこれで行くって決めたんだ。蜘蛛がどんな罠を仕掛けているか分からない。同盟軍を一網打尽にする作戦があるのかも知れないし、レイを捕らえる為の罠なのかも知れない。それでもグラム王の言う通り、僕達はその全てを乗り越えなくちゃいけないんだ。


 コツッと。

 最後にもう一度、グラム王は机を叩いた。


「取り敢えず確認したかった点は以上だ。我々は明朝出発し黒の城へ向け進軍する。目指すは砦の街、アストリアスだ」


 マキノの地図で目にした名前だ。

 黒の城の目と鼻の先にある街。開戦直後、真っ先に落とされたであろう街だ。


「恐らく敵は城で待ち構えているだろうが、懐まで入った所で各個撃破されないとも限らん。我々は首都から本隊が来る前に先行し、道中の安全を確保する」

「それなら、俺達はすぐにでも出ないとな」

「そうだ。本当に襲って来るならば決戦で相手にする敵が少し減る。だが襲って来なければ、決戦は文字通りの総力戦となる訳だ。そして実際、そうなるだろう」


 グラム王は言葉を切って僕らを見回した。


「アストリアスは前哨基地であり兵站となる。到着すれば撤退という選択肢はなくなるだろう。ここにいる難民と共に安全圏まで退がると言うなら止めはしない。だがこのまま私と共に来るなら、正式に同盟軍の指揮下に入り、運命を共にして貰う事になる。これが最後だ」


 王は僕ら傭兵達に語り掛けていた。自分の下で戦うつもりはあるかと、命令する訳でもなく、真っすぐ僕らの覚悟を訊いている。


 こうして見ていると、この人が騎士王と呼ばれているのも納得だ。アルバが後衛で力を発揮する王だとしたら、この人は前衛で力を発揮する王だろう。率先して人の前に立ち、皆を惹きつけ、駆り立てる何かがある。ジーギル達が慕うのも良く分かる。


 そう感じたのは僕だけじゃない筈だ。そして自然と顔に出ていたんだろう。誰も言葉にはしなかったけれど、僕らを見回すグラム王はそれだけで皆の答えを受け取っていた。


「感謝する」


 これで、僕たち山猫騎士団も全員参戦する事が決まった。

 特別な事は何もない。これは、あのドラゴン狩りの続きなんだ。


 あの時の僕らは防戦一方だった。ドラゴンを倒した所でその根本、ヴォルフを倒すなんて不可能だった。でも、もう違う。レイが加わり、仲間が集まり、今度こそ本当の敵と正面から戦える。


 そうだ。今度こそ、決着をつけてやる。



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