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変わり者の物語  作者: あなぐま
第4章 道の先
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第37話 変わる世界

「お久しぶり、ですね」

「ええ、本当に」

「何年になります?」

「五年十カ月と二十……、八日になる」

「そんなになりますか?」

「そんなになる」

「なりますか……。いえ、ここは本当に何も変わっていないもので」

「そういう貴方は、随分と変わった」

「変わりますよ、人は。その意味では昔から少しも変わらないあなた方は、まるで本の中に閉じ込められた物語の一頁のようだ」

「その減らず口は、余り変わっていない」

「これは手厳しい。これでも丸くなったと良く言われるのですが。思えばこの工房に席を置いていた頃は、我ながら本当に尖っていましたね」

「尖っていた。兄が嫌いそうな男だと、初めて会った時から思っていた」

「その兄君はお元気ですか?」

「なんだ、まだ、会っていないのか」

「ええ、残念ながら」

「……ああ。お互い、完全無視を決め込んでいる訳だ。久々に顔を合わせただろうに、まったく二人揃って大人気ない。貴方も少しは、あの赤毛の少女を見習っては?」

「はい、いや、しかし彼女があの男と上手くやれているとは、未だに信じられないのですが……」

「兄だけじゃない。彼女は当時の貴方より、ここでの信頼を勝ち取っている」

「氷雨の魔法使い様がそこまで仰るなら信じるしかありません。子供の成長とは、早いものですね」

「兄に喧嘩を売って、叩き出されるように旅に出た貴方とは、大違い」

「ああ、そう言えばあの中庭、また吹っ飛んだそうじゃないですか。傑作ですね。笑いました」

「そう。あの雪の竜、貴方の仲間のせい。つまり、貴方のせい」

「濡れ衣です。五年十カ月と二十七日前に吹っ飛ばしたのも、あなたの兄君ですよ?」

「二十八日前。あの時も、貴方が兄に恥を掻かせなければ、あそこまで被害は大きくならなかった」

「いやー、懐かしいですねー。当時は決闘をすると決まった時点で負ける事も分かっていましたから。どうせなら特大の最後っ屁をかまして、あの男に人生最大の屈辱を味わって貰おうかと思いまして」

「結局、負けて杖まで砕かれたのに、それを武勇伝のように語るなんて、貴方は本当に……」

「お得意の魔法使いとしての誇りですか? ありませんよ」

「知ってる。……今だから聞くけれど、あの時は一体どんな手段を? 兄を追い詰めるほどの大魔法を乱発して、貴方にそこまでの力がある筈は、なかったのに」

「それがあなた方の限界なんですよ。あれ、全部イカサマです」

「………………」

「決闘場があの中庭になるのは分かっていましたから、事前にしこたま罠を仕掛けさせて貰いました。あなたも魔法にばかり頼っていると、兄君と同様に足元を掬われますよ?」

「……最低だ。王族まで観覧していた決闘で、イカサマで相手を追い詰めるなんて」

「世界は机上の理論通りには動いていないという事です。私もあの敗北は大いに身になりました」

「身に、ね。文字通り、大分体が引き締まっている。剣術か体術か、決闘で見せたイカサマを、本物にまで昇華してきた訳だ」

「本物だなんて、どれも中途半端ですよ。せいぜい慣れたと言えば、杖を使わない魔法の行使くらいです」

「それだから、杖無しの魔法使い、なんて馬鹿にされる」

「誉め言葉と受け取っておきます。杖を砕いて私から魔法を奪ったつもりだったのでしょうが、あれは本当に見聞の狭い男ですね」

「杖無し、以外にも色々とありそう。工房の外で、貴方の見聞は広がった?」

「一言では、言えません。思いもよらない出会いもありましたし、考えもしなかった別れもありました。世界の全てを見る、なんて息巻いていましたが、道はまだまだ長そうです」

「……ふふ」

「おかしいですか?」

「いや、悲観しているフリをする割に、楽しそうなのが、隠せていないから」

「否定はしません。そうですね。友人の付き添いとはいえ、ここに戻ってきても良いと思える程度には、私の世界も広がったのでしょう」

「戻ってきたく、なかった?」

「これっぽちも」

「それでも、戻ってきた訳だ」

「遺憾ながら」

「そう思える何かを、得てきた」

「ええ、そうです」

「でも一言では、言えない」

「ええ、全くその通り」

「聞かせて」

「長くなりますよ?」

「構わない」

「そうですか。では」


 何から話しましょうか、と。

 マキノは彼女に微笑んだ。



***



 フェルディア王国、首都ティグール。


 王城の最奥に位置する謁見の間では、その中央に置かれた巨大な円卓を中心にして、世界が動こうとしていた。


 真紅の絨毯が巨大な正面扉から中心の大円卓を通って広間を縦断し、そして段差の先の王座まで続いている。その王座は、今は空席だ。代わりに円卓では各国の大使達がずらりと揃い、その全員が護衛と称して一人を後ろに控えさせている。


 錚々たる顔ぶれだった。


 フェルディア王国国王アルバトス。

 後ろに控えるのは国軍元帥ガレノール。

 グラム王国騎士王マグヌス。

 後ろに控えるのは王立騎士団団長ジーギル。

 ヴェランダール王国宰相ダルトン。

 後ろに控えるのは黒曜の魔法使いシルビウス。


 名立たる有力者から不気味な魔法使い、更には素性の知れない黒装束の女まで、実に様々な人間が集まっている。尋常ではない威圧感だった。そんな者達が一同に介したこの円卓は、見る者が見れば前回の会談の焼き回しであり、そして実質的な人間世界の縮図そのものだった。


 身も心も擦り切れていくような緊張の中、延々と議論は続いていく。


 古の統一国家が魔族との戦争により壊滅、分裂してより五百年。彼らは果ての無い統一紛争を続けてきた敵同士だ。だが元凶である黒の王ヴォルフが宣戦布告してきた今、全ての禍根を水に流し、一刻も早く共同戦線を張らなければならない。でなければ人の世は、今度こそ滅びるだろう。


 だが同盟締結を前に、大きな懸念材料がある。会談の開催国であり名実共に世界一とも言われる大国。このフェルディア王国の現状だ。


 魔族の台頭と全く同時に、一つの事件が世界を揺るがした。

 それは現国王アルバトスの復活と、それに伴うフェルディアの大改革だ。


 王は第一回世界会談失敗の全責任を取らせる形で中央議会議長ガレノールを失脚させ、その最高戦力だった冬の魔法使いも莫大な研究費により買収。そして次席であったトライバルを議長の座に据え、蹴落としたガレノールを国軍元帥に再登用する事で監視下に置いたという。


 あの男は怪物になって戻ってきた。内乱同然の戦いを経てなお力と豊かさを維持する国の裏で、悪名高い「王の毒剣」によりどれほどの人間が闇に葬られたのか。その怪物から第二回世界会談招集の親書が届いた時は、すわ暗殺かと、どの国も考えた。


 だが魔族という危機が差し迫った現状から考えれば、この上なく頼もしい事もまた事実だ。せいぜい矢面に立たせて、戦いを通して力が削れるのを祈るしかない。


「では、到着した我が国の軍は、一時的に貴国の指揮下に入る方向に、元帥殿」

「発見された白銀の剣、アルギュロス。今後の戦略としても相応の剣士に託すべきかと」


 各国の思惑として、滅亡を回避するため参戦する事に依存はない。だが同時に、同盟を口実に己の手で統一を実現できないかと方々に手を回していた。


 明日をも知れぬ世界の命運と、明後日以降の自国の利益。比べるべくもない両者を比べる為の、壊れた天秤を片手に彼等は話を進めている。断頭台のギロチンが自分の首に触れるその瞬間まで、彼等が天秤を手放す事はないだろう。


 処刑人である魔族にとって、それは何とも都合の良い状況であり。


「はっ」


 読み安くて大変有難いと、怪物、アルバトス王は鼻で笑う。事実これまでの会談の流れは、フェルディアを含めた数国が事前に想定した通りに動いている。


「ところで、フェルディア王」


 そう切り出す大使もまた、アルバトスの息の掛かった者の一人だった。


「会談も後半に差し掛かろうという所。そろそろ、そちらの御婦人を紹介しては頂けませんかな?」


 言われ、皆の視線がアルバトス王の隣に集まる。

 そこに座っていたのは黒装束の一人の女だ。

 皆の注目を一身に浴びながら、女は落ち着いた様子で優雅に微笑む。


 婦人と言うには随分と年若い女だった。しかし護衛を控えさせ堂々と椅子に座るその有様は、まるで誰も知らない国の代表が参席しているかのようだった。その不自然な存在に、今まで誰一人言及しなかったのもその為だ。


「そうだな。少々、勿体付けてしまったようだ」


 アルバトスが視線で合図すると、女も頷いて居住まいを正す。


「分かりました」


 女は、美しかった。この世で一番美しい女だと言われても納得しただろう。腰まで届く長い黒髪。透き通るような白い肌。その溢れ出る神秘性は、まるでお伽話に出てくるエルフのようだ。身に纏うのは式典用の質素なドレスだが、ほとんど肌が見えない漆黒の意匠は喪服のようでもあった。


「皆様。お初に、お目にかかります」


 皆を見回しにこやかに微笑むと、女は語り始めた。


「まず、事前に紹介もなくこの場に参席した御無礼をお許し下さい。本日私がこのような場を頂いたのは、フェルディア王たっての御希望である事も勿論ですが、それ以上に私自身が、皆様と同じくこの世界の行く末を憂いての事。どうか今しばらく、この私にお時間を頂ければと思います」


 大仰な前置きから、一呼吸空く。

 次の瞬間、漆黒の水鳥の翼が広がった。


「私の名は、レイ」


 何が起こったと動揺する大使達に構わず女は名乗る。

 壁を埋め尽くす衛兵も、各国の護衛達も、突然の事態に一瞬動きが遅れた。


「五百年前、黒の王ヴォルフを打倒する為フェルディアと共闘し、そして五百年間、ヴォルフ共々フェルディアに封印されていた、魔族の一人です」


 変装の魔法が解かれ、暗褐色の瞳が変色する。悪鬼よりも恐ろしい、禍々しく赤く光る目で、女は柔らかく微笑んだ。出遅れた空気が一気に吹き込む。


「魔族だ!!」


 一人の大使が絶叫したのを機に、その場にいたほぼ全員が動いた。


 椅子から転げ落ちる者、失禁する者、主人を庇う者。騒然となった会談でなお悠然とした構えを崩さないのは、フェルディアを含め数か国のみだ。


「フェルディア王! どういう事だ! 何故敵をこの場に招くような真似を!」

「前回の会談で起きた惨劇を繰り返すつもりか!」


 過剰とも言える諸国の態度は、魔族に対する人間の恐怖心そのものだった。だが大使達に出来るのはアルバトスを責める事のみ。実際に動けるのはその護衛達だった。既に剣に手が掛かっている。


 黒曜の魔法使いシルビウス、国落としゲルブランド、剣の死神フェリックス、世界にその名を轟かせる強者達が殺気を放つ。


 敵将ベルマイアを始めとして魔族とはいずれ決戦で相まみえる。ならば、今、ここで、己の力がどこまで通じるか試してやろうか。古狼ジーギルが逆手に剣を握りこちらを睨んでいるが、この際まとめて葬ってしまえばいい。


 だが彼等の殺気が行動に移る直前、何者かの視線が突き刺さった。


 すぐに気付く。視線の主は魔族の後ろ、影のように控えていた護衛の男だ。男は全てを見透かすように視線を合わせたまま、にっこりと、微笑む。


 背の高い老齢の人物だった。かきあげた髪、荒い無精髭、落ち着いた瞳、みな赤い色合いだ。左目に跨った古傷も相まって引退間際の老兵士のようにも見える。だが、何かが違う。その一見して穏やかな男に対して、直感的、本能的な何かが全力で警鐘を鳴らしているのだ。


「…………!」


 古傷の男の視線に縛られたのは護衛達だけではない。さっきまでの喧騒が嘘のように会談の場は静まり返っていた。そこに、フェルディア王は落ち着きを払って声をかけた。


「席に戻られよ。婦人に礼を尽くさんとする精神は、なにも騎士に限った話ではあるまい」


 魔族の漆黒の翼がふわりと消えたのを機に、円卓はやや落ち着きを取り戻した。未だ血色の目をした魔族を前に、大使達は緊張した面持ちのまま席に着き、護衛達も構えを解いてその背景に戻る。そして緊張をそのままに、会談は再開された。


「開錠!」


 ようやく会談が終わったのは、それから半日近く経っての事だった。

 門を護る衛兵が踵を揃え、謁見の間の大扉が開いた。


 国王アルバトスと国軍元帥ガレノールが扉から外へ足を踏み出す。冬の魔法使いは当然のように王の後ろへ追従した。更に後ろからはフェルディアの役人達がぞろぞろと続き、最後に魔族の女も謁見の間を後にする。そして女の後ろには、変わらず古傷の男が控えていた。


 その穏やかな威圧感で会談後半を支配していた古傷の男。円卓の大使達はようやく解放されて息を付き、フェルディアの役人達はなお解放されずにいる。男の正体は役人達ですら知らないのだ。人の形をしてはいるが、そもそも人間なのか。王はこんな男を一体どこから連れてきたのか。



「あ、終わったの?」



 不意に、緊張をほぐす子供の声がした。


 扉を護る衛兵の隣で待っていたのは、体に合わない濃紺のローブを引きずるように着ている赤毛の少女だった。アルバトス王の食客と噂される面々の一人だ。宮殿内でも不思議な存在感を持つ彼等の中でも、冬や王とまで関わりのあるこの少女は、今やちょっとした有名人だ。


 その少女が無邪気な顔のまま、女魔族と、そして古傷の男に駆け寄った。


「あぶ……!」


 危ない、と思わず誰かが言いかけたが、魔族は姉のような親しさで少女を迎え、古傷の男も別人のように優しい顔で彼女の頭を撫でる。


「わざわざ迎えに来てくれなくても良かったのに」

「そうは思ったんだけどね、なんか心配でさ」

「うふふ、はいはい。相変わらず初々しいわね」

「ち、ちょっとレイ! 変な言い方しないでよ!」

「あれ、二人とも何か僕の知らない話をしてる?」


 古傷の男は優しい表情のまま少女と言葉を交わす。誰もが違和感を覚えていた。この男、身に纏う威圧感と子供っぽい口調が余りにもちぐはぐなのだ。まるで顔を持たない何かが、古傷の男の姿を写し取っているような薄気味悪さだ。


「べ、別に、何でもないよ。それより、二人共大丈夫だったの?」

「僕は立っているだけだったんだけどね。でも、もう二度と参加したくないよ」

「あはは、世界会談に参加したなんて貴重な経験だよ。その分だと、うまく行ったみたいだね」


 何とも言えない周りの空気をそのままに。

 少女は男の背中をポンポンと叩いてねぎらった。


「ともあれ、お疲れ様、クライム」



***



「この書類、書記官の承認が一つもないぞ! 誰だこれ通した馬鹿は!」

「第八区域の備蓄が尽きそうだぞ! 戦争前にこの国を滅ぼす気か!」

「これ以上税は下げられない! 良い物食ってんだろ、もっと絞り出せ!」


 これは、いつにも増して凄いな……。


 レイ達と別れて僕とメイルが二人で戻った時、メイルの仕事場であるこの第七会議室は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。今日行われた世界会談を実現させるのも大変だったけど、この様子だと他にも何かあったんだろうか。


 でも会談が終わって、アルバトス陛下は会食があるとかでどっかに行っちゃったし、ガレノール元帥様は別室でレイと難しい話をしている。ともあれ、僕らもようやく自由だ。凄い疲れた。さて、と。


「オーイおめーら! こっちこっち!」


 いた。

 人垣の向こうで、この場には合わない粗暴な一団が僕らに手を振っている。


 メイルの手を引きながら苦労して役人達の海を掻き分ける。だだっ広い会議室には無数のテーブルが並んでいて、所狭しと本が並び、うず高く書類が積んである。まるで書類の掃き溜めだ。その中では割と綺麗に整えられたメイルの机、そこをみんなは陣取っていた。


 マキノとフィン。それにグラム出身の山猫のコムラン、ドミニク、ギブス、ボア。第一回会談襲撃作戦に参加した面々は、そのままアルバの食客扱いでここに居座っている。


 机には大きな地図が広げられていて、レイから預かっていた黒い槍はマキノの隣に立て掛けられていた。何か相談している最中だったみたいだけど、みんなは笑顔で僕らを迎えてくれた。


「ただいまー」


 ずっと謁見の間の外で待っていて疲れたのか、メイルは椅子に座るとすぐにフィンの毛皮に顔を埋めた。僕も適当な所に腰を下ろして、堅苦しい上着を脱いで椅子に掛ける。護衛役だなんて、やっぱり演技でも僕には厳しかったな。


「御二人ともお疲れ様でした。しかし随分と揉めていたみたいですね」

「うん、揉めた揉めた。ところでこの騒ぎ、何かあったの?」

「あったんだよ。……ところで君は、クライム、で、いいのかい?」

「ん? ああ、ごめんごめん」


 ドミニクに言われて気付いた。そう言えばまだ変わったままだった。


 改めて自分の姿を、正装で背の高い老人の姿を見た。僕にしてはなかなか上手に変われていたと思う。珍しい赤い髪も左目に跨った古傷も、丁度こんな感じだった。


 でもこの姿ももう用済みだ。僕は顔を擦るふりをして「元の姿」、ぼさぼさの黒い髪の青年に体を戻す。服を除いて顔立ちや背格好が一瞬で変わって、周りにいた役人はかなり驚いていた。でも声をかけてくる事もない。


「フィン。なんか僕、怖がられてる?」

「怖がられてるだろうさ。変わり者の変身は魔法で通じるけど、さっきの姿はね」

「そうそう、ボクも訊きたかったんだけど、さっきのお爺さんは誰だったの?」

「誰って、メイルもレイから聞いて……」


 いや、そう言えばレイも「情報屋のエリック」の姿を知らないのか。レイが炎竜バルサザールに遭遇した時、彼はドラゴンの姿をしていただろう。


 あの炎の夜。

 僕の故郷を襲った時と、同じように。


「……いや、何でもないよ。ただこの人は僕が今まで会った中でも第一印象が一番やばい人だから。レイの後ろに控えているなら、少しでも迫力があった方が良いかと思って」

「えーっと、ボクはちらっとしか見てないけど、会談の人達、みんな怯えてなかった?」

「ヒヒヒッ、だろうな。近くにいると胡散臭過ぎて鼻が曲がりそうだぞ坊主」

「酷いよギブス。この人、一応僕の知り合いだったんだけど」

「いや、そいつでなくお前さんがだな」

「もっと酷い!」

「まあまあ、この場においては誉め言葉でしょう。クライムさんは建前上、国王お抱えの魔法使いなんですから、それくらい胡散くさ、失敬。正体不明であった方が都合が良いというものです」

「あはは、ありがとうマキノ絶対誉めてないよねそれ」


 笑いながら、少し、自分の手を見る。


 本当は、威厳がある姿であれば誰でも良かったんだ。それをわざわざ彼の姿を取ったのは、なぜだろう。僕なりの区切りのつもりだったのかもしれない。でも区切りと言うなら、一度ちゃんと話をしないとな。あの人も何を好き好んで僕なんかの情報を買っていたのか。やっぱり父さんと、何か話したんだろうか。


「そう言えばおめーらも聞いてたか? つい今し方エレンブルクの軍隊が到着してな。先に着いてたレグナ王国の連中と鉢合わせて揉めてるんだよ」

「ん、あ、そうなんだ」


 コムランに話を振られて我に返る。この騒ぎはそういう事なのか。でも。


「あれ、ちょっと待ってよ。集まった軍隊、もう八ヵ国目になるよね」

「これで半分ですから、まだまだこの程度では済みませんよ。フィンさんに頼んで空から見てきましたが、城壁外に設けられた各国軍の野営地が地平線の向こうまで続いてました。それが更に倍になるんですからね。それにギブスさん、さっき何か聞いたと言っていましたね」

「ああ、ホルスベルグの特使殿がお見えになったって噂だ。明日には更に一国余分に増えるかもなあ」

「それでレイが呼ばれたんだね。ああ、重要な話があるからって会談の後にガレノール達と行っちゃったんだよ。すぐ終わるとは言ってたけど」

「重要な話、ですか。しかし会談自体は終わったんですよね」

「ギブスが言った通り揉めに揉めたけどね」

「で?」


 短く一言。

 いつも通り骸骨のように不気味な顔でボアが訊いてきた。


 彼女だけじゃない。ふと顔を上げると、みんなが真剣な目で僕を見ていた。僕の答えを待っている。つられて僕も改めてみんなに向き合う。そしてはっきり言葉にした。


「同盟、成立したよ」


 溜息と一緒に、みんなの緊張が解けた。


「えっと、取り敢えず最初から話すよ」


 会談中は頭が真っ白だったから、要点だけ掻い摘むなんて出来ない。だからとにかく全部話した。どこの国の誰が来ていて、どんな話をしてどんな意見が出たのか。みんなは何度か口を開きかけたけど、結局最後まで黙って聞いてくれた。


「ようやく、ここまで漕ぎ付けましたか」


 一通り終わった所で、マキノがそう言った。その言葉で、改めて僕の中でも実感が湧いてくる。


「……うん、長かった。僕達が第一回会談に殴り込んでから、今日まで」

「そうだよなぁ。今日が最後の関門だったんだ。これであの軍隊は、同盟軍の名の元に東へ向かえる」

「東。ヴォルフの黒の城か。……マキノ、戦況はどうなの?」


 机の上の地図に目がいって、僕はマキノに訊く。

 同盟軍本隊が動き出すのはこれからだ。

 でも、もう戦っている人達がいる。


「芳しくありません。アルバによる改革直後、未整備の軍でよく食い止めているとは思いますが」


 マキノは羽ペンで地図を叩く。

 自然とみんなでそれを覗き込んだ。


「敵の動きに変化はないですね。ヴォルフの宣戦布告以降、フェルディア東部に位置する黒の城から魔族軍は進軍を開始。複数の部隊に分かれて各個に街を落としながら、今もここ、首都ティグールに向かってきています」


 マキノの地図には、開戦時からの敵の経路が記されていた。既にあちこちでフェルディア軍と激突している。もともと各地に駐在していた軍に加え、首都から迎撃に向かった先遣隊が頑張ってるらしい。どんな事態になっているのかは分からない。今この瞬間、どこまで敵が来ているのかも。


「……」


 でも、いる。


 この地図のどこかに、先遣隊に加わったアレクが。そして偵察に行っていた筈のリメネス、ヴィッツ、テルルが。今もどこかで戦っている。三人はコムラン達にとっても同郷の騎士。心配そうに見えた。


「……あいつ等が踏み止まっているからこそ、こっちものんびり会談なんざ出来たんだ。それが終わった以上、すぐにでもその努力に報いないとな」

「そうですか。やはり皆さんは、同盟が動き始めればグラム軍に復帰するのですね」

「当然だろうが。今まではアルバの野郎の顔を立ててやってただけだからなぁ。おめーらは、ここから別行動になるったっけ?」

「黒の王、ヴォルフの、暗殺か」


 ドミニクが机に立て掛けられた長槍を見て呟いた。


「戦争を終わらせるには、確かに一番手っ取り早い手段だよ。でも、相手が……」

「正直オレ達も半信半疑なんだがね。こいつに、そんな御大層な力が本当にあるのか?」


 ギブスが怪訝な顔で槍を指した。ボルフォドールという魔族が闇小人に作らせ、そして白銀の騎士メルキオンが鍛え直した魔法の槍。マキノがそれを手に取ってみせる。


「レイさんはこれでヴォルフの不死性を突破できると見立てていますが、確証はありません。会談も無事終わりましたし、これからはいよいよロナンの森に赴いて、フレイネストの不死身の巨人を相手に槍の効力を検証します」

「それで君達はいつ出発するんだい? 軍の準備は待たなくて良いんだろ?」

「出来るだけ早くです。欲を言えばレイさんの準備が出来次第発ちたいのですが」

「その肝心の姫さんはまだお話中ってか」

「そうだね。……うん。まだ、話してるんだと思うけど」


 ……遅い。


 すぐ終わるって、レイは言っていた。ここに来ているって噂のホルスベルグの特使との話。でもそんなに話す事があるのかな。考えてみれば何故レイが呼ばれたんだろう。


「……」


 急に、みんなが黙った。

 多分同じ事を考えている。

 ドミニクがそれを口にした。


「嫌な予感がするな……」


 世界会談直後で厳重警戒が敷かれている筈の宮殿で、何かが砕ける破壊音と悲鳴が聞こえたのは、その直後の事だった。



***



 王宮を走り抜けて僕らが辿り着いたのは、ガレノールの執務室だった。


 一番奥の机にガレノールが座り、その手前に大きめの樫のテーブルがあって十数人が話し合えるようになっていた。でも立派な作りだった筈のそのテーブルは、叩き割られて真っ二つになっていた。


「……来たのね」


 会談の場で着ていた黒絹のドレス姿のまま、レイは肩を怒らせていた。


 その拳は握られたままだ。テーブルと同じ末路を辿らされるのはごめんだと、役人達は全員立ち上がって彼女から距離を取っていた。ガレノールは指を組んだまま難しそうな顔をしている。


 その中でただ一人、澄まし顔のままレイの前から動かない男がいた。彼が、噂になっていたホルスベルグの特使か。レイは努めて落ち着こうとして、それでも震える怒りを隠し切れずにいた。


「人も増えたわ」


 僕の後ろからグラムの騎士達にマキノ、メイル、フィン、みんなが顔を覗かせる。それを更に遠巻きにして、廊下の向こうから多くの役人や衛兵がこっちを見ていた。


「さて、もう一度、もう一度聞かせてくれるかしら。はっきりと、間違いなく、細心の注意を払って答えて欲しいわ。あなた達がヴォルフの軍門に下った、その理由を」


 今、信じられない事を聞いた気がする。

 でも特使は無感情に答えた。


「ですから、何度も申し上げたように魔族側に与する訳ではありません。あくまで、中立の立場を取らせて貰うというだけの話です」

「同じ事よ! 中立ですって!? この戦いはあなた達人間が今までやっていたお遊びとは訳が違うのよ! 抗うか、滅ぼされるかよ!」

「レ、レイ。まずは落ち着いて」


 肩を掴んで話しかけるけど、レイは止まらなかった。状況は分からない。でもこのままだと、冗談抜きにレイが特使を殺してしまいそうだ。


「会談に出席できなかった事は重ねて謝罪します。しかし我が国の立場として……」

「誰か何とかして下さいって!? だいたい中立だなんて笑わせないで! ヴォルフは全てを滅ぼす、そこに例外なんて無いわ!」

「レイ。この人に怒鳴ったって仕方ないよ。彼はただの使者だよ」

「和平だなんて温い事を考えていたら、何もかも手遅れになるのよ!」

「と、取り敢えず座って。そんな一方的に怒鳴っちゃだめだ」

「あの男は、絶対に倒さないといけないのよ! 何を犠牲にしても! どんな汚い手を使っても! それを……!」

「レイ!! 僕を見ろ!!」


 無理矢理、両肩を掴んで向かい合わせる。

 見開かれた血のように赤い目が僕を映した。


「落ち着くんだ。また、悪い癖が出てる」

「クライム……」


 荒い息を吐きながら、レイは視線を落とす。


「だって、だって私が、どんな想いで……!」

「分かってる」


 レイにとって「人間の同盟」は仲間の仇だ。旧大戦の最後、当時の同盟が裏切ったせいで、レイの仲間達は彼女を残して全滅した。手を下したのがヴォルフでも、そうさせたのは人間だ。それでもレイはついさっき、その同盟復活の為に大きな役割を果たした。それが必要だと、割り切って。


「……ごめんなさい」


 レイはそっと僕から離れる。

 そしてみんなの隣を抜けて、誰とも顔を合わせずに部屋から出て行った。


「フィン」


 僕が声をかけるとフィンは面倒くさそうに、それでもレイを追ってのっそりと部屋を出た。レイの悩みは、僕とフィンとで以前から聞いている。今、彼女を一人にしておきたくない。


 そしてレイが抜けて、フィンが抜けて、事情が呑み込めていない僕達が部屋に取り残された。いや、全く呑み込めてない訳でもない。でも詳しく聞きたかった。


「グラム王国、王立騎士団副団長のギブスだ」


 そんな僕らの空気を汲んでか、ギブスが一歩前に進み出た。


「突然押しかけて申し訳ないが、たった今、二三聞き捨てならない話を耳にしたように思う。私も立場上、我が国の王に報告する義務があるのでな。改めて話を伺っても良いだろうか」


 誰だこいつ。僕らは揃ってギブスを見た。別人のように丁寧な話し方、それに副団長なんて嘘八百だ。でもその空気と肩書に呑まれて、役人の一人が事情を簡潔に言葉にした。


「……ホルスベルグが、魔族の使者との交渉に応じた」


 その言葉の意味を理解するのに数秒かかる。

 でも、ちょっと待って。また話が見えなくなった。


「魔族との、交渉?」


 疑問が思わず口を突いて出た。


「待って待って。魔族から、使者? いったい誰が交渉に来るって? だいたいホルスベルグって西の国でしょ? 魔族は東から侵攻してるのに、僕らの頭を飛び越えてもう西の国にまで回ってるの? って言うか交渉して、応じて、えっと、中立?」

「落ち着け坊主。そして黙れ」


 ギブスは僕の頭を小突くと、特使に向き合う。


「詳しく聞かせて頂いて、よろしいですかな?」


 特使は渋い顔をしていた。誰だお前はって顔で僕らを見ている。話しても良いかと視線で訊くと、ガレノールは無言で頷いた。そして特使は改めて僕に向き直って、軽く咳払いする。


「先程も元帥殿に申し上げた通り、我々ホルスベルグは、これから始まるであろう戦争で中立の立場を取らせて頂きます。軍を派遣する事もなく、物資の提供も行わない。しかし勿論、これは魔族側に対しても同様です」


 まるで他人事のような答えが淡々と返ってきた。


「……魔族との交渉の経緯は」


 ギブスが追求する。


「私も、詳しくは知らされていません。ただ正式に使節が来たという訳ではなく、彼は突然、城内に現れたと聞いています」


 城内に突然。

 蜘蛛だ。

 ギブスの追求は続いた。


「それは使者でなく侵入者だな。そんな輩と、一体どんな話を」

「私の口からは何とも。ただ中立の立場を取るよう使者より要望を請け、我々はそれを受け入れました」

「会談で集まった他国のお偉方は、死に場所くらい自分で選ぶと決めたらしいが、お前さんはそれを、傍観するって?」

「我々はあくまで我が国の安全の為に最善を尽くすまでの事です」

「安、全? ヒヒヒッ、城内にまで侵入を許しておいて?」

「……彼は、使者でした」

「違う。敵だ。それにこれから始まる戦争とか、何言ってるんだ? 戦争はもう始まっている。お前さん達も、その渦中にいる」

「ですから、本日はその渦中から一歩退かせて頂くとのご報告に伺ったまでです。決定は既に王によってなされております。私が送られたのは、あくまで友好国に対して礼儀を通すためだけですので」

「なるほどなるほど」


 ギブスはうんうんと楽しそうに頷いて。


「え?」


 特使の胸倉を掴んで持ち上げた。


「え? ちょっと! ギブス!?」


 本当に、急に持ち上げた。特使は足が地に着いていない。


「がっ……! 何を……!」

「それでこうなる訳だな。しかしお姫様も甘い甘い。最初の一撃で、机ではなくこいつの頭をカチ割るべきだったろうにな」

「は、離せ! こんな無礼は……!」

「ホルスベルグが会談を欠席するとは聞いていたが、理由も話さずに一方的に最後通告を突きつけるとはな。さて。お前さん、まさか生きて帰れるとは思ってないだろうな」

「……っ!」

「中立宣言の見返りに、不可侵の約束でもしてきたか? 他の全てを滅ぼした骸の上で、ただ一国残しておいてやるとでも?」

「ギブス、やめろ! 相手は一国の使者だぞ!」


 同郷であるグラムのみんなが必死に止めるけど、ギブスはびくともしない。メイルが何とかしてと僕の袖を引くけど、なんだか動きにくかった。今この人は僕達に対して、勝手に死ねと言ったんだ。


「なぁ元帥閣下殿。取り敢えずこいつの首をホルスベルグに送り返すって事で問題ないな?」


 もう特使は真っ青だ。でもその無感情だった口調は、分かっているからだろう。分かっているだけに苦しんでいる。それでも、必死に叫んだ。


「し、仕方がなかったんだ!」


 仕方がない。

 その言葉にギブスはますます特使を高く持ち上げる。

 彼は死に物狂いに言葉を続けた。


「仕方がなかったんだ! 全部お前達の言う通りだ! 戦争はもう始まっている! あんな奴らを相手にどう交渉したって安全は保障されない! だがそんな奴らに、どう抗えと言うんだ!」


 いつの間にか、他人事のような敬語も取れていた。


「ある日突然だ! 王の前に乞食のような男が現れて魔族だと名乗り、我々に中立を宣言しろと要求してきた! 当然、乞食はその場で処刑され、軍門に下るくらいなら戦うとの結論に達した! だが一夜明けると、その時魔族と戦おうと発言した貴族や将校、その全員が死んでいた! 一人残らずだ!」


 ギブスは特使を放した。

 彼はその場で苦し気にへたり込むけど、口は止まらない。


「……そして処刑したはずの乞食が、再び現れて同じ要求をしてきた。下手な事を口にすれば、次は自分だと誰もが思った。あの場で要求を断っても、また一晩の間に人が死に、また奴は現れる」


 その話に、僕は奇妙な既視感を覚えていた。


 それはここ、フェルディアでも行われていた事だ。アルバが捕らえられ、ガレノールが利用され、スローンが攪乱し、フェルディアはあと一歩で敵の手に落ちる所だった。いや、そうか。


「そうして敵の手に、落ちたのか」


 自然と零れた僕の言葉に、みんなが黙る。

 言葉にすると、急に現実が襲ってくる。


 ホルスベルグでの出来事は、このフェルディアで起こった僕達の戦いそのものだ。ただしその場に、マキノやジーギルのような頭の回転が速い人がいなくて、レイや冬のような蜘蛛に対抗出来る魔法使いがいなくて、アルバやガレノールのような強力な指導者がいなかった。絶望的だ。


「摘み出せ」


 ガレノールの容赦ない一言で、ホルスベルグの特使は項垂れたまま連れていかれた。その弱り切った後姿に少し同情してしまう。でも、それどころじゃない。隣にいたマキノが小声で訊いてくる。


「クライムさん。その蜘蛛、モーリスという名の魔族と面識があると言っていましたね。教えてください、彼は何人いるんですか? いえ、何人にまでなれるんですか?」

「……正直、分からない。でも今までの事を考えると、マキノの考え通りだと思うよ、その気になれば出来ると思う。多分、何人にでも」


 僕の口から改めて聞いてマキノは少し考え込む。

 でも、どうしたら良いんだろう。

 どうすれば、あの老人を止められる。


「なあ、凄く嫌な予感がするんだが。俺達がフェルディア一国を取り戻すのに、奴は同じ事をホルスベルグでも行っていた。でもそれは、ホルスベルグだけか?」


 コムランが畳みかけるように不吉な事を言い、ギブスが即座に同意する。


「まず間違いなく他でもやっているだろうな。マキノ、今回の会談を欠席したのはあと何ヵ国だ?」

「アルバが招集した十四ヵ国中、出席したのは八ヵ国。つまり言葉を濁らせて欠席した残り六ヵ国に関しては、皆同じ末路を辿っていると考えた方が妥当でしょうね」


 ほぼ、半分。


 これで世界中の強国が集まると思っていたのに、その半分近くが既にやられているって言うのか。さっきまで灯っていた炎が、急に吹き消えてしまったようだ。これ以上、味方は集まらない。今ここにいる戦力だけでやるしかない。


 ……甘かった。前回の会談でヴォルフが宣戦布告した時、僕はその瞬間から戦いが始まったと思っていた。でも実際は気付かなかっただけで、とうの昔から始まっていたんだ。


 魔族はカビ臭い昔話から思い出したように湧いてきた訳じゃない。

 何十年も、もしかしたら何百年も周到に下地を作ってきた上で、満を持して攻撃を開始した。

 僕達は、完全に後手に回っている。


「……勝てる、のか?」


 誰かが、胸の奥で蠢く黒い何かを言葉にした。

 他の役人達とガレノールも厳しい顔で話している。


「元帥殿。ひとまず、我々は足場固めに徹するべきです」

「既にこの場に集まった戦力まで失う訳にはいきません、閣下」

「……無論だ。陛下には、私から伝えておく。軍の集結を急がせろ。東からの撤退状況は」

「予定通り完了しております。明日には同盟国間の調整も終わり、編成も整うかと」

「急がせろ。出遅れた国など捨て置け」


 淡々と対応を決めるガレノール。流石に対応も早いみたいだ。彼は僕には見えもしない広い視野があるんだろう。それを元にウィルが動いて、みんなもいて、アレクもすぐに戻って来る。大丈夫だ。まだまだ僕らは……。


 あれ?


「撤退?」


 また不穏な事を聞いた気がする。

 もう、いやだ。これ以上は聞きたくない。でも。


「あの、ガレノール、元帥? 今、東からの撤退は予定通り完了したって聞いた気がするんですけど」


 突然僕が話しかけて、ガレノールは獣のような鋭い眼差しで僕をジロリと睨んだ。口を開きたくもない様子の彼の代わりに、その隣にいた役人が前に出て答える。


「その通りだ。お前は陛下お抱えの魔法使い、だったな。何か問題が?」

「いや、あの、僕の仲間が、先遣隊に加わって東へ行ったきり帰っていないんです。本当にもう全員帰ってきているんですか? もしかして今、彼等は別の街に集まってるんですか?」


 役人は怪訝な顔で僕を見る。

 何か、おかしな事を言っただろうか。


「お前の仲間の事など我々は知らない。だが命令を受けた部隊は、既にこのティグールへ帰還している」

「命令を受けた部隊って、じゃあ受けてない部隊もあるんですか? それに兵隊がみんな戻ってしまったら、残された街の人達は?」

「既に手遅れだ」

「手遅れ?」

「部隊の役割は同盟締結までの時間稼ぎ。それも今日で果たされた。後は敵がこの首都を目指している以上、その手前に総力をもって……」

「手遅れってどういう事ですか?」


 語気が荒くなっている自覚がある。

 でも、口が止まらない。


「まさか、一番奥で、一番厳しい場所を請け負っている人達を、命令が届かないからって取り残してきたんですか?」

「届かせるまでもなく、彼らは任を全うした。これ以上誰をそんな死地へ送り込めと言うのだ」

「も、元々街にいた兵隊だっていた筈だ! その人達まで置いて……!」

「何度言わせる! 撤退は完了したと言っただろう!」

「そんな! それじゃあ街も砦もカラにして! 敵にむざむざ譲り渡したも同然の場所に、僕の仲間を置き去りにしたって言うのか!」

「やめろクライム。お前まで熱くなってどうする」


 気付けば目の前の役人と額を突き合わせるようにして怒鳴っていた僕は、グイと力づくで引き離された。コムランだ。見れば周りのみんなが、黙って僕を見ていた。渋い顔で、苦い顔で、それ以上口にするなと。分からない。なんでだ。


「コムラン達は、どうして冷静なんだ。リメネス達が心配じゃないの?」

「心配じゃあないな。実際、死んでいてもおかしかない」


 そう言ってグラムの騎士、ギブスは笑った。

 僕は、言葉に詰まる。


「オレ達はそう判断しているのさ。テルルから来る筈の定時連絡が途絶えた時点で、あの小娘共は名誉の戦死扱いだ。魔族に叩きのめされた先遣部隊はお前さんも見ただろう。自分の身内だけは都合よく無事だと思ったのか? どうせあのアレクだってとっくに死……」

「やめて」


 それ以上言えなかった。


 言えば、大声を出してギブスを悪く言ってしまいそうだ。分かってる、そんな事言っている場合じゃない、食って掛かっても仕方ない、だから、今は、もう、聞きたくない。


「ヒヒッ、怖い怖い」

「よせギブス。あんたが悪い。クライムも彼を怒らないでやってくれ。俺達だって、本当に彼女達が心配ない訳じゃないんだ」


 ドミニクが僕を立ててくれる。メイルが僕の手を握ってくれている。

 僕は、気を遣われてばっかりだ。


「心配ない訳じゃないが、俺達は騎士だからね。勝手な行動をして陛下に迷惑をかける訳にはいかないんだ」

「……やはり、グラム王とはまだ会えないのですか?」

「これだけ近くにいるってのに、おかしな話だろ? でも今は殊更気を遣う時期だから。アルバにも世話になっているし、もう暫くは第一回会談の立役者って名目の軟禁生活を、甘んじて受けるしかないよ」


 そうなる。今まで敵同士だったみんなが一気に味方になって、味方だからこそ気を配る。冬もガレノールも敵だからと、好き放題に動いていた以前の方が気楽だったくらいだ。


 ウィルだってそうだ。出自の問題で家から離されていたウィルは、アルバの一声で王国騎士に復帰し、今後は家督も継ぐという。そして、その実家で悪戦苦闘している。ようやく功績に見合った待遇を受けている筈なのに、黄金の騎士としての力を、屋敷の奥で持て余しているらしい。


 ……おかしい。

 どうして、こんなにガタガタなんだろう。

 お互い助け合うって、こんなに大変な事だったっけ。


「……蜘蛛が、嗤ってる」


 聞こえる。あいつの嗤い声。あいつは戦争の勝敗なんて真面目に見てない。ただこうやって僕達が苦しむ様を遠くから見て楽しんでいる。もう、どうすれば良いのか分からない。


「誰も……、誰も助けには行けないんですか」

「今更前線に向かうなど自殺行為だ。そんなに死にたければ、お前一人で行く事だな」


 突き放すような役人の口調に、僕は自然と顔を上げた。


 役人は厳しい顔で僕を見ていた。

 コムラン達グラムの騎士も難しそうな顔をしている。

 ガレノールは苛立たし気で顔も合わせてくれない。

 レイは戻ってこない。

 ウィルも家を出られない。

 僕、一人が、完全に浮いていた。


 どうしよう。


 どうすれば良いのか、分からない。

 どうすべきか、分からなかった。


「……そうか」


 ただ一つはっきりしている事は。

 今、僕が、どうしたいのかだ。


「分かりました」

「ようやく分かったか」

「はい」


 最後に深く、頭を下げた。


「では、僕一人で行ってきます」



***



「鳥文三十五通。手配完了しました」

「ありがとうマキノ。どれくらいで着くかな」

「今日中には全員に行き渡ります。問題ありません」

「助かるよ。準備が出来たら、僕もすぐ出ないといけないから」

「出立はいつ頃に?」

「今日だ。少なくとも日が落ちる前には首都から離れたい」

「急ぎですね。分かりました」


 二人で足早に王宮を進みながら、手早く打ち合わせをする。

 まごまごしていたらさっきの役人が追い掛けて来そうだし、とにかく時間が惜しい。


「しかし、ふふ。一人で行けというのは言葉の綾だったと思うのですが。流石クライムさんです」

「そうだったの? 僕はてっきり本気で言われたと思ってた」


 それに彼の言い分はもっともだった。敵地にまで撤退命令を届けるにせよ助けに行くにせよ、危険すぎる事に変わりはない。アレクは僕の大切な仲間だ。でも彼の為に危険を冒す人だって、きっと誰かの大切な仲間だ。優劣なんて付けられない。


 でも、もうどうでも良い。考えれば彼等のように動けなくなるって言うなら、頭が熱くなって考えられない今の僕は丁度いい。今は、動かなきゃ駄目な時なんだ。


「……本当に、来るの?」


 僕は隣を歩くマキノに訊く。執務室を飛び出した僕に、当然のようについて来てくれたマキノ。彼は僕と違って、沢山の事を考えている筈なのに。でもマキノはいつもと変わらぬ調子で言う。


「逆に来ないと思ったんですか? 水臭いですよ、クライムさん」

「そう、だね。ごめん」


 そんなやりとりが気恥しくて、顔が少し熱くなる。

 この魔術師の隣に立てるという事。

 それは僕の、数少ない誇りの一つだろう。


「それより問題が山積みです。あの場にガレノールがいました。恐らくすぐにでも冬が妨害に来ると思われますが」

「メイルに足止めをお願いしてある。それよりアルバだ。会談にいた大使達と会食中だっけ。予定ではあとどれ位で終わりそう?」

「まだ時間はありますが油断は出来ません。話に聞く王の毒剣、会議室にも紛れこんでいた筈ですから、アルバの耳には入っている筈です。城内とは言え毒剣と戦闘にもなりかねません」

「いや、それはないと思うけど」

「そうでしょうか。構成も人数も不明ですが、彼等、毒剣は確実に存在しています。いつどこから襲ってきてもおかしくはない」


 話しながら廊下の角を曲がって速足で階段を下りる。すれ違う役人達が不思議そうに僕らを見ているけど、マキノはその全員に注意を払っていた。謎の諜報部隊の噂は、正体不明だからこそマキノにすら危険視されているみたいだ。でも、国王直属とか、あんまり笑わせないで欲しい。


「問題ないよ。アルバが直接動かない内は大丈夫だ」

「……分かりました。では何から手を付けましょうか」

「レイを探す。やっぱり一人には、しておけない」

「槍の検証の件もあります。そちらをレイさんに任せた方が効率が良い気もしますが」

「そしてそのまま黒の城まで殴り込ませに行くの? 絶対ダメ」


 レイの考え方はマキノに近い。頭の回転の速さは国王顔負けだろう。でも胸の内には、ヴォルフを倒すという譲れない想いがある。何を犠牲にしても、たとえ自分の命と引き換えにしても。いつも、いつもだ。


「レイ、なんでああなんだろう」

「どういう事ですか?」

「いつもなんだ。いつも自分を犠牲にして、誰かを助けようとする。どうして自分が真っ先に犠牲になるべきだって、そういう風にしか考えられないんだろう」


 レイの古い友人だったタリアさんも嘆いていた。いつも、心配してたって。

 でも僕がそう思っていると、マキノが少し複雑な顔をしていた。


「……きっと、彼女にとってヴォルフは、特別なんだと思います」

「特別って、同じ魔族だから? 確かに身内の恥だとは言っているけど」

「いえ、そうではなく……。彼女とヴォルフには、きっと私達が思っている以上の因縁があるのではないかと言うことです」


 マキノは変わらず足を動かしながらも難しい顔をしていた。どうしたんだろう。


「ずっと疑問だったんです。旧大戦が終わった時、ヴォルフと同じ城に閉じ込められた同盟側の魔族は、タリアさんも含め一人残らずヴォルフに殺されてしまった。しかしレイさんだけが、ただ一人生かされた。五百年間ずっとです。岩のドラゴン討伐と言う形で明確にヴォルフに敵対しても、なお」


 少し区切った後も、マキノは吐き出すように言葉を続けた。


「それに彼女はヴォルフに詳し過ぎる。彼は魔族の王です。言葉を交わす機会があったとしても、あそこまで主君の心理が読めるものでしょうか。それに詳しいと言うなら他にもあります。蜘蛛、ベルマイア、黄金、白銀、それに八人の魔法使い。旧大戦で名を馳せた重要人物と、彼女は悉く面識があります。はっきり言って、もう導かれる答えは、そう多くない」


 なんだろう。僕には、マキノが何を言おうとしているのか分からない。


「あくまで想像の域を出ませんが、彼女は、おそらく……」

「あらなあに? 何の話?」

「うわびっくりした!!」


 レイ! いつの間に後ろに!


「悪巧みなら私も混ぜなさいよ。ねえねえ、今度は何企んでるの?」


 僕らの間に入って腕を組みながら、レイは悪そうな顔で笑っていた。マキノも話の腰を折られて苦笑してるけど、いや、それより。


「レイ。丁度探してたんだ。悪いけど一緒に来て欲しい」

「ええ、聞こえたわ。急いでるんですって?」

「う、うん」


 なんだろう、やけにレイが素直だ。

 ひたすら歩きながら、ともかく話も続けた。


「レイ、僕らはこれからアレクを追うつもりなんだ。ロナンとは逆方向だ。だからもしかすると、決戦に間に合わなくなるかも知れない。槍の力を確かめるのがどれほど大事か、分かっているつもりなんだけど」


 ロナンでの検証を棒に振るって事は、それだけじゃない。あの巨人の不死の理屈がもしヴォルフと同じなら、万が一に備えてその攻略法が探れたかも知れないんだ。どこか弱点があるのか、不死にも限界があるのか。その機会を溝に捨てる事になる。


「いいのよ。君が決めたのなら、それで」


 それでも、レイは笑って答えた。


「さっきフィンにね、叱られちゃったわ。一度やると決めたなら途中で癇癪なんか起すなって。もっともだわ、私らしくもない。だから今はとにかく君について行って、君の力になる」

「そう言ってくれると、助かるよ」

「本心よ。それに時間の話なら、アレクをさっさと捕まえれば引き返す時間だってあるかも知れないわ。その為にも、すぐに行くわよ」


 レイの目はもう前を向いていた。それはマキノもだ。

 丁度そこで中央区画を出た。後はこのまま荷物を回収して出発だ。


「さて、アレク達の位置は大体予想できますが、この三人だけで行くなら戦闘は絶対に避けるべきです。可能な限り近付いて、上空から一気に掻っ攫いたい所ですね。問題は、」

「他の先遣隊の人達だね」

「それに避難民がぞろぞろついてる可能性もあるわ。その場合こっちも頭数を揃えないと助けられないけど。ねえ、どこかアテは無いの?」

「一応、救援は呼んだよ。でも……」


 恐らく来ないし、間に合わない。それに国からの正式な要請じゃなくて僕の個人的なお願いだ。手紙の送り先は懐かしい友人、かつて一緒に戦った仲間達だ。それでも律儀に来てくれるなんて甘い考えだ。


「うふふ、じゃあ本当に三人だけね。いいわ、血沸き肉躍る」

「クライムさんは結構、こういう大胆な事をしますよね」

「大胆かな。僕はただ、自分に正直でありたかっただけだよ」

「それって大変な事よ? こんな時だからこそ、自分の気持ちに嘘をついてでも大事な事を優先させなきゃって、みんなそう思ってしまってる。それを、君ときたら」

「嘘は誰かにつくものでしょ? 自分についてたら歩けもしない。僕はそれで三百年無駄にした。もう一日だって待てないよ」

「ですって。聞いた? マキノ」

「聞きました。でも今は、クライムさんのような人間が必要なんだと思います」

「現に私達が動かされたしねぇ。でも君、最初は本当に一人で行くつもりだったでしょ」

「うん」


 戦いが始まると分かった時、思っていた。

 何かがあれば、誰もが動いてくれるだろうって。


 南部に岩のドラゴンが現れた時、国の招集が無かったにも関わらず、その窮地に多くの傭兵団が立ち上がった。人にはそんな力があるんだって思えて、思わず胸が熱くなったのを覚えている。あの人達なら必ずまた立ち上がってくれると、仲間の窮地には必ず誰かが駆け付けてくれると、僕はそう期待していた。


 でもそんな期待をしていたのなら。

 最初に立ち上がり、そして駆け付けるその「誰か」は、僕じゃないと筋が通らない。


「行こう」


 胸の熱さは今でも残っている。

 これはあの時みんなに貰ったものだ。

 それを、今こそ返そう。



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― 新着の感想 ―
[良い点] むぅ…。 やはり敵も「馬鹿ばかりではない」故に、きちんと考えて籠絡(ろうらく)に動いてましたね。 こういう手を使われると、たちまち「烏合の衆」と化してしまうのが【人間の弱さ】かな、と。 …
2020/08/09 00:57 退会済み
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