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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
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第36話 勇者の遺産

 首都から離れた、とある山奥。


 遠くに見える人影に気付いて、僕は思わず胸が熱くなった。

 あれからもう何十年も経ってしまったみたいだ。

 本当に、久しぶりだ。


「マキノ……」


 そう呟くと、僕が止める間もなくメイルは馬車から飛び降りて走って行ってしまった。


 道の先でメイルを待っていたのは灰色の髪の若い魔術師。着込んでいる割に質素な服装。胡散臭いあの笑顔。何もかもが昔のままだ。そのままメイルはマキノに抱き着いた。思いのほか重かったのか、抱き着かれた拍子にマキノは少しよろける。


「お、お久しぶりですね、メイルさん。立派な恰好じゃないですか」

「マキノ! ごめん! ボクは、何も出来なかった! 何も……!!」


 泣きじゃくるメイルを、マキノは屈んで優しく撫でる。思えばこの二人はフレイネストで別れてからずっと会っていないんだ。そこでマキノはメイルに首都への潜入を頼んだ。そしてメイルは期待以上の働きをしてここに居る。銀の三重線が入った、濃紺のローブを着て。


 馬車が二人に追いついて僕とレイも下りた。

 マキノはメイルを撫でながら、僕を見て微笑んだ。


「クライムさんも、お久しぶりです」

「久しぶり、ってほど、長くもなかった筈だったんだけど」

「そうは思えないでしょう。色々とあったみたいですし」

「……あったよ。本当に、色々とあり過ぎた」


 首都での戦闘と魔族の進撃は、既に鳥文でマキノにも伝わっている。この事態は流石のマキノにとっても予想外だったらしい。僕も未だに現実が受け入れられないまま足だけ動かしている感じだ。


「それにしても随分な大所帯ですね」


 そう言ってマキノは僕らを見た。


 スローンの隠れ家に来て欲しいとマキノから連絡があったのは、ほんの数日前の事だ。本当は僕、メイル、レイの三人で来る予定だったけど、聞きつけたアルバが山と護衛を付けてきた。


 僕らが乗ってきたのは軍用の大きな馬車。続いてぞろぞろ降りてくるのは首都の兵隊達に工房も魔法使い達、加えて周囲には十数人の護衛騎士。大袈裟にも程がある。それにこの人達はこの前までは敵だった人達なのに。なんか気まずい。


「別にいいじゃない。この私がいるんだから、当然よ」

「そ、そういうものかな。まあ僕はともかく、レイは賓客だし、メイルだって偉い人だしね」

「違う、違うよ。ボクなんか全然ダメだ。首都に来たのがマキノだったら、もっと早く動き出して、もっと早く事実に辿り着いて、もっと……」

「そんな事はありませんよ。メイルさんは私の予想を遥かに超える成果を出してくれました。あの冬の魔法使いを味方に付けたなんて、今でも信じられないくらいなんですから」

「……冬の御方は貴様の味方ではない。杖無し風情が、図に乗るな」


 急に口を挟んできたのは工房の魔法使いだった。いったい何だろう。杖無し風情って、そりゃマキノは杖なんて普段から使わないけど。当のマキノは彼等を見もせずに淡々と言い返した。


「分かっていますよ。そして付け加えるなら貴方達の味方でもない。彼が対等と考えているのは、恐らくガレノールとメイルさんの二人だけでしょう。それ以外は腐肉を漁る汚らわしいドブネズミ。踏み潰されないだけ寛容というものでしょうが」


 微笑んだまま、マキノは僕が聞いた事も無いような毒を吐いた。魔法使い達とマキノの間で、火花が散りそうなやばい空気が流れる。兵隊達は気にせず支度して、レイも面倒臭そうに頭を掻く。でも僕は気まずくなってマキノに訊いた。


「マ、マキノ。随分な言いようだけど、この人達の事、知ってるの?」

「顔を見た事がある程度ですよ。面識と呼べる程でもありません」

「そ、そうなんだ。でも前から訊きたかったんだけどさ、結局マキノと冬ってどう言う関係なの?」

「お世辞にも良好とは言えないでしょう。そもそも彼が張った結界のせいで私は首都に入れず、メイルさんに危険な役回りを押し付ける羽目になり、そして最後まで応援に行けなかった。次に会った時は相応の礼をすべきでしょうね」

「……え? 結界?」


 またしても僕の知らない話だ。刺繍の魔法に名前の魔法、彼はいったい何重の防衛策を敷いていたんだろう。と言うより、僕は今までどれだけの事を知らずに動いていたんだろう。


「あの魔法使いは気に入らない人間に印を付けて、自分の縄張りに入れないよう呪いを掛けているんですよ。私は彼と不仲なせいで、ウィルは出自の関係からガレノールの命令でその呪い持ちとなった。他にもどれだけの人間が、今まで首都から締め出されていたか」


 マキノはメイルの頭を撫でながら淡々と説明する。行動派のマキノが最後まで首都の戦いに駆け付けられなかったのも、そのせいだったのか。


「私が皆さんを呼びつけたのもそれが理由です。お手数おかけします」

「別に構わないわよ。どの道、私はこの目で見たかったし」

「僕も手紙で聞いてはいたけど、一度は来てみたかったよ。まさかスローンの隠れ家があったなんて」

「……ええ、彼の魔術工房、という事になるんですよね。本当に、この世界は何がどう繋がるのか分かったものではないですね」


 変わらず僕等を憎々しげに見る魔法使いを無視して、マキノは腰を上げる。メイルも涙を拭ってマキノから離れた。そして兵隊を先導して森の奥へと足を進める。


「さて行きましょう。此方です」


 そう、ここからが本題だ。ひっくり返ったこの状況。マキノがもう一度ひっくり返してくれるかも知れない。どこへ行けば良いか、何をすれば良いか、それがはっきりするかも知れないんだ。



***



「……お邪魔、します」


 妙な言葉が口から出て来た。


 案内されたのは森の奥。

 地下へと続く大きな洞窟の更に奥。

 そこは壁をぐるりと本棚で囲まれた大きな円形の部屋だった。


 本やら巻物がやたら多くて、棚に収まり切らない資料が雑然と散らばっている。天井から無数の灯りが釣り下がって洞窟とは思えないほど明るかった。そして部屋の中心には、一つの作業机、一つの椅子がぽつんと置いてあった。ここがスローンの隠れ家か。なんか散らかってて、らしくないな。


「あー……、スローンらしいや」

「ほんと。らしい部屋だわね」


 メイルとレイは印象が違うみたいだ。

 そっか、こう言うのもスローンらしいんだ。でも。


「残り三人は? ここにいるのはマキノだけ?」

「皆さんには最後の封印の防衛に回って貰っています。破壊作業を行っていた死体狩り達は一掃したのですが、後から後から敵が沸いて来て、休む暇もないんです」

「うげっ、あいつらか。不死身の巨人は、確かもう倒したんだよね」

「掘り返されていなければ、の話ですが」


 話す僕らを無視して、魔法使い達は好き勝手に辺りを漁り始めた。真理の探究に礼儀の入る余地は無いらしい。でもマキノはもう調べ尽くしているんだろう。魔法使い達を尻目に、すぐさま部屋の奥から何か持ってきた。


 これが、僕らを呼んで来た理由。

 マキノの今までの旅の、成果、か。


「お二人に見て頂きたいのは、これです」

「これ……」


 レイがすぐさま反応した。


 それは身の丈以上ある細い棒状のものだった。

 色は黒っぽく、ただの鉄で出来ているようでもない。

 刻み込まれた鋭い装飾は、どこか黒の城のものを思い出させる。



 それは、槍だった。

 


 レイはマキノから槍を受け取った。

 彼女が複雑な顔をする傍ら、マキノが説明を続ける。


「この部屋に隠されていたものです。魔法で何重にも封印されていましたし、相応の物だと言う事は分かります。お二人の見立てでは、どうでしょうか」

「……どうもこうも無いわ。これは、ドールの槍よ」


 レイは相変わらず複雑な顔をしていた。

 スローンに、初めて会った時のように。


「ドール、とは?」

「ボルフォドール、私やタリアと同じ同盟側の魔族の一人よ。巨人みたいに大柄な剛腕の槍使いでね。強かったわ。良い奴だった。これは彼が闇小人に打たせた魔法の槍だわね」

「そうなんですか。彼も、レイさんと同じく城に?」

「……いえ。ドールは旧大戦でベルマイアを押さえてくれたのよ。最後まで残れなかったわ。遺体はメルが弔って、そうね。槍も彼が引き取っていたわ」


 彼の話は聞いた事があるな。それにしてもこの槍。闇小人が作ったって事は、黄金や白銀と同じ類か。


「でも、何だか以前見た感じと違うわね。あいつまさか、槍を打ち直したの? ねえマキノ、これについて何か資料はなかった?」

「ありました。ですが私には今一つ理解出来ないんです。そもそもこの槍は封印とは無関係で、彼は全く別の事を同時に調べていたらしいんですが」

「別の事?」


 何だろう。彼にとって封印以上に大事な事なんて無かったはずだけど。マキノは何と言おうか迷って、それでもいい言葉が思いつかなかったのか口を開いた。


「言ってみれば、不死の秘密、ですね」


 不死?

 何それ。そんな事考えてたの?


「……ボク良く分からないんだけど、具体的には?」

「彼の手記を見る限り、不死に関する魔族の探究をなぞっていたようですが」

「不死の研究って。あいつ不死身にでもなろうとしてたの?」

「そうは思えません。封印と違って不死の秘密など、身近に話してくれる人がいた筈です」

「不死の秘密を知っている人? 身近にって、誰?」

「ヴォルフよ」


 レイが唸った。

 でも、なに、え?

 あいつ、不死身なの?


「た、確かに伝説では黒の王は死ななかったって言われてるけど、冗談でしょ?」

「……事実よ。だから戦争では、封印って言う回りくどい方法しか取れなかったのよ」

「はあ? じゃあ封印が破られた今、僕らに勝ち目、あるの?」

「無いわ」


 あっさりと言われた。


「戦争末期に、あいつ一人のせいでどれだけやられたか。ヴォルフが戦場に出て来てから、私達は今までの戦いが馬鹿馬鹿しくなるほど一方的にやられたわ。不死の体、出鱈目な力、黒鉄の剣。封印が機能するまで、本当に手の施しようが無かったのよ」

「……黒鉄。その名前、凄い嫌な予感がするんだけど」

「察しが良いじゃない。同盟側に来た闇小人は、そもそもヴォルフに作らされた最強の剣に対抗する物として、黄金と白銀を打ったのよ。それでも二対一で、ようやく勝負になるかって所だったけどね」


 頭が痛くなってくる。

 ヴォルフが持っている剣。

 威力があのアルギュロスの倍以上か。


「ではもし、その不死身がどうにかなれば、私達に勝算はありますか?」


 マキノが訊いた。

 探るような目でレイを見る。


「……つまり、あなたはこう言いたいの?」


 レイはそれを見つめ返した。


「この槍は、ヴォルフを完全に殺す為に作られたんだって」


 見つめ返して、そう言った。入口を見張っていた兵隊も、部屋を荒らしていた魔法使いも、その言葉に動きを止めた。全員の視線を一気に浴びて、マキノは話しにくそうに頭を掻く。


「それが断言出来ないから困っているんです。不死に関する彼の手記は、最終的に不死の呪いを破る方法を模索し、この槍の製造へと繋がっていました。私もそう思いたい。しかしこれは、憶測で結論を急げる話でも無いんです」

「で、でも! でもさ! もしそれが本当なら!」


 メイルも興奮している。そうだ。もしこの槍で本当にヴォルフが殺せるなら、もしかしたら何百年も続くこの戦争を完全に終わらせる事が出来るかも知れないんだ。


 薄々思っていた。マキノが何度封印を重ねようと、ヴォルフを倒さない限りは問題を先延ばしにしているに過ぎない。封印の中でさえ、あいつらは着々と軍備を増やして再び戦争を起こす。僕らはずっとその影に怯えながら生きていき、そして、いつか必ず負ける。


 でも、その未来が変わる。

 本当に、本当に変えられるんだろうか。


「本当ならの話です。レイさん。それを確かめる方法など、あるでしょうか」

「……無い事も、無いわね」


 レイは難しい顔でそう言った。


「マキノ、フレイネストで死体狩りと戦った時、不死身の巨人がいたって言ってたわよね」

「ええ。……いえ、まさか」

「試す価値はあるわ。私は会った事もないけど、それはきっと誰かの遺体に不死の呪いを掛けて作った怪物。術師は蜘蛛あたりで、原理はヴォルフと同じでしょう。巨人は今どこに?」

「ロナンの森に埋めました。ですがどんな武人の遺体を使ったのか、あの強さは異常でした。もし槍が効かなかった場合、掘り起こすのも危険ですが……」

「やってみよう」


 難しそうに話す二人に僕は口を挟む。

 レイもマキノも振り向いた。


「やってみないと分からないよ。行こう、みんなで。レイの言う通り、試す価値は十分あるよ。マキノだって本当は信じてるんだろ?」


 二人の顔を見れば分かる。心は決まっているけど、頭で理性が抑えているだけだ。二人は未来を信じてる。前へ前へと進んでいく。そこで二の足を踏むのは僕くらいだ。メイルは相変わらず興奮した様子でマキノの袖を引っ張った。


「ねえねえ。その森って、ここから馬でどれくらいかな」

「大分離れていますから、休まず走らせても相当かかりますね」

「ヴォルフが出て来る前に何としても検証したい所ね。時間、あるかしら」

「難しいです。検証を優先したい所ですが、それ以前の問題が山積みですし」


 みんなは思い思いに意見を言い合う。魔法使い達も衛兵達も、無視しているようでそれに聞耳を立てていた。士気が高い。


「本当に、二の足を踏むのは僕くらい、か……」


 そんな独り言が口から洩れるけど、白熱したみんなには気付かれない。今後の組み立ては二人がいれば十分だろう。今は、僕は必要ない。


「少し、外すよ」


 形式だけ口にして、誰にも気付かれないように一歩下がる。

 そしてそのまま静かに、部屋を出た。


 不審げに僕を見る衛兵の隣をすり抜け。

 竜の死体を踏み越えて地上を目指し。

 骨の洞窟を抜けて太陽の下に出た。


 洞窟の入口や馬車を見張って、外にも沢山の衛兵がいたけど、ネズミに変身した僕に気付く人はいなかった。彼等の足元を潜り抜けて、僕は森の奥、辺りを一望出来る崖にまで歩いていった。高い所が好きなのは、僕の性分だろうか。


 風が、寂しい音を立てて吹いていた。


「不死を破る、スローンの槍……」


 そんな物があったのか。何を考えてたんだろうな、あいつ。思い返してもがなり合った記憶しかない。僕は彼について何も知らない。何も知らないまま、切り札という結果だけが手元にある。


 最近はずっとそんな調子だ。僕が理解する間もなく、国が変わり、戦いが始まり、事態はどんどん変わっていく。予想外なんて雨のように降ってくるし、そのせいで目の前はいつだって泥道だ。


「……」


 今度は、何が起こるんだろう。


 故郷の仲間を探すという嘘も、黒の城で勇気をくれたタリアさんも、今まで僕の歩みを支えていた物が、足を進めるに連れてどんどん無くなっていく。それなのに明日は容赦なくやってきて、また、何かが失われる。


 分かってる。無くなった分だけ自分で拾えばいいんだ。自分達の時代は自分達で掴み取れと、タリアさんにも言われた。そしてスローンは槍だけ残して死んでしまった。


 何だってんだ、あの二人。

 僕にどうしろって言うんだ。

 僕には、何が出来るんだろう。


「クライム」


 急に後ろから声がして僕は振り返った。

 森の奥から姿を現したのは、メイルと、レイ。

 誰にも気付かれなかった筈だったけど、何故かバレている気もしていた。


 レイはいつも通り、悪戯っぽく笑っていた。


「隣、いい?」



***



 アレクは王宮の廊下を大股で歩いていた。

 その頭では当然のようにフィンがとぐろを巻いている。

 働く役人達の視線など気にもせずアレクは進む。

 いつも通り、一直線に。


 だが正直、気まずかった。


 グラムの騎士が呼びに来たのは今朝、まだアレクが泥の様に眠っていた時だ。


「シルヴィが待ってる」


 傷を治す為に体中が休眠状態だったが、その一言でアレクは一気に目を覚ました。


 シルヴィア・ベイン。

 ジーギルの率いるグラムの騎士の一人。

 そして何より、あのエイセルの妻だった剣士。


 休戦中とは言え敵地である事から、エイセルの葬儀は内密に行われた。遺体は早々に火葬され、後日彼はグラムの地へと還る。全て、アレクが倒れている間の事だった。


 あの瞬間を、アレクは毎日夢に見る。


 敵国の兵を守る為に、普段なら絶対に見せない隙が出来た。それに気付いたアレクの剣が、援護に入るか入らないかの一瞬で、エイセルは死んだ。そうでなければ死ぬ筈もなかったのだ。真正面からぶつかったなら、あのエイセルが魔物如きに負けるものか。


 朝アレクが目を覚ましても、厨房は冷たいままだ。

 剣闘場に足を運んでも、相手をする者は誰もいない。

 酒を飲みに行った所で、隣に座る姿もない。


 記憶の中の声だけが、空っぽになった空間に木霊する。

 空っぽになったまま、気付けばアレクは一人だった。


「……」


 扉の前で、アレクは少し動きを止める。覚悟は出来ている。どう責められても文句は言えない。むしろはっきりと責められないと筋が通らない。全て、アレクが力不足だったせいなのだから。


 らしくもないノックを三回して。

 返事も待たずにアレクは扉を押し開けた。



 途端、子供の泣き声が大音量で部屋に響いた。



「あぎゃああああああああああ!!!」

「な、泣かないでくれよ! ほーらほら、怖くねェぞー?」


 泣き声は止まらない。むしろ悪化した。


 窓際の椅子に座っていたのは、グラムの筋肉質の騎士、コムラン。そのはち切れんばかりに太い腕に抱えられていたのは、黒い髪の、赤ん坊だった。短い手足をばたつかせて泣き喚いていた。ベッドに横になった癖っ毛の女が面白そうにその二人を見ている。


「シルヴィ! もう駄目だ何とかしてくれ! と言うか助けてくれェ!」

「えー? 人の子供を泣かせといて放り投げるっての? 最低ねあんた」

「俺は何もしてないって! おいアレク! おめーが急に入って来るからだろうが!」


 呆然と扉の前で立ち尽くすアレクにいきなりお呼びがかかった。

 そこでアレクは我に返る。開口一番、文句が出て来た。


「俺が知るか! 呼んだのはそっちだろうが!」

「何だとコラ! いいからおめーが何とかしろ!」


 二人のがなり合いで更に赤ん坊は大泣きする。だがコムランはそれを有無を言わせずアレクに押し付けた。涙目のまま赤ん坊が唸る。


「うー……」

「なんだよ」


 赤ん坊がアレクを見る。

 アレクが赤ん坊を見る。

 気まずい沈黙。

 その直後に再び赤ん坊は爆発した。


「うぎゃああああああああああああ!!!」

「うるせぇえええええええええええ!!!」


 赤ん坊の泣き声と同じ大音量でアレクは怒鳴り返した。

 堪らず頭の上のフィンが逃げ、ベッドの上に飛び降りた。


「なんだろねこれ。アレクに子供なんて、無理に決まってるじゃないか」

「あら、本当に喋ってる。あなたが幸せを呼ぶって噂の雪の竜ね。初めまして」


 癖っ毛の女がニコニコしながらフィンに話しかけた。


「はい初めまして。それでグラムのお姉さん、あなたが?」

「ええ、シルヴィア・ベイン。シルヴィって呼んで」

「僕の事はフィンでいいよ」


 穏やかな笑顔だった。エイセルと同じか、若干年上だろうか。黒い髪は無秩序にあちこち跳ねていて、それでも丁寧に短く整っている。気のせいか目の下に隈があり、少しやつれているようにも見える。


「お姉さん寝不足? ああ、夜泣きのせいだね」

「御明察ね。寝ても覚めても泣きまた泣き。まったくシメてやろうかしら」

「子供が泣くのは世の常だよ。馬鹿な事言ってないでさっさと慣れる事だね」


 向こうでは赤ん坊が泣き、アレクが怒鳴り返し、コムランが仲裁に入り、二人の大音量に叩き返されていた。人語を解さない赤ん坊と人語を忘れ切ったアレクは、なぜか叫び声だけで意思を通わせている。


 そんな様子を見ながら、フィンはふと、口を開いた。


「エイセルの子供なんだね」

「ええ」


 三人に、その言葉は聞こえなかった。


「知らなかったよ。いつ産まれたの?」

「ついこの間よ。世界会談での作戦の直前にね」

「じゃあお姉さん、子供を腹に抱えたまま首都に来ていたのかい?」

「ええ。エイセルこそガキみたいな男だったから、私が目を離す訳にはいかないでしょう?」

「ガキみたいな、ね。弟子が弟子なら、師匠も師匠か。お互い苦労するね」


 アレクは抱えた赤ん坊に向かって、男なら少しは耐えろだの悔しかったら殴ってみろだの無茶苦茶言っていた。


「勘違いして欲しくないんだけどね」


 そんな二人の様子を複雑な顔で見るフィンに、シルヴィアは優しく声をかけた。


「私はあなた達を責める為に呼んだ訳じゃないのよ。ただあのアレクって子がエイセルの弟子だって言うから、馬鹿師匠が育てた馬鹿弟子がどんな面なのか、見たかっただけよ」


 当の馬鹿弟子は赤ん坊とにらめっこしている始末だった。

 フィンは二人を見たまま言う。


「それだけじゃない、でしょう? 僕達はあの子の父親を、あなたの夫をむざむざ死なせた」

「そう、それだけじゃないわ。どうせそんな事考えてるだろうと思って、釘を刺しにね」


 振り返るフィンに、シルヴィアは変わらず穏やかな笑顔で語りかける。


「いいことボク。私もエイセルも騎士なのよ。何度も同じ戦場に立った戦友で、そういう生き方を選んだ馬鹿な人種だとお互い分かっていたわ。剣に生き、そして剣に死ぬと」


 穏やかな笑顔のまま、淡々と言葉を続ける。


「それなのにあいつは私を選び、私もそれを受けた。だから始めから分かっていたのよ。遅いか早いか、どちらが先に逝くか、ただ、それだけの話だって。それは誰のせいでもない。私達が選んだ道よ」

「……騎士としては結構な心構えだね。でもお姉さんはそれで、幸せだったって言えるのかい?」

「ええ、幸せだったわ」


 シルヴィアの表情は変わらない。


「今も、私は幸せよ」


 フィンも彼女を見返した。

 彼女の瞳は、真っ直ぐだった。


「どうして、そう意地を張るのさ。あなたは、もっと僕らに当たっていいんだ」

「あら優しい。でも、そんなみっともない真似できないわね」

「騎士同士の誓いだからかい? 分からないよ。エイセルも、あなたも、そしてあの子も、僕にはとても幸せだとは思えない。なのに」


 どうして、そんな幸せそうな顔で笑えるんだ。

 その言葉を、フィンは何故か口に出来なかった。


「あなたにも、いつか分かるかも知れないわ」


 フィンは難しい顔をして俯いた。


「……分からないよ、僕には」


 ベッドから飛び降りて、子供を相手に悪戦苦闘する二人の騎士に歩み寄る。


「でも、あなた達がそれで幸せでいてくれるなら、それに僕が口を挟む道理は無い。僕に出来るのは、せめてこの子に明るい未来が待っている事を願う事くらいだ」


 アレクの腕で暴れる子供の上にひょいと飛び乗った。フィンと子供の視線が合う。その雪のように澄んだ瞳に捉えられると、ぴたりと、赤ん坊は泣き止んだ。


「シルヴィア。この子の名は?」

「まだ付けてないわ。あの馬鹿、教える前に死にやがったから」

「……僕がつけても?」

「ええ。是非お願いするわ」


 子供の目には、フィンの青い瞳が反射して映っていた。 

 フィンは静かに、子供に語り掛ける。


「大昔の、雪の村に伝わる剣士の名を贈る。素性も分からぬならず者だけれど、その生き様から、男も女も多くの人々が彼を慕って集まった。願わくばお前も、彼のように真っ直ぐに、母のように穏やかに、そして父のように強い男に、ティネス」


 フィンは子供の額に口づけた。

 そこに一瞬、光る模様が浮かび上がり、すぐに消える。


「マルティネス・ベイン。それが今から、お前の名だ」


 さっきまで泣いていたのが嘘のように、子供は真剣な表情でフィンを見ていた。

 アレクもコムランも、何だいったいと不思議そうにフィンを見ている。

 シルヴィアだけが、変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。


「ティネス、ティネスか。雪の竜が名付け親だなんて、この子にも少しは幸せが来るかしら?」

「それは僕が約束する。でも実際に彼を幸せにするのは、母親のあなただよ」

「ふふ、そうね。良い名前をありがとうね」


 ひょいとフィンはアレクから飛び降りた。

 そのまま尻尾を揺らしながら外へと歩き。

 扉の手前で少し振り返った。


「また、来るよ」


 フィンが部屋から出ると、扉は一人でに、そして静かに閉まった。


 外へと向かうフィンの背後では、再び泣き始めるティネスの声と、アレクとコムランが慌てふためく声がいつまでも聞こえて来ていた。



***



 洞窟から離れた森の外れ。

 見晴らしのいい崖の上で、僕らは三人、並んで座っていた。

 レイは鼻歌を歌いながら足をぶらぶらさせている。


「さっきの、槍。どうだった? 実際に見てみた感想は」


 揺れていた足が止まってレイが僕を見る。


「ん? ああ、実は魔法の構成が複雑すぎて、私にもよく分からないわ」


 そっか。使った事が無いんだったら、本当にロナンに行って試すしかないかもな。でも、そう言えば。


「何に使うつもりだったんだろう」


 僕はふと疑問を口にした。


「何にって、どういう事?」

「だってスローンはフェルディアを滅ぼす事が目的だったんだろ? ヴォルフを殺しちゃったら、意味が無いと思うんだけど」

「それはやっぱり、ヴォルフに対する手綱としてじゃないかしら」

「……ボクはそうは思わない」


 メイルは下を見たままそう言った。

 レイの真似をして、足をぶらぶらと揺らして。


「スローンは、最初から戦争なんて起こす気は無かったんじゃないかな。城の封印を解いたら、本当にタリアさんだけ助け出して、そしてあの槍でヴォルフを倒すつもりだったんだ。酷い方法に変わりはないよ。でもせめて、少しでも犠牲を減らすために……」


 僕もレイも答えられない。そんなのメイルの願望だと、そう切り捨てるのは簡単だ。でもメイルは、レイでさえ知らないスローンの一面をずっと見てきたんだ。


「……どうでしょうね。今となっては、もう分からない事よ」

「でもレイ。いつまでも破壊されなかった最後の封印。それが何を封じているのか、ボクには分かる気がするんだ。レイはどう思う?」

「あれが、ヴォルフ自身を城に釘付けにしている物かって?」


 メイルは頷いた。確かに東からの情報だと、城からは軍も魔族も魔物達も、好き放題出て来てるって話だ。何の制約も無いように見えるこの状況で、まだ封印丸々一つ分の何かが縛られているとしたら。あり得ない事じゃない。


 なら。


「なら、僕らがすべき事も、何となく見えてくるね」


 レイは一瞬止まって、ゆっくりと僕を見た。


「クライム、ちょっと本気?」


 ものすごく嫌そうな顔でそう言う。


「まさか、ヴォルフを暗殺に行こうって言うの?」

「元々スローンはそうするつもりだったんだろ」

「それも効くかどうかも分からない、あのハリボテを使って?」

「もし最後の封印破壊を遅らせていたのが本当にスローンだったなら、今度はヴォルフ自身が本気で壊しに来る。時間は無いよ。勝ち目無いんだろ? あいつが戦場に出てきたら」


 レイはクシャクシャと頭を掻いた。

 暫くして、はあ、と大きく溜息をつく。

 そしていつも通り、思いつめた顔で言った。


「私が、やるわ」


 いきなり言われて、メイルが慌てた。


「じゃあウィルにも手伝って貰おうよ。出来るだけ沢山で、」

「いえ、私一人で十分よ。大勢で行けば犠牲も出る。一人の方が都合がいいわ」

「前の戦争でも結局敵わなかったんでしょ!? ボクだけでも一緒に……!」

「嫌よ。メイルを傷物にでもしたら、私クライムに殺されちゃうじゃない」


 必死のメイルを、のらりくらりとレイは躱す。当人達は本気なんだろうけど、僕には姉妹がじゃれてるようにしか見えない。二人を横目で見ていると何故か笑ってしまう。なんだか、懐かしいな。


 岩のドラゴンを追っていた時も、レイは同じ様に口八丁手八丁で僕らを誘導していた。必要な情報だけ与えて万全の準備をさせて、払う代償は全部自分で引き受ける。タリアさんも言ってたな。誰かの為に、自分を削らずにはいられない、か。


 それで?


 ウィルやジーギル、強い人達を全員防衛に回して、自分は相打ち覚悟でヴォルフを殺しに行こうってか。目に見えるようだ。全部が終わった後に、上手く行ったと笑いながら死ぬレイの姿が。


 僕が二度もそんな手に引っ掛かるって?

 ははははははははははは。笑える。


「絶対ダメ」


 腹が立ってそう言った。


「レイ一人では行かせられない。少なくとも、僕は一緒に行く」

「クライム、私がしくじるとでも?」

「珍しく言い訳の筋が通ってないね。失敗した時の為に、代わりに受け継ぐ誰かが必要だよ」

「危険過ぎるわ! この戦争は身内の恥なのよ! お願い、私にやらせて!」

「いいよ。でも僕も一緒に行く」


 完全に押し問答だ。

 今回は僕も引き下がらない。


「相手はあのヴォルフなのよ!? 人の形こそしているけど、岩のドラゴンと同じだけ力を、」

「そうやって前の戦争でも一人で突っ走ってたの?」

「関係ないでしょ! 私は一番確実な手段を取っているだけよ!」

「それが間違ってるから! タリアさんもスローンも、レイの事が放って置けなかったんだろ!」

「それで益々ややこしくなるのよ! 私の為だなんて図々しいわ!」

「どうしてそんな言い方しか出来ないんだ! レイの事が心配だったんだよ!」

「余計なお世話よ! 私は一人でも出来るわ!」

「タリアさんが見てるぞ! レイが無茶ばかりしないようにって! 今でも!」


 レイがぐっと言葉に詰まった。


「……そんなの、知らない。死んだ人間が出しゃばらないでよ」

「そうだね。だから、今は僕が代わりに出しゃばる」

「タリアに吹き込まれたの? あのお節介、私の事なんて言ってたのよ。何度みんなに迷惑をかけたと思ってるって? いつも勝手ばかりで少しは反省しろって?」

「愛してたって、言ってた」

「…………」


 レイは、一瞬目を見開く。

 そして、ぷいと顔を逸らした。

 メイルは口を挟めずに僕達を交互に見ている。


 レイは何も答えない。僕も何も言えなかった。タリアさんの遺言、もっと早く伝えていれば良かった。でも出来なかった。死も、別れも、僕自身がずっと顔を背け続けていた事だったから。


 僕は別れなんて認めたくなかった。

 最期の言葉なんて聞きたくもなかった。

 そうでなければ、こんな形で伝えたりなんかしなかったのに。


「何よ、それ……」


 顔を逸らしたまま、レイが言った。


「……そう言ってたんだ。みんな、レイの事を愛していたって」

「馬鹿じゃないの。全部私のせいなのよ? 私がヴォルフを止められなかったから、タリアも、メルも、みんなも……」

「誰にも、どうにも出来ない事だったんだよ。だから、これからはみんなで、何が出来るか考えよう」

「放って置いてよ。おかしいよ君。私に関われば、君だって……」

「そうだね。おかしいかも知れない。僕、変わってるから」


 そんな下手な返しが口から出たけど、レイはふっと笑ってくれた。でも僕の事を変わり者だとからかうのは、いつもレイの方だ。


「……そうね。今更、だったわね」


 メイルは、静かにレイを抱き寄せた。


 小さな胸にレイの頭が収まって、少しぎこちなく、メイルはその頭を撫でる。髪に隠れて、その表情は僕には見えない。頭を撫でられるまま、レイは子供のようにメイルの服をぎゅっと掴んだ。


「ありがとう、私、頑張るから……」



***



 三日後。


 ティグール城門前の平原には、アルバが掻き集めた先遣隊が揃っていた。

 風に吹かれて軍旗がたなびく。凄い数だ。一体、何百、何千いるんだろう。


 無数の方陣型に整列した部隊の前で、一際豪華な鎧を着た髭の人達が今後の連携について話し合っていた。ヴォルフの軍は幾つかの部隊に分かれて、別々の方向からこのティグールに迫っている。だからこっちも部隊を分けて、向かって来る相手を片っ端から食い止める方針らしい。


 そして僕らの前に集まっているのは、それとは別の騎馬部隊だ。


 早馬の報告では、分散した敵の中でも一つの部隊が異常な速さでここを目指しているという事だ。いわゆる精鋭部隊なんだろう。こちらとしても早々に対応して、出来るだけ首都から離れた所で押し返しておきたいらしい。


 そしてその騎馬部隊にはアレクが加わっていた。

 皮の鎧を付け馬に跨った姿は、それなりに様になっていた。


「最後にもう一回確認するけどさ。本気なワケ?」


 フィンが呆れたように訊いた。


「うるせぇ。こんな退屈な所にいたら体が鈍って仕方ねーんだよ」

「あっそ。ま、短い付き合いだったけど、君の事は忘れないよ。さよならアレク」

「おい待てゴラ。勝手に殺すな」


 行くのは剣が使えるアレクだけで、僕らはただの見送りだ。マキノは知り合いでも見つけたのか、年配の騎兵と楽しそうに話していて、メイルは部隊と一緒にいた軍用犬にべろべろ顔を舐められていて、レイはアレクの乗っている馬を楽しそうに撫で回していた。


 フィンは冗談交じりに毒舌を吐くけど。

 正直、僕は少し心配だ。

 少しじゃない。心配だ。


「……アレク。ヴィッツとテルルを、助けに行くの?」


 僕が訊くと、アレクはフンと鼻息を立てた。


「俺とあいつらの戦績は、合わせて四十二戦十三勝二十九敗。最初にやられまくったのが響いてな。まだ取り戻し切ってないんだよ。こんな所で勝ち逃げされて堪るかってんだ」

「そっか」


 要約すると、ずっと一緒に修行してきた仲だから絶対に助けてあげたいという事らしい。僕ら旅の仲間の間では剣に長けているのはアレク一人だったし、二人には僕らとは違う絆を感じてるんだろう。アレクも素直じゃない。


「でも先陣切って来る敵の精鋭。そこに三人がいるって確証はあるのかい?」


 僕の肩に乗ったフィンがもっともな事を言う。それをアレクは鼻で笑った。


「いるに決まってる。奴らの性格なら一番不利な所に率先して飛び込む」

「そう言うものなの? あの二人にはリメネスさんもついてるし」

「止められる訳ねーだろ。あの女、弟子にはだだ甘からな」


 そ、そうなんだ。知らなかった。


「それに敵にはあの翼の化け物がいる筈だ。宮殿で味わった恨み、今度こそ晴らさせて貰うぜ」

「楽しそうだね……。早めに帰って来てよ? こっちも大変なんだから」


 アルバからの伝言が来たのは昨日の事だ。彼は新体制確立の片手間に散々根回しをして、どうやら二度目の会談開催にこじつけたらしい。実体験として痛い目に遭った大使の言葉は、彼等の本国でも重く受け止められたろう。アルバ曰く、向かって来ているグラムの軍もそのつもりの筈だって。


 その場に呼ばれたのがレイだ。立ち位置は前の戦争と同じ、同盟側の魔族の一人。ただし今回は隠し事無しに団結を呼びかける。重要な役目だ。僕も同席する。とは言え僕はレイが余計な喧嘩を売らないように、後ろで見張っているだけで良い筈だけど。


 良い筈だよね?

 大丈夫だよね?

 頼むから余計な事言わないでね?


「何とかなんだろ。今度はウィルもいるんだろ?」

「うん、フェルディアの部隊と交代で、ナルウィもリューロンも一度こっちに来るはずだよ」

「なら問題ねーよ。精々お偉いジジイ共相手に楽しんで来いよ」

「……そっちは本当に問題ないの?」

「ない」


 ……アレクはいつも通りだ。


 余計な事ばかり考える僕と違って、アレクは常に最短距離を突っ切って行く。アレクは強くなった。騎士さながらの姿は凄く頼もしい。でも僕は、どうしてもその姿がエイセルと被ってしまう。あれだけ強かったエイセルが一瞬の隙を突かれてやられてしまった。


 アレクが同じ目に遭わないと言えるだろうか。

 強くなった分、先走ったりしないだろうか。

 これが、アレクと会う、最後の時間にならないだろうか。


「ああ! ここにいたんですか!」


 部隊がざわざわ準備をしている中、城門の方から若い役人が走って来た。

 メイルも犬を抱えて戻って来る。


「あれ? ユノだ」

「メイル、宮殿の仕事仲間?」

「うん。いっつもボクの手伝いをしてくれる人だよ」


 ふーん、メイルの手伝いをしてる。

 男の人、か……。


 いやいやいや!

 僕が気にする事じゃないから!

 メイルはもう大人なんだ! お節介はやめるんだ!


「メイル監査官! どうしてこんな所にいるんですか!」


 役人は息を切らして来て、メイルの前でようやく足を止めた。

 彼に気付いてみんなも集まって来る。


「ちょっと友達の見送りに。ユノ、どうしたの?」

「どうしたじゃないですよ! 冬の方との約束があったんじゃないですか!?」

「……あ、ごめん忘れてた」


 その一言で役人は泣きそうな顔をした。


「早く戻って来て下さい。もう機嫌が最悪で、宮殿は寒くなる一方なんです」

「メイル、魔法使いとの約束って、またカトル?」

「うん。もうスローンもエイセルもいないから、ボクが構わないとへそを曲げるんだよ」


 へそを曲げるとか、子供か。役人も疲れ切った様子でため息をついたけど、すぐ持ち直して話を続けた。


「と、とにかくお願いします。それに他の皆様方にも用事がありまして。まずは灰色の髪の、マキノさん、ですね。貴方には別の方から御呼びが掛かっています」

「私に、ですか? さて、身に覚えが無いのですが。一体どなたから?」

「氷雨の魔法使いと仰る方からです」

「……ああ、彼女ですか。こんなに早く気付かれるなんて」

「あとレイさん、それにクライムさん。王が御呼びです。すぐにいらっしゃって下さい」

「げ、とうとう来たか」

「結局テメーら全員呼ばれてんじゃねーか。帰れ帰れ」


 アレクは鬱陶しそうに手をヒラヒラさせる。フィンだけが僕は関係ないとか言って逃げようとしていたけど、引っ掴んでメイルに押し付けた。でも、折角久しぶりに会ったのに。生身のレイを含めた面子では初めて揃ったのに、あっという間に、別行動。


 余計な事ばかり考える。


 でも、大丈夫だ。


 分かれるのも今だけだ。またすぐにでも会う事になるだろう。

 その時は、もっともっと沢山の仲間が揃っている。

 そんな予感がする。


 これだけ大きな事態なんだ。誰もが動かずにはいられない。何かあればすぐに誰かが駆け付けてくれるだろう。その誰かに何かあれば、すぐにでも僕が駆け付ける。遠く離れても分かっている。言葉にしなくても伝わっている。


 口にするのも恥ずかしいけど、僕達は仲間なんだ。

 山猫屋の地下で交わした剣の誓い、あれは一時の物なんかじゃない。

 僕はもう、それ以上何も望まない。それさえあれば、僕だって戦える。


 どんな事でもやってやる。

 どこまでだって、強くなれる。

 ヴォルフがなんだ。ブッ飛ばしてやる。


「ではアレク、そろそろ準備を」


 僕らは自然と顔を合わせた。

 騎馬隊の嘶きが強くなる。

 部隊が少しずつ動き始めた。


「皆さんも、くれぐれも無茶はしないで下さい」

「僕は尻拭いなんてゴメンだから。精々死なないよう気を付ける事だね」

「み、みんな。またすぐ、会えるよね」

「大丈夫、会えるよメイル。頑張っておいで」

「集まったらまた一緒に飲みたいわね。アレク。あの店は?」

「任せろレイ。俺は常連だぜ、一日二日貸し切りで取ってやらぁ」

「ちょっと二人共! これから出撃だってのに、何話してるんだ!」

「いいじゃないですか。私は初めて行くんです。楽しみですねー」

「ボクもまた行ってみたい! 今度は何を演奏する!?」

「僕は寝てるから。それはクライムに任せる」

「ちょっとフィン! 逃げるな!」

「さて、もう時間です。私達も行きましょう」

「じゃあアレク。気を付けてね」

「気を付けなくていいわ! やっつけて来なさい!」

「おお! 任せろ! ブチのめして来るぜ!」



***



 六人はそれぞれ声を掛け合い。

 それぞれの戦いへと赴いた。


 騎馬隊が本隊より先んじて出発し、街をも覆い隠す程の土埃を上げて東へと駆けて行った。本隊の出発まで時間は無い。最終的な話もまとまりつつある。そんな中で一人の将が、作戦など無用と馬の上で英気を養っていた。


 その将に、一人の男が盛んに話しかけている。


「それで将軍。この度の作戦の手応えとしては如何程ですかな?」


 かきあげた髪、荒い無精ひげ、落ちついた瞳、どれも少し珍しい赤っぽい色合いだった。背は高く、体付きはがっしりとして、見た所では引退間際の老兵士の様だ。しかし今は、木の板を下敷きに勢いよく紙に何か書いている。エリックと名乗るその男は、情報屋であると言っていた。


「手応えなど! 我々が出張って来たからには、魔族など蹴散らしてくれる!」


 髭の将軍は馬の上で踏ん反り返り、自慢げに質問に答えていた。つられてエリックも顔を綻ばせる。


「それはそれは素晴らしい! やはり正規軍ともなると格が違いますなぁ!」

「当然である! 東部の失態は実に嘆かわしいが、時代遅れの化け物共など相手にもならん!」

「では作戦など必要ありませんね! 敵などただ踏み潰してしまえば良いのですから!」

「他の連中は臆病でいかん! 我等は正面から突き進み、敵を撃滅するのみよ!」


 そうであろう! と髭の将が呼びかけると、部隊からは力強い掛け声が返って来た。赤毛の男は何度も頷きながら、楽しいそうにその話を書き取っている。未知の敵を相手に碌な作戦も立てず挑もうとする者達が、彼にとっては面白くて仕方がないらしい。


「では情報屋! 戦勝の報を楽しみにしているが良い!」

「頼もしい限りです! 吟遊詩人を呼び寄せて待っているとしましょう!」

「それは良い! では後世に残る戦いをしなくてはな!」

「『その時である! 魔王が現れ世界は暗闇に包まれた! しかし見よ! 西から現れたるは勇猛なるフェルディアの一軍! 魔を滅ぼし! 悪を砕く! 世界に新たな平和を齎さんが為に!』」

「はははは! 見ておれ! その滑稽な詩、すぐに現実に変えてくれよう!」


 気を良くした髭の将は、持っていた小袋をそのままエリックに放った。向こうでは作戦会議も終わったらしい。髭の将も手綱を引いて馬の腹を蹴り、部隊へと歩を進めた。その後ろでは情報屋が紙をしまい、右手を胸に当てて大仰にお辞儀をしていた。


「では将軍殿! 御武運を!」


 そして顔を上げて優雅に微笑む。

 その微笑みに、何かが危険を知らせて来る。

 どこか人の不安を煽る、怪しく、赤い瞳だった。




「勇者達の尊き犠牲! 願わくば後に続く太平の世の礎とならん事を!」




 耳を疑うような言葉が聞こえて、髭の将は振り返る。

 しかし、そこには既に誰の姿もなかった。


「む……?」


 そして分からなくなる。自分は今まで誰と、何を話していたのか。疑問に思いつつも将は馬を進めた。しかしその時には彼もまた、その場にいた何百と言う兵士と同じく魔法にかかり、その情報屋の存在が意識から抜け落ちていた。


「なるほど、なるほど。人間同士の戦ばかりだと、やはり人の意識は鈍ると言う物か」


 堂々と歩きながら、しかし誰に気付かれる事も無くエリックは話を紙に書き留める。


「初戦はフェルディアの惨敗か。しかし他国の軍が揃えば、少しはまともな勝負になるかな?」


 横をすり抜けても、鼻先を歩いても、誰一人彼を気に留めなかった。

 クライムは勿論、マキノも、フィンも、レイまでも。

 すっかり彼の魔法にかかっていた。


 クライムも見た事がある魔法だ。岩のドラゴンと出会う前、盗賊少女に騙されて闇小人の鉱山を走り回った後に彼はエリックに話を売った。情報屋という肩書のあるエリックは、商品である話を仕入れる際に必ずこの魔法を使う。マキノやテルルも使う単純な魔法である。


 だがエリックが使うその魔法は、範囲、効果共に桁が違った。フェルディア全土を覆い尽くし、人も魔物も虫の一匹に至るまで、誰もエリックを認識できない。


 だから彼は首都の奥深くまで潜って情報を集められた。クライムの近くに都合よく出現しても彼に不審がられない。息をするように千年近く同じ魔法を張っているが、実際は息をする方が余程面倒だ。



 そうやって彼は。

 彼を含む、炎竜と呼ばれるドラゴンは。

 誰の目にも留まらず、世界を渡ってきたのだ。



「だが数など意味はないか。あのヴォルフが出て来れば全ては終わる。奴も変わらんな、あれだけの力を持ちながら面倒な事を。出番を渋るのも、また王たる者の資質なのだろうかな」


 そう独り言を呟きながら左目の傷を撫でた。五百年以上も昔、エリックは喧嘩を売ってきた魔族を焼き殺し、血の盟約に従いアルダノームの拠点にまで襲撃を掛けた。そこでヴォルフと戦った際、一瞬の油断から付けられた傷だ。何百年経っても消える事無く残っている。


 エリックが何かにつけてクライムの話を書き留めてきて、もうどれ位になるだろう。面倒事を呼び寄せる体質なのか、彼さえ追っていれば金には困らなかった。喜劇のように面白おかしい彼の話は、聞いているだけで物書きとしての本能がざわめく。


 ある時は騙されて山の主と戦わされ。

 ある時は奴隷としてまんまと売り飛ばされ。

 ある時は来る筈も無い呪いの星を防ぎに悪戦苦闘していた。


 根性のある奴である。どれも紙一重の所で命を繋ぎ留めていた。そして少し目を離した隙に、今度は魔族との戦争に巻き込まれている。気でも狂ったのかと思って笑ったが、しかし以前トレントの街で話した時を思い返せば、成程。確かに魔族の対の指輪を持っていた。


「しかし流石の奴も、命運尽きたと言った所か」


 今度ばかりは相手が悪い。飯の種が死んでしまうのは心が痛むが、それも仕方のない事である。モルテンが最期にエリックに頼んだのは、息子を過保護に守る事などではない。それに炎竜は時代の節目に現れるなどと言われていても、決して時代を変えに出て来る訳でも無いのだ。


 情報屋は、物語の書き手に過ぎない。

 あの変わり者こそ、物語の担い手である。


 胸が躍って仕方ない。魔族が今度こそ勝利を収めて、暗黒の時代の幕開けとなるか。それとも不死身の王を打倒して、人間達が生き延びるのか。不可能であると思いつつも、あの男なら何かやらかしてくれる気がしてしまう。今までずっと、そうであったように。


「さてさて。白か黒か。勝利か死か。面白い話が書けそうだ」


 これからエリックは街へと帰る。この戦争を追って本を出せば、それなりの金にはなりそうだ。宿へと戻って下書きから始めなくては。幸い今日は晴れていて、加えて思わぬ収入もあった。贅沢な昼食を取って、酒でも飲みながら筆を取るのも悪くない。


「しかし、あの男が死んでしまっては、この物語も敢え無く終幕か。困った事だが、それなら今の内に題目でも考えておかなくては。題目、ふふふ、一番難しい問題かも知れんな。いや……」


 コツコツと筆で下敷きを叩きながら、エリックは少し振り返る。

 そこにはレイに手を取られて、引きずられるように城へと走るクライムの姿があった。


「面倒だな。いっその事、安易で単純な名前も悪くない。強いて付けるなら、」


 コツっと。

 筆で下敷きを叩く。



「変わり者の物語、かな?」 



第三章 完

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