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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
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第35話 一人の剣士の話を

 グラム王国、王都カルナーク。

 中庭の回廊を一人の剣士が歩いていた。


 すれ違った衛兵が思わず振り返った。道を譲られた貴族も思わずその姿を目で追った。今まで目に留まらなかったのが不思議なほど印象深い剣士だ。そして次の瞬間には何故か、その印象さえも忘れてしまう。


 腰まで届く長い金髪の少女だ。歳はまだ十七、八と言った所だろうか。並みの男よりも背が高く、男装が様になっている。腰には一本の剣を挿しており、左目は髪に隠れて見えなかった。姿勢は正しく、表情は硬く、そして一言も喋らなかった。


 少女の名はリメネス。

 騎士の名門、ナキア家の長女だった。


 ナキア家の剣に対する思想は他の流派と一線を画す。曰く、己を守り敵を殺す単純明快な技術であるが故に、その持ち手は己の在り方に厳格でなければならない。剣を抜く前に心を鍛え、敵となっても相手を重んじ、剣を振るう度に己の魂にその是非を問え。


 その思想と強さ故に、代々の当主は王国最強の剣士と称され、王族からも絶対の信頼を寄せられている。そして彼女こそ、家の名を継ぐに相応しい実力を以て騎士団に入団した、歴代随一と謳われる天才剣士だった。


 しかし噂の割に彼女を知る者は少ない。本人がそうしていたからだ。誰とも話さず、意識の隙間を縫うように振る舞い、徹底して自分の存在を薄めるよう努めていたからだ。彼女は今日も、誰の記憶にも残らない。


 剣士は剣を振るうのみ。


 騎士団に入ってからも、リメネスはそう自分に言い聞かせていた。

 彼女を動かすのは誇りでも信念でもない。

 罪悪感と義務感だ。


 家や周りがどれだけ彼女を評価しても、彼女は決して許さないだろう。剣を汚した自分を、リメネスは一生涯許すことは無い。


 魔物と禁忌の取引を交わした自分。

 鍛錬もせず最強の力を手に入れた自分。

 そこまでしても誰一人守れなかった自分。

 そして結局、それを誰にも言えずにいる自分。


 誇り、教え、尊厳、付け加えるなら声と左目。リメネスは全てを失くしてここにいる。無表情が顔に貼り付いたのもそれからだ。剣士は剣を振るうのみ。後は塵芥の如きこの命を如何に家の為、国の為に役立てるか。端的に言えば、彼女は己が少しでも剣士足り得る死に場所を求めていた。


 副団長ジーギルに言われるがまま、戦では最前線で戦い続けた。魔物の気配を感じれば、躊躇せず走り出してそれを斃した。機密扱いの作戦に召喚されれば、誰よりも先んじて突撃した。


 その日も同じだった。ジーギルからは生きては帰れないかも知れないと言われたが、しかし勿論、それも望む所だった。


「ひるむな! 命に代えてもお守りしろ!」


 戦場から離れた森の中、微かにそんな声が聞こえる。


 馬を追い越し、河を飛び越え、崖を駆け下り、剣一本で彼女は走る。副団長の話では、ヴェランダールとの小規模な紛争、そこから退却中の一小隊がいるはずだ。とうに帰還して良い筈のその部隊が、どういう訳だか戻っていない。何を相手にしても部隊を守れとの命令だった。


 遥か先に捉えたのは、件の部隊とそれを囲む黒いローブ姿の集団。飛ぶような速さで走りながら剣を抜き、すれ違い様に四人を斃した。砂利を巻き上げながらその場に踏み止まり、部隊を庇うように立ちながら状況を確認する。


 敵は黒ローブ四十六人。

 部隊は残り五人。

 後続部隊無し。

 周囲に伏兵無し。

 殲滅する。


 突然現れたリメネスを見て黒ローブが動揺する一方、部隊の一人が指をさして喚いた。


「お、お前! ジーギルの部下か! 奴め、たった一人しかよこさなかったのか!」


 随分と若い声だ。そんな事を考えながらリメネスは剣を構える。他の四人も、まともな武装もなく単身乗り込んで来たリメネスを見て絶望感を強めていた。しかも騎士の恰好をしているとは言え、所詮は年端も行かない少女が一人。黒ローブの混乱も一瞬で、すぐさま再び襲い掛かって来た。


 それを、リメネスは返り討ちにした。

 四十六人の黒ローブが、一瞬で全滅したのだ。


 部隊の四人、それに到着した彼女の仲間は開いた口が塞がらない様子だった。

 恩師に報いられてリメネスは一息つくが、同時に思う。

 また死に損ねた。


「おい」


 その中でただ一人。兜を地面に叩きつけて怒る兵士がいた。さっきの男だ。汗と血に塗れたその顔はやはり随分と若く、リメネスとそう歳は変わらないだろう。そのまま無遠慮に彼女に近付く。リメネスより、若干背が低かった。


「お前、名前は」


 助けられた青年は偉そうな態度でそう訊いた。リメネスが見下ろすその青年が、グラム王国の第三王子マグヌスだと知ったのは、一行が首都に帰還した後の事だった。


「この女がナキア家の次期当主だと?」

「本人にその気は無いようだが、そうなるな」


 ジーギルは敬語も使わずそう答えた。


 第三王子帰還の報せは宮殿を沸かせたが、当のマグヌスはそんな物はどうでもいい。報告を済ませ、泥の様に眠り、後にすぐさまジーギル、リメネス、それに騎士団長ゴルビガンドを呼びつけた。城の外れにある中庭で、若い三人は丸いテーブルを囲む。年寄りは遠慮すると、ゴルビガンドは席を外していた。


 青黒い髪に王族の正装を纏ったマグヌス。

 くたびれた黒髪に立派な隈を付けたジーギル。

 腰まで届く金髪に並みの男よりも背の高いリメネス。

 風に吹かれて木々の葉がさらさらと音を立てていた。


「当主にならない次期当主。それで私の救援に出した訳か」


 そう言ってマグヌスは溜息をつく。


 森で彼等を狙った黒ローブの正体など知れている。騎士団との繋がりが強い第三王子を恐れた、第一、第二王子の刺客。要は敵国との紛争を利用した暗殺部隊だ。救援に正規軍は出せず、数を多くすれば兄王子達に気付かれる。選ばれたのがリメネスだった。


「ん?」


 おもむろに紙と羽ペンを取り出すリメネスに、マグヌスは首を傾げる。ジーギルに向けた紙に、リメネスは彼に見えるよう上下逆に文字を書いた。貴方にとってここまで危険を冒す程、この王子は大事だったのか? ジーギルは答える。


「そうだな。私は王子達に等しく忠誠を誓う身だが、弟弟子を見捨てる事も難しい」


 少し考えて、また文を続けた。現状では第三王子は劣勢だ、彼が王位に就くには相当な危険が付き纏う、私はまだ貴方に十分に報いていない、くれぐれも気を付けて。


「私はお前を助けたとは思ってない。お前はもっと、自分を大切にしろ」

「……おい、当人を前に良い度胸だなナキアの。ジーギルの前にお前から処刑してやろうか」


 リメネスはジトッと王子を見る。

 少し雰囲気が悪くなってジーギルはくたびれた様子で説明した。

 彼女は魔物の呪いを受けて以来、声が出せなくなったのだと。


「声だ? 王族を前に口が利けないとはどう言う訳だ?」

「許してやれ。こればかりはどうにもならない」

「馬鹿な。おいお前、何でもいいから言ってみろ。言葉でなくとも構わん」

「……マグヌス、余り勧められないぞ」

「やれ」


 リメネスはやった。

 マグヌスは叫んだ。


 その口から出てきたのは、魔術を応用して出した耳を劈く甲高い金属音。鳥達が一斉に逃げ、壁にヒビが入り、この世の終わりかと城の人間達が騒いだ。椅子から転げ落ち、分かったからやめろと喚くマグヌスの声も、かき消されて聞こえない。リメネスは嫌がらせに長々と続けると、暫くしてようやく口を閉じた。


 息も絶え絶えにマグヌスが起き上がる。

 ジーギルは耳を押さえて平然としていた。


「……よ、よし、分かった! よく分かった! 今日からこの私が鍛えてやる!」


 その日から、リメネスは第三王子専属の護衛となった。名家と言う事が幸いし、公の場も含めて四六時中、王子の隣に彼女はいた。先日の事件から兄王子達の刺客は増え続け、寝ても覚めてもマグヌスは暗殺者に狙われた。そして、リメネスが悉くそれを返り討ちにした。


 貴族達の策略から政治的には骨抜きにされていたマグヌスは、暗殺の心配から解放された事で徹底的に準備を整え始めた。絶対強者たる兄王子達に付いていた者達も、徐々にマグヌスに集まり始める。ただ一つ難を上げるとすれば、如何にナキア家の護衛とは言え、暇さえあれば女と二人きりで自室に籠っている事だ。英雄色を好むとは言うが、こうも堂々とされては気分も悪い。


 だが、ひっきりなしに聞こえて来る怪音から考えると、不実な事をしているとも考え辛い。しかも締め切られた部屋からは、時折マグヌスの叫び声が聞えて来る。


「どうして上手くいかないんだ! くそ! もう一度だ!」


 人気が出るに連れて彼には婚姻の話も上がったが、リメネスの存在からどれも纏まらなかった。政務の手伝い、稽古の相手、朝食に夕食、リメネスは終始つき合わされた。彼女を護衛から外してはとジーギルは提案したが、お前は私を殺す気かとマグヌスは一蹴した。


 リメネスの待遇もそれに連れて上がっていく。剣士は剣を振るうのみ、そんな事も言ってられない。マグヌスに言われて強制的に部隊長に据えられ、断り続けていた勲章も与えられ、王子のついでと彼女の周りにも人が集まる。命令だから仕方ないと言い訳をしつつ、リメネスは溜息混じりにそれを受け入れた。


 しかし気付いた時には、リメネスの名はグラム王国に知れ渡っていた。避け続けていた父親も、足を運ぶと涙を流して喜んだ。剣の相手をしない事を条件に、多くの騎士達に技と道を説いた。


 本当に、それはいつの間にかの事だった。


 失くした物を取り戻していた。

 それ以上の物を手に入れていた。

 全て、自分が護るあの青年に贈られたものだった。

 だから、心が動かなかったと言えば、きっと嘘になる。


 雪の降る寒い日だった。


 真っ白い中庭の真ん中にいたのは二人の男女。

 一人は従者のように跪いた第三王子。

 一人は彼のコートをかけられたその護衛騎士。


 王子は真摯な表情で騎士の返事を待っている。周囲にいた全ての者が驚いていた。何と軽率な、と誰もが思った。身分が違う、と誰もが言った。馬鹿がまた先走ったか、とジーギルはくたびれた様子で溜息をついた。


 リメネスは彼を見下ろしたまま。

 その二人にも、静かに雪が降り積もる。


 そうして、ふっと、リメネスは笑った。

 禁忌を犯したあの日以来、初めて見せた笑顔だった。



『騎士は王の剣なのです。鞘に収まったままでは、あなたを守る事は、出来ない』



 マグヌスは目を丸くした。政務に追われてこの半年、リメネスとの練習はしていない。前に聞いたのも散々な出来で、とても声とは思えないものだった。


 だが、今の声は美しかった。

 まるで楽器を奏でるような、優しく心地良い音。

 いつの間に、ここまで上達したのか。

 自分の知らない間に練習していたのか。


 マグヌスは立ち上がると、リメネスに積もった雪を払い落とした。いつの間にか彼の背はリメネスを追い越していた。そしてポンポンと頭を撫でながら、少し苦々しく笑った。


「まったくお前は。最初の言葉がそれとはな」


 数年後。


 宮殿の最深部、謁見の間には一人の男が座っていた。滑らかな青黒い髪に、剣士のようにがっしりとした体。玉座に座っているよりも、戦場で馬を走らせていた方が様になるような雰囲気だ。


 その前で跪いていたのは一人の女。肩の辺りで切り揃えられた金髪に、騎士用の礼装と白いマント。首元の徽章は王立騎士団の剣術指南役の物。軍の規格の外に位置する、騎士団長にも次ぐ高い身分だ。


 そしてグラム王は薄く微笑みながら、何度目になるか分からない言葉を紡ぐ。

 それに対して、女はどこか嬉しそうに、顔を伏せたまま答えた。

 留めていた髪飾りが、チリンと鈴のように綺麗な音を立てる。

 

『懲りない方だ』



***



 魔族の軍勢が進撃を開始。


 それは被害報告と共に瞬く間にフェルディア中に広がった。


 魔物の大群が街に押し寄せたらしい。

 今もこちらに向かって来ているらしい。

 そんな俄かには信じられない情報に誰もが混乱し、避難しようか真偽を確かめようか迷っていた。だがその答えが出る間もなく、東から地鳴りが聞こえてくる。


 城壁の上の衛兵から見えていたのは、地平線を埋め尽くす程の大軍勢だった。一様に鋼の鎧で身を固め、漆黒の軍旗を高く掲げ、真っ直ぐこちらに向かってくる。警鐘が鳴り避難が始まった頃には、黒の軍は門のすぐ向こうまで迫ってきていた。


 東端の街はどれも、かつては要塞として機能していたものだ。城門は硬く、練度も高く、敵の侵攻は一時的に押し止められる。門を前にたむろする黒の兵に、すぐさま掻き集められた石だの矢だのが雨霰と降り注いだ。


 結局、門は破られなかった。

 彼等を招くように内側から開かれたのだ。


 軍を指揮するカドムだった。指揮を他に任せたまま、カドムは翼を広げてあっという間に城壁を飛び越えた。そして門周辺の衛兵を皆殺しにして、十人掛かりで動かす仕掛けをたった一人でこじ開けたのだ。


 洪水の様に黒の軍が街を蹂躙する。

 カドムは険しい顔のまま、その間を歩いて行った。


 黒の城から出陣した後、各部隊はフェルディア全土に散るよう扇状に進軍し、文字通り手当たり次第の街や村を呑み込んでその勢力を拡大させる。進軍速度が僅かにでも鈍ったのは、首都での事件から十日以上経ってからの事だ。その十日で碌に反撃も出来ないまま多くの街が落とされた。


 一方で、真っ直ぐ首都を目指す一部隊は、全く速度を落とさず破竹の勢いで突き進んでいた。それは軍の総司令である魔族、ベルマイアが指揮する部隊だった。


 そして今、また一つ、街が落ちようとしていた。



***



 石の街、アルゴ。


 配備されていたトロールによって既に城門は破壊されている。雪崩込んだ黒の軍と、西から到着していたフェルディア軍とが衝突し、街中が戦場となっていた。


 空は鉛色の雲で覆われ、街は炎に包まれていた。街の住人は悲鳴を上げて我先へと首都へ走っていった。走れる者は走り、馬のある者は馬に乗り、馬車があれば大勢が押し掛けてひっくり返してしまった。


 完全武装のフェルディア軍は、紛いなりにも正規軍なだけあって黒の軍と対等に渡り合っていた。剣以外にも爪や牙と手数の多いカドムの方が力に優れ、地形を生かして戦う分にはフェルディア軍に分があった。


 だが苦しい戦いには違い無い。


 この戦闘に勝機は無い。本格的に編成された部隊が到着するまで、黒の軍隊は止まらないだろう。彼等がここで粘っているのは、東から逃げてきた大勢の避難民を誘導し、それを追撃する敵軍を少しでも足止めする為だ。世界会談襲撃の報すら届いていない状況で、組織化された魔物がどうしてこんなに沢山いるのか、彼等には知る由も無かった。


 戦闘を潜り抜けて、民間人が逃げ回る。

 それを庇って、次々と兵が倒れた。

 何を考える暇も無い。ただ、戦うしかなかった。


「おおおおおおおりゃああ!!」


 そんな凄惨な戦場の中で、絶望など吹き飛ばすほどの勇ましい掛け声が聞こえてきた。フェルディア軍に混じっていた見た事もない傭兵が、押し寄せる敵を薙ぎ倒していたのだ。


 真っ赤な髪をした少女だった。

 武器は剣一本。


 肩や膝に着けているのは軽量重視の皮鎧だ。その身軽さのまま、少女は野生の獣の如き俊敏さで攻撃を掻い潜り、男顔負けの重い一撃で敵兵を片っ端から斬り伏せていた。


 剣が振り下ろされ、また一人敵が倒れる。

 少女は倒れた相手を蹴っ飛ばすと、ぐいと額の汗を拭った。


「ああ、もう! 何でこんな事になってんのよ! 何とか言いなさいよ!」


 ヴィッツは呻いて動けない兵を八つ当たりしながら何度も踏み付けた。そのすぐ傍で戦っていたのは青黒い髪に軽装の、やはり年端も行かない少女だった。休まず剣を振りつつも、呆れたように八つ当たりに答える。


「何でも何も、エイセルに言われただろう。首都の作戦がどう転ぼうと、敵が来る可能性が高いと。私達はその為にわざわざ来ているんだ。もう忘れたのか?」

「分かってるわよ! でも腹立つのよ! 悪い!?」


 テルルはやれやれと首を振った。


 喚きたい気持ちも確かに分かる。城の封印が破られ、敵がいつ大挙して来てもおかしくない。そう説明を受けて東に馬を走らせたが、まさかこれ程の事態になっているとは思わなかったのだ。


 この状況にたった三人で送り込んだエイセルには、恨み言の一つも言ってやりたい。全て予想していたなら流石我らが副団長殿とでも言えるかも知れないが、それはそれ。これはこれ。腹が立つものは腹が立つ。


 退却に退却を重ねながら、もう数日戦いっ放しだ。

 首都の面々はなぜ援護に来ないのか。

 作戦が失敗して全滅してしまったのか。

 まさか後は任せたと此方の到着を待っているのか。


「このぉ!」


 再びヴィッツが一人倒す。

 周りのフェルディア兵は、半ば唖然としてそれを見ていた。


 実際、これはヴィッツの得意分野だった。アレクにしても黒の兵にしても、彼女は自分より強い相手と対等以上に戦えるという特異な才能を持っていた。視線をずらし、体勢を崩し、作った隙を逃がさない。そして磨きに磨いた必殺の技は、どんな敵でも一撃で打倒し得る威力を持っていた。


 そしてテルルが使うのは、剣と肉体を補強する彼女が作った独自の魔術だ。瞬間的に人の限界を超え、炎や冷気を付加した剣で自分の力を高めている。加えて様々な魔術を齧ったテルルは、毒や閃光と言った搦手が豊富だ。剣一本で戦うヴィッツに対し、勝利の為なら手段は択ばない。


「ほらそこ! ボサッとしてないで街の連中を助けなさいよ!」


 ヴィッツの一喝でフェルディア兵がわたわたと動き出す。

 何でこんな事してんのかしら、とヴィッツは一人顔をしかめた。

 痺れ始めた腕で柄を握り直し、滝のように流れる汗をもう一度拭った。


 敵国の人間を助けに来ている訳ではない。エイセルの命令は単なる偵察。自分が逃げ遅れる前に、適当な所でさっさと退散しなくてはならない。それでも勝手に体は動く。剣を受け、敵を倒し、斬っては倒し、斬っては倒した。


「っつ!!」


 本当に何をやってるのかと言いたくなる。

 その適当な所はとうに過ぎているのだ。

 はっきり言うなら、囲まれていた。

 それでも逃げる訳には行かない。


「テルル!」


 合図でテルルは懐から取り出した小さな石を地面に叩きつける。魔術で閉じ込められていた石の中身は「煙」。一瞬で煙幕が張られ、視界が利かなくなる。黒の兵が慌てる一方、手慣れたヴィッツは獣の様に吠えながら一方的に敵を斬り倒す。


 だが倒し切れなかった。

 後から後から敵が押し寄せて来る。

 剣を構えて、二人は再びそれに対峙する。

 痺れた手も、流れる汗も、気にしている余裕は無い。


 ちらりと背後に目を遣った。バタバタと逃げ惑う人々と、それを誘導しつつ戦う兵隊。まだ避難が終わっていない。どうして終わっていないのか。ここで無限に敵を足止めする事など出来ないのに。彼等は、自分にいつまでここで戦えと言うのか。いったい、いつまで……。


 ぐらっと視界が揺れた。


「ヴィッツ!!」

「!」


 テルルの声に意識を取り戻した直後、視界に飛び込んできたのは鋼の剣。咄嗟にそれを真正面から受ける。だが、受けてはいけない一撃だった。汗で手が滑り、押し込まれるように吹き飛ばされた。


 派手に地面を転がり、なんとか踏み止まって膝を着く。


 そこで初めて分かった。

 手が痺れる、汗が止まらない、脚が震える、掌が滑る。

 気付かなかっただけで、限界などとうの昔に超えていたのだ。


 テルルが何か叫びながら敵を押さえているが、今のヴィッツには良く聞こえない。気付けば目の前は敵で一杯だった。立ち上がろうとする動作が、もどかしいほど遅かった。何もかもがゆっくり見える。遠くから風のような速さで何かが近付いて来るが、それもやはり、良く見えない……。


 その時。

 チリンと、綺麗な鈴の音がして。

 轟音と共に敵が全滅した。


 鋼の鎧で覆われた視界が、一気に開けた。自分を庇うように一人の剣士が立っている。肩にかかる金色の髪に、並みの男よりも高い背丈。未だ立てずにいるまま、ヴィッツは苦しそうにその名を呼んだ。


「リム……、姐……」


 受け持った地区の敵を殲滅し、そして駆けつけた彼女の師が、黒の軍団に立ちはだかっていた。


 リメネスは肩越しに振り向いた。


 ヴィッツは疲労困憊で動けない。目の前には既に百人単位の兵が集まって道を塞いでいる。それだけ確認すると、リメネスは無表情のまま倒した敵兵を踏み越え、ぐっと身をかがめ、一気に敵に肉薄した。


 懐に入られた兵が木っ端のように吹き飛んで建物にめり込んだ。

 振り抜かれた斬撃で、三人の兵が同時に鎧ごと真っ二つになる。

 殴り飛ばされた兵は空へ撃ち上げられ、ふっと滞空した後地面に叩きつけられた。


 その一瞬の攻防で残りの兵もリメネスの実力を把握したのか、唸り声を上げて更に十数人の兵が斬り掛かった。一振りで剣に付いた敵の血を振り払うと、リメネスは続けてそれを迎え撃つ。


「ヴィッツ、立てるか!?」


 テルルに助け起こされながらも、ヴィッツの目はリメネスから離れなかった。洗練された滑らかな動きはまるで剣舞のように美しく、剣を一振りする度に髪飾りが鈴のような音を立てた。リメネスの剣は安々と鎧を貫通し、槍を砕き、その舞に巻き込まれるように敵は次々と倒れていった。


 一瞬の隙を付いてリメネスは足元にあった敵の大槍を拾う。

 左手でそれを大きく振りかぶり、踏み込みと共に投げつけた。


 槍は一直線に戦場を走った。


 敵陣中央を吹き飛ばして遠くの建物まで倒壊させ、十人単位の兵が、一度に消える。


「……!!」


 兵が動揺していた。目の前の相手がとても人間とは思えなかった。

 リメネスは動かなかった。一帯には倒した敵が無秩序に散乱していた。

 ヴィッツもそれを見ていた。リメネスの強さは圧倒的だった。

 テルルは周りを見ていた。退却するなら今しかない。


 そしてベルマイアは、思わず感嘆の言葉を漏らした。



「見事だ」



 切り開かれた敵の陣形。

 その奥から、一人の男が姿を現した。


 リメネス達三人は、現れた男を警戒して動かない。


 男は建物に突き刺さった槍と倒された兵達を興味深そうに眺めていた。槍の通過跡を歩く男に、黒の兵達は黙って道を譲る。この煤けた戦場にあって、男は妙に身綺麗だった。重厚で丈の長いローブをまとい、貴族か王族を思わせる出で立ちだ。


『……』


 リメネスは相手を観察する。


 波打つ黒い髪に、ぞっとするほど美しい顔、右手から下げた一本の長剣。だが何より髪の隙間から鋭く尖った耳が伸びており、その目は禍々しい赤色だった。首都で見たレイと特徴が一致する。城に閉じ込められていた魔族の一人で間違いないだろう。


「凄まじい力だな。それに素晴らしい剣技だ。軍を進めてここ数日、お前の様な者は初めてだぞ」


 黒の兵の間を歩きながら、魔族は軽い調子で話しかけてきた。だがリメネスは警戒を緩めない。自分達が飛び込んだのは、敵軍の中でも一番深く進攻してきた相手だ。首都を目指して一直線、開戦から一度として止まらなかった部隊だ。


 恐らく、この魔族がいたからだ。

 さっきの槍を彼が躱したのも確かに見えた。


「はっきり言って、俺には兵でも無い相手を嬲る趣味は無い。敵の虚を突く事が今回の目的ではあったが、一方的な進軍にも嫌気がさしてきた所だ。引き換えこの街には気骨のある者も多く、ようやく戦になると思っていた」


 聞き心地のいい声だった。リメネスは何故かゴルビガンドのそれを思い出した。声の質こそ違うが、似ているのだ。その裏にある芯のような何かが。彼はカドムの様な一部隊長ではない。恐らくこの遠征における、敵軍における司令官なのだ。


 男は兵達の前に出て来た所で足を止めた。

 廃墟となった街で二人は向かい合う。

 相手は既にリメネスの間合いの中だった。

 それは相手にとっても同じだろう。


『……貴方は、将に向かない人だな。いつの世も戦闘は決闘足り得ない。相手を滅ぼすだけなら、志など邪魔なだけだ』


 男はリメネスが口を開いた事に少し意外そうな顔をしたが、ふっと笑って答えた。


「その通りだが、それでも後者を求めずにはいられないのが俺の性分だ。お前はどうだ?」

『敢えて答えない。戦時でなければ議論の余地もあったろうが』

「我が王の命令も、あくまでお前達の殲滅でな。長い付き合いだが、未だに意見が合わない所だ」

『……不穏当な発言だな。兵が動揺するぞ?』

「はは! 適格だ! 実は先日、部下にも同じような事を言われてな」


 ベルマイアは思い出したように遠くを見る。


「お前はどう思う? 立場は違えど、我々は共に王に剣を捧げた身。やはり部下の言う通り、剣士は剣を振るうのみ、か?」

『真理だ。私も、今まではそれだけで良いと、思っていたよ』

「それ以外の物も見つけたんだな。聞かせてくれ。それは、いったい何だ?」


 敵将を前にリメネスは考える。


 彼女の目的はナキアの剣士として国と軍に報いる事、そして己を救った騎士団長ジーギルに報いる事だ。魔族の進撃はグラムの国防にも関わる事だ。何より背後には護るべき人々がいる。己の力で救える命がある。故にリメネスはここで戦い続ける。


 剣を傾けると、僅かな光を反射して剣身が光った。

 それに映っていたのは鉛色の空、そして自分の青い瞳。


 自然と答えが口から漏れる。


『誓いだ』


 魔族の男は楽しそうに笑っていた。

 後ろで二人の弟子達が自分を見ているのが分かる。


 道を外した自分に剣を語る資格は無い。しかし語らなければ後の代が続かないと王に諭されて、リメネスは多くの騎士を育てた。無様で醜い自分と違い、彼等はきっと良い剣士になれるだろう。そしてこの場では、彼女達には剣の師たる正しい姿を見せてやりたい。


 それこそが自分の人生、取り戻した生き方。

 これで少しは、自分も家の誇りとなれるだろうか。

 恩師であるあの人に、ほんの少しでも報いられるだろうか。

 笑顔を取り戻させてくれた彼の気持ちに、今なら正直に答えられるだろうか。


『ヴィッツ』


 リメネスは不意に、留めていた髪飾りを取って後ろに放り投げた。

 ヴィッツが受け取ると、チリンと鈴のように綺麗な音が鳴った。


『戦いの邪魔だ。持っていてくれ』


 目の前の男はだらりと剣を下げたままだ。

 隙だらけのようで一部の隙もない。歴戦の剣士だ。


 魔族はそもそも他のどんな種族よりも強い力を持っているという。その将ともなれば世界最強と言っても過言は無いだろう。剣を志した者として、手合わせせずにいられるか? 多くの命を助け、故国に報い、愛弟子達の糧となる物なのに?


 そうだ。

 何を迷う事がある。

 ここが、私の死に場所だ。


『戦闘は決闘足り得ないと私は言った』


 リメネスは、ふっと息を吐いて語り掛けた。

 男は黙って、それに耳を傾ける。


『血で血を洗う殺し合いに、誇りなど入り込む余地は無い。しかしそれは剣も同じだ。容易に道を外れるからこそ、決して道を見失ってはならない。非情で凄惨だからこそ、その持ち手たる私達はいつまでも、そして何度でも、その意味を己の剣と魂に問い続けなければならないのだ……!』


 ゆっくりと垂直に剣を構える。

 切っ先を下に向け、真っ直ぐに。


『王の命を受けて私達は今ここにいる! だが己が主を選び、剣を手にする事を選んだのは他でもない、私達自身だ! この戦場で一人の剣士として貴方に会えた、それが奇跡なのだと私は思う! 故に!』


 ガンと一撃、切っ先を地面に突き立てる。


『私は今ここで、貴方に決闘を申し込む! 貴方と私、一対一だ!』


 その声は煙で曇る戦場に堂々と響き渡った。

 楽器を奏でるかのように、強く勇ましく、心地の良い声だ。

 何を馬鹿なと黒の兵はざわめき、ヴィッツもテルルも開いた口が塞がらない。

 ベルマイアだけが、それを聞いて大笑いした。

 

「決闘か! それを一軍の将たる俺が受けると思うのか!?」

『私が貴方に剣士として挑んだ決闘だ! 誇りを以て、受けるか否か!』

「いいだろう!」


 男が剣を振り抜いた勢いで、風圧が砂塵を巻き上げて三人を襲った。


 無敵の進撃を続けるヴォルフ軍にとって、これが初めての戦闘らしい戦闘になる。

 黒の軍勢も、ヴィッツもテルルも、固唾を飲んで見守った。

 王国最強と謳われる剣士と、魔族でも随一と呼ばれる剣士。

 あるいはこれは、歴史的な戦いになるかも知れない。


 二人は同時に剣を構える。


 そして名乗った。


『グラム王国、王立騎士団が剣術指南! リメネス・ナキア!』

「黒の王が盟友、アルダノーム軍総司令! ベルマイア!」


 そして同時に、振り被る。


「いざ!!」



***



 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、窓辺の男は顔を上げた。


「……」


 女の声。

 妙に懐かしく、聞き覚えのある声だったような。

 そうして、自分以外誰もいない筈の部屋を見回す。


 暖炉にくべられた薪は半分以上が白くなり、少し部屋の中も肌寒くなってきた。窓から見える王都カルナークは、今日も雪が降っている。厚手のカーテンで窓は殆ど閉め切られ、部屋は少し薄暗い。部屋の隅に置かれたテーブルには捺印済みの書類の山。天蓋付きのベッドには本が散乱している。


 元々そう広くはない部屋だったが、壁に飾られた剣や鎧や優勝メダルは、王たる彼の部屋らしくも無い。らしくも無いが、しかしそれが彼が歩んだこれまでの軌跡だった。


「……気のせいか」


 窓辺の男。

 グラム国王マグヌスは、暫くしてまた本に視線を戻した。


 彼は幼少期より騎士団との関わりが深い男だった。前王の懐刀であった先代団長が子供の頃から彼に剣を仕込んでいたからだ。彼にとって騎士達は部下ではない。兄弟弟子であり、戦友であり、親友だった。


 そしてその半生は、そのまま国の方針に反映されている。グラム王国は北方異民族を発祥として二百年前に突如現れた新生国家であり、つまりはヴェリアの王国を起源に持たない国だ。古王国の栄光に囚われないという点で周囲の国とは一線を画するが、それでも尚、諸国との紛争には積極的に受けて立つ。


 攻撃は最大の防御なり。

 騎士王らしい性格だった。


「ふう」


 グラム王は溜息と共に椅子から腰を上げて体を伸ばす。

 さっきの空耳が、少し気になったからだ。

 気まぐれに部屋を歩いた。


 立て掛けられた剣はゴルビガンドからの誕生祝いだ。貰った当時は重すぎて抜けもせずに笑われ、それに腹を立てては贈り主を殴り、それがビクともせずにまた笑われた。今でこそ自在に使えるものの、幼少の頃の自分を知るあの男には、変わらず頭が上がらない。


 壁際の鎧は実戦で使っていたものだ。あの頃は隣に必ずジーギルが居た。当時は二人で肩を並べて戦ったが、今ではお互いの立場も変わった。変わらないのは兄弟子ジーギルの態度くらい。不敬の極みだと周囲から非難もされるが、それが何とも心地良い。


 棚の優勝メダルは王の物ではない。数年前、武芸大会に参加出来ない事に王が不貞腐れていた時に、仮面を付けた謎の剣士が出場した事があった。グラム中の騎士達を下してその剣士は優勝し、後日メダルだけが王の元へ届けられた。これ見よがしに飾ると何故かリメネスが怒る為、今は目立たないように置いてある。


 部屋の一つ一つに思い出があった。

 どれも、懐かしい思い出だった。


「む」


 再び王は顔を上げる。

 またしても何か聞こえた。

 しかしさっきの声とは別物だ。

 暫くして、部屋の扉を誰かがノックした


「失礼致します」


 扉が開く。入って来たのは二人の男。一人は執事の様な身なりの男だ。細い体に整えられた黒髪だった。もう一人は狩人の様な男だ。くすんだ色の髪で何故か熊の毛皮を羽織っている。王は少し面倒臭そうにその二人を見た。


「ヒューゴに、ディグノーか」


 二人共、ジーギルがドラゴン狩りに連れ出した騎士。

 情報伝達役として王都に戻された駒だった。


 ジーギルに交易路の安全確保を命じてからと言うもの、この二人を除く十一人の騎士達はフェルディアに赴いたままだ。フェルディアの内乱に魔族の再来、全ては現場を指揮するジーギルに託された出来事だった。


 始終くたびれた顔をしているが優秀な男だ。

 加えてグラムでも指折りの剣士が付いている。

 だが、この二人が王の元に来たとは、つまりそう言う事だ。


「王よ、来ました」


 執事の騎士が言う。

 その手に持っていたのは小さな石。


 石はテルルに作らせた物だ。元は鈍い灰白色の石だったが、今は綺麗な群青色に変わっている。ジーギルやゴルビガンドとの情報のやりとりの後、何通りか考えた今回の作戦の結末、その中でも最悪の事態が起こった場合の為に用意した連絡手段だ。


 それはテルルからの救援要請だ。

 つまり伝説の魔族の本格的な侵攻が始まり。

 それがグラムの援軍が必要な程の規模であった場合だ。


「どうすんだよ。あぁ?」


 狩人の騎士は無遠慮にそう訊いた。訊いてはくるが、この血に飢えた狂戦士は興奮を隠し切れずにいる。それは王とて同じ事だった。在位前はグラム一の猛将とも名高かったこの男、卓上の事務など柄ではない。笑みを浮かべて歩き出す。


 執事の騎士は王に黙ってローブを差し出した。

 狩人の騎士は獣の様に笑ってその後に従った。


「さて、どうしてくれようかな」


 バサッとローブに袖を通す。

 そして王は、暗い部屋の扉を開け放った。

 聞こえてきた懐かしい声に、引き寄せられるように。



***



「どう言うつもりですか」


 カドム・ロアは少し怒ったように訊いた。


「どう、とは?」


 ベルマイアは惚けたようにそう返す。


 しかしどうもこうも無い。破壊され尽くした街で、黒の軍勢は獲物を追って皆が首都を目指して走っている。対して彼が歩いているのは逆方向。真っ直ぐ黒の城に帰ろうとしている。


 将たる彼が。

 部下を置いて。


「貴方はこの遠征軍の指揮官でしょう。それがここまで来て引き返すと言うのですか」

「本来、指揮官は本陣でどっしり構えている物だ。それに部隊長のお前達がいれば、何の問題も無い」

「……先程の決闘とやらが気になるのですか?」


 言われてベルマイアは微笑んでロアを見る。


「お前達には分からないかも知れないがな。相手を打ち取った時点で俺の役目は終わり、それが決闘と言うものだ。その上で逃げる相手を背後から斬るなど、そんな恥晒しな真似は出来ないだろう」

「打ち取った? 首も取らず、死体は燃やし、二人も見逃しておいては打ち取ったとも言えないでしょう」

「その通りだ。つまりは彼女の決闘を受けた時点で、既に俺の負けだったと言う事だな。剣の腕もさることながら、俺の性格まで見抜いて挑んできたあの剣士は、やはり見事だったと言う外ない。一本取られたと言う訳だ」


 話しながら歩く二人を他所に、兵達は次々と街を走っていく。だが街は既に空だった。指揮官たるベルマイアを置いては黒の軍は進軍出来ず、決闘が終わった頃には市民も兵もすっかり遠くへ逃げ果せてしまっていたのだ。リメネスの思惑通りだった。それがロアは気に入らない。


「ふふ、そう不貞腐れるな。暫くは勝ちの決まった戦、一人でも多くの死体を作って軍の力を知らしめるが良い。彼の王には俺から直接言っておく。ロア、後は任せたぞ」

「勿論です。決闘を受けたのは貴方であって私ではない。お任せ下さい」

「しかし無駄死には許さんぞ。どうも敵は中々に強者が揃っている様だ。相手の力量を見誤るなよ」


 それを聞いてロアは少し面白そうに笑った。


「また貴方ともあろう方が、随分と買っているものですね」

「ああ、実に面白い。同胞たる魔族も残り少なく、あの黄金と白銀までもがいない戦場に正直やる気もなかったが、中々どうして期待出来そうだ。五百年前は無様に封印されて決着も付かずに終わったが、今度ばかりはそうはさせん。奴等か、我々か。白黒はっきりつけてやろう」


 そこで足を止め。

 ベルマイアは後ろを振り返った。

 ロアはそれを黙って見守る。


 辺りでは未だ、戦闘の音が聞こえてきていた。


「早く来い人間達よ。お前達の全力、この俺が受けて立つ」



***



 僕らは、負けた。


 実質的な大敗だった。


 目の前に広がるのは血に濡れた円卓、瓦礫の山になった宮殿、傷だらけの仲間達、何が起こったのか分からない街の人々。何て言うかもう、どうしようもない。


 僕はメイルと一緒に、何をする訳でもなく宮殿の隅で座り込んでいた。

 何も出来なかった。


 せめて各地の情報を集めようと、馴染みの情報屋、エリックさんにも連絡を取った。でも珍しく音沙汰がなかった。彼に限っては万が一も億が一もないだろうけど、恐らくは情報を集めている真っ最中なんだろう。相手が相手だし、協力も期待できない。つまり、何も分からないままだ。


 会談は勿論、破談だ。各国の大使達は半狂乱でガレノールを責め立てている。ルべリアの大使はお付きを残して国に帰ってしまったし、グラム王国軍全軍がフェルディアを目指して進軍しているって話もある。理由は分からない。グラムのコムラン達さえ知らなかった。


 魔族の軍も、来ているらしい。遠くの事で実感は無いけど、彼等は本当にいつでも襲って来れたんだろう。エイセルの読みが当たってしまった。首都には続々と被害報告が飛び込んでくる。もう不安で夜も眠れない。理解が全然追いつかない。


 ヴィッツにテルルは、大丈夫なんだろうか。

 リメネスさんもいるし、無事ではあるだろうけれど。

 みんなはまだ動けないけど、本当は僕だけでも助けに行きたい。


 でも行ける筈もない。今回のクーデターがエイセルや僕らが思いもよらない形で終結して、どう動いたらいいか全然分からないんだ。


 って言うかさ。

 アルバ、何やってんの?


 フェルディア王?

 いやいやいや。

 知らない知らない。


「あのさクライム。この国の王様の名前、知ってたよね」


 頭を抱える僕に、フィンは言う。


「……えっと、アルバトス、王?」

「それで? 彼はなんて名乗ってたって?」

「……あの、アルバって、」

「気付けこの馬鹿!!」


 ぺしりと頭を叩かれた。

 いやいやいやいやいや。

 知らない知らない知らない。


 でも、混乱する宮殿の人達を纏め上げるアルバの姿は、本当に王様そのものだった。この二年、ヴォルフに言われるがまま自国を滅ぼす準備をしていたのだと知って誰もが混乱していたけど、アルバはそんな人達に片っ端から檄を飛ばして、瞬く間にその頂点に居座ってしまった。


 ガレノール議員やトライバル議員まで、今やアルバに頭が上がらない。

 こんな結末、誰も予想してなかった。それでもグイグイ引っ張られていく。

 大敗と混乱を最大限利用するように、全てはアルバを中心に立て直り始めていた。


 僕らはすぐに偉そうな人に呼ばれて客人扱いになった。メイルの宿を引き払って、グラムの騎士達までまとめて宮殿内の最高級の部屋に泊まらされている。会談から一度も会ってないけど、アルバは気味が悪いくらいに仰々しく僕等を扱っていた。


 間者として潜入していたメイルの事も、会談の場で翼まで見せたレイの事も、宮殿の一角を木っ端微塵にしたフィンの事も、敵国であるグラムの山猫達まで、今は何も訊かれない。一度廊下ですれ違った冬の魔法使いに、ゴミを見るような目つきで睨まれただけだ。


「死ね」


 とか何とか聞こえた気もした。


 権力のしがらみに捕らわれない彼が積極的に僕らを殺しに来ない理由は、多分忙しいからだろう。ガレノール最高議長を通して、冬の魔法使いにはアルバから命令が下っている。現状、最も重要な案件の一つ。スローンの身辺調査だ。


 スローン。

 本名を白銀の騎士、メルキオン。

 彼は正式に死亡が確認された。


 彼はもう随分前から宮殿で働いていて、その有能さからすぐに頭角を現したらしい。でも実態はフェルディアを滅ぼそうとしたこの一件の首謀者だった。全てを知っていた、鍵だったんだ。


 城中の人達は血眼になって彼の痕跡を毎日見返している。でも収穫は無い。今となっては口を割らせる事も出来ない。マキノ達が必死に探していた封印の謎の答えは、僕らの目の前にあったのに。それはもう、永久に分からないままだ。


 敵が攻めて来ている。

 もう僕らには打つ手が無い。

 正面から戦うしかなくなってしまった。

 それが無理だったから、旧大戦では封印を使ったのに。


 それでも、一つだけ朗報もあった。この事態を覆してくれるかも知れない朗報だ。それは会談での戦いから二十日近く経ってからの事だった。



 マキノが、帰って来たんだ。



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