第34話 黒の王
壊れた壁の向こうからクライムは戻って来た。
悔しそうに顔を歪めている所を見る限り、何となく事情も知れる。
「ごめん、逃げられた。とても追いつけない」
レイは無言で首を振る。メイルはむしろホッとしていた。飛び立った翼の魔物をクライムが追いかけて行った時はどうなる事かと思ったのだ。遠くで戦いの音が聞えてくる。さっきの魔物は城中を飛び回りながら、城の人間を手当たり次第に襲っているらしい。
「……どう?」
クライムが訊く。
二人とも答えなかった。
レイは座ったまま、眠った子供を抱くように倒れたスローンを抱えていた。メイルが彼の手をしっかりと握っている。胸を貫いていた大剣は引き抜かれていた。大きく開いた穴からは最早血の一滴も流れ出ない。その様子も見て、クライムは力なく三人の近くに座り込んだ。
スローンはもう動かない。
終始深く刻み込まれていた眉間の皺が、今は取れている。
見る度に不機嫌そうにしていた顔は別人のように穏やかだった。
クライムが魔物を追って走った少しの間に。
スローンはレイの腕の中で、息を引き取っていた。
枯れ木のような体だが、よく見れば剣を握るその掌には無数のタコが出来ていた。服に隠れて見えなかったが、折れそうな程細い手首と違って、上腕も二の腕もがっちりと筋肉がついている。
「こいつ、英雄だったんだって?」
クライムが言った。
スローンの髪を優しく撫でながら、レイは答えた。
「ええ、魔法使いが封印を完成させるまで、レオとメルがヴォルフを押さえていたのよ。もう、昔の話だけれど……」
何と声を掛けたら良いか分からなかった。さっきはお互い本気で殴り合っていたのに、こんな姿を見せられては憎まれ口の一つも出て来ない。右手に嵌まっていた指輪が目についた。タリアさんに何て言おう、クライムはふとそう思った。
その指輪が、落ちた。
いつの間にか真っ二つに割れていた指輪。それは落ちた拍子にヒビが広がり、砂のように崩れて跡形も無く壊れた。
「……」
クライムは激しい喪失感に襲われていた。黒の城の礼拝堂にあった対の指輪も、今この瞬間に失われたのだろう。指輪と一緒に、彼女も行ってしまった。もう分かっている。タリアはずっと、スローンの事を待っていたのだ。
「……ごめんなさいメル。全部、私のせいよね。私が、あの男を止められなかったから」
譫言の様にレイは呟く。そして無言で目元を拭った。スローンをゆっくり、床に横たわらせる。クライムがそっと肩に手をやるとメイルも握っていた手を放した。床に転がっていた白銀の剣が目につく。何故かそうするのが自然な気がして、クライムは剣をスローンの胸に抱かせた。
「行こう」
クライムが言った。
会談にはヴォルフが来ているとスローンは言った。全身から血を滴らせたさっきの魔物、城中から聞えて来る戦いの音。エイセル達に何かがあったのだ。ならば行かなければならない。動くだけでも痛みが走るこの体で、まだやらなければならない事がある。クライムは立ち上がった。
「立って、レイ」
レイは答えない。辛そうな顔のまま、スローンの傍から離れられなかった。私の所為と言ったレイの心中がクライムには分からない。このお姫様が誰を止められなかったのか知る由もない。だがそれが何であろうと、今は戦わなければならないのだ。
「立つんだ!」
クライムの声でレイはビクッと体を震わせた。夢から覚めたように、ブルブルと首を振る。クライムは黙って手を差し伸べた。レイもその手を取って立ち上がる。
「ええ、分かってるわ」
メイルも同じく立ち上がった。
何が起こっているかは分からない。
だが、戦いが続いているのだ。
終わってもいいはずの戦いだ。
「もう、終わらせないといけないわね」
***
アレクは魔物と剣を交わしながら顔をしかめた。
刃の向こうで、魔物は歯を剥きだして唸っている。
アレクの頭を噛み砕こうと、ガチガチと歯が打ち鳴らされた。
アレクは剣を捌き、魔物の剣が床に食い込む。その隙を一気に斬り込んだ。だが頭を狙って振り下ろした剣を、魔物は口で受け止めた。そして魔物の後ろから、何かが鞭のように飛び出してきた。
魔物の翼だった。
それをアレクは肘鉄で受けた。
攻撃を跳ね返されて魔物が唸る。
「それは前にも見た!」
アレクは柄から手を離し、口で受け止められたその剣を蹴り込んだ。魔物が叫び、頬を裂く様に剣が食い込む。反撃に鋭い爪が繰り出されるが、アレクは相手の剣を奪ってそれを受け止めた。魔物が口の剣を噛み砕く。
そのまま激しく打ち合った。アレクにとっては見知った相手だ。以前はそれでも相手の方が速かったが、今のアレクならついて行ける。このまま囲めば倒せる、そうアレクも一瞬考えた。だが。
魔物は翼を広げて飛び上がった。
「くそ!」
振り抜いた剣が空振りした。
見上げれば、もう魔物は広間の空を飛んでいる。
今の相手だけではない。ここにいるだけで、全部で七人。
この戦場は縦にも広く、無数の柱と言う立体的な足場があり、垂れ幕や立像などで死角も多い。敵にとっては絶対的に有利で、此方にとっては絶望的に不利だった。
一匹の魔物が垂れ幕の影から飛び出して衛兵達に襲い掛かった。彼等が魔物に気付いて振り返るまでの、その一瞬で六人やられた。そして彼等が態勢を立て直す直前に、魔物は再び跳んで柱に登る。
猿の様に素早く這い上がり、柱から柱へ翼を使いつつ飛び回る。目が追い付かない。数が多くて狙いも定まらない。魔物は弓矢の集中砲火を悉く弾き、躱し、外れた矢が味方に当たる始末だった。わざとじゃないと叫ぶ兵士は、叫んでいる間に別の魔物に殺された。
大使達はかろうじて無事だった。形ばかりの各国の護衛達は一瞬で全滅し、フェルディアの衛兵やエイセル等騎士達が必死に彼等を護っていた。
完全に乱戦だった。
一人当たりが強過ぎて、並みの兵では相手にならない。
魔物は縦横無尽に飛び回り、見る見る内に衛兵達の数が減る。
黒く変色したイナゴの群れが、何もかもを食い尽していくように。
「何をしている! さっさと化け物共を殺せ!」
ヴェランダールの大使が叫んだ。
護衛に庇われ地べたを這いつくばっている。
だがその護衛はとうに動かなくなっていた。他の護衛も次々と討たれ、すかさず一人の魔物が近くに降り立つ。大使は悲鳴を上げながら逃げようとした。魔物は悠々と歩み寄りながら爪を振りかぶる。直前で大使は足が縺れて倒れ、爪は急所を逸れて代わりに背中を抉った。
致命傷を受けて尚、大使は芋虫のように地面を這った。
魔物はもう一度、爪を振りかぶる。
誰一人生かして帰すな、それが王の命令だからだ。
さらっと、冷たい風が吹いた。
「!!」
魔物が後ろに飛び退いた。
地面から突然生えてきた槍が、大使の体を串刺しにして魔物を掠める。
槍は、氷で出来ていた。どこからか冷たい皮肉が聞えて来る。
「失敬、外したかな?」
串刺しの死体を中心に、氷が床に張り始めていた。円卓周辺に避難していた大使達を掠めて、床から次々と氷槍が突き出し、天井からどんどん氷柱が降ってくる。
気付けば円卓を中心に、大使達はぐるりと突き出す氷の槍で護られていた。
その上でキラキラと雪が風に乗って集まり、人の形を取り始める。
現れた冬の魔法使いが、槍の先端に降り立った。
大使達を死なせるな。ガレノールの命令だった。
「おい副団長! こいつぁどういう状況だ!」
次いで正面扉から現れたのは、魔法使いと戦っていたコムランとギブス。そしてスローンを足止めしていたレイとメイル。来る途中でも散々カドムと交戦したが、広間で飛び交う十人近い相手を見て開いた口が塞がらないようだ。
エイセルは内一人と戦いながら叫び返す。
「いいから奴等を食い止めろ! コムランは冬の援護だ! ギブスはアルバに付け! 絶対に死なせるな!」
「アルバを!? いや、承知した!」
一方レイはメイルの手を引いてアレクを追った。体中に傷を負い、相当の苦戦を強いられている。レイは咄嗟に近くにあった大きな石像を台座ごと引っこ抜き、魔物に向かって投げつけた。魔物は難なくそれを躱して飛び去り、石像は床に当たって砕け散った。
「アレク! 無事なの!?」
「うるせぇ! クライムはどうしたんだ!」
「あれ? さっきまで一緒にいたのに……」
「いや、いい! それより、奴等をどうにかしてくれ!」
「どうにかって!」
レイは絶望的な表情で広間を見渡す。
飛び回るカドム。
抗戦する騎士達。
倒れる衛兵。
どうにもならない。
カドムはヴォルフが創り上げた戦闘用の種族だ。魔族と渡り合うほどの力があり、一人でもいれば戦況さえ変わる。レイも幾度となく交戦経験があり、その度に苦戦を強いられた。たった一人でそのザマだ。それがどうしてこんなに沢山いるのか。レイが訊きたいくらいだ。
対策を立てる間も無く、レイとアレクは走り出した。
冬の魔法使いは防衛のみで、積極的に魔物に攻撃しない。
陣形が崩れて、こちらの被害は加速度的に大きくなっていく。
「くそ!」
アレクとエイセルは背中合わせに剣を振るった。エイセルは目の前の相手で手一杯で、フェルディア兵を援護する余裕が無い。援護しようとする度に邪魔が入り、それと剣を交えている間にまた一人やられるのだ。
「おい! お前、後ろから……!」
声をかけた拍子に、その兵が何事かとエイセルを向く。
違う、と言う間もなく彼は後ろから斬られた。
「っ……!!」
柄では無いのだ。エイセルは元々、流浪の傭兵だった。それが副団長などに据えられて、若造共の面倒を見させられて、年上ぶった女に一目惚れして、子供まで出来て、弟子まで取って、それも悪くないと思ってしまった。
以前の自分では考えられなかった。エイセルにとって、何事にも余計な情を持ち込まない事が生き残る秘訣だ。余計な火種を作らない為に、何でも出来るが何もしない。日溜まりで一人寝転がって、手作りの飯を食い、体が痛くなるまで昼寝する。それだけで十分だ。
いつしか叫びながら戦っていた。
ゴルビガンドに負け、リメネスと組まされ、ジーギルの下に付き、エイセルは変わった。彼の人生は一変した。ずっと大事にしてきた何かを失ってしまった気もする。だが代わりに何かを、確かに手に入れた。何かと訊かれても分からない。
それは自由と引き換えに出来るほど御大層な物なのか。
昔の自分にそう訊かれたら、きっと答えに詰まるだろう。
俺も分かんねぇわ、と。きっとそう笑うだろう。
「!」
目の端でまた一人やられた。
魔物の鋭い爪が兜ごと顔を切り裂く。その拍子に兜が飛んで、兵は魔物を前に無防備に倒れた。傷は額から鼻を横断して顎まで届いている。血が入って右目が見えていない。
だが、まだ生きていた。
交戦中のエイセルの瞳にその顔が飛び込む。
信じられないほど若かった。アレクやヴィッツと大差ない。
痛みか恐怖か、目尻に涙を溜めている。視線が合った。
魔物が兵の剣を拾って、大上段から振り下ろした。
エイセルは地面を蹴った。
唸り声を上げて魔物に肉薄する。
柄では無い。だが、体は止まらなかった。
「エイセル! 戻れ!」
「おらぁ!!」
後ろから聞こえるアレクの声にも耳を貸さず、エイセルは剣を斬り上げる。魔物の剣が斬り飛ばされた。鋭利な切り口を残したまま、切っ先側の半分が宙に飛ぶ。
「やめろ!!!」
アレクの叫びが再び聞こえてきた直後。
視界が揺れて、エイセルは鈍い痛みを覚えた。
「…………あ?」
自分の体から剣が生えている。右肩から一本。腹からもう一本。エイセルが振り返ると、二人の魔物が背後にいた。焼き鏝で付けたような跡がある。一人は右目に跨って、一人は額に大きく一つ。さっきまで戦っていた魔物だ。思い返してみれば、目の前の相手を放り出して走り出していたかも知れない。やってしまった。
そして胸に三本目の剣が付き刺さる。
目の前の魔物が突き立てた剣だ。
至近距離から自分を睨んでくる。
憎たらしい顔だった。
「よぉ」
敵の将。
それが三人。
道連れにするには文句無い。
エイセルは不敵に笑うと持っていた剣を放り投げ、目の前の魔物の足を踏み潰し、体から生えた後ろ二人の剣を素手で掴んだ。何をするのかと一瞬焦ったような魔物の顔が、実に小気味良かった。腹にぐっと力が籠り、そして力の限り、叫んだ。
「アレクサンダー!!」
宙を回転するエイセルの剣をアレクは掴み取った。
両手に剣を持ち、魔物達の目の前に飛び込む。
「!!」
三人のカドムは動けなかった。エイセルは既に死んでいる。それなのに踏まれた足が動かない、掴まれた剣が引き抜けない。悪戯が成功した子供のように、エイセルは不敵に笑ったままだ。アレクは胸の奥から溢れる叫びを噛み砕く。左の剣を振り下ろし、右の剣を振り上げた。
左の剣が後ろ一人の左肩から右脇に抜けた。
次いで右の剣が前の一人の首を斬り飛ばす。
返す左手の剣が最後の一人の胸を貫いた。
二つの体がその場に崩れた。
それと同時にエイセルも倒れる。
胸を貫かれた最後の一人は、その剣を掴んで止めていた。
「ぐ、おおおああああああああああ!!」
苦悶の唸り声を上げながらアレクと向かい合う。
魔物は両手を離した。アレクの剣は一気に胸に押し込まれる。
魔物は空いた両手でアレクに襲い掛かろうとした。だが、気付いた時には己を貫く剣から手が離れており、目の前で、アレクが右手一本、エイセルの剣を構えて魔物を待ち構えていた。
見た事も無い構えだった。
剣を大きく後ろまで引いて、切っ先が完全に背後に向いていた。
右手で剣を構え、左手を刀身に添えている。
まるで鞘に納めた剣を、今まさに抜き放とうとしているような構えだった。
アレクが踏み込み、床が割れた。
先に振り下ろされた魔物の爪を追い越して、アレクの剣は一気に魔物の左側へと抜き放たれた。
「……」
剣を振り切ったままの体勢で止まったアレクに、急に勢いを失くした魔物がもたれ掛かった。暫くそのまま動きを止める。その後、アレクは構えを解いて大きく息を吐いた。その拍子に魔物がアレクの体からずり落ち、どさりと床に倒れた。
「エイセル!」
遠くからメイルの声が聞こえた。
フィンに守られながら戦闘の中を走って来ている。そのまま飛びつく勢いで、自分の倍はあるエイセルの体を抱き起こした。頬を叩き、一通り呼びかけた後、血止めの薬草を探して自分の懐を必死に弄る。フィンはそこでメイルから離れ、飛び回りながらカドムを牽制し続けた。
一方アレクは、荒い息を吐きつつ自分の剣を見ていた。
刃毀れ一つ無い事を確認すると、足元の魔物を見下ろす。
胸の辺りで真っ二つになっていた。
魔物の爪も胸に刺さった剣も、全部まとめて二つに切れていた。そこに見えるのは、剣闘場で昨晩エイセルが見せた技と同じ、全く歪みの無い断面。アレクは頭が真っ白だった。見様見真似だったのだ。自分がやったとは、思えなかった。
「……なんだよ」
気合で出来るとほざいたエイセルが思い出される。
ハッと、アレクは笑った。
「出来たぜ、師匠……」
そして、その場に崩れ落ちた。
メイルは驚いてアレクを引き寄せた。体中に負った深い傷、それが技の反動で片っ端から開いていた。メイルはアレクとエイセルの二人を見比べ、一瞬目を瞑ってぐっと堪えると、エイセルに使おうとしていた薬を全てアレクに塗り込もうと袖を捲る。
そこに、更に敵が来た。
四人目と、五人目と、六人目だった。
その後方では更に五人のカドムが広間を蹂躙している。三人は仲間を殺されたのを全く気にせず、今度こそ息の根を止めようと迫ってくる。薬を持つメイルの手が止まった。腰に護身用の短剣を挿しているが、勝てる筈も無い。呆然と呟いた。
「……助けて」
膝元でアレクとエイセルの二人が倒れている。置いていけない。足が動かない。フィンが気付いて必死に飛んでくる。レイも気付いて必死に走ってくる。だが間に合わない。三人の剣がメイルに向けられる。メイルは魅入られているかのように、相手から目を離せなかった。ただ口だけが、勝手に動いていた。
「助けて! クライム!」
剣が振り下ろされた。
切り口から血が飛び、鋭い悲鳴が聞こえて来る。
フィンも、レイも、息を飲んだ。
メイルも、何が起こったか分からなかった。
「え……」
メイルが斬られるより早く、三人のカドムの内の後方の一人が、先頭を走る二人を斬りつけていたのだ。一人の背中がざっくりと割れ、もう一人も腕をやられている。同士討ちだった。二人は同時に剣を取り落とし、何をするのかと後ろの一人を睨みつける。
だが後方のカドムは、問答無用と手負いの一人に深々と剣を突き刺した。再び悲鳴が響く。残りの一人は裏切りのカドムを突き飛ばした。メイルも、そのカドムの顔を見る。
「!」
レイは言っていた。城から脱出する際に四人掛かりで倒したカドムの名はギィ。将たる証として魔族に付けられた焼き鏝の跡は、左目から顎にかけて刻まれていると。カドムの跡に同じ物は一つとして無い。しかし目の前にいる裏切りの一人は、その死んだ筈のカドムと全く同じ所に跡が付いていた。
しかも数が合わない。全部で十人いる内、アレクが倒したのが三人。ここにいるのが三人。更に後方にいるのが五人。
一人、多い。
裏切りにあった一人はその場で息絶え、もう一人が怒りで唸った。
その体表の鱗が波打つようにざわっと逆立ち、爬虫類の様な低い声で呻く。
「貴様……! 誰だ!」
裏切りのカドムは剣を構えたまま答えない。一歩遅れてフィンがメイルの元に降り立つ。それを確認すると、そのカドムは低い声で叫んだ。
「レイ! みんなを護れ!」
そのまま持っていた剣を目の前の一人に投げつける。
剣を弾いて生まれた隙に、ギィに変身したクライムは翼を広げて飛び上がった。
メイルが思わず、空に向かって手を伸ばす。
「クライム! 待って!」
クライムはそのまま一直線に正面扉から逃げ去った。戦っていたカドム六人全員が一斉に飛び立ち、クライムを追って扉へ向かう。
「あの、馬鹿!」
レイは謁見の間が安全になった事を確認すると、クライムの言葉を無視してコムラン達に全てを任せ、翼を出してその後を追った。大きな正面扉を超え、広間の手前の大きな廊下を抜け、何事かと狼狽える衛兵達の頭上を飛び、レイはひたすら先へ急ぐ。
前を飛ぶカドム達は、凄まじい速さで移動しながら滅茶苦茶に戦っていた。変身で敵と同程度の速さと強さを備えたクライムは、逃げながらそれを受け止めている。だが、幾ら同じでも六対一だ。壁に叩き付けられ、何度も斬られ、クライムは逃げるだけで必死だった。
目の前で命を削り続けているクライム。レイは血が逆流しそうだった。どうして追いつけないのか分からない。いつもならもっと速く飛べた筈なのに。そう思えば思う程、どんどん距離を離されているように感じる。飛んできた誰かの血の飛沫が、頬に当たって跡を残した。
右へ左へ、何度も曲がりながらカドム達は飛び続ける。そしてとうとう、大きな廊下に飛び込んだ。遥か先は、行き止まりだった。クライムが追い詰められ、そこに六人が一斉に襲い掛かる。
レイが叫んで更に速度を上げようとした時、突然後ろから伸びて来た細い男の腕が、レイの肩を掴んで強引に後ろに引き戻した。
「誰……!?」
驚いて振り返ると、そこにいたのはフィンだった。クライムを追い掛けるレイの更に後ろを、ずっと飛んで付いて来ていたのだ。その口元には、赤い炎が宿っている。小さな体に不釣り合いな程大きな炎だった。口の中に収まり切らないのか、歯の隙間から溢れるように糸を引いている。
何をしようとしているのか、レイは瞬時に理解した。
行き止まりの混戦の中から、クライムの声だけが飛んで来る。
「今だ!! フィン!!」
レイが止める間もなく、フィンはぐっと体に力を籠めると溜めに溜めていた炎を一気に吐き出した。
解放された圧力で廊下の窓が吹き飛び、レイは後方に飛ばされ、絵画も石像も木っ端の様に宙を舞う。
一瞬遅れて、爆音と衝撃が辺りを襲った。
フィンの一撃は一直線に廊下を走り、カドム達全員を飲み込むと行き止まりを破って城の外まで突き抜けた。それでもフィンは炎を止めない。中途半端で倒せる相手では無いと、アレクやレイの話からも重々分かっていたからだ。
謁見の間から飛び去る一瞬、クライムはフィンと目を合わせ、その一瞬で二人の意見は一致した。だからフィンは炎を溜め続け、そして躊躇なく撃った。クライムを巻き込んだまま。全員まとめて殺すつもりで。
その頃。
お祭り気分で浮かれていた首都の人々は、唐突に城から噴き出た炎を見て驚愕していた。宮殿の一角が崩れ落ちるのも構わず、その炎を延々と空を焦がし続ける。本通りに開かれた屋台も、ヴェリア王の石像も、街の全てが赤々と照らされていた。
各国の大使達が世界の行く末を決めるべく会議を開いているのではなかったのか。いったい何がどうして、あんな物が城から出ているのか。答えられる者は誰もいない。
炎は長く長く伸びていき。
しかし永遠には続かず細くなり。
そして僅かな赤い残滓を残して。
空に溶けるように、薄くなって、消えた。
***
レイは激しく咳き込みながら、瓦礫を押しのけて立ち上がった。
土煙が酷くて、ほとんど周りが見えない。
それでも顔をしかめながら辺りを見回す。
瓦礫の山だった。
豪勢な宮殿が見る影も無く破壊されている。目の前の一部分だけが、ぽっかりと抉れてしまっているかのようだった。天井が崩れ落ち、その上の塔まで倒れて、綺麗に空が見えていた。段々と、周囲に衛兵達が集まって来た。誰も彼も、目の前の惨状を見て呆然としている。
そんな中で、パタパタと小さな翼をはためかせ、フィンが一人飛んでいた。レイはカッと頭に血が上る。何でこんな事をした、クライムは親友じゃなかったのか、なぜ彼を巻き添えにした。そう、大声で喚き散らそうとした時。
煙が揺らめき、目の前の瓦礫の山、その一点が動いた。
「クライム!」
呻き声を上げて起き上がったのはカドムだった。
全身を真っ黒に焦がし、翼はボロボロに破れていた。瀕死のまま瓦礫から体を引き抜き、力尽きて倒れた。体を起こそうとはするが、まるで力が入っていない。見ればあちこちで、同じようにカドムが這い出てきていた。
レイは迷う。クライムを含めた七人のカドム、全く見分けが付かない。
顔の跡も判別が出来ない今、一人一人確かめていくしかない。
だがそんな考えは一瞬で消し飛んだ。
「今だ! 早く殺せ!」
誰かの号令をきっかけに、動けずにいた衛兵達が殺到した。
「え!? ちょっと、待って!」
一瞬判断が遅れたレイは、兵を追い掛ける形で走り出す。
だがその時には、レイが最初に見つけたカドムは動けないまま衛兵に包囲され、抵抗空しく何本もの槍で体を貫かれていた。一瞬口から何か吐いて、がっくりと力尽きる。レイは叫び出しそうになった。衛兵を蹴散らしてカドムを抱きかかえる。
「ねぇ! ちょっと返事して! クライムなの!?」
「何をする! そいつから離れろ!」
ガクガクと肩を揺するが、既にカドムは動かなかった。腕の中で冷たくなったカドムを見て、レイは心臓がひっくり返る思いだった。腕が震える。これは、本当に敵だったのか、それとも彼だったのか。しかし、変わり者は死んだ時に泉の水に還るとフィンが言っていたが。
レイが一人に気を取られている間に、衛兵達を次々と起き上がったカドムに止めを刺す。レイは咄嗟にその体を取り落とすと、全てを止めようと走り出した。自分を助けてくれて、それなのに自分が傷つけて、身を挺して自分達を守ってくれて。その彼が、こんな形で殺されて良い筈が無い。
涙目になりながら衛兵に縋りついた。
「やめて! お願いだから、やめてよ!」
「離せ! いつ襲ってくるか分からないんだぞ!」
「誰かこの女を押さえてくれ!」
「みんな! 下がれ!」
混乱するレイと衛兵達は、煙の中から聞こえてきた声に動きを止めた。
レイも振り返る。今のは、クライムの声だった。
風が吹き、土煙が少しずつ晴れていく。
そこに、人影が見えてきた。
レイ達に背を向けて立っていたのは、確かにクライムだった。
それを見て、レイの胸に溜まっていた重い感情が一気に抜ける。
抜けた次いでに腰まで抜けて、レイはぺたんと座り込んだ。
あの一瞬、何に変身してどこへ逃げたのか、クライムは殆ど炎を食らっていなかった。いつも通りのぼさぼさの黒髪に、革の靴、麻のシャツ。その体には擦り傷一つなく、服には汚れ一つ付いていない。無傷だ。
何か変だ。無傷などあり得るだろうか。それにさっき下がれと言われたが、何の事なのか。
レイに遅れて広間にいた全員が集まって来た。グラムの騎士達に、メイル、アレク、アルバ、冬の魔法使いまでもが崩れた廊下を超えて歩いてくる。だが変わらず誰も動かなかった。フィンもその場でじっとクライムの動きを待った。
煙がどんどん晴れていく。
クライムの目の前を除いて、辺りが随分見渡せた。
「……」
その煙の更に奥に、クライムとは別のもう一つの人影が浮かび上がった。クライムはその影から目を離さない。人間より大きい体躯の魔物だった。細かい鱗に覆われながらも、気持ち悪いくらい人間臭い。全身から煙を上げ、背中から大きな蝙蝠の翼が生えていた。
そしてその右腕には、鈍く光る銀の指輪を嵌めていた。
「あれは……!」
レイがカドムを睨む。
あの指輪は最初、フェルディア王の形をした偽物が嵌めていたものだ。そして偽物が破裂した後、指輪は十人のカドムの内の一人に受け継がれた。今、目の前にいるカドムはその指輪に操られている。指輪を通してこの場に立っている者を、カドムの物ではない赤い瞳を、レイが見紛う筈も無かった。
「ヴォルフ、なんで」
だが、レイには分からない。
レイは一行の中で一番魔族に詳しい。自分の知識を総動員して皆を導いて来たつもりだった。岩のドラゴンを倒した時、ヴォルフはもう対の指輪を持っていないと太鼓判を押したのもレイだ。だが、目の前の現実は覆らない。レイは悔しそうに歯噛みする。
「ほほう、面白い術を使うものだ。あれも魔族の手品か?」
いつの間にか、レイの後ろに冬の魔法使いがいた。
興味深そうに顎を撫でながら、指輪のカドムを眺めている。
「面白いって、君、あの指輪が何か分かるの?」
「何だ。お前は分からないのか」
ふんと鼻で笑われた。腹が立つ男だ。
そのまま魔法使いは知った顔で説明する。
「あれが噂に聞く魔族の対の指輪だろう? 主が一人、従者が一人、其れが普通とも知っている。だがあの指輪には、従者に干渉出来るもう一つの指輪が在る様だな」
「もう一つ? 全部で三つって事?」
「つまり一人の従者に対し、主が二人居ると言う事だ。荒い作りだが亜人落ち風情にしては上出来だ。急拵えの後付け、貴様が知らないのも無理からぬ事かも知れんな」
三つ目の指輪。冬の言う通りレイの知らない話だ。
そしてそんな馬鹿げた物を作るのは、決まってあの蜘蛛なのだ。
魔族の中でも随一の魔法の使い手だ。どんな手を使って来るか分からない。
しかしレイは少し気になった。従者がカドム。二人目の主がヴォルフ。では一人目の主は誰だ。カドムは元々誰の従者だったのか。あの城に残った内の、いったい誰の指輪を使っている。
カドムはふらりとよろめいた。
その右手に嵌った指輪には僅かなヒビが入っていた。壊れている訳ではない。従者であるカドムの命が消えかかっているのだ。拳を握ると、折れかけていた薬指が落ちた。だが気にはしない。所詮は従者の肉体だ。
「正直に言えば、驚いたな」
そうカドムは言った。
低く、深く、ざらざらとした声。
円卓に座っていたフェルディア王と同じ声で。
「モーリスはこれを使って、最終的には国を滅ぼすつもりだった。回りくどい方法が億劫でそれを前倒しに使い切ったのは私だが、ここまで戦果が出ないとはな。流石のルゥ達も、何年も肉袋に押し込められたままでは腕が鈍ると言う事か」
そして顔を上げて。
目の前に立つクライムを見た。
「それとも、お前達が思ったより、力を付けていたと言う事か」
赤い目が此方を向いて、周りに居た衛兵達が一斉に下がった。いくら別人が操っているとは言え、瀕死の魔物から出る迫力ではない。空気が重かった。冷や汗が止まらない。これだけ距離が離れているのに、気を抜けば一瞬で殺されてしまうと全員が怯えていた。
だが、その一番前に立つクライムは険しい顔をしたまま動かなかった。
「泉の魔物か」
ヴォルフはクライムを少し眺めると、再び口を開いた。
「レイも珍しい連れを見つけたものだな。しかし、どこかで見た顔だ」
「……僕も、です。会うのは、これで二度目になるので」
「二度目、成程。お前はあの時に垣間見た男か」
衛兵達、それにコムランやギブスは、どう言う事だと言いたげにしていた。実際には会ったと言う程でもない。ウィルが岩のドラゴンの指輪を砕いた一瞬、レイの指輪を付けていたクライムには、城に閉じ込められていたヴォルフが見えたのだ。
微かに姿を捉え、僅かに心を読み。
そして向こうもクライムに気付いた。
「つくづくお前とは縁が在るようだな。私のドラゴンを落とした者の中にお前は居た。レイを城から連れ出したのもお前。そして今、こうして再び私の前に立っている。名は何と言う」
「……これから殺そうと言う人の名前なんて、あなたは知りたいんですか?」
「お前も一度は騎士の名を背負っていた者だと記憶している。それとも魔法使いに名乗り出るのは抵抗があるか?」
「……クライム。それが、僕の名前です」
レイは冷や汗を掻きながら二人の会話を聞いていた。
ヴォルフは敵を相手に長話をするような男ではない。
たとえ瀕死の体でも、一人位は苦も無く道連れに出来る筈だ。
「ずっと、訊きたかった」
皆が見守る中、瓦礫の山の中央で、二人は変わらず向かい合う。
カドムの持つ指輪のヒビが広がった。
「なぜ、こんな事をするんですか。あなただって昔はこの世界に生きる一人だった筈だ。人が生きる事が、村がある事が、街が明るくある事が、どうしてそんなに許せないんですか」
見当違いだと、その場の全員が思った。
ヴォルフの手によって既にどれだけの命が失われたか知れない。交渉する段階などとうに過ぎた。それをこの男は、世界の理を外れた魔王を相手に、いったい何を言っているのか。場違いにもフィンが、また始まったよと溜息をついた。
「面白い反応だ」
だがヴォルフは、至って真面目に答える。
「今まで私に挑んで来た男達の中に、その様な問いを投げかけてきた者は一人としていなかった。友の仇、国の敵、そう言って剣を取り、そして死んだ。死ねば次の者が同じ理由で死にに来る。はっきり言っていちいち縊り殺すのも面倒だ。だが私を敵とする奴等の意志は、少なくとも今のお前より確固なものだったぞ」
そう言って辺りの衛兵に目を遣る。
「事実、お前の後ろにいる者達の方が、余程はっきりとした戦意を持っている。お前は友を殺され、国を脅かされ、その上で何故その様な問いが出て来るのだ?」
「……それは、僕の話に答えていない」
「確かにな。では言おう。不要だからだ」
一言、そう切り捨てた。指輪のヒビが、更に広がる。
「不要だ。お前の友も、お前の国も、そしてお前も。ここから見える世界、そこに生きる全てを私は抹殺する。唯の一人として逃がすつもりは無い。さて。これでお前の戦意は十分か?」
「戦意なんて最初から十分ですよ。でもおかげで、少し上がりました」
「結構だ。では我々の間に、最早言葉は必要無いな」
「あなたこそ、僕の仲間を殺しておいて、ただで済むと思ってるんですか」
「そう焦るな。お前達もすぐに同じ末路を辿らせてやる」
会話の間もヴォルフの殺気は増していた。空気が震える。衛兵達は今すぐ逃げ出そうかと震える手を辛うじて押さえている。そしてクライムはヴォルフを睨んだまま、力強く言った。
「受けて立ちますよ」
従者であるカドムは一瞬笑うと、一気に力を失くした。
その場で倒れたカドム、その右手から対の指輪が外れた。
瓦礫の上を少し転がり、下へ落ちた拍子に真っ二つになる。
そして更に細かく砕け散り、風に吹かれて跡形も無く消えてしまった。
***
ベルマイアは違和感を覚えて己の右手をかざして見ていた。
その人差し指に嵌っていたのは、鈍い光を放つ銀の指輪。
一瞬ヒビが入ったかと思うと、真っ二つに裂けて地面へ落ちた。
そして落ちた拍子に細かく砕け、風に吹かれて跡形も無く消えてしまった。
「しくじったか、ルゥめ。油断したな」
重厚で丈の長いローブをまとった長身の男だった。波打つ黒い髪に、ぞっとするほど美しい顔。右腕を下ろす、その僅かな仕草一つ取ってもどこか優美で、貴族か王族を思わせる。角ばった顎は男性的だが、細い体格はどこが中性的でもあった。
腰には一本の長い剣。
髪の隙間からは鋭く尖った長い耳。
そして悪鬼よりも恐ろしい、赤い目を持っていた。
その目が、すっと閉じられる。
「だが、ご苦労だった」
砂塵の混じった荒い風の中、ベルマイアは簡単に黙祷を捧げる。その背後から、全身を鎧で覆った一人のカドムが近付いた。焼き鏝の跡は左耳から鼻にかけて。すぐ隣まで歩み寄ると、ベルマイアはゆっくりと両目を開けた。カドムはそこで口を開く。
「ティグールでの戦況は如何なるものでしたか」
爬虫類の様な低い声でカドムは言った。
「モーリスの仕込みは失敗に終わったようだぞ、ロア。あの十人をよもや返り討ちにしようとは、敵ながら天晴と言った所か」
「……十人全員、ですか?」
「俺も意外に思っている。兄弟達がやられて思う所もあるだろうが、今は押さえて貰おうか」
「愚かな兄弟など死んで当然です。お言葉だけ頂戴します」
目の前に広がる荒野を見ながら、ベルマイアはふっと溜息を付いた。
幾ら魔族に迫る力を持っていても、カドムとは所詮魔物を交配して創った劣等種。魔族を対象にした魔法使いの封印に、完全には縛られていなかった。蜘蛛はそこに目を付けた。
人の皮で偽装したカドム達にベルマイアの指輪を与え、封印の隙間から外界へ押し出した。そして病と称してフェルディア王を地下へ幽閉し、代わりに偽装に人の形を取らせて玉座に据えた。その結果、フェルディアは文字通りヴォルフの思う通りに操られていたのだ。
そして最終的にはフェルディアを使って全ての国を滅ぼし、内乱を起こしてフェルディア自体も滅ぼし、十人のカドムを使って残りの全てを抹殺する予定だった。
狡い手だと、ベルマイアは思う。
結果が同じなら、兵を使って正々堂々。
それをわざわざ絡め手を使う必要があったのか。
「ヴォルフも何故モーリスの言を聞いたのか。相変わらず理解に苦しむ」
「僭越ながら、我らが王に対してその様な発言は不適当かと。将たる貴方が王を軽んじては、末端の兵に余計な印象を与えかねません」
「そうだな、気を付けよう。お前達にとっては紛いなりにも創造主。気に障ったなら謝る」
「ええ、気に障りました。ですが、我々をそう創ったのは貴方達だ」
「不服かな?」
「まさか」
ロアは歯を剥きだして笑った。
「この高揚感。我々を生み出し、血の味を教えてくれた貴方達には、感謝してもし切れない。それだけが我々の存在理由、他には何も必要ない。ただ得物を前にしたこの渇き、そろそろ我慢も限界ですが」
「無理もない。それだけ俺達は待たせてしまった。だが、それも終わりだ」
黒の城、城門前。
荒い風が吹き抜ける広い平原は、旧大戦の名残で草木一本生えない不毛の大地となっている。そこにベルマイア率いる黒の兵、全軍が集結していた。
鈍い色の鋼の鎧で身を包んだカドモスが広大な平野を埋め尽くしていた。
魔物だけで構成された軍とは思えない程、見事に隊列を組んでいる。
各大隊の先頭にはロアと同じく完全武装のカドム達が立っていた。
後列に現れたのは重装備のトロール。城からは無数の蟲達が際限無く這い出て来る。食事が終わればフェンリルも狩り出されるだろう。八つの内七つの封印が破られた今、ある一つを除いて黒の城の全てが完全に開放された状態にあった。
抑えていたのは蜘蛛、モーリスの下らない策略を待っての事だ。
だが、ようやくそれも終わった。
何十万と言う兵がしきりに鎧を打ち鳴らし、槍で大地を突き、地鳴りのような音が響いていた。皆が総大将の一言を待っている。ベルマイアも十二分にそれを理解していた。
この時を、どれだけ待ち望んだ事か。
「ロア、伝達を頼む」
腰からゆっくりと、長い剣を抜き放った。
「全軍、進撃を開始せよ」