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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
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第33話 白銀の騎士

 異様な雰囲気だった。


 謁見の間へと続く道の真ん中で、僕らは完全に衛兵に囲まれた。そこでレイとスローンが向かい合ったまま動かない。僕達も声を掛け辛くて、衛兵達も僕らを攻撃出来ずにいた。


「おい、どういう事だ」


 スローンに倒されたアレクが苦しそうに呻く。エイセル達も説明を求めて僕を見ている。でも僕にも分からない。レイはスローンの事を知っているのか? でもさっきから呼んでいる、そのメルキオンって言うのは。


「ねえ、レイ。こいつの事、知ってるの?」


 僕はみんなを代表するようにレイに訊いた。

 レイはピクッと動いて僕らを振り返った。


「え、ええ。安心して。彼は私の古い馴染みでね。紹介するわ。彼はメルキオン、白銀の騎士よ」


 紹介された当のスローンは険しい顔を崩さない。

 僕等にしても急な事でどう返したらいいか分からなかった。

 メイルだけが、その言葉に反応する。


「白銀の騎士って、あれ? 以前レイが言っていた、英雄の一人?」

「そうよ。五百年前、私達と一緒にヴォルフと戦ったフェルディアの騎士。黄金のレオパルドと違って頭でっかちで面倒臭くて。でも悪い奴じゃないのよ?」

「……聞いた事があるぞ、姐ちゃん。戦争末期に敵を追い詰めた、二人の騎士の一人」

「エイセル達も知ってるのね。まぁ私達裏方の人間と違って、メルとレオは表向きの英雄だものね」


 僕達は自然と顔を見合わせる。

 訳が分からない。言いたい事が山程あった。

 でも何故か、レイの前でそれを言う事が憚られる。


 仮にスローンがその英雄様なら、なんで身分を偽ってこんな所にいたんだ。フェルディアの為に僕らと敵対しているとしても、それならどうして魔族の事を放っておいた。いや、だいたい旧大戦時代の人間が今も生きている筈がない。だってもしレイの話が本当なら、スローンは、五百歳だ。


「退け、レイ」


 僕らの混乱を他所に、スローンは改めて口を開く。


「お前の事も蜘蛛から聞いている。今度こそ好きに生きればいいものを、こんな所までやって来るとは」

「え、いやだって。放って置ける訳が無いじゃない。私達がようやく掴んだ勝利が、何もかも無駄になろうとしているのよ?」

「勝利? レイ、あれが勝利だと言うのか? ……お前の口からだけは、そんな事は聞きたくなかったな」


 気軽に話す二人。本当に、当たり前のようにスローンはレイの事を知っていた。じゃあ、彼は本当にレイの友人だったのか? でも当のレイにしても落ち着こうと必死な様子だ。なんとか状況を整理して、再会を喜ぼうとしている。


「と、とにかく都合が良いわ。一緒に来て。今行われている会談を私達みんなで、」

「ここを通す訳にはいかない。もう一度言うぞレイ。退け」

「通す訳にはって、え? どうしてよ。また一緒に戦いましょうよ」

「会談にはヴォルフが来ている。わざわざ無駄死にに行くつもりか」


 は? 今、何て言った?

 レイもスローンに詰め寄った。


「ヴォルフがって! あいつまさか、もう城から出て来たの!?」

「違う。予定が狂って封印の破壊に邪魔が入ったのだ。まだ奴は城から出られない。蜘蛛の魔法でようやく干渉出来る様になっただけだ」

「蜘蛛!? ねぇメル、さっきから何を言っているの!? 封印の破壊って、どうしてメルがそんな事知っているの!?」

「私が封印を破壊しているからだ」


 一瞬、息が詰まる。


 スローンは言った。

 憚る事なく、自分がやったと。


「……冗談、止めてよ。ねえメル。あんたらしくないよ」


 レイが力無く首を振る。


 心臓が、気持ち悪いくらい脈打っていた。マキノからの手紙はみんなで共有した。どうやら敵には人間の協力者がいるらしい。そいつは今、首都にいるらしい。でも僕らは真剣に協力者を探さなかった。時間もなかったし、探しようがなかったから。来るなら来るで、迎え撃つしかないんだと。


 そして、敵は来た。

 来たのは、スローンだった。

 震える声でメイルが尋ねる。


「じゃあ、本当にスローンが、城の封印を破壊したの?」

「そうだ」

「その為に、八人の魔法使いを殺した?」

「そうだ」

「魔族との戦争で、この国を滅ぼす為に?」

「そうだ」

「これは全部、何もかも、スローンがやったって言うの?」


「何でよ!!!!!」


 レイが絶叫した。


「訳が分かんないわよ! 何の為に私達は戦ったの!? 沢山の犠牲を出してようやくヴォルフを城に封印したんじゃない! 私達まで一緒に閉じ込めて、それでようやく平和になったんでしょ!? なのに、よりにもよってあなたが、どうして今更それを台無しにしなくちゃいけないのよ!」

「お前がそれを言うか! 自己犠牲の御大層な名目はいい加減やめたらどうだレイ! お前は城に閉じ込められた五百年どんな目に遭ってきた! 裏切者のお前達をヴォルフはどう扱ったのだ! 仲間であった筈のお前達をそんな目に遭わせたのは、一体誰だ!」

「仕方の無い事だったんじゃない! 私だって腹が立ってるわよ! でもそれで平和に……!」

「平和だと!? この私がお前達を犠牲にしてまで、そんな物を望むと思ったのか!? タリアを犠牲にした平和に、一体何の価値があると言うのだ!」


 ……タリア。


 そうだ。人間の英雄、白銀の騎士メルキオンは同盟側に付いた魔族の一人、タリアさんと結婚した。


 フレイネストで国の理念に触れた時、烈火の如く怒ったスローン。彼は終戦の時、自分の妻を犠牲にして勝ち残ってしまったんだ。魔族を悪、自分達を正義と、統一国家実現の為にフェルディアは吹聴した。英雄として称えられる度に、彼は一体何を思ったんだろう。


 僕には、少し分かってしまう。

 平和なこの国の人達を見る度に。

 幸せそうな彼らの笑顔を見る度に。

 見当違いだとは分かりつつ、心の奥で何かが黒くなっていく。

 スローンはそれを見る度に、城に閉じ込められたタリアさんの事を。


「メル……。その指輪、タリアの?」


 レイに言われて僕も気付く。スローンはずっと指輪をしていた。黒の城で会ったタリアさんもだ。対の指輪。岩のドラゴンとヴォルフを繋げ、僕とレイを繋げ、そしてスローンとタリアさんを繋いできた。スローンは目の前にそれをかざして見せる。


「何故とお前は言ったな。しかし私が蜘蛛に協力し、城の封印を破壊しようとする理由。説明が必要か?」

「そんな……。そんなのって無いわよ。タリアの為なら戦争ぐらい起こしたって良いって言うの?」

「平和とやらの為に彼女は犠牲になった。その彼女の為なら平和など、この私が破壊してやる」

「間違ってる! そんな事をして、タリアが本当に喜ぶと思ってるの!?」

「間違ってなどいない! 彼女の為なら手段は問わない! レイ! お前がどうやって城から脱出したのか、それも後で聞かせて貰うぞ! 私が城を開放し、この国を滅ぼした後でな!」

「もうやめてくれ!」


 僕は叫んだ。たくさんだ。

 いつから間違えてしまったんだ。

 どうしてこんな事になったんだ。


「もうやめてくれ! 僕がレイを城から救い出せたのは、タリアさんが協力してくれたからだ! スローン! 城を開放しちゃ駄目だ! 今更そんな事したって、もう何の意味も無いんだ!」

「知った風な口を利くな! お前如きに何が分かると言うのだ!」

「僕は城でタリアさんに会ったんだ!」


 その言葉でスローンもレイも押し黙る。どう言う事だと、僕を見ていた。視線が痛い。僕はずっと言えなかった。レイを助け出してからずっと、言おう言おうと思いつつ先延ばしにして来た。


「僕はそこでレイを頼むって言われたんだ! これからはもう僕達の時代だから、僕達が掴み取らないといけないんだって! 自分達の時代は、もう、終わったんだって! スローン! タリアさんは、もう……!」

「黙れ!!!!」


 その一喝と共に、スローンが腰から下げていた空の鞘、その奥から一筋の銀色の光が迸った。真っ直ぐな鋭い光は鞘口から一閃、僕を掠めて後ろまで伸びる。


「っつ!!」


 痛みを感じて、腕を押さえる。べっとりと血が付いていた。

 何だこれ。今の光で、切れたのか?


「うわぁあああああ!!」


 後ろから悲鳴が聞こえて僕達は振り返った。僕らの背後を固めていた衛兵達、その内の一人の様子がおかしかった。周りの衛兵は一斉に彼から離れ、フィンがメイルの目を覆った。分厚い甲冑で身を固めた、体格の良いその兵士。その体が腰の辺りで鎧ごとずれ、床を踏みしめる下半身を置いて、上半身が派手な音を立てて床に落ちた。


「お前如きが彼女を語るな! 仮にそうだとしても、どのような形でも、私は彼女を城から連れ出す! そして今度こそこの国に過去の罪を償わせる!」

「メル! そんな事しなくていい! どうすれば良いか、私達が一緒に……!」

「レイ! 退かないのならそれも構わん! だが私の邪魔をすると言うなら、お前と雖も容赦はせん!」

「やめて! 私達は仲間よ!」

「お前は! 私の敵だ!」


 レイが絶句してよろめいた。そのまま倒れそうになる所を、僕が走って受け止める。交渉が決裂した事を察して、エイセル達が改めて剣を構える。スローンも鞘を構えた。その口から僅かに漏れるのは、さっきと同じ銀の光。


「切り裂け! アルギュロス!」


 その言葉と共に、鞘から一気に光が溢れて辺りが真っ白になった。さっきの鋭い光とは違う。何とか目を薄く開くと、今までずっと空だったスローンの鞘に、見事な銀色の剣が収まっていた。


 やばい。


 以前メイルが言っていた話が本当なら、彼が白銀の騎士と呼ばれているのは、闇小人がヴォルフを倒す為に打った魔剣の一つを持っているからだ。


 思い出すのはウィルの事だ。どう言う経緯か黄金の剣アルカシアを持っていたウィルは、それを使って岩のドラゴンを倒した。今スローンが持っているのは、それと対になるもう一つの剣。多分ウィルの剣と、同じだけの力を持っている。


 スローンはそれを引き抜いた。


 白銀の力は既に全開だった。当然だ、彼はあの剣を使って五百年前の戦争を勝ち抜いた。ウィルより遥かに使い込んでいる。剣身に刻み込まれた何かの文字を中心に、その切っ先までがはっきり鋭く光っている。大きく、剣を上に振りかぶって、その腕に力がこもる。


 僕らは完全に間合いの外だ。

 でも脳裏にさっきの光が蘇る。


「来るぞ!」


 振り下ろされた剣を避けるように僕らは廊下の両脇に飛び退いた。そこを銀光が掠める。剣を包む光はその先端から真っ直ぐと伸び、天井を抉り、壁を削り、僕らの背後にいた衛兵を掠めて床を両断した。斬られた衛兵が悲鳴を上げる。腕が落ちていた。


 今度は剣を床に突き立てた。再び剣が輝き、そこから無数の光が迸る。一本一本が複雑に動いて、手当たり次第の物を真っ二つにしていく。その内の細い一本が僕を目がけて走った。


「うわっ!!」


 咄嗟に剣を構えると、銀の光は火花を散らして剣に食い込む。

 止まった。本当にこの光は剣そのものなんだ。

 見ればみんなも、同じようにして光を弾いていた。


 でも周りの衛兵達にそんな余裕は無かった。訳が分からないまま上官である筈のスローンから逃げ惑う。その間も剣の光は好き勝手暴れ回り、天井が崩れ、壁が砕け、床に穴が開いて逃げる衛兵が階下へ落ちる。もう滅茶苦茶だ。


「やめて、もう、やめてよ……」


 混乱の中、レイは僕に抱えられたまま顔を覆っていた。無理もない。昔の仲間が、しかも自分達の為に裏切っていたと知ったんだ。衛兵相手に大立ち回りを見せていたさっきとは、別人のように弱々しい。


 僕らは飛んで来る銀の光を弾きつつ、必死に後退していく。

 耐え切れずに真っ二つになった剣を捨ててアレクが叫んだ。


「おいレイ! あいつは顔馴染みなんだろう! どうにかなんねーのかよ!」


 アレクは衛兵が捨てていった剣を拾う。僕は動けなくなったレイを抱えながらみんなの所まで走った。その後ろからも銀の追撃が来る。


「今は無理だよ! 逃げるしかない!」

「ここまで来て引き下がれるか! 会場はもう目の前なんだぞ!」

「だったらあの石頭をどうにかしてくれ!」


 防戦一方だ。白銀の剣の斬撃は遠距離から一方的に僕らを狙い、反撃なんてとても出来ない。今は分散している光、これを集束させた一撃なんて食らえば、文字通り真っ二つにされてしまう。


 でもこの状況で、一つだけ解決した問題がある。

 僕は光を避けながらエイセルに叫ぶ。


「エイセル! ここまで来れば後の道は分かるだろ!? 先に行って!」

「後はって、そりゃあ分かるけどよ!」


 周囲を囲んでいた衛兵は散り散りになって、もう僕らになんか見向きもしない。壁も天井も無秩序に斬り崩されて、幾らでもスローンの攻撃を掻い潜って行けるだろう。誰かが、ここであいつを足止めすれば。


「あいつの相手は僕がする! その間にみんなは会場へ!」

「馬鹿か!? あんなの一人でどうしようってんだ!」

「何人で挑んでも同じ事だ! それにちょっと二三発殴ってやりたいんだ!」

「それなら俺が残る! お前一人じゃ……!」

「なめんな! いいから行け!」


 エイセルは渋い顔をしていたけど、それしか無ぇかと笑ってくれた。

 ゴンと拳で、僕の胸を小突く。

 僕もエイセルの胸を小突いた。


「ここは任せたぜ、クライム」

「ああ、任せてよ、エイセル」


 直後、再び銀の攻撃が来て、僕らはそこから飛び退いた。

 応戦するみんなにエイセルが命令を出す。


「さぁ行くぞお前ら! 会場はすぐそこだ!」


 エイセルは脆くなった壁を蹴り崩した。それを起点に崩壊が広がり、砂埃であっという間に視界が利かなくなる。その中で何人もの走り出す音が聞こえた。


 銀の光が煙を吹き飛ばす。

 辺りが再び見えるようになった。

 でも、そこにみんなの姿は無い。


 いるのは僕とスローン。

 そして項垂れるレイと、それを庇うメイル。


「メイル。レイの事を頼むよ」

「うん。クライムも気を付けて。死んじゃダメだよ」


 スローンは鬼の様な形相のまま、剣で手当たり次第の物を破壊しながら向かってくる。大理石の立像も豪華な本棚も、細切れになって弾け飛んだ。


 でも。それを見ながら、僕は妙に落ち着いていた。


 相手がスローンだからだ。会うのはこれでたったの二回目だけど、もう随分と長い付き合いだ。思い返せば、僕らがトレントで初めて岩の怪物と遭ってからなんだ。岩のドラゴンが現れたのも、死体狩り達が襲って来たのも、全部こいつのせいなんだから。


「そう言えばスローン、まだ言ってなかったっけ」


 僕は落ちていた大きなハルバードを取った。

 一斉に銀の光が襲ってくる。


「僕さ、スローンの事、大っ嫌いなんだよね」


 武器を持って、それに突っ込んだ。  



***



 短い休憩を挟んだ後も、会談は延々と続いていた。だが実質的には全く進んでいない。片付いた案件は精々一つか二つ、そろそろ頭が痛くなってくる所だ。


 そんな中で、目の前の会議とは全く別の事を考えている人間がいた。

 フェルディア王の後ろに控える狸面の男。トライバルである。

 今の彼は唯々ふんぞり返るだけが仕事だったが、目玉だけがキョロキョロ動いていた。


 彼は全てを置いて統一国家を目指すガレノールとは逆に、自分の懐さえ潤えば統一などどうでもいいと思っている男だった。湯水の様に税金を消費する快楽主義者。しかしその快楽実現の為の政策が、巡り巡って領民達にも恩恵を分け与えていると言う、まったく不可解な政治家である。


 腹黒狸は手段を問わない。国中の軍に自分の私兵を潜り込ませる事も、追放されたアデライド家の嫡男を食客に迎える事も、グラム王国の騎士に協力して現政権を潰す事も。悪く思うな最高議長殿、全ては豪勢で潤沢な人生の為である。


 トライバル、そして円卓に座るグラムの大使は目を合わせる。

 微かに聞こえる騒ぎは作戦が進んでいる証拠だろう。


 もうじきグラムの騎士達がここに雪崩込んで来る。こちらの準備は万端だ。彼らが揃えば勝ちは決まる。会談が終わる頃にはガレノールは失脚し、フェルディアとグラムを頭に据えた同盟が誕生するだろう。


 そう、それは役者が揃うかどうかの問題だった。


 グラムの騎士が潜入し、王宮の衛兵を相手取り、スローンの防衛網を掻い潜り、待ち構えているであろう魔法使い本人を倒せるかどうかの問題だった。


 そして彼等は辿り着いた。


 クライムの用意で冬の監視を潜り抜け。

 レイを含めた総戦力で王宮の衛兵を圧倒し。

 メイルの道案内で防衛網を掻い潜り

 エイセルの機転で魔法使い本人まで抑え。

 不確定要素であった白銀の騎士さえも躱して。


 謁見の間へと続く一際大きな廊下。そこでは数十人の衛兵が埋め尽くすようにエイセル達を待ち構えていた。彼等の背後に見えるのは玉座へと続く巨大な扉。所謂最終防衛線である。エイセル達と衛兵は一瞬睨み合う。


「グラム王国王立騎士団、エイセル・ベインだな」


 兵の間に動揺が走った。今の言葉を発したのが、その隊を指揮する将兵だったからだ。彼の合図で隊の半数が動き出し、事態が理解出来ていない残り半数を瞬く間に無力化した。トライバルの伏兵だった。エイセルは再び歩き出す。


 敵である筈の兵達が一行を護るように周りを歩く。アレクはそれを見て目を丸くしていた。先頭ではエイセルと将兵が速足で進みながら何やら話している。十人程度だった人数が一気に膨らんだ。行く手を遮る物は、何も無い。


「開けろ」


 将兵の一言で、二人の衛兵が大扉に手をかける。

 重々しい音がして、それが押し開けられた。

 現れたのは一面が美しい大理石で出来た大きな空間。


 フェルディア王城の最深部、謁見の間だ。


 目の前から遥か遠くの玉座まで真っ直ぐに伸びた赤い絨毯、抱えきれない程太く巨大な柱。そして据え付けられた円卓には、各国からの大使達が腰を下ろし、彼等の背後には従者や騎士がずらりと囲んでいた。そしてその全員が、会談中に突然現れたエイセル達を見ている。


 物々しい雰囲気の衛兵達。血の付いた抜き身の剣を下げたエイセル達。只ならぬ空気を感じて、大使の何人かが立ち上がった。


「何事だ! ここをどこか知っての無礼か!」

「落ち着け、あれはフェルディアの衛兵だろう?」

「アルバトス王! これは何の冗談だ!」


 混乱する会場の兵隊を他所に、彼等はどんどん足を進める。エイセルも将兵も胸が高鳴るのを感じていた。とうとうここまで漕ぎ着けた。最早失敗など万に一つも無いだろう。


 将校がふっと口を開いた。円卓から飛んで来る怒声は軽く流す。剣を使った戦いが終わり、ここから彼等の戦いが始まる。将校とエイセルが道化を演じ、同盟成立の為に用意された茶番を始めるのだ。


 まさか、この瞬間。

 事前に情報を掴んでいたガレノールがトライバル派を根絶やしにする為の別の筋書きを用意していた事など、彼等にとっては知る由も無かった。

 皆が勝利を確信していた。

 だが本当は、敵の方が一枚上手だったのだ。


 運命を決める最初の一言。

 ガレノールの策が動く最初の合図。

 それが将校の口から発せられる、その時。



「静まれ!!」



 雷鳴の様な一喝が、謁見の間に轟いた。


 将校の言葉はぐっと飲み込まれた。

 喚き散らしていた大使達も体を竦めた。

 その場にいた全ての衛兵達が思わず姿勢を正した。


「!」


 エイセルが振り返る。

 アレクも、フィンも、ボアも、ドミニクも。

 その場にいた者達全てが彼を見た。


 アルバだった。


 クライムが突然連れて来た素性の知れない男。ここへ来るまでも付いて来ただけで、何の役にも立たなかった男だ。いつの間にか眼鏡を外し、身なりも少し整っている。


「……ん?」


 その顔を、エイセルは改めてまじまじと見た。そして振り返って再び円卓を見る。そして暫くして、また振り返ってアルバの顔を見た。


「……おい。おいおいおい」


 アルバはゆっくりと前を歩み出た。そこで他の者達も気付き始めた。


 鋭い目。

 栗色の髪。

 高めの背丈。

 痩せ気味の体。


 円卓に座る国王アルバトスと、現れた侵入者アルバは同じ顔をしていた。

 似ているなどと言う言葉は生温い、鏡でも使ったかの様にそっくりだ。

 動揺が一気に広まっていくのを気にもせず、アルバは再び叫んだ。


「問おう、大使達よ! 貴君らの盟友たる者の顔を忘れたか! 忠臣達よ、お前達の主の顔を何故忘れたか! 成程これは面白い! 諍いの絶えない兄弟達が、利害を超えて平和の為にこの場に集うか! ならば再び問おう! その円卓に、何故この私の座る席が無いのか!」


 一人の人間が発しているとは思えない声量。

 アルバの一言一言に、耳を傾けずにはいられなかった。


「我が名はアルバトス・ヴェル・シェリンフォード! 盟友達、そして忠臣達よ! 私は還って来た!」


 馬鹿な、と誰もが思った。

 しかしこの威圧、この威厳。

 嘘と言うには余りにも……。


 王が二人。大使達はその顔を何度も見比べていた。影武者の類が謀反でも起こしたのか。円卓に座る方が本物に決まっている。では王は何故、突然現れた偽物に一言も言い返さない。薄く笑いを浮かべながら、どうして面白そうに座っている。


「下がれ!!」


 侵入者を捕らえようとしていた衛兵達を、アルバは睨んで追い払った。エイセルも将校も、グラムの大使もトライバルも呆気に取られていた。用意していた筋書など、当の昔に吹き飛んでいた。進み出るアルバは足を止め、円卓に座るフェルディア王と対峙した。


「そこは貴様の席ではない。私の席だ。即刻に明け渡し早々に消え去るがいい」


 低く、深く、落ち着いた声色だった。


 対して円卓の王は変わらず笑っている。そこに全員の視線が集中した。皆が明確な答えを求めていた。早く何とか言い返してくれ。偽物風情が図々しい、衛兵達よ、さっさと暴徒を捕らえろ、そう言い放ってくれないか。


 だが、王は笑うばかりだった。


「これは、失礼した」


 低く、深く、ざらざらとした声色だった。

 右手にしていた指輪が、一瞬光った。


「この円卓によもやフェルディア王の席が無いとは。トライバルよ。すぐに用意せよ」


 トライバルは返事も出来ない。意味が分からなかった。そんな答えが欲しかった訳ではない。言い返したのは、やはりアルバだった。


「新たな椅子など必要無い。私は貴様の席を明け渡せと言っているのだ」

「それは困るな。世界の命運を決めるこの会議、王たる私が出席せぬ訳にはいくまい」

「なに、問題ない。我々が決めるこの世界の行く末、そこに貴様の居場所は無い」

「控えよ、会議の場だ。その主張が果たして総意であるか、皆に問う義務が貴君にはある」


 何を話しているのかと皆が戸惑う中、エイセルが一人戦慄していた。


 円卓に座るフェルディア王。王たる私と、そう言った。

 レイは言った。ヴォルフはこの場の全てを皆殺しにするつもりだと。

 スローンは言った。ヴォルフが今、この会談の場に来ているのだと。


「だが、総意など得られまい」


 そう言って、円卓の王はゆらりと立ち上がった。


「得られる筈もない。この場に於いて戦争を望まぬ者が何人居るか。おかしな事だ。貴君らはこれから滅ぼす国を相手に、一体何の交渉を行うつもりだったのか。少なくとも五百年前のあの者達は、敵を殺す事に礼儀も情も持ち込まなかった」

「まさか……!」


 エイセルは素早く状況を確認する。


 クライムとレイは置いて来た。

 いるのは自分達グラムの騎士が三人。

 大使達についた形式的な護衛が二十人程。

 広間を固めるフェルディアの衛兵が二百人超。


 戦力不足だ。

 話にならない。

 冬の魔法使いはどこへ行った。この肝心な時に何故いない。

 エイセルはなりふり構わず叫んだ。


「総員戦闘準備! お前ら! 大使達を円卓から遠ざけろ!」

「狼狽えるなヴェリアの子らよ。私自身がこの場に参席したのは、ごく単純な理由だ。欲を言えば全ての王に直接言いたかった所だが、この際形式など選ぶまい」

「早く援軍を呼べ! 数足りねぇぞ! 何してるお前ら! 走れ!」

「奇しくも我らは同意見のようだ、フェルディア王。私の見る世界の行く末にも、貴様ら人間の居場所は無い。我が名は黒の王ヴォルフ、ここに宣戦を布告する。今度ばかりは、唯の一人も生かしておかん」


 衛兵達が警笛を鳴らし、アレク達は円卓へと突っ込む。

 大使達も配下の騎士に守られるように席を離れ始めた。


「貴様らの首をもって、開戦の狼煙としよう」


 円卓の王の右肩が、ぼこっと膨れた。右肩だけではない、その体の至る所が服を引き裂いて無秩序に膨れ始める。恐ろしいその光景に、大使達は椅子を蹴飛ばすようにして一斉に逃げ始めた。飛び込んだアレク達がそれを抱えるようにして倒れ込む。


「伏せろ!」


 王の体が弾け飛んだ。


 内側から爆発するように破裂したのだ。噴出した大量の塊が天井にまで届き、壁を汚し、一帯に血の雨を降らせた。大勢の悲鳴が響き渡る。謁見の間は一瞬で地獄絵図と化した。


「くそ! 何だってんだ一体!」


 アレクは抱えた大使をお付きの騎士に押し付けると、頭から浴びた塊を拭い、口に入った血を吹き出し、剣を抜いて辺りを見回す。破裂する前に散々膨らんだせいか、赤い肉塊が至る所に飛び散っていた。小さな物から、人間大に大きい物まである。アレクの目の前にも一つ転がっていた。


「!」


 それが動いていた。ただの塊ではない。縮こまるように折り畳まれていた手脚を伸ばし、体を起こす。窮屈な体勢から解放され、全身から血を滴らせたその魔物はコキリと首を鳴らし、身を揺すり、ゆっくりと立ち上がった。


「こいつは……!」


 見覚えのある魔物だった。


 レイを抱えて黒の城からクライムが脱出した時。封印の隙間を縫って翼を持った魔物が追いかけてきた。マキノが炎を撃ち込み、アレクが首を落とし、四人がかりでようやく倒した魔物だ。


 実質負けたような戦いが許せなくて、あの後アレクはレイに訊いた。クライムが何度も遭った鋼の兵士、雲霞のような大群で追い掛けて来たあの魔物は、人間や魔物を混ぜ込んで創られた敵の主力、カドモス。そして翼を持つその上位種が、彼等を束ねる敵の将、カドム。


 人間以上の知恵と力があり、総勢百人にも満たないカドムには各々固有の名前が与えられる。先の戦争ではレイ達も何度も苦しめられた。


 長い舌で口回りの血を舐め取りながら、カドムは熱い息を吐く。


 見れば、転がっていた他の塊も次々と起き上がっている。どんな魔術を使っていたのか、彼等は王の体から出てきた。今まで円卓に座っていた「フェルディア王」は、この数年玉座に座っていた王の形をした何かは、こいつらを詰め込んだ肉の袋に過ぎなかったのだ。


 事態を察した衛兵達も魔物を包囲し始めた。カドム達は歯を剥きだしてそれを威嚇する。少しずつ個体差があるようだった。そしてアレクの前にいる一人は、明らかに他の個体と雰囲気が違う。何より一人だけ指輪をしていた。さっきまでフェルディア王がしていたのと、同じ指輪だ。


 アレクはそのカドムの目が合った。

 他のカドム達の目は、濁った琥珀色だ。

 だが指輪のカドムの目は、禍々しい赤色だった。

 それは忘れもしない、あの岩のドラゴンと同じ瞳だ。


 その直後にカドムは身をかがめ、その背中から二つの突起が盛り上がる。滴を撒き散らして広がったのは以前見たのと同じ、大きな蝙蝠の翼だった。そして床にヒビが入るほど脚に力を込めると、十体のカドムは一斉に飛び上がった。



***



 銀の光が迸り、轟音と共に部屋の一つを丸々吹き飛ばした。


 そこから転がり出て来たのは満身創痍のクライムだ。最初に取ったハルバードは当の昔に粉々にされ、その後で手にした武器も一つ残らず破壊された。致命傷こそ避けたものの、もう全身に剣を受けていつ倒れてもおかしくない。


「くっそぉ!」


 粉塵を体で切りつつ走り回り、それを銀の光が蛇のようにしつこく追撃した。


 スローンは速足で迫りながら容赦なく攻撃を繰り出していた。目の前の石像が真っ二つになるのを見て、クライムは踵を返し隣の部屋に飛び込む。腰から抜いた短剣を抜いて奥へと走った。


 壁を突き抜けて八本の銀の光が部屋を走った。クライムは構えた短剣で喉に迫った光を弾くが、残りの二本が左腕と脇腹を掠めた。


「っつ!」


 受け身を取りつつ倒れ込んだ時には光は消え、代わりに部屋中の物が一斉に崩れた。斬られた壁が壊れ、机が倒れ、本棚どころか中の蔵書までが微塵に刻まれて部屋中に舞った。なんとか立ち上がって次の部屋へ走る。


 扉を開けた先にも、同じ様な部屋が広がっていた。


 無数に並ぶ長テーブル、その上に積もる書類の山。夜勤用の大きなキャンドルや、参考文献が乱雑に散らばっている。役人達の仕事場だ。メイルとスローンが毎日のように意見を交わした場所だった。築いてきた関係が染みついた場所だった。それを、スローンは無感情に斬り捨てた。


 テーブルを掻い潜り扉へと走り、部屋から部屋へとクライムは逃げ回る。しかしスローンはテーブルも壁も斬り飛ばして一直線に迫って来ていた。足を止めれば、その瞬間に五体バラバラにされかねない。


 だがクライムの体力は限界だった。

 足が縺れ、一瞬動きが止まる。

 そこをすかさず剣が襲った。


 右上腕が撃ち抜かれ、ふくろはぎを斬られ、クライムはぐらりと体勢を崩した。追い打ちをかけるように銀光がその周囲の物を丸ごと斬り刻み始める。壁が吹き飛び、天井が崩れ落ち、粉塵に呑まれてクライムの姿は見えなくなった。悲鳴一つ、聞こえて来なかった。


「……」


 スローンは剣を下ろす。鼠のようにすばしっこい男だったが、これでは流石に助かるまい。そう思って煙の中に足を踏み入れる。念には念を、首だけでも確かに斬り落とす。床には点々と血の跡が残っており、視界の利かない中でスローンはそれを辿る。


 だが辿った先、そこには倒れるクライムの姿は無かった。

 直後、スローンの後頭部を誰かが鈍器で殴りつけた。


「ぐっ!!」


 振り向きもせずにスローンは背後を薙ぎ払い、斬られた何かはゴトリと落ちた。部屋の端に飾られていた胸像だ。だが持ち手がいない。そうかと思えば今度は煙の中から本棚が丸ごと飛んで来た。スローンは難なく斬り捨てるが、細切れになった紙吹雪に気を取られ、再び死角を突いてきた重い一撃が頭を掠める。


 スローンはすぐさま行動に移る。

 剣に溜め込まれた銀の光を爆発させ、辺りの煙を吹き飛ばした。

 一瞬で視界が晴れた。だがそこにはやはり、誰の姿も無い。


 瓦礫の山となった部屋。スローンは注意深く辺りを見回す。気配はある。近くに隠れ、虎視眈々と隙を伺っているのだ。煙に紛れていたとは言え、その中をどう動きどう躱したのかスローンには分からない。あの男には、自分の知らない何かがある。


 バラバラになった椅子やテーブル。

 床に降り積もる書類の切れ端。

 真っ二つになった人物像。


 人間が隠れられる隙間が見当たらない。

 だが見つからないなら、この部屋丸ごと吹き飛ばす。


 そうスローンが考え、僅かに剣の切っ先が上がった時。

 唐突に背後から殺気を感じた。


「そこか……!!」

「おおおぁああああああ!!」


 壁に立て掛けられた古時計が一瞬で人に姿を変え、剣が振り抜かれるより早くクライムはスローンに掴みかかった。顔面を真正面から殴りつけ、胸倉を掴んで何度も何度も棚に叩きつけた。


 そこに一発、重い反撃がクライムの鳩尾にめり込む。しかしクライムはその腕を掴んで床に押し倒す。そのままスローンに馬乗りになり、怒りに歪む顔を一方的に殴りまくった。


「この大馬鹿! こんな事して! レイを泣かせて! 何の意味があるって言うんだ!」


 罵りながらもクライムは殴り続けた。


「他にもやりようはあった筈だ! なのに! あなたは!」


 一方的に、滅茶苦茶にクライムは殴りまくる。

 そのこめかみを鋭い拳が打ち抜いた。

 一発で意識が遠のいた。


「軽い拳だ! 小僧!」


 腹の辺りを蹴り飛ばされ、クライムは一瞬宙に浮いた後、瓦礫の山に頭から突っ込んだ。頭を押さえながら立ち上がるが、目が回って上手く立てない。だがスローンが速足で近付いて来るのは見えた。剣こそ落としていたが、両の拳が握られている。負けじと構えたが、再び容赦なく殴り飛ばされた。


「私もお前が気に食わなかった!」


 顔を腫らしながらそう吠える。踏み止まったクライムが更にスローンを殴り、踏み止まったスローンが更にクライムを殴る。見る影も無く破壊された部屋で、二人は出鱈目に殴り合った。


「反抗的なその目! 口先ばかりの甘い考え! 見ているだけで腹が立つ!」

「そっちこそ理屈ばかり並べて! 肝心な物は何も見えてないクセに!」

「責任を負う覚悟も無い! それを実現する力も無い! 私が一番嫌いな人種だ!」

「あなたよりマシだ! 全て破壊するなんて馬鹿か! 世界は綺麗なんだよ! 人はみんな優しいんだ! あなたや僕が思っているより、ずっと!」

「ならばそう思い込んだまま死ね!」


 スローンの大振りがクライムを殴り倒した。


 倒れたクライムは大きく咳き込んで血を吐いた。一発一発が想像以上に重かったのだ。対するスローンは息を切らしながらも白銀の剣を拾う。再びその剣が光を放ち始めた。


 クライムは何とか立ち上がろうとしたが、脚に力が入らない。スローンは剣を大きく振り被り、分散していた銀の光が集束する。その目は真っ赤に血走って、完全に理性を失っていた。悪鬼よりも恐ろしい、まるで魔族と同じ狂気の目だった。


「ここで死んで、全てを知るがいい! お前の人生が如何に無価値で、人間共が如何に醜いのかを! そして私が、その全てを終わらせるのを!」

「やめて!!」


 甲高い声が飛び込んできた。

 クライムとスローンが同時に振り向く。


 転げそうになりながらも走って来るのはメイルだった。武器一つ持っていない。それを見た瞬間、クライムの頭に一気に血が上る。


「メイル! 来ちゃダメだ!」


 最後の力を振り絞るように、クライムは無理やり体を起こす。だがボロボロになったその姿を見て、メイルは二人の間に飛び込んだ。


「スローン! クライムを殺さないで! クライムだけは、殺させない!」

「お前如きが今更何をしに来たと言うのだ! どけ!」


 唾を飛ばしながらスローンが怒鳴った。叩き付けられる威圧だけでメイルは気を失いそうだった。だが足が恐怖に震えながらも、クライムを庇うように立ったまま動かない。


「そこをどけ、メイル一等監査官! これは命令だ!」

「いやだ!!!」


 頑として動かないメイルをスローンは射殺すように睨む。

 しかしその躊躇も一瞬で、白銀の剣は振り下ろされた。

 立ち上がろうとするクライムも、メイルに手が届かない。

 自分を庇う小さな背中、そこに迫る銀の光。

 クライムは思わず叫んだ。


 その視界の端で、艶やかな黒髪がなびいた。


「ぐっ……!」


 スローンの剣が止められた。


 メイルを斬れなかった僅かな躊躇、その一瞬の間にレイが暴風の様な速度で部屋を駆け抜け、メイルを突き飛ばし、傷だらけの剣でスローンの一撃を受け止めていた。


 石でも鉄でも、あらゆる物を両断した白銀の一撃を、レイの剣は完全に止めていた。倒れたまま動けないクライムとメイルは、レイの剣がスローンの物と同じく、薄く銀の光を帯びている事に気付いた。


「……剣は、持ち手を選べない」


 俯いたまま、レイは呟く。

 鍔迫り合いの中でレイは少しずつ、力付くでスローンを押し返し始めた。


「あんたがそう言ったのよ。自分が倒されて、この剣が悪の手に渡った時の為に、そう言って私にこの技を教えた。防御不可の剣を防ぐたった一つの返し技。間違った人間の手に剣が渡った時に、お前がちゃんと止めるんだって……!」


 スローンも剣を押し返すが、魔族の腕力には太刀打ち出来なかった。白銀から放たれる光は無秩序に乱反射して辺りを斬る。クライムはメイルを抱き寄せた。レイはバッと顔を上げ、涙の跡を残しながらも怒り狂った表情でスローンを怒鳴りつけた。 


「あんたが、そう言ったんでしょうが!!」


 レイが剣を弾き飛ばし、二つの剣は宙へと飛んだ。

 二人は同時に一歩踏み込み、同時に拳を振りかぶる。

 レイとスローンは獣の様に吠えながら、互いに渾身の一撃を叩き込んだ。


 レイが吹き飛び、棚に思い切りめり込んだ。

 スローンが吹き飛び、壁を突き破って隣の部屋に倒れ込んだ。


 二つの剣が、同時に床に突き刺さる。


「レイ!」


 クライムとメイルはすぐにレイに駆け寄った。レイは完全に棚に嵌っており、頬には大きな痣を作っていた。二人は棚を壊しつつ、何とかそれを引っ張り出す。


「痛ったぁ……」


 フラフラとよろめいて、レイはクライムに倒れ込む。釣られてクライムまで倒れそうになった所を、何とかメイルが二人を支えた。レイは苦笑しながら、ありがとうと二人に言った。


「レイ、大丈夫?」

「大丈夫な訳無いでしょ。メルの奴、女の顔を何だと思ってるのよ……」


 瓦礫が崩れる音がしてクライムが振り返った。スローンが居た。

 やはり頬に大きな痣を作って、忌々しそうにこっちを睨んでいる。

 クライムもメイルも身構える。


「……」


 だがスローンは、襲って来る様子も無い。

 レイは痛そうに文句を言った。


「最低な男よね。遠慮なくやってくれちゃって」

「……お前が言うか。相変わらずふざけた女だ」


 スローンはプッと折れた歯を吹き出した。

 顔をしかめて、痛々しそうに頬を触った。


 触ったまま。

 俯いてじっと空を見ていた。


 三人はそれを黙って見守る。


「アルギュロスの、返し技か……」


 ぽつりとそう言って、レイを見た。


「すっかり忘れていた。そんな事も、あったかな」

「……あったわよ。メル、やっぱあなた老けたわね」


 レイは渋い顔をしながらそう言った。


「あなたはみんなに頼み込んで、でも面倒だって誰も覚えてくれなかったでしょう」

「もう朧気だな、レオパルドに頼んだ覚えならあるが……」

「あのジジイはいつも通り飲んだくれてたわ」

「そうだったか。確かボルフォドールも窓際で居眠りをしていたな」

「タリアに至っては見向きもしてくれなかったわね。それで私が構ってあげたのよ」


 頭に上った血が抜けたように、二人は静かに言葉を交わしていた。スローンの顔にも、さっきまで浮かんでいた狂気の色が無い。その色を伺いながら、レイは語り掛ける。


「思い出した? 結局は私が覚えた、仕方なくね。でもだからこそ、あなたを止めるのは私の役目よ、メルキオン。だって私にそう頼んだのは、他でもないあなたなんだもの」


 スローンは答えない。

 頬を押さえたまま、動かなかった。


「……ふ。ふふふ。お前が私を止めるだと? いつもいつも逆だったろう」

「あなたを止めるのは、あなたがガチガチに立てた安全対策じゃない。だから今、私を相手にこんな事になっている。自分が抜けられる穴くらい作っておきなさいよ」

「穴がある対策など許さん。策の製作者本人だろうが例外ではない。そうだ、あの時はこの状況も、想定はしていたのだ」

「はっ。自分で作った落とし穴に嵌ったクセに良く言うわね。相変わらず、石頭なんだから」

「石頭、か……」


 頬を押さえる手を下ろし、確かめるように軽く握った。

 そして自嘲気味に、ふっと笑った。


「そう、だな……」


 突然、その胸を大きな剣が貫いた。


「メル!!!」


 レイが叫ぶ。スローンが口から血を吐いた。胸の中心から生えていたのは、衛兵達が使う大剣だった。スローンはそれを引き抜こうともせず、他人事の様に見下ろしていた。レイは二人を振りほどいて駆け寄ろうとするが、クライムが必死にそれを止めた。


 スローンの背後に、大きな影が見えたからだ。

 たった今、剣を投げつけた誰かがそこいた。

 スローンは崩れるようにその場に倒れる。


「好ましいほど、愚かな男だ」


 低く、深く、ざらざらとした声で影は言った。


 人間よりも大柄な体躯の魔物だった。細かい鱗に覆われながらも、気持ち悪いほど人間臭い。全身から血を滴らせ、背中から大きな蝙蝠の翼が生えていた。そしてその右腕には、鈍く光る銀の指輪を嵌めていた。対の指輪、もう四つ目だ。いったい誰の指輪なのか。


「安心しろ。貴様の望みは確かに聞き届けた。後の事は私達に任せるがいい」


 指輪を使って魔物を操っているのが誰なのか。

 クライムには全く分からなかった。

 メイルにも全く分からなかった。


 レイだけが、目を見開き歯を食いしばり、その赤い瞳を睨みつけていた。


「ヴォルフ……!!」



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