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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
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第32話 騎士団進撃

 その日。街は花に包まれていた。


 何千と言う人々が本通りに押し掛け、首都正門から王城を目指す幾つもの馬車を歓声と共に出迎えている。


 両隣の建物から斜めに突き出すのは、青空を覆いつくさんばかりの無数の国旗。通りを行く馬車の頭上で重々しくたなびいている。そして建物に挟まれた本通りを埋め尽くすのは花びらだ。視界一杯の絶え間ない花吹雪は、赤や黄色で街を彩っていた。


 それを踏みしめながら見た事も無いほど豪華な馬車が進む。ずらりと並んだ衛兵が人々の海を押し分けるように道を作っていた。多くの騎兵で囲まれた馬車の中にいるのは、会談の為にやって来た各国の大使達だ。


 金の装飾が一際多い煌びやかな馬車がヴェランダール。

 焦げ茶色に紅い線が入った地味な馬車はルべリア。

 簡素な黒に鈍色の銀細工が施されている馬車がグラム。


 一国当たりでも護衛を含めて長い列になるが、それも次から次へとやって来る。稀に窓から大使が顔を覗かせ手を振ると、歓声は一際大きくなった。


 出来た演出である。各国大使の到着は疎らだったが、この演出の為にわざと入場を合わせたのだ。受け入れるフェルディアにしても、警備を名目に大使達に軍事力を知らしめる狙いがあった。会談の結果如何では、これを敵に回す事になるのだと。


 その為だけの不自然な配置。冬の魔法も交えたこの警備。それは傍から見れば、確かに蟻の這い出る隙間もない。しかし、隙間は確かにあったのだ。


 大使達が第二の城壁へと入城していたのと時を同じくして。

 その反対側に位置する門から、十名程の刺客が城へと潜入していた。


 隠れもせずに正規の手続きを踏んで。

 正面から、堂々と。



***



「案外上手く行くもんねぇ」

「大人数だから流石に少し怪しまれたようだが……」

「ボア、ギブス。周囲の警戒に当たれ。嬢ちゃん、案内頼むわ」

「こっちだよ。任せて」


 小さなメイルを先頭にして、一様に紺のローブに身を包んだ一行は奥へと急ぐ。

 潜入と言う言葉が似合わないほど、皆はざわざわ話していた。

 そこには何故かクライムの姿がない。


 不思議な事に、辺りからは役人の声や衛兵の足音が聞えてくるのに、一行がいるこの廊下には誰もいない。出くわすのは本当に、たまたま居合わせた役人程度。不思議そうな顔で一行を見るが、メイルが笑顔で手を振ると何も言わずに見逃してくれた。


「これがフェルディアの宮殿か。大層な所だな」


 アレクが物珍しそうにキョロキョロ辺りを見回していた。

 磨き上げられた白い壁に赤い絨毯。

 贅の限りを尽くしたここは、アレクに全く似合わない。


 出発前に一応、全員が身なりは整えて来た。コムランも無精髭を剃り、アレクも伸びた髪を後ろで括り、クライムも散々レイとメイルに弄られた。どうにもならなかったのはボアの骸骨面くらいである。


 それでも、もし衛兵に見つかったら。

 そこで身分を問い詰められたら。


「!」


 そうレイが思った瞬間に目の端を衛兵が掠めた。一行が足を踏み入れた廊下から、入れ違いに出て行く後姿。ぎりぎりだった。本当に一歩の違いだ。レイは感心してアレクに話しかける。


「凄いわね、メイル。どこまで考えて道を決めてるのかしら」

「得意なんだよコイツは。特に鉱山とか迷路に関してはマキノ以上の専門家だ」


 メイルは一度見た物は忘れない。宮殿の見取り図に警備の周期。この日の為にあらん限りの情報を頭に叩き込んだのだ。城の死角を縫うようにしてメイルは足を進め、一行はそれに付いていく。メイルの目には先の先の先の道、その先で警備がどう動くかまで見えているのだろう。


 右へ左へ。予定通りの道順を予定通りの速さでメイルは歩く。

 しかし、ふと道を変えた。ここだけが事前の予定に無い道だ。

 行き先は、先に侵入していたクライムとの合流地点である。


「あの糞モヤシが。こんな時に寄り道なんざさせやがって」

「ヒヒッ。馬鹿な故の馬鹿な一手も、案外と馬鹿に出来んぞ?」

「でもクライムの馬鹿が何か言い張ってくると、いつも碌な事が無いんだよねぇ」

「ねえ、誰か馬鹿って所を否定してあげなさいよ」


 いつでも剣を抜けるよう緊張した面持ちで一行は足を進めるが、それだけに肩の力は抜いて行こうと自然と軽口が漏れてくる。不幸なのは馬鹿にされるクライムだけだ。


 そして噂をすれば、である。

 城の外縁部に位置するとある地点で、情けない息切れが聞えて来た。


「あぁ、みんな! 遅れてごめん……!」


 道の向こうから姿を現したのは、同じく濃紺のローブを身に纏ったクライムだった。何故か既にボロボロで疲れ切っていた。しかし。


「……」


 全員の目がその隣にいる男に注がれる。着崩れているが綺麗な身なりの痩せ気味の男だ。無言で互いに目配せをする。誰だこいつは。失敗の許されない隠密作戦に、突然の部外者。アレクが切り込む。


「おい、どう言うつもりでゴラ!」

「兄ちゃんよぉ。誰か連れて来るなんて、俺ぁ聞いてないぜ?」

「斬るわ……」

「斬るな! ボア、ちょっと落ち着け!」

「えっと、ごめん。この人はアルバって名前で、その、何て言ったらいいか」


 クライムは必死に説明を試みる。当のアルバはアレクと同じく物珍しそうに辺りを見回していた。妙な雰囲気の男だった。


 鋭い目。

 栗色の髪。

 高めの背丈。

 痩せ気味の体。


 落ち着きの無い早口で、しかしどこか楽しそうにアルバは捲し立てる。


「中央から大分遠いぞクライム。お前達の作戦はこの大所帯で宮殿見物する事か?」

「うるさいよ。あの壁壊して潰れた道を掘り返すだけで、僕がどれだけ苦労したと思ってるのさ」


 城の人間であるようだが、クライムも随分と打ち解けている。しかしこの期に及んで自ら不確定要素を持ち込むとはどう言うつもりなのか。どっかで見たなとメイルが首を傾げ、皆がざわざわ戸惑っていると、エイセルが無言で進み出た。黙ってアルバと向き合う。


「クライム、こいつは信用出来るのか?」


 アルバから目を逸らさずにエイセルが問う。


「出来る。少なくとも僕達の知らない事をこいつは知ってる。僕は、それが役に立つと思って連れて来た」


 エイセルはなおも目を逸らさない。

 アルバは気怠そうにそれを見つめ返した。


「いいだろう」


 鶴の一声。


 全ての反対を押し切って、メイルを先頭に一行はまた歩き始めた。クライムに対してフィンが絶え間なく文句を言い、アレクが一発殴り、レイは何があったのよと面白そうに問い詰める。


 その後ろで、アルバは愉しそうに辺りを見回す。


「……」


 感慨深い。


 二年振りになる己の宮殿。

 何もかもが昔のままだ。


 狭い部屋から出たせいか、今までの悩みが全て下らない物に思えた。一時的で愚かしい高揚感だと自覚しつつも、それに身を任せる事が小気味よくて仕方がない。まずは国を取り戻す所からだ。今この瞬間、どこの傀儡が玉座に居座っているかも想像はつく。蹴落として、斬り捨てて、踏み躙る。歩みを止める物は何も無い。


 その顔には怪しい笑みが浮かんでいた。



***



 王宮の中心部に位置する謁見の間では、既に会談が始まっていた。


 玉座の正面に据え付けられた大きな円卓には「フェルディア王、アルバトス」を始め、各国大使達がずらりと並んでいた。大使達の背後には護衛の騎士が数人無言で控えており、更にフェルディアの衛兵が広間全部で百人以上が配備されている。


「これは手厳しい。我々としては魔物共を駆逐しに軍を動かしただけの事だ」

「勝手な事を! 結果として貴国は我が国の領土を侵し兵を殺めたのだ!」

「落ち着いて下さい。私達は皆が一つの国から始まる者達。いわば兄弟です。過去の事には目を瞑ってはどうでしょう」


 飄々と他国の大使を笑う者。

 憤慨して立ち上がる者。

 相手の顔色を伺う者。


 円卓では延々と議論が重ねられていた。大使達は各個に話し合っている風だが、実際は幾つもの見えない協力関係が出来上がっている。僅かな目配せ、護衛の合図、瞬きの回数。遅々として進まない口上の議論とは別に、数え切れない密談が影で行われていた。


 思う所は同じである。彼等はこの会談を機に同盟相手を増やし、狙った国を袋叩きにしようと画策しているのだ。そして勿論、その第一の標的はフェルディアである。会談が始まる前から分かっていた事だ。フェルディアとて、それを承知の上で動いている筈だった。


 しかし。



「そう難しく考える事も無かろう。秩序ある世界などすぐに齎される。私達が問うべきは如何にそれを速やかに行うか。兄弟同士で争うなど、あの始まりの王の本意でもあるまい」



 そう、アルバトス王は低く、深く、ざらざらとした声で会議を支配した。


 大使達にとってこの会談は勝ち戦の筈だった。しかし対してフェルディア王のこの落ち着きは何だ。アルバトスは王冠を外し、議長国とは思えない大人しさだ。円卓である以上は彼等に優劣も無い。それなのに全ての国が、その一挙手一投足に敏感に反応してしまう。


 その視線で射抜かれれば、まともに口を利く事も出来ない。同じテーブルにいるだけで息苦しい。自分達は相手にしているこの男、とても同じ人間だとは思えなかった。だがもし人でないなら、これはいったい「誰」なのか。


 その疑念を煽るように、どこからかしわがれた笑い声が聞こえてきた。



***



「くくく、大分退屈しておるようだな」


 進んでいる途中、王宮の道のど真ん中。

 突然聞こえてきたしわがれた声に僕は身構えた。


 ばっと辺りを見回す。でも誰もいない、アルバの地下室と同じだ。どこから聞えてきてるか分からない。馬鹿な。何だってあいつがこんな所に来てるんだ。


「おい、今のは誰の声だ?」

「敵影無し。辺りを警戒しろ」


 どう言う事だ。今まで僕にしか聞こえていなかった蜘蛛の声が、今はみんなにも聞こえている。みんなが必死に声の元を探し、それを嘲笑うように蜘蛛は話し続ける。


「可死なる者共よ。貴様らの輝きを儂は見たい。苦しみ、抗い、切り開くその生き様をもっと儂に見せてみよ。踊れ踊れ、変わり者共。その脚、腐り落ちるまで」

「誰だ! どこから話しかけてやがる!」

「本当に近くには誰もいないのか!? 何を見落としてるんだ!」


 淀みなかった歩みが止まりかけ、背中合わせになって辺りを警戒する。

 その円形のまま、少しずつ前進していく。まずい。僕は叫んだ。


「みんな、落ち着いて! 蜘蛛でも蟻でも、辺りに虫がいないか探すんだ!」

「虫だ? 坊主、どう言う事だ」

「僕にも良く分からないけど、実際に喋っているのは多分、虫だ!」

「おいおい、何の話だ兄ちゃん! 虫って何だ!」

「敵だ!」


 そうだ。アルバの部屋では、部屋の隅にいた大きな蜘蛛が、蜘蛛を潰すと別の虫が僕に話しかけて来た。多分あいつは虫を使い魔か何かにしてるんだ。それさえ潰せば、声は止まる。


「死とは何と輝かしいものか。蝋燭の消えるその一瞬、嵐が鎮まる最後の一吹き。命を謳歌すればする程、最期の光は眩いものだ。お前達の最後の一瞬、それは果たしてどんな光を見せるのか」


 惑わされるな。耳を貸すな。こいつは喋りながらも、裏で何かをしている筈だ。アルバの言う通りヴォルフには報告していないのかも知れないけど、この瞬間に妨害に来たんだ。嫌な予感しかしない。何をして来るつもりだ。


「おい! 見ろ!」


 アレクの言葉に視線が走る。

 そこにいたのは、一人の衛兵だった。


 でも、彼は誰かに後ろから捕まっていた。両腕を掴まれ、口を塞がれ、剣を押さえられて、……おかしい。彼を捕まえる誰かには、腕が四本もある。


 背後にいたのは、老人だった。


 乞食のようなみすぼらしい恰好。ツバの広い帽子にツギハギだらけの汚いマント。帽子からは鉛色の髪がごわごわと伸びている。骨と皮だけの細い腕なのに、鎧の腕を捻じ切りそうな程の力が入っていた。見覚えがある。ヴォルフの城で蜘蛛の囁きを聞いた時、僕は一瞬こいつを見た。


 これが蜘蛛の本当の姿なのか。でも衛兵を捕まえて、どうするつもりなんだ。みんなが動けずにいる中、レイが一歩前に進み出た。


「その顔、二度と見たくなかったわね。彼を離しなさい、蜘蛛」


 二人が睨み合う。やっぱりレイは蜘蛛を知っているんだ。衛兵は苦し気に呻いている。その背後で老人がにやっと笑い、口が一気に耳まで裂けた。そこから見えたのは黄ばみを通り越して黒ずんだ不揃いな歯。しわがれた声で、蜘蛛は言う。


「では始めるとしよう」


 マントの中から五本目の腕が伸びてきて、衛兵の首の辺りの甲冑を力付くで剥ぎ取った。そして更に六本目の腕が伸びてくる。その手に持っていたのは短い、錆び付いたナイフ。


「やめろ!!」


 僕が叫ぶのも間に合わない。

 それを、衛兵の喉に押し当てる。



「さて、何人死ぬかな?」



 ナイフが走った。 

 蜘蛛は笑いながら衛兵を放し。

 放された衛兵が派手の音を立てて倒れた。


「くっそぉおおおお!」


 夢中で兵士に駆け寄った。メイルが続く。彼は必死に喉を押さえ、苦しみからか仕切りに悶える。重々しい鎧がその度に大きな音を立てた。


 大きな踏み込みの音が聞えたかと思うと、エイセルが一気に間合いを詰めて一撃で蜘蛛の首を刎ね飛ばした。六本腕の体が倒れ、飛んだ拍子に首から帽子が取れる。そこで初めて、僕は蜘蛛の顔を見た。


 歪に尖った、鋭い耳。

 禍々しく光る、赤い目。

 それは真っ直ぐ僕を見て、嗤っていた。

 こいつ、魔族だ。


 途端、蜘蛛の首が端から黒ずんだ。そして耳障りな音と共に、ざらざらと黒い砂のような物になって崩れていく。砂なんかじゃない。蟲だ。蜘蛛、蠅、百足。宙を飛ぶ生首と首無し体はありとあらゆる蟲に分裂し、床を舐め尽くすように這って逃げていった。


「何だこりゃあ!」

「クソ! 気持ち悪ぃ!」


 咄嗟にみんなが剣を振るうけど、数が余りに多すぎた。床一面が黒く見える程の蟲の大群は、僕らを無視して通路の向こうへ走り、壁の隙間に潜り込み、あっという間に消えてしまった。残されたのは、反響する高笑い。


 メイルが懐から包帯を取り出し治療にかかる。

 死にもの狂いで抵抗する兵士を、僕が必死に押さえた。


「ごめん! こんな筈じゃ……!」

「メイルは悪くない! あいつめ、くそ!」


 最悪だ。血は全然止まらない。治療しようとするメイルの手は真っ赤だった。兵士は苦しみから死に物狂いで暴れ、その度に鎧が大きな音を立てて廊下と言う廊下に反響していく。それに気付いてあちこちから人が集まる音がしていた。


 嘘だろ。こんな事が目的だったのか。物音を立てて兵を呼ぶ、ただそれだけの事なのに、蜘蛛の手に掛かるとどうしてこんな悲惨な事になるんだ。


「来やがったな……」


 エイセルの呻きで僕も気付く。

 みんなも何事かと身構えた。

 急に、辺りが寒くなってきたんだ。


 花瓶に飾られた花が一斉に霜を降り出し、吐く息までが白くなる。見回せば白い壁も赤い絨毯も、どこからともなくパキパキと音を立てて薄く氷が張り始めた。壁に飾られた沢山の絵画も真っ白に凍り付き、脆くなった花は床に落ちて粉々に砕けた。


 メイルから聞いていた通りの力。

 見つかったんだ。冬の魔法使いが、僕らに気付いた。


「戦闘態勢! お前ら、やるぞ!」


 エイセルの一声で全員が隠していた武器を取り出した。

 コムラン、ドミニク、ギブス、ボア、アレク、レイ、全員が一斉に剣を抜く。

 廊下の向こうからは次々と衛兵が押し寄せて来た。逃げ場は無い。


 戦いが始まった。



***



「おおおおらぁああああ!!」


 アレクとエイセルを先頭に、唸り声を上げて騎士達が衛兵とぶつかり合った。

 そこいら中で激しい剣戟の音が鳴り響く。


 僕もメイルも動けない。何とか蜘蛛にやられた兵士を助けようとするけど、とても手に負えなかった。助けを求めるように兵士が僕を見る。僕を見据える血走った目、まるで悪夢だ。手当の最中もメイルは盛んに呼びかける。


「し、しっかりして! 絶対に、助けるから!」

「ああ、フィン! 何とかしてくれ!」

「……どいて」


 深い溜息が隣から聞こえてきた。

 のっそりとフィンは倒れる兵士に登る。

 そして血の泡を吹く兵士の喉元に口づけした。


「……!」


 荒かった息が、整っていく。僕が必死に押さえていた手足からも力が抜けた。咄嗟に助けを求めたけど、一体何をしたんだろう。メイルがここぞとばかりに傷の手当てにかかるけど、布で血を拭うと、パックリ開いていた傷が消えていた。


 フィンはプイッと顔を背けると兵士の胸から飛び降りる。

 彼の目は閉じられていた。気絶していたけど、その肌には赤みが戻っていた。


 助かった……。


「コムラン! 援護を!」

「突破するぞ! 一気に攻めろ!」

「ボア! なるべく殺すなよ!」


 気が抜ける暇も無い。

 戦闘は続いていた。


 乱戦だった。みんなは迫り来る衛兵を片っ端から倒していて、そこら中で倒れた金属の塊が呻いている。加えて凍り付いた天井や壁から、前触れなしに氷の槍が生えてきていた。不必要に犠牲を出さないよう立ち回っていても、当然の様に限界はある。メイルが一人助けた傍らで、既に数人の犠牲が出ていた。でも仕方がないんだ。僕らはここに、戦いに来た。


 遅れて僕はメイルとフィンをアルバに押し付ける。

 そのまま立ち上がって、剣を抜いて走った。


「フィン! 二人を頼む!」

「はいはい。メイル、下がるよ」

「クライム! 気を付けて!」


 騎士達と衛兵の大混戦に突っ込む。隙を見てギブスを襲おうとした衛兵を力任せに斬り付けた。当たり前のように鎧に弾かれ、衝撃で腕がびりびりと痺れる。衛兵が僕に狙いを変えた。碌に手が動かないまま剣を受ける。重い一撃だった。


 まずい。強い。僕より全然。この人達は精鋭だ。続けて剣が来る。


「おおおぉりゃ!」


 その剣をギブスが捌いた。振り下ろされる力をそのままに、足払いをかけて薙ぎ倒す。剣が通らないのを幸いに二人掛かりで滅多打ちにすると、兜の奥から低い呻き声が聞えて兵はそのまま気絶した。僕らはすぐに次の相手に挑む。


 衛兵との戦闘は完全にこっちが押していた。


 エイセルの剣は鎧を切り裂いて中の人にまで傷を負わせていた。

 アレク達も鎧の関節部を斬り付けてどんどん兵を倒している。

 レイに至ってはもう剣を折っていて拳で衛兵と戦っていた。前蹴り一発で鎧が凹み、千切っては投げ千切っては投げ、一撃で数人をまとめて吹っ飛ばしている。


「やるものだな」


 傍観決め込んでいるアルバが感心したように呟く。

 でも、問題はむしろ氷の方だ。


 噂に聞いていた冬の魔法使い。彼がどこから僕らを見ているのか、そこら中から際限なく氷の槍が突き出し、氷の塊が降ってくる。鉄のように硬い上に、砕いても砕いてもキリが無い。


「おい! 道が塞がれるぞ!」

「何だこりゃああ!」


 そうかと思えば、廊下の真ん中に氷の壁が形成されて、一通り道を覆ったかと思うと見る見る内に分厚くなる。廊下の真ん中が袋小路に変わった。駆け寄ったついでに体当たりするけどビクともしない。見れば退路にまで氷の壁が出来つつある、挟み撃ちだ。


 氷の塊、氷の武器、氷の壁、氷、氷。

 魔法使いってのは何でもアリなのか。

 こんなの反則だ。


「どけ」


 後ろから強烈な殺気を感じて、壁を壊そうと苦戦していた僕とアレクが飛び退く。金属が切れたような耳障りな音がして、次の瞬間、氷の壁が吹き飛んだ。


 呆然とする僕達を他所に、剣を収めたエイセルが悠々と氷を踏み越える。飛び散った壁の破片に残されていたのは鋭利な切り口。メイルが言うにはあの魔法使いと対等に戦っていたらしいし、頼もしいったらない。


 次々と現れる壁をエイセルが残らず斬り捨てて、僕らは衛兵を相手にしつつ前進する。


 見渡す限り、敵だらけだった。

 僕らを追い越すように氷が壁を走り、そこから新たな槍が生み出される。

 斬って、払って、走って。時折聞こえるメイルの指示の通りひたすら前に進む。


「大広間を突っ切るよ! エイセル、そこを左へ!」


 どんどん氷は多くなる。進む度に寒くなっている気もした。予感はあるけど避けるつもりもない。見つかった以上は、どこかで必ず戦う事になるんだから。


 そして辿りついたのは大きな空間。

 舞踏会用の大広間だ。


 想像もしなかった光景に思わず僕らの足は止まった。天井からシャンデリアがぶら下がった、何も無くガランと広い四角い部屋。それが一面氷に覆われて真っ白になっている。シャンデリアも彫像も美しい氷細工になってしまっていた。


 そして、その広間の中央。

 全身白い男がたった一人で僕達を待ち構えていた。

 氷で出来た大きな玉座、その上で不機嫌そうに脚を組んでいる。

 じろっと、その目が僕等を捉えた。


「貴様か、エイセル・ベイン」


 美しい外見に似合わず、吐き捨てるように彼は言った。


 長い純白の髪、薄手の布を重ねた白い服、全身に纏った銀細工。そして身の丈を超える程の、細く美しい杖を抱えていた。見れば分かるとメイルに言われた。嫌な奴だともメイルに言われた。そうだろう、こんな奴がこの世に二人もいて堪るか。彼が冬の魔法使いだ。


 よく見れば、彼は手元に氷で出来た大きな玉を抱えていた。その中には僕らの後ろ姿が映っている。それはまるで、今まさに後ろから僕等を見ている誰かの視界。


「まさか……!」


 振り返った。たった今入ってきた大扉、その上の氷細工の鳥が留まっていて僕達を見下ろしていた。そういう仕掛けか。多分宮殿中に配置されていた鳥達は、ずっと僕達を監視していて、僕達の会話も聞いていたんだ。


「よぉ冬の。お勤めご苦労さん」


 エイセルは気の抜ける挨拶をする。そんな彼やメイル、僕等を一通り見た魔法使いは、ここまで聞えてくるような舌打ちをした。


「ちっ。どいつも、こいつも」


 忌々しそうに口を開く。


「亜人の小娘同様に、揃いも揃ってあの出来損ないの使い走りと言う訳か。相も変わらず裏でコソコソと小汚い奴め。杖無し風情が此の私に盾突くとは、身の程知らずにも程が有る」


 何だろう、何か見当違いな所で僕ら怒られてる。

 勝手に一人で溜息を付くと、冬は再び僕らに向き合う。

 そして分かりやすくて、聞きたくもない一言を口にした。


「まあ良い、死ね」


 床一面を覆う氷があちこちで盛り上がる。また氷の槍か、そう身構えるけど、現れたのは全く別物。衛兵の形をした氷だった。本物の衛兵が持っていたのはハルバードと長剣のみ。でも氷の衛兵達は巨大な斧だのメイスだのと、多種多様な武器を持っていた。そして生き物のように動き始める。


「おいおいおいおい!」

「来る! 迎え撃つぞ!」

「行っくわよー!」


 二十人近い衛兵が、それぞれの武器を手に一斉に襲い掛かって来た。

 出遅れた僕を尻目に、アレク達六人が迷い無く飛び出す。


「お前さんも大変だなぁ。ジジィにこき使われて、ご苦労なこって」

「其れがあの男と私との契約だ。良いからお前もさっさと死ね」


 ぶつかり合う両陣営を挟んで、エイセルと魔法使いは場違いな程のんびりと話す。


 みんなが戦ってるのに悪いけど、正直、出遅れて助かった。

 こんな化け物、僕なんかじゃ相手にならない。


 氷の兵は人間ではとても扱えない様な超重量級の武器を振り回していた。一撃で床は砕け、壁が割れる。真正面から受け止められるのは魔族のレイだけだ。みんな上手に捌きつつ攻撃してるけど、氷の兵は傷まで勝手に治っていて、無言で苛烈な攻撃を続けてくる。


「なんならよ、丁度良いしこの間の決着でも付けるか?」

「下らん。何度挑んで来ようと構わんが、此の私に負けは無い」

「……カトルでボクに負けたクセに」

「ちょ! メイル!?」


 魔法使いがさっと手を上げると、玉座の両脇から更に五、六人の兵士が生えてきた。馬鹿野郎とアレクが叫び、メイルが僕の後ろで縮こまる。余計な事言うから……。でも本当だ。この魔法使い、大人気無さ過ぎる。エイセルがガリガリと頭を掻いた。


「じゃあ俺らを通してくんねぇかな。急いでんだよ」

「貴様等の事情など知るか。我が雇主殿の命令がある以上、此処を通行止めだ」

「はぁ、つまりお前は、ここを通すなとガレノールに言われてんのか」 

「その通りだ」


 フフンと嘲笑うように魔法使いが答える。

 なるほど、とエイセルが頷く。

 腕を組んで頷き、一人何か納得していた。



「よしお前ら。別の道を通るぞ。冬の、邪魔したな」

 


「……はぁ?」


 え? エイセル何言ってるの?

 この道が駄目なら別の道とか、そう言う問題だっけ。


 エイセルは本当に踵を返して冬に背を向け、アルバまでフラフラとそれに付いて行った。冬の兵隊なんてそっちのけに、僕らは揃ってエイセルに詰め寄る。


「この馬鹿団長! 冗談なら他所でやれ!」

「さっきみたいに道の途中で襲われたらどうするの!」

「倒せる時に倒しておかねーとマズいだろーが!」

「こいつ倒さないとガレノールも落とせないよ!」


 詰め寄る僕らをエイセルは面倒臭そうに押し返す。


「分かってる分かってる。コムラン、それにギブス。ここで冬を足止めしろ。それ以外は迂回して予定通り奥へ進む。嬢ちゃん。行けるか?」

「えと、行けるには行けるけど、大分遠回りになるよ?」

「構わねぇ。悪いがまた案内を頼む。じゃあお前ら、行くぞ」


 そう言ってエイセルは本当にメイルの抱えて走り出してしまった。僕も足が咄嗟に動き出そうとして、止まる。背後には三十体近い冬の兵隊。その後ろで座っている冬の魔法使いも、いつ動き出すか分からない。


「何してやがる! 走れ!」


 道の先から聞えてくるエイセルの怒声にみんなが走り出す。残されるコムランとギブスは、仕方ねぇかと笑っていた。僕らに背を向け再び冬の部隊と対峙する。でも、こんな状況で二人を置いていくのか? そう迷っていると、振り返りもせず二人が言った。


「行けって。ここにいられても邪魔だぜ」

「ま。お前さんが役に立つのは厨房の中ぐらいだからな」


 二人の軽口、気を遣っていると分かっているだけに胸に刺さる。

 この作戦で一番の障害になる筈の相手に、たった二人。


「クライム、私達も行かないと」


 レイがそっと僕の肩を引く。もうみんなは走って行った。グダグダ迷っているのは僕だけだ。振り返らない二人の背中、憎々し気に僕らを見る冬の目、不吉な予感しかしない。でも行かなきゃ。大きく息を吐いてから、僕もレイと走り出した。


「ごめん! 後は任せるよ!」

「応よ! 任せられるぜ!」

「ヒヒッ。さてオレ達も始めるとしようか」

「……塵共め」


 僕らは大広間を背後にひたすら走る。

 その後ろから、三十対二の絶望的な戦いの音が聞こえてきた。



***



 再び僕らを待ち受けていたのは、生身の衛兵達だった。

 至る所で警笛が鳴り響き、向かう先々で衛兵達が待ち構えていた。

 その間を縫うように僕等は走り、そして僕は走りながらエイセルに訊く。


「大丈夫だったの?」

「何がだ? 兄ちゃん」

「惚けないでよ。あの二人だ」

「心配すんな。ギルの奴がわざわざグラムから引き抜いて来た連中だぞ。コムランの馬鹿は脳味噌まで筋肉で出来てるが、それだけ強い。ギブスの髭は腐れ外道だが頭は切れるからな。引き際は分かってるさ」


 それは分かってるんだけど、理屈じゃ割り切れない。

 幾ら強くても人間には限界がある。相手はそれを軽く超えて来る化け物だ。

 エイセルは僕の顔を伺うと、苦笑しながら話を続けた。


「……冬のは最初から、俺達と真面目に戦うつもりなんてねぇよ」


 訳知り顔でそう言った。


「肩書こそ立派だが、あいつの立場は金で雇われた傭兵と同じだ。必要以上にガレノールに義理立てする事は無ぇ。だから結局、あれ以上追って来なかったろ?」


 そうだ。確かに大広間に着くまで執拗に追い掛けてきた冬の攻撃が今は無い。拍子抜けするほど呆気ない引き際だ。でも聞いた話では、確かに魔法使いがガレノールに協力する理由は、金。より好条件があれば寝返る可能性さえある関係だ。


「あいつはな、人間共の争いなんて関係無いって顔してるのが好きなのさ。二人と戦っている間は俺達を追わない言い訳も残る。だから奴等は殺されねぇよ」

「うん……」


 そうか。エイセルはただ漫然と城を調べていた訳じゃなく、宮殿特有の空気や冬の性格までしっかり押さえていたんだ。こう言う所で活かす為に。この人は本当に、頭が良いんだか悪いんだか。


「それより俺達は目の前の問題だ! ここで捕まりでもしたら恰好付かねぇぞ!」

「それがねオジサン、どうにもさっきから囲まれ始めてるんだよ」

「お兄さんだ! おいおい頼むぜ大将! 嬢ちゃん、誘導任せた!」

「任された!」


 メイルを抱えたエイセルを先頭に僕らは走る。完全装備の衛兵を出し抜くには、相手より速く動くしか無い。でも僕らは余りに多勢に無勢だった。突き当りを曲がると、そこには大盾を装備した兵が完全に道を塞いでいた。


 行き止まりだ。

 でも後ろからも兵が追いかけて来る。

 八方塞がり、逃げ場がない。


「嬢ちゃん! どっちだ!」

「そこの部屋へ!」


 考える間もなく右手の部屋へと雪崩込む。広い事務室だ。最後に入った僕はすぐさま鍵をかけ、そこにドミニクがテーブルを引っ張ってきて扉を塞ぐ。すぐにメイルの指示が飛んで来た。


「レイ! 向こうの壁を!」

「よっしゃああああああ!」


 掛け声と共にレイが拳を振りかぶり、壁が一発で吹き飛んだ。優に二、三人通れるくらいの穴が開いて、すかさずエイセルはそこに飛び込み僕らも続く。抜けた先の通路を再び走るけど、さっきに比べて兵が全然いない。とんでもない裏道だ。


「上へ!」


 階段を駆け上がる最中、下から登ってくる追手はアレクが先頭を蹴飛ばして一網打尽にした。狭い通路に誘い込まれて、増えた相手も数を減らす。メイルの指示は適格だった。


 でも見ると、その顔にはさっきまで無かった焦りが見えてきていた。何となく僕にも分かった。数が増えているだけじゃない。段々と包囲が狭まっている。今まで僅差ですれ違っていた兵が、今では僅差で鉢合わせになる。兵に遭う度にメイルは道を変えるけど、むしろ道を変えさせる為に敵が顔を覗かせているような。


「っ……!」


 メイルの顔に焦りが濃くなる。

 この状況、メイルの手の内が読まれている。


「くそ! また敵が張ってやがった!」

「嬢ちゃん! どうする!」

「……左手の階段へ! 上の階から回り込む!」


 戦闘になれば怪我人が出る。だからメイルは敵と遭えばそれを避ける。広大なこの宮殿は、意図的に配置された衛兵達によって巨大な迷路となっていた。誰かがカトルの駒のように部隊を動かし、この大きな盤上に出口が一つしか無い迷宮を作り出している。


 出口で待っているのは、王手だけだ。

 でも僕等は戦いを避ける余り、他の道が取れなかった。


「そこまでだ!」


 鋭い命令が緊張を切り裂く。


 気付けば僕等は完全に囲まれていた。前を向いても後ろを向いても、大盾を装備した衛兵達がぴったり道を塞いでいる。僕等の足も止まった。口からは荒い息が零れて来る。エイセルは素早く状況を確認し、メイルは悔しそうな顔で涙目になっていた。相手の方が、一枚上手だった。


「あぁ?」


 不意に、目の前の衛兵が道を開けた。

 その更に奥から、一人の男が肩を怒らせながら歩いてくる。

 僕等と同じ濃紺のローブを羽織って、この状況で武器の一つも持ってない。


 その顔を見て、僕は合点がいった。

 彼ならメイルの裏を掻いてきてもおかしくない。


 痩せて細い顔に尖った鷲鼻。

 獅子の鬣のような髪。

 そして山羊のように尖った髭。


 役人にしてはまだ若い風貌だったけれど、枯れ木のように細い腕や指のせいか、とても年をとっているようにも見えた。そして相変わらず、腰からは剣も刺さっていない空の鞘を下げている。久しぶりだ。その堅っ苦しい雰囲気は、フレイネストの時と何も変わらない。


「スローン……」


 メイルが気まずそうに相手の名前を呼ぶ。

 スローンはいつも通り、不機嫌そうだった。


「…………え? スローン?」


 レイが不思議そうにそう言う。

 そう言えばレイは、僕等からの話だけで彼とは初対面か。

 フレイネストの時も、僕の指輪とは繋がっていなかっただろうし。


 いや、この状況。本当にフレイネストの再現だ。このまま理念だの理想だの、また延々と場違いな説教が始まるんだろうか。上役が出て来た事で、衛兵達は僕等を囲んだまま動きを止めている。


 気付けば、誰も動いていなかった。

 さっきまでの戦いが嘘のような静けさだ。

 聞えてくるのは、僕らの息切れと集まる兵の足音。

 エイセルが呻く。


「……これ、さっき冬にも言ったんだがな。俺達、急いでんだよ」

「こいつが指揮官なの……? 斬れば良いじゃない……」

「ボア、何度も言わせるな。副団長の指示に従うんだよ」


 確かに、こんな時までこいつの講釈を聞きたくない。

 でもスローンは目の前の僕等を無視していた。

 じっと、メイルを見ている。


「何故お前がここにいる」


 ただ怒っているのとは、どこか声色が違った。


「私は昨晩、お前に何と言った?」


 その顔は怒りじゃない。失望だ。

 抱えられたまま、メイルはやっぱり気まずそうに答える。


「……クビだって。もう来るなって言われた」

「会談は破談になると私は言った筈だ」

「ス、スローン! ごめんなさい! ボクは最初から……!」

「宮殿は荒れ、戦争が始まると私は言った筈だ」

「最初から騙してたんだ! ボクはこうなると分かって……!」

「そこにお前の居場所は無いと、そう私はお前に言った筈だ!」

「確かに聞いたよ! でも!」


「ならば何故お前はここにいるのだ!!!!!」


 耳が痛くなるような怒声が響いた。

 メイルは親に叱られた子供のように泣いていた。

 僕等が何も言えずにいる内に、スローンは今度は僕を見た。


「クライムと言ったな! 見た顔だ! お前の事も聞いている! 敢えて問おう! フェルディアの政権を覆す為にお前達は来た! この状況も当然予想は出来た筈だ!」

「えっと、僕は、」

「何故お前は戦えもしない小娘を戦場に連れて来た! 何故お前達、死に急ぎ共だけでここに来なかった!」


 言い訳する間も無く一方的に責められる。でもそれは、今この状況で持ち出すべき話だろうか。それに僕等の作戦について妙に詳しい口振りだ。僕はエイセルにメイルを下がらせて一歩前に進み出る。


「それは、メイルがもう大人だからだ。一緒に来たいと言うから僕がこの子を連れて来た。あなたなら分かる筈でしょう? あなたの隣で、メイルは随分と成長したみたいだし」

「成長だと? ハッ! 今にもお前を追い越しそうな勢いだと、確かに蜘蛛にはそう言ったらしいがな!」

「……え?」


 蜘蛛?

 今、蜘蛛って言った?


「おい、何を話してやがる。状況分かってんのかよ」

「いやアレク、ちょっと待って。今こいつ……」

「待てるか! そうそう何度もこいつの所為で足踏みしてられるか!」


 僕の疑問を他所に、アレクが剣を片手にズンズンとスローンに近付く。

 いや、もう仕方ない。何はともあれ、彼を人質にここを抜けよう。


 スローンが余りに無防備で衛兵達に動揺が走った。数人が彼を退かせようとしたけど、頑としてそこを動かない。規則や論理を盾に意地を張っていれば、僕等が通れないと本気で思っているんだろうか。申し訳ないけど、文官がノコノコ戦場に顔を出した方が悪い。


 スローンが間合いに入った時点で、アレクは剣を振り抜いた。

 メイルがぎゅっと、目を瞑る。



「っ……、てめぇ……!」



 振り抜いた剣が、止められた。

 死なない程度に傷つけるつもりで、本気で振り抜いた剣が。


「え?」


 スローン、素手だ。

 片手だけの真剣白刃取り。


 止められてなおアレクは顔を真っ赤にして力を込め、スローンは涼しい顔でそれを受け止める。ピクりとも動かない。掴まれた剣にヒビが入った。


 何をされたのか、分からない。

 何が起こっているのか、分からなかった。

 スローンは剣を抑えたまま、不機嫌そうにアレクを見る。


「ふん。以前に比べて少しは型が整ったが、馬鹿正直な太刀筋は変わらんな」

「野郎……! まさか、剣士か……!」

「師事したのはグラムの剣か。だが私と戦うには、十年早い」


 指に力が入りアレクの剣が砕けた。

 アレクはすぐさま柄を捨てるけど、その時にはもう体勢を崩され、胸倉を掴まれ、そして錐揉みしながら投げ飛ばされた。


「ガッ!」


 アレクは壁に叩きつけられた。

 ずるりと力無く倒れるアレクを、スローンは一瞥する。


「鍛錬が足りん」


 僕等を見据え、真っ直ぐ近付いてくる。

 何だこれ、何なんだ一体。

 足が竦んで、動けない。


 次いでボアとドミニクが斬りかかった。でもスローンは二人の懐に鋭く踏み込むと、一人を掴み、一人を掌底で吹き飛ばした。掴まれたボアは宙で一回転するとアレク同様叩き落とされ、掌底を食らったドミニクは僕等の所まで転がってきた。スローンは何事も無かったかのように、パンと乱れた制服を払う。


 歩みが止まらない。

 三人やられた。あっという間だ。


「おいおいおい、何の冗談だお前……」


 余裕を崩さなかったエイセルが歪な笑みを浮かべていた。メイルを下ろし、剣を抜いて僕等を庇う。フィンがメイルの頭に飛び乗り、アルバが一歩下がる。動揺は僕等だけじゃない。周りの衛兵達まで、何が起こっているのかとざわついていた。


「お前も分からん奴だ」


 スローンはエイセル越しに僕を睨む。

 その間も肩を怒らせながら躊躇なく向かってくる。


「世界を見る、昔の約束、そんな物の為に何故ここまでする必要がある。仲間を傷つけ、仲間を裏切る。このフェルディアはお前の生き様とは悉く真逆を走る国だ。お前は全くの、無駄死にだ」


 訳が分からない。訳が分からないけど、この口振り。

 今までの僕と蜘蛛の会話を全部知っているんだ。

 スローンは蜘蛛と知り合いなのか?

 でも、蜘蛛の正体は……。


「ぼ、僕はこの国の為に来たんじゃない! 僕だって、こんな国は……!」

「嫌いだと? 鏡に向かってもう一度言え。フレイネストでもお前の仲間達は軍の狂気のせいで皆殺しにされかけた。憎いとは思わなかったのか。こんな国は滅びてしまえば良いと、お前もそう思っていたのではないのか。お前は一体、何をしにここに来たのだ」

「……誰だ。お前! 一体何者だ!」


 堪え切れずにエイセルが叫ぶ。

 スローンは無視して向かってくる。

 でもその答えは、思わぬ所から聞こえてきた。


「……メル?」


 背後でずっと沈黙を保っていたレイが唐突に言った。

 僕等は揃って振り返る。

 スローンが、足を止めた。


「ねぇあんた。やっぱり、メルキオン、よね」


 返事は無い。でも呆然としていたレイの顔に、ゆっくりと笑顔が広がった。倒された三人が何とか体を起こして僕等の所に戻って来るけど、レイは嬉しそうに、みんなを押し分けて前に進み出た。


「メル! メルじゃない! 久しぶりね! 何してるのよこんな所で! って言うか何? 似合ってないわよその髭! 前に威厳が無いってタリアに言われたの、まだ気にしてたワケ? 痩せたし老けたし名前まで変えて、誰だか一瞬分からなかったわよ!」


 レイの明るさが完全に場違いだった。エイセルより前に出て一瞬どうなる事かと思ったけど、スローンは硬い表情のまま身動き一つしない。レイの言葉に対しても、肯定も否定もしなかった。


 でも、メル、メルキオン。

 レイの口から何度か聞いた名前だ。

 誰の事を言ってるんだ。スローンとは初対面の筈だ。面識がある筈がない。


 レイは無防備に歩み寄るけど、ある所で足を止めた。

 そこはまるで剣の間合いの一歩外。それ以上レイは近付けなかった。


「メル……」


 変わらず、その声は弾んでいた。でも少し震えている。僕らに背を向けてスローンと向き合う、レイがどんな顔をしているのか見えなかった。


「あんた、どうしてこんな所にいるのよ……」


 スローンの腰の、空の鞘。

 その中に一瞬、白銀色の光が見えた。



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