第30話 始まりの場所
ナルウィは足元の骨を見て顔をしかめた。
もう幾つ目になるだろう。
山の奥の湿った洞窟では、敷き詰められる様に無数の人骨が散らばっていた。人間一人分が御丁寧に揃っている物は一つもない。薄暗くて良くは見えないが、足やら首やらが無秩序に積み重なっている。
「ナルウィ。供養するなら後にして下さい。うっかりされる側にもなりかねません」
「分かってるよ。リューロン。臭いは」
「今は分からなくなった。死体の臭いで鼻が利かない」
入って来た入口はもう見えない。延々続く白骨の洞窟。
マキノの灯す松明だけを頼りに、四人はゆっくりと奥へと進む。
「……」
マキノは歩きながらも死体を観察する。焼死体だ。魔法、もしくは魔物の炎で焼かれている。この乱雑な死体の転がり具合から見るに、恐らく後者。大きな足跡らしき物も見つけた。
この密閉空間で襲われたら堪ったものではない。
戦力に不足は無いとは言え、こちらは相手の姿も捉えていないのだ。
だが今の状況から分かる事が一つある。
ここで、間違いない。
ウンディアの森で見つけた魔法使いの杖の欠片。
リューロンはそこに染みついた臭い、魔法使いを殺した相手の臭いをすぐに覚えた。欠片を放り投げるとリューロンは四つん這いになり、地面に擦るようにして臭いの跡を追い始めた。臭いは案の定、麓の村に続く。やはり魔法で記憶を消していたのだ。一行は更に追う。
協力者は生真面目な性格だった。人目も憚らず村に立ち寄り街に立ち寄り、まるでマキノがそうする様に地道に魔法使いを追っていた。その追跡は丸五日間夜通しで行われた。やっとの事で手に入れた手がかりだ。休む暇が惜しかった。
そして六日目。
臭いは街道を逸れると急に山の中へと入った。何度も行き来しているのだろう。地面を漁る必要も無いとリューロンは四つん這いを止め、マキノもナルウィもそれに続く。一旦装備を整えないか、と言うウィルの全うな意見はすぐさま却下された。休む暇が惜しかった。
休む暇が、惜しかったのだ。
マキノは訊きたい事が山ほどあった。
どうやって城の中の魔族と対話していたのか。なぜ彼等に協力したのか。魔法使いの封印とはどのような物か。そしてブリュンの宿題である。何を想って、誰の為にフェルディアを滅ぼそうとしているのか。
協力者の隠れ家と思しきこの洞窟に、本当にその人物がいるかは分からない。会えば間違いなく戦闘になるだろう。八人の魔法使いをたった一人で皆殺しにした相手だ。勝算は無い。しかし、興奮で我を忘れたマキノにそんな事はどうでも良かった。
マキノはそもそも世界の全ての真実を見に旅をしていた。その真実を目前にして足踏みするなどあり得ない。山ほどの骨、リューロンの警告、未知の敵、自分の命。そんな理由で足を止めるなど、ある筈もない。
休む暇が惜しかった。
真実は、すぐそこなのだ。
手を伸ばせば届くのだ。
「?」
先頭を行くウィルの足が止まった。
遅れて皆が気付く。何も見えない洞窟の奥。その向こうに光が見えたのだ。蝋燭のような、揺らめく不安定な光だ。少しずつ大きくなる。
ふっと消えた。
「マキノ!!!」
ウィルの声と共にマキノは懐から出した小さな宝石を投げつけた。
その直後だった。溢れんばかりの光が洞窟の奥から轟音と共に押し寄せた。
炎。
洞窟一杯に渦巻きながら、恐ろしい速度で迫ってくる。
投げられた宝石が砕けた。マキノによって封印されていた宝石の中身は「嵐」。爆音と共に一気にそれが解き放たれ、小さな嵐は周りの全てを吹き飛ばした。無数の白骨が宙を踊り、迫る炎は押し返され、ウィルもマキノも吹っ飛んだ。
慌てながらもウィルは綺麗に着地し、マキノは地面に突っ込んだ。ウィルは思わず叫ぶ。
「もう少しまともな手段は無かったのか!」
「失礼。まともな人間ではないもので」
「リューロン!」
ナルウィの一声でリューロンは地面を蹴った。
暴風のような速度で一気に炎の元へ突っ込む。そこでまた揺らめく光が見えたが、それが何かを確かめるより早くリューロンは拳を振り上げ、渾身の一撃を叩きこんだ。暗闇に絶叫が響く。
遅れて走り着いた三人は、ようやく相手を、侵入者を片っ端から焼き尽くしてきた隠れ家の番人を捉えた。リューロンを払い除けに、一吹き吐かれた炎がその姿を照らす。
「多頭竜、これはまた珍しい番犬ですね」
洞窟を塞ぐように居座っていたのは、大きな魔物だった。
見る限りでも十に近い竜の首がこっちを見て唸っていた。太く長い首は絡まるようにして行く手を阻み、その全てが亀を思わせる大きな体から伸びている。体自体は洞窟の中央を陣取って動かない。その代わりに幾つもの首は別個に動き、襲い掛かる隙を伺っていた。
その内の一つが唸り声と共に攻めてきた。
狙いは最前衛のリューロン。大きく顎を開くと一気に食らいつく。
「ちっ」
それを、リューロンは素手で受け止めた。
右手が上顎を、左手が下顎を押さえる。見れば受け止めた手には鎧のような鱗が浮かび上がっており、竜の牙が通っていなかった。リューロンはそのまま竜の首を力任せに壁に叩き付けると、もう一度大きく拳を振りかぶる。竜が立ち直り、再び顎を開いた瞬間にそれは打ち込まれた。
骨が折れる音がして竜が吹き飛ぶ。頭を失くした首は滅茶苦茶に悶えるが、無傷の首が三本同時に突っ込んで来た。リューロンは再び構えた。竜は口に火を溜めつつ襲い掛かる。
中央の首をリューロンの拳が粉砕し、
左の首には飛んで来た剣が突き刺さり、
右の首はいきなり中から爆発した。
ナルウィの投げた黒い剣は真っすぐ目に突き刺さり、左の首は痛みで悶える。そしてマキノが右の首、その口の中に見事投げ入れたのは「火」の宝石。小さい分だけ扱い安いマキノのお気に入りだ。
四つの頭が戦闘不能。だが暗闇からは次々と新たな頭が鎌首をもたげる。その全てが口に小さな炎を溜めていた。同時に撃たれれば、また洞窟を埋め尽くす程の炎がマキノ達を襲うだろう。一つ落としても残りに撃たれる。この至近距離ではさっきと同じ手段も使えない。
「みんな、下がっていてくれ」
ウィルが歩み出た。
腰からゆっくりと剣を抜く。
複雑な文様が彫り込まれた、黄金の剣アルカシア。刀身に刻み込まれたその文字を中心に、その切っ先までがぼんやり柔らかく光っている。溢れる金色の光で、ウィルの剣は暗闇の中で徐々にその姿を浮かび上がらせた。無意識に、三人はその剣の軌跡を追った。
「今なら、抜いても怒らないだろう? 先生」
そうウィルは呟いた。
切っ先を竜に向けて右手を後ろに引き、左手を前に構えて照準を合わせる。金色の光が急に強くなった。岩のドラゴンとの戦いを思い出して、三人はウィルから距離を取った。岩をも砕いたウィルの剣。加減はするだろうが巻き込まれては堪らない。剣が金の光を放ち、竜が赤い炎を灯す。
「……」
それはさながら竜と騎士の一騎打ちだった。
竜は炎を放たない。騎士は剣を振り抜かない。
互いに相手の出方を伺っていた。
二つの光が強くなる。
両者は瞬きもせず睨み合った。
剣を握る右手に力が入り、ウィルの体が僅かに沈む。
その瞬間、竜の炎は一斉に放たれ、ウィルが一気に斬り込んだ。
***
一羽の鳥が空を飛ぶ。
普通の街の何倍もあるティグールの上空を悠々と飛んでいた。
目の前に広がるのはどこまでも続く広い大地。遥か北には万年雪の積もったリューン山脈。遠く東には険しい荒野と寂れた森。雲に届くほどの高さからは、世界の果てまでも見通せそうだった。
そして眼下には賑やかな街並み。道は花で彩られ、煌びやかな国旗がはためいている。王城、歌劇場、水道橋。端から端まで歩いて丸一日の広大な街が、鳥なら僅かに翼を傾けるだけで一っ飛びだ。どこにでも行ける。鳥は、もう自由だ。
「……」
その街の片隅で、長い黒髪の女が鳥に手を振っているのが見えた。鳥は何度も旋回し、高度を下げると女の近く、小さなベンチに降り立った。女は面白そうに近寄ってくる。
「随分と楽しそうだったわね。調子はどう?」
鳥は無言で首を振る。
体が膨らみ、前足は羽を吸い込み、頭からは黒い髪が生えてきた。
クライムが鳥から人の姿になるまで、あっという間だった。
その一瞬の変化に街の人間は気づかない。クライムは確かめるように手を動かす。
「良くは、ないかな。まだ少し体が言う事を聞かないんだ」
立ち上がって服を叩くと、鳥の羽毛やら魚の鱗やら、何だか分からない塵がパラパラと落ちてくる。
「でも思い出したよ。飛ぶのって、こんなに簡単な事だったんだ」
そう言ってクライムは空に手を伸ばす。
自分が、さっきまで飛んでいた空だ。
「どうして、忘れていたんだろうね」
空に向かってそう零す。レイは笑って答えた。
「そりゃあねぇ。君はどこか抜けているから」
「抜けてる。やっぱりそうかな」
「そうよ」
「そっか」
どこへともなく二人は歩き始めた。街は大勢の人々で賑わっていた。会談の行く末などどこ吹く風に、彼らにとっては数十年に一度の街興しだ。活気でどこも明るい。
「それにしても本当に何にでも変われるのね。驚いたわ」
「一通り練習は終わったかな。人、木、石、水、犬、それに鳥」
クライムはここ数日の練習の成果を指折り数える。
レイは何を思い出したのか、声を殺して笑っていた。
「武器にもなったわね。細身の剣」
「エイセルに危うく折られかけた奴ね」
「それとパンにも。おいしそうだったわ」
「アレクめ。引き千切って食べようとするなんて」
勘の鈍ったクライムは練習中ずっと散々だった。相も変わらず思わぬ所で失敗ばかり。御伽噺の変わり者でも、クライムは結局クライムのままだった。
「故郷でもこんな失敗ばかりだったわけ?」
「そ、そうでもないよ。村では極力変わらないようにしていたから」
「ふーん。ま、素性を隠してたなら一つの村に長居は出来ないわね」
「色んな所を転々と、変わり者の宿命さ。泉を捨てた僕らに故郷なんてない」
「あっそ。で? 「故郷」では何をやってたの?」
「ははっ。父さんはいつも店を開いていたからね。僕は山でその調達を」
「狩人ねぇ。ふふふ。アレクに聞いたわよ。アイツぁなんか殺し慣れてるって」
「アレクめ。僕だって必死だったんだぞ」
「器用な訳ね。いや、器用貧乏?」
「……レイってさ、僕の扱いひどくない?」
「あ! 私あれ食べたい!」
話を唐突に切ってレイが走り出す。走った先には屋台のつまみ。こんがり焼かれた棒状のチーズが並んでいた。クライムが苦笑しながら追いつく頃には、レイは親父との激しい交渉の末に格安でチーズをせしめていた。そしてそれをクライムの口にも突っ込む。
「ほら! おいしい!」
ポリポリ食べながらレイが笑う。この無邪気な笑顔の前ではフィンの毒舌も引っ込んでしまう。クライムなら尚更だった。二人は並んでポリポリやりながら、祭りの準備をする通りを歩く。
レイは目まぐるしく走り回り、店という店にクライムを引っ張り回した。小奇麗なドレスを試着して感想を求めたり、山のような肉を買ってきたり、武器を見繕い、芝居に引き連れ、楽しい事を求めて首都を遊び歩いた。
作戦前にこのお姫様ときたら、とクライムは思うが口にはしない。気を遣われているのだ。毎晩メイルは隣で寝るようになり、毎日エイセルは厨房でグラムの味を教えてくる。何とかして繋ぎ止めようと、皆が思っていたのだ。
クライムは故郷を求めて旅をしていた。しかし旅は終わり、皆には彼の目的が分からない。また、いつ飛び立ってもおかしくない。
「そんな事ないんだけどな」
「ん? 何か言った?」
「いや別に。って……」
見れば少し目を離した隙に、レイは両手に袋一杯の果物を抱えて口に大きな鳥の骨を咥えている。やっぱりこのお姫様、気を遣うとか関係なく楽しんでいるだけなんじゃ。しかし。
「あの、さ」
話を振る。
「レイは、この国が嫌いじゃないの?」
ずっと、気になっていた事だ。
「彼らが裏切ったせいで、レイは五百年も苦しんできた。ここの人達はレイの痛みなんて知りもしない。レイが泣いて当然だって、自分達が幸せで当然だって。どれだけ多くの血の上に立っているのか、知りもしないんだ」
いつしか二人は、足を止めた。
「憎く、ないの」
道の真ん中で立ち止まる二人。大勢の人々が通り過ぎる。
クライムはじっとレイを見る。
レイは骨を咥えたまま見つめ返す。
人の繋がりを求めるクライムにとってフェルディアの行いは許せなかったが、レイ本人の気持ちが分からない。当事者である筈の彼女に、自分のような怒りがないのだ。不思議でならない。だからクライムは敢えてきつい言い方をした。
「うーん。別に?」
こんな答えが返ってくると、分かっていたから。
「君の言う事も尤もだけど、復讐したって少しも面白くないわ。彼らが忘れてるなら好都合、私は私で勝手にさせてもらう。そんな小さい事で今の楽しみに水を挿そうなんて、はん、馬鹿馬鹿しいったら」
らしいと言えばらしい意見だ。
レイは嫌そうな顔をして話を続ける。
「それに私が恨んでいるのはヴォルフの方ね。城の仲間は全員殺されて、残った魔族は私だけ。あいつは仲間の仇よ。向こうがやる気なら今度こそブッ殺してやりたいわ。文字通り身内の恥ってのだし、奴を終わらせるのは私の義務。でも」
どさっと荷物を一つクライムに持たせる。
「それも君に任せる」
きょとんとしてクライムはそれを受け取った。
「任せる、……って言われても」
「私は君についていくって事よ。エイセルに協力するなら私もする。協力しないなら私もしない。全てを捨てて逃げるんだったら、私も君と一緒に行くわ。どこまででも」
「そ、そこまでする必要はないよ! レイはレイの好きにしていいんだ!」
「クライム。私は諦めてたのよ。あの冷たい牢獄で私の命は終わる筈だった。これが報いなんだって、そう思っていたのよ。それを救ってくれたのは、他でもない君。だから私は私の全てを君の為だけに使いたい。君の力になりたい」
往来のド真ん中でとんでもない事を言われた。愛の告白と勘違いした周囲の人々が訳の分からない拍手を送る。クライムは必死に「違うんだ!」とか否定するが、街の少女には黄色い花を渡されるし、レイも真面目な調子を崩してくれない。渋い顔をしながら頭を掻く。
「買いかぶり過ぎだよ。もう分かっただろ、僕がどんな人間か。小さくて、弱くて、卑怯だ」
持っているのも調子が悪くて、クライムは花をレイの髪に挿した。
「ええ、分かってるわ」
挿された花を少し触って。
レイは悪戯っぽく微笑んだ。
「君は私が出会った中で一番の、変わり者だわね」
調子が狂う。どうしてこんな時に限って、いつもみたいに茶化してくれないのか。周りがはやし立て、クライムが困っている内に、レイは一歩距離を詰める。
「君が決めてよ」
耳元に黄色い花を挿したまま。
怪しい笑みを浮かべて、そう言った。
「さあ、どうするの?」
***
「チンケな装備だなぁ。相手は完全武装した衛兵殿、ケツの毛まで毟られるぜ?」
「だ、大丈夫さ。作戦が上手くいけば戦闘は最小限で済むはずだ」
「ヒヒッ。上手くいかなくとも、全員オレ一人で血祭にしてやるさ」
「駄目よそんなの、冗談じゃない…。私はもっともっと斬りたいのよ…」
「お前ら大声で騒ぐな。昨日の酒がまだ残って……、うぅっぷ」
両手一杯の荷物を抱えてレイが一人宿に戻ってくると、そこにはエイセル、他四人の剣士がガヤガヤ装備の確認をしていた。
「あーら賑やかになったもんね」
知らない顔でもない。レイは気後れ一つせずに手荷物をどさどさ置いていく。
「よ、よぉ姐ちゃん。遅いお帰りだったな……、うっぷ」
他の四人が騒ぐ一方、エイセルがレイにぎこちなく手を振る。顔が白い。あの様子では昨日もアレクと散々稽古をした後、二人で夜の街に繰り出してたのだろう。アレクは恐らく剣闘場で、今日もヴィッツかテルルを相手に猛特訓だ。と言うかメイルが仕事でいないと言う事は、この男、サボりか。
「君も懲りないわねぇ。彼等は?」
「首都に散ってた仲間だ。会談も近ぇからな、一旦集まって貰ったのさ」
机どころかベッドにまで広げられていたのは大量の武器。彼等は一つ一つ手に取っては、着けたり振ったり確認している。フィンと違ってレイは人の顔も名前もよく覚えている。四人とも山猫屋の地下で見た顔。ジーギルの後ろにいたグラムの騎士達だ。
紹介も適当な所で、彼等は準備の片手間にレイを眺めた。
「おお! お前さんが悪名高い魔族殿か! 可愛い顔だな!」
と筋肉質の男が快活に笑い。
「えっと、君も気を悪くしないでくれよ。彼、いつもこうなんだ」
と若々しい青年が慌て。
「その小娘が今回の立役者か。ヒヒッ。御苦労様」
と怪しい髭面が笑い。
「おかげで戦闘は最小限……。余計な真似を……」
と骸骨顔の女が舌打ちした。
レイはニコニコしながら聞き流す。買い出した物を片付けると、エイセルと一緒に部屋の隅に座った。水を注いだコップを渡すと、エイセルはぐっとそれを一気飲みする。それにしても、この様子からするとクライムの持ってきた制服の効力は証明されたらしい。
「で、どうだった? クライムの戦利品は」
「あぁ、上手くいったぜ。他人の制服だってのに誰も気付かねぇもんだな。中央議事堂なんざ初めて入ったぜ。俺の制服じゃあ入れなかったからなぁ」
「ようやく君も最高議長の顔が見れた訳か。ねえねえ。どんな人だった?」
「ガレノールか、怖ぇジジイだったなぁ。軍人上がりなだけ、ありゃ確かに誰も逆らわねぇ。敵に回したら生きたまま内臓掴み出されかねねぇな……」
エイセルは装備と一緒に積まれた濃紺のローブを見る。
首都の役人達が着る濃紺のローブ。エイセルやメイルが普段何気なく着ているものだ。
「しっかし制服の刺繍が手品のタネとはな。気付かねぇ訳だぜ」
「この分だと王宮にいる人の着ている服には、全部に冬の呪文が織り込まれているでしょうね」
「服の刺繍に鎧の装飾。全部が冬の御手製とはご苦労なこって。でもこれで」
「ええ。これで城への潜入は可能になったわ」
王宮を囲むティグール第二の城壁。外部の人間がその敷居を一歩でも跨げば、すぐさま冬の魔法使いの知る所となる。入った所で、低階級の人間が余り城の奥に踏み込むと、これまた冬の御用となる。
しかし、このローブ。
冬の通行証があればどこへ行ってもバレはしない。
極端な話、それが敵国の騎士であってもだ。
王宮では仕組みも分からない冬の魔法に頼り切って、城壁の検問さえ突破してしまえば誰にも怪しまれる事はない。制服の持主もクライムがしっかり脅迫して暫く家から出られないだろう。
クライムは別にクーデターを望まない。
しかしこれで、全ての準備が整った。
「で、彼が調達したのは何着あるの?」
「丁度十着だな。突入部隊はここの五人、リメネス達三人」
「八人? シルヴィアは?」
「シルヴィは動けねぇんだ。ちょっとな。でもアレクが一緒に来るって聞かなくてよ」
「……アレクか。そんな気はしてたけど、やっぱりね」
レイは溜息をついた。
エイセルは不思議そうにそれを見る。
「おいおい、いいのか姐ちゃんよぉ」
「いいわよ別に。あいつ、あの性格でしょ? 止めたって聞かないわよ」
「でもお前ら、本当はクーデターなんて反対だろ」
エイセルはさらりと、そう言った。
「……さーてねー」
レイにも、彼の意図は分かっている。
純粋にヴォルフに対抗するクライム達と違って、エイセル達にはどうしても故国の利益を優先する思惑がある。目指す所は同じだが、僅かに道が違うのだ。メイルとエイセルが初めて首都で出会ってから、ずっと棚上げにしていた蟠りだった。
エイセルはそれを真っ直ぐ訊いた。ウィルと同様に、グラムに加担する形になってでも作戦に参加する気はあるのか。腹を探っているのではない。信じて協力を求めている。
だがレイは思う。
訊く相手が違う。
「それもうちの大将が、今考えてる所だから」
***
来たる会談。
準備は整った。
僕が整えてしまった。
僕にエイセルを手伝うつもりは無かった。でも無策で挑めば、冬の魔法使いを相手に犠牲は避けられない。エイセル達がどこの国の誰だろうと、一緒に戦った大切な仲間だ。僕にとっては、本当にそれだけだったんだ。
だいたい僕は作戦の全様だって知らない。エイセル達が城に潜入して会談に殴りこんで、どういう流れで政権をひっくり返すのかも。僕には分からない大人の世界の駆け引きなんだろう。心配はしてない。冬さえ押さえられれば作戦は成功するはずだ。
でも、これでいいんだろうか。敵を間違えてはいないだろうか。一歩間違えれば僕らは味方同士、自滅同然の殺し合いを始めてしまう。それこそフェルディア建国史の再現だ。
「当然だ。過去の歴史に目を向けないこの国は同じ落とし穴を回避出来ないのだ」
鋭い目。
栗色の髪
高めの背丈。
痩せ気味の体。
地下室の変人、アルバは早口でそう言った。
「……もうちょっと前向きに考えられないの? アルバだってフェルディア人でしょ?」
「知った事ではない。建国から千余年。滅ぶにはいい時期だ」
「くくく。殺せ殺せ。信ずる物は己のみ。それが人間と言うものよ」
「蜘蛛は黙ってて。話が拗れる」
羊皮紙に埋もれたアルバの地下室。僕の足は自然とここへ向かっていた。僕にとってここが一番頭を使う場所だ。アルバは何でも無駄だと吐き捨てるし、蜘蛛は何でも殺せと笑う。おかげで僕は嫌でも前向きにならざるを得なかった。まったくこいつらと来たら、どうしてこう後ろ向きなんだか。
僕は適当な椅子に座り。
アルバは机に向かって書類を量産し。
蜘蛛はどこにいるかも分からない。しわがれた声だけが聞えてくる。
「くく。では貴様も仲間達と共に国を転覆させるか?」
「そんなのは駄目だ。作戦が成功しても、波紋が収まる前にヴォルフは来る」
「では仲間達を止め、会談を静観するか?」
「それはもっと駄目だ。開戦前提の会談なんて、戦火を早めるだけだよ」
「やるかやらぬか。どちらも滅びを避けられんなら、それは運命と言うのではないか?」
くっそー。
姿さえ見えれば引っ叩いてやるのに。
声はアルバの部屋を出ても、メイルの部屋でも街の中でも、どこに行っても聞こえてくる。なんかもう呪いみたいだ。聞き覚えはあるのに、それがいつの事だったか思い出せない。まるで心に蜘蛛の糸がかかっているみたいだ。
「選択肢を狭めるな蜘蛛。会談が失敗すると何故断定する。北方諸国はかつて対魔族に利益を超えて結束した実績がある」
「ほほう、興味深い。ではその結束の結果として、お前達が魔族に勝てる確率は如何程か」
「三分八厘だ」
「ふはははははは!」
「……二人してさ、耳が痛くなる事言わないでくれるかな」
三分八厘ね。それを一般的には無理って言うんだよ。
「アルバ。その結束ってそんなに弱いの? 前に現実的な統一について話してたよね」
「それは面白い、アルバよ、是非儂にも聞かせてくれんか?」
アルバが思いっきり深い溜息をついて椅子ごとこっちを向いた。
面倒くさそうな目で、変わらず落ち着きない早口でまくしたてる。
「ここに広大な国家が成立した。しかしそれは遅かれ早かれ分裂する運命にある。何故か。複数の頭で一つの体は分け合えないからだ。逆に最初から分裂した国家が一つの国の様相を呈したとする。しかし必ず離反する国が現れ一つの国が権益を独占し始める。何故か。体が分かれれば必ず共食いが始まるからだ」
早い早い。
つまり、なんだ。
「どちらも混迷の末に破滅の道を辿る。だがより長く国としての形を留めるのは」
「えっと、後者? でもそれって」
「時間稼ぎ。それで良い。国の始まりなど稚拙なものだった。だが途方もない遠回りの末に極僅かだが世界の在り方は変遷している。私が目指したのは今の世界のもう一段階上の世界。無情で不平等で非人間的な、つまりは」
眼鏡の奥のアルバの目が、昏い光を宿した。
「武力を使わない世界の制圧だ」
……この人は。こんな所に引き籠っている割に途方もない事ばかり考えている。胸の奥では、今でも野望が燻っているんだ。でもまずい気がする。この人は、きっと表に出しちゃ駄目な人だ。
「くく。それを実現させるには、まず北国の連中をまとめ上げなければな」
「そ、そうだけど。ねえアルバ。その屁理屈をどうにかして何とかならないの?」
「ならない」
一刀両断。ガックリ力が抜ける。もしかするとアルバには、あらゆる失敗の可能性が見えているのかもしれない。全ての可能性を並べてみれば、それは成功より失敗の可能性の方が多いに決まっている。可能性の話だけなら、どんな事にも意味は無い。何をやっても上手くはいかない……。
「……」
でも。それなら、どうしてみんな、沢山の事を成功させて生きてるんだろう。僕は失敗ばかりだ。一つだって上手くやった試しが無い。でもマキノは、アレクは、フィンやメイル、レイだって、何で沢山の失敗の中から、ほんの僅かな成功を的確に拾っているんだろう。
長い間、僕は何もせず、何も出来なかった。会えもしない故郷の仲間を探して、ただただ時間を無駄にした。でも、みんなは前へ進んでいく。僕とみんなの違い。一歩も進まなかった僕と、先へ走っていくみんなの違い。僕はぽつりと、アルバに訊いた。
「……アルバ。同盟が成立する可能性。どれくらいだっけ」
「二割一分」
「……じゃあ、その同盟で魔族に勝てる可能性は」
「三分八厘」
そんなの決まってる。
やったか。
やらなかったか。
馬鹿馬鹿しい。僕は進めなかった。だって進もうとしなかったんだから。歩き出さなければ可能性は零のままだ。みんなは、まず歩き出す。そこから零を百まで押し上げて、僅かな成功をもぎ取っているんだ。僕は、多分失敗する。そんな器用が出来るほど強くない。でも。
「……三分八厘か。上等だよ」
クーデター。
城に無傷で潜入して、冬の魔法使いを倒して、ヴォルフの協力者を捕まえて、国の頭を挿げ替えて、黒の王をぶん殴る。
「くく、吹っ切れたような顔をしておるな」
「うん。今日はもう帰るよ。急にやる事が増えた気がしてきた」
「帰れ帰れ。私もお前などに構ってやる時間はないのだ」
「何言ってんだか。アルバもこの後、何か用事でもあるの? 真面目に仕事している所なんて見た事ないけど」
「……貴様。前から疑問だったが、私の事をいったい誰だと思っているのだ」
「知らないよそんなの。アルバはアルバでしょ」
そう言うとアルバは不服そうな顔をして、蜘蛛はいつも通り大笑いした。でもまあ、せっかく知り合ったんだ。暇な時にでもアルバの仕事場を調べておいて、クーデターの巻き添えにならないようにしないとな。きっと厳しい戦いになる。無事では済まないだろう。
でも僕は本気だ。もう逃げない。
やってやるさ。
僕等、みんなで。
***
クライムが城の地下室を出て、暫くした頃。首都ティグールの中心部、王城の中心に位置する謁見の間には多くの人間が集まっていた。大きな正面扉が開けられ、そこに紺の制服を纏った二人の男が新たに足を踏み入れる。
対照的な二人だった。
一人は灰色の髪に背も高くがっちりした体格。ガレノール最高議長と言えば泣く子も黙り、悪魔も道を譲ると悪評高い男だ。国軍元帥と言う立場から最高議長の座を強奪した経歴を持つ彼は、今やこの国の全てに手が届く力がある。老齢ながらもその眼光は衰えず、その歩みは淀みない。
もう一人は茶色い髪に丸々とした腹。豚を思わせるその男の名をトライバルと言った。最高議長率いる主戦派に対し、穏健派代表としてその他全てを纏め上げる議会第二位。ガレノールを蹴落とす為にどんな手でも使う事から、豚だの狸だのと散々に、やはり悪評高い男である。
謁見の間は広く、その天井も見上げるほどに高かった。
正面扉から玉座まで赤い絨毯が真っ直ぐ伸びている。
床一面に模様掛かった大理石が敷き詰められ、そこから一人では抱えきれない程太い柱が何本もそびえている。
高い位置に取り付けられた窓からは日の光が差し込み、薄暗くも厳かな空間を作り出していた。
ガレノールとトライバルは真っ直ぐ玉座を目指す。
壁際に飾られた歴代王達の像が睨みを利かせていた。
周囲が無言で見守る中、二人の男は足を止め、その場で揃って跪いた。
そこから一際高い位置に設けられた玉座には、まだ誰もいない。
「っ……!」
しかし、すぐに現れた。その途端二人の男に、玉座を守る多くの衛兵、両脇に控える多くの貴族、末席に控える魔法使い達、その空間にいた者全てに戦慄が走ったようだった。
鋭い目。
栗色の髪。
高めの背丈。
痩せ気味の体。
玉座の主。
フェルディア王、アルバトスだ。
その身には紅黒いマント。その頭には金の王冠。その腰には煌びやかな長剣。謁見の間にいた皆が王に頭を下げた。この者こそ世界一の大国を統べ、肥沃で広大な大地を治め、何十万と言う大軍を率いる世界の王なのだ。
だが、それだけではない。
そこにいるだけで周囲を圧倒する気迫。大理石の壁にひびが入りそうな威圧。これが人間のものかと皆が思う。王のそれに比べれば、そこに跪く二人の重鎮など可愛く見える。この尋常でない空気の中でまともに息を出来る者など、後列に控える冬の魔法使いくらいだ。
王はゆったりと歩を進め、玉座に腰を下ろす。
「面を上げよ」
低く、深く、ざらざらとした声が王の口から漏れた。
全ての衛兵、貴族、魔法使い、そして二人の男は顔を上げる。だが王と目を合わせた瞬間、視線だけで射殺されるような衝撃が走った。思わず目を逸らしそうになるが、それも出来ない。
「聞こう。ガレノール最高議長」
人知れず生唾を飲み込むと、ガレノールは顔色一つ変えずに向き合う。隣で脂汗にまみれているトライバルとは違い、彼は死を前にしても眉一つ動かさない男だ。少し息を吸うと、歩みと同じく淀みなく、淡々と話し始める。
「各国大使が国を発ったと本日報告がありました。既にルべリア王国王弟が入国しております。道中全てに滞り無く、会談は予定通り十日後の昼に行う予定です」
「その大使達の中に、一人でも王の姿はあるか」
「……いえ。いずれも国を支える身分なれど」
「その驕りが身を滅ぼす事になるとも知らぬとはな。トライバル」
急に声をかけられ、トライバルの体はビクッと震える。
「歓待の準備は済んでいような」
「じ、準備は全て整っております。会談の交渉に向け、ひ、必要な、」
「そうではない、トライバルよ」
王が笑った。ざらついたその声に背筋が凍る。
「遠路はるばる国の命運を背負って来た者に、私は厩に泊まれとは言えぬのだ」
「ははっ……、失礼を……!」
「構わぬ。貴君の事だ、下らぬ問に時間を割かせた」
二人の男と王との問答は短いものだった。だがその間、平静を保っていられる者は一人もいなかった。以前はこうではなかった。二年前の事だ。王は病に倒れて政務を離れ、だがすぐに帰って来た。それから王は変わったのだ。世界を統べる覇者として。
子供がそれを見れば、体が痺れて動けなくなるだろう。
大人がそれを見れば、誰もが思わず片膝を着くだろう。
いや。獣も魔物も、怪物も悪魔も、この王の前では跪かずにはいられない。この男はいずれ世界を手に入れる。逆らえる者など誰もいない。唯一の救いは、それが自分達の王である事だった。この男が君主である限りフェルディアに負けはない。
短い問答の後に二人の男が下がる。
その後ろ姿を見ながら、王をざらついた声で呟いた。
「変わらぬ手管だ、蜘蛛。しかし、準備は整った」
その呟きは誰の耳にも届かなかった。
しかし、二人の男には、どこからか、
しわがれた笑い声が聞こえてきたような気がした。
***
首都から遠く離れたとある森の洞窟では、疲れ切った四人が荒い息を吐いていた。辿り着いた協力者の隠れ家を守護する魔物、多頭竜はその背後でようやく動かなくなっていた。
強靭な生命力に圧倒的な力。全部で三十もの頭を持つその魔物は、戦い慣れした四人をもってしても一筋縄ではいかない相手だった。マキノとナルウィの援護の元、リューロンが残らず頭を叩き潰し、ウィルが魔物の胴体を真っ二つにしてようやく竜は事切れたのだ。
「マキノ、先へは進めそうかい?」
「なんとか。リューロン、手伝って下さい」
「くそ、面倒くせぇ」
ナルウィが再び松明を灯すと、暴れ狂った竜のせいで洞窟は殆ど塞がっていた。戦っている間も落盤で何度も死にかけたが、この分では肝心の隠れ家が潰れている可能性もある。とは言え目の前の障害である。リューロンはマキノに言われるがままに、仔牛程もある大岩をポイポイ投げ捨てていった。
しかし掘っても掘っても先が埋まっている。
げんなりしてウィルが言う。
「あの竜。負ける前に洞窟を壊すよう言われてたのかも知れないな」
「あり得るね。あの赤毛の子、メイルならこの程度は軽く掘れたかな」
「どうでしょう。子供の彼女が通った跡は狭くて、クライムさんじゃないと」
「……お前ら、少しは手伝え」
しかし洞窟の奥深くで散々炎を使った割には、随分と空気が澄んでいた。普通であれば息をするのも難しい筈なのだが。それもやはり目的地が近いせいなのか。
暫く掘り進めるとようやく崩壊の無い道に出た。そして、目の前には扉があった。洞窟の奥には似合わない、装飾の施された鉄の扉だった。鉱山の跡などではない。ここが竜の守っていた場所だ。
「……」
扉のノブにマキノが手をかける。
無言で振り向くと、皆が武器を手に頷いた。
マキノは扉越しに中の気配を探ると、ふっと息を吐いた。
一気に扉を開く。
ウィルが剣を手に飛び込んだ。
途端に暗闇に包まれていた扉の向こうの空間が明るくなる。
「ウィル!」
罠か。全員が中に雪崩込んだ。そこに備え付けられていたランタンに、次々と灯がともる。入口から順に明るくなる空間。照らし出されていくのは巨大な本棚、様々な測量器具、地図、巻物、本の山。
そして一番奥まで明るくなると、部屋の全体が見えてくる。
そこは壁をぐるりと本棚で囲まれた大きな円形の部屋だった。
本やら巻物が余りに多く、棚に収まり切らない資料が雑然と散らばっている。天井から無数の灯りが釣り下がって洞窟とは思えないほど明るかった。そして部屋の中心には、一つの作業机、一つの椅子がぽつんと置いてあった。
「誰も、いないようだね」
ようやくそれが確認できて四人は力を抜く。どうやら灯りは、誰かが中に入ると勝手に灯るよう魔法が掛かっていたらしい。部屋を埋め尽くす資料の山を見てウィルが言った。
「当たり、みたいだね。どうだい、リューロン」
「間違いない。魔法使いを殺した奴は、随分長い間ここにいたようだな」
資料や器具のみで生活感の欠片もない部屋だ。もしここに引き籠って封印の謎を解いていたとしたら、協力者の頭も相当なイカレ具合だ。三人が物珍しそうに部屋を眺める傍ら、マキノはすぐに目当ての物を探した。この場所を見つける事など前段階に過ぎない。問題は封印の謎を解き、城の封印を強める事だ。
さあ、手分けして探してください。
そうマキノが言おうとした時、目が留まる。
部屋の中央。机の上だ。
「……」
引き寄せられるように足を進める。
見ると雑然とした部屋の有様と違い、机は随分と綺麗だった。
広げられた紙が一枚に、インク壺に突っ込まれたままの羽ペンが一本。
マキノにつられて、自然と皆が机に集まった。
その古ぼけた紙は、地図だった。
「……おい、何だこれは」
「俺は魔法は詳しくないんだが、ナルウィは?」
「私も分からない、でも、嫌な予感がする」
誰もはっきりと言葉にはしなかった。
だが、思う所は同じだった。
その地図は、フェルディア一帯を記したものだった。
その上に、まばらに散らばった印が幾つか。
いや、幾つかなどとは誤魔化せない。それは全部で、八か所。
そして内七か所が荒々しいバツ印で潰され、傍に日付が書かれている。
「ここは……」
マキノの目が留まったのはその内の一か所。
八か所の内で最も下、最も南に位置する一点。
フェルディア南部の国境すれすれに位置する地点。
見覚えがあった。何しろあの時も地図からこの場所を探し出したのだから。何も無く、誰もいない、全く無意味な小さな森。岩のドラゴン討伐後、首都を目指す前にまずここを訪れた。クライムとフィンは別行動だった。オデオンと言う名のクライムの仲間を訪ねに、谷間の村へと向かったらしい。
森を訪れたのはマキノ、アレク、メイルの三人。
調べても何も分からず、皆で頭を抱えたものだ。
いったい何の為に、岩のドラゴンはここを訪れたのかと。
「そうか」
そこにあったのは小さな神殿。
ドラゴンはそれを破壊する為にわざわざ森に立ち寄った。
もう答えは一つしかない。
封印の正体は、神殿だ。
八人の魔法使いは各々一つずつ、封印の起点となる神殿を造り上げたのだ。
理屈はどうあれ、魔法の全ては魔法使い本人でなく神殿に施されていた。
故に協力者はそれを破壊した。そして。
「おい、地図の印、あと一つだぞ」
「マキノ! すぐ出発だ! 最後の封印を死守する!」
マキノの思考は止まらない。レイの救出に城へ向かった時、まだ封印は十分に機能しているように見えた。だが地図の日付を見る限り、その時点で岩のドラゴンにより七つ目の神殿が破壊されている。残り一つが健気に粘っていたと考えるより、破壊されてから効力が失われるまで時間差があると考えた方が自然だ。つまり、読み違えたのだ。
「愚かな」
そう自分を責める。マキノは着実に封印を補強していく計画を立てた。その時間があると思っていた。だが魔物の軍隊が動かないのは時間があるからではない。時間などとうに尽きていて、なお動かない理由があるのだ。敵は何かを待っている。
マキノの言葉に皆が耳を傾ける。
「ウィル。すぐに仲間に連絡を。門番が倒されたと分かれば魔族側はここを潰しに来ます。絶対に敵の手に渡してはならない。リューロン、ナルウィ。最後の封印に急行して下さい。恐らく既に破壊作業は進んでいる。その場にいる相手を皆殺しにしてでも必ず阻止します。ウィルの仲間が到着次第、私達も馬ですぐに駆けつける。皆さん」
マキノは三人を見回す。
その顔は強張っていた。
「時間がありません。今すぐ出発です」
***
ウィルの仲間、トライバルの息のかかった国軍はすぐさま各地で活動を開始した。全ての神殿の破壊状況の確認。隠れ家の防衛。最後の封印の防衛。敵城の監視。加えてマキノも何十という鳥文を飛ばした。形振り構わず、あらゆる伝手を使い潰して各地の警戒に当たらせる。
そのうちの一羽がメイルの元に辿り着いたのは、それから数日後。
全ての準備を整え、全ての手順を確かめて突入を待つばかりの首都の面々に、
エイセルから、緊急招集がかかった。