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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
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第28話 思い出

 アレクは相手の剣を弾いた。

 激しく火花が散り、それがアレクの頬まで焦がす。

 薄暗い剣闘場に一瞬光が走った。


「ちっ……!」


 相手の剣士、テルルは変わらぬ様子でアレクを見据えた。

 ヴィッツが見守る中、そのまま二人は再び打ち合い始める。


 青黒い長髪に仏頂面で、性格も太刀筋も猪突猛進なヴィッツとは対極的な剣士だった。アレクが見る限り剣の腕は若干ヴィッツより下かも知れない。だが炎を宿したその剣は彼女の威力を倍近く上げていた。一撃受ける度に、鍛冶屋が赤熱した武器を槌で鍛える時のような火花が散る。


 鍔迫り合いの最中も眠そうな目でこっちを見てくる少女。

 言われなくても分かる。この女は、剣士でありながら魔術師なのだ。


「ほらほら! 攻めないと勝てないわよ!」


 ヴィッツは楽しそうに野次を飛ばした。


「うるせー! 外野は黙ってろ!」

「ヴィッツ、お前はどっちの味方なんだ」


 愚痴を言いながらも二人は休まず剣を振るった。


「だらしないわねぇ。そんなんじゃ何年経ってもエイセルは倒せないわよ?」

「だからうるせーってんだよ! こいつそこらの騎士より力強ぇんだ!」

「真正面から受けてるからよ。鍔元から剣先に向けて流すように受けなさいよ」

「はぁ? ……お、こうか!」

「だからヴィッツ、お前はどっちの味方なんだ」


 アレクは教わった対処法を即座に実践し、途端テルルが劣勢になる。

 しかしそう思われた瞬間テルルは消え、一瞬でアレクの背後を取った。


「ああああぁ!?」


 尋常ではない速度だった。今まで入った攻撃が全て躱され、剣速まで上げてきた。見た事もない動きにアレクは再び翻弄され始める。別の魔術だ。ヴィッツは再びニヤニヤ笑う。


「若いって良いわねぇ……。もうずっとあんな調子な訳?」

「ああ。全くこっちの身が保たねぇよ。ヴィッツ達がいて助かったぜ」


 そんな若者達を遠目に、剣闘場の端では煙草を咥えたエイセルがレイの髪を切っていた。地面を擦るほど長かった髪は腰の辺りでばっさり切られ、エイセルは床屋顔負けの技術で丹念に調節を加えている。利き手が使えないと言うのに器用な男である。


「君が一応師匠なんでしょ? サボってていいの?」


 とは言え、最近は男二人が訓練した所で余り意味は無い。


 左腕一本でアレクがあしらわれた後は、疲れ切った所で二人して水浴びに行くか酒場に行くか賭博に行くか色町に行くかになるだけだ。そして翌日、二日酔いのまま真っ青な顔でヘロヘロ剣を振るう二人にリメネスが鉄拳制裁を加える所までがいつもの流れだ。


「まあ一通り剣は体に覚えさせたからな。今は同程度の奴を相手にしてた方が為になんのさ」

「へー。一応考えてるんじゃない。見直しちゃった」

「……いや、そうリメネスが言ってたんで、まぁ、アレだ」

「……つくづく締まんない人ね。正直でいいけど」


 向こうでは一旦勝負を中止して、ヴィッツが二人にアレコレと弱点を指摘していた。三人はこうやって組み合わせを変えながら、ここ数日ずっと切磋琢磨しているのだ。剣の型は三者三様に違ったものの、勝率はどの組でも凡そ五分と言った所だ。


 エイセルとの地獄の特訓の末に、アレクは徐々にその剣を見切れるようになった。そしてティグール到着当初のあの屈辱の勝負からようやく、アレクは初めてヴィッツから一本取った。リメネスの提案により三人での特訓が始まったのもそれからだ。年齢が近く実力も拮抗している事もあって、リメネスの思惑通り三人は著しく成長している。


 敗北初日、とうとう自分を倒したアレクを笑顔で褒め称えたヴィッツが、宿に戻った後で決壊したようにテルルに泣きついたのは、今から思い返せば些細な出来事であろう。


「テルル、動きちょっと単調過ぎねぇか? 踏み込み半歩遅らせてみろよ」

「ヴィッツ、お得意の一撃はまだ速くなると思うぞ。明日から練習法を変えよう」

「アレク、あんたねぇ。右か左か迷った挙句、正面から突っ込むそのクセ、どうにかなんないの?」


 剣闘場では多くの剣士が休まず訓練を続けているが、三人は時折こうして延々と話し合う。もっともそれに一番最初に飽きるのはアレクである訳だが。今日も早速飽きたのか、向こうからエイセルに大声で御呼びが掛かった。


 エイセルは散髪を中断してやれやれと頭を掻きつつ剣を取り、一撃でアレクを沈めるとすぐに戻ってきて散髪を再開した。


「しかしエイセルって何でも出来るわね。奥さんの髪をそうして切ってるの?」

「シルヴィはくせっ毛で苦労するんだわ。滅多に切らせてくれねぇし」

「それはきっと、髪切ってるのに煙草吸ってるからだわね。臭い付くじゃない」

「うっ……、すまねぇ。最近はシルヴィの前でも吸えねぇから、ついな」


 そう言ってエイセルは加えたタバコをプッと吹いて靴底で潰した。


「ま、この私の髪に触れられるだけ有難いと思いなさい。あ、前髪もう少し短く」

「あいあいよ。お客さん、耳の辺りはどうします?」

「それで良いわ、毛先だけよろしく。それにしても君、今日は宮殿に潜らなくていいの?」

「平気平気、ちゃんとスローンには申請出してきたからな」


 そう言ってカカッと笑うが、今頃そのしわ寄せがメイルにいっている事は想像に難くない。


「それに冬の魔法の解明にはメイルとクライムが当たってくれてるからな。細かい事は前途有望な若者達に任せて、お兄さんはどっかり吉報を待たせて貰うさ」

「清々しいくらい駄目な大人ねぇ。その二人は順調そうなの?」

「なんだ姐ちゃん、一緒に暮らしてんだろ。嬢ちゃんから色々聞いてねぇのか?」

「私お姉さんだもの。疲れて帰ってきた妹を質問攻めになんか出来ないわ。フィンも基本的に話下手だし」

「兄ちゃんとは喧嘩中だしなぁ。なるほどなるほど」

「は?」

「あ?」


 変な事が聞こえてレイが振り返る。

 エイセルの鋏も止まった。


「喧嘩中? 私とクライムが?」

「違うのか? だって最近お前等が話してる所、見ないぜ?」

「ええ、それは、まあ。でも喧嘩なんてしてないわよ?」

「そうか。でも、それならなんで避けられてんだろうな」


 惚けた様子でエイセルに言われ、レイも言葉に詰まる。確かに、レイが朝起きた時にはクライムは既にいない。メイルの見取り図を元に宮殿中を回っているらしく、籠る時間も長くなってきた。心配になって一日帰りを待った事があったが、そんな日に限ってクライムは結局帰らなかった。


「そっか。私、避けられてるのか……」


 他人の口から聞くと妙に胸にくる。


「でも心当たりもないのよね。それとも少し付き纏い過ぎたかな」

「あー、でもみんなで酒飲んでからか? ヴィッツもそんな事言ってたんだよ、様子が変だったって」


 ほんの一瞬だったらしいが、彼はレイの姿に何かを見た。それ以降レイから意図的に視線を逸らしている。


「なんだろうなアレは。思い出してるのか、重ねてるのか、いや、重ねたくないんだな。むしろ負い目の類か?」

「……君、よく見てるのね。メイルが言うには、クライムの様子がおかしくなるのって大抵は昔の事を思い出した時らしいけど」

「昔の事? 故郷の仲間を探してるったっけか?」

「実は私もよく知らないのよ」


 レイは少し考え込む。


 クライムは、自分を地獄から救ってくれた。今ある穏やかな日々も、全てあの青年に与えられたものだ。だからレイは彼の為に全てを捧げる。彼に救われた命なら、彼の為に使い切る。そう言うと本人は怒るだろうが、それはそれ、これはこれ。だがそう思っている割には、レイはクライムの事を良く知らない。


 彼は、どんな人間なのだろう。

 何が好きで、何が嫌いなんだろう。

 かつての故郷では、どんな生活を送っていたのだろう。


「よし」


 分からないなら訊けばいい。彼の人となりもレイを避ける理由も。さて、思い立ったが吉日、さっそく今日にでも彼を捕まえて……。


「あっ」

「あ?」


 不意にエイセルが言った。


「あ、って何よ。あ、って」

「い、いや何でもねぇよ?」

「確かに言ったわ。ちょっと! まさか!」

「動くな姐ちゃん! い、今なんとかするから!」

「切り間違えたのね! どこよ! 鏡よこしなさい!」



***



 フェルディア王宮では皆がせかせかと働いていた。

 会談までもう時間が無いのだ。粗相があっては首が飛ぶ。


 メイルは書類の山を抱えながら、早足に歩くスローンの後ろをトコトコ付いて行った。


 白い廊下はいつも以上に磨き上げられ、赤い絨毯は埃一つ無く、中庭の植物も完璧に手入れされている。準備は着々と整っていた。失敗も不手際も許されない。会談の結果次第では地図が一気に塗り替わるのだ。


 フェルディア国境付近の小競り合いはもう限界だった。


 西の大国ヴェランダールは大規模な演習を行っては力を鼓舞し、ルべリア、ホルスベルグ、その他の国々も隙あらば国境線を削り取ろうと虎視眈々だ。ガレノール最高議長指揮下の遠征軍はそれを牽制すると言う名目で幾度となく出撃し、北のグラムとまで諍いが起こる始末だった。


 このまま突発的に開戦するのを黙って待つか。一度場を設けて混乱を避けるか。後者を選ぶだけ北方諸国は冷静だった。もっともその場で正々堂々、宣戦を布告する国も現れるかもしれないが。


 ともあれその会場をせっかくフェルディアが捥ぎ取ったのだ。各国の大使達が謁見を求めるが如くここに集まる。せいぜい支配者の風格を見せつけて、彼等から好条件を引き出さなければ。


「みんなソワソワしてるね。そんなに楽しみなのかな」

「お前にはこれが楽しそうに見えるのか。馬鹿め」


 カミソリの如き悪口にももう慣れた。

 メイルはスローンの罵倒を聞き流す。


 当のスローンはいつもと何ら変わらなかった。

 濃紺のローブに深紅のシャツ。

 腰から下げた意味不明な空の鞘。


 フェルディア第一主義のこの男は、他国の王にも気を遣う事は無いのだろうか。


「ねえ、速いよスローン。もうちょっとゆっくり歩けないの?」


 ただでさえ二人の歩幅は全然違う。加えて早足のスローンは、歩いているだけで常人の倍近い速度で移動する。荷物持ち扱いのメイルは重い書類を山と抱えて、必死にそれを追いかける。


「着いたぞ」


 無視された。むくれるメイルを放ってスローンは扉を叩くと、無遠慮に中に足を踏み入れる。部屋で働いていた役人達はスローンの姿を見ると仕事を放り投げ、背筋を伸ばして整列した。悪魔が来たと、皆の顔に書いてある。


「報告」


 短い命令に役人達は事情を説明する。今回の問題は部署同士の連携不足による情報伝達の大幅な遅延。「遅い」。そのスローンの一言により発覚した問題だった。報告が終わると、今度は延々と説教が始まる。


「つまり貴様らの管理不行届があらゆる問題の温床となっている。今回の罪状は、メイル」

「第四編七章五十四節二十八条八項一号に該当するね」

「はっきり言って許し難い。改善方針を提出の上二日以内に結果を出せ」


 そう言って、メイルの抱える山の一番上の書類を先頭の役人に放り投げた。役人は慌てて受け取るが、それに目を通す間も無くスローンは足早に部屋を後にした。呆気に取られる役人達にメイルはぺこりと一礼し、急いで後を追いかける。


 その後もスローンは片っ端から部屋を回り、その度にメイルの山は低くなっていく。この二人が組んでからと言うもの、城内のあらゆる業務はみるみる厳しく、しかし改善されていった。しかし不思議と反発も少なかった。


 足早に駆け抜けるスローン。

 それをトコトコ追いかけるメイル。

 その構図がどこか微笑ましいからだろうか。


「はぁ」


 当のメイルは面白くない。

 こいつに捕まってから、仕事の合間に冬の魔法を調べる時間が減った。


 一方でエイセルは仕事も修行も片手間に、着々とクーデターの準備を進めている。あの男は良くも悪くも目立たない。間者としては天才的だとメイルは思う。リメネスが首都に到着してからは下宿でグラムの騎士達と計画を練る事も多い。もう何となく、察しはついていた。


 事は恐らく、会談中に行われる。


 こんな事をしている場合ではない。クーデターなど絶対反対だが、それでも彼等を見殺しには出来ない。冬の防備は以前メイルの引っ掛かった真名封じだけではない。ここには他にも何かがある。城の人間達をして鉄壁と言わしめる何かが。


 外部の騎士達が踏み込んでも未来は無い。剣を持って城に一歩足を踏み入れたが最後、完全武装の衛兵に包囲されて殺されるだけだ。そこには冬が直接出張って来るかもしれない。エイセルでさえあの様だ。正面から戦って勝てる相手ではない。


「次だ」


 なのにメイルは動けない。

 一日中、トコトコとスローンの後ろを走った。


 業務が終わり家路に着く頃には、メイルはへとへとになっていた。

 辺りはすっかり暗くなっている。


 体中が痛かった。もう疲れ果てて何も出来ない。今日もいつも通り水浴びをして、エイセルが作ったご飯をアレクと一緒に腹一杯詰め込んで寝る。アレクは今日こそヴィッツに勝てたのか。レイはどこに遊びに行ったのか。クライムは今日も帰ってきていないのか。


「……クライム」


 最近、会える機会が減っている。クライムも自分同様、朝から晩まで城に潜り込んでいるのだ。地下室の男とも毎日会っているという。しかしたまに見かけたと思えば顔色がどんどん悪くなっている。しわがれた声が聞こえる、と不気味な事を言っていたが、地下で何かあったのか。


 だが、そんな事より。

 メイルは単純に会いたかった。


 会って褒めて貰いたいのだ。今日は城で何があったか話して、スローンの悪口も言って、一緒にご飯を食べて。そんな他愛の無い時間を過ごしたいだけなのだ。以前のように手を繋いで欲しいだの一緒に寝て欲しいだの我儘は言わない。ただ、会いたい。


 朝の道をそのまま逆に、メイルは自分の下宿に戻る。

 窓から洩れる灯りで、胸にじわりと暖かい物がこみ上げる。

 騒がしい声はアレクか、レイか、エイセルか。


 メイルはパンと頬を叩いた。うじうじ悩むのはここまでだ。

 気持を切り替えて扉の取っ手に手をかける。

 そして扉を開けようとして、だが扉は内からバンと開いた。


 レイだ。


「メイル!」


 満面の笑みでレイは言う。

 捕獲され項垂れたクライムを小脇に抱えて。


「今晩、飲むわよ!」


 相変わらず、嵐のようなお姫様だ。



***



 メイルとクライムの二人がレイに連れ込まれたのは、ちょっとした秘密基地だった。


 街から突き出た水道橋跡は相当に古いらしい歴史的な遺産で、周りには木々も散らばり神殿のように綺麗な場所だった。ここはその中でも一番大きな樹だ。どんな建物より高くそびえる水道橋の、その更に上まで枝が伸びていた。建国と同時に植えられた物という話だ。


 三人が登るのは、その根元から上へ伸びていた古びた階段だ。幹に巻き付きながら螺旋型に上がっていき、幹が枝に分かれる上の僅かな空間、そこに造られた木組みの踊り場に繋がっていた。秘密基地さながらで手すりも無い取って付けたような場所だったが、三四人が寝転がっても大丈夫な広さがある。


 メイルは周りの枝にカンテラを幾つもかけた。行きつけの店から譲ってもらった壊れかけのカンテラだ。クライムがそこに油を足して、レイが魔法で火を付けて周る。すると踊り場はぼんやりと、柔らかく暖かい光に包まれた。


 葉と枝に覆われたような場所だったが、窓のようにぽっかり開けた箇所からは夜の街が広がり、雲の無い空には沢山の星が輝いていた。クライムが持ってきたのはお気に入りの林檎酒だ。暖められた酒からは湯気と共に甘い香りが立ち上り、三人は毛布に包まりながらそれを飲む。


 幻想的で、静かな雰囲気だった。

 遠くから鈴虫の声が聞こえてくる。


「あははははは! それで私を見つけたの!?」


 レイが大きな笑い声でそれをブチ壊した。

 幻想的が裸足で逃げ出し、メイルが何とも言えない顔をする。


「ほら笑った。さっき笑わないからって言わなかったっけ?」


 クライムがむくれながら一杯やる。ごめんと言いながらも、レイの笑いは止まらない。他愛のない話はクライムの旅から始まり、今はコークスの街で初めてレイの指輪を見つけた時の話になっている。盗賊崩れの少女に騙され、闇小人の鉱山で散々に逃げ回った時の話だ。


「そんな嘘臭い話よく信じたわね。アレクもアレクだけど、ひょっとしてクライムも女の子には弱いのかしら?」

「ク、クライム! そうなの!? ボク聞いてないよ!」

「助けてって言われただけだよ! 親の形見だって必死そうだったんだ!」

「でも嘘だった?」

「……うん」


 レイはまた笑いながらクライムの失敗談を指折り数える。


「畑を荒らす害獣退治を請け負ったら山の主と戦わされた。格安の定期便に飛び乗ったらそのまま奴隷商に売り飛ばされた。預言者が見た世界を滅ぼす呪いの星は、結局何年後に落ちて来るんだっけ? 五十年後?」

「……五十万年後だよ」


 レイが笑う度にクライムは萎んでいく。それがだんだん可哀想に見えてきたメイルは、今だとばかりにクライムの頭を撫でた。クライムは少し不貞腐れた顔でありがとうと言う。メイルは何故か感動したような表情で、それでも少し赤くなって頭を撫で続ける。


 その時、笑っていたレイが急に顔をしかめた。驚いてメイルが何事かとクライムの頭から手を放すが、クライムは見透かしたようにレイに訊いた。


「まだ腕の傷、治らないの?」

「あはは、面目ないわね」

「大人しくしてろって言ったろ。城では無茶し過ぎたんだから」


 レイは笑いながら腕を擦る。その話はメイルもクライムから聞いていた。ヴォルフの城では牢がどうしても破れず、最終的にレイが見た事も無い魔法で吹っ飛ばしたのだと言う。だが見た事も無いと言いながら、クライムはその魔法を知っている風だった。


「それで、魔法が使えないのに使ったあの魔法は何なの? 滅多斬りにされた脚より、その腕の傷はどうして治らないの?」

「禁術だもの。本当は絶対治らないものなのよ? もうちょっと掛かるかなぁ」


 禁術。

 嫌な言葉が出てきて二人が顔をしかめる。


 フレイネストでマキノが出したのが炎なら、レイが城で出したのは雷。どちらも本人の傷を代償に異常な力を発揮していた。メイルも王宮の蔵書を漁って調べはしたが、結局分からなかったのだ。


「ボクがマキノに聞いても笑って誤魔化されたんだけど。どうして?」

「あぁ、マキノも使ったらしいわねぇ。彼も何やってんだか」


 溜息をついた後、まあいいか、とレイは話し始めた。


「古い魔法よ。仕組みは良く分かって無いけれど、怒りの精霊との契約だって言われているわ。利点は契約の一言と血の呪文さえ知っていれば、誰がどんな時でも使える事。欠点は使ったが最後、自分では絶対に止められない事。あと超痛いわ」


 レイは至って普通に説明するが、その危険性はすぐに分かった。だが幸い、あの複雑な紋様は一度見た程度では思い出せないだろう、とクライムはそれを思い出す。思い出せた、もう覚えている。これも変わり者としての職業病だろうか。


「知らないのも無理ないわね。誰かが使うとするじゃない? 周りを巻き込んで吹っ飛ぶじゃない? ほら何にも残らない!」


 やはり危険だった。レイもマキノも無事だったから良いようなものを、吹っ飛んだらどうするつもりだったのか。クライムも改めて溜息をついた。


「魔族ってそんな魔法ばかり知ってるんだね。もうちょっと平和な物は作れなかったの? ほら、あの対の指輪とかさ」

「私達だってそれくらい作れるわよ。まあ、昔は、だけど。それに指輪だって私達だけで作った訳じゃないし」

「レイ達だけじゃない? 魔族って仲間がいたの?」


 そう言ってメイルはすぐにエルフを思い出す。魔族が元々エルフだったとはレイに聞いている。袂を分かった後も細々と交流があったのか。と思ったが。


「違う違う、闇小人よ。何せあいつら腕だけはいいから」


 違った。

 クライムも唸る。


「闇小人、嫌な思い出しかないな」

「それよ。しかも腕の立つ奴に限って性格も最悪。でも私達の考案した魔道具は闇小人じゃないと作れなかったのよね」

「ボクも嫌いだよ。ドワーフと違って闇小人なんて碌な物を作らないし、何を作っても外にも出さずにずっと自分で愛でてるんだ。レイ達も良く譲ってくれたね。作った物は俺の物。それが闇小人でしょ?」

「ええ苦労したわよ。私達が魔法を込めた分出来も良くて、あいつら離さないのよね」


 そう言ってレイは懐かしそうに眼を細める。

 丁度コップが空になって、クライムがそれに林檎酒を注いだ。


「私達の使っているのは大体あいつらの特注品ね。ボルフォドールの槍、タリアの仮面、モーリスの杖、ベルマイアの鎧。それに、ヴォルフの剣。私も何か作って貰えば良かったわ。ま、今更無理でしょうけど。あいつらもう絶対に魔族の依頼なんて受けないわよね」


 はぁ、と溜息をついた。その横でクライムが酒を啜りながら目を逸らす。タリア。その名前をレイの口から聞くとは思わなかった。すぐにメイルが彼に気付き、追及される前にクライムは慌てて話を続ける。


「ま、魔族の依頼は受けないって、どうして?」

「戦争中にヴォルフが闇小人を囲って、奴隷みたいにこき使ったからよ。奴らあの性格でしょ? もう何千年経っても根に持つに決まってるわ。大体ウィルの持ってるアルカシア。あれだって元々は打倒魔族の為に闇小人が作った物なんだから」

「アルカシア!」


 急にメイルが叫んだ。

 岩のドラゴンを倒したウィルの剣。

 これまでずっと訊きたかった事だ。


「あれってやっぱり、あのアルカシアだよね! 北国に伝わる伝説の剣! 王宮で調べ直したんだけど、元々はヴェリアの二人の息子が持ってたんだって!? だから対になるもう一つの剣がある筈なんだけど、黄金と白銀って言って、確か、」

「メ、メイル落ち着いて、お酒零れてる。で、レイ。どうなの?」

「うん。違うわ」


 熱く捲し立てていたメイルがガックリ崩れる。


「剣自体はそれだけど。二人の王子が持ってたって……、それどこに書いてあったの? あれは戦争中に作られた物だから、そんな筈ないわ」

「そんなぁ。どこに書いてあったって、フェルディアの本と言う本に書いてあるんだけど……」


 ふーん、とレイが興味もなさそうに相槌を打つ。歴史の嘘はなにも今に始まった事でもない。どこの国でも蓋を開ければその程度だ。


「な、ならさ、レイ。本当はどういう剣なの?」

「どう、と言うなら当時の私達の切り札って事になるかしら。戦争中、一人の天才が城から抜け出してね、私達同盟軍の所まで逃げて来たのよ。そしてヴォルフを倒す為に二本の剣を作った。一つは黄金の剣アルカシア。もう一つは白銀の剣アルギュロス。それをどういう経緯でウィルが持ってたのか知らないんだけど。でも何か、心当たりがあったのよね……。ねぇ何だっけ」

「僕に訊かれても」


 クライムが冷静に返す。


「じゃあレイは、その白銀の剣がどこにあるかも知らないの?」

「全然。あの時は黄金をレオパルドが、白銀をメルキオンが使ってて、でもあいつら子供なんていないだろうし、死ぬ前に誰かに譲り渡してる筈なのよね」


 そのままレイは考え込む。


 クライムも少し考えた。黄金の剣の力は間近で見たクライムが良く知っている。たった一本で岩のドラゴンを倒した剣だ。これで白銀の剣まで見つかれば、何が相手でも怖くない。闇小人謹製の武器が錆びたり折れたりする筈もない。今もどこかにある筈だ。


「ボク、今度マキノに頼んでみるよ。ウィルが黄金を得た経緯が分かれば、白銀も探しやすくなるかも知れない」

「お願いするよ。あとレイ、二人に跡取りがいないって言うのは本当? もしかして旧大戦で亡くなったとか」

「まっさかー。あの化物共が倒される訳無いわよ。ただ黄金はもうジジイだったし、白銀は嫁の貰い手がね。タリアさえ居れば少しは違ったんだろうけれど」

「……タリア? さっきの話で出て来た、仮面の魔族?」


 クライムが訊くと、レイは楽しそうに笑いながら答えた。


「そう! 結婚してたのよあの二人! 全く傑作だったわ!」

「結婚!? 魔族と人間が!?」

「信じられないわよねぇ。白銀のメルも相当な石頭だったけど、タリアだって大概よ。でも暇さえあれば二人であちこち見て回って小難しい話をしてたわね。学者夫婦って言うのかしら、メイルみたいな」

「ボクみたいなって……。じゃあそのタリアって人はレイと同じ同盟側の魔族だったんだね」


 メイルの好きな話になってきた。元は敵同士だった騎士と魔法使いの恋物語。そんな本があればメイルは間違いなく手に取った。共に戦う内に愛が芽生え、時を重ねる毎に絆も深まり、そして終戦後も二人は、とそこでメイルが思い出す。結末は既に知っていたのだった。


「レイ、もしかしてタリアさんも、レイと一緒に……」

「ええ。一緒に城に幽閉されたわ。同盟側の魔族まで封印する事は兵や騎士にまでは報されていなかったから、あの時のメルキオンの怒りようったらなかったわね。もしかしたら、その時にはもうタリアのお腹に何か入っていたのかも知らないけれど、何にせよ、もう過ぎた話よ」


 レイは静かに一口飲む。


 二人はいつまでも幸せに暮らしました。そんな在り来りな結末が、なぜかとても遠い。人間と魔族が歩み寄る兆しは、手を伸ばせば届く所にあった筈だ。だが誰も伸ばさなかった。残ったのは白銀の騎士、メルキオンの嘆きと怒りだけだ。


「騎士とエルフの恋は、実らない、か……」

「よくある話よ」


 沈む二人を見て、クライムが話題を変える。


「そう言えば他の魔族はどんな人達だったの? タリアさんの他にも同盟側だった人は沢山いたんだろ?」

「もちろん。それにヴォルフ傘下の魔族も、私にとっては仲間だった連中だしね。色々知ってるわよ」


 さてどいつから話してやろうかしら、とレイも意気込む。メイルも生ける伝説から語られる話の期待に、再び明るさが戻ってきた。


「アルダノーム自体は何百人もいたわよ。段々と人数は減っていったけれど、そうね。私の馴染みは殆ど最後まで残っていたかしら。エルフとは別の道を行くって決めた馬鹿共だから、みんな揃って頭おかしいのよね」


 酔いも回っているのか、レイは上機嫌に話し始めた。


「タリアは知ったかぶりの煩い女でね。いっつも私に説教垂れるのよ。でも全知の本を持っているくせに妙な所で抜けててね。そう言う所は可愛かったわ。メルもそこにヤられたのかしら?」

「ドールは本当に良い奴だったわ。彼を前にすると、人の間にある壁みたいな物が綺麗に消えちゃうのよ。あといざ戦いとなると凄かったわ。一騎当千。まさに彼の為にある言葉ね」

「モーリスは偏屈な爺よ。深淵の探究ってのを極限まで突き詰めたら、あんな感じの変人になるのかしら。仕舞には森中の蟲に魔法をかけて、そいつらに自分の体を喰わせて……、嫌な事思い出したわ」

「ベルマイアは剣術馬鹿だわね。女みたいに綺麗な顔してる癖に、負ける所なんて想像も出来ないわ。でも一回ブリュンの考えたヘンテコな技で後れをとってね。あはは、傑作だったわ」


 秘密主義をやめたレイの口は止まらない。彼女の性格を考えれば、逆に今まで相当我慢していたのだろう。夢にまで見たエルフの話に、メイルも目を輝かせていた。一方クライムは何故か渋い顔をしている。


「……女みたいに綺麗な顔した、剣術馬鹿の魔族」

「そうよ。敵になってからは苦労したわ。結局誰も勝てなくてね」

「……髪の毛が少し癖ってて、背が、丁度これくらい」

「え? クライムなんで知ってるの?」

「……いや、知らない。絶対知らない。絶対違う人だ。絶対そうだ」


 黒の城に侵入した際に見た魔族の将が脳裏を掠める。思い出したくもない記憶にクライムは口を噤むが、レイはと言えばさぁ吐け今吐けと嫌がるクライムを揺すりまくる。服をカリカリ引っ掻いたり胸に顔を埋めたり、レイは猫のように擦り寄り、嫌がりながらもクライムも逃げない。


「む……」


 そろそろ危険な気がする。

 どうしようかとメイルは考えた。


 クライムへのちょっかいは最近悪化する一方だ。数日前も、下着姿のままクライムのベッドに潜り込むレイをメイルが辛うじて引き摺り出した。助けられたクライムが脱兎の如く逃げ出し、代わりにメイルが風呂にまで持ち帰られたが、それはさておき。


 それに考えてみればレイは女性なのだ。指輪の頃はメイルも気にもしなかったが、彼の隣に特定の女性がいるのは初めてかも知れない。死線を潜り抜けた仲とはいえ二人の距離はやたらと近い。しかもレイはとんでもない美人で、しかもエルフで、しかも大人で……。


「うふふ」


 気付けばレイがメイルを見て笑っていた。

 そしてぱっとクライムから離れる。

 胸の内を読まれたようで、メイルは少し赤面した。


「まあ許してあげる。どうでもいいわ。あんな奴の事なんか」


 そう言ってコップを煽る。


「どうでもいいのか。昔は仲間だったんだろ?」

「昔の話よ。エルフを抜けてすぐは、私達は一緒に行動してたから。せいせいしたわね。あんな堅苦しい森の中にいたら肩が凝っちゃうわ。やりたい事をやりたいように。それが生きるって事よ」


 そう言ってレイは一口飲む。


「親の目から離れて、悪戯し放題の子供みたいだな。確かにもう違う種族かもしれないね」

「そう、やりたい放題よ。世界が無限に広がったみたいだったわ。どんな物でも作れるし、どこまででも飛んで行ける。こんなに楽しい事がある?」

「ボクも分からないではないかな。リュカルの里から抜け出した後は、本で読んだ以上の世界を見て回って、楽しくて仕方がなかったよ。クライムとフィンに守られていたからこそ、だけど」


 そう言ってメイルは一口飲む。


「旅好きなのは僕らみんなだよ。でなきゃマキノの言う、世界の全て、なんて見に旅はしてないよ」

「君達も大概ね。でも私達もそうだったけど、自由であると大抵しっぺ返しが来るものよ? ま、普通はそれで死ぬんだけど、大丈夫ならまた次のが来るからねぇ」

「へぇ、魔族にもしっぺ返しなんて来たんだ。でもヴォルフが暴走したのは、十分そうか」


 そう言ってクライムが一口飲む。



 コップの中が、空になった。



「違う違う。馬鹿な一人が力を持て余して、色んな奴らに片っ端から喧嘩を売ったのよ。殆ど勝ってたんだけど、ある日、炎竜相手にとうとう負けてね。そいつが殺されたのはいいんだけど、仕舞には私達魔族の拠点にまで攻め込まれたのよ。相手はたった一匹とはいえ、死ぬかと思ったわ」


 炎竜。


 その言葉に。

 クライムとメイルが固まった。


「私達は関係ないって言っても聞いてくれなくて、ヴォルフが戦って何とか追い払ったのよ。頼もしいったらなかったわね。それでも片目に一太刀入れるのが精一杯で、流石のあいつも疲れていたけど」


 メイルは隣から寒気を感じた。長い付き合いだからこそ感じる微妙な変化だ。


「レ、レイ。あの、ね……」


 メイルは気付かず楽しそうに話し続けるレイを止めようとしたが、それ以上の言葉が出て来ない。


 メイルは気が気ではなかった。レイに悪気はない。これは本人を除く四人の間での暗黙の了解だ。約束した訳でもない。話し合った事すらない。だが彼の前では、炎竜の名を口にはしないと決めていた。


 メイルは恐る恐る隣を見る。

 クライムの雰囲気はすっかり変わっていた。

 一見していつも通りな様子が逆に不気味だ。

 その口元には、歪な笑みが浮かんでいた。


 コト、と、クライムはコップを置く。



「そっか。バルサザールの左目は、ヴォルフがやったのか」



 世界って狭いな。

 そう言って、彼は笑った。


 レイが驚いてクライムを見る。


「え? クライム、炎竜を知ってるの?」


 何を言っているのかとメイルは思った。


 しかし思い返してみれば、クライムは自分の故郷が焼かれた話をレイに詳しく語った事はない。メイル達ですら余り訊かないし、自分から話す事がそもそも少ない。それでもクライムは答える。努めて冷静な風を装って。


「僕の故郷を焼いたのは炎竜だよ。ある晩奴らは突然現れて、僕らの村を消し炭にしていった。どんな理由かは今でも分からないけど、もしかしたら似たような理由だったのかもしれないね」

「そうなの……。悪かったわ、無神経な話をして。炎竜は滅多に姿を現さない奴らだから、てっきり遭った事なんてないんだと思って」


 レイはすぐに謝る。別にいいよとクライムは笑った。だがメイルは怖くて口が開かなかった。落ち着かない。ひどく落ち着かなかった。


「でも驚いたわ。名前まで知っているなんて」

「偶然だよ。あいつらが話しているのを聞いていてね」

「あいつ、ら? ちょっと待って。何体の炎竜が現れたの?」

「バルサザールの他に、マルコシアス、ロキ、ナクラヴィー、全部で四体かな」

「四体? 炎竜が、四体?」


 それはメイルにとっても初めて聞く話だった。避け続けていた話だったからだ。アレクですら一度も触れなかった。その一度で、何か大切な物が壊れてしまうと分かっていたからだ。


 炎竜は、太古の昔から生きているという。

 炎で出来た体に人語を解する知能を持っている。


 一国を滅ぼしたという話や、時代の節目に現れるという話もある。どれも古い話、時の流れに消えていくほど古い話だ。メイルも最初は疑ったものの、変わり者と言う御伽噺の種族が現に目の前にいるのだ。伝説のドラゴンが実在しても不思議はない。


 だが、四体。


 この世に数体しかいない炎竜。

 一体で一国を滅ぼすドラゴン。

 ヴォルフと渡り合える程の怪物が、四体。


「でもクライム。話していたって、どこまで連中に近づいたの?」

「それなりに。危なかったよ。彼等も一通り暴れた後は人の姿になってね。きっと変わり者と同じだよ。人に化けて人に紛れる。滅多に現れない理由なんてそんなものさ」


 胸がざわつく。メイルは何とか自然に話を切り上げようと考えていた。しかしレイは止まらない。


「危ないなんてものじゃないわ。私達がうっかり炎竜に近づいて、一体何人やられたか。それを戦えもしないクライムが、話が聞こえるほど近くにいて無事だったなんて」

「父さんが守ってくれたんだ。みんなを助けて、彼等を足止めしてくれた」

「……本当に? 変わり者の事は知っているけど、四体の炎竜を足止めした?」

「父さんが守ってくれたんだ」


 もうクライムは、誰に向かっても話していないようだった。空に向かって言葉を零す。自分自身に言い聞かせるように、自分自身に思い出させるように、クライムは話し続けた。


「父さんが守ってくれたんだ。だから僕らは無事だった。村から逃げていく人達を、僕は何人も見たんだ。みんながバラバラになって、会えなくなってしまった。だから僕は探さないといけない。僕はみんなに会いたい」

「……クライム」

「会わなきゃいけないんだ。放っておけない。忘れちゃいけない。みんなと話して、一緒に笑って、その全ての積み重ねの上に今の僕があるのだから。顔の無い男を僕としてくれるのは、今まで出会った全ての人達のおかげなんだから。僕は絶対に、」

「クライム!!!」


 レイが叫んだ。


 メイルは、もう逃げ出したかった。

 胸が潰れる。こんな気持ちは、初めてだった。


 静かだった。メイルは何も言えず、話し続けていたクライムはぴたりと口を閉じた。レイはそんなクライムをじっと見つめる。風の音だけが聞こえてくる。世界が止まってしまったかのようだった。


「どんな理由があったか知らない。彼等が君にとって、どれほど大切な人達だったのかも。でも、炎竜が目的を持って君の故郷を襲ったなら、生き残りは、残念だけど多くない」

「生きてるよ。オデオンは谷間の村で暮らしてるし、キアランはどこかで雇われているだろうし、父さんだってどこかで店を開いているよ」


 レイは悲しそうに首を振った。


「嘘、嘘よ。他の人は知らないけれど、少なくとも君のお父さんが本当に炎竜を足止めしたのなら、生きて帰れた筈はない。それを分かっていたから、お父さんは君を逃がしたんでしょう? 君は、逃がされた筈なのよ。……いえ、そうなのね」


 レイはじっとクライムを見る。

 クライムはコップを持って、俯いたまま顔を上げなかった。

 メイルは金縛りにあったように動けなかった。もう掠れ声だって出て来ない。


「……君は、見たのね」


 喉の奥から何かが溢れてきそうだった。

 とても悲しく、寂しく、辛い何かが。


「君は逃がされて、でも誰も置いていけなかったのね。その場に留まって、全てを見ていた」

「父さんが守ってくれたんだ。僕は彼女と約束したんだ。故郷を出ようって。二人で、世界を見て回ろうって」


 クライムの言葉を、レイは聞かなかった。

 その目は、クライムの目の奥の奥までを覗き込んでいる。


「世界? 君は故郷の友人を探して旅をしていたんでしょう? でも、一体いつから探していたの? メイルと会ったのは数年前だって聞いたわ。でもその前は? メイルと出会う前、フィンと出会う前、一人で何年世界を彷徨っていたの? ねえ、教えてよ、クライム。君が故郷で暮らしていたのは」


 レイは一瞬迷って、それでも言葉を絞り出した。




「一体、何百年前の話なの?」




 メイルも、皆も、こうなる事を知っていたのだろうか。

 話さないようにしていたのは、分かっていたからだろうか。


「……父さんが、守ってくれたんだ。僕は、約束を、」

「目を覚まして、クライム。どれだけ探しても、故郷の人達には会えない。分かってる筈よ。どうして自分に嘘をつくの?」

「だって、約束したんだ。僕と来てくれるって、言ってくれたんだ。これからの人生を、ずっと、僕と一緒に、」

「それはもう叶わないわ。私を見て。君はとっくの昔に、前を向いて歩いてきた筈よ」

「違う。僕はみんなを忘れられない。約束を、絶対に、」

「違わないわ」


 レイはクライムの肩を力強く掴んだ。

 クライムが、ゆっくりと顔を上げる。

 二人の目が、初めて合った。


「クライム。みんな死んでしまったの。もう、会えないのよ」


 クライムの目が見開かれた。

 何かを言おうとした口が、開かれたまま動かない。

 コップを持つ手に、ぎゅっと力が入っていた。

 何かを言おうとして、それでも何も出て来なかった。


「……会え、ない」


 震える声で、クライムは呟く。

 レイは肩を掴んだまま、辛そうに頷いた。


「会えない……」


 気味の悪い、しゃがれた声で彼は言った。

 聞いた事もない声だ。人間のものではない。

 クライムのそれとは、似ても似つかなかった。


「僕は、ずっと探して、みんな、生きてるって、そう、思って」


 黒かったその目が黄色く濁り始めた。

 頭を抱えて、何かをしきりに呟き始める。

 ガリガリと髪を掻き毟る。

 レイは思わず、クライムを離した。


「う、あ……、あぁぁ……!!」


 ここでメイルの体はようやく動いた。だが、遅すぎた。



 ティグールの夜の街に、悲痛な叫び声が響いた。



 人の体から出ているとは思えないほど大きな声だった。クライムの息は途切れる事も無く、叫び声は大きな樹を、大きな橋を、街全体を震わせていた。木の葉が落ち、踊り場が軋み、吊るしていたカンテラが片っ端から割れて火が吹き消えた。柔らかい光が消えてしまった。辺りを、夜の闇が支配する。


 クライムの叫びは止まらない。服が破け、彼の体が膨らんできた。闇の中で光る黄色い目がどんどん上へ上がっていき、足が折れ曲がり、腕が広がり、後ろから長い尻尾が生えてくる。


 二人はそれを知っていた。

 見るのが初めてな訳でもない。

 だが彼はずっと出来ない筈だったのだ。

 これが変わり者の、変身だ。


「メイル!!」


 クライムの体重で踊り場が崩れ、レイはメイルを抱きかかえて飛び降りる。瞬時に背中から生えた翼が風を捉え、二人はふわりと着地した。その背後では木々が軋む耳障りな音が響く。枝をへし折り、木組みを薙ぎ払い、大木の上に陣取った恐ろしい姿のドラゴンが夜空に向かって首を伸ばす。


 ドラゴンは再び咆哮を上げた。

 そして翼を大きく広げると、樹を強く蹴って飛び立つ。

 翼が空気を掻く度に、重々しい音が聞こえて来た。


「クライム。どこ、へ……」


 そのまま。


 彼は二人に目も暮れずにどこか遠くへと飛び立っていった。

 二人はそれを追いかける事も出来ず、ただ見送る事しか出来なかった。



 顔を取り戻した変わり者はそれっきり。


 朝になっても、家に帰ってくる事は無かった。



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