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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
33/57

第27話 魔法使いを追って

「右だ」

「左ね」


 目の前に続く二股の道で、ナルウィとリューロンは同時に言った。

 四人の間で何とも言えない雰囲気が漂う。


「……」


 荒野の真ん中で別々の方向を指したまま、二人は無言で睨み合う。視線のぶつかり合いで火花が散りそうだった。ウィルが二人の間に入って仲裁を試みるが、二人は貝の様に口を閉ざしたままだ。マキノはそれを無視して黙々と地図を読む。ウィルが諦めて泣きついてきた。


「マキノ、本当にどっちか分からないのかい?」

「分かりませんね。この辺りは地形が複雑なので、私達が測量しながら進むしかないです」

「じゃあ翻せば、どちらでも構わないと?」

「いえ、それは勿論あの二人の勝った方に。ウィル、賭けませんか?」


 楽しそうにマキノは言い、ウィルはこの面子にまともな人間は一人もいない事を再認識した。


 四人が探すのは、五百年前の戦争で魔族の城を封印した八人の魔法使い。途方もない旅である。マキノの情報網を元に、魔法使いの噂を片っ端から探す不毛の道のり。しかも、その道のりでナルウィとリューロンは事ある毎にいがみ合う。


「マキノの情報は確かよ。キミも少しは他人を信じたら?」


 黒い髪に黒い祭服。

 全身黒づくめの女。

 ナルウィはそう言って相手を見上げる。


「そっちからは嫌な臭いがする。お前も少しは他人を疑え」


 草色の長髪に見上げる様な長身。

 野獣の如き雰囲気の男。

 リューロンはそう言って相手を見下ろす。


 結局その話に決着は着かず、最近ずっと苛立っているナルウィの機嫌を取って四人は左の道を選択した。村に寄るか野宿をするか、案内を雇うか四人で進むか、二人の意見は悉く対立した。面白いものだとマキノは思う。クライム達五人で旅をしている間もここまで揉めはしなかった。


 だがこの二人、山猫騎士団に入る前も二人きりで傭兵の様な事をしていた筈だ。荒事以外では何一つ合わないこの二人が、今までどうやって旅をしてきたのか。


 二人の背中を眺めながら、ウィルとマキノは何気なく言う。


「あの二人、どうしていつも一緒にいるんでしょう」

「どうしてかな。俺にも分からないよ」


 左の道は滑らかに曲がる普通の道だった。


 マキノの情報では、この辺りに赤銅の魔法使いと呼ばれる赤髪の老婆が住んでいる筈だ。だが魔法使いとは気まぐれで、ナルウィ曰く信仰も無い生き物である。まだそこにいる保証はどこにもない。


 だがそんな事は言っていられない。ヴォルフは城に閉じ込められた状態でも、外界にある指輪を通して岩のドラゴンを生み出した。そして今も国中の配下達に何らかの方法で命令を出し続けている。城と封印を間近で見てマキノは確信した。封印は明らかに弱まっている。


 どうにかして補強しなければならない。

 しかしその仕組みは全く分からない。

 ならば分かる人間に訊くしかない。


 メイルが上手く立ち回れば必要のない旅かもしれない。だが、マキノはどんな事にも保険を掛ける。必ず勝てる確信が無ければ勝負はしないし、無いまま挑んでも勝利に持ち込む。たとえ、どんな手を使ってでも。


「くそ」


 リューロンが不意に道の真ん中で立ち止まった。つられて皆もその場で止まる。盛んに鼻をひくつかせるその様子は、どこかフィンに似ている。


「だから右だと言ったんだ」


 その言葉の意味はすぐに分かった。道の向こうに人影が見えたのだ。風になびく枯草のような足取りで、二三歩進むとその場で倒れた。すぐにウィルが走った。迷いの無い行動だった。


「大丈夫か! しっかりしろ!」


 あっという間に人影に辿り着き、その人影、無残な姿の男を抱きかかえる。

 ナルウィとマキノが手当てを始めた。

 リューロンは面倒くさそうに歩いて来る。


「た、す……、け……」

「分かってる! もう大丈夫だ!」


 ゴボッと血が噴き出る口から、男は声を絞り出した。ウィルがしっかりと手を握り、ナルウィが必死に手当てをする。だがマキノはすぐに悟った。手遅れだ。背中が深く斬られており、はっきり言って生きているのが不思議な位だった。よくもここまで歩いてきたものだ。


 死にかけの男には目も暮れず、リューロンは道の先を睨んでいる。それを見てマキノは事情を察した。彼が嗅ぎつけたのは煙の臭い。またどこかの村が魔物に襲われたのだ。彼はそこから逃げて来た。更にリューロンは忌々しそうに呟いた。


「……ゴブリンか」


 いったい臭いだけでどれだけの物事を嗅ぎ分けているのか。

 一方で男は傷が開くのも構わず、必死な様子で喋ろうとしていた。


「た、の……」

「ナルウィ! 何とか出来ないのか!」

「やっている! でも……!」


 ウィルは握っている手がどんどん冷たくなっていくのを感じて焦っていた。だがマキノは治癒の魔法で傷を塞ぐのを止め、代わりに男の痛覚を鈍らせた。険しい顔が、少しだけ緩む。男は涙の流れる瞳でウィルを見据える。最期の力で、言葉を発した。


「お、弟を……、たす……け、て……」


 それが残る力の全てだったのか、男の瞳から急速に光が消えていく。

 強く握られた手がずるりと滑り落ち、ウィルは慌てて掴み直す。


 死んだ。


「……この男に、光の加護を」


 ナルウィはそう小さく呟く。

 ウィルは深く俯いた。

 マキノは大きく息を吐く。

 リューロンは変わらず道の先に気を配る。


 もう、こんな事がどれだけあったか。


 魔物達の侵攻は最早止めようがなかった。国が討伐隊を組まないのだ。たった四人が奔走した所で何も変わらない。ここで彼を助けたとしても、遠く離れた場所では別の誰かが襲われる。


 魔法使いを探し出し、城を再び封印する。成功すれば結果的に多くの人々を救うだろう。たとえ今どれほどの人命を見捨てようとも、それがマキノ達の旅であるのだから。


 だが。


「確かに、聞き届けた。俺に任せろ」


 ウィルは力強くそう言った。

 最後にもう一度、男の手を強く握るとすっと立ち上がる。

 マキノすぐに止めに入る。今の顔は知っている。クライムと同じ顔だ。


「ウィル。私達は先を急ぎます」


 彼をこのまま獣の餌には出来ない。ナルウィは遺体をすぐさま火葬し、懐から聖書を取り出して魂を送る言葉を清らかな声で紡ぐ。ウィルはそれを横目にマキノと向かい合う。二人はやや喧嘩腰に見えた。この四人は、基本的に妥協しない。


「俺も先を急ぐ。すまないがそこをどいてくれ」

「その前に考え直して下さい。あなたが今すべき事は、何なのか」


 言われてウィルは少し口を噤む。

 今、何をすべきなのか。

 それはウィルにとっては命題のような問いだった。


 苦しむ人々の力になる為に、彼は師であるエルフの元を飛び出した。

 増える魔物に対抗する為に、彼はトライバル議員の食客となった。

 ドラゴンの被害を抑える為に、彼はフェイルノートの村を訪れた。


 グラムの王立騎士団が傭兵のフリをしていたのが目について、ウィルはジーギルと出会い、クライムと出会い、そして彼等と協力しつつ行動する事になった。全ては故国の人々を救いたかったからだ。


「……すまない。分かった、考え直すよ」


 何が正しいか。そんな事は分からない。マキノには分かっているのだろう。この男は大局的に物事を考える能力に優れている。だから仲間と別れた今も、わざわざウィル達と動いている。とことん客観的に、論理的に、成すべき事を成す。


 だから、ウィルも考える。

 考えて、答えを出した。


「やはり、俺は行く。そこをどいてくれ」


 それは揺るがない言葉だった。

 揺らぐ訳にはいかないのだ。


「ウィル、ここで足を止める事で、より多くの犠牲が出るかも知れません」

「マキノ、人の犠牲を数で測ろうとするのは間違いだ。俺は嫌いだな」

「聞き分けて下さい。私達は正義の味方ではないんです」

「正義の味方だよ」


 ウィルは恥ずかしげも無く、微笑んでそう言った。


「マキノ。君の言う、その正義の味方なら、こんな時にどうするんだい?」

「助けに行くでしょう、それが理想と言うものですから。しかし、叶わないからこその理想ですよ」

「それは違う、俺が絶対に叶えるからね。夢とか理想とか、君は非現実的だって言うかもしれないな。でも俺はそういう歯が浮くような恥ずかしい言葉が、昔から結構好きでね」


 どこまでも真っ直ぐに、ウィルはマキノの目を見る。


「彼は俺達に助けを求めて来た。なら俺が剣を抜くのに、それ以上の理由はいらない」


 良く通る声でウィルはきっぱりとそう言った。


 それに対するマキノの答えは無い。ウィル自身、厄介な性格だと自覚はあった。だがどうにも曲がらないのだ。その性格と強さ故に、隣を歩く仲間はいつしか誰もいなくなっていた。だがウィルは進む。そう生きてきたのだ。これからもそう生きていく。


 それがたとえ。

 独りでも。


 ナルウィがポンと聖書が閉じた。


「マキノ、予定を変更する。誤差は?」


 マキノはこめかみを押さえながら考える。


「半日。森を突っ切れば埋まる誤差です。大丈夫でしょう」


 ウィルは少し困惑した。止められると思っていたのだ。マキノはいつも効率を求める。こんな非効率の塊のような事に首を突っ込むとは思えなかった。その困惑した頭が後から鷲掴みにされる。リューロンだ。


「ならさっさと片づけるぞ。だがやるなら徹底的に。徹底的にだ。村のゴブリン共は……」


 その顔に浮かび上がった鱗がざわっと逆立つ。


「皆殺しだ」

「……あ、ああ!」


 物騒なその言葉が今は頼もしくて仕方ない。


 話は決まった。四人は揃って走り出す。自然とウィルの足も速くなった。マキノはどうしてくれようかと薄ら寒い笑みを浮かべる。ナルウィは腰から漆黒の剣を抜き放つ。そしてすぐさまリューロンと作戦を練り始めた。


 走りながら、マキノとウィルがどちらともなく話し始める。


「驚いたよ。止められるとばかり思っていた」

「何故です? 私は冷静になれと言っただけですよ」

「そうか……、なあマキノ。俺は冷静だろうか」

「いいえ全然。でも面白いです。私は好きですよ、そういうの」


 マキノらしい言葉にウィルは苦笑した。

 その前ではナルウィとリューロンが着々と段取りを決めている。


「リューロン、敵は」

「ゴブリン、数は三十」

「山から下りて来たのかな」

「鉄の臭いがする。統制された部隊だ」

「そう。じゃあ着いたらまずキミが暴れて注意を引いて。敵が来たんだと奴らに分からせる」

「お前とウィルがゴブリンの殲滅。マキノが逃げ遅れの護衛と誘導」

「それでいこう。手早くやるよ」


 さっき口論していたのが嘘のようだ。

 そんな二人を眺めながら、ウィルとマキノは、また思う。


「本当に、あの二人は荒事となると途端に気が合い始めるんだな」

「結構な事じゃないですか。幸いこの世は荒事に溢れてますよ」

「……それはどこも幸いではないよ?」

「……そうでしょうか」


 マキノは不思議そうに首をかしげた。


 走りながら、二人は昔の話を思い出す。


 あれはいつだったか。

 ウィルはリューロンに聞いてみた事がある。

 彼の相方である黒祭服の女剣士、ナルウィの素性についてだ。


「あの服装を見れば分かるだろう。シリル教の執行者だ」

「シリル王国の光の教えかい? でも執行者なんて聞いた事がないよ」

「表に出ない奴らだからな。信徒を白く保つ為に、自ら黒く染まり血を流す者達。つまりは裏仕事専門の殺し屋集団だ。奴ら魔物も魔術師も嫌いだから、いつかマキノも斬り殺されるかもな」


 物騒な事を平然と言う。ナルウィも魔術を使うというのに、理屈の利かない狂信者ほど恐ろしい物は無い。だがウィルには、ナルウィがそんな人間には見えないのだが。


「色々あってな。あいつは自分を拾った執行者、父親の影を追っているだけだ。信じているのは神じゃなく、信仰を貫いて死んだ自分の父親。その分、余計に質も悪い」

「リューロンは、彼女の執行の対象にはならないのか?」

「なるさ。俺はあいつを護る、だが、隙あらばいつ斬りかかってきても構わない。それが俺達の契約だ」

「それでも彼女と一緒にいるのか。……どうしてだ?」

「色々、あってな」


 そしていつだったか。

 マキノはナルウィに聞いてみた事がある。

 彼女の相方である草色髪の大男、リューロンの素性についてだ。


「昔々、古い森に一匹のドラゴンが住んでいた。出鱈目に強くて狩人も軍隊も全く手出しが出来なかった。周りの国が困っている中、ある日近くの村から一人の女が生贄として森に送られる。極上の餌と言うか、怪物の花嫁と言うか、ね」

「初めて聞く話です。それで、ドラゴンは鎮まりましたか?」

「それが女は非常に賢かったんだ。彼女は寝ているドラゴンの喉を槍で一突きにして森に火をかけた。生贄にされてから一年後の事だよ。炎に包まれた森から女は姿を現した。胸に、小さな赤ん坊を抱えて」


 ドラゴンと人間の子供。

 そんな事があり得るのだろうか。

 しかしマキノはすぐにその話を疑う。疑う事が癖になっていた。


「なぜ彼女は森に火を付けたんでしょう。山狩りはした筈ですよね。ドラゴンの死体は見つかったんですか?」

「……キミは本当に鋭いね。死体は燃え尽きていたよ。そう、見つからなかったんだ」

「それは、残念な事でしたね」

「ええ、本当に」


 そう言ってナルウィは遠くを見つめる。


「どんな理由があるにせよ、魔物と交わったその女の罪は裁かれなければならない。望みもしない子供を産んで、命の在り方を侮辱した。それは決して許されない」

「……では。もし、彼女と彼が、望んで子供を作っていたら?」

「私達に裁く権利は無くなる。子供は皆、神様に愛されて、産まれてくるものだから」


 女は程無くして死んだと言う。結局真実は分からないままだ。そしてリューロンはどちらかと言えばドラゴンとして生きている。ナルウィはリューロンを裁くべきだろう。彼女が神の信徒である限り。


「それでも彼と一緒にいるんですね。……どうしてですか?」

「もう決めた事だから」


 ナルウィはそれが、何でもない事かのように言った。


「私はもう随分前にそう決めた。これからは彼と一緒に生きて、最後には、一緒に死ぬって」


 村は近い。遠くからゴブリン達の唸り声が聞こえ始めていた。


 二人の背中を眺めながら、ウィルとマキノは何気なく言う。


「あの二人、どうしてさっさと結婚しないんでしょう」

「どうしてかな。俺にも分からないよ」



***



 五百年前の事だ。


 名立たる王達が死に絶え、有象無象の集団になりつつあった同盟軍は、最後の力を振り絞って起死回生の大反撃に出た。黄金の騎士と白銀の騎士、二人の英雄に率いられて何十人という魔族を次々に葬った。地平線を埋め尽くすほどの黒の軍隊を敵の城まで押し返したのだ。


 だが、決着は着けられなかった。

 黒の王がいたからだ。


 一騎当千の魔族の中でも、王の力は別格だった。彼は押し返された戦況に業を煮やし、黒鉄の剣を片手に自ら戦場に赴き最前線で戦った。総大将の首がノコノコ出向いてきたのだ。それが好機に見えた同盟軍は一気に攻め寄せ、そして壊滅した。


 死ななかったのだ。斬っても突いても、黒の王は死ななかったのだ。勇敢に挑んだ英雄達は皆その黒鉄の剣の餌食になった。彼の体は剣も魔法も受け付けなかった。どんな深淵にまで足を踏み入れたのか、その魔族は不死身の魔王と化していたのだ。殺す事は、不可能だった。


「それで八人の大魔法使いが、全てをまるごと封印したの? その城ごと」

「そんな都合の良い話があるか」


 リューロンに吐き捨てられて、ウィルは頭を抱える。

 確かにこれまで掴んできた多くの事実と矛盾する。


 実際は敵陣から魔族の一団が同盟を持ち掛けてきた筈だ。フェルディアは秘密裏に彼等を雇った。そして魔族の同士討ちという形で敵は数を減らし、最後の土壇場で敵味方両方の魔族を一緒くたに封印してしまったのだ。


 だがその封印自体、味方になった筈の魔族を裏切る為に最初から用意していたと考えた方が筋は通る。勿論、証明のしようがない。嘘を付いた子供がその証拠をゴミ箱に捨てるように、都合の悪い物は全て城の中に封印されている。


 ウィルは頭を抱える。彼の愛する故国が持つ拭い切れない大罪だ。

 それでも彼は人々を愛している。だが、どの面下げて再びレイに会えるのだろう。


「事実はどうあれ、魔法使いは実在します。次、行きますよ」


 三人を置いて、マキノは淡々と物事を進める。

 一日だって惜しかった。


 赤銅の魔法使いは外れだった。

 既に、村を離れて何十年も経つという。


 ここまで来ると魔法使いを差別するナルウィに呼応したくもなってくる。以前ウィルとナルウィが訪ねた濡葉の魔法使いも、辿り着いた時には既にいなかった。マキノがウィル達に合流する道中訪ねた村にも、魔法使いはやっぱり既にいなかった。


 八人もいるのに何故ただの一度も当たらない。

 どうして魔法使いという奴はこうフラフラ彷徨っている。

 三十年も頑として動かない冬の魔法使いを見習ってはどうか。


 「いた」と言う話はそれなりに見つかった。しかし現地を訪ねると何故か誰一人はっきり覚えていないのだ。どうやら魔法使いは、立ち寄った周りの人間から自分の記憶を消す癖があるようだ。それも八人皆に。


 時間が経つにつれナルウィは焦燥感を募らせ、リューロンは苛立っていき、ウィルは必死に二人を励ました。その三人を置いて、マキノは淡々と物事を進める。訪れた村が外れと分かると、絞れるだけ情報を絞り、その後は即座に切り替えて次の村を目指す。


「どうも絞れませんね……」


 マキノは一人、街を歩きながらそうボヤく。


 この街も外れだった。そしてマキノは外れた理由を洗い出す。片っ端から聞き込みをし、僅かな痕跡も見逃さない。だが痕跡は無い、一つも無かった。きっと魔法使いはたった今残した足跡さえも、箒で消しながら歩いているに違いない。


「見えませんね……」


 仲間達と別行動をとっている時も、マキノは頭を休ませない。答えは見えないが違和感はある。いつもマキノはそこから始める。持てる知識を総動員して違和感を確たる答えにしていくのだ。地道で辛い作業だ。クライムやメイルは、マキノの事を何でも出来る超人のように思っているが、そんな事は全然無い。


 ただマキノは他人より諦めが悪く性格も悪い。

 なぜ、なぜ。突き詰める事を止めないのだ。


「ふう」


 マキノは少し腰を下ろした。

 建物に挟まれた狭い上り階段。

 木陰になって気持ちがいい。

 

 小さな街だった。囲む城壁はボロボロで、村を一回り大きくしただけのようだ。石造りの建物は確かに頑丈そうだが、それを押し分けるようにして街中に樹が生えている。森の中に街があると言うか、街の中に森があると言うか。


 通りの向こうでは行商人が風呂敷を広げて、綺麗な金属器を売っている。

 煤だらけの工房では、見習いの鍛冶屋が親方に怒られて涙目になっていた。

 流浪の剣士か、剣を下げたマントの男が誰かに雇われるのを待っている。

 近くの空き地では、フードの女が傷ついた鹿を治療していた。


 ……鹿?


「おや?」


 あまりにも自然に女はいて、マキノが疑問に思うまで少しかかった。

 こんな街中で、なぜ鹿がいる。しかも女の手当てを受けて。

 女は患部に包帯を巻きながら、鹿に何か言っていた。


「油断のし過ぎですよ。下手な狩人でも頭は使うものです。この程度で済んで良かったですね」


 牡鹿は傷が痛むのも我慢して大人しく治療を受けている。治療が終わると女は優しく鹿の頭を撫でた。鹿は少し身震いをすると、低く唸って元気そうに走っていった。城壁に空いた穴を通って鹿は平野に消える。この街、防衛のぼの字も無い。


 おかしな光景に目を奪われて、回転していたマキノの思考が止まる。

 気分転換にと、女を少し観察した。


 小柄な女だ。体をすっぽり覆うローブを着ていて、顔も体格も分からない。だが声や動きからするに細身で若い女であるらしい。どこか高貴な印象を受けた。ローブは飾り一つ無い地味なものだったが、上等な麻で織られしっかりした作りは、質素なだけに美しい。


 そしてフードから、一房の金髪が垂れていた。


「おい」


 視界の端から声がする。二人の男だ。体力ばかり持て余した典型的な若者だ。どうやらマキノと同じく女の髪に目を付けたらしい。読唇する限りでは、いいな、とか、やるぞ、とか言っている。馬鹿が沸く余裕がある程度には、この街も平和であるらしい。


 男達がフードの女に声をかけた所で、マキノは重い腰を上げた。


「ああ、そいつならさっき見たぜ」

「本当ですか? 助かります。親切な方ですね」

「いいって事よ。こっちだぜ。ついてきな」


 女はコロリと引っかかっていた。

 これもまた。街が平和な証拠だろうか。


 マキノはウィルと違って正義漢ではないが、目の前で起きた事を見逃すほど冷血漢でもなかった。いつも通りニコニコした顔で三人に近づき、嘘八百を並べ立て、口八丁手八丁、男達を追い払った。丸め込まれた男達は家路へ着き、マキノはそれを笑顔で見送る。さて、これにて休憩終了。マキノは捜索へ戻る。


「ありがとうございます。彼は隣町にいるのですね」


 背後でフードの女が深々と頭を下げる。しかし隣町にいるとは何の事か。いや、何の事ではない。自分がさっきついた嘘だ。マキノは正直に言う。


「ああ、すみません。嘘をつきました」


 頭を下げたままの体勢で数瞬。

 その後に女は顔を上げた。


「……嘘?」


 変わらぬ声色だが、明らかに機嫌が悪くなった。


「嘘を付いたとはどういう事です? 嘘を付いてはいけません」


 面倒くさい。正直マキノはそう思った。あんな男、適当な言葉で誘いをかけて女を乱暴しようとしたに決まっている。彼女は本当に気付かなかったのか? それで自分を責めているのか? 一体どこの田舎者、いや、一体どこのお嬢様だ。そう思ってマキノは改めて女の顔を見る。


「……」


 言葉を失くした。

 美しい女だった。


 ローブに隠れて服は見えないが、フードの下は目も覚めるような美しい顔だった。その肌は雪のように白く、髪は日の光を浴びてキラキラと金色に輝いていた。目元は細く、睫毛は長く、何歳なのか分からない。耳元からはカチューシャにも似た細い銀細工が覗いている。


 そして、そこで初めてマキノは気付いた。

 金色の美しい女の髪。そこから長く鋭い耳が伸びていたのだ。



 女はエルフだった。

 初めて見た。



「あなたの思っている事は分かります。彼等も嘘をついていたと言うのでしょう。でも、それはあなたまで嘘をつく理由にはなりませんよ」


 マキノの感動を他所に、エルフはくどくど説教を続ける。

 咳払いをして気持を切り替えるとマキノも反論した。


「分かっていたなら付いていく前に自分で何とか出来たのでは? 失礼ですが、見ていられませんでした」

「言われなくても自分で何とか出来ました。しかし今は私の話ではありません、あなたの話です。すり替えてはいけません。全くあなたは口ばかり達者なのですね。親の顔が見てみたいものです」


 そう言ってエルフはハァと溜息をついた。

 そして不意にマキノを見上げると、背伸びをしてクシャッとその頭を撫でる。


「しかし嘘だと正直に言ったのは偉いですよ。女性を助けようとしたのも」

「あ、あの……。私は、別に……」

「でももっと賢い方法があった筈です。あなたなら出来たのでしょう?」

「…………はい」


 頭を撫でられるなど何年ぶりだ。調子が狂うやら気恥ずかしいやらで、マキノは借りてきた猫のように大人しくなった。エルフはしばらくマキノの頭を撫でていたが、しかし段々その手付きがおかしくなってきた。今や両手でマキノの頭を弄り始めている。


「どうしてこうボサボサしているんです。ちゃんと梳かしていないのですか?」

「はい?」


 そう始まるともう止まらなかった。


 抵抗するマキノを無視して手元から取り出した櫛で髪を梳かし始める。マキノが持っていた資料を一旦取り上げると、着こんだ服の一枚一枚までぴっちり皺を伸ばし、姿勢を正し、襟元を整え、埃を払い落とした。一歩離れて満足げにマキノを見る。別人のように整った身なりの男がそこにはいた。


 感想は? と女が聞くと。

 少しきついです。とマキノは答えた。


 梳き殺された髪を弄りながらマキノは溜息をついた。


 エルフ。それはこの世で最も高貴な存在だ。伝説や物語には必ず出てくるし、それは正義や美の代名詞のようでもある。だが、なにか違う。これが現実だろうか。美しさは文句の付けようがないが、あのレイを見慣れた後だとそこまでの感動は無い。


 いや、彼女はどこか、レイに似ている気がする。

 顔立ちと言うか、神秘的な雰囲気が……。


「八人の魔法使いを、追っているのですか」


 そこで、突然。

 女は低い声でそう言った。


 女の言葉でマキノは我に返った。

 エルフが読んでいたのはマキノの資料。

 バッと力づくでそれを取り上げた。


「乱暴ですね。勝手に見たのは謝りますが」


 心臓が跳ねていた。

 エルフの顔を伺う。


 彼女は魔法使いの事を知っていた。

 関係者なのだ。

 ならばどっちだ。

 知られたのは危険だったか。

 どう口を封じるべきか。


 マキノの頭の中では様々な仮説と結果毎の数通りの対処法が踊っていた。エルフの言葉は、それだけマキノを混乱させるのに十分だった。固い口をこじ開ける。


「……あなたは、どこまで知っているのですか」

「質問は。正確に」


 そう言ってエルフは指を突きつける。

 自分より低い位置から突きつけられる細い指。

 なんだか毒気が抜かれたようになってマキノは再度尋ねる。


 心臓の鼓動が、元に戻った。


「失礼しました。まず名前から聞きます」

「よろしい。私はブリュンです。あなたは?」

「マキノです。それでブリュン。あなたは八人の魔法使いに関して何を知っているのですか?」

「やっと正しい問いになりましたね。但し一つ訂正を。教えを乞うなら、私の事は先生と呼びなさい」


 つくづくマキノは調子が狂う。

 問いの一つにここまで文句を付けられたのは初めてだ。


「はい先生。では、あなたは魔法使いに関して何を知っているのですか?」

「大変結構。まず最初にあなたの不安を取り除きますが、私はあなたの敵ではありません。かと言って味方でもなく、ここが私の苦しい立場なのですが。まずは情報の共有といきましょう。私の問いに答えられるだけ答えてください」


 ブリュンの問いは始まった。


 あなたは国で増える魔物について調べているのですか?

 黒の城の事を知っていますか?

 フェルディアが犯した罪の事は知っていますか?

 八人の魔法使いを探して城の封印を掛け直すつもりですか?

 私と出会ったのは偶然ですか?


 マキノは全てを肯定した。


 一通りの儀式が終わるとブリュンは少し考え込む。

 マキノは耐えられずに質問した。


「あなたこそ何故そこまで知っているのですか? 五百年前の戦争にエルフは参戦しなかった筈でしょう。人間の魔法使いとも交流はない筈です」

「確かにそうです。私達エルフは今、静かに傷を癒しているのです。五百年前は特に深く、今もまだ治っていません。だからフェルディアを助ける事は出来ないのです。決してあなた達を見放した訳ではないのですが、傷が癒えるまで私は魔族に関する情報をあなたに開示する事が出来ない」

「それは、なぜです」

「掟だからです」


 ブリュンは事も無げにそう言った。しかし、散々質問しておいて何も答えられないとは。


「マキノ、そんなにむくれないでください」

「むくれていません」

「むくれているじゃないですか」


 楽しそうにそう言われると、マキノとしても本当にむくれてもみたくなる。


「そう悲観しないで下さい。代わりと言ってはなんですが、あなたには知恵を授けます。あなたの手記を拝見した、一通りの感想です」


 そう言ってブリュンは通りの一角、盛り上がった敷石に腰かける。ポンポンと隣を叩いた。誘われてマキノも座る。


 穏やかな風が頬を撫でた。木々が静かに揺れ、木漏れ日の光と影がキラキラと街道を彩る。街では相変わらず人々がざわついて、空には相変わらず鳥達が飛んでいる。魔物の侵攻も戦争の兆しも、遠い彼方の出来事のようだった。


 さて、と。

 ブリュンは話し始めた。


「魔法使いが見つからない。あなたも大分手を焼いているようですね」

「焼いています。正直なぜここまで見つからないのかが分からない」

「着眼点は間違っていませんね。そう、なぜ見つからないか、問題はその理由です」


 そう言ってブリュンは軽く資料を叩いた。


「あなたは、この地で古来より根を張っている奴隷商人の情報網を使って魔法使いを探していますね。褒められた手段ではありませんが、一番効率の良い方法でしょう。そして魔法使いの移動経路と滞在時間を考えながら、今最も居るであろう場所を可能性の高い順に当たっている」

「そうです。方法が間違っていたのでしょうか」

「いえ、道徳的な面に目を瞑るなら満点です。それ以上に正しい探し方は無いでしょう。見つからないなど、あり得ません」

「ですが見つからないんです」

「恐らく問題は、正し過ぎる事です」


 ブリュンは諭すようにマキノに言った。

 だが言葉の意味が分からない。正しいからとはどういう事か。


「と言うと?」

「一番正しい方法という事は、最終的には誰もが試みる方法だと言う事です。マキノ、あなたは間違っていない。ですが恐らく先を越されているのです。それも十年単位の先を」


 その言葉に、手元にあった幾つもの事実と仮説が綺麗に結びついていく。目から鱗が落ちるような気分だった。マキノはずっと捜索方針について仲間の誰にも相談しなかった。それが視野を狭めていたのかも知れない。


「誰かが、同じ方法で魔法使いを探していた」


 繋がり始めた仮説が、勝手に口から零れた。

 それを、ブリュンが首肯する。


「そう考えるのが自然でしょうね」

「そして魔法使いを消しては、その痕跡をも消していった」

「矛盾はありません。続けて」

「もし目的まで同じなら、その誰かは、既に封印の仕組みを解明している」

「その通りです」


 背筋が寒くなった。


 その「誰か」がマキノの先を越しているなら、とうに封印は補強されていた筈、つまり探す目的が違うのだ。そもそもブリュンの見立てでは「誰か」が魔法使いから封印の秘密を得たのは数十年前。その頃はまだ封印は盤石だった筈なのだ。


 マキノは封印を補強する為に魔法使いを訪ねる。

 しかし、それがもし逆だったら。

 その何者かは、封印を破る為に魔法使いを訪ねていたとしたら。

 マキノはゆっくりブリュンを見る。


「これは、何もかも仕組まれていたって言うんですか。ヴォルフを蘇らせ、再び戦争を起こそうとした何者かが、わざと鉄壁だった封印に穴を開けたと。しかも、」

「もし実在するなら、それは人間です。味方であるはずの人間が仕組んだからこそ、鉄壁の封印は鉄壁足り得なかった。あなた達人間の中に、裏切り者がいます」

「しかし、もしその人物が封印を破る為に魔法使いを探していたなら」

「八人の魔法使いは、既に全員殺されていると考えるべきです」

「……見つからないはずですね」


 マキノ達は霞を追って旅をしていたのだ。後百年探そうとも封印の仕組みなど分からない。魔術を組み上げた当の魔法使い達が殺された以上、その謎は既に闇に葬られている。手詰まりだった。


「しかし、ただ一人、全ての答えを知っている人物がいます」

「魔法使いを殺した、魔族の協力者。今も生きていると?」

「魔族との協定がある以上、必ず生かされています。協力者は今、戦争に最も近い場所にいるでしょう。戦火を灯す最初の一手を、己の手で行い確実な物にするために」

「戦争に、最も近い? ……まさか!」


 マキノは思わず立ち上がった。

 答えは一つしかない。首都だ。

 あそこにはメイルがいる。


「落ち着きなさい。そして座りなさい」


 落ち着いてはいられない。危険な場所に向かわせたとは思っていた。だがこれでは死地に送り込んだようなものだ。今の王宮がいかに混迷を極めているかはメイルからも聞いていた。グラムの手引きによるクーデター。王宮の近衛部隊と冬の魔法使いを相手取るだけでも難しいのに、そこには必ず協力者が出てくる。伝説の八人の魔法使い、それを皆殺しにした化物が。


「協力者の潜伏先に、あなたの友人がいるのですね。しかし今から行っても間に合いません。あなたも彼等を全くの無策のまま放り出したのではないのでしょう? では信じなさい。それとも今すぐ引き返して、全てを切り抜けた仲間達に自分の方は何も掴めなかったと頭を下げるつもりですか?」


 ぐっとマキノは詰る。

 そんな事は出来ない。


 それに首都にいる山猫の騎士は一人や二人ではない。岩の怪物との戦いを切り抜けてきた者達だ。それに切り札、レイまでいる。ゆっくり深呼吸するとマキノは再び静かに座った。落ち着こうとするマキノを、ブリュンは穏やかな目で見守る。


「分かっていると思いますが、あなたが今すべき事は一つ。魔法使いではなく協力者の痕跡を追う事です。今とそう変わる訳でもありませんが、視点が変われば世界が変わる。あなたなら、出来ますね?」


 諭すような口ぶりにマキノは苦笑した。先生と言う呼び名は、別に本気で言っていた訳ではない。それなのに今の状況は完全に教師と生徒の間柄だった。やたら堂に入ったブリュンの態度で、いつの間にかマキノの生徒役まで堂に入ってきたのだ。


「勿論です。先生」

「はい。大変よろしい」


 そう言ってブリュンはまたマキノの頭を撫でる。


 張り詰めていた空気が和んで、自分がどこにいたのか、今何をしていたのか、マキノは急に思い出した。そうだ、今はこの地にいた魔法使いを探しに別行動を取っていたのだ。リューロンは東を、ナルウィは南を、ウィルは西を、マキノは北を担当していた。集合は日没。まだまだ時間はある。そう言えば。


「すみません。先生も誰か人を探していたんでしたね。随分時間を取らせました」

「構いません。生徒に物を教えるのは私の務めです」


 そう言ってブリュンは少し胸を張るが、次の瞬間急にしぼむ。


「いえ、しかし生徒の尻を叩くのも私の務めですね。私とした事が……」

「昔の教え子を探していたんですか?」

「そうですよ。騎士になると言って飛び出したっきりの馬鹿弟子です。あの子は昔から正義感が強過ぎると言うか、なまじ正しい事を言う分、聞いているこっちまで引きずられそうになるんです」

「ああ、なるほど」


 マキノの脳裏ではウィリアムが爽やかに笑っていた。


「分かります。私の連れの一人もそんな感じですから。困った人種ですよね」

「全くです。力もあるし結果も出すので、叱るのも難しい」

「欠点らしい欠点が見当たらないですし……」

「憎たらしいのに怒る気にもなれなくて……」


 二人は揃って溜息をつく。


 別々の人の話をしている筈が、何故か話が噛み合っていた。ここに山猫屋でのウィルの話を聞いていたメイルが居れば話も変わったのだが。結局は同じ人物の事を話していたのだとマキノとブリュンが知るのは、まだ、少し先の話である。


 ブリュンの愚痴は止まらない。


「どうにも厄介事に首を突っ込む癖が抜けなくて、力づくでも止めさせようとしているのですが。全くあの子ときたら、子供の頃から私の教えを聞きやしなくて。泣き虫な癖に正義の味方そのままに突っ走ってしまうんです。剣も学も全て私が教えていたのに、いつの間にか私の手を離れてしまった」


 マキノはくすっと笑う。


「寂しいんですね」

「寂しくありません」


 ブリュンはぶすっとしてそう返した。


「あなたには関係の無い話でしたね。そういうあなたの時間は大丈夫なのですか?」

「ええ。ここに集合と決まっていますから、下手に探し回るよりここで待とうかと」

「そうですか。その集合より早く私はこの街を発ちますが、折角ですからもう少しお話しましょうか」

「喜んで、先生」


 何の変哲もない街の一角で、二人は座ったまま話し始める。日は少し傾いてきているが、日没まではまだ大分時間があった。木々が少しざわつき、鳥がのどかに空を飛ぶ。どこか奇妙な、しかし不思議と落ち着く時間が流れていた。


「そう言えば、さっき掟で魔族の事は話せないと言っていましたね。エルフの掟とは何なのですか?」

「少なくとも人間よりは強い意味合いを持っていますね。それ故に滅多に定めませんが」

「残念ですね。折角先生のお話が聞けると思ったのに、掟では仕方がない」

「失礼な。掟があったって私が教えられる事は幾らでもあります」

「本当ですか? 例えば?」

「例えば。そうですね……」


 ブリュンは少し考えて、ぴっと指を立てて言った。


「私達エルフの話、などはどうでしょう」


 どう、と言われても。

 少なくともマキノが今すぐ聞きたい話ではない。


「興味が無いとは言わせませんよ。あなたが初めて私の耳に気付いた時の顔」

「気付かれてましたか。確かにエルフは私の憧れですが。あ、エルフがですよ? 先生でなく」

「口の減らない子ですね。まあ良いです、話してあげます。出発までの時間潰しには丁度良いでしょう。短い話ですし。それに、つまらない、つまらない話です」


 そう言ってブリュンは話し始める。


「さて。私達エルフには、かつて袂を分かった兄弟がいたのです。もっともこれは、今となっては何の意味もない、思い出話なのですが……」


 日がゆっくりと傾き始める。

 周囲に、じわりと滲むような暗い影が差していった。



***



 私達エルフは森と水に生きる一族です。


 水の溢れる古い森に居を構え、あまり森から離れる事もありません。真理と調和を重んじ、他種族とは大きく価値観も異なる。欲望も律し感情を律する。つまらない種族だとよく言われます。しかし、エルフは欲望や想いが無くとも、森と、歌と、真理があれば十分なのです。


 森と空は、全ての命が最も輝く場所です。

 歌は風と共に、世界の美しさを語ってくれます。

 真理は私達の在り方と、より良い生を教えてくれます。


 そしてエルフはその魔力の才と鋭敏な感覚でもって、魔法使いとしても有能です。人間が理を変質させて力を求めても、エルフは決して理に逆らいません。力が及ばずとも、それもまた自然の有様だからです。エルフと人間、魔法と魔術。生き方の違いから生まれた必然的な住み分けですね。


 しかし変わり者とはどこにでも居るもので、エルフにも魔術の可能性に魅せられた者達がいたのです。


 人間でさえ、工夫次第でエルフを超える力を持ちます。ましてエルフがしがらみを捨てて本気で力の探究に乗り出したのなら、それは凄まじい結果を生むでしょう。事実、彼等は今まで不可能と思えていた数々の事を成し遂げました。


 ある者は旱も炎も物ともしない麦を生み出しました。

 ある者はどんなに叩いても壊れない鋼を生み出しました。

 ある者は地形を変え天候をも操る魔術を生み出しました。


 それは飢饉を救い、家を守り、人々を快適にしました。より豊かに、より便利に、より幸せに。何事も始まりは善意から来るものです。


 しかし、当然反発はありました。自然を外れた快楽などエルフの幸せではないと。そこで先駆者達は次第に周りの目を逃れ、密かに深淵を探究する魔術結社を組織しました。名をアルダノームと言います。彼等はエルフ屈指の賢者であり学者であり、それが揃ってエルフの第一線を退いた為、私達エルフの歴史はアルダノームの分裂と共に大きな打撃を受けたのです。


 波紋が広がりました。エルフ皆が魔術の極意を追い求めるべきでは。彼等はエルフの真に目指すべき姿だったのでは。しかしエルフはアルダノームとの決別を決めました。彼等を堕落者と罵り、森に帰る事さえ禁じてしまった。多くを失いました。エルフも、恐らく彼等もです。


 アルダノームはエルフと真逆の道に走りました。

 欲望を隠さず、感情を律せず、ただひたすらに力を求めた。


 ある者は空を自在に飛ぶ為に翼を生み出し。

 ある者は世界の全知識を小さな本に圧縮し。

 ある者は無敵の力を得る為に体を作り替えた。


 それが森を離れたせいだったのか、それとも魔術の探求の副産物だったのか、いつしか彼等の髪は、黒く、染まっていったと言います。老いず、朽ちず、死なず、ただそれだけの為に生きるようになっていた。


 エルフは公然とアルダノームを侮辱しました。穢れた髪の離反者達だと。

 アルダノームもエルフを憎みました。小さく頑迷な保守主義者だと。


 共に手を取り合う事は二度とありませんでした。

 エルフとアルダノームは、全く別の種族になったのです。


 私は寂しかった。共に日々を過ごす仲間達が、手の届かぬ遠い場所へ行ってしまったのですから。皆がどれほどアルダノームを憎もうと、私は彼等がまだ家族のままだと感じていたのです。つまらない事で喧嘩をして、どちらも素直になれないだけの、仲の良い兄弟なのだと。彼等は何も変わっていないのだと。


 そう、思っていたのです。


 アルダノームの創始者、エルフで最も強く賢かったあの男が、魔物の軍勢を率いて戦争を起こすまでは。間違いだったと知りました。彼等はもう家族ではないのです。語り合い、笑い合った遠い日の思い出は、もう二度と取り戻せない。


 お恥ずかしい話です。それに気付いた頃には、全てが手遅れだったのですから。


 私は彼等を、止められなかった。



「……間違いは、誰にでもあるものですよ」


 マキノはゆっくりとそう言った。


「優しいのですね。そう、きっとちょっとした間違いだったのです」


 懐かしそうに話していたブリュンとは対照に、マキノは指を組み、強張った顔で地面を見つめていた。


「アルダノームという名前は、既に失われているのですね」

「もう誰も、その名を使う事はないでしょう」

「そして彼らは今、全く別の名前で呼ばれている」

「それをここで私が口にする事は出来ません。掟ですから」


 物は言いようである。エルフにとっての掟は人間よりも強い意味を持っているのではなかったのか。ブリュンは厳しく神経質な女性にも見えるが、案外と茶目っ気のある性格なのかもしれない。マキノは少し、溜息をついた。


「……何事も始まりは善意から、ですか」

「私はそう信じています。戦争を起こそうとしているその人物も、きっと善意から始まっていたのだと」

「善意? 豊かになったこの国を無惨に滅ぼしてしまう事が善意ですか?」


 ブリュンは静かに首を振る。


「人には様々な想いがあるのです。同じ善意が、同じ幸せに行き着くとは限らない」

「それは、一般的に悪意と呼ばれる物ではありませんか?」

「そう思いますか?」

「そうとしか思えません」


 ブリュンはふふっと悪戯っぽく笑った。高貴な雰囲気と美しい面立ち、そこからは想像も出来ないほど子供っぽく、魅力的な微笑みだった。だが、思えばレイも、こんな笑みを浮かべながら岩のドラゴンと戦っていたのかもしれない。ブリュンはすっと立ち上がった。


「丁度良いですね。これをあなたへの宿題とします」

「宿題、ですか?」

「はい。あなたが存在を突き止めたその人物。何を思って再び戦争を起こそうとしているのか。それは善意であるのか悪意であるのか。次に私と会うまでにはっきりした答えを用意しておきなさい」

「……あなたは生徒皆に、こんな難しい宿題を出しているのですか? それは逃げられもしますよ」

「失敬な。逃げられてません。少し目を離しただけです。必ず見つけ出してお尻百叩きです」


 人のざわめきが心地いい平和な街で、二人は柔らかく微笑んだ。

 日はまだ高い。ブリュンは簡単な別れだけ済ませると、一人で街を離れていった。


 マキノは変わらず、その場に腰を下ろしている。

 何故か動く気にはなれなかった。

 今日は、このまま皆が戻ってくるのを待つとしよう。


 見上げれば、渡り鳥がくるくると街の上を飛んでいる。青い空には、その鳥一羽が綺麗に映えていた。丁度良い風を捕まえたのか、暇そうに旋回していたのが嘘のように、すっと視界の外へと飛び立った。空はまた面白味もない青さを取り戻す。



「……遠いなぁ」



 小さな呟きが空気に溶けた。


 マキノの旅は、まだまだ続く。



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