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変わり者の物語  作者: あなぐま
第3章 鉄の都
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第26話 王都到着(後編)

 気まずい沈黙だった。


 でも、僕は目が逸らせない。


 逃げる事も出来なかった。


 その間も円い機械がカチコチと音を立て、ガラスの容器が煙を吐き、積まれた紙の山がまた崩れた。


「……」


 メイルの見つけた秘密の部屋。眼鏡の男は僕をじっと見る。窓一つ無い地下室はただでさえ息が詰まるのに、足首が埋まる程の羊皮紙の海で更に狭苦しかった。その狭い部屋で、僕は彼の目線から逃げられない。尋常じゃない目つきだった。視線で石まで貫通しそうだ。


 鋭い目

 栗色の髪。

 高めの背丈。

 痩せ気味の体。 


 なんだか見覚えがある顔だ。そう言えば、宮殿で見かけた現国王の肖像画にやたら似ている気もする。フェルディアでは有りがちな顔立ちなんだろうか。


「……お前はどうやってここに入ってきた?」


 男はそう口を開くと矢継ぎ早に質問してきた。


「城の人間か? 街の人間か?」

「生まれはどこだ? フェルディアではないな?」

「雰囲気の割に風貌が若すぎる。歳を取らないのか?」

「私を殺しに来たのか? それとも国を落としに来たのか?」


 何なんだこの人。僕が何も言わないのをいい事に、話がどんどん物騒な方へ流れてる。まさか事実その通りですとは言えない。それにしても思い付きにしては鋭すぎないだろうか。とにかく早い内に否定しておかないと。


「ぼ、僕は、」

「待て!!!」


 何!?


 男は急に立ち上がると速足で僕の方に歩いて来た。何の遠慮も無く目の前にまで来て、鼻が付くほどの至近距離から顎を撫でつつ僕をじっと見た。そうかと思うと後ろまで回り込んでは、服やら腕やらつぶさに観察する。気味悪い。


「あの、ぼ、僕はクライムって言って、」

「アルバだ」


 アルバ? それ、この人の名前? 

 またしても話を折られた。この落ち着きの無い早口を聞いていると僕の思考が追いつかない。彼、アルバは僕の周りを一周、また目の前に戻ってきた。


「お前はやはり人間ではないな」


 ……返事が出来ない。

 これは、今までで最速だったかもしれない。


 自慢じゃないけど、僕の「変わり」は見破れない筈だ。あの赤毛の情報屋、エリックでさえ僕の正体を言い当てるまで長かった。それを、会ってすぐに。何でだ。どこでばれた。やっぱり逃げるべきか。そう思っていると、アルバは更に捲し立てる。


「肌の焼け具合はマラウェルだが体つきはフロッシュ地方特有だ。しかしこの二つの身体的特徴は血筋の関係で両立しない。各地域の外見的特徴を雑多に混ぜ込んだような人為的不自然さだ。魔法使いではこうはならない。単に姿を変えている訳でもない」


 え?


 つまり。え?


「指先からするインクの臭いは王宮でしか使っていない高価な物。靴の汚れは八番通りの製鉄場の煤の跡。下級役人の城外の下宿からお前は来た。冬の魔法を掻い潜ってここまで来たのか? 何故そんな危険を冒した? 下級役人に取り入り冬の魔法をすり抜け隠された部屋に来てまで城の秘密を探ろうとしたのは誰の命令だ? ヴェランダールか? ルべリアか? それとも、グラムか?」


 ……。


 ……やばい。


 やばいやばい。


 僕が来たせいで、何かしなきゃと気張ったせいで、このままだとメイルの仕事を台無しにする。まさか到着初日でこんな大失態を犯すなんて。正体がバレる。メイルもエイセルもここにいられなくなる。下宿に戻ったら、みんなが捕まった後なんじゃないのか。レイは、今度こそこの国に殺されるのか。


「グラムだな」


 僕の反応を見て、彼はそう結論付けた。

 口封じ。らしくもない言葉が頭をよぎる。

 でも、もうそれしかない。


 一方で彼は、ふっと顔を逸らすと机の方に戻り始めた。


「期待外れだな。隣国の間者などつまらない人間が来たものだ。これはお前の領分だろう蜘蛛。好きにしろ」


 一言も口を利けない僕を尻目に彼は言う。でも、蜘蛛。一体何の事だろう。そう思っていると、彼と僕しかいないはずのこの部屋から、三つ目の声が聞こえてきた。酷く、聞き覚えのある声だった。



「そう邪見にするなアルバ。人は見かけによらぬものだぞ?」



 しわがれた声が部屋に響いた。

 潰れた喉から無理矢理絞り出したような。

 聞いているだけで気分の悪くなる声だった。


 身に覚えもない、それでも体が確かに覚えている何かが障って悪寒がした。確かに、確かに聞き覚えがある。一瞬何か思い出しそうにもなったけど、途端に頭に霞がかかった様に分からなくなった。記憶に蜘蛛の糸が掛かった様にぼんやりする。何だこれは。


 声はするのに、その声の主が見当たらない。どこにいるんだ,どこから話しかけてる、すぐ近くにいる筈だ。


 いや、そんな事はこの際どうでもいい。

 問題はこの人が敵か、味方か。


「僕は王城を探ってここに来た」


 初めて僕がまともに口を利いて、アルバを興味無さそうにこっちを見る。

 僕は生唾を飲み込んだ。もう開き直るしかない。


「あなたはどこの誰? 僕がここに来た事を、中央議会に報告するの?」


 もしそうなら、ただでは帰さない。そんな迫力が出るように精一杯怖い顔をして見せた。でもアルバは、相変わらず興味なさげに僕を見ていた。


「お前は私が議会に通じる人間に見えるのか? 私も間者などに興味は無い。知りたい事があるならさっさと調べてとっとと出て行け。無為な時間だがお前にやるには勿体ない」


 そう言ってアルバは机に座った。


「……」


 思っていたのと反応が違う。地下とは言え王宮に住んでるのに、侵入者がいると報告しなくて良いんだろうか。声しか聞こえない蜘蛛と言う人も、僕の存在に対してかなりいい加減だ。何故かむきになって僕は訊いた。


「僕が本当にグラムの間者だったら? 王宮の情報を漏らされたりしたら、あなたは困るんじゃないの?」

「何故だ。フェルディアとグラムの争いなど知った事か。全く無意味な争いだ」

「む、無意味? フェルディアの、統一戦争が?」

「無意味だ」


 あれ。なんか僕が思ってるフェルディアの印象と違う。


「奴等は統一を成し遂げたいのではなく群れの頭になりたいだけだ。圧制と和合の違いすら分かっていない。いずれ大国家は解体し全く元の黙阿弥だ」

「え、じゃあ統一なんて無理、なの?」

「一人の王が君臨するなど発想自体がカビ臭い。所詮奴等は御伽噺に憧れる鼻垂小僧の集団なのだ。叱る大人がいない以上は死をもって現実を知るだけだ」


 僕の、頭の固いフェルディア人と言う先入観がどんどん崩れていく。

 思わず僕は訊いた。フレイネストでスローンに訊いたのと同じ質問を。


「あなたにとって、ヴェリアの王国ってなんなの?」


 するとアルバは、嫌そうな顔で振り向いて答えた。

 その顔は、やっぱり肖像画とよく似ている。


「洗っても取れない頑固なシミだな」


 なるほど。

 よくわかった。

 この人、思想犯だ。

 誰だよ、肖像画と似てるとか思ったのは。


 しわがれた声が飽きれたようにまた響く。


「鍋の底の焦げ付きだと儂は聞いたぞ?」

「似たようなものだ。文句を言うな」


 なんか、がっくり力が抜けた。相変わらず気味が悪いけど、この姿も見えない声にも慣れたな。要するにこの人達は敵でもなければ味方でもないのか。


 まるでこの部屋自体が外の争いから切り離されているみたいだ。おかしな場所だ。書類みたいに、あの機械も箱も全部この人が作ったんだろうか。それにしても汚い。無性に片づけたくなる。


「じゃあ、僕は勝手に調べるよ?」

「好きにしろ」


 アルバは僕を無視して、机でまた何か書き始めた。

 それじゃあ本当に好きにしようか。


 僕は辺りを見て回った。


 その間もアルバはカリカリと筆を走らせ、丸い機械がカチコチと音を立て、沢山の作りかけの道具がキリキリと動いていた。中でも部屋で一番大きかったのは翼のようなものが付いた木製の機械だ。歯車が無数に噛み合って、それが翼に連動している。よく見ると真ん中に人が乗れる位の空間があった。


 気になって僕は訊ねる。


「この機械はなんなの?」

「人間が空を飛ぶ為の機械だ。まだ試運転も済んでいないがな」


 空を飛ぶ? 思わぬ答えが返ってきた。

 何だか興奮して僕は違う物を指す。


「じゃあ、こっちの箱は?」

「エレンブルクからせしめた火薬だ。上の巻物が精製書だな」

「かやく? 精製書があるってことは作れるの?」

「特別な材料が必要でここでは再現出来ない。貸せ」


 そう言うとアルバは僕から巻物を取り上げて、無造作に暖炉の中に放り込んだ。火薬が何かは分からなかったけど、何だか勿体ない。僕は何故か、世界を揺るがす大発明の種が灰になっていくような気がした。もしかして今、この人とんでもない事をしたんじゃ……。


「じゃ、じゃあこっちのは……、痛っ!」


 何か踏んだ。書類の海に沈んで分からなかったけど、掻き分けて見てみると小さな木箱だった。それを取ってアルバに何だか訊こうとすると、足を着いた先でまた何か踏んづけた。


「くっくっく。気を付けねば今度は足が無くなるぞ」


 しわがれた声が僕を笑う。なんかムカムカしてきた。 

 本当にここは散らかり過ぎだ。興味が無いからって無頓着過ぎないか?

 って! 痛い! また何か踏んだ! 少しは片づけたらどうなんだ!


「ほれ、もっと踊れ。道化にしても不出来だぞ?」

「アルバ! どうにかしてよ!」

「知ったことか」


 知ったことか? 知った事かと来たもんだ。

 そう言えば好きにしろって言われたしな。


「あっそう」


 もういい。ここが何処で彼等が誰で今がどんな状況か知らないけど、全てはここを片づけた後だ。僕はこういうのが気になるんだ。アレクが物を出しっ放しにするのも腹立つし。僕はぐいと袖を捲る。まずはこの羊皮紙の海からだな。


「……おい。お前何をしている」

「アルバ。これは捨てていいよね。取り敢えず端に積んでおくよ」


 紙一枚は薄くても、これだけ量があると随分な厚さになるな。

 僕が片づける一方でアルバはどこか焦った様子で机から立ち上がった。


「やめろ! 部外者が勝手に手を付けるな! ここの物は全て私が、」

「下に埋まっている物は机の上に置いておくね。後で整理するから」

「よせ! 貴様、私の空間に一体何を!」


 アルバは途端調子が狂ったようになって、僕に近づこうとする途中で自分まで埋まっていた何かに躓いて転んだ。しわがれた声が大声で笑う。やっぱり危ないよ。それもちゃんと片づけないとな。この手の人って言われても絶対掃除なんてしないんだから。


「この翼の機械って折り畳み式なんだね。片付けるよ」

「片付ける為の仕組みではない! 貴様は私の作品を一体何だと!」

「空になったガラス瓶て意味あるの? 全部洗っちゃうよ?」

「私が! 私が後で洗うから貴様はもう手を付けるな!」

「たまった木屑はゴミだよね。取り敢えず箱にまとめて」

「き、貴様! これ以上私の空間を乱せばただでは! ただでは!」

「はいはい。書類は付箋付けてまとめたから、後で適当に、」

「やめろぉおおおおおおお!!!」



*** 



 あーすっきりした。


 書類を全て整頓して木製の機械も全部片づけて、我ながらあの部屋も随分綺麗になった。しわがれた声が大笑いして、アルバは二度と来るなと喚いてたけど、あそこはなんだか気になる。近い内にまた行こう。


 息の詰る所にいたせいか、アルバの部屋から帰る道中、空は広く感じるし街は明るく感じた。どんな事情があったか聞き忘れたけど、あんな所にいるから彼の性格もひねくれたのかな。あのしわがれた声だって、やっぱり気味が悪かったし。


「……」


 そう言えば、アルバは声の事を蜘蛛って呼んでいたな。

 あの声、確かに聞き覚えがあるんだけど。

 思い出せない。


 蜘蛛の声。

 蜘蛛の囁き。


 ……そう言えば思い出した。


 懐かしい、アグナベイで読んだフェルディアの建国史にそんな一文があった気がする。ヴォルフが戦争を始めた後に、疲れ切った兵士達に追い打ちをかけるように蜘蛛が囁いた。始まりの王を殺したのは二人の王子のどちらでもなく自分だった。お前達はそれにまんまと騙されて、ずっと身内同士で殺し合っていたんだ、って。


 あれはヴォルフが王を殺したって事を比喩的に記述してたんだと思ってたんだけど、結局どういう意味だったんだろう。


 王を殺したのはヴォルフだった?

 それとも、蜘蛛が王を殺したのか?


 蜘蛛って一体、何のことだろう。



「踊れ、踊れ。そのあがき、もっと儂に見せてみろ」



 しわがれた声が、どこからか聞こえてくる気がした。



***



 その日も、首都の外れにある剣闘場からは、激しい音が響いてきていた。


 そこはとにかく薄暗い。石造りの円形の空間では多くの剣士が腕を磨いていた。師も無く流派も無い流れ者ばかりで、荒くれやら野党やらと雑多な人間が集まっていた。管理されているのは出入り口のみ。だだっ広い剣闘場には本当に何もなく、あるのは壁や床に付いた鋭い切れ込みやへこみ、そして誰かの血の跡くらいだった。


 その一角では、今日も三人の女剣士が二対一の稽古を続けている。


 まだ少女のような年齢の赤と青の剣士。二人は模擬戦用の木製の剣で容赦なく相手に打ちかかっている。それを軽く捌いているのは金色の髪をした妙齢の女だ。横から、後ろから、間断なく続く攻めを子供のようにあしらっている。


 二人は決して弱くない。金髪が強過ぎたのだ。赤い剣士は狼のような俊敏さで鋭い一撃を繰り出し、青い剣士は木製の剣から謎の冷気や熱気を放っている。魔術の一種だろうか。


「おおぉあああああ!!」


 赤が攻めた。


 真正面、最短距離、両手持ちで上段から。馬鹿正直な一撃だ。力強い踏み込みから来る剣は、少女の物とは思えない速度と威力で正確に金髪の頭を捉える。しかし並みの剣士なら瞬殺出来るその一撃が、あっさり片手で止められた。


 だが今度は赤の背後に控えていた青い剣士が消える。瞬間移動でもしたかのように一瞬で金髪の左に回り込み剣を振り抜いた。金髪の左目は見えていない。死角を突いた攻撃だ。青は今度こそ勝ったと思った。


「!!」


 見えていない筈の、金の濁った左目がこっちを見ていた。

 死角を突く程度では無駄だと教えたろう、目がそう言っていた。


 一瞬だった。


 赤の剣が押さえられたまま青の剣が弾かれる。高速で剣を振り抜いている最中の青の手、そこを手刀で叩き落とされたのだ。青の剣が床に食い込むのと同時に、金は回転しながら赤の剣を捌き、その勢いのまま青の肩に蹴りを入れ、無防備になった赤の背中をトンと押す。


「わっ!」

「うっ!」


 大振りで体が崩れている所を上手に小突かれ、二人は同時に尻餅を着いた。一瞬の事で呆気に取られたが、見れば既に金髪は剣を鞘に収めている。実戦であれば倒れた隙に二人合わせて十回は死んでいただろう。


 力も抜け、二人は息も荒く倒れる。

 金髪の剣士だけは涼し気にしていた。


「くそ。ヴィッツ。敗因はなんだったと思う」

「リム姐が速過ぎんのよ!」


 冷静に振り返るテルルに対し、ヴィッツは元も子も無い文句を言った。事実その通りだが、無駄のないリメネスの動きからは学べる所が山程ある。首都に着いてからも「下準備」をエイセルに丸投げして剣の稽古しかしていない二人は、事実どんどん腕を上げていた。


 悔しそうに頭を掻きむしるヴィッツに、リメネスは無言で綺麗なハンカチを差し出す。転んだ拍子に掌を切っていたのだ。まったく良く見ている。


「べ、別に平気よ……」


 手加減された上に気遣いまでされて、バツの悪いやら恥ずかしいやらでヴィッツはそっぽを向いた。変わらぬ無表情のままだが、断られてリメネスは少しシュンとして見え、ヴィッツは受け取れば良かったと顔を赤らめている。テルルは座った眼のまま面白そうに二人を見ていた。


「立てこの野郎! もう一度だ!」


 向こうから煩い声が響いてきた。


「何、まだやってんの? あいつ」


 ヴィッツは鬱陶し気にそう言った。


 三人から離れた所では、エイセルとアレクが稽古をしているのだ。いや、あれは稽古とは呼べない。右腕が使えずやる気も無いエイセルに、アレクが一方的に挑みかかっているだけだ。アレクなど片手で倒せるだろうに、面倒臭いのかエイセルは本気のほの字も出していない。


「アレクもよく懲りないな。エイセルがどんな男かもう分かったろう」

「しつこいって言うのよ! リム姐も何とか言ってやってよ!」


 リメネスは無言で首を横に振る。誰が誰を弟子につけるか、決めるのはエイセルだと。リメネスはそもそもグラム王国の剣術指南だ。ゴルビガンドが王とジーギルにだけ剣を教えた一方で、彼女は王立騎士団全てに剣を仕込んできた。


 剣術は人を殺める術であり、生き方を決める術である。

 故にその教えには王さえも口を挟む事は許されない。

 それが彼女の、ナキア家の考えだった。


「アレク! いい加減にしなさい!」


 だがヴィッツは違う。大声で叫んだ。

 肩を怒らせて二人に近づく。


 エイセルは助かったといった顔で彼女を見る。向こうから愛想を尽かせてくれれば一番楽に逃げられると思い、エイセルはあからさまに手を抜いた。だがアレクはいつまで経ってもエイセルを諦めない。まったく自分の何処に目を付けたのか、おかげでとんだ長丁場だ。


 聞いてくれよと早速エイセルが泣き言を言おうとして、だがしかしヴィッツは再び怒鳴る。


「何でこんな奴に教えてもらおうとしてんのよ! 時間の無駄よ! やめなさい!」


 本当に泣いてやろうかとエイセルは思った。


「グラムの剣術が知りたければリム姐に訊けばいいじゃない!」

「俺はこいつに訊いてるんだ! リメネスなんて関係ねぇ!」

「こんなのに教わったって強くなれないわよ!」


 石造りの剣闘場中に二人の声は響いた。

 何だか仔犬の喧嘩のようだと、テルルはぼんやり二人を眺める。


「強くなれなくても何かは掴める。少なくとも、俺の剣とは全然違うしな……」

「無理矢理斬りこんでるのはその為? あっきれた。でもそれ、分かったつもりになってるだけじゃない?」


 リメネスからの受け売りだ。稽古でヴィッツが分かったと軽々しく口にすれば、では試してやろうとばかり叩きのめされる。曲がった方向に成長しそうになると、リメネスは即座に、そして文字通り叩き直すのだ。おかげで二人の成長も早い。


「……そうね」


 アレクはグラムの剣術が掴めるなどと言うが、恐らく全然分かってない。本来ならばエイセルがそれを正すべきだが、この駄目親父はそんな事しないだろう。誰かが早い内に正すべきである。誰がすべきか。


 自分だ。


「じゃあ試してあげるわ!」



***



 アレクは内心焦っていた。

 ここ最近、彼の性格に腕がついて来ないのだ。


 アレクは曲がった事が嫌いである。一度決めた事は譲らないし、邪魔をする物があれば斬り捨てる。口で言うのは簡単だが、無数の魔物が跋扈する大地においてアレクがそうして来れたのは偏に彼の実力の賜物であり、逆にその実力は彼の性格から来る当然の結果であった。


 一人で生きるためにアレクは強くなり。

 姉の仇を討つためにアレクは強くなった。


 だがその強さも頭打ちだった。


 モラルタの岩の獅子に、フレイネストの死体の巨人、彼は最近負け続けだ。アレクはそれが許せない。実際にはクライムのせいで別次元の化物ばかり相手にしている為なのだが、問題はアレクが苦渋を舐め続けている事にある。早急に解決すべき問題だった。


 そのため、エイセルの存在は願っても無いものだった。事実、彼は強かった。右腕が使えなくなっているにも関わらず底が見えない。エイセル自身にやる気が無い事が悩み所だったが、アレクは自分が強くなれる糸口を見つけたように思った。


 グラムの剣術。それは正規の修行を途中で打ち切ったアレクが終ぞ極める機会の無かった、大国で完成された剣術だ。要はアレクの腕が通用しなかった、より広い世界で通用している剣術なのだ。


 まだまだ上には上がいる。人間はここまで強くなれる。

 まだエイセルには遠く及ばないが、いずれ追いつける。

 アレクはそう思って彼を無理矢理付き合わせた。

 敵わなくても馬鹿にされても構わない。


 だが、それは結局の所エイセルが男で年上だったからだ。女の剣士、まして自分より年下の女に負ける事など、アレクは微塵も考えていなかった。


「どう? 分かってなかったでしょ?」


 アレクの自尊心は粉々に砕けた。

 剣を落とされ、膝を着かされた。

 はっきり言って、勝負にならなかったのだ。


 少女とは思えないほどの馬鹿力と身の軽さから来る変則的な動きに、アレクは全くついていけなかった。純粋な打ち合いだけならアレクに負けは無い。しかし、いかなる相手も打倒してきたアレクの一撃は、見た事も無い太刀筋で捌かれ、その実力の半分も生かせないままに倒されてしまったのだ。


「く……、そ……!!」


 息も絶え絶えに、アレクは歯噛みする。

 奥歯が砕けそうなほど歯噛みした。


 対してヴィッツは鼻が高い。この敗北を機にこいつも一皮剥けるだろうと、はっきり言っていい気になっていた。なったついでに当時の自分が感じた敗北の悔しさなどすっぽり頭から転げ落ち、倒れたアレクに追い打ちをかける。迂闊な追い打ちだった。


「ま、これを機会にあんたも特訓する事ね。大体エイセルなんかに教わっているあんたが、リム姐に教わっている私に勝てる訳ないじゃない」


 アレクは顔を上げる事も出来ないまま、離れる彼女を見送った。

 だが意気揚々と戻った先にはテルル一人。リメネスがいない。


「あれ? リム姐は?」

「帰った」

「はぁ? テルル! あんた何ぼーっとしてんのよ!」

「知るか。いつも終わったと思ったらいなくなるだろう」

「ほら急いで! 追うわよ!」

「それでいつも撒かれるんだがな」


 二人の少女が慌ただしく外へ走っていく。

 その間も、アレクは黙って下を向いていた。

 しばらくして、ふらりと、幽鬼の如く立ち上がる。


「……」


 迂闊な追い打ちはアレクの心に火を付けた。

 そして火が付いたのは、アレクだけではなかった。


「よぉ、やっぱ気が変わったわ」


 アレクの肩をエイセルが叩く。

 いつもとは違った雰囲気で。

 ヴィッツの後ろ姿を見ながら、ぼそっと呟いた。


「あいつ、潰すか」


 馬鹿にされるなどいつもの事だが、自分が、あくまで紛いなりにも、教え込んでいた男をコケにされた事でエイセルは柄にもないやる気を出していた。アレクは歯噛みした顎をこじ開けてそれに答える。


「ったりめーだ……」


 フェルディア歴千余年。

 王都ティグールの名も無き一角。

 ここに新たなる漢の絆が生まれた。


 それからと言うもの、仕事後の疲れなど吹き飛び、エイセルはアレクを厳しい稽古に付けた。人に教えた事など無いため出鱈目に厳しい突貫工事だ。ボロボロになってメイルの下宿に帰ったアレクは、皆が驚いた様子で事情を聞くのも無視して、床に倒れては泥の様に眠ったという。


 どこか、満足そうな顔で。



***



「ん、これも当たりだ」


 メイルに教わった店は外れが無いな。

 飯処、紅茶屋、肉屋、それにこのパン屋もだ。


 手荷物は一杯だったけど、店のおばさんにお金を払って僕は大きなパンを買った。ハムもバターもジャムも仕入れたから、帰ったらパンで挟んでみんなに配ろう。良い小麦を使っているのか柔らかい。おまけで貰った菓子パンをかじりながら、僕はおばさんに御礼を言って次の店に向かった。


 首都到着から数日。

 昼過ぎのティグールの街を、僕は一人で巡る。


 エイセルから渡された買い物用の覚書。メイルが元々かなり食べる上に、大飯食らいのレイ、修行で腹を空かせたアレクが加わって下宿の食料は三日で尽きた。それなのに今日はアレクが企画した飲み会がエイセル行きつけの店で開かれる予定だ。


 場所は貸して貰えるけど、酒は注文式で食事は自前。

 家に帰ったら僕が全部作らないと。


 エイセルはウィルから首都での活動資金の全てを預かっているらしく、幸いお金には困らない。ウィルのお金って言うと、彼の後ろ盾のトライバル議員、メイル曰く狸親父のお金か。


「今度会ったら、みんなで土下座しないとな……」


 勝手に動くなとフィンに厳命されて、今の僕はただのお手伝いだ。エイセルと一緒にご飯を作って、暇になれば街へお遣いに行く。みんなが何をしているのかは全然分からない。アルバの所へは昨日も行ったけど、結局何も教えて貰えないまま蜘蛛の嫌味に腹を立てて帰ってしまった。


 でもこうして外に出ているだけでも気分は晴れる。何せ下宿に居るとレイが迫ってきて落ち着かない。怪しい笑顔のまま後ろから抱き付いてきたり、下着姿のまま布団の中に潜り込んできたり、本当に朝から晩まで悪戯が続く。どうにかならないかとアルバに愚痴ったら、一言だった。


「さっさと押し倒せ」


 黙れ黙れ。あいつに聞いた僕が馬鹿だった。

 それに、悪戯だ。あれは絶対からかってる。

 だって笑顔がマキノと同じだ。

 僕は騙されない。

 騙されないぞ。


「言ったなこいつぅ!」

「やんのかぁ!?」


 道端では小さな子供が喧嘩をしていた。犬と一緒に散歩している人もいる。メイルの言う会談でのお迎え準備か、花を飾ったり敷石を新しくしたり、あちこちで街が祭りの準備をしている。


 そして本通りの中央にある見上げる程のヴェリア王の石像。石像は珍しく武器もない。メイルが言うには、王がまだ騎士だった頃に国を脅かす魔物を素手で倒した事があるらしく、像はその武勇伝を元に作ったらしい。今日も多くの人が祈りを捧げている。とても、真摯な表情で。


「……」


 どこか複雑な気分だ。


 僕はフェルディアが嫌いだ。でも僕が嫌いなのはあくまで国だ。フィンの言う通り、ここの人達は関係ない。みんな普通の、僕らと変わらぬ人達だ。そう考えるとひねくれた自分が恥ずかしくなる。街は今日も平和だった。


「テルル! そっちはどう!?」

「いないぞ。ほら。もう撒かれた」

「今日こそ逃がさないわ! もっと探して!」


 ヴィッツとテルルが元気に走っている。

 本当に、街は今日も平和だった。

 ……平和か? これ。


「そう言えば」


 荷物を抱えたまま、僕はなんとかズボンからメイルに貰った地図を取り出す。確かここにはメイルが見つけた猫の溜まり場があったはず。一度は行ってみたいと思ってたんだ、思い立った今がいい。僕は本通りから離れて脇道に入った。


 背の高い建物の間を縫うように続く道。

 少し薄暗くて、それでも立派に舗装されていた。


 少し歩くと、そこはすぐに見つかった。大きな建物に囲まれたちょっとした空き地だ。家を次々建てている間に、丁度隙間が出来てしまったんだろう。隣は金持ちの家なのか丈夫な塀が続いていて、適当に木が生えていたり敷石の隙間から草が出ていたり、隠れ家みたいな場所だった。


 そして、猫だ。

 猫たくさんいる。


 塀の上。木の上。根元の木陰。水溜まりの傍。本当に町中の猫がここに集まっているようだった。人の目が届かない所だからか、随分と皆のんびりしている。でも。


「……」


 そこには先客がいた。

 背の高い金髪の女性。

 しゃがみこんで遠目に猫を眺めている。


 そのままの体勢でジリジリと近づく。目標は塀の下でのんびり毛づくろいをしている白猫だ。女の人は少しずつ距離を詰めるけど、ある所でぴくっと猫が動き、途端にすっと立ち上がって逃げてしまった。女の人はガックリ項垂れる。


 黙って見ていたけど、その後も四回敗北。

 失敗、失敗、また失敗。この人、不器用だな。


 それでも果敢に挑戦する。今度の目標は塀の上の一際大きな茶色い猫。モフッと毛が長くて手足は完全に埋まっていた。女の人は全く動いていないようだったけど、今まで以上に慎重に距離を詰める。彼女は真剣な表情で猫の反応を伺う。もう少しだ。いけるかな。


「あー……」


 駄目だった。手が届く程の距離だったけど、ピクリと右手が動いた瞬間に猫はさっと女の人を見据える。筋一筋でも動かせばまた逃げられるだろう。間合いが詰められない。二人は目を合わせたまま、緊張した空気が流れる。剣を抜くか、抜かざるか。寄らば斬ると猫は訴える。


 っていうか、リメネスだ。

 何やってんだこの人。

 猫相手に。


 僕はここで通りからその場に歩み寄った。人慣れした猫達は傍を通っても逃げる様子はない。あの人は本人が緊張し過ぎているから駄目なんじゃないかな。


 全身から張り詰めた空気を出した彼女に、後ろから近寄り声をかける。


「あのー、そんなに緊張してたら猫だって……、ぐぇえええ!?」


 いきなり胸倉を掴まれて持ち上げられた!

 信じられない! 足が地面から離れてる!

 動きが全く見えなかった!

 って言うか息詰る!

 死ぬ!


『っ……!』


 顔を真っ赤にしたリメネス。集中し過ぎて僕に全く気付かなかったみたいだ。相変わらず喋らないまま、片手で僕を掴み上げたまま素早く左右を確認する。「僕しかいませんから」、と言おうにも声が出ない。


 真っ赤のまま彼女が剣を抜いた。

 見られた、もう殺すしかない。

 そう語る眼は本気だった。

 まずい。本当に殺される。


 助けてメイル!

 アレクー!


『?』


 塀の上の猫が急に顔を近づけて来た。


 塀から身を乗り出すようにして匂いを嗅いでいる。もうすぐそこに猫の顔があった。そこで彼女が驚いて僕を離した。ようやく地面に足が付いて息が戻る。死ぬかと思った。


 リメネスはと言えば剣を抜いて僕を掴んでいた体勢からピクリとも動けずにいた。かつてない程猫が近くにいて凄い触りたそうにしてるけど、猫は彼女を無視して僕の方を向いている。何の匂いを嗅いでるんだろう。いや、もしかして。


 僕は荷物の袋からジャムの瓶を取り出す。

 猫は僕ではなく瓶の方を見た。これか。


「あ、あの、リメネスさん」


 僕はジャムの蓋を開けて、思い付きの提案をしてみた。

 彼女は小首をかしげる。


「もしかしたら、なんですけど」


 剣を収めて落ち着かせた後、彼女の人差し指にジャムを塗る。

 瓶をしまうと猫は彼女の方を向いた。今度は彼女がビクッとする。


 震える指を猫に近づける。

 ごくっと喉が鳴る。

 猫は座った眼で彼女を見た。


 そして、とうとう、その指をぺろっと舐めた。


『……!』


 リメネスは猫が右手のジャムを舐めている間、左手で猫を撫でる。感極まった顔だ。そして猫がジャムを舐め終えると、ゆっくりと、両手で猫を抱き上げる。猫は憮然とした表情で彼女を見るけど、特に逃げる様子も無かった。それを確認すると彼女は、ふわっと、猫を抱きしめた。


 それにしても上手くいくもんだ。この猫、相当の甘党だな。

 抱きしめられたまま猫が僕を見る。ハメたな、そう目が言っていた。

 リメネスは猫を抱きしめたまま、優しく頭を撫でたりしていた。

 

 ふと、猫を抱いたまま、彼女がこっちを向いた。


『……ありがとう』

「え?」


 その口から漏れたのは、不思議な音だった。


 ガラスの容器に風を通したような、金属の楽器から出る反響のような不思議な音。人の声じゃない。声の響きを真似ただけの別の音。彼女が喋ったのは初めて聞いたけど、今のが、彼女の声なんだろうか。


 そのまま彼女はちょっと僕に会釈すると、猫を抱えたままその場を去った。髪飾りがチリンと鈴の様な音を立てる。僕は少し呆然としていたけど、何だか良い事をした気分で空き地を離れた。


「クライム! いい所にいたわ!」


 再び本通りに出た所でいきなりヴィッツに鉢合わせた。

 テルルも一緒だけど、もしかしてこの二人、今までずっと走ってたのか?


「あんたこの辺でリム姐を見なかった?」

「確かにここに来ていたはずなんだ」


 ああ、二人共リメネスを探してたのか。

 僕は何の気なしに彼女が歩いていった方を指す。


「ああ、多分あっちの方へ、」

「あっちね! 分かったわ!」


 僕の言葉が終わる前に、二人は走り出した。


 目まぐるしいな。っていうか二人共剣を持ってるけど、何しに彼女を探してたんだろ。折角猫が懐いてくれたんだし、物騒な事にならなきゃいいけど。と、思ったら通りの反対側から二人分の悲鳴が聞こえた。問題は、無かったみたいだ。


 街は今日も、平和だった。

 さて、僕は料理だ。さっさと帰らないと。



***



 日が落ちて、街に柔らかい灯がともる。


 その日の夜も、首都繁華街のとある酒屋は大勢の男達が押し掛けていた。

 そしてその中でも十人程の人間が一際煩く騒いでいる。


「クライム! お酒追加ね!」

「俺も追加だ! 負けてられっか!」

「シルヴィイイイイイイイ!」

「あーもー分かったって。いいから涙拭きなよ」


 笑う仔山羊亭。広い酒屋だった。


 エイセルが見つけたその酒屋は商館並みに大きく、百人近い人間が入っても余裕がある。倉庫を改築した造りなのか、だだっ広い吹き抜け構造に取って付けたような二階席があった。天井からは沢山のランプが吊るされてとても明るい。貸し切りでもなく一般客も多いその店で、一行はひたすら飲んで食べた。


「全くいい気なもんだよ。人の気も知らないで」


 フィンは一人文句を言う。団体行動と言うものを知らない首都の面々を集めるのに、随分前から飛び回ってクタクタなのだ。やる気があるのか、こいつらは。


 まずクライムだ。


 余計な寄り道をしたとかで帰りは遅く、買い出しを終えた頃にはすっかり日も暮れていた。十人分近い料理を一人で作る為、家に帰るが早いか下宿の厨房を占領し、死にもの狂いで格闘し始めた。焦るくらいならさっさと帰って来ればと言いたいが、旅好きのクライムに言っても聞きやしない。放ってフィンは皆を探しに行った。


 最初に見つかったのはアレク達だ。


 剣闘場で死んでいた。話を聞くと、どうあってもリメネスに勝てない事に業を煮やして、計画的な奇襲をかけたそうだ。アレクが遅効性の毒を盛り、テルルが魔法でリメネスの剣を凍りつかせ、ヴィッツが甘い声で誘い出し、油断させた所を三人掛かりで襲い掛かった。そして返り討ちにされた。馬鹿かあんたらと一蹴してフィンは次へ向かう。


 次にリメネスが見つかった。


 街の中心近く、噴水のある広間の一角で優雅に紅茶を飲んでいた。何故かその膝では猫が丸くなっている。動物の言葉がある程度分かるフィンが訊ねると、猫は騙されたのだと事情を話す。全て察した。クライムだ。痛い頭を押さえながら集合場所だけ伝えると、フィンは再び次へ向かう。


 メイルとエイセルは王宮だった。


 遅くまで何をしているかと聞けば、またしてもカトルだった。しかもあの冬の魔法使いを倒したのだと言う。エイセルが作戦を練り、スローンが冬の癖を教え、メイルが盤石の態勢で冬に挑み、そして勝利した。敗北して悔しがる冬をネタに二人は楽しそうに話しまくっていた。お疲れさんと一言かけてフィンは最後にレイを探す。


 案の定レイは全く見つからなかった。


 首都から逃げたのかとも一瞬考えたが、結局見つからないまま下宿に戻る。直後、後ろで誰かが噴き出した。レイだ。このお姫様はフィンが皆を探しているのを最初に見かけ、今までずっとつけていたのだ。ばれないように魔法まで使って。フィンが怒る間も無くレイは笑いながらあっさり謝り、クライムを手伝い料理を作った。


 完成したのはギリギリだった。

 三人が店へ向かうと、そこには皆が揃っていた。


「へー、じゃあエイセルは今、シルヴィア、さん? とは別居してるんだ」


 クライムは林檎酒を片手にヴィッツやテルルと話していた。その隣ではエイセルが突っ伏している。クライムの隣ではメイルが美味しそうに強めの酒を飲んでいた。ドワーフと言いリュカルと言い、地中の種族は揃いも揃って酒に強い。


「そ。こいつヴィア姐がいると骨抜きになって使い物にならないから」

「シルヴィア本人に言われたそうだ。しばらく家には戻って来るなと」

「俺がどれだけシルヴィと寝てないと思ってんだぁあああああ!」


 エイセルは既に酔っぱらっていた。泣き上戸である。

 少女二人は毛虫でも見るかの様な目で椅子ごと離れた。


「サイッテー」

「死ね。エイセル」


 みるみる株の下がるエイセルをなんとか持ち上げようとクライムは会話を続ける。


「き、騎士同士で結婚なんて珍しいね。エイセルも頑張ったんだ」

「いーえ。こいつがだらしないから、あたし達がくっ付けたのよ」

「年上相手とは言え、食事に誘わせるだけでどれだけかかったか」

「今思えばヴィア姐もよく受けたわよね」

「私達が仕組んだとは言え、人の好みは分からん」


 上がるどころかまた下がる。クライムは諦めて一口飲んだ。

 代わりにメイルが加わった。


「でもエイセルって気付いたら仕事終わらせてるんだよね。余った時間でひたすらフラフラしてるけど、あのスローンだってその点は文句も付けないし」

「僕には不思議だけどな。対極的なあの二人が同じ所にいて、よく喧嘩の一つも起こらないよ」

「起こってるよ! エイセルってば夜な夜なアレクと、その、色街に行ってるから、その度にスローンに呼び出されて散々怒鳴られるんだ! 宮殿中に聞こえてるんじゃないかって声でさ!」

「色……、エイセル、シルヴィアさんはどうしたの」

「死ね」


 再びテルルが唸る。だが返答は無い。

 エイセルは突っ伏したまま、大きなイビキを掻いていた。


 スローンの名が出て来てメイルの話は一気に脱線する。この間も駄目出しされた、この間も理不尽に怒られた。そう文句を言っては景気よく酒を飲む。人間と違って彼女の種族は子供の頃から嗜むらしいが、饒舌なこの様子は酔っているのか、いないのか。クライムがその口元を拭くのも構わずメイルの話は止まらない。


「次持ってこーい!!」


 歓声と共に向こうから声がする。

 多くの男達が長テーブルを囲んでいた。


 テーブルの上ではレイとアレク、二人が向かい合わせに立っている。アレクはもう辛そうだが、レイはまだまだ元気そうだ。二人は口を手で拭って、持っていたジョッキを観客に返し、代わりになみなみと注がれた新たなジョッキが二人に渡された。ガンとそれが突き合わされると、二人は一気に中身を煽る。


「おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 景気良く喉が鳴り、プハッと同時に飲み終わった。再びジョッキは新しい物と取り換えられるが、見れば飲み終わった物は二人の足元に丁寧に並べられていた。既に八個。二人は九個目に手をかける。だがアレクはもう立っている事も難しそうだ。ガンと二つが突き合わされ、二人は一気に中身を煽る。


 レイは順調だ。しかしアレクは遅い。その口から酒が零れ始める。そしてアレクはとうとう天を仰ぐ体勢のままひっくり返った。ジョッキが吹っ飛んでレイは頭から酒を被るが、気にせずプハッと飲み切った。倒れたアレクは男達が受け止め、勝利の一礼をするレイに再び歓声が上がる。


 クライム達はそれを遠目に眺めていた。


「馬鹿だなアレク。レイに敵うはずがないじゃないか」

「そうよね。彼女、勝負を始める前に樽ごと一気飲みしてたわよ」

「樽?」

「樽よ」


 そう言ってヴィッツは壁際にある大樽を指す。メイルどころかクライムがすっぽり入る大きさ、それが二つも並んでいる。両方共カラだ。クライムは頭を抱える。


「魔族ってどこまで滅茶苦茶なんだ。ヴォルフが強いのも納得だよ」

「だがリメネスなら良い勝負になるかもしれないぞ? 私達も彼女が潰れた所など見た事がない」


 テルルの言葉にクライムが見ると、リメネスは部屋の隅で連れて来た猫を撫でつつ黙々と酒を飲んでいた。飲み切ると追加の注文をするが、さっきも注文していた。その前も確か注文していた気がする、と思っている内にまた注文した。相変わらず顔色一つ変わらない。


「本当に、人は見かけによらないな……」

「まぁ、彼女は呪い持ちだからな。どれだけ飲んでも死にはしない」

「呪い? そう言えば、なんか左目が変だったね」

「見えてないのよ、あの左。あと声も出せないらしいわ」

「私達も良くは知らないが、練習して声らしい物は出せるようになったらしい」


 それが昼に聞いたあの音か、とクライムは少し納得するが、違う。

 そんな強さの話をしているんじゃない。

 絶対に力の使い所が違う。


「おー! いいものあるじゃない!」


 そうかと思えばまたしても向こうからレイの声がする。

 カウンター近くにある幾つもの太鼓を楽しそうに叩いていた。


 見れば酒で濡れた服は着替えていた。酒屋の親父に借りたのか、店員が来ている物と同じ服。長いスカートにエプロンを合わせた単純な作りで、ものは次いでとコルセットや三角巾まで付けていた。くるりと回ると、スカートがふわっと広がる。


 クライムの持っていたコップが。

 落ちた。




「……サラ?」




 中身が零れて酒が床に広がる。

 レイを見たまま固まっていた。

 落としたコップもそのままに。

 目を見開いて彼女を見つめる。


 ヴィッツは気にせずコップを拾って机に戻した。


「クライム、どうかした?」

「……あ、いや別に。驚いただけだよ」

「ふふん。あの子可愛いもんね。あんたも単純だ」

「別に。そんなんじゃないよ」


 レイは太鼓で遊ぶついでにメイルを呼んだ。するとメイルは喜んで走って行き、何故かその後ろからは、いつの間に起きたのかエイセルもちゃっかりついて来た。


「凄い凄い! これドワーフの木太鼓だ!」

「楽しいわよ! メイル叩ける!?」

「任せてよ!」


 そう言ってメイルは慣れた手付きポコポコ叩き始める。エイセルはと言えば店の親父と何やら話し、奥からギターを片手にやってきた。そのままメイルの隣に座ると太鼓に合わせて掻き鳴らし始める。


「嬢ちゃん! あれ知ってるか、エレインテール!」

「知ってる! 叩けるよ!」

「私歌うわ! さっき街で聞いた!」

「後は笛がいるな。誰か吹けないか!?」

「クライム! こっちこっち!」


 カウンター前で盛り上がった三人が早く早くとクライムを誘う。

 男達は自然とそれを中心に集まり始めていた。

 ヴィッツが意外そうにクライムを見た。


「へぇ、あんた笛吹けんの?」

「少しだけだよ。エレインテールなんて出来るかな。あれ、結構速いんだよな」


 北方地方では有名な一曲だ。旅芸人が好んで演奏する大衆向けの曲。クライムは文句を言いながらもコップを煽るとそこに加わる。店の親父から渡されたのは縦長の古い笛で、クライムは感触を確かめつつ試しに最初の旋律を吹いた。途端レイが文句を言う。


「違う違う! もっと速い方がいいわ!」

「いや、もっと遅い方が普通だろ!」


 レイとエイセルはてんでバラバラに曲を始めようとする。クライムがどっちに合わせようか迷っていると、メイルがいきなりポコポコ叩き出す。酔っているのかやたらと速い。男達が勝手に盛り上がりレイが目を輝かせるが、クライムとエイセルは揃って慌てた。


「ちょっ! メイル!」

「おいおい! こんなに速い曲だったかぁ!?」

「クライム主題から! 最初とばすわよ! おっちゃん、合わせて!」

「お兄さんだ!」


 そう言ってレイはぴょんとカウンターに飛び乗る。曲が止まらなくて二人は慌てて楽器を構えた。レイの合図と共に男達はコップを高く掲げ、エイセルがギターを思い切り鳴らした。レイはすぅっと、息を吸う。


 酒場に、美しい歌声が響いた。 


 それは歌劇場の歌姫を思わせる自信に溢れた声だった。圧倒的な声量で響き渡るレイの歌で、店は更なる盛り上がりを見せた。ヴィッツとテルルがほうっと息を吐き、リメネスがコップを持つ手を止め、フィンも振り向き、死んでいたアレクは蘇った。


 私は離れの酒屋の娘。

 親もいないし男もいない。

 それでも歌えばみんなが笑う。


 奇しくも今の状況そのままの歌詞だった。第一番が終わると万雷の拍手の中でレイは優雅にお辞儀した。間奏の間も三人は楽しそうに演奏し、二番に入るとレイはまた朗々とした調子で歌い始める。男達は立ち上がり、二人一組が幾つも出来て踊り始める。男女の組が普通だが、楽しければなんでもいい。


「ヴィッツ! 立てこの野郎!」

「はぁ!? あたしはいいって!」


 アレクが笑いながらヴィッツを無理矢理引っ張った。隣ではテルル相手にリメネスが片膝をつき、王女を誘う騎士さながらに片手を差し出していた。その姿が余りに様になっていて、女同士だと言うのにテルルは赤面する。溜息をついてその手を取ると、二人は同じく踊りの中に加わった。


 カウンターの上でレイは歌いながらクルクル回る。

 曲の速さにも慣れて、クライムも楽しそうに吹いている。

 彼等の周りでは多くの男達が相手を変えては踊っていた。


「あ、あたしは踊れないのよ!」

「俺に合わせろ! 適当でいい!」

「リメネス。いつも思うが、早く相手を見つけろ」

『そんな物好き早々いないさ。今は、お前達が居てくれれば良い』


 仕事の疲れも旅の疲れも、その場の熱気でどこか遠くへ吹き飛んだ。クライムも息が続く限り演奏を続け、今は無邪気に笑っていた。不安も悩みも消え、ただただ今が楽しくて仕方ない。


 曲が終わっても、その店から光が消える事は無かった。

 いつまでもいつまでも、皆の笑い声が聞こえてくる。


 ティグールの夜は更けていく。


 地平線の下ではまた新たな太陽が、輝く出番を待っていた。



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