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変わり者の物語  作者: あなぐま
第2章 北の大地
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第24話 拝啓、山猫騎士団の皆々様へ

「あっきれた! 助けてもらっておいて殴るってどういう訳!?」

「所詮女には分かんねーんだ! 部外者は黙ってろ!」

「おあいにく様! 私は一方的に言い負かされるほど慎ましくないわよ!」


 ああ、もう、いつまで喧嘩しているんだ。右からアレクが、左からレイが怒鳴りってきて埒が明かない。でも迷路さながらのこんな岩の山脈じゃ声も響くし。


「二人共、声大きい。折角逃げ切ったのに追手に気付かれちゃうよ」

「クライムも何で平然としてるのよ! 君も一緒に怒りなさい!」

「大体てめぇが情けねぇ顔してるからだろが!」


 取りつく島も無い。


 そう言えばこの二人の仲って、ショーロの村でレイがアレクをぶん殴ってから始まったんだっけ。以来どうにも気が合わないけど。こうして顔を合わせるともう凄い。翼の魔物との闘いで余計な横槍を入れたとアレクが愚痴り、レイが反論、アレクが逆切れ。もう手の付けようがない。


 仕舞にはフレイネストでの清算をとアレクが僕を殴った事まで話は発展し、なんかもう収集が付かない。よくもここまで喧嘩のネタが尽きないもんだ。仲が良いのか、悪いのか。


 でもヴォルフの追手から必死に逃げてる最中なのに、なんだろう、この賑やかさは。僕が巨人と駆け回っていた時なんて息が詰まるほど静かだったのに、アレクとレイは疲れる様子も無くギャーギャー騒いで止まらない。何と言うか。


「……戻って来たんだな、僕は」



 ヴォルフの城を脱出して西へ三日。

 僕らはフェルディア中心部に向けてひたすら走った。


 城の封印が生きているせいか鋼の軍隊が追って来る事はなかった。でも問題は逆だった。片っ端から待ち構えられていたんだ。


 初日だった。荒れ果てた平野で突然空から甲高い声がしたと思ったら、漆黒の鱗を持ったドラゴンが襲って来た。口から毒を撒き散らし、アレクが斬れば傷口からも毒の血が溢れ出した。ドラゴンが力尽きる頃にはアレクの剣は溶けて使い物にならなくなっていた。


 その夜の事だ。休む所は無いかと暗い森の中に逃げ込んだら、蜘蛛の大群に囲まれた。人の頭に獣の眼を持った大きな蜘蛛だ。マキノが即席で作った松明で威嚇してどうにか森を抜ける。暗い所を離れられないのか、朝が来ると群れは森の中に逃げていった。


 アレクが駒音を探り、レイが女の勘で進路を変え、僕らは滅茶苦茶な方向に進んで王都を目指した。命からがら転がり込むようにこの岩の山脈に入ってからは、追手も減ったし少しは落ちついた。


 落ちついたと思った頃だ。


「クライムも何でこんな臭い顔を真似たのよ!」

「俺が知るか! お前に受けようとは思ってねぇよ!」

「でもアレクは結構モテますよ? 遊び慣れてますし」

「最低! 近寄らないで! 不潔だわ! あと臭い!」

「誰が近寄るか! 臭いのはてめぇの方だろこの引き籠りが!」


 マキノ、さりげなく喧嘩を煽らないでくれないかな。


「おや?」

「あら?」

「あぁ?」


 急に三人がピタリと止まる。遅れて僕も気付いた。敵だ。


 三人の連携は完璧だった。マキノが優位な立地を素早く確保すると、レイはけたたましく笑いながら魔法を雨霰と叩き付ける。弱った敵をアレクが仕留め、倒した後はマキノの餌食。僕の出番、全く無い。


 レイはとても楽しそうだ。太陽も月も、花も虫も、全てに対して子供のように喜んでいた。敵が来る度に数百年分の鬱憤をかなり荒っぽく発散させてるけど、それはそれで楽しそうだ。


 レイの笑顔を見ていると、僕も少しは報われる。僕も、とても嬉しかった。フレイネストでみんなと別れた時、もう会う事は無いと思っていた。フィンとの約束もあったけど、それも叶わないかも知れないと思っていた。


 でもアレクとマキノは僕を助けに来てくれた。当然のように僕の命を救ってくれた。そして当たり前のように、またみんなと歩いている。


 故郷の仲間を探し出し、失くした顔を取り戻す。それが僕の全てだった。

 失った物は戻らない。どんな物にも代えは無い。


 でも。

 目の前を歩く僕の仲間。

 僕を引っ張る、強い光。


 それは故郷の代わりなんかじゃない。まだ名前も分からない、別の物だ。この熱さを何と呼べばいいんだろう。僕なんかにも分かるだろうか。いつか僕も、彼らみたいに、誰かの為の光になれるんだろうか。



 翌朝。


 岩の山脈の端に位置する一際高くなった場所から、百近い鳥が一斉に羽ばたいた。マキノの手紙を携えた本命が数羽、それを守る為の目晦ましが数十羽。レイの救出、魔族の動き、そして城の位置などを各地の仲間に伝える為だ。


 朝焼けを受けてキラキラと輝く鳥達が、フェルディア中に散っていく。メイルが、ウィルが、リューロンが、ジーギルが、その報を受けて本格的に動き出すんだ。孤独だった旅はもう終わりだ。これからはまた、みんなで協力していく事になる。


 遠くでレイが早く早くと手を振っていた。険しい坂道の先では岩の山脈が途切れ、緑豊かな大地が広がっている。そこからは人のざわめきや生き物の息遣いが聞こえてきていた。


 街は、もうすぐそこだった。



***



「フィン! フィンったら!」


 王都ティグールの中心部。フェルディア王の住まう王宮の一角で、メイルはバタバタと大慌てで部屋に飛び込んだ。腕にはでっぷりとした茶色い鳩を抱えている。


 書類が山のように積み重なった狭苦しい部屋では、エイセルが机に脚を乗せて大イビキをかき、その横でフィンが様々な書類を読んでは捨ててを繰り返していた。扉の向こうからは、行き交う王宮の役人達が何事かと通りがかりに様子を見ていた。フィンはとても面倒くさそうにメイルを見る。


「メイル、騒がしいよ。一体どうしたのさ」

「手紙だよ!」


 そう言ってメイルは息を切らしながら握りしめていた手紙を突き出した。ガタッと身ぶるいしてエイセルが起きる。鳩はようやく解放されて、部屋で一番高い所へ飛び移った。


「マキノからの手紙! 助かったんだよ! クライムも! レイも! 今三人でこっちに向かってるって!」

「ほ、助かったのか。もうちょっと頭を冷やしてればよかったのにさ」

「えー! フィン冷たい!」


 冷たい冷たいと連呼しながら、メイルは八つ当たりにエイセルに抱きついて揺すりまくる。寝ぼけたエイセルは揺すられるままだ。話も見えないまま座った眼で、やめろ後十年したら相手してやる、と一人ごちた。フィンは黙って手紙を広げる。


「……本当に助かるとはね。悪運の強い奴だよ」


 誰にも聞こえないような小ささで、そんな言葉が口から洩れる。一方で鳩は、手紙を運んだのに餌はあたらないのかと、しきりに辺りを漁り始めた。


「ああ、でも良かった、良かったよ。あんまりにも連絡が遅いから、何かあったのかと思ってた」

「そりゃあ何かはあったさ。ありまくりだよ。それよりさっき三人が向かってるって。ひょっとしてマキノはまた別行動かい?」

「うん。ウィル、それにナルウィやリューロンと合流して別行動を取るんだって。人を探してくるとか言ってたけど、やっぱり冬が陣取ってる首都には、今でも入り辛いのかな」

「おいおい、この城って……。おいおいおい」


 すっかり目が覚めたエイセルは、手紙を読みながら苦笑いしていた。手紙は左手で持っている。白夜の間で冬の魔法使いにやられた右は、まだ上手く動かないのだ。しかし魔法使いに喧嘩を売って命を拾ったというだけでも称賛ものだ。見逃されたのも、たまたまだ。


 しかし、冬の魔法使い。

 思い出したようにフィンは口を開いた。


「ところでメイル、魔法使いとの約束の時間、もうすぐだよ」

「あー!!!」


 メイルは抱きついていたエイセルを突き飛ばすと、真っ青な顔で叫んだ。

 吹っ飛んだ手紙はフィンが捕まえる。


 あの後、メイルは完全に冬の魔法使いに目を付けられた。魔法使いの言葉通りに後日お遊戯、カトルで懲らしめられる羽目になったのだ。それ以来メイルは定期的に冬の相手をさせられる流れになっている。どこへ逃げても工房の魔法使いが代理で呼びに来る。


 迷惑以外の何物でもない。気に入らない事は無視する癖に、完璧に勝つまで勝負を続ける。子供のメイルから見てもあの魔法使いは大人気ない。


「ご、ごめん、ボクもう行くね!」


 故にすっぽかすなど出来ようはずも無い。

 性格に問題があり過ぎる現行最強だった。

 そも、大人とは何か。メイルはますます分からなくなった。


「ま、待て待て、俺も行く。今度はどっちが勝つか、仕事仲間と賭けてんだ」

「じゃあ僕はここで待っているから」

「まぁそうつれない事言うなよ大将」


 メイルは大慌てで部屋を後にし、エイセルはフィンの後ろ首を掴んだままそれに続いた。首を掴まれたままにフィンは手紙を読み続ける。文面に嘘が無ければ、この不本意な扱いもようやく終わりだ。 


「……」


 クライムがやって来る。

 厄介事を引き連れて。

 また波乱を巻き起こしに。



***



「そうか、無事に脱出できたか」


 首都から遠く離れたとある平野で、ウィルは楽しそうに手紙を読んでいた。その肩には小柄な鷹が、まるで従者のような顔で留まっている。


 岩が突き出し地面が波打つ険しい平野だ。左手に街が、右手には森が見えている。そこでウィルは手紙の内容にほっと一息、胸を撫で下ろしていた。待ちに待った手紙だった。


 フレイネストでクライムが行方不明になったと聞いた時は、それこそすぐにでも駆けつけようかと思ったものだ。故国の為ではなく、かけがえのない友人の為に。だが思い止まった。マキノに言われたからだ。やるべき事があるでしょうと。


「やるべき事、か」


 そうウィルは呟く。近頃ずっと、昔の教えが思い出されるからだ。

 いいですか、ウィル。そう声がする。


 剣士は常に自由でありなさい。人の手に余る物に無闇に手を出してはいけません。私はあなたを不幸にする為に、その剣を与えたのではありません。あなたには、幸せになって欲しいのです。 


「先生、怒るかな……」

「どうかした?」


 女の声に顔を上げる。


 丘を越えて街から歩いて来ていたのは黒い女だった。肩まで伸びた黒い髪。堅苦しい黒い祭服。そして腰からは黒い剣。山猫屋で初めて出会った時と何も変わらない。その様子はさながら影か何かが動いているようだ。ウィルは手紙をしまう。


「やあ、ナルウィ。街の様子はどうだった?」

「駄目。昔はここにも魔法使いが住んでいたらしいけれど、もう十年も前に去ったって」

「そうか……。いや、でもとにかくお疲れ様」


 ナルウィはウィルの隣まで来ると、ふっと溜息をついて顔にかかった髪を掻き分けた。


「旧大戦でヴォルフの城を封印した八人の魔法使い。一体どれだけ前の話か知らないけれど、キミは本当にまだ生きていると思っている?」

「どうだろうね。でもティグールにいる冬の魔法使いも百は軽く超えていると聞くし、生きていても不思議は無いとは思っているよ。これもあくまで、マキノの推測だけどね」

「魔法使いなんて所詮は信仰も無い生き物。先はまだ長いか……。ところでリューロンは? 一緒に待っていたんじゃなかったの?」


 ああ、と気まずそうにウィルは視線を泳がせる。それでナルウィは察した。

 その時、鷹がビクッと体を震わせて森の奥を睨みつけた。


 視線の先、森の暗闇からゆっくりと姿を現したのは一人の大男だった。男を目にした途端、鷹は本能的にバッとウィルから飛び立った。


 背の高い男だった。縛られた草色の髪が腰まで伸びている。服は擦り切れて泥だらけ、マントは適当に肩に掛けられている。男は裸足で、そして森の中で何があったのか、その両腕は真っ赤な血で濡れていた。


 ナルウィの双眸が細まる。


「……リューロン、またやったのか。無闇に森の生き物を殺すなと、何度言ったら分かるんだ」

「お前の帰りが遅いからだ。パンなんて腹の足しにもならない」

「で、キミは今度は何を喰べてきたんだ」

「鹿が見当たらなかったから、適当に熊を一頭」


 兎、鹿、狐と来てとうとう熊。


 ウィルもリューロンの狩りは何度も見たが、今回は耳を疑う話だ。素手で熊を倒して、しかもそれを平らげた? 単に腹が減ったからと言う理由で? ウィルは今度こそ彼の正体を訊こうと口を開いたが、それよりも早くナルウィが彼を殴り倒した。


「ウィル。悪いけれどもう少し待っていて。簡単に弔ってくる」

「あ、ああ……」


 倒れたリューロンを塵を見るような目で見下すと、ナルウィは懐から小さな聖書を取り出して森の中に消えていった。リューロンは地面にめり込んだままピクリとも動かない。


「やれやれ」


 山猫騎士団が解散したにも関わらず、彼らはこの無謀な旅に付き合ってくれている。しかしこれからの事を考えると頭が痛い。マキノが合流すれば少しは変わると思いたいが、あの胡散臭い笑顔を思い出すと、何故だか頭痛が酷くなる。


 だが。


「ウィリアム。違う土地の匂いがする。手紙か?」


 突っ伏したままリューロンが訊ねた。


 だが。

 彼等といて心が休まる事も少ないが、それ以上に楽しくて仕方ない。

 何より、負ける気がしない。


 ウィルはリューロンに手を貸して立たせ、そして手紙を取って見せた。

 自然とその顔に笑みが浮かぶ。


「マキノからだよ」



***



「その内容は? 団長」

「レイの救出に成功したらしい。思ったより早かったな」


 フェルディアの最西部に位置する小さな村。疲れた顔で目の下に深い隈を作ったジーギルの頭には、立派なシマフクロウが留まっていた。何を思ってか無心にその頭を踏みしめているが、彼は気にする様子もない。


 魔物達の悲鳴が響き渡る中、ジーギルとゴルビガンドが何でもないかのように話をしていた。

 その向こうではリメネスが金色の髪をなびかせて、押し寄せる魔物を一人で圧倒している。

 その三人を更に遠巻きにして、避難した村人達はこの異様な光景を唖然として見ていた。


 数日前からこの村を襲って来ていたのは、フレイネストを襲った死体狩りの生き残り達だった。要塞の街を撤退した百を超える魔物達は、巨人が倒されて以降もあの悪夢の夜を再現し続けていた。クライム達の与り知らない場所で、災禍の残り火はじわじわと広がっていたのだ。


 それを、リメネスがたった一人で駆逐していた。


 その動きはまるで剣舞のように美しく、剣を一振りする度に髪飾りが鈴の様な音を立てていた。魔物達はその舞いに巻き込まれるかのように次々と血飛沫を上げて倒れていく。


 フクロウはひたすらジーギルの頭を踏む。

 ゴルビガンドは渡された手紙に目を通すと、地響きのように低い声で唸った。


「とうとう黒の城まで見つけるとは、やはりあの魔術師はあなどれませんな」

「この手紙はウィルにも届いているのだろうな。本来なら私達が彼らを手伝うのもやぶさかではないが……」

「しかし王命はあくまでフェルディアの無力化なのでしょう。時に、エイセルからの報告は?」


 遠くの村人は少しずつざわめき始めていた。


 あの疲れた顔の黒髪の男は、こんな時に一体何を話しこんでいる?

 あの岩のような大男は、何を呑気に手紙を読んでいる?

 あの剣士の姿をした無口な女は、本当に人間なのか?


 今や通りすがりの傭兵だなんて話はとても信じられない。もしかしたら、自分達はとんでもない化物に助けを求めたのか。


「奴の方は順調だ。冬の魔法使いの防衛さえ攻略出来ればガレノールの首は取れるだろう。問題はフェルディアに巣食うヴォルフ一派の存在を知らせて、我々の王がどう反応するか」

「団長の話なら王も取り合ってくれるでしょう。実際、このまま対フェルディアにのみ焦点を絞っていると、ウィルやマキノとの摩擦は避けられない。最悪、剣を交える事にもなりえます」

「お前が出張った方が奴も耳を傾けるだろうが……」


 立場をはっきりさせる為と、ゴルビガンドは自らを部下と割り切っている。だがこの大男の前では、ジーギルも王も頭が上がらない。溜息と共にジーギルは言葉を続ける。


「それに事は複雑だ。伝説にある魔法使いの封印。手紙通りそれが本当に弱まっているなら、この村のような魔物達の動きは増え広がる一方だ。岩のドラゴンが北に再来する可能性さえ現実味を帯びてくる」


 ジーギルは頭上のフクロウを目の前に抱えて顔を合わせ、独り言のように問う。


「どうしたものかな」


 ホウと一声、返事が来る。フクロウは今度はゴルビガンドの頭に飛び乗った。そこが自分の定位置だと言わんばかりだ。


 遠くで最後の一体が倒れ、魔物の悲鳴が止んだ。


 山の様な死体を踏み越えてリメネスが戻って来る。傷一つ負わず、汗一つかかず、息一つ乱していない。小さな紙で剣に付いた血を拭き取ると、それを捨ててゆっくり剣を収めた。


「御苦労。怪我はないか」


 無言で頷く。そして結局どういう話に落ち着いたのかと、やはり無言で手紙を指した。


「動く。私とゴルビガンドは予定通り国境の部隊と合流するが、リメネス。お前はティグールに向かえ。お前の足ならクライム達より早く到着できるだろう」

「ヴィッツとテルルもいるでしょうに、念には念をと言う事ですかな。一方で我々はまた軍に逆戻り。リメネス、あなたが少し羨ましい」

「そうなるな。苦労ばかりかける」


 リメネスは肩をすくめた。


 苦労も何も今更だった。思えばフェイルノートの村でフェルディアの騎士と鉢合わせた時から、そしてあの変わり者達と出会った時から、全ての歯車は狂い始めていたのだ。


 十三人のグラムの騎士達は皆、ジーギルの指示で各個にフェルディアで活動している。それが出来る者達だからこそ、王命を受けて春を待たずに故国を発ったのだ。それに皆、王宮の警護などで腕を燻らせるなど御免だった。敵国の撹乱、魔物の討伐、願ったり叶ったりだ。


 迷いなど騎士には不要だ。

 自分で選んだ道ならば、倒れる事もまた本望。

 騎士たるもの道過たず、ただ剣を賭して戦うのみ。

 互いに騎士であるならばウィルもまた覚悟の上だろう。


 これまでもそうして来たように。

 これからもそうして行くように。


 ジーギルは手紙をしまうと、踵を返し、死体の山に背を向けて歩き出した。最も信頼を寄せる先代団長と、グラム最強の剣士を従えて。


「さて」



***



 外の世界の喧騒とは全く無縁に。

 とある石造りの部屋ではゆっくり、ゆっくりと時が流れていた。


 円い機械に取り付けられた部品が、カチコチと規則的な音を立てる。


 ガラスの容器からは、怪しげな白い煙が立ち込める。


 山と積まれた紙の中からは、時折ネズミが顔を出して部屋の端に駆けて行った。


 そこに新たな紙の束が放り投げられた。


 窓一つ無い部屋だった。元はそれなりに広く豪華な部屋であったのだが、今や足の踏み場も無いほど散らかって見る影もなく狭苦しい。部屋の隅には鳥の様な形をした大きな機械があって空間を圧迫し、机の上は小さな部品や書類の山で埋まっていた。


 そこで一人の男が作業机に向かい、一心不乱に何やら書き込んでいた。絶えずブツブツ呟きながら、インクが飛ぶのもお構いなしにペンを走らせている。


 ぼさぼさの栗色の髪に、眼鏡をかけた男だ。不潔そうな雰囲気と清潔そうな服装が酷く不釣り合いだった。男は頭を抱えると、また一枚、紙を横に投げ捨てた。


「荒れておるな」


 しわがれた声が部屋に響いた。

 潰れた喉から無理矢理絞り出したような。

 聞いているだけで気分の悪くなる声だった。


 いつの間にか背虫の老人が椅子の一つに座っていた。それに気付いたネズミ達がさっとその場を離れる。眼鏡の男は振り返りもせずに早口で答えた。


「ペレクスの多層暗号だ。第八層まで来たがいきなり配置が変わったのだ。くそ。まさかとは思っていたがやはり二人以上の人間が協力して作っていたらしいな」 


 捲し立てるような落ち着きの無い口調だった。突然現れた老人に、男は少しも驚かない。新たな紙を引き出しから取り出すと、また何やら書き始めた。


「エノンの古文書を解読していたのではなかったのか? それともとうとう挫折を知ったか」

「それはもう解いた」

「くく、呆れた男よ。魔術史の黎明期を記したとされる古文書。しかるべき所に出せば魔術界隈は蜂の巣を突いたような大騒ぎになろうにな」

「外の世界に興味は無いしここから出る気もとうに失せた。私は自分が価値あると思える物を作って自分を慰めているだけだ。評価する者は無く故に新たな価値も生まれない。ゴミだ。この紙の山も。機械も。私も」


 男は振り返った。


「そしてお前も」


 椅子の上の老人がニヤっと笑う。


 口の中から何本も抜けて不揃いになった歯が覗いた。黄ばみを通り越して黒ずんでいる。老人は旅の乞食のような格好だった。ツギハギだらけのマントに、つばの広い帽子と古びた木の杖。街を歩けば嫌悪感で誰もが遠ざかるだろう。しかし眼鏡の男は全く気にしなかった。


「だがここには儂がいるぞ。ならばゴミにも価値が生まれよう」

「無いも同然の価値だ。それにお前の腐った頭で評価など出来るか」

「儂はそこまで了見が狭くはない。それに生に背く快楽がお前に分からんとは言わせんぞ」

「……俗にポルクレシアと呼ばれる精神疾患の典型的な症状だな。通常の人間であればある程度の改善は望めるがお前はもう末期だ」


 男は椅子から立ち上がって大きく伸びをした。そして工具を取ると、今度は改良した図面を見ながら箱状の機械を調整し始める。老人はそんな男の様子を楽しそうに見ていた。


「改善は必要ない、これが後天的な性分とも思えんでな。どうも油が合っておらんな。ミハシの絞り汁を混ぜてみてはどうだ?」

「後で試してみよう。だがお前はいっそ崖から飛び降りろ。それがポルクレシア患者が最後に求める究極の快楽だ。余りの快感に失禁するらしいぞ? ああ、ここではするな。床が汚れる」

「くくく。確かに己の死の瞬間は何物にも代え難い。人間共が不憫でならん。あの快楽がたったの一度しか味わえんとはな」


 老人は不気味に笑う。すると喉から末期の息遣いのような掠れた音が漏れてきた。男は改良型の歯車を付け変えては念入りに動作確認をしている。油で手は真っ黒に汚れていた。


「二度もある死に意味は無い。貴様もそろそろ他の快楽を覚えろ。魔術はどうだ?」

「既に極めた」

「酒は飲むのか?」

「血の味に及ばん」

「女は抱くのか?」

「すぐに壊れる」

「友は無いのか?」

「皆死に絶えた」


 あくまで作業の片手間に、男は老人の会話に付き合う。

 油と歯車の向こうから大きな溜息が聞こえてきた。


「つくづくつまらん男だな」

「お前にだけは言われたくない」


 一通り結果を記録すると、眼鏡の男はジャリっと無精髭を撫でた。机の上の布を取って手を拭き始める。そして思い出したように振り返って話を振った。


「しかし今日はやけに機嫌がいいな。気持ちの悪い。一体何があった」

「くく、分かるか。実は主の計画を台無しにしかねない事態が起こったのだ。我らが牙城に敵の侵入を許し、人質を一人掻っ攫われ、挙句まんまと取り逃がした。しかも事もあろうに、その侵入者は件の傭兵団の中核だったのだ」

「傭兵団。ああ。ヴォルフが創った岩の竜を落としたとかいう」

「フェンリルが荒れ狂っておったよ。五百年振りの獲物を喰らい損ねたとな。追撃したカドムも失い、城の位置も把握され、儂の創った木偶人形まで壊された。くくく、もうどうして良いやら分からん」


 男は溜息をついて眼鏡を直した。大失態を犯した割に老人が酷く楽しそうなのだ。どうせ侵入者を追い込んでおきながら、面白がって止めも刺さずに放置したのだろう。


「どうするんだ。城の封印を解き切る前にフェルディアを滅ぼすのもお前の役目だろう。想定外の事が起こるのがそんなに愉しいか」

「愉しいとも。奴らは今勢いづいている。仲間を増やし情報を集め、すぐにでも我らの喉元に手が届くだろう。だが恐らく間に合わん」


 男が布で手を拭く傍ら、老人は嬉々として口を回す。


「儂が殺し損ねた、変わり者のあの男。随分と強く、同時に脆い。罠に飛び込み真実を知った時、一体どんな顔を見せてくれるのか。くくく。想像するだけで股ぐらがいきり立つようだ」

「お前達の負けと出るとは考えないのか」

「負けか、素晴らしい。儂はより長く奴らの生を見れる訳だ。死とは所詮一瞬の快楽に過ぎん。悩み、迷い、そして進む。それこそが死すべき定めの者達が最も輝く瞬間なのだからな」

「なるほど話にならないな」


 男は自分が狂人と話している事をすっかり忘れていた。狂気に理屈は通じない。問答の余地などどこにもない。前回の議論も自分が押し負けた。男は無言で汚れた布を机に放る。


 だが、今回も試してみようか。

 どうせ暇な身の上だ。


 男は眼鏡を取った。


 途端、身に纏う空気が重くなる。

 落ち着きのなさも、せわしなさも消し飛んだ。

 体は覇気で一回り大きく見える。

 気怠そうな表情は引き締まり、眼光は鋭くなる。


「……」


 男は無言で椅子に座る。

 威圧感で壁にひびが入りそうだった。


 子供がそれを見れば、体が痺れて動けなくなるだろう。

 大人がそれを見れば、誰もが思わず片膝を着くだろう。


 しかし老人は、変わらず気味の悪い笑みを浮かべていた。


 男は指を組んで老人の眼を見据える。

 相手を射殺しそうな眼差しだった。


「内通者は、三人か」


 男は言った。低く、深く、落ち着いた声色だった。その一瞬の変化には誰しも僅かに構えてしまう。男は老人の、その僅かな視線の揺らぎを捉えていた。


「いや、一人だな」


 老人はそれすら愉しむ。混沌の瞳の奥に、この男は何を見るのだろうと。狭苦しい石造りの部屋で体面する二人の男は、片時も相手から視線を逸らさなかった。


「たった一人で国を落とさせようとは大胆な事だ。だが、あのヴォルフがそれで終わらせる筈もない。周辺諸国もまとめて潰す算段だろう」


 それに対する返答は無い。構わず男は話を続ける。


「奴らは罠に飛び込むとお前は言った。つまり内通者は首都ティグールにいる誰かだ。それも王と中央議会に手が届く力と身分がある。いざと言う時はその男が全てを皆殺しにするとでも言うのか? いや、お前の言う罠はそれとも更に別に構えてあるな」

「……くく。お前が連中に手を貸せば、少しは勝負になるだろうにな」


 そう言って老人は楽しそうに髭を撫でた。だが男がここから出る事は無い。例えその手段があったとしても、この男を外に連れ出すのは至難の業だろう。


「お前達の考えている事は五百年前と何も変わらない。だが当時の敗因も既に無い。同胞たる魔族の裏切りに八人の魔法使い。前回の戦争での敗因はどちらも既に潰してあるだろうからな」


 そこで男は、老人の顔から更に何かを読み取った。


「いや、潰し損ねたな。事によると逃亡を許したと言うお前達の人質、それは裏切りの魔族の一人か」

「……外の情勢を見た事も無い引き籠りの分際で、人の話だけからよくもそこまで真実に肉薄するものよ」

「なるほど。単純に戦争を望むお前としては、それは逃がした方が都合が良かっただろうな。だがお前達の動きは、逆に人間達の結束を強める結果となった」

「儂は戦争なぞ望んでおらんぞ? 主の命はあくまで支配なのでな」

「嘘だな蜘蛛。お前は自身の快楽の為に度々そういった搦め手を使う。千年前、お前は兄王フリアルに化けて始まりの王、ヴェリアをその手に掛けた。それが旧大戦の引き金だった。今回も同じ事だろう」

「さてさて、何の話をしているのやら」


 蜘蛛と呼ばれたその老人は、当時の事でも思い出したのか愉しそうに嗤っていた。


 あの運命の夜。

 愛する息子に刺された時のヴェリアの顔ときたら、と。


「ヴォルフもお前には目を瞑るだろう。それでフェルディアが追い詰められているのも、また事実だ。しかし、最後の封印が破られるまで未だお前達は劣勢だ。仮に」


 老人の濁った眼を見据えながら、男は一気に畳み掛ける。

 狂った望みを叩き潰す為の、人間達が生き残る為の方法を。


「仮に、それまでに人間達がかつての同盟を復活させてはどうだ。たった一人の内通者。気付かれにくい半面叩かれやすい。例え殺す事は出来なくとも、外堀から埋めれば折角の計画を台無しにしてやる事も可能だろう」

「そう思うか? 主の目的はお前達人間の殲滅。台無しにするには明快過ぎる計画だ」

「その主は城から動けない。お前達も一枚岩ではなかろう。その内通者の覚悟の隙に付け入れば、脅威どころか強力な希望になる」

「くくっ、希望だと? ふははは! はははははははははは!」


 何がおかしいのか、老人は大声で笑った。枯れた体のどこから出てくるのか、それは巨大な洞窟を風が吹き抜けるように部屋に響いた。


「貴様の口からまだそんな言葉が出るとは! さて、問おうフェルディア王。アルバトス・ヴェル・シェリンフォードよ」


 老人も指を組んで男を見つめ返した。

 

「貴様は自分の国の行く末に、少しは未練が残っているか?」


 沈黙が流れる。


 男は変わらず険しい顔をしている。

 老人の顔は、今は帽子の陰でほとんど見えない。


「……」


 少しして、男は眼鏡をかけ直した。すると張りつめていたその場の空気が急に緩む。男は早口で答えた。


「無いな」


 それだけ言うと椅子の向きを変えて、再び机に向かう。袖をまくると老人が来る前と同じく、紙に新しい何かを書き始めた。話は終わりだ。


「くく、気が変わったならいつでも儂に言うが良い。もっともあの変わり者共が、仮にお前の意思を変える事が出来たらの話だがな」


 老人はしばらく男を眺めていたが、ふっと笑うと立ち上がる。そして帽子を取ると、貴族や商人がそうするように、今日はこれまでと男に一礼した。


 帽子の下は、皺だらけの醜い顔だった。白髪混じりの鉛色の髪は、ごわごわと肩まで伸びている。シミとも傷とも分からない痕が縦横無尽に走り、見ているだけで気持ちが悪い。



 そして髪の間からは、歪に尖った耳が伸びていた。

 伸び放題の眉毛の下で、禍々しく光る赤い目が一瞬のぞく。

 乞食のような老人には似合わない、悪魔のように恐ろしい目だった。

 いや、むしろ悪魔が乞食の姿をしているだけなのかもしれない。



 老人は再び帽子をかぶり、赤い目はまた見えなくなった。

 そしてその体は黒い砂のように崩れ、耳障りな音と共に跡形も無く消え去った。


「……」


 しばらく経った。

 男は老人が発った事を確認してペンを置く。


「ふん」


 ヴォルフの野望に挑もうと、勇敢なる馬鹿共がこの国に集まって来る。そいつらは一体何のために過去の過ちを繰り返すつもりなのか。奴ら魔族を相手にして、勝ち目があるとでも思っているのか。


 男がいるのは、その馬鹿共が息も絶え絶えに走ってくる終着点。全てを知った。何でも出来る。だが結果は見えていた。


 男は面倒なので世界を救うのはやめた。地位を捨て、力を捨て、責務も野心も放り投げた。そいつらも全てを知れば同じ結論に達するだろう。それが分からないとは、本当に頭の悪い連中だ。


 そんな馬鹿の話で自分の気が変わるとでも?

 それこそ馬鹿な話だ。


 だが。


 そう頭で否定しつつも、男は老人の話に若干の興味を覚えていた。ヴォルフの分身を落とし、敵の城に潜り込み、囚われの人質を連れ出した。自分が見捨てたこの世界に新たな価値を見出したのは、一体どんな奴なのかと。


 そんな考えがふと沸いてきては。

 また思考の波に押し流される。



 円い機械に取り付けられた部品が、カチコチと規則的な音を立てる。


 ガラスの容器からは、怪しげな白い煙が立ち込める。


 山と積まれた紙の中からは、時折ネズミが顔を出して部屋の端に駆けて行った。


 そして壁に開いた小さな穴に入り込んで、それきり見えなくなった。



第二章 完

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