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変わり者の物語  作者: あなぐま
第2章 北の大地
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第17話 フレイネスト襲撃

 取調室の扉が派手な音を立てて吹き飛ぶ。


 書類の山を運ぶ役人も、列をなして走る兵隊も、全員がその音に何事かと足を止めた。


 前蹴一撃で扉を壊したアレクは不敵に笑いながら廊下へと足を運ぶ。続いてその後ろから妙に機嫌の良さそうなクライムが出て来た。マキノもメイルもフィンも、多くの人間が口を開けて呆ける中、失神した兵隊を跨いで次々現れる。しかもその全員の手枷が既に外れていた。


「珍しく気が合うじゃねぇか、このモヤシ野郎が」

「この位は許されるんじゃないかと思ったんだけど」


 顔が似ているだけに兄弟よろしく、二人は肩を並べて足を進める。アレクは準備運動に腕をぐるぐる回し、クライムは掛かった土埃をパンと払った。その向こうからは何人もの兵士が武器を構えて走ってきていた。


 アレクが首をこきりと鳴らす。

 それを合図に、アレクとクライム。

 二人同時に向かってくる兵士に掴みかかった。



***



 用意された篝火が辺りを照らす。


 兵士達は遠巻きに門を囲み、無数の槍が構えられていた。城壁の外側からは魔物が何度も体当たりを繰り返し、その度に門は少しずつ歪んできていた。過去一度も破られた事の無い鉄壁の城門が、今まさに破られようとしている。


 兵士の額に汗が浮かんだ。遂にその隙間から低い唸り声が漏れてくると、後ろに控えていた弓兵が前に出て、一斉に矢を番えた。


 だが、急に攻撃が止む。


 弓を握る手から自然と力が抜ける。兵士達は緊張混じりに目配せをして、改めて門に目を戻した。


 門の向こうから魔物の気配が消えていた。

 さっきまでの激しさが、まるで幻だったかのように。

 諦めたのか、離れただけか、兵士達はそう不審そうに考える。


 だがその静寂も束の間、遠くから地鳴りのような音が聞こえ始めた。何かが地面を蹴る音だ。全ての兵隊が構え直した。近づく音は今までのものより大きい。突進してくる何かは他の魔物とは別格なのか。その何かはもう兵士達のすぐそこまで迫っていた。


 激しい音と共に鉄の城門が吹き飛ぶ。

 飛んで来た城門の破片が隊列の一部を一瞬で消し飛ばした。


「放て!」


 それでも負けじと張り上げられた号令と共に、破られた門に向かって雨のように矢が撃ち込まれた。


 土煙の向こうから人外の悲鳴が聞こえる。

 どれだけ倒せているかよく見えない。

 時折何かが倒れるような音も聞こえてくる。

 ただ兵士達は矢が尽きるまで、ひたすら撃ち続ける他無かった。


 煙の向こうで、大きな影が蠢く。


 矢は吸い込まれるように影に突き刺さっていたが、その影は一向に倒れる気配が無い。己に刺さる矢を気にする様子も無く、影は兵士達を品定めするように見降ろした。何かを持っていた。大きく長い何かを、まるで槍のように。それがゆっくりと振り上げられる。


「何だ、こいつは……」


 槍の正体は、門を閉ざしていた鉄の閂。そう兵の一人が気付いた直後、煙の中から振り抜かれた鉄塊が数十人の弓兵を一撃で薙ぎ払った。


 戦いはそこまでだった。再び粉塵の向こうに姿を消した影の代わりに人の形をした魔物が大挙してきて、掻き集められた精鋭部隊を津波のごとく押し流した。


 全滅は一瞬だった。

 魔物達が、街へ散らばる。



***



 遠くから聞こえて来た轟音に、アレクの体が止まった。


「何だ!」


 駐屯地にいた全員の集中が切れた。

 マキノに人質にされた女役人も叫ぶ事を忘れた。

 アレクに掴みかかった大柄な兵士も動きを止めた。


 皆が城門付近で起きたであろう事態に気を取られていたが、今の音が意味する事は一つしかない。門が破られたのだ。魔物が街に入った。


「そこまでだ!」


 鋭い命令が緊張を切り裂く。


 クライム達を捕えようと通路の向こうから押し寄せていた兵隊、その更に奥から別の男が歩いてきた。


 自然と彼を通すために兵が道を開ける。迂闊に近付けずにいる兵士を尻目に、男は肩を怒らせながら一行に歩み寄った。その手には腰にある空の鞘に収まっていたであろう物とは別の細身の剣が握られている。


「またてめぇか。見飽きたぜ、その面」


 そうアレクはスローンを睨みつける。スローンはアレクのすぐ目の前でようやく足を止めた。二人の男は仁王立ちしたまま、視線を戦わせていた。


「私は何もするなと言ったはずだ」


 しばらくして、スローンは忌々しそうに口を開いた。


「大人しくしていればすぐに出られると。それがこの有様とは、貴様らには呆れて言葉も出んな」

「あいにく丸腰なまま無様に喰われる趣味はなくてな。死ぬならてめぇら勝手に死ねよ」


 スローンは素早く剣を振り上げた。切っ先がアレクの喉元で止まる。

 後ろの四人が一瞬身構えたが、当のアレクは微動だにしなかった。


「魔物ごとき恐れるに足りん! 命の心配をするなら我々にこそ気を配るべきだった! この場で! 今すぐ! 貴様を処刑してやる事も出来るのだからな!」

「うるせぇ」


 アレクは目にも止まらぬ速さでその剣を弾き飛ばした。

 相手はペンより重い物を持った事も無いのか、あっさりと。


 剣は窓を突き破って外に飛んでいった。切っ先がわずかに掠めたのかアレクの喉笛には一筋の赤い線が滲み出たが、何事も無かったかのようにそれを拭う。スローンは痺れた手を一瞥して、なお高圧的な目でアレクと睨み合う。


 後ろから、少し考えてマキノが歩み寄る。


「魔物ごとき、ですか」


 そう静かに話し始めた。


「失礼ですが、私はあなた達が間違った戦いをしているとしか思えない。たとえば南に現れた岩のドラゴン。あなた達は隣国の危機に対して何の手助けもしようとしなかった。救助さえもです。しかし西の国であろうと魔物であろうと、国益を害する相手に変わりは無いのではないですか?」


 遠くでは魔物達の唸り声と迎え撃つ兵隊の声が聞こえていた。

 押し寄せた魔物が一人、また一人と兵士を血祭りに上げている音だ。

 地獄となりつつある街の傍らで、二人の男が場違いな意見を戦わせている。

 しかしスローンは言う。


「全ては中央議会がその国益を考えて出した結論だ。魔物など、この国にとっては些細な問題に過ぎない」

「ではもし黒の王が再び戦争を起こしても、あなたは同じ事を言えますか?」

「……黒の王、だと?」


 辺りがざわついた。


 黒の王。遠い昔に失われたはずの言葉が唐突に出て来た事で皆が戸惑っていた。アレク達もだ。自分達は確かにその足跡を辿ってはいるが、戦争などと、そこまで考えていた訳ではなかった筈なのだ。マキノは何をどこまで考えているのか。


「たとえ話にもならん戯言だ。何の関係も無い」

「南に現れたドラゴンにこの国で増え続ける魔物達。それが私には何かの前触れに思えてならない。そして私はこのフェルディアで旅をしてそれを確信しつつある。彼は……」

「死んだ! それが史実なのだ!」


 スローンの言葉は有無を言わせぬ頑ななものだった。


「この国はようやく建国以来の大義に向かって歩みつつある! かつての威光を取り戻し全てを統治する、それこそが貴様らの言う軍の意義であり王の意向だ! 貴様らにもいい加減、この国の在り方を理解してもいい頃だろう!」

「マキノ、もういい。こいつは斬ろう」


 アレクはそう言ってスローンの首に剣を掛けた。

 メイルが小さな悲鳴を上げてぎゅっとフィンを抱きしめる。

 だがマキノは変わらず探る様な目でスローンを見ていた。


「……いえ」


 そして黙ってアレクに剣を下げさせた。


「街へ出ましょう。彼の言う通り軍がそう言う方針であるなら、私達が少しでも力にならなければと思います」

「思わねぇな」

「どちらにせよ魔物を何とかしないと無事に脱出も出来ません。フェルディアに入って、いつかはこうなると分かってたでしょう。確かに何の準備も出来ていません。何の装備も整っていません。でも、ここがその正念場です」


 マキノは、岩のドラゴンの威圧感を今まで以上に濃く感じていた。北の大地に足を踏み入れて以来ずっと恐れてきた状況だ。どんな手を使ってでも避けたかった状況だった。しかし避けられなかった以上は、全力で挑む。 


「切り抜けましょう」


 アレクとクライムは無言で頷くと、兵士から奪い取った武器を手に、道を塞ぐ兵隊を押しのけて駈け出した。スローンとマキノの威圧を前に動けなかった兵士達はそこでようやく我に返る。


「逃がすな!」


 少しの兵を残して、その場にいたほとんどが二人を追う。

 それを他所にマキノは変わらずスローンから目を逸らさずにいた。


「あなた方に守られている内は、成程確かにその法に従わなければならないのかもしれません。しかし、この国の城壁もこの国の兵隊も、私達を守ってはくれなかった。ならば私達は、己の手で自分の身を守ります」


 そして軽く一礼すると、メイルの手を取って二人の後を追いかけた。

 


***



 星明り一つなく、松明だけが照らす不気味な街。

 僕は走りながらも、マキノの言葉が耳について離れなかった。


 黒の王が再び戦争を起こす。それはレイの牢獄で脳裏をよぎって以来、ここのところ僕がずっと考えていた事だった。


 結局あの夢の話は誰にも話していない、一人でひたすら悶々と考え込んでいた。なのにマキノはフェルディアを実際に歩いて、それを確信しつつあると言う。もしかすると彼は本当に黒の城の存在か、それに類する何かを感じ取っていたのかもしれない。


 ヴォルフの足跡は途絶えていない。

 それどころか北に向かう程濃くなっている。

 やってきた魔物達も、その類なんだろうか。


「そっちへ行ったぞ! 挟みこめ!」

「松明が足りない! 増援はまだか!」


 現実を前に、迷いが一気に吹き飛ぶ。


 兵士達が松明を掲げて街中を走り回っているおかげで、もう夜も深いのに灯りには困らなかった。街の住人は家に籠ってほとんど無事なようだ。でも、道端には一人、二人と兵士の亡骸が横たわっていた。それに、この悪臭。


 城で兵隊から奪った武器を手に、僕らはひたすら騒ぎの中心に向かって走る。迷路のような裏路地を何度も曲がって、ようやくこの臭いが何か分かった。墓場や戦場跡の、死体の腐った臭いだ。


「おい!」


 隣を走るアレクの声に顔が上がり、薄暗い路地の向こうに灯りが見える。その中で大勢の人々が悲鳴を上げて走っていた。兵隊じゃない。武器も持たない人達だった。嫌な予感がして足を速める。


 路地を抜けた先の本通り。

 人の濁流が流れているかのようだった。


 人々は急に飛び出してきた僕らにぶつかりながらも、上り坂になった本通りを街の中心に向かって必死に走っていた。そしてその後ろからは彼等を追って何十という魔物が押し寄せて来ていて、兵隊がそれを食い止めようと藻掻いている。


「やるぞ!」

「分かってる!」


 僕らはすぐに状況を把握した。

 剣を振りかざして避難の殿、戦闘の中に飛び込む。


 十数人の兵と魔物が滅茶苦茶に揉み合う混戦で、僕は何も考えずに先頭の一体を蹴り飛ばし、アレクは手近な一体を真っ二つにした。


「っ……!」


 目の端に捉えた光景に僕は気を取られた。

 魔物が、殺した兵士の死体を漁っていた。


 初めてまじまじと魔物を見る。酷い猫背で、ボロボロの黒い布を着た狩人のような格好だ。武器や服を雑多に身に付けて顔も見えないけれど、そこから死体の様に細長い手足が伸びていた。


 死臭は魔物自身から、その身に着けていた全てから発せられていた。魔物と化した人の屍が、殺した相手から剥ぎ取った物を身に付けて動いているんだ。


 魔物は一つも残さないよう熱心に死体を弄る。剣を取り、服も剥ぐ。兵隊の左手に嵌まっている綺麗な指輪もだ。愛おしむように丁寧に外し、これ見よがしに自分の指に嵌めた。


 彼の、指輪を。


 剣の柄を強く握り直す。

 手の筋が千切れそうなほど力が籠った。

 背後から無言で近づき、夢中になっている魔物を叩き割った。


「離れろ!」


 押し寄せる気持ち悪さをどうにか抑えて、僕はとにかく剣を振るった。掴みかかってくる腕を斬り落とし、兵隊に襲いかかる魔物を斬り付けて注意を引いた。避難は全然終わっていなかった。本当に全然だ。僕らの戦闘をかいくぐって、まだまだ人が逃げてくる。


 何でだ。

 何でこんなに逃げ遅れが多いんだ。


「た、助けろ! 誰か俺を助けろ! 金ならいくらでも払う!」


 一人の男がそう叫びながら逃げて来た。襲ってくる魔物を躱し、他の人を突き飛ばし、太った体を機敏に動かしてやってくる。


 目が合った。知った顔だ。今日、城門前の検問が揉めていた時にメイルと親しげに話していた男だ。厭らしい顔でメイルをおだてて、あの子の耳や尻尾を気にしていた。


 あの時、僕は流石に心配でメイルを後ろから見ていて、話も聞いていた。多分、彼だ。彼が僕らを売ったんだ。濡れ衣を着せてでも手柄が欲しい兵隊達の裏事情を知っていて、自分の代わりに僕らの情報を流した。どうりで彼だけ検問が早かった。


 憎たらしかった。気に食わなかった。でも体が動いていた。向こうは僕が誰かも気付かないまま走ってくる。


 その背後で、魔物が跳躍した。


「危ない! 後ろだ!」

「お、お前! 早く俺を……!」


 それは、目が合ったままだった。


 僕は叫びながら剣で魔物の首を薙ぎ払った。

 気味が悪いくらい柔らかい感触がして、首無しの体が倒れる。

 

「っ……!」


 こめかみで血管が脈打つ。

 心臓の鼓動が、やけに早かった。


 足元では太った男が、僕と目を合わせていた時と同じままの表情で倒れていた。首から、真っ赤な血を流して。


 間に合わなかった。

 間に合わなかった。

 間に合わなかったんだ。


「クライムさん!」


 真っ白になった頭に誰かの声が飛び込んでくる。後ろからだ。僕は無防備にも魔物に背を向けて振り返った。砦の方から人の流れに逆らって誰かが走ってくる。マキノ、それにメイルと、その腕に抱えられたフィンだ。


「みんな……」


 茫然と僕は呟く。何故か無事を喜べなかった。さっきから頭が麻痺してしまったみたいだ。気付けばアレクが息も絶え絶えに戻ってきて僕らは再び合流する。


「アレク、現状は」

「最悪だ! あいつらただの魔物じゃねぇぞ!」

「や、やっぱりこれも、ドラゴンの影響なのかな。ボクは……」

「もう突破は不可能でしょう。籠城するしかありません。それに、さっきから嫌な予感がしてならない」

「嫌な? 何だいそれ」

「フィンさんも感じませんか? 奴らに紛れて何かがいます。あの岩のドラゴンと似た感じがするんですよ。ヴォルフの他に魔族が動いているとも思えませんが、何にせよ遭わないに越した事は無い」


 みんなが話している。でも僕はマキノから、その手に握られた物から目が離せなかった。


「マキノ……」


 出て来たのはそんな言葉だった。話の途中、マキノは僕の視線に気づいた。顔をしかめて持っていたそれを僕に渡し、淡々と説明する。


「来る途中に見つけました。血溜まりの中にあって、最初は分からなかったんですが」

「……あぁ、そんな」


 女物の細身の剣だった。べっとりと血で汚れ、刃が散々に欠けている。前に見た時は御者台の上、持ち主の隣に立て掛けられていた。護身用でせいぜい盗賊を威嚇する程度にしか役に立たない剣だ。


 さっきの太った商人と同様、今日訪れたばかりの行商人もこの街に明確な避難場所が無い。アデーレとレネは街角に馬車を停めて、今日一日は荷台で夜を明かすつもりだったはずだ。


 そこに魔物は来た。住民は固く門を閉ざしている。レネは小さい、アデーレが彼を守ったはずだ。


 そして二人は。

 二人はどうなった。

 剣は折れている。じゃあ、その持ち主は。

 二人はいったい、どこへ行ってしまったんだ。


「何だ!」


 突然だ。

 ぞくっと寒気がした。

 気付けば辺り一帯に異臭がする霧が立ち込めていた。


「こ、今度は何だ!」

「メイル! 離れるな!」


 皆がざわつく。アレクもマキノも辺りに気を配る。生き残った兵士達も一斉に武器を構えた。メイルがぎゅっと僕の裾を掴む。


 すぐに変化は起こった。


 道端に生えていた植物が、花も、樹も、一斉に萎れ始める。家よりも高い大樹が干からびて灰色の塊になってしまった。空に逃げていたはずの鳥が、二羽、三羽、ぼとりと落ちてくる。


 何かが来ている。

 でも、姿が見えない。どこだ。


 誰も動けずにいる中。

 足元に、ぱさっと、木の葉が一枚落ちた。 



***



 轟音と共に横の建物が粉砕され、反対の通りから大きな魔物が飛び出してきた。


「敵だ!」


 そう叫んだ一人の兵隊は、次の瞬間枯れ木みたいに吹き飛んだ。


 魔物は腕で五人の兵隊を薙ぎ払った。遅れて建物の破片が投石のように降り注ぐ。逃げ惑うしかない僕らを前に、魔物はくっと顔を上げ、夜の空に向かってこの世の物とは思えない叫び声を上げた。フレイネストの城壁前で聞こえた、あの声だ。


 今までの魔物と似ている。

 でも大きい。門を破ったのは、きっとこいつだ。


 普通の人間の倍はあろうかと言う巨人だ。手足が異常に長く、それを覆うのは腐ってもなお衰えない鋼のような筋肉。まるで闘う為だけに作り替えられたような体だった。


 全身に纏った服はボロボロに腐って黒ずんでいる。布とも髪とも分からない物の向こうに見えるのは、禍々しく光る赤く濁った目、そして鋭く尖った耳。背中から何本も生えている棘の様な突起は、良く見れば全て突き刺さった剣や槍だった。でも巨人はそれにも全く痛がる様子は無い。


 直感で分かる。こいつはヴォルフと直接繋がりがある何かだ。それはつまり、あの岩のドラゴンと同格だという事だ。戦えるのか。あんな化物と。もう一度。冗談じゃない。


 殴り飛ばされた兵隊が真横に落ちて来て、僕は正気に戻った。

 無理だ。逃げなきゃ。逃げないと、殺される。


「た、退却だ! 総員退却!」


 兵隊達も武器を放り投げて逃げ出した。完全に戦線は崩壊した。我先へと逃げる兵隊に突き飛ばされるように僕も走り始めた。頭が真っ白だった。沢山の悲鳴と恐ろしい唸り声しか聞こえてこない。みんなが僕の前を走っていて、ただそれに追いつく事しか考えられたかった。


 アレクは走りながらも道行く魔物を斬り払っていた。

 マキノは指に浸した魔物の血で、腕に服の上から何か書いていた。

 フィンは人目も憚らず翼を出して、飛びながらみんなを誘導していた。


 僕は背後を振り返る余裕もない。遅い者から順番に巨人に捕まっているのは気配で分かった。悲鳴が聞こえてくる度に背筋が凍る。いつ僕の番が来てもおかしくない。


「クライム、もう、走れないよ……!」


 小さな声で右手の違和感に気付いた。


 いつの間にか、僕はメイルの手を取って逃げていた。完全に無意識だった。でもメイルは息も絶え絶えでもう限界だ。僕は何も考えずに隣を走るメイルを抱きかかえた。


 その一瞬で距離が詰められ、僕の番になった。


 衝撃音がして、蹴ったばかりの地面に大きな爪が食い込む。気付けば僕の後ろを走っていた人達は一人もいなくなっていた。腕の中のメイルが肩越しに背後を見たのか、服をぎゅっと掴んだ。つられて僕は走りながら振り返った。


 息を呑む。そこに巨人の赤く光る濁った目があった。瞼が裂けんばかりに見開かれた目は、瞬き一つせず僕を見ている。もういつでも捕まえられるほど近くから巨人はゆっくりと僕らに手を伸ばした。ぶわっと頭に血が上る。


「馬鹿、止まるな!」


 僕と巨人の間に、白い何かが飛び込んだ。

 降りぬかれた巨人の腕はそれを弾き飛ばした。

 僕は思わず、背後の巨人から吹き飛ばされたそれの軌跡を追った。


 白く小さい塊は、背後から大きく弧を描いて僕の頭上を追い越す。宙に浮いていたその時間がやけに長く感じた。遥か前で音もなく地面に落ち、一回跳ねて動かなくなった。遠目に見える白い何かから、じわりと赤いものが滲み出る。


「フィ……!」


 掴まるメイルを片手で抱え、思わず手を伸ばした。でも走っていた事をすっかり忘れていた。足がもつれる。


「伏せろ!」


 アレクの声に、目の前のフィンよりさらに先、血文字で埋め尽くされた腕を構えるマキノが見えた。アレクはマキノを避けるように飛び退いている。構えられた腕はまっすぐ僕を捉える。そこに火が灯った。狙いは僕の真後ろ、死体狩りの巨人。僕はフィンに手を伸ばしながら無我夢中で地面を蹴った。


 足が滑る。伸ばした手はフィンを外れて地面に当たり指が折れた。それでもメイルが逃さずフィンを捕まえる。僕らが揃って地面に倒れ込んだ瞬間、マキノが叫んだ。


『エン・テングラ!』


 焼き付けるような熱と共に紅蓮の炎が放たれた。


 マキノの腕から噴き出した炎が頭を掠め、巨人は悲鳴を上げる間もなく一瞬で呑み込まれた。フィンとメイルをしっかり地面に押さえつけながらも、首を捩じってそれを見上げた。見た事もない魔法だ。こんな威力に物を言わせるような力技、マキノらしくない。


「何なんだ……、一体……」


 道の向こうで、マキノは休むことなく圧倒的な炎を生み出し続けていた。でも様子がおかしい。一体どんな負荷がかかっているのか、まるで体中の皮膚が裂けてしまったかのようにマキノの服は真っ赤だった。炎を出していると言うより、止まらないそれを押し止めているようだ。


 異常だ。

 こんな魔法は見た事がない。

 マキノは一体何をしているんだ。


「ぉ……、ぉお……」


 不意に、背後から苦悶の声が漏れる。

 僕の、背後。炎の中から。

 信じられない思いで再び振り返る。

 振り返ったその炎の中で、何かが蠢いた。


 馬鹿な。


「おおぉああああああああ!!」


 空気を震わす絶叫と共に、火達磨になった巨人が炎の中から飛び出した。そのまま僕らを一足飛びにしてマキノを殴り飛ばす。炎を制御するのに精一杯だったのか、まともに食らったマキノは地面に叩き伏せられた。術者がやられ、炎も止まった。


 巨人は大きく身震いして体を燃やしていた炎を吹き飛ばした。体は焦げ付き、炭化した肉の向こうからは熱の赤い光が覗いて見える。巨人は全身から煙を上げながらも更に追撃をかけようと倒れたマキノに襲い掛かる。反射的に僕はそれを助けようとした。でもそれよりも早く、雄叫びを上げてアレクが巨人に斬りかかる。


 それがあっという間に叩きのめされた。


 無理だ。

 敵いっこない。

 素手で鉄の城壁を突き破るような怪物だ。


 それでもアレクは戦い続けた。殴られても殴られても、アレクは立ち上がって巨人に挑みかかった。血反吐を吐いても剣を叩き折られても、拳一つで向かっていった。


「もう、やめてくれ……」


 恐れていた事が来てしまったと。

 何の準備も出来ていないとマキノは言っていた。

 それでも僕らは逃げ場もなく魔物に挑んで、巨人に追いつかれた。


 そして気付くべきだったのか。首都を目指すこの旅で、ヴォルフの足跡を探りはしても決して出会ってはいけなかったのだと。出会った時点で、僕らの負けは決まっていたのだと。どうしてもっと早く気付けなかった。それとも、気付いていなかったのは僕だけか。


 アレクが再び倒される。


 僕はどうすればよかったんだ。フィンがやられた、マキノもやられた、アレクが死にそうだ。もう訳が分からない。どこで、何を間違えたんだ。  


 倒れた仲間を見ていると、こめかみで血管が脈打った。目の前で起こっている事がどこか遠くのように思える。広がる炎、崩れた建物、吠える魔物、焦げ付く夜空。それは僕の、気の遠くなるほど昔の記憶を刺激する。


 周りの全てが、あの頃のままだ。

 炎竜が故郷を襲った、あの炎の夜そのものだ。


 それが幻だと分かっていても、視界の端に村の仲間が横たわっているのが僕には見えた。見知った誰かが倒れている。馴染みの家が見る影もなく焼け落ちている。あの炎は毎日のように通った友人の酒屋だ。潰れた家は炎に飲まれ、酒瓶が割れて時折火が強くなる。


 オデオンは、料理好きの息子は村を逃げていた。じゃあ、その飲んだくれの父親はどこへ行った。しっかり者の母親はどこへ消えた。


 僕はその時、大事な約束をしていた。

 だけど、彼女はもう二度と、僕の元には戻らない。

 僕とは知らずに邪竜と出会い、彼女は足を滑らせた。

 僕は約束を果たせなかった、天使の羽は折れてしまった。


 父さんが竜に向かっていく。村中の生き残りを助けて回ってその体も傷だらけだ。仕方ねぇよなぁと笑って、それでも炎に立ち向かう。僕はその背中を追えなかった。それを後悔し続けていた。今こそ追い掛けようと、僕は手を伸ばす。でも伸ばした先に父さんはいない。いたのはアレクだった。


 倒れたアレクがまた立ち上がる。

 何度倒されても立ち上がる。


 巨人はアレクが立ち上がるのをじっと見ていた。もう足が震えて立っているのがやっとの状態なのに、それでもアレクは再び折れた剣を取り、巨人に向かって真っすぐ構える。


 大きな背中だった。

 僕はいつも、アレクの背中を追いかけていた。

 いつも追いつけなかった、頼もしい後ろ姿だった。

 そこに、これで最後と、巨人の腕が振り上げられる。


 また僕は何も出来ないのか。力がないばかりに、ただ奪われるのを待っているだけなのか。駄目だ。そんなのは絶対に許さない。


「っ……!」


 走った。

 体中の血が逆流する。

 割れた指輪が焼けるように熱くなる。


 アレクを背中に庇う。

 目の前に迫る巨人の拳。

 もう二度と、仲間を奪われたりしないと誓ったんだ。

 どんな手段を使ってでも。


 たとえ僕が、どうなったとしても。



***



 それから数日の後。


 クライム達の訪れたフレイネストから遥か彼方。金色の髪に青い瞳をした一人の剣士が、マキノからの手紙を受け取っていた。岩のドラゴンを倒して以降の元山猫騎士団の動向に、国の情勢、魔物の動き。緻密に情報を伝えるため長文になりがちな彼の手紙は、だがしかし今回に限り酷く手短だった。


 手短なその内容に目を通すと、剣士はぐしゃっと手紙を握り潰した。それは何もかもが終わった後の報告だった。


 数日前。


 フレイネストにてヴォルフの眷属と思われる魔物の一団と遭遇。交戦の末その撃退に成功するもフレイネストは事実上壊滅。当分は動けそうに無い。


 なお、クライムは生き残った魔物と共に街から逃走。

 依然として、その消息は知れない。



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