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変わり者の物語  作者: あなぐま
第2章 北の大地
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第16話 北の国

 フェルディアは西方諸国の倍はあろうかという広大な国である。最古の王国、世界の中心。様々な呼び名が付く大国だ。国境からその中央に位置する首都、ティグールに着くには何十日もかかると言われている。


 しかし。


「そんな時間はありませんよ」


 マキノの一言により一行は計画を変更。

 出発前日、アグナベイの大図書館でその行程を徹底的に洗い上げた。


 南部に比べて寒冷で、険しい岩山や平原も多い。光の届かないほど深い森だろうと人の手の入った街道だろうと、魔物は唐突に襲ってくる。ゴブリンや土狼といった小者から始まり、時にはショーロの大蠍やモラルタの三つ首の獅子、そういったものと同等の化物も出てくる始末であった。


 そして護衛と称した夜盗も多く、首都の手から離れれば途端治安も悪くなる。南部でのらりくらりとしていた一行にとっては久々に身の引き締まる旅となる。しかし何の事もない。また岩のドラゴンと遭遇する前の手慣れた分担から始めるのだ。


 大図書館での作業と並行してメイルはフェルディア国土の知識を頭に叩き込んでいた。

 それを元にマキノが大まかな行程を決め、アレクが直感で修正を加える。

 魔物が近付けばフィンがすぐに嗅ぎ付け、アレクが喜々として真っ二つにした。


 クライムはと言えば、森に入っては獲物を捕り、獲物を捕っては食事を作った。なまじ一人旅の経験が長いだけ水の管理から寝場所の検討まで殆どが彼に任される。それぞれ特技以外はからきしの一行の中で、何でも出来るクライムはいい小間使いであった。アグナベイを出てからと言うもの何故か彼の機嫌は悪くなる一方だが、悲しいまでに手は動く。器用貧乏とはよく言ったものである。


 時節は雨期の終わり。旅の始まりに散々な雨に晒されたのも程々に、カラッとした青空が一行を迎えた。鼻が乾くとフィンは唸り、いい天気だとアレクが笑い、視界良好とマキノは鳥文を飛ばした。そのまま雨に足を止めることもなく、マキノの計画通り足は小気味いいほど軽快に動く。


 大平原の麦畑を突っ切り、工芸の街も騎士の街も素通りに、予定通りに目印の大河にさしかかる。

 痩せた大地に恵みを齎す命の河。行程の五分の一に当る目印だ。


 もっとも揉め事も止まらない。船着き場で護衛に固められた小役人が法外な渡し賃が要求してきたのだ。これが習わしなのだと役人は澄ました顔で手を差し出す。だがクライムがメイルを連れて後ろへ下がるが早いか、十人近い護衛は瞬時にアレクに叩き伏せられ、失禁寸前の役人は笑顔のマキノに引き摺られて悲鳴と共に船小屋の裏に消えた。


 結局どう話がついたのか、一行はタダ同然で船に乗り込む。

 どんな裏取引があったかなど誰も聞かない。何事も慣れだった。


 キラキラ輝く海のような大河。

 ゆらゆら揺れる船の上。

 一息つくのも久しぶりだ。


 アレクとフィンはあっという間にイビキを掻き始め。

 マキノは船頭と話した後、大きな鷲に手紙を持たせて誰かと連絡を取り。

 クライムは、相も変わらず不機嫌そうに黙々と地図を読んでいた。


 河を渡る間、メイルは波に揺られて水の流れる音を聞きながら、ぼうっと青い空で膨らむ船の帆を眺める。疲れで意識が遠くなってきた頃に、向こう岸から別の街の喧騒が聞こえ始めた。


 街から街へ。

 村から村へ。


 マキノの先導に引っ張られるように一行はひたすら北を目指す。

 一晩魔物から身を潜めては、日が昇る前にはまた旅立つ。

 旅慣れした一行の足は速かった。


 その足が止まったのは、本当に、ただの偶然だった。

 あるいは、人はそれに必然という名を付けるのだろうか。



***



「……ん?」


 それは昼過ぎだった。


 クライムの荷物の中で暖まっていたフィンが急に顔を覗かせたのだ。遅れてメイルが、次にアレクが順にそれに気付く。


 聞こえてきたのは車輪の音。少し遅れて、一行が歩いてきた街道を後ろから大急ぎで馬車で走ってくるのが見えた。荷物が満載の馬車はかなりの速度を出していて、石やぬかるみで車輪が浮くのもお構い無しだ。


 自然と一行は道を譲り、御者は会釈代わりに少し手を上げてあっという間に通り過ぎた。どんどん遠くなるその後ろ姿を見て、アレクは少し訝る。


「何かあったか? 焦ってはなかったが」

「メイル、向こうに街でもあったかい?」

「すぐ近くにフレイネストがあるよ。商人が立ち寄る様な街じゃないけど」


 フィンは鼻をヒクつかせて遠くの様子を探っている。マキノが少し考え込んでいた。何か思う所があったようだった。


「……少し、寄ってみてもいいですか?」


 通り過ぎるはずだった街に寄るのも久しぶりになる。一行は近くにあった定期便へ乗り込み、馬車を追いかけるようにしてフレイネストを目指す。メイルの言った通り街はすぐ近くだった。


 丘の上からその全貌が見下ろせたのは、鉛色の要塞都市だ。分厚い城壁の上では大きな軍旗がたなびき、城壁の見張りも異常に多い。見た瞬間、ここはまずいと皆が思った。


 メイル曰く、実際この街では中央に構える駐屯地を起点に国軍が幅を利かせており余所者は相当生きにくい。だがその城門の前にはどういう訳だかその余所者達が馬車で詰め寄せていた。何事かと近くまで様子を見に行くと、異常なまでの喧騒だった。


「ふざけんじゃねぇ! こいつは空気に触れさせちゃ駄目だって言ってんだろ!」

「荷物は全て検める! 貴様まさか、その樽の中に武器を詰めているのではないのか!」

「鰊だ間抜け! 匂いで分かるだろ!」


 あちこちから怒声が飛び交う城門では、それを護る兵隊と積め寄せた男達との激戦が続いていた。検問がやたらと厳しく時間が掛かっているようだが、それでも余程の用事があるのか、どの馬車の商人も旅人も早く入れろと必死だった。


 ようやく樽の中身が鰊だと認められたのか、鉄の城門が僅かに開いて先頭の馬車が中に入る。そして門はまた閉まり、今度は二番目の馬車と兵隊が新たに激戦を始めた。


「これが延々と続いているって訳かよ」

「それにしては、みんな必死過ぎる気もするけど」


 半狂乱でヤジを飛ばす男達はとても話しかけられる雰囲気ではない。マキノは暫く辺りを見渡して、その中でも話が通じそうな一人に歩み寄った。この地方では珍しい女性商人、しかも一人だ。彼女は馬車の上で暇そうに詩集を読みながら、時折思い出したように前を急かしていた。


「すみません、旅の者ですが、これは一体どうした事ですか?」


 マキノに気付いて本から顔を上げた拍子に、くすんだ金髪が顔にかかった。白い服に民族模様入りの茶色いスカートと、女性らしく行商人にしては綺麗な身なりだった。それでも御者台には手入れされた細身の長剣がきちんと立て掛けられている。


「どこのもんだい?」

「ヘルマンから来ました」


 息をするように出まかせを言う。

 一行は自然と彼女から目を逸らした。


「また随分と南から御苦労だね。あんた最近この辺で魔物が出るのは知らないのかい? 夜になる度に牛や羊がやられてるから、みんな日が暮れる前に引き籠ろうって必死なのさ」

「魔物、ですか? これだけの人数が揃っているというのに」

「噂の魔物は最近突然沸いてきたって言うヤバイ奴らしくてね。ま、分からない物ほど怖いもんさ」


 この地では強大な魔物など珍しくもないが、何かが引っかかった。魔物が、最近、突然。岩のドラゴンを思わせる。一行は自然と集まって話し始めた。


「マキノ、俺達はどうすんだ」

「そうですね。予定より少し遅れ気味ではありますが……、!?」


 騒がしかった辺りが一瞬で静まった。


 耳が痛くなるような静寂。

 その中で、丘の向こうから低い唸り声が聞こえてくる。


 明らかに獣ではない。誰もが凍り付いたように見えない魔物を警戒する中、唸り声は遠吠えのようにしばらく響いて、そしてようやく途切れる。次の瞬間、人々の喧騒は前の倍以上になって爆発した。メイルも負けじと声を出す。


「マ、マキノ。やっぱりボクらも入らない?」

「俺も魔物が来ると分かっているのに野宿するのは御免だな」

「情けないですが同意見です。今晩、少しここで様子を見ましょう」


 久しぶり、本当に久しぶりの街だ。扉の歴戦の傷から見るに、魔物がこの街まで来るのは初めてではない筈だ。そう考えると大きな軍旗や城壁の見張りが頼もしく見えてくるから皮肉なものである。


「母さん!」


 声がした方から馬車と人混みの海を押し分けて小さな子供が走ってきた。メイルと同じ年頃の少年だ。アレク達を不審そうに見ながらも馬車に近寄る。


「御苦労、レネ。門の方はどうだった?」

「ダメだね。門番の奴らやたらと俺達にいちゃもん付けてきて。後小一時間は入れそうにないよ」


 そう言いつつ門の方に目を遣ると、人垣の向こうではまだ二番目の商人が戦っていた。少年は慣れた様子で馬車に登り、剣を避けてストンと母親の隣に収まった。


「お子さんですか。しっかりしていますね」

「ただの出来の悪い弟子さ。物覚えが悪くってね」

「教え方が悪いんだよ、この大年増」


 すぐさま少年の頭にタンコブが出来上がる。

 

 その後もマキノはアデーレと名乗る彼女と情報交換がてら楽しそうに話していた。これも長い旅路を住処とする人種特有の社交辞令だ。メイルはそんな大人の会話を感心したような顔で見ていた。一方でアレクは別の印象を受けたらしい。


「しかしこうして見ると、どこの国も同じだな。馬鹿で野暮で煩くて適当で。ジーギル達グラムの話しか聞いてねぇから、もっと酷い国かと思っていた」

「期待はずれかい? 普通の国で」


 フィンの返しをアレクは鼻で笑った。


「でもそれ、ボクも思ってた。もっと戦争ばっかりしているのかと」

「本に書いてある事と事実は違う、メイルが里を抜け出した理由だものね。フェルディアに関してもそうだった訳だ。良かったじゃないか、また一つお利巧になって」


 その言い方にメイルは唇を尖らせるが、実際その通りだ。西方諸国と戦争状態にある排他的で厳格な人間の国。それがメイルが知っていた本の中のフェルディアだった。それも間違いではない。ただ、それだけでもないという事だ。


 メイルは自分の抱いた違和感に関してなにやら小難しい顔で考え込んでいた。そこにフィンが、大体そんなものだと声をかけた。


「国同士の争いなんて、国民達にはさほど関心の無い事さ。彼等は見えない相手と睨み合っているだけで、実際に顔を突き合せれば意外なほど簡単に問題が解決したりする」

「それなら争いなんて最初から起きなさそうなものなのに」

「顔を突き合わせに行く人に限って目は曇っているものだからね。どうでも良いからこそ会わない、会わないだけに目は曇る。結局の所、本気で争いを無くそうとはしていないのさ。人間なんてそんなものだよ」

「どういたしまして。確かに俺は国の事情になんざ興味はねぇよ」

「逆に興味があるって人種はどういう人間なのか、まあ、会えばすぐ分かるさ」


 フィンは自分の考えを押し付けない。それでもメイルは少しは納得したようだった。彼女にとって複雑だったウィルとジーギルの関係も、それで少しは説明がつく。見えない亀裂は見えないままだ。見えないだけにあるかどうかも分からない。その正体が無関心だと言えば聞こえも悪いが、敵意でないだけ何倍もマシ。そうメイルは思った。


「その無関心さで、レイ達の事も平然と売り飛ばしたのか」


 低い声が聞こえてきたのは、その直後だった。


 メイルは驚いて振り返る。クライムだ。近くの馬に寄りかかって気怠そうにしていた。フィンにもアレクにも聞こえなかったらしい。ただの独り言だ、自分が言われた訳でもない。それでもメイルは少し気まずくなった。


 思えばクライムは、アグナベイを発ってからずっと様子がおかしかった。不機嫌で張り詰めていて、近寄り難い。レイの指輪も何故か外している。


「あの」


 それでもメイルは近付く。クライムは考え事をしていて顔も上げない。構わない筈だ。以前クライムがしてくれたように、悩んでいる時にただ傍にいるだけで力になれる筈だ。今度は自分がする番だ。ただもう一歩、近寄ればいい。


「……」


 結局できなかった。


 アデーレと話すマキノ、他愛もない話で時間を潰すアレクとフィン、考え事をしているクライム。皆に背を向けてメイルはその場を離れた。


 肩が落ちて、溜息が出る。

 最近メイルは何かと考え込んでいる。


 それは岩のドラゴンと戦った後からだった。あの時、メイルはとんだ役立たずだった。以前から感じていた事ではあるが、あの時ほどそれを痛感した事はない。しかも悩んだ所でどうすれば良いのかも分からなかった。


 情けない気分を誤魔化すために、メイルは辺りを見て回った。


 詰めかける馬車の間を掻い潜るように歩き回る。商人達は相変わらず、さっさと入れ、そこをどけと叫んでいた。気持ちが沈んでいるせいか怒声が鋭く耳に刺さる。確かに検問ごときで足止めされて、あげく魔物に襲われるなど馬鹿馬鹿しい。人に気を遣う暇があれば自分からだ。先を譲った所で誰も感謝はしないだろう。


「おい並べ! 横から入って来るんじゃねぇ!」


 突然頭上から降ってきた怒鳴り声にメイルは飛び上がった。すぐ後ろ、御者台に腰かけた男。丸々と太ったその商人は子供のメイルを相手に歯を剥き出して唸っていた。


「ご、ごめんなさい! あの、横入りとかじゃなくて、ボク、あの、みんなは向こうで……!」


 頭が真っ白になったメイルの口からは要領を得ない言葉しか出て来なかった。ただうろついていただけ、それだけの説明が出来ない。その様子に商人は益々顔をしかめる。その顔覚えてやると言わんばかりに身を乗り出した。


 その時、相手がおやっと目を細めた。


「……なんだ、お前、その耳は」


 そう言って、商人は自分の耳を指さして見せる。話題が変わってメイルは少し気が軽くなった。ゆっくり息を吐く。そう、簡単なはずだ。さっき見たマキノのように、笑顔で、きさくに、自然に話せばいいのだ。


「この耳は、生まれつきなんだ。ボク、亜人だから」


 たどたどしくも、ようやく言葉らしい言葉が出る。相手がニヤッと笑って一気に胸のつかえが取れた。商人は打って変わった様子で、そうかそうかとニヤニヤ笑った。


「悪い悪い、この辺りじゃ亜人なんて見かけなくてな。イカしてのは耳だけか?」

「いや、実は隠してるけど尻尾も。おじさんはリュカルって知らない?」

「ははは、知らねぇが可愛いもんだな。それより仲間がいるなら戻んな。うっかりはぐれちゃ危ないぜ」


 メイルは頭を下げて、小走りでその場を後にした。


 皆の下に戻る頃には、メイルはすっかり気分が軽くなっていた。初対面の相手と一言二言話しただけ。馬鹿馬鹿しいほど小さな事だ。だがその小さな積み重ねが自分を大人にしてくれる。今のメイルにはそんな風に思えていたのだった。


 そんなメイルの気も知らず、一行は変わらず時間潰しに徹していた。クライムは暗い顔で悶々と何か考え、マキノは変わらずアデーレと話していて、どう言う訳だかアレクはレネと掴み合いの喧嘩をしていた。子供相手に言いくるめられて左手しか使えないらしく、何故だかいい勝負になっている。フィン怠そうにその審判をしていた。


「アレク一勝三敗。レネ三勝一敗。じゃあ次五回戦ね。はい始め」


 日が落ちると共に少しずつ列は前に進み、喧騒は段々少なくなってきた。


 メイルと話した太った商人も難なく入り、アデーレとレネの馬車もなんとか通過。ようやく城壁の前にはアレク達だけになった。日が暮れる前には間に合ったようだ。検問をしていた四人の兵隊は一行を見て何やらヒソヒソと話をして、ようやくその中の一人が前に出てきた。


「お前達で最後か。出身と一応名前。それに我がフレイネストに立ち寄る目的を聞こうか」


 当然ここもマキノが対応する。魔物に亜人に雪の竜、はぐれ魔術師に騎士殺し。話せば話すだけ面倒な一行の経歴を絶妙にはぐらかしながら質問に答えた。それに誰も追及しない。この手の駆け引きでマキノが下手を打った事など、今まで一度もないのだ。


 下手を打つのは、いつも別の誰かだ。


「待て!」


 後ろで控えていた兵隊の一人が一行を指さした。

 呼び止められる理由が分からない。さてはまたクライムか。


「お前だ、そこの小娘」


 だが問題はメイルだった。検問中の兵隊に足止めされる中、後ろの兵隊は肩を怒らせて近付いてくる。アレクもマキノも何事かと顔を合わせていた。メイルも突然の事で目を白黒させている。


 兵隊は無遠慮にメイルに向かって手を伸ばす。当然のようにクライムがそれを庇うが力づくで押しのけられた。そして兵隊はメイルの胸倉を掴み、髪に隠れて見えなかった筈の耳を掻き出した。地中の賢者特有の歪に尖った耳だ。それを見て他の兵隊もざわめく。


「やはりな。気付かれないとでも思ったのか」


 兵隊は吐き捨てるようにそう言った。


「この餓鬼、魔物だ。全員捕えろ」



***



 日が落ちた。


 フレイネストの街に火が灯る。

 遠くに聞こえていた唸り声は、すぐそこまで迫っていた。


 城門は既に全て閉め切られた上に何重にも閂がかけられ、城攻め用の槌でも持って来ない限りびくともしない様子だ。この付近で魔物が現れるのも今に始まった事でもない。城壁の上に配備された兵士達も、闇の中で光る双眸が無数に蠢いていても別段追い払う様子もなかった。


 フレイネスト中央の駐屯地も兼ねた砦でも、時折聞こえて来る魔物の声を風音と同じ程度に聞き流していた。昼のように灯りが付いたこの建物では役人達が山の様な書類を抱えて走り回り、兵隊は列を成して戦に備えている。


 そんな忙しさや堅苦しさを尻目に、砦の端に位置する一室からは粗暴な怒鳴り声が聞こえて来ていた。


「いい加減にしろ! てめぇら魔物と亜人の区別もつかないのか!」

「失礼ですが、この街には魔物の変身を破れる魔術師はいないのですか?」


 建物の外まで聞こえそうな大声に、傍を通る者は皆顔をしかめていた。


 近頃は街に近づく魔物の件もあり検問がより厳しくなっている。そこに今日、思いもよらない輩が引っかかった。人に化けた魔物が旅人を名乗って街に入ろうとしたらしい。全員手錠や縄で動けなくした上で取調室で尋問をしてるのだが、どうにも埒が明かないようだ。自称旅人の怒鳴り声はもう随分長く続いている。


 その部屋に、足早に近づく男がいた。

 見るからに堅苦しい男だった。


 固く整った濃紺のローブに身を包んだ長身の男だ。痩せて細い顔に尖った鷲鼻、獅子の鬣のような髪、そして山羊のように尖った髭だった。


 役人にしてはまだ若いとも言える風貌だったが、服の裾から覗く腕や指は枯れ木のように細く、そこを切り取ればまるで老人のようにも見える。そして武器こそ身につけていないが、何故か腰からは剣も刺さっていない空の鞘を下げていた。男は別の役人に連れられて取調室へと急ぐ。


「こちらが例の……」

「見れば分かる。御苦労」


 ぴしゃりと短い一言で案内を追い払うと、軽くノックして扉を開いた。


 中にいたのは取調官が一人、兵隊が三人、それに噂の自称旅人の四人だった。旅人は皆木製の頑丈な手枷を嵌められていたが、一番背の高い男だけはそれが鉄製の物に替えられていた。床に散らばる木屑を見る限り、信じられない事に木製の物は自力で叩き壊してしまったようだ。


「監査長、こんな所においでになるとは……」

「報告」


 問題の四人を無視して、監査長と呼ばれた顎鬚の男と取調官は話を始めた。あってないようなその内容にも文句はあるのか、話の途中で鉄手枷が何度も立ち上がろうとしては兵隊に押さえつけられていた。


 一通りの話を聞き終わった後、男は無感情に分かったと言った。そして四人を除いて兵隊を含む全員にこの部屋から出て行くよう命令した。


「いえ、しかしこいつらは……」

「これ以上私の時間を浪費させるな。出て行け」


 取調官は結局、男を相手に一度もまともに話せないまま部屋を追い出された。


 一気に人数が減った。雰囲気の変わった部屋で、四人は男が椅子をひいて座るのを黙って見ていた。男は取調官が残していった資料にパラパラと目を通すと、何も言わずにそれを屑籠に放り込んで四人に向かい合った。


「さて」


 指を組むと左手に嵌っていた古い指輪が鈍く光った。

 男は目の前に座った灰色の髪の青年に話しかける。 


「随分と我々の手を煩わせてくれたな。よりにもよってこんな時に、しかも亜人を連れてフレイネストを訪れるとは一体どういう量見だ」


 男の口から亜人と言う言葉が出てきて、やっとまともな奴が出て来たかとアレク呟いた。もっとも出て来たと言うよりも、荷物に隠れたフィンを除く四人が散々前の役人をてこずらせた事で、上役であるこの男を無理矢理引っ張り出した訳だが。


「御迷惑をおかけした事については謝罪します。しかしこれほどの街で、まさか地中の賢者の名を知らない方がこうも多いとは」

「泥臭い賢者などフェルディアには不要だ。そっちの小僧がもっと暴れていれば事はもっと簡単に済んだものを」


 そう言って男は神経質にコツコツと机を叩いた。


「一体どういう事ですか?」

「金だ。配備されたばかりの下級兵士共は、手っ取り早く手柄を立てれば自分の給金が上がると思っている。だから検問は厳しいし警備もきつい。足りない頭でも考えれば分かる事だろう」

「なんだと!?」


 またアレクが立ち上がった。今度はそれを抑える兵隊がいない。


「じゃあいつらは俺達からありもしないボロを引き出そうと、時間をかけて検問してたって訳か! いつ魔物が来るかも分からない状況で!」


 アレクが怒鳴る一方、責任を感じて小さくなっていたメイルは更に恥ずかしさで真っ赤になっていた。あの人が、と小さく呟くと、それ以上何も言えずに膝を抱えてますます小さくなる。


「そうだ。だがそれも知らずにノコノコやってきたお前達にも非はある。亜人を連れてくるとは、馬鹿め、一体どこの田舎者だ。報告書にはヘルマンとあるが、まさか本当の事でもあるまい」

「配備されたばかりってどう言う事」


 後ろに座っていたクライムが急に口を開いた。

 その異様な雰囲気に、部屋中の視線がクライムに集まる。


「あなたはここの役人じゃないんだね、えっと……」

「スローンだ。今は中央から派遣された形で一時的にここに席を置いている」

「そう。それでスローンさん。僕が見る限りこの建物には、いや、この街には随分と兵隊が多い。金にも不自由するような兵隊をそんなに沢山集めて、あなた達は一体何をするつもりなの?」


 その言葉を聞いて、スローンは露骨に不機嫌な顔をした。


「口の利き方に気をつけろ小僧。そもそもこのフェルディア軍の目的はここ数百年変わっていない。その一言を中央議会の耳に入れれば、その首すぐに落としても文句は出ないだろう」


 クライムは微動だにしない。

 しかし、スローンの言葉を聞いた時、その体が一瞬膨れ上がったように見えた。

 握っていた拳にぎゅっと力が入り、関節が白くなる。


「……あなたは」


 震える声でクライムは言った。

 一言一言、噛み締めるように。


「あなた達は、一体何のために生きているんだ。王国の復興なんて、そんな事の為に同じ人間と争うくらいなら、街の人達を不安にさせている魔物の一匹や二匹どうにかしたらどうなの。兵士は仲間を守る為に居るんだって、僕はそう思っていたのに。それが……」


 体を膨らませている怒りを、理性が堰き止めているようだった。目の前の役人と目を合わせないように下を向いている。合わせれば、アレクと同じように歯止めが利かなくなりそうだった。


「それが実際はこれか! あなたの言う過去の戦争で一体どれだけの人が血を流したか知れない! 大変だったんだろうね! 敵と手を組んで、仲間を売って、そこまでしなきゃ勝てなかったんだろうさ! でもその結果、今の大きくて安全な国家があるのに……、あなたは! それをまた昔話と幻想の為にすり減らそうって言うのか!」


 その時突然、遠くから聞こえて来た轟音が建物を震わせた。



***



 砦は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。城壁からの報せを受けてすぐさま兵士達の緊急配備が徹底されていた。眠っている兵も叩き起こされ、順々に武器を取って走って行く。街の人間が何事かと窓から顔を覗かせる中、列をなした兵士達が騒がしい音を立てながら城門へと急いでいた。


「おいおい! こいつは何の騒ぎだ!」


 耐えられなくなってアレクが叫んだ。だが本当は誰もが分かっていた。取り上げられた荷物の中からは、偽物を捕まえている間に本物が来てたら世話ないね、と小さな皮肉が聞こえてくる。だがスローンは報告に来た役人としきりに何かを話し、彼らには目もくれなかった。


 ようやく話し終わると、さっきと何も変わらない冷めた目で向き直った。


「別の用事が出来た。お前達はすぐさま地下牢に向かえ。何もしなければ数日で済む。何も、するなよ」


 全員と目を合わせながら、そう念を押す。だがアレクは止まらない。


「ふざけんな! 例の魔物が来た事くらい分かっている! この期に及んでまだ俺達を捕まえようってのか!」

「規則だ」

「何が規則だ! さっきお前が言っただろ! 濡れ衣だって!」

「濡れ衣だろうと兵隊に捕縛された時点でお前達に罪は出来た。問題の兵達にも厳罰は与えてある以上、お前達だけこのまま無事に帰す訳にはいかないのだ。それもただの軽い方便のようなもの。事態を分かっているなら尚の事我々の手を煩わせるな」


 スローンが指を鳴らすと役人が外に出て、代わりに兵士が数人部屋の中に入ってきた。


「お前達も魔物から逃れるためにこの街に逃げ込んだクチだろう。国の城壁と国の兵隊に守られるからには、この国の決まり事に従って貰う」

「スローンさん」


 扉の前にまで来たスローンを、再びクライムが呼び止めた。


「あなたにとって、ヴェリアの王国ってなんですか」


 スローンは振り返ってクライムの顔を見た。一瞬、その顔に底知れぬ激しい怒りが見えたような気がした。だがそれも一瞬だった。一言も答えず、何事も無かったかのようにそのまま扉を開け、入って来た時と同様せかせかと足早にどこかへと歩いて行った。


「さっさと立て!」


 スローンが居なくなると、兵士はすぐに気取った様子で怒鳴る。全員が掴まれて乱暴に立たされた。メイルについていた兵士は特に乱暴だった。細い腕を掴んで無理矢理引っ張る。


「おいやめろ!」


 メイルを見る兵士の目には明らかに侮蔑の情が見て取れた。子供であろうと亜人ごとき獣と同じ扱いで当然だと。痛さで涙目になるメイルにアレクは飛びかかろうと悶えるが、三人がかりで押さえつけられて動けない。


「俺に触るな!」


 とうとうアレクがキレて肘鉄で兵士の顎を叩き、後の二人も押しのける。狭い取調室の中でアレクと兵士達の乱闘が始まろうとしていた。今やアレクは五人の兵士に取り囲まれ、その内の数人は剣を抜こうとしていた。メイルがひきつり、フィンが荷物から飛び出し、マキノが指先に紫電を宿した。

 

 木製の手枷が床に落ちる軽い音が部屋に響く。


 メイルもフィンもマキノも、その場にいた全員の視線が地面に転がった手枷と、何故かそれが外れているクライムの両腕を注がれていた。しかもその手枷は鍵が掛かったまま彼の手からすり抜けていた。


 その肩を掴んでいた兵士も不思議と身動きが取れなくなっている。そんな背後の兵士の手を軽くどけると、クライムはゆっくりメイルに近づいて、その手を掴んでいるもう一人の兵士に向かって微笑んだ。


「僕はね」


 ぽんと兵士の肩を叩くその手に、次の瞬間強烈な力が入った。


「今、とても虫の居所が悪いんだ」



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