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変わり者の物語  作者: あなぐま
第1章 岩のドラゴン
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第12話 再び旅立つ

「乾杯だ!」


 幾つものコップに酒が注がれ、高く掲げられてカンとぶつかる。男達は中身を一気に開けると気持ちよさそうに息を吐いた。


 こんなに夜も遅いのに、このお祭り騒ぎで寝る人なんて誰もいない。立ち並ぶ簡易の店とあちこちに据え置かれた松明で、この町は昼のような賑やかさだった。何か月もの間ここら一帯を恐怖のどん底に陥れた岩のドラゴン。それが遂に倒されたんだ。みんなが笑っていた。家族と最高の時間を過ごし、仲間と最高の宴を楽しみ、僕らもその明るい空気ですっかり呑まれていた。


「クライム、次、あれ」

「あれも? 分かったよ」


 フィンが指したのは店の上から簾のように吊るされた、何だあれ、鶏肉の燻製かな。この祭りで出されている物はほとんど北国の料理だ。焼き肉一つ作るにしてもやたら手間がかかっていて、その分食べるとおいしい。そして高い。背中に背負ったメイルを起こさないように、僕はお金を払った。


「毎度あり、兄ちゃん!」


 見事に腹の出た熊の様なおっちゃんだ。笑顔で僕にくれたけど、僕が食べる訳じゃないんだ。一口も食べずに上に放ると、頭の上で蜷局を巻いていたフィンが口で器用に咥え、むしゃむしゃと食べ始めた。


「その小さい体に、よくまあそんなに入るもんだね」

「久しぶりに飛んで疲れたんだよ。ここに並ぶ料理を皿ごと平らげても足りないくらいさ」

「頼むから店ごと食べないでね。フィンならやりそうで怖いよ」


 ドラゴンを倒せたのもフィンのおかげだし、今日にいたっては僕は完全に財布役だ。不承不承でも、それだけの働きをフィンはしてくれた。それにこれで少しでもフィンの機嫌が良くなるなら、いくら払っても安いくらいだ。


「でもちょっと疲れたよ。少し歩き通しだし」

「じゃあ適当に座ろう。僕もどこかでゆっくり食べたい」


 辺りを見渡す。野外に並んだテーブルはどこも人でいっぱいだけど、丁度いい所に空いている所があった。と言うか空いてはいない。狼二人、ジーギルとリメネスが飲んでいる。決して悪い人じゃないんだけれど、何となく近寄り難い雰囲気があってみんなそこを避けているようだ。


「ここ、いいですか?」

「お前か。座れ」


 短い一言に僕は甘える。背中のメイルをそっと下ろして膝の上に乗せた。もぞっと動くけど、やっぱり疲れているのかそのまま眠り続けた。フィンは僕に買わせた料理をおもむろにテーブルに開くと、再びむしゃむしゃと片っ端から食べ始めた。


 ここ、オーバンはフェイルノートに一番近い街だ。フェイルノートがドラゴンに襲撃された時、いち早くその情報を掴んだ傭兵団の関係者。彼らを中心に村の全員はここに逃げ込んだらしい。本当に一人も犠牲者が無かったというのだから驚きだ。山猫騎士団を始め、今はこの街に全ての傭兵団が集まって勝利を喜んでいる。


「あれから、もう三日か」


 そんな気がしない。フィンに乗って死に物狂いで戦ったのがつい昨日の事のようだ。それに怪物達を追っていた時は、本当に終わりが見えない様な気がしていたから、いざそれを迎えても実感がない。


「そう言えば仲間から伝令が来たぞ。確認が遅れていた最後の地方でも、やはり岩の怪物は確認されなかったようだ」

「やっぱりウィルが指輪を壊した時に、世界に散らばっていた怪物達は元の岩に戻ったんですね」

「奴の周りの怪物が動かなくなるのを見てもしやと思ったが、ともあれこれでようやく一息つける」


 そう言ってジーギルは小さなコップに注がれた酒を一口飲んだ。

 かと思うと、向こうで乱暴にコップを机に叩きつける音がする。見えたのはアレク、エイセル、リューロンの三人。この一件ですっかり仲が良くなったのは良いけれど、あのアレクの酒好きについていけるなんて凄い。


 でも元気なアレクを見ていると溜息が漏れる。あれだけ大きな岩の怪物とやり合って無事でいるのは嬉しいけど、余りにも無事過ぎてなぜか嬉しくない。心配した僕が馬鹿みたいじゃないか。


 新たに注文した三人分の酒、乾杯するとまた一瞬で空にする。アレクはいつも通り陽気になって、エイセルは真っ赤な顔で満面の笑みを浮かべて、リューロンは変わらない。超強いなこの人。そう言えば。


「ジーギルさん、結局みんなには指輪の事を……」

「言っていない。言った所で不安を煽るだけだ」


 ドラゴンは倒した。でも事態が終わった気は全然しない。あの夢の事もある。むしろ何か恐ろしい事が始まってしまったような気分だ。だから正直、僕はこの祭りを心からは楽しめない。ここ数日頭から離れないからだ。どこかに眠っていた第二、第三の指輪が動き始めて、今にもこの空の上に、新たな岩のドラゴンが現れる事を。


 このにぎやかな祭りも、人々の笑顔も。

 一瞬で灰になるのではないか、と。


「考え過ぎだ」

「え?」


 ジーギルに突然言われた。何だろう。僕、今何か口にしたかな。


「口にしなくても分かるよ。こういう事はすぐ顔に出るんだから」


 口いっぱいにチーズを詰め込んだフィンが言う。僕はそんなに分かりやすかったのか。それもフィンならともかく会って間もないジーギルにまで。恥ずかしい、少し気をつけないと。ジーギルは諭す様な口振りで話を続ける。


「謎は多いが、当面の危機は取り除いた。怪物はいなくなり、人々は馬鹿のように浮かれている。私はそれも悪くないと思っている。真実はどうあれ、また彼等は前に進み始めるだろう」

「真実はどうあれ、ですか?」

「彼等に新たな指輪の可能性を教えて、また恐怖を蘇らせる事は本当に正しいのか? あのリューロンならそう言うだろうが、私に言わせれば、折角また勢いに乗り始めたこの流れを、わざわざ殺す事はない」


 そうだ。


 ショーロの村も、また復興を始めているという。何もかもがまた新しく始まろうとしてるんだ。素直に喜ぼう。全然悪くない。ここにいるみんなの明るさなら、たとえ新たな怪物が来たってその熱気で吹き飛ばしてくれる。そうやって前に進んで……。


「ジーギル!」


 急に後ろから声がして、飲みかかったお酒を吹きかけた。リメネスが黙ってハンカチを貸してくれる。かかってないだろうか。それにしても、この女騎士が喋った所を一度も見たことが無いな。


 僕の後ろに来ていたのはヴィッツとテルル。アレクと同じくらいの歳の女の子で、凄腕揃いのジーギルの一団の中でも若々しくて明るい二人だ。そのヴィッツが息を切らしている。信じられないものでも見てきたという顔だ。


「さっきそこで奴に会ったわ! ほら! あの、何だっけ、奴よ!」


 全く分からないヴィッツの話をテルルが通訳する。


「以前山猫屋の前で呼び込みをしていた太った商人。覚えているか?」


 覚えていますとも。

 握手した時のあの脂ぎった手、忘れるものですか。


「それがここに、それは妙だな。いる筈はないが」

「でしょ!? 変よね! あり得ないわ!」


 全く興味が無さそうなジーギルに、ヴィッツが色々まくし立てる。


「山猫騎士団は正式にはフェイルノートがやられた時に解散したって聞いたわ! まとめ役の商人も皆大怪我で動けなくて、だから私達に支払われる金も全部飛んだって!」

「奴の機嫌は相当良かった。間違いない、あれは一儲けした商人特有の顔だ」

「それは問題だな」


 そう流してジーギルは黙々と酒を飲み続ける。


 でも話は分かった。つまり彼らはドラゴン襲撃を良い事に騎士団は解散したと僕らに伝え、その裏で団員に支払うはずの報奨金を残らず自分の懐に収めたんだ。わざわざ臭い芝居まで打って。


 でも待てよ。そうか、フェイルノートの避難がやけに手際が良かったのはそういう事か。きっとドラゴンじゃなくても、一体でも怪物が来れば彼等はすぐさま村を捨ててこの流れに持っていくつもりだったんだろう。その準備が幸いして犠牲者が出なかったのなら、まあ文句は無いけど。逞しいねまったく。


 でもこれって詐欺だよね。


「許せないでしょ!? ええ許せないわ!」

「同感ですね。まったくもって許せません」


 気付けばヴィッツの更に後ろにニコニコしたマキノが立っていた。

 うっわ。この顔も久しぶりだ。トレントの街以来か。


「正直な話、ドラゴンに関する情報収集が目的で騎士団に入りましたし、報奨金が出ないなんてどうでも良いんですよ。でもその裏で甘い汁を吸っている人がいるのは、どうにも面白くありません」

「話が分かるわね! まったく同意見よ!」

「彼の所まで案内して貰えますか? この際色々とすっきりさせたいので」

「こっちよ! まだ遠くには行ってないわ!」

「おい何だテメーら、面白そうな事やってんじゃねーか!」


 賑やかな面々がバタバタといなくなった。平和だな。


 これもジーギルの言うように、前へ進み始めてるって事なのかな。くよくよしても仕方がないのかも知れない。ドラゴンは倒した。街も立ち直り始めている。山猫達もそれぞれの国へ戻るだろう。彼等の生まれ故郷へ。


 北の、国へ。


「……」


 レイは、あれから一度も話しかけてこない。あの戦いで残った山のような疑問には、なんの答えも手掛かりも示されない。


 僕は、やっぱりこの漠然とした不安を拭い切れない。ずっと気になっているんだ。ウィルがドラゴンの指輪を砕いた時、僕は誰かの激しい敵意を感じた。岩のドラゴンと同じ禍々しく光る赤い目をした男を確かに見た。


 彼が誰なのかは分からない。でも何を考えていたかは覚えている。その敵意が、何に向けられていたかも。


「北の国は、既に抑えた……」


 みんなはすぐに戻ってきた。交渉は上手くいったみたいだ。マキノも何かを持ってきたけど、僕と目があった瞬間すぐにその顔が引き締まった。でも何も訊かなかった。無言で向かいの席に腰を下ろして、僕の言葉を待つ。


「……マキノ。話さなきゃいけない事がある」


 そう、僕は切り出した。



***



「君達も一緒に来ないのかい? 北へ向かうんだろ?」

「僕らは馬が無いし、足手まといになるだけだよ」

「良く言う。何が馬より遅いって?」


 リューロンの言葉にフィンはあっかんべーした。雪の竜の事は結局、あの時に一緒にいた人だけの秘密にして貰っている。きっと守ってくれるだろう。朝一番に旅立ったシン達も、何も聞かずにいてくれた。


 リューロンは意味深にフィンの頭を軽く小突くと、一度も振り返らずナルウィと一緒にオーバンを後にした。


 祭りの終わり。ドラゴンを倒して四日目の朝。僕らは打ち合わせた訳でもなく街外れに集まっていた。目の前には北へと続く荒れた大地が広がっている。


 山猫騎士団はそれぞれの道に旅立っていく。夜通し賑やかだった街は、朝から片付けに追われていた。あの場に溢れていた熱気は今は形を変えて各地へ分かれていくのだろう。マキノは例の商人から骨の髄まで絞り取り、その大金は山猫達で仲良く分けた。みんな準備は万端だ。


 出発を前にした仲間達を背に、ジーギルとウィルが話していた。


「お前はやはりフェルディアに帰るのか」

「そうなるよ。国の仲間から戻ってくるように伝令があってね。また国が何かしら動き始めているらしい。それが何であれ、俺も知らない訳にはいかないからね」

「願わくば、それがグラムへの宣戦布告でなければいいが」


 ドラゴンを倒した後、騎士団の間にあった見えない亀裂は再び浮き彫りになっていた。


 ウィルもジーギルも僕らにとっては大切な仲間だ。本人達だって互いをそう思っているだろう。それでも、これから彼らはそれぞれの国へと帰っていく。互いに敵同士になるかもしれない国へ。


 ジーギルの後ろではリメネスやゴルビガンド、十一人の狼が既に馬に乗っている。最初に出会った時と同じ体を包む茶色のマントを羽織って出発を待っていた。短いやり取りの後、ジーギルは僕らに背を向けて馬に向かった。


 僕らの協力関係もこれで終わりだ。誰も口にはしなかったけれど、彼等がただの傭兵ではないと、相応の立場がある実力者だというのは何となく察している。フェルディアとグラムの戦争でも起きようものなら最悪の形で再会するかもしれない。敵国の騎士として、打ち倒すべき敵として。


「また会おう」


 それでも、ウィルはそう言った。


「君達が一緒にいてくれて、とても心強かったよ」


 ジーギルが差し出された手をじっと見る。馬から手を離した。ゆっくりと歩み寄り、そしてその手を取った。


「私もだ」


 心が震える瞬間だった。静かな朝、ジーギルの馬の嘶きが辺りに響き渡る。それを合図に彼らは一度も振り返ることなくグラムへと駆けていった。


 ウィルも、北へと駆けていく。

 彼もまた、一度も振り返らず。

 ジーギル達とは、また違う方向へ。


「良い人達だったね」


 舞い上がる土煙が消えて、ウィルの姿が完全に見えなくなるまで、僕らはそれを見送った。


 これで残るは、僕達だけだ。


「さて」


 何の気兼ねもなく話す事が出来る。


「レイ。聞こえてるんだろ」

「……ええ、そろそろ来るんじゃないかと、思っていたわ」


 当然のように答えるレイ。

 やっぱり、みんなの前だから敢えて黙っていたのか。


「悪いけどね、もうレイの秘密主義にはうんざりなんだ」

「手厳しいのね。でも私、役に立ったでしょう?」

「そうやって大事な事を隠したまま、言いたい事だけ言うのはやっぱりずるいよ」


 おかげで要らない事まで考えた。


 一晩寝ると頭がすっきりした。冷静に考えれば、あのドラゴンの正体がレイであるはずがない。レイの言動とドラゴンの行動には一貫性がなかったし、自作自演ならこんな回りくどい方法は取らないだろう。今までのレイの気持ち、それも僕には嘘だと思えない。何よりあの時に見た暗闇の中の男が気になる。


 マキノもレイにあれこれ訊いていた。


「聞かせて下さい。あのドラゴンの中心に、何故あなたと同じ指輪があったのか」

「同じって言われてもね。これは別に私が作ったものじゃないわ」

「それでもあなたと同じものだ。疑われても仕方ないでしょう」

「僕はあれを見たよ」


 脈絡もなく僕も口を挟んだ。


「あれがどこで、彼が誰なのかは知らない。でも、彼の目は間違いなくドラゴンの物と同じだった。何を思っているのかも伝わってきた。全てが憎いって彼の気持ちが、あのドラゴンを生み出したんだね。彼が、あの指輪の本当の持ち主なんでしょう?」


 夢の話はもうみんなに話した後だ。僕の言っている事は大まかに分かっているだろう。レイは答えない。でも、それは肯定しているのと同じだ。


「確かにレイは嘘をついてなかったんだと思う。でも、本当の事を言わないのは嘘をついているのと変わらないよ。それも、もういいだろ?」

「……確かに、今更隠す事でもないかも知れないわね」


 僕はやっぱりレイを信じたい。レイは全てを知っていた。でも、その全てを話せば僕らがドラゴンと真っ直ぐ向き合えなくなると分かっていた。本人の言葉を借りるなら、知らなくても良い事だ。でもだからこそ、今なら隠す事は何もない。


「君が夢で見たのは多分、私が見たのと同じ光景よ。確かにその男こそがあの指輪の持ち主、あのドラゴンの正体って事になるわね」


 ぼんやりとしていた事実が、確信に変わる。


「私と同じように彼も動けないのは、君も見ての通りよ。彼とはちょっと一言じゃ説明できない関係でね。持っているのが同じ種類の魔法の指輪であることも否定しない。私の場合はもう片方を偶然クライムが拾ってくれた訳だけど、彼の場合そんな都合のいい事はなかった。だから持ち前の力に物を言わせて無理矢理動かしたのよ。その指輪に触れていた、大地そのものを」


 男の感情をドラゴンはそのまま持っていた。岩のドラゴンは指輪を守る為の鎧であり、その怒りを撒き散らす為の手足だったんだ。


「今更もったいぶるなよ。しきりに言ってるその男ってのは、一体誰の事だ?」

「言って分かる人じゃないと思うけど?」

「それは私達が判断します」


 レイは少し溜息をつく。

 それでも、沈黙の後に答えた。


「……彼の名は、ヴォルフ」


 みんな、黙って耳を傾ける。


「五百年前、多くの国々を巻き込む戦争を引き起こした男よ。太古の怪物達を配下に加えて戦い続け、世界の全てを滅ぼそうとした。結局誰にも倒す事は出来ず、一切の自由を奪われて、彼は今もどこかに囚われ続けている」


 その話は聞いた事がある。

 確か山猫屋の地下での事だ。彼らは、確か。


「魔族と呼ばれる人々よ。黒い髪に黒い翼。以前聞いた話も間違ってはいないわね。もう彼等はどこにも残ってはいない、戦争でその多くが命を落とした。でも全ての原因だったあの男は今も生き続けている。彼は、その首領だった男よ」


 五百年前の人間が今も生き続けている。あの夢の中で見たのは、そのヴォルフという男だったんだ。しかもレイの話が本当なら彼は五百年間ずっと囚われ続けていた事になる。あの鎖に、縛られたまま。


「これで分かった? 君達が戦っていた相手、あの岩のドラゴンの正体はただの怪物なんかじゃない。五百年前の悪意が創り上げた、旧大戦の亡霊よ」


 私は、全てを滅ぼす。

 森を、国を、街を、人を。

 この世の全てを。


 それがあのドラゴンの、ヴォルフの目的だった。

 遥か昔の、戦争の続きだ。


「仮にその馬鹿げた話を信じるとして、つまりあれか。ドラゴンを倒したは良いが、その大元は今もどこかで生き続けていて、クライムの言うようにいずれドラゴンが再来するって訳か」

「それはないわ。ヴォルフの指輪に近付いて分かったけど、彼が他にも指輪を持っている様子は無い。だからこそドラゴンに全力を注げたんだろうけど、それも失敗に終わったわ」

「何の保証にもなってない。奴がどこかで生きている限りはな」

「じゃあアレクが何とかしなさいよ。旧大戦で名を馳せた八人の大魔法使いが、総出でかかっても殺し切れなかった怪物を」


 つまり、そうか。これは最初から終わりが見えない戦いだったんだ。その根本を断つ事は最初から不可能だった、どうにもならない事。レイもジーギルと同じ事を考えていたんだろうか。未来に迫るかもしれない危機の可能性を示唆して、大切な今を台無しにする危険を冒せなかった。


 分かるよ。分かるけど。


「こうなっちゃうわよね。分かってたわ。でも良く考えて。君達の目的はヴォルフを倒す事じゃない。彼が生きていようと生きていまいと、今を生きる君たちには何の関係も無い事よ。ましてドラゴンを倒した今ならね」


 確かに、それは正しい。


「確かに私は秘密主義で通していたわ。でもそんな秘密なんて最初から君達には無関係だった。決意が鈍るだけで何の意味もなかったのよ」


 でもまだ、肝心な事を言っていない。


「レイは?」


 僕は一番気になっていた事を訊いた。


「レイはどうなるの。あのドラゴンを倒したら、レイは自由になるんじゃなかったの」


 レイは一瞬気まずそうにして、答えた。


「悪いけど、私はそんな事を言った覚えはないわ」


 ……はっ。

 そう言えばそうだったかもしれない。


 アレクの言う通り、ドラゴンを倒してもヴォルフを倒した訳じゃない。どの道レイが自由になれないってのも筋は通っている気がする。


 それにしても他人事のような冷たさだ。その気になったんじゃなかったのか。僕と思い出話や、これからの話をしていた時、笑いながら一体何を考えていたんだ。結局自由にはなれないと分かっていたのに。


 思えばレイが最初に僕に語りかけてきてから、僕らはその掌で踊っていたのかもしれない。気付かないうちに上手く誘導されて、それでも結果的には僕らにとって最高の形に落ち着かせてきた。自分の事を棚に上げて、大事なことも話さずに。


 そんな事を言った覚えは無い、確かにそうだ。僕が勝手に勘違いして、レイはそれを否定しなかっただけだ。何にせよこれで何もかもが終わってしまったんだ。納得出来なくとも、レイのおかげで全てが綺麗に落とし所に落ち着いた。また明日からはいつも通りに毎日が続いていくだろう。


 これが、この旅の終わりなんだ。


「あのさ」


 でもこれって詐欺だよね。


「僕こういうの許せないんだけど、どう思うマキノ」

「同感ですね。まったくもって許せません」

「やっぱり僕は、何年経ってもレイとは話が合わなさそうだね」

「それでもボクはレイに会いたいよ!」

「俺は取り敢えず一発殴りてぇ」


 思い思いに気持ちを吐き出す僕らを前に、レイは少し慌てているようだった。


「え。ちょっと君達、何言ってるの一体。もうドラゴンは倒したんだってば」

「知ってる。でもこのままじゃ終われないんだよ。これでめでたしめでたし、なんて馬鹿げた物語、僕は今まで読んだ事が無い」


 レイの目的はドラゴンを倒す事だったんだ。つまりこれでそれも終わり。ならこれからは僕等の好きにさせて貰うさ。もうレイの言う事を聞く義理も無くなった。


「……やめて。だめよ、絶対。私は君達を、これ以上こんな事に巻き込みたくなんかないのに」


 声が少し震えていた。

 悲しいのか、嬉しいのか、本人も分かっていない複雑な声。


 でも、ああ、なんだか始めてレイの本音を聞けた気がする。揶揄ってはぐらかして、そんなレイが建前を失くして焦っている。でも意地悪を言うようで悪いけれど、それは聞けない。


「ごめんね。僕は馬鹿だからさ、やったらどうなるかなんて分からないんだ。だからまた最初からやり直して、出来るだけやってみる。やらない、なんて事は出来ないんだ」


 リューロンが以前言っていた。どんなに厳しい現実でも、それに立ち向かわずに生きているなんて言えない。たとえその結果折れてしまう事があっても、それも彼らの生なのだと。


 手厳しい考えだ。でも彼の正体はフィンから大まかに聞いている。人でもなく魔物でもない彼は、自身の厳しい考えを貫き通してどんな真実に道を阻まれても挑み続けている。だから強者の理屈だと、それを簡単に切り捨てることも出来ない。いつも逃げ続けている僕には堪える言葉だった。僕にそんな強い生き方は出来ない。


 だから、まずはこんな事から始めてみよう。



***



 麻のシャツに袖を通した。いつも着ている白い服だ。上から手早くボタンを留めて、ベルトも少しきつめに締める。


 腰にナイフを仕込む。右に一本、左にもう一本。そして上に一枚外套を羽織った。腕の辺りについているベルトを締めて体に合わせる。パンと叩いてシワを伸ばした。


 皮手袋を取って左右につける。きっちり嵌めて穴から指を通し、何度か握って確かめた。


 使い古した皮のブーツ。つま先で床を突いて足を合わせる。順番に靴紐を締めていって、最後にぎゅっと縛り直す。


 立て掛けていた剣を取る。鞘から抜いて、一度振る。歯こぼれが無い事を確認すると、鞘に戻して腰に差した。



 準備は終わりだ。

 擦り切れた荷物はみんな捨てて、大分背中が軽くなった。


 旅を始めて、もうどれ位になるか分からない。

 それでも、この瞬間の緊張と不安は慣れる事はなかった。

 目指すは北の大地。ウィルやジーギルを追い掛ける形になる。

 一度も振り返らず駆けて行った、彼等の背中を。


「……」


 でも僕は、ふっと後ろを振り返った。


 そして一歩、前に足を進める。



第一章 完

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