第10話 変わり者達の出撃
潰れた家が山と重なる雨の村で、僕はドラゴンの破壊を免れたわずかな場所に焦げたテーブルをどんと置いた。
支柱が残っているだけの家に雨避けの覆い布を張った簡易テント。ここが僕ら山猫騎士団の新たな拠点だ。テーブルの上の木屑を掃き落として、奇跡的に見つかった大きな地図を広げる。ようやく雨の当たらない所に来て、僕は髪を絞った。
「どう? 使えそうかな」
「問題なく。良くこんなもの残っていましたね」
おもむろに製図用具を取りだすと、マキノはすぐさま作業を開始した。
もう日も暮れかけていて、僕じゃ瓦礫の山はとても手が付けられない。これはメイルのお手柄だ。暗い中でも瓦礫の下を猛然と掘り進み、地中の賢者の名の通りあっという間に本やら地図やらお宝を探し当てた。いつもよりも生き生きとしていたくらいだ。
戻ってきた傭兵達で少しだけ活気を取り戻したフェイルノート。僕も使えそうな物をあちこち探したけど、見つかったのは壊れた家と、もう何なのか分からなくなった黒い塊ばかりだ。でも。
「そう言えばさ、結構探したけど遺体は無かったよね。これって……」
「はい、ここには絶えず各地からの情報が入ってきたはずですから。一足どころか二足も三足も先に避難したという事も十分あり得ますね」
「何にせよ山猫騎士団はこれで解散だ。はん、随分と短い付き合いだったな」
「そうでもないみたいだ」
ウィルの言葉に遠くから聞こえる蹄の音に気が付く。
あれは、ジーギルだ。それにリメネスもいる。山猫の二人、アデスから馬を飛ばしてきたんだ。
「仲間に頼んでここの様子を伝えたんだが、思ったより早かったな」
再び仲間が集まる。そうだ。場所はなくなってしまったけど、まだ何もかもが終わった訳じゃない。
二人は馬を下りると、改めて辺りを見渡した。以前来た時と同じ場所とは思えないんだろう。馬もこの悲惨な様子に落ち着かないようで、ジーギルはしきりにそれを諫めている。
「ウィリアム、話には聞いたが、これは……」
「見ての通りさ。アデスの様子はどうだ? 二人足りないようだけど」
「エイセルとゴルビガンドは置いてきた。残るは隠れている奴らの駆逐、二人でもどうにかなるだろう」
ここに来て改めて各地の情報が集まった。
怪物の侵攻範囲はこの地方のほぼ全域に渡っている。でも山猫騎士団を含め多くの傭兵団が動いていた事と、各地の情報網が素早く機能したおかげで、壊滅的な被害にまではならなかったようだ。だからこそドラゴンはここを襲ったんだろう。ざまあ見ろ。
でも勿論いい噂だけじゃない。衝撃だったのはエレンブルク王国の軍隊がドラゴンに挑んで全滅した事だ。帰ってこない軍隊を迎えに行った人達は、天変地異にでも遭ったような様だったと報告したらしい。
軍隊ではドラゴンに太刀打ちできない。レイの言っていた事が最悪の形で証明されてしまった。
僕らはそれを踏まえた上で戦わないといけない。
「そう言えば、ここに来る途中でリューロンとナルウィを見た。向こうもどうやら一段落ついたらしいな」
「頼もしいよ、これで少なくとも十人集まる訳だ」
「盛り上がってるとこ悪いけどさ」
テーブルの上で丸くなっているフィンが口を挟んだ。
「あまり大勢で行っても動きにくくなるだけだよ。僕もちょっと嬉しくない」
「まあ、それはエレンブルクの件で分かってはいるが」
「いいえ、一人でも多い方がいいわ」
レイがきっぱり言った。ウィルもジーギルも、かなり不信な眼で僕の右手に嵌った指輪を見ている。レイの事はまだ誰にも言ってない。それはそれは不気味に見えるだろうな。とうとうジーギルが訊いてきた。
「レイ、と呼ばれていたな。魔法の指輪など別段珍しい訳ではないが、お前はその中でも変わり過ぎている。出発前にはっきりさせたい。お前は何者だ」
「君達と同じで、あのドラゴンが大嫌いな女よ。いえ、それ以上にね。だからもう何だって利用させて貰うわ。どんな手段を使ってもね」
また軽く流された。僕達は被害を喰いとめる為、レイは自由になる為に、要は利害の一致だ。本人曰くその気になっちゃったレイはどんどん話を続ける。
「それに何者と言うならジーギル、君達も本当は傭兵なんかじゃないわよね。ともあれ相当腕が立つみたいだし是非一緒に来て欲しいわ。それにウィル、君もよ。前から気にはなっていたけどその剣、アルカシアね。どこで手に入れたか知らないけど、頼りにしてる」
「アルカシア!?」
なんだろう、メイルが超驚いている。ウィルもだ。
「レイ、君はいったい……」
本人も剣の事は知られずに来たんだろうか。
いや、そもそもアルカシアって何?
アレクと顔を会わせるけど、知るかって感じで肩をすくめられた。山猫屋の地下でも少し見た、確かに綺麗な剣だった。それもウィルの生まれが生まれだから持っている剣も立派なのか、としか思ってなかったたけど。メイルの興奮は収まらない。
「え、ちょっと本物!? み、見せて貰ってもいい!?」
「はいはいメイル、また今度ね。今はそれどころじゃないでしょう?」
メイルは御馳走を目の前にお預けを食らったような顔をしてる。下唇を噛んで、声にならない声を出しながら手をぶんぶん振り回していた。その様子を見て毒気が抜けたのか、フィンが溜息をついた。
「はあ、分かったよ。でも出発前は誰も待たないからね」
「構わない。もうリューロン達しか間に合わないだろう」
「残念だけど、ここの面子だけで行くしかないよ」
「少数精鋭。上等だ」
「取り敢えず幾つか話したい事もあります、少し時間を貰っていいですか?」
「勿論だ。役割分担も一応決めておきたいからね」
士気が高い。
その活気がある様は傍から見ていても頼もしい。それでも、結局万全の状態で迎え撃てないのだという考えが拭い切れなかった。
不安になる。
まともにドラゴンと戦うのは初めてだ。出来る出来ないはやらない内は分からないとしても、どれだけ備えても足りない気がする。レイが心配そうに声をかけてきた。
「クライム、大丈夫?」
「うん。ここまで来たらやるだけやってやる。フィンにもそう言ったしね」
本当は大丈夫じゃない。
精一杯強がってみせるけど、それでも手は震えてしまう。レイには丸分かりだろう。今まで見てきたドラゴンの爪痕。あれとまともに戦うなんて普通に考えて正気じゃない、自然とそう思ってしまう。
それでも体が動くのは、みんながいるからだ。あの夜、誓いを立てた騎士団が一緒に戦ってくれる。そして頭の中にあるのは、今もドラゴンが新しい獲物に向かっているという危機感、フィンが手を貸してくれるという嬉しさ。それが早く、早くと僕を前にかき立てる。
「レイこそ覚悟はいい? これが終わればいよいよ自由になる訳だし、この際今まで黙っていた事はなんでも話して貰うよ」
不安を押し返すように、僕も憎まれ口を叩いてみせた。そうだ、気は早いかもしれないけど、ドラゴンを倒せばとうとうレイと面と向かって会える事になる。流石の彼女も顔を合わせてしまえば、いつもの様にはぐらかせはしないだろう。
さてどうしてくれよう、夢が広がるな。
この際アレクと一緒にいじり倒すのもいいな。メイルと二人でどこか遊びに行かせたい。魔法使い同士マキノともたくさん話が出来るだろう。僕だって今まで散々からかわれ続けたんだ、どうにかそのお返しをしてやる。
「そうね」
そんな僕を見て、レイは、なぜか少し寂しそうに笑った。
「それは、素敵な未来ね……」
***
「さて」
夜が深くなった頃、テーブルを囲んで僕らは状況を確認する。
「最後にドラゴンが確認されたのはここ、キリル高原南部。それ以降ドラゴンの動向は不明のままです」
僕、フィン、メイル、アレク、マキノ、ウィル、ジーギル、リメネス、それに到着したリューロンとナルウィを加えて全部で十人だ。
暗闇の中、強い風が森に流れ込んで低く唸る。雨は相変わらず降り続けて月明かりも星明りもない。カンテラに照らされた地図には、既にマキノが多くの書き込みをしていた。太い線に、それに重なったバツ印と日付。
「こいつはまさかドラゴンが襲撃した街と、その日にちか?」
「はい、情報が足りなくて完成はさせられませんでしたが」
皮肉にしか聞こえない。これで情報が足りないって? 逆にこれだけの情報を一体どうやって手に入れたんだ。たまにマキノが見知らぬ誰かと話していた事はあったけど、まさかこんな事をしていたなんて。
みんなで地図を覗き込む。ドラゴンの進路は全然定まっていなかった。同じ所を二度も通っている事もある。どうも、どこかを目指している訳じゃなさそうだけど、この地図だけじゃ特定も難しい。
「一応飛行速度も計算しましたが、以前見た通り常にゆっくり移動しているようですね。そして急に進路を変えるという事もありません。変えるとしても丁度印の上、どこかの街を襲撃した後です」
「奴の話は色々聞いたが、岩の怪物は飛びながらでも好きなだけ各地へ落としているらしいぞ。こちらが中途半端に攻撃でもすれば、なおさらな」
僕はトレントの街を思い出す。アレクが倒した岩の猿。あれはドラゴンが故意に落とした訳じゃなかった。見張りの塔にぶつかったのも、その時に体が削れたのもまるで気にしていなくて、勝手に落ちた欠片が勝手に変身して僕らを襲ってきた。あんな調子でばらまいてるってのか。いい迷惑だ。
「行動範囲がどんどん広がっている。どこまで飛ぶつもりなんだろう」
「いや。奴が行かなくても、岩の怪物は広がり続ける」
「むしろまだ怪物の手が届いていない場所があるんだね。何も知らずに、幸せなままか。せめて彼等の耳に届く前に僕等がなんとかしないと」
「駄目だ。報せるだけ報せるべきだ」
僕の言葉を草色髪の大男、リューロンが切り捨てた。
「でも、まだ被害も出ていないのに報せるなんて厳し過ぎない?」
「関係ない。どれだけ厳しい現実だろうが、それに立ち向かわずに生きているなんて言えるか」
「それで済むならいいじゃないか。まだ来るかも分からないドラゴンの存在を報せて、これから彼等が怯えながら生きていくなんてあんまりだ」
「それも彼等の生だ。受け入れろ」
「勝手を言わないで。私達がドラゴンを倒せば済む話でしょう」
ナルウィの意見にリューロンは黙った。
彼の考えは厳しいようにも思えるけど、正論だ。それに自分で言った事だけど、報せないで済ませるなら僕等の戦いに彼等の命も賭ける事になる。重い責任が、更に重くなる。
「だが、肝心のドラゴンは、今は一体どこにいるんだろう」
マキノの言った通り、キリル高原で地図上の線は途切れていた。
「進路は本当に街から街へだな。手当たり次第って訳だ」
「そうすると分からないのが、どうして襲われた街と襲われなかった街があるかって事だよ」
そうだ。現にトレントは襲われなかった。あの時はショーロを襲ったすぐ後だったからと適当に納得していたけど、本当の理由は分からないままだ。
「それが分からないと難しいな。実際奴が方向を変えるのは、街を襲った直後な訳だし」
「でもなんだか一定距離を進んでは街を襲っているように見えない?」
「大体はな。でも大分ムラがあるな」
「定着に時間がかかっているんだわ」
レイが言った。何もかもを知っているようなその口振りに、みんなの会話が途切れる。僕は自然と右手の指輪を前に出した。
「あのドラゴンが襲った場所をクライム達と幾つか見たけど、炎で遠慮なく吹っ飛ばした他に、どこも地面に大きく抉れたような穴があったわよね。きっと大地から体の材料をその都度調達しているのよ。でないと怪物を生みだす度に、あいつの体を小さくなる一方よ」
「待てよ。それはつまり言い換えれば、奴はいくらでも再生するって事か?」
岩の怪物は傷が治らない。でもその母体であるドラゴンは、以前ナルウィが言った通り根本的にそいつらとは違うんだ。
嫌な予感がする。
もし他の怪物と違って頭も心臓も急所じゃなかったら、しかも大地から体の材料を吸収して無限に再生するとしたら。ドラゴンは、不死身なのか? それとも本当にシンが言う通り、粉々にする以外に倒す術はないんだろうか。
いや、やめよう。戦意が削がれる。
「それについては戦ってから考えましょう。話を続けるけれど、その吸収した岩は定着するまでに時間がかかるのよ」
「切り離してなお岩の怪物に変化する、本当の意味での奴の一部って事か」
「その通り。多分強度にも問題があるのね。中途半端に吸収しただけじゃ、暴れた時にそのまま剥がれてしまう。だから一つの街を襲って、そこから再び次の街を襲うまでに時間がいる」
そう言う事か。ならこの距離のムラの意味は、体の材料を調達し安いか、し辛いか。ウィルが頭を整理しながらゆっくり話をまとめた。
「つまり、ドラゴンは無差別に街を襲い、そこに怪物を撒いた分だけ大地から体の材料を補充する。この地図を見る限りだと、大都市よりも地面の開けた農村の方が彼の食事には都合が良いようだね」
「なるほど、結構見えて来たじゃねぇか」
「そうなると今までの行動傾向とも一致しますね。人口が少な過ぎる所は無視したり、活気のある街を優先的に標的にしたり、ドラゴンにも好みはあるようですが」
マキノが懐から羽ペンを取ってキリル高原に当てた。
考えながら少しずつ、そこから新たに線を伸ばしていく。
ゆっくりと伸びる線を、みんなの目が無言で追う。地形や気候も考慮しているのか、線は微妙に曲がりながら、それでも真っ直ぐ進み、ひとつの街に辿りついた。マキノは無言でそこにバツ印をつけた。
思わず顔が引きつった。
地図上の小さな印に、どれだけの意味があるのか。
進路を変えてドラゴンの線はなおも進む。ペンを動かしながらマキノが小さく数を数え始めた。十二、十一、十、九。多分、日数だ。地図の記録を見る限りでは、キリル高原の目撃情報から今日で十八日経っている。
五、四、三、二、一。
「零」
線が止まる。
そこは新たな街、モラルタ。
「……結構な都市だぞ、ここ」
「奴がここに着くのは今日か? それとも……」
「何でもいい! 場所が分かったんだ! 手遅れになる前にすぐ出発しよう!」
「これだけの人数を乗せるとなると、僕も夜の空は飛べないよ。夜明けを待とう」
フィンの言葉にジーギルが怪訝そうな顔をした。
「飛ぶ? さっきから何を言っているんだ。ともかく近くから替え馬を搔き集めて……」
「そんなの待てないよ! マキノ、伝令は送れないの!?」
「魔法使いはそこまで万能じゃないんですけどね」
マキノは少し苦笑いした。
「無理言って、ごめん。いつもいつも」
「それでも何とかするのが魔術師ですから。分かりました。少なくとも出発までには何とかします」
マキノはそう言ってくれる。
魔術師と魔法使いの違いを聞いた時、手品のタネが有るか無いかの違いですと言われた事がある。マキノは夢のように何でも叶えてくれる訳じゃない。あらゆる手段を駆使して絞り出すように打開策を見つけてくれるんだ。僕はむしろ物語に出てくるような大魔法使いよりも、そんなマキノの方がずっと格好いいと思っている。
「早速準備をしてきます。誰か魔術を齧った事がある人はいませんか」
「私で良ければ手伝うよ。何をすればいい?」
「ナルウィさん、助かります。とにかくこちらへ。アレク、後は頼みます」
「よし、なんだかんだでもう時間もねぇしな」
アレクはガンと剣を地面に突き立てた。やることが決まった時のアレクの癖だ。これが始まると、自然と頭が冴えて体に緊張が走る。さて。
「メイル、この辺りで何か使えそうな物がないかもう一回探して来い。得意だろ。クライム、付いて行け。ウィル、ジーギル、防具も含めて荷物を減らすんだ。何とかして少しでも体を軽くしろ。リメネス、お前確か戻ってくる仲間の為に残るって言ってたな。万が一だ、近くに避難してる傭兵団の上役に今の話をどうにかして伝えて来い。リューロン、お前暇だろ、俺と一緒に来い。この辺りでなるべく高い場所を探すぞ。フィン。体、温めとけよ」
畳みかけるようにアレクが全体に指示を出す。
気のせいか雨も少し止んできたようだ。
「太陽が見えたらここに集まれ! さあ、動け!」
***
かすかに鳥の声が聞こえる。
アレクとリューロンが見つけてきたのは、近くの森の手前に残っていた物見櫓だった。村から少し離れた所にあったおかげで無事だったらしい。雨は、もう止んでいた。
その下には僕等、九人が各々装備を整えて集まっていた。
もうすぐ夜明けだ。
太陽が山の間から顔を出した時、眩しい光が辺りに差し込んだ。静かな風の音、木々のざわめき、森が朝を迎えるとても心地良い時間。新しい一日の始まりだ。
見上げれば、櫓の上に小さくフィンが見える。流れるような銀色の毛並みは、今は朝日を受けてとても暖かく輝いていた。柔らかく目を閉じて、鼻先で風を読んでいる。落ち着いた雰囲気だ。
ふうっと、フィンが静かに息を吐いた。
その吐息が辺りの空気をゆっくりとかき回す。
強くなっていく風にウィルやナルウィが何事かと辺りを見回していた。ジーギルはじっとそれを見守っている。下から吹き上げられるような風で木の葉が優雅に宙を舞い、日の光の中きらきらと輝いている。それは風の流れるままに、フィンを中心に渦を巻いていた。
一瞬ざわっと体中の毛が逆立つと、少しずつ、フィンの体が膨らむ。
風の流れる中で尾はどんどん長くなり、小さかった翼も広く伸びていく。頭から生えた二本の角は、伸びるごとに鹿のように枝分かれしていった。
大きく膨らむ体を支える為に一歩足を前に出すと、物見の櫓はかすかに揺れた。何度見ても感動してしまう自分がいる。それを初めて見るウィル達は茫然と、太陽を背に元の姿に戻るフィンを見つめていた。
折り畳まれた翼を一気に開く。
弾かれた朝露が、光の粒のように広がった。
銀色の毛に流れるような体を持ち、雲の中を飛び地上に雪を降らせる。この世で最も美しいとまで言われるドラゴン、か。
その姿に僕等はみんな見とれていた。さっきまで櫓の上に小さく乗っかっていたフィンは、今や圧倒的な存在感で堂々とそこに留まっていた。広がった翼は軽く家二つ分を包んでしまう程の大きさだ。
「……飛ぶなんて久しぶりだな。面倒くさい」
それでも、やっぱりフィンはフィンだ。
神々しいと言って差し支えない姿も、その一言で台無しだ。
「ほら。乗るぞお前ら」
動けないみんなの先頭を切ってアレクが櫓に登り始める。その一言で我に返ったのか、みんなもそれに続いた。登りながらウィルが興奮気味に話しかけてくる。
「凄いじゃないか! まさか彼は本物の雪の竜か!」
「何であれ、奴に追いつけるなら文句はないがな」
「これ、なんだか毎回言っている気がするけど、出来るだけ内緒にする方向でね。雪の竜の話は広がると色々面倒なんだよ」
飛び立つ場所が丁度良く村から離れていて良かった。遠くからならフィンが雪の竜になる瞬間は見えないだろう。幸せになるのは山猫達だけって事で。
「幸せを呼ぶ竜か。これで少しは勝算が見えてきたか?」
「そう思えるなら良いんじゃない。勝てなくても僕のせいにしなければ」
お前らと会ってからむしろ俺らは不幸になってるがどう言う事だ、ってアレクに言われた事がある。それをフィンは何も言わずに丸焼にした。ちなみに不幸になっているのは、多分、僕のせいだ。
櫓の屋根にまでよじ登る。相当高い、下を見ると留守を預かるリメネスがかなり小さく見えていた。それに久しぶりに近くで見ると、やっぱり大きいな。フィンは脚を折ってしゃがんでいるけど、それでも背中は僕の頭より高い所にある。
僕らはその脚を階段代わりに背中まで登った。流石にこの人数だとフィンの背中も少し狭い。僕はうつ伏せになって、しっかり毛に掴まった。みんなもそれに倣う。
「準備はいいかな。拾うのも面倒だし、頼むから振り落とされないでね」
そう言うとフィンは大きく一度、翼を羽ばたかせた。
一瞬で突風が巻き起こり、思ったより体が勝手に浮き上がる。急いで背中の毛を掴み直した。
「行くよ」
もう一度、二度、大きく羽ばたく。突風はますます強くなり、吹き荒れる風が森の木々を激しくざわめかせた。逃げるように鳥達が離れていくけど、この風の中で上手く飛べていない。三度、四度、五度目の羽ばたきで、遂にフィンの体が浮き始める。
櫓を強く蹴って宙に飛び上がった。派手に壊れる物見の櫓を背に、フィンはもう一度、大きく翼を動かした。ぐっと体に力がかかり、一気に空へと昇っていく。
耳元で風が唸り声をあげる。
目を開けているのも難しい。
ますますしっかり掴まってそれに耐える。
気を緩めれば吹き飛ばされてしまいそうだ。
ふわっと。
体にかかっていた重みが抜けて、体が浮いた。
最高の解放感だった。もう振り落とされるような突風もない。フィンの大きな翼が柔らかく風を捕え、僕らは、空を飛んでいる。
辺りを見渡す余裕も出来て僕は改めて下を見る。気付けば必死に上昇に耐えている間に、もう大分上空に来ていた。後ろに見えるフェイルノートがとても小さく見える。森も、湖も、ずっと下だ。いつも見上げてきた鳥達でさえも、今は僕らの下を飛んでいる。
「凄いな! 飛んでいるよ!」
ウィルが風に負けじと叫んだ。雲は近く、銀色の毛並みの先にはどこまでも広がる大地と、その果てに輝く太陽が見える。雲が晴れた空はとても青く澄んでいて、見渡す限りいっぱいに広がっている。世界が、とても広い。僕もウィルと同じ気分だ。こうして飛んでいると、悲しみや苦しみ、その全てから開放されたようだった。
「あんまり浮かれてると振り落とすよ。問題はここからさ」
でもそうも言っていられない。
モラルタまではこっちの方が近かったけど、夜明けを待ったから岩のドラゴンの方がずっと前に進んでしまっている。奴と同じ空で戦える分、今まで挑んだ人達より有利にはなると思うけど、それもどこまで通用するか。この空の先には今まで見たこともないような悲惨な状況が待っているかもしれない。
それでも僕等は行く。
今度こそ、あのドラゴンを叩き落とす。
「急ぐよ」
大きく大気をかき回して、フィンが速度を上げる。
風が、また強くなってきた。