第9話 ドラゴン狩り
「急いで! 荷物なんて置いて行ってもいいから!」
避難を誘導するティオには、既に遠くから近づく岩の怪物が見えていた。姿は分からないが、大きい。伝令でその進路こそ分かってはいたが、食い止める事は出来なかったのだ。
別の街では今も多くの山猫騎士団の団員が奮戦しているだろう。今や岩の怪物との攻防はこの地域一帯で繰り広げられている。しかし、彼女達の街は到着した時は既に手遅れだった。デライ・ディリアは捨てるしかない。
警鐘が街中に響き渡っている。だが襲撃になど遭ったこともないのか、避難はひどく遅かった。住民はお行儀よく列をなして村から離れ、誰も彼もやたら荷物が多い。窓から家の中を見れば、年老いた女がまだ何着もの服を必死にかき集めていた。その姿にティオは思わず顔をしかめる。
一方で、街から離れた丘の上では、シンを含め傭兵十人余りが岩の怪物を迎え撃っていた。
最初は遅い避難を護るために城門前で延々と戦い続けていたが、シンはすぐに作戦を切り替えた。避難先の街まで敵の陰に怯え続けるなど冗談ではない。小回りの利く怪物だけでも先に殺してやると打って出たのだ。
身を屈めて三匹を躱すと、薙ぎ払うように内二匹を斬り倒す。狼の姿をした怪物は激しく地面に体を打ちつけ、大きく一度跳ねるとそのまま動かなくなった。フェイルノートで聞いた怪物の特性など、頭に血が上ったシンは全く考えていない。昔からの悪い癖だ。
斬られた仲間を一瞥すると、残りの三匹は再び後ろからシンに飛びかかった。同時に森からは更に六匹の狼が向かってくる。
悲鳴が聞こえて振り返る。
一人やられた。
名も知らぬ傭兵は、群がる狼に生きたまま貪られながら、微かな命で力なく抵抗していた。
シンは完全に切れた。獣のように咆哮を上げる。
防御など微塵も考えない突撃で向かってくる狼達を次々と斬り捨て、あっという間にこと切れた傭兵を取り返した。彼を狼の骸の陰に隠すと、見開かれた目を閉じ、傷を隠すようにマントをかける。後で、故郷へ送り届ける。
そして森から飛び出した一匹が街に向かったのを見ると再び立ち上がり、腰に下げた二本目の剣に手をかけた。
***
僕は足元の怪物から剣を引き抜く。
ようやく五匹目だ。
すぐに次の敵に向かう。
ブローグ近辺にいた岩の怪物達は、僕らが到着した時その城壁を超えられずに街の外を彷徨いていた。街の軍備がほぼ無かったせいで退治することも出来ず、ブローグはもう四日も籠城を続けているそうだ。
怪物達は人間の子供くらい大きな虫の姿をしていて、僕にも何とか倒せる。ただ数がやたらと多い。
僕、アレク、マキノの三人が街の人達と協力して片っ端からそれを叩き、遠くからメイルが壁を超えそうな奴を見つけては大声で僕らに指示をくれる。そしてフィンは、その後ろで丸くなっている。一応メイルに近付く虫を炎の一吹きで追い払ってくれているけど。
「彼、最近全然話さないわね。嫌われちゃったかな」
六匹目を倒した時、レイが気まずそうに言った。
「……レイだけじゃないよ」
結局、仲直りはできないままだ。ショーロの村でフィンが僕を止めたのは僕らの身を案じての事だったのに、僕はそれを蹴った。そして今、積極的にドラゴンと敵対している。それ以来フィンは僕に一言も口を利かなくなってしまった。でも僕には何も言えない。
見渡す限りの怪物達を見て考える。
フィンの言う通りだ。こんな後手に回る様な事をしていても何の解決にもならない。ただの自己満足だ。でも見捨てろと言っている訳じゃないにしても、フィンの意見はそれに近いもので、やっぱり、僕は賛成できなくて。
歯痒かった。腹が立った。ドラゴンの被害は予想以上だ。今となってはドラゴン自体の被害より、その分身による被害の方が深刻だ。もうどこまで広がっているか分かったものじゃない。
奴は今も、どこかで悪意を産み落としている。
僕らの努力を、陰で嗤いながら。
***
街道を外れると岩の巨人に襲われるとは、トレントに通う商人達から入った情報だった。動きは遅いが、歯が立たない。進路は西北西、またしてもショーロが襲われる事になる。村では復興もままならずに、全てを置いて瓦礫のバリケードが作られていた。
だがもう間に合わない。巨人は目の前だった。
「何でもいいからもっと運んで来い! 怪我人でも連れてくるんだ! また村に奴らを入れたいのか!」
大きな影を落とす怪物を前にして、まごつく男たちを奮い立たせるように黒祭服の傭兵、ナルウィは声を張り上げた。
当初、一度目の襲撃で恐怖を植え付けられたショーロの人間は、完全に村を捨てる気でいた。彼女達山猫としても、それを止める道理はない。
それが彼らの意思なら。
そうは思ったものの、ディランという男を中心に何人かが防衛体制を取り始めてから彼女の態度も一変した。未だ彼等に故郷を想う心があり、それを捨てる理由がただ恐怖に負けたからだとするなら、そんなものは認められない。その為に自分達は来たのだと。厳格な彼女はディランを支持して、容赦なく街中に徹底抗戦の構えを取らせた。
轟音と共に瓦礫の壁が半壊した。未完成のバリケードはまだ巨人相手に十分な機能を果たしていない。改めて障害物を認識すると、巨人は気味の悪い声をあげて腕を振り上げた。男達は作業を放り出して一目散に逃げ始める。
空を切る鈍い音がすると、矢のように飛んできた槍がその左腕を串刺しにした。
二本目を構えるナルウィが力強く一歩踏み込む。今度は巨人の眉間に直撃した。巨人は頭を押さえて、大きく後ろによろめく。
複数体現れた巨人は別々の方角から村に押し入ろうとして、そのどこが破られてもこの村は終わる。ここで退く訳にはいかないのだ。逃げるのも忘れて唖然としている男達を、ナルウィは再び怒鳴りつけた。
「逃げるな! 村を守れ!」
***
岩のドラゴン出現から七十三日目。
傭兵団が各地で岩の怪物を駆逐しているのと時を同じくして、ここ黄色平原では本格的なドラゴン狩りとしては二度目になる大規模な作戦が動いていた。追うのはエレンブルクの騎兵およそ五十。既に半日近く馬を走らせ続けていた。
「目標地点まであと少しです!」
「これ以上犠牲者を増やすな! 出来うる限りで構わん!」
見渡す限りの平野を何頭もの騎兵が走り続け、蹄の音とドラゴンの飛ぶ地鳴りのような音で耳が狂いそうだった。走らせているだけでも体中から滝のような汗が流れて、既に息も上がりっぱなしだ。悲鳴を上げる馬をせかしながら、兵は苦々しい顔で上を見上げた。
今にも雨が降り出しそうな曇り空と、それを覆う巨大な怪物。
岩のドラゴンは噂に聞いていた以上の巨体を誇り、ここから見えるはずの空を完全に覆い隠していた。兵士達は絶え間なく空に向かって矢を放っているが、上空を飛ぶ怪物相手にその行為は悔しいほどに意味をなしていなかった。
荒い息遣いに辺りを見回す。騎兵に紛れて、何頭もの岩の怪物がずっと並走してきている。疲れと言うものを知らないのか、怪物はドラゴンを追う騎兵をしつこく襲い、一人、また一人とその数を削っていた。
また怪物が飛びかかる。馬ごと薙ぎ倒された騎兵は怪物ともつれながら地面を何度も転がり、あっという間に後ろへ見えなくなった。だが既にそれを気にする余裕はない。
問題なのはドラゴンの傍を飛ぶ大鳥の姿をした怪物の方だった。的との間の障害物をどれだけ減らせるかがこの作戦の肝だ。初めてドラゴンを補足した時は絶望的なほど数が多かったが、それもこの半日で残り数体にまで減らすことに成功している。
そして、目的地はもう目の前だった。
待ち構えていたのはエレンブルクの全歩兵部隊と、百に届こうかという数の最新兵器。現在の石弓では上空の敵に対して余りに射程が短い。そこで今回用意されたのは本国で改良を重ねた最新型の投石機である。騎兵の活躍で射線も開けた。
遠くの陣営で大きな旗が振られるのが見えた。
砲撃開始の合図。先頭の騎兵が叫ぶ。
「距離を取れ!」
木製の歯車が軋む耳触りな音が平野に響き渡る。投石機は鞭のようにしなり、陣営から次々と大樽が空に撃ち上げられた。全速力でドラゴンから離れる騎兵達には、その進路を黒く埋め尽くすほどの大樽の雨がドラゴンに降り注いでいくのが見えていた。
作戦通り目標は、頭部への一点集中。
無数の大樽がドラゴンを直撃し、爆発した。
大気を震わせるほどの轟音が兵士の耳を貫いた。ドラゴンの頭部はあっという間に火と煙で見えなくなる。
旧世紀の戦で使われたという「火薬」は、既にその精製の技術が失われている。しかしこの作戦では城の地下に残された全てを持ち出した。首都にまで怪物の侵入を許した国軍が己の威信をかけた、物量に物を言わせての総力戦である。第二波、第三波と続く爆薬の雨は、容赦なくドラゴンに叩きつけられていった。
全ての爆薬が撃ち尽くされた。
平原には奇妙な静けさが広がっている。馬が走る蹄の音もない。絶え間ない爆音もない。ドラゴンの頭部からは未だ土煙が立ち上り、そこからはパラパラと岩の破片が大地に落ちている。
退避していた騎兵達が、恐る恐る戻り始めた。疲れ切った馬がしきりに嘶いている。ドラゴンは変わらず空に浮いてはいても、ピクリとも動かなかった。
作戦は成功した。
だが効果はあったのか。
肝心の頭部は煙で見えないままだ。完全に砕いたにしては、落ちてくる破片は少なすぎる。
まさか効かなかったのか。
兵士に不安が広がり始めたその時、煙の奥から何かが軋む音がした。
破片が再び落ち始め、大木が倒れるような鈍い音が強くなる。
とうとう煙の中から巨大な頭部が現れ、落下して派手に砕けた。その衝撃で地面に大きくひびが入り、光を失った赤い目が無残に転がった。その頭も、見れば首の付け根も、爆薬のせいで滅茶苦茶に凹んでいた。
兵士たちのざわめきが次第に強くなる。
お互いに顔を見合わせ、目の前に落ちた岩の塊の意味を確認し合っていた。
「倒した!」
誰かのその勝利の叫びに、エレンブルクは歓喜に沸いた。
***
「そう言えばさ」
僕はふとレイに尋ねた。前から気になっていたことだ。
「騎士団に入った時の話だけど、どうして急に積極的になったの? 前は絶対に関わるなって、僕に反対していたのに」
「どうしてって。何かまずかったかな」
そういう訳じゃないけれど。レイは自分の事なんて二の次に、ドラゴンを避けるよう言っていた。僕はそれがずっと怖かった。レイの明るさには自分の事を諦めて他人の事だけ考えているような危なっかしさを感じていたから。
「なにも急にって訳じゃない。言ったわよね、あいつの事が嫌いだって。私だって自分をこんな目に遭わせた奴に、一泡吹かせてやりたいって気持ちくらいあるのよ」
「そうなんだ。でもレイって肝心な事は全然話してくれないじゃない。だからなんか不安だよ」
「少年よ、聞きなさい。全てを知ったからといっても必ずしも良い事がある訳じゃあない。知らなくても良い事、知らない方が良い事も、世の中には沢山あるのですよ」
「またそうやって秘密主義だ。やれやれ」
まあでも、ドラゴンを許せないとは確かに言っていた。あの時のレイの言葉に嘘は無かったろう。僕も同じ気持ちだから良く分かる。レイも、ドラゴンに何かを奪われた一人なんだ。
「……本当はね。勇気を、貰ったのよ」
ぽつりと、レイが話し始めた。
「きっと、本当に諦めていたのは私の方だったのよ。あいつを倒すなんて無理だって諦めていた、考える事だって避けていたわ。今の自分も外での争いも何もかも。ただ、受け入れるしか、ないんだって。そう自分を誤魔化して、それを君達にも押し付けていた」
自分の想いを確かめるように、レイは言葉を探す。
「でも、凄かった、あの傭兵の村にいた人達。立ち上がって、前に進んで、何でもしてやるって。そんな生きる力に溢れていた。眩しかったわ、とても」
そうだ。僕も山猫騎士団を初めて見た時、ショーロで感じた絶望なんて跳ね飛ばすような明るさを感じたんだ。きっとそれは、金を稼ぐとかドラゴンを倒すとか、そんな具体的なものじゃなくて。レイが言う所の、生きる力だったんだろう。
「つまり、ふふ、ただの気まぐれよ。あの人達の活気や君の熱意に当てられて、私もなんだかその気になっちゃったってわけ。後々後悔するのは分かっているわ。でも、今の私の気持ちに嘘はない。だからやるだけやって、そうね、後になってから一緒に後悔しない? きっとそれも面白いわ」
「付き合うよ。やってから後悔するのはいつもの事さ」
ありがとう、とレイは笑った。
やっぱり思う。顔が見たいな。
「ねえ、もし本当にドラゴンを倒せたら、レイは自由になれるんだよね。そうしたらいつか会えるかな。って言うか、会いに行ってもいい?」
「幻滅するわよー? ほら、さっき言った、」
「知らない方が良い事、ね。それも後から後悔するからいいんだよ」
ここまで来ると、囚われのお姫様って冗談は案外本当だったりして。いや、もうレイの事だ。どんな素情でどんな背景があっても驚かない。
「気が早いわ。それもこれも、仮にあのドラゴンを倒せたらの話でしょう。そんな簡単に奴を落とせたら苦労は無い。昔あいつが、この世界にどれだけの爪痕を残したか」
昔。いつの話なんだろう。
それはあのドラゴンが、かつて出現した事があるって意味なんだろうか。
「……やっぱり、レイは全てを知ってるんだね。あいつは一体、何なの?」
ドラゴンの正体。
初めてはっきり訊いた気がする。
「何、か。そうね。強いて言うなら……」
レイは、嗤った。
「魔王」
***
大気が震え、大地が隆起し、地面に街を呑み込むほどの亀裂が走った。
何が起こっているのか、理解している者は一人もいなかった。エレンブルクの騎兵は馬から振り落とされて立っている事もままならない。馬も暴れるばかりで逃げられず、何頭も何人も、大地の亀裂の中に呑み込まれていった。
地響きと共に、大地から岩が強引に引き剥がされていった。見えない力に吸い上げられるように宙を浮かび、空に昇っていく。兵士達の視線もそれにつられて上に向かう。岩はどんどん昇っていき、首無しのドラゴンの、その付け根へと集まっていく。
「ぎゃああ!!」
空に注意が集まったその時、大地から無数の触手が突き出して兵士達を襲った。目にも止まらぬ早さで串刺しにされ、絞めあげられ、吹き飛ばされ、なす術もなく蹂躙されていく。
地面に落ちたドラゴンの首。それは今や形を変えて無数の岩の触手を生やした巨大な怪物となっていた。徐々に人の上半身の様な物が形作られ、大きく口を開けると苦悶の叫び声をあげる。
首は、ドラゴンの急所ではなかった。
引き寄せた岩で新たな首を形成しながら、ドラゴンは再び動き始める。出来損ないの醜い顔の奥で、赤い光が蘇った。
騎兵は壊滅だった。最早数える程度しか生き残っていない。また一人、岩の触手に捕まった。骨が砕けるほどの力で絞められて息もできず、悲鳴すら出てこない。
岩の怪物は捕えた兵士を顔の前まで近寄せた。朦朧とした意識の中、兵士の目に怪物の赤い光が映る。だが、岩で出来た眼球の更に奥から、誰かがこちらを見ていた。ドラゴンでもない、岩の怪物でもない、一人の男の視線が突き刺さる。
兵士の目がカッと見開かれた。顔が恐怖に引きつる。息も絶え絶えなのに、彼は魅入られたように赤い光から目が離せない。
何かが頭から絞り取られていく。
エレンブルクにある彼の生まれた家。
養兵所で付けられた顔の傷。
国の威信をかけた討伐作戦。
母の墓前に添えられた黄色い花。
隠れて傭兵団を編成している離れ村の噂。
兵士の目から血の涙が流れ始めた。
岩のドラゴンは首の修復を終えてなお、大地から岩を吸収し続けていた。
投石機を守る兵士達もこの地震で何も出来ずにいる。遠くで騎兵が壊滅するのが見えた。ドラゴンはゆっくりと顔をこちらに向け、口内に炎を溜めている。歩く事も這う事も出来ず、兵士達はただその瞬間を待つ事しか出来なかった。
まだぎこちない形の頭部からは熱の赤い光が漏れ始めている。
出来かけの顎を無理やりこじ開け、亀裂のような口が開かれていく。
その奥からは噴火前の火口のように、紅蓮の炎が噴き出てきていた。
眩い光が放たれる。
その瞬間、エレンブルクの軍隊は全滅した。
***
雨が降っている。
変わり果てた姿になったフェイルノートを前に、クライムは膝をついた。
つい、ついこの間の事だ。
村の傭兵達から情報を集めたのも。
レイが勝手に契約書に署名したのも。
山猫屋の地下で、夜が明けるまで皆で語り合ったのも。
その全てが破壊されていた。
仲間からの連絡を受け、容赦なく雨が降りつける中を大急ぎで戻ってきた一行を迎えたのは、燃え尽き、炭化した瓦礫の山だった。山猫騎士団の帰るべき場所、その始まりの場所フェイルノートが壊滅していたのだ。
「おいおい、嘘だろ……」
アレクも、メイルも、マキノも、皆が茫然と目の前の惨状に立ち尽くしていた。傍観者に徹していたフィンさえも、言葉を失っていた。クライムは一人壊れた家にふらふら近づき、黒い炭になった何かを無造作に拾い上げた。その後ろ姿にはいつもと違う異様な雰囲気があった。
雨と風で体は冷える一方だ。しかし今はずぶ濡れの体より、目の前の光景がただただ信じられなかった。
そんな一行に遠くから金髪の傭兵が駆けてくる。ウィルだ。
「無事だったか! 良かった、やられてしまったかと!」
「ウィル、これは、一体どういうことですか?」
「分からない、俺も今朝ついた所なんだ」
だが抉れた地面を見ればそれもはっきりしている。ドラゴンだ。どんな経緯でこの場所を狙ったのか、端から端まで徹底的した破壊ぶりだった。
生存者らしい姿は見当たらない。ここにいるのはみな引き返してきた傭兵ばかりだ。しかし皆が途方にくれて、意味もなく瓦礫を掘り返したり、仲間に喚き散らしたりしている。
フィンの頭は冷えていた。厳しい眼差しで周囲を見渡す。傭兵団が動き始め、ようやく戦果が出てきた所でこの事態。都合が悪すぎる。これは。
「マキノ。ドラゴンにこっちの情報が洩れてる」
「ええ。ドラゴンには自分に敵対する存在を優先的に攻撃する知能があるようですね。しかし舐めていた訳ではありませんが、ここまでとは」
「だがどうやってこの場所を特定した? なあウィル。あの岩の化物共、もしかしてずっと俺達の話を聞いていたのか?」
「……もし、そうだとしたら。もうこれは討伐戦なんかじゃない。魔物の軍勢との総力戦だ。組織的、戦略的な作戦が必要になってくる」
「ね、ねえ、ボクらこれからどうするの?」
「どうって言ってもな。一から出直しだ。だがウィルの言う通りこのままじゃ駄目だ。拠点を移しても、そこがまたドラゴンに狙われる」
「……はっ、なんだよそれ」
思わぬ所から、今まで聞いたこともないような低い声が飛んできた。
皆が思わず、クライムを見た。変わらず皆に背を向けて何かの炭を握っていたが、気のせいか前より少し、いや大分力が入っている。
「なんだよこれ」
「ク、クライム?」
レイまでもクライムの異変に驚いている。力むのを通り越して震え始め、ついに手にした炭を力いっぱい地面に叩きつけた。
「なんだってんだよこれは!!!」
クライムが、切れた。
「ちっくしょうふざけんな! どこまで人の事を馬鹿にすれば気が済むんだ! あっちだこっちだと所構わずかき回して! 自分勝手に暴れ回って!! ざけんな! ふざけんなよ! なんでお前なんかのために僕がこんなに走り回って、街がこんな事にならなきゃいけないんだ!」
わーっと空に向かって叫んだ。周りの傭兵達が引いているのも目に入っていないのか、今度は足元にあった木屑を遠くまで蹴っ飛ばした。普段との余りの変わりように、皆も馬鹿みたいに口が開きっぱなしだ。
ウィルやメイルがなんとか宥めにかかるが、片っ端から怒鳴り返されて取りつく島もない。アレクは面倒くさそうにしていて、メイルはひたすら狼狽え、そしてフィンは、冷めた目でそれを見ていた。
「……」
長い付き合いだが、あのクライムは久しぶりに見た。怒りが振り切れると稀にああなる。フィンはもの凄く嫌な予感がしていた。以前あれが出た時、確かひたすら面倒な事態になった気がする。
「いい加減にしなよ。これ以上はクライムが考える事じゃないだろ」
もみ合っていた塊が、フィンの溜息で動きを止める。
雨の音だけが聞こえていた。
少しは落ち着いたのか、クライムが言い返す。
「フィンには違うのかもしれないけど、僕には大事だ。いつまでそんなに澄ましているんだ」
以前から仲直りがどうこう言っていたのは綺麗に消し飛んだらしい。そしてショーロでの口喧嘩が再開される。フィンは頭に血が上ったクライムを一蹴した。
「我儘ばかり言うな。ドラゴンに勝てないのはもう分かったろう。自分の視界に入った人だけ助けて、クライムのちっぽけな善意はさぞ満たされただろうさ。それで?」
フィンは厳しい顔をしたまま問い続ける。
「視野が広がって手が足りなくなったら、そうやって子供みたいに喚くだけかい? それとも世界を救うために死ねれば満足なのかい? それじゃあ誰の為でもない。自分の勝手で良い子ぶっているならそこに正義は無い。だから言ってるんだ。我儘だって」
「……我儘さ。この気持ちが我儘だって言うなら、そう呼べばいい。人が誰かを助けるのは、それが正しい行為だって神様の辞書に書いてあるから? 親にそう教わったからだって? 馬鹿言わないでよ」
雨の中、二人は睨み合う。
誰も口を挟まなかった。
「誰だってそうでしょう。言われた通り正義の役を演じるだけなんて、そんなの何もしていないのと同じだ。理屈ばかり並べないでよ。誰かの幸せのために人が動く事が、まだフィンには許せないの?」
「言うねこの糞お人よしが」
ドスの利いた声を出してフィンは睨む。
何かが、彼の琴線に触れた。
「自分が誰かの幸せの為に動いているとでも?」
「それが我儘だって? いいよ。大義だの正義だのに気を遣ってこの惨状を見過ごすのが頭の良い行動だっていうなら、僕は馬鹿で結構だ」
ウィルは二人の様子を心配そうに見ていた。彼等は腐れ縁だと聞いていたが、そんな間柄の会話にはとても聞こえない。
だがやはり、アレクもマキノも、口を挟まない。
これがこの二人の関係だと、知っているのだ。
メイルも黙って見守った。
「馬鹿だから、そんな面倒なものに気を遣うつもりはないよ」
「そして喚いて死ぬのか。僕との約束も反故にして。良い身分だね」
「そんな事はしない。喚いているだけじゃない、死ぬつもりもない。それでも僕はあのドラゴンを許さない。絶対にだ」
「ほ。これはこれは大きく出たね」
フィンは試すような目で、クライムを見据える。
「いいさ。じゃあその糞みたいな偽善で世界の為に見事その命を散らしたら、この僕が雪の竜として、顔の無い男がまた新しいドジを踏んだって御伽噺を末の世まで語り継がせてやろうじゃないか」
口に溜まった雨をプッと吐き出す。
「僕が飛ぶ」
そして、喧嘩を売るように言い放った。
「ドラゴンと同じ土俵までは連れて行ってやる。あいつを叩き落とすって? やってみろよ」