「砂に咲く花、散る花はⅡ」
赤。
鮮やかな赤。
目の前に広がる赤い飛沫。
それが自分の身体から流れるものであると気づいたのは斬られてから数十秒経ったあとだった。
瞬間の熱とその後に続く鈍痛が紛れもなく自分が斬られたのだということを認識させる。
肩口から胸のあたりまでバッサリと袈裟切りに斬られた傷口から溢れ出る鮮血は紛れもなく自分のものだった。
斬られた直後俺は不甲斐ないことに一瞬気絶したらしい。
しかし斬られた痛みで強制的に意識は覚醒した。
傷口を見るにそれほど深くはない。
どうやらシオの部屋を気にするようなそぶりを取るために上体を捻り、玄関からシオの部屋を覗こうとした結果相手の剣筋が逸れたのだ。
とはいえ、溢れ出るその鮮血は放置しておけば命を落としかねない。
こうしている間にも刻々と流れ出る血液が自分の体温と体力を奪っていくのを感じる。
「がはっ…!」
俺は地面に膝をつき痛みに耐えかね口から溜まった空気を吐き出した。
同時に口内に鉄錆の味が広がる。
これは非常に不味い。
見た目の傷は浅く見えるがどうやら内臓に傷がついたかもしれない。
幸い腹の辺りは斬られていないので内臓が傷ついている恐れはないだろう。
だが、肩口から胸のあたりまでを斬られたことによって肺に傷がついていないことを俺は祈った。
(なんだってんだ…畜生)
俺は内心そんな悪態を吐いた。
吐かずにはいられない。
俺が斬られる理由がなんとなくだが察した。
それは苦い記憶。
同じような体験を、光景が、脳裏をよぎる。
両親もこんな風に斬られたのだろうか。
理由も分からずただ冷たい地面に這いつくばって。
惨めに死んだのだろうか。
ざわざわと不快な感情が痛みと共に湧き上がってくるのを自覚しつつもそれを止めることはできなかった。
俺は、俺を斬った相手を見上げた。
死を覚悟した俺だったが頭は妙に冴えており冷静だ。
自分がこの一撃では死なず幸いだと思う程度には冴えていた。
しかし斬られた傷口の痛みでじわじわと焦りと混乱が生まれる。
俺を斬ったであろうその兵団のうちの一人が俺を忌々しそうに見下げていた。
その手に握られている剣は不気味なほど赤く染まっており、それが俺を斬ったモノであると予想がつく。
「どう…いう…こと、ですか…」
ぜいぜいと息を切らしながら俺は問いかける。
予想以上に流れ出る血液は俺の予想を超えて体力を削っていたらしい。
痛みと出血で視界が霞み始めるが俺は何とか堪える。
この状況で意識を失ってしまえばそれこそ一貫の終わりであるというのは難くない。
「残念ながらフレイ殿。貴方も我々にとって邪魔になったのですよ。花を喰らう害虫は早めに駆除しなければなりませんから」
兵団を率いているであろうリーダーらしき中年の男がこの凄惨な場に似つかわしくないほどにこやかな笑みを浮かべつつ俺にそう告げた。
(花を喰らう害虫…?)
その言葉を即座に理解するには至らなかったがその言葉が示す意味を俺は理解する。
すなわち花―…それが示す言葉は妹のシオだ。
そしてそれを喰らう害虫が俺、というわけだ。
俺を害虫呼ばわりとは言ってくれるじゃないか、と俺は苦笑いをしたが痛みでそれは苦痛に変わる。
そもそもそんなことは自分自身が一番わかっている。
妹の能力で生活しているなど。
寄生虫という害虫以外の何者でもないだろう。
そんな自分に吐き気がしていたことも。
つまるところコイツらの狙いは俺の予想通りシオであると同時に邪魔者である俺を排除することである。
それがこの国の陰謀なのか、コイツらが暴走した結果なのか、それともある程度は信頼していたこの村・街の思惑なのだとしてもどれも笑えない。
両親に続いて俺という後ろ盾がなくなれば妹のシオを守る者はいなくなる。
そうなればシオを役人の者が保護を名目に手中にすることは容易い。
苦痛と、絶望と疑問が渦巻いていたがそれ以上に俺にとっての怒りが勝っていた。
この兵の言った言葉は暗に両親は今起きていることの理由のために国に殺された、ということが確実になったのだ。
貴方“も”?
ということは俺以外にも以前邪魔になったものがいるということだ。
そしてそれは花である妹のシオを隔離していた両親以外には有り得ない。
花としてのシオの存在を以前から知っていて命を落としているものは俺の両親以外いないのである。
それでも以前から両親を殺害したのは国の連中であると考えていた俺自身でもこの言葉を聞くまでは心のどこかで半信半疑だったのかもしれない。
唐突に告げられた真相に俺は悲しみよりも怒りが勝ったのだ。
許さない。
赦さない。
許されない。
赦すはずもない。
家族を奪った、壊したモノを。
国を。
街を。
村を。
人を。
なぜだ?
こうなったのは誰のせいだ?
花という能力を持った妹のせいか?
それとも家族を護れもしない俺のせいか?
国の思惑を薄々気づいていてそれを放置した俺のせいか?
両親を死に至らせる原因をつくった妹を疎んでいたことは確かだ。
妹が嫌いだったことも。
―…繰り返すのか、家族を失うことを。
「シオ殿は我々が丁重に持て成しますゆえご安心を」
そう言った俺を斬った先ほどとは別の兵の男が剣を振り上げた。
月に照らされて剣身が光を放ち、そこに放心しているのか驚愕しているのかよくわからない顔をした俺が映った。
そこでようやく我に返る。
この次に剣を受ければ確実に自分の命はない。
俺は咄嗟に地にある砂を掴み思い切り兵団の目線へと振りかぶった。
「!?」
砂の細かい粒子が兵団を襲い剣を怯ませた。
眼中だけではなく器官にも砂が入ったのか咳き込む者もいる。
丸腰であるため己の身を守るものは手元になかったがこの咄嗟の機転で逃げる隙を作る目眩し程度には十分なる。
俺は砂を放ったと同時に兵団とは逆方向に駆け出した。
もちろん兵団から逃れるためであるのだが察するに妹のシオが家を唐突に出たのがこれが理由ならば、兵団が来た方向へは行かないであろう。
また、常日頃から役人には関わるなと言っているので万が一兵団に出くわしてもそれを避けているだろうと踏んでのことだった。
とはいえ信憑性は薄いが。
ともあれ、シオと会話していた人物がシオにとって味方であることを祈った。
俺が駆け出してすぐに後ろのほうで罵声が聞こえたが(やはり砂での目眩ましは数十秒を稼ぐ程度だった)、
「追いますか?」
「かまわん、花が先だ」
というような会話が聞こえたのですぐには追って来ないだろう。
もちろん室内にはシオがいないと判ればすぐに追ってくるはずなので走る速度は緩めない。
だが、思った以上に足が重い。
痛みと血を失ったせいか眩暈がひどくなる一方だ。
それでも傷口から溢れる血は止まらない。
早く止血をしなければ命にかかわりかねない。
だがその時間さえ今は惜しい。
幸い暗い路地に入ったので月明かりに照らされなければ血痕で後を追われる心配はない。
ただ一刻もできるだけこの場から離れなければシオが部屋にいないことはもう気づかれているだろう。
そうなればすぐに追手が来ることなど明白である。
そしてなによりシオの身が危ない。
「くそっ…!」
なんで俺はこんなに全力になって走っているのだろう。
疎ましく、嫌っていた妹のために。
ここで妹さえ捕まり俺さえ逃げれば自由の身であるというのに。
このまま国外逃亡でもしてしまおうか。
妹を置いて。
「おい」
俺が思案を巡らせていると後ろから声を掛けられた。
「うわっ、がああああ!」
その際、傷のある方の 肩に手を置かれ、傷口を刺激され激痛を伴った俺は、声を掛けられた驚きと痛みで絶叫した。
「!?」
俺に声を掛けた人物は俺と同様驚いたようだが声は上げなかった。
突然目の前の男が叫び声をあげれば普通は驚くだろう。
だが相手は俺が尋常ではない叫び声を聞き、
何事かと俺の背後からその人物は俺の目の前にまわる。
俺より同じくらいの歳か、そこには銀髪に青緑の瞳を携えた青年が立っていた。
一瞬その髪と瞳の色から花かと思い目を見張ったが妹のシオのような花独特の気配は感じないのでおそらく普通の人間なのだろう。
今はこちらの顔色を心配そうに窺っているが、その顔は整った精悍な顔立ちであり、日差しや砂を避けるための薄手の汚れた外套をその身に纏ってはいるがどこからか気品を漂わせている。
俺はなんとか痛みで薄れた意識と呼吸を整え相手を見やるが、
「この傷はどうした?」
相手は俺の肩口に目を向けたらしい。
そこから溢れ出る血液ににただ事ではないことを察したようで相手の顔色がみるみる変わる。
ここで相手が恐怖で逃げ出してでも頂ければこちらとしても幸いなのだが万が一このことを口外されでもしたら非常にやっかいである。
「なんでもない」
我ながら苦しい言い訳にもならない言葉を発し自分でも呆れるがここはなんとか誤魔化すしか策がない。
どうする?この通りすがりの者の口を塞ぐには?
口外しないでくれと。
俺に逢ったこと、見たことは誰にも言わないでくれと懇願するか?
そんな可能性のない口約束など役に立たないのは判り切ったことだ。
なら殺すか?
この通りすがりの人物を。
「っ…!」
そんなことは出来ないと、してはならないと自分の善意ではわかっている。
しかしシオを守るには、護るには。
これしかないというのに。
何もできない自分が歯がゆくて思わず視界が歪んだ。
思わず泣いてしまいたくなる。
哭いて。
啼いて。
泣いてしまいたくなる。
「先ほどからこの国の兵団の者たちが騒がしいようだが貴殿と関係あるのか?」
びくり、と自分の身体が震えた。
相手の口から飛び出したもっとも聞きたくなく答えずらい質問だった。
「……。」
俺は沈黙する。
まずい。
ここで不審者が出没しただとでも兵団が市民に吹聴でもしていれば間違いなく俺は一貫の終わりだ。
しかし相手は意外なことを口にした。
「理由を聞きたいところだがそれは後回しだ。まずはオマエの治療が先だな」
「は?」
この男は何を言っている?
こんな不審人物をわけも聞かず助ける神経がわからない。
むしろこんな深夜に出歩く相手も相手だ。
もしや国の手先かも知れない。
そんな勘繰りをしていると相手が察したのか口を開いた。
「すまないが、俺はこの国の者じゃないんでね。生憎この国のことについてはあまり知らないんだ。そちらの事情は知らないがけが人をそのままにしておくほど俺が非情な人間に見えるか?」
そういうと相手は俺に手を差し伸べた。
血を大量に流し過ぎたせいで足取りはすでにおぼつかなく壁にもたれかかった状態を見かねての行為だったが、俺はその手を払いのけた。
これは何かの罠だろうか。
だが兵団は俺のことが邪魔なはずで、そうならばこの場で俺を切り捨てればいいだけの話だ。
ちらりと青年の懐に目をやるが外套のその下には細かい細工の成された細見の剣が見えた。
しかし青年はその剣に手を触れる様子すらない。
だが念には念を重ねるべきだろう。
手を払いのけ、
「失礼だがお断りする。俺には時間がない」
その反応にもちろん驚いた表情をした。
しかし俺がその好意に甘んじてしまえば妹を追うことは難しくなる。
さらに追手は妹を追っているとなると猶予はない。
何を相手に言い訳しようがいずれは兵に捕まってしまうだろう。
それならば何も言わず立ち去るのが賢明だ。
その場合相手には兵に告げ口されてしまうだろうがそれもここを早く離れられればいい話だけなのだ。
何も言わず歩き出した俺に相手は溜息をついた。
そして告げる。
「栗色の短い
髪、緋色の瞳の女性に心当たりは?」
間違いなく妹の外見だ。
栗色の髪色はこの世界、国共通してよく見られる色だが緋色の瞳はこの国で唯一1人この俺の妹シオだけだ。
「…!どこで見」
「それとその人物と一緒にいた人物にも心当たりはないか?」
「……。」
まさか俺があの時部屋から見ていた妹と話していた人物がコイツの言っている連れか?
だが追われているのは妹であるはずだ。
それなのにこの目の前にいる青年の連れも追われているとはどういうことだ?
とにかく妹の手がかりをこんなにも早く得られたのは全く運がいいというのに他ならなかった。
「…一緒にいた人物は知らない。だがもう一人は知っている。俺の妹だ」
「?!」
相手は少々面食らった顔をしていたがそれは一瞬だった。
「妹は兵団に追われている。だからあんたが兵団でないという証拠がない以上信用できない」
するとまたもや相手の青年は不適そうな笑みを浮かべた。
この状況を楽しんでいるようにも見える。
そんな相手の口から出たのは、
「それは残念だな。お前の妹の居場所は知っているんだが」
「……?!」
俺は開いた口が塞がらずにパクパクと何度か動かしただけで何も言えずにいると、
「万一のため連れとは落ち合う場所を決めていたんだ。オマエの妹さんと一緒ならそこにいるはずだ」