「砂に咲く花、散る花はⅠ」
あなたに降り注ぐ雨が、あなたを癒してくれますように。
「フレイお兄ちゃん!朝だよーほら早く起きてってば」
カーテンの隙間から零れる朝日と容赦のない身体を揺さぶるその振動で俺は重い瞼をゆっくりと開ける。
そこには俺の6歳年下の妹、もといシオが不満そうに俺を見下ろしている。
お気に入りのサスペンダー付きの似合わないフリフリのワンピースに肩に掛るほどの淡い栗色の短い髪。そして、緋色の瞳は今や少し険しく俺を睨んでいる。
しかしそんなことはどうでもいい。
全くいい迷惑だと言わんばかりに俺は二度寝を決め込み布団の中に顔を埋めた。
この世界、ひいては大陸のその中のこのサンドリア国では今日は休日である。
それなのにこの妹ときたらこんな早朝に兄を起こす始末である。
何を考えているのだろうか、呆れてモノも言えない。
何を言われようと無視を決め込もう。
しかし無情にも妹は俺の布団を力いっぱい剥ぎ取った。
咄嗟に手を伸ばし布団を奪い返そうとするが、思いのほかシオの力が強く寝起きのせいで俺の力が半減していることもあり無駄な抵抗で終わった。
仕方なく俺は身体を起こす。
まだ眠気は収まりそうにない。
「もう、今日はローレンスさんのところへ治療に行くっていったじゃない。一緒に来てくれるんでしょう?」
シオは勢いよく俺の部屋のカーテンを開ける。
容赦ない陽の光が俺に襲いかかる。
どうやら今日も猛暑日らしい。
カーテンを開けたことによって部屋の温度が心なしか1,2℃上がったように感じるのは気のせいだろうか。
そもそもこのサンドリア国は大陸の南に位置していてさらに赤道直下である。
加えて砂漠のど真ん中に位置する砂国で毎日暑い。
熱い。
ひたすらに熱い。
生まれもサンドリアだが決してこの暑さだけは慣れることはない。
砂国とは言っても砂漠の中にあるわずかなオアシスに人々は細々と暮らしている程度である。
照りつける灼熱の太陽と雨が降らないことへの水不足に加えて砂害の弊害もあり、この国の役人は頭を悩ませているらしくもっぱら俺の脳内は早々に他国への移住についての考えを巡らせている。
しかしそのことを口にするたび妹の大反対にあい、結局口論へと発展させてしまう。
聞き分けのない妹とはまさにこのことである。
身体を起こすと部屋の様子がよくわかる。
煉瓦造りの家に、この散らかった凄惨な部屋が余計に暑さを際立たせる。
シオは不満そうにそう俺に言ったものの俺にはそんなこと知ったことではないし行くなら勝手に行けばいい、と言いたいところだがそういう訳にも行かない。
彼女シオは特別なのだ。
本来であればこのような“雑用”もとい付き添いなどは両親の役目となるはずなのだが生憎その両親は他界している。
そのため俺に家族と呼べる一応の人物はシオしかいない。
一応、というのは果たして本当にコイツは人間なのであろうか?という俺個人の疑問から来るものである。
その理由は、
「はい!治りましたよ」
「おお、ありがとう。これはすごいあっという間に治ってしまったよ。すごいな」
この“治療”である。
妹の言った通り(ではないが)俺は妹の付き添いに応じ、どうやら妹が取り付けたらしい約束の場所へと足を運んでいた。
とはいっても一般の民家にお邪魔している分際である。
約束の時間を大幅に過ぎてしまっていたが(ほぼ俺の非である)俺とシオは“治療”にその約束を取り付けた相手であるローレンス宅へとお邪魔していた。
約束の時間に大幅に遅れさせた最大の原因であるその俺はというと何も言わずにローレンスとシオの会話を後ろから眺めてた。
あえてその会話に口を挟む、または会話に混ざろうなどとは微塵も考えない。
そのほうが気が楽だということもあるが、この場合に限り客との会話に関わらないのが俺が長年妹シオの仕事の付き添いを行っていた経験によるものである。(決して会話が苦手なのではない。)
あえて相手と会話せずに壁を一方的に作ることで弱みやその口実を与えさせない。
しかし、当の本人である妹はというと人当たりが良すぎるのか全く警戒していない様子で会話を楽しんでいる。
「初めての方は皆さん驚かれるんです。そんなにすごいものではないですよ」
「謙遜なんかしなくていいよ。いや、私も“花”という存在を間近で拝見することができるなんてね。ところでどうだい?今度この治療のお礼に―…」
やはりか。
これだからこういう客は困る。
そこまでローレンスという客が言ったところで俺は出したくもない口を挟むことにする。
「帰るぞシオ」
「えっ?」
挟む、とは言ったものの二人の会話を強制終了させるというのはただ単に相手をするのが自分にとって面倒だからだ。
問答無用で俺はシオの手を引く。
やれやれ、どいつもこいつも“花”という存在には目が眩むらしい。
いつものことではあるがふと、俺は考える。
それもそのはずである。
なにせ俺の妹であるシオは非常に稀な存在“花”であるからだ。
それはごく稀に人との間に生まれる特殊な亜人種の俗称。
それを花と呼ぶ。
もちろんこの世界では普通の草木と同じ花、草木の概念は存在するがほとんどの場合前者の花を示す場合が多い。
俺が知っていることは微々たるもので、個々の容姿は花のように美しい(らしい)稀な姿を有していること。
そういえば自慢ではないがシオの外見はそれなりに目を惹くものがある。
この国での髪色・瞳の色は茶、黒がほとんどでシオもそれにあてはまるのだが瞳の色だけは全く異質なもので見事な緋色だ。
それ故外出しようものなら誰もがシオが花だと悟られてしまう。
そのためこの国でシオは有名人だ。
そして花の最大の特徴は一つ目がその個々の容姿になぞらえた二つ名を持つこと。
これはよくわからないがシオに聞いたところ物心ついた時には自分の花の名が何かを知っていたらしい。
俺にはシオが何の花なのか今に至るまで教えてはくれていないが。
そして二つ目が個々が有する“能力”である。
花にはそれぞれの花になぞらえた能力が備わっているらしくシオもそのうちの1人だった。
それが先ほど見せた“治療”だ。
花についての知識を得るために多くの本を読み漁ったりしたがとある研究者によるとシオの能力の正体は”癒し”の能力であるらしい。
花は人々に癒しを与える、という基本的な所以からくるものらしいが俺にはさっぱりわからない。
花の研究は多くなされているがまだまだ謎が多い。
まだまだ知られていない能力や花が存在することも確かなのである。
花としてのシオの癒しの能力は大きな傷や怪我でなければ大抵のものは治してしまう。
以前大きな傷を治そうとしたが、身体に負担がかかるのか、ぶっ倒れたことがあったらしく両親がそれを禁じた。
その約束を両親が他界した後でもシオは健気にも守っているらしい。
シオ曰く「とっても疲れる」とのことだ。
ただ「もっとすごいこともできるんだよー」と言っていた方が俺個人としては気になるところではある。
人の怪我や病気を治す以上の凄いことなんて俺にはないと思うし、そこが俺にとって花という存在を畏怖たる心情にさせる一言である。
なにより医術の発達していないこの世界に、そしてこの国にとってシオという花の存在が貴重であるという認識は俺にもわかる。
そんな貴重な存在が人々が欲することも。
そしてこの国が抱え込み囲いたいということも。
そんな花という特殊な存在に目が眩むことも。
だから俺は利用することにした実の妹を。
唯一残った家族を。
両親が“不慮の”死を遂げてからは生活が困窮したといっていい。
正直、困窮していたのだ。
生きていくにはやはりお金が、金銭が必要なのだ。
両親が亡くなってからというものその遺産…とはいってもわずかだが(もともと俺たちの家庭は裕福ではない)底を尽いた時、妹であるシオが言ったのだ「私がなんとかする」と。
俺はその言葉に反対しなかった。
平たく言えば妹のシオに依存することにしたのだ。
我ながら屑だと思うがそれは自分がよく知っている。
それからシオはその癒しの能力を惜しみなく使用した。
治療という名目でそして仕事として。
生活の糧にするために。
そもそもシオが能力を使うことを両親は禁じていた。
両親には両親なりに思うことがあったのだろう。
それだけシオが奇異の目で晒されればそれは国中の人々に知られることになるだろう。
両親が存命の頃はシオは家からの外出を控えるように言われ、人目につくこともなかった。
実際シオが花と知っていた人物は俺とその両親といくつかの友人程度だった。
それもそのはずであろう。
この国ではそれほどでもないが他国では花狩りと称されるような行いも成されていたらしい。
それは決して自国で起こるとも限らない。
そうなれば妹は知らない土地へ知らない者へと売り飛ばされることになるだろう。
一度その手のツテで花の値段を調べたことがとんでもない金額がつくようだ。
仕事を始めるとすぐに、その情報は国中に知れ渡ることになった。
シオの治療では風邪くらいの病気や例え怪我であっても痛みも傷跡も残らないため重宝された。
もともと居た医術師からのやっかみを受けることもあったが折り合いがついた後は何も言われることもなくなった。
その折り合いというのが、シオがこの国のお抱えの花となったのだ。
国が管理するという名目であればシオの身は危険に晒されることはない。
国が村が町が人々が監視していれば花が逃げだすこともできないというわけでその能力の恩恵に肖ることができるという訳だ。
花の能力・容姿は人の欲望も寄せ付ける。
その容姿、能力を持つがゆえ数少ない貴重な花という存在はこの世界の国々では闇市場にて高額売買されるという事実がある以上、このことを甘んじて受けなければならないということが癪ではあるが、シオも何度か危ない目にあったことがあるため正直このシステムはありがたい。
ギブアンドテイクの考えと思えば悪くはない。
実際にシオの“癒し”の能力は仕事として生活のために役に立った。
今もシオの癒しの能力に頼っているのは大きい。
花としてのシオの能力を利用したいという輩は大勢いる。
もちろん特殊で貴重な花の姿を拝見したいという物好きな客も中にはいる。
決して治療費が安いという訳でもないのに。
(妹は人の治療をするにあたっての金銭のやり取りをあまり好んでいない節がある。ただ生活のためでもあるので一応は頂いているようだが、それでも渋々といったようだ。)
そのためシオが外出するときは必ず誰かしらの付き添いが必要なのだ。
俺もシオに生活を頼り切っていることが大きいため妹の護身くらいはしなければ。
たとえそれが面倒でも。
そう、客であるこのローレンスもそうした欲望を渦めかせる一人だったのだ。
こういう奴らは今まで何度も見てきたので慣れてはいるが流石にうんざりしてしまう。
拉致―…までは行かないだろうがシオの能力を利用しようという思惑がミエミエである。
早々にここを立ち去るほかない。
「本日の治療はこれで終わりになります。支払いについては後日で結構ですので。また何かありましたら手紙でご連絡お願いします」
会話を挟みこませないように俺はズラズラと言葉をまくし立て一礼してから茫然としているローレンスと混乱しているシオの腕を引っ張りローレンス家を出る。
ローレンス家の扉を開け外に出るとむあっとした空気と刺すような太陽の光が肌に直接攻撃を開始する。
たまらず俺は手荷物として持ってきていた大きめの布を頭からすっぽり被り日よけ代わりにした。
流石に砂漠のど真ん中にある国だ。
年がら年中こんな気温では移住でもしたいという思いが諦めるどころか日増しに強くなる。
レンガと土でできた街並みがより一層その暑さを掻き立てているようだ。
「離してよ。お兄ちゃん」
そういえばシオが居ることを忘れていた。
腕を離す。
それにしてもこの日差しが照りつける中でそんな恰好でよく日焼けをしないものだ。
普段から同じような格好をしているものの一向に肌が焼ける気配がない。
花はみんなそうなのだろうか。
花と言われて連想するのが華奢ではかないイメージなのだがシオからは全くそのような気配を感じない。
がっかりと言われればがっかりである。
シオは軽く俺を睨みつけると不機嫌そうに「あんな態度はないよ」と愚痴を零す。
これだから困るんだと俺は頭を掻く。
シオは人が良すぎる節がある。
これにはいい加減俺も呆れ果てているのだが先ほどのことは自分でも仕方のないことだと割り切っているしなによりも悪いことをしただなんて思っても居ない。
あのまま会話を続ければまたよからぬことを吹っかけられただろう。
今までの経験上と妹の性格からして、それを断われないことは明白だ。
その結果、自分自身の身が危険に晒されるということをわかっていないのだ。
当然俺はイライラとした感情を表に出してしまう。
「お前は危機感が無さすぎるんだ。あんまり客に深入りするなよ。利用されるに決まってる。いい加減分かれよ」
ストレートに自分が思っていたことを告げるがシオはそれも不満そうだ。
「利用されるって?確かに今まで何度か危険なことはあったけれど。それに客じゃないって何度もいってるじゃない。患者さん、でしょう?患者さんからそんなお話聞いたことないし私が感じたことない」
「それはお前がそう思ってないからであって相手にとってはそうじゃないかもしれないだろ」
俺は反論するがシオは全く気にしていないといった様子で、
「私がそう思っていなければそれでいいじゃない。お兄ちゃん考えすぎ」
と茶化すように言う。それでも俺の不満とイライラは収まらない。即座に反論する。
「そうじゃないだろ。お前がそう思っていないなら利用されてもいいって?」
そう言った俺にシオは笑顔で、
「うん。…利用されてもいいの。それにこの国が大好きだし。大変なことが起こったときはお兄ちゃんが助けてくれるんでしょう?」
と言った。
妹の考えていることが全く分からない。
利用されれてもいい?
今までも散々利用されてきた俺から言わせれば不満以外の何物でもない。
この国が好き?笑わせる。
利用するこの国、人々も俺自身も含めて全てゴミにしか見えない。
そんな国を、人をシオは好きだという。
それも笑顔で。
そんな偽善がこの世の中通るとでも?
「人の役に立ちたいから」と妹は言った。
それはいよいよ生活が苦しくなったとき、妹がその身を、癒しの能力を使うと決めたときに言った言葉だった。
それから家に籠りきりだった妹は外の世界を知り多くの人と出会う。
世界の美しさを知ったのだ。
俺とは正反対の。
俺にとって世界とは下らないものでしかない。
妹の知らない全ての人間の汚さをこの目で見てきているからだ。
そんな妹を、人の役に立ち敬われ必要とされている妹を後ろからずっと、ずっと見てきた。
俺はそんな自分と妹を比べ劣等感しか抱くことができなかった。
世界を美しく輝いているものだと認識している妹と俺とでは。
利用されていると知っていて癒しの能力を使い人々の役にたったと笑う妹が俺はずっと、ずっと前から。
大嫌いだったのだ。
「知るかよ」
俺はそう吐き捨てて妹を置いて1人家路についた。
付き添いとはいっても国ぐるみで監視されているシオが危険な身に晒されることは今ではほとんどなくなったといってもいい。
そう、つまり俺は用済みだ。
そもそも必要ない。
それはずっと思ってきていたことだった。
ただ今や生活をシオに頼り切っていることも事実だ。
俺一人だけなら問題ないが妹と二人となると俺一人の力ではどうにもできない。
そんなもどかしさと後ろめたさをこれから背負い続けるとなると吐き気がする。
「待ってよ、どこに行くの?」
そう引き止めたシオに俺は返事さえ返さず踵を返した。
もはや妹の顔を見ることさえ不快な想いが胸を渦巻くようになっていた。
家に帰って寝なおそう。
そうすればまたいつもの日常に戻るだけだ。
良い兄を、そして少し仲の悪い兄弟を演じるだけだ。
その日の夜。
だいぶ遅くになって帰ってきたシオは随分と浮かない青ざめた顔をしていた。
何かを思いつめるような、焦っているような。
どうせ、朝方のの客…患者のもとへと戻って悪い用件でも吹っかけられたのだろう。
もしくは代金を踏み倒されたか?そうなれば俺が黙ってはいないが。
しかし時折コンコン、と咳き込むのでその顔色の悪さから風邪を引いたのだろうと俺は思うことにした。
こんな夜遅くまで出歩いて花狩りにでもあったら、と言う前に治療する側の立場から言わせるなら自己管理ができていないのではないかとさえ思う。
昼間の出来事を思い返せば喧嘩と言えば喧嘩になるが一応シオに声はかけることにする。
「風邪か?」
「うん。そうみたい…おかしいなぁ、昼間は全然そんなことなかったのに」
「明日も患者さん居るんだろ。今日は早めに寝とけよ。それよりこんな遅くまでどこに行ってたんだ?」
「え、えーっと城下のほうに…」
「城下?!何しに?!」
城下と言えばここから数キロある。
馬車で行くならともかく徒歩でとなると相当かかる。
そんなところに一体何の用があったというのか。
城と聞いて俺たちにとっては複雑な心境にさせるものでしかない。
シオを利用している役人がそこにはわんさかいるのだ。
実際に利用されているという実感はないがこの先も利用されるという可能性も無きにしも非ず
なのだ。
きっと多くの役人や貴族のなかにはシオの力に肖りたいと画策している者がいるのはわかっている。
そして、そうした役人や貴族、王族がシオを手に入れるため俺たちの両親を殺したことも。
もちろん確かな証拠があるわけではない。
ただ両親が死んだその翌日に俺たちを保護するという名目で自宅に役人が訪ねてきたということはつまりはそういうことであるとしか考えられないのである。
自分の思い込みかもしれない。
だがそう思い込むことでしか両親を亡くした俺たちの悲しみを紛らわせるほかなかったのだ。
当時はその役人の花という存在のシオを『保護』の名目の下、国がその身の保障をするという在り難いお言葉を丁重にお断りしたものの、その後の俺と妹の医療行為のお陰で国中に知れ渡り、結局妹を保護の名目で監視すること囲い込むことを許してしまったのは遺憾でしかない。
それをわかっていて、そしてこの俺のフラストレーションが最高潮な最悪なタイミングで妹は城下へ繰り出し城下へ足を踏み入れたというのだ。
罪悪感が、少しは罪悪感が妹にはあるのだと思っていた。
自分のせいで両親が殺され兄が苦しい思いをしているという。
そんな両親への罪悪感は微塵も妹は感じていないというのだろうか。
そう思った途端俺は沸々と怒りと言う名の感情が湧いてくるのを感じた。
「えーっとね、そう買い物に…」
「買い物?!ほとんどの物ならこの辺ですれば済むことだろう?!」
「で、でも城下にしか売っていなくって市場じゃ見つからなかったから…あっそれでね、聞いてくれる?城下で旅人さんに逢ったの!お兄ちゃん、私以外の花って見たことないでしょう?なんと実はその人も実は―…」
「そんなことは聞いてない!」
俺が叫んだのに驚きシオはびくりと身体を震わせた。
それもそのはずで俺はこれまで妹にこのように怒鳴ることなどなかった。
しかし今回だけは許せなかった。
今までは淡々と堪えていただけなのだ。
その感情が一気にここで爆発した。
「俺は前にも言ったはずだ。父さんと母さんは上の連中に殺されたって。それなのにお前は…お前は」
お前は両親を殺した連中の下へとヘラヘラと行けるような奴だったのか。
母さんと父さんが殺されて何とも思わなかったのか。
いや、思わないはずがない。
こんなことを言うのはお門違いだ。
間違っているのは俺の方で。
俺はシオに両親についてどう思っていて欲しかったのだろう。
自分のせいで両親が死んだとでも?そんな後ろ暗い過去を背負って生きて欲しかったと?
違う。
全ては自分のためだ。
そう妹に思い込ませて自分は悪くないと悦に浸っていたいだけなのだ。
少しでも妹に罪悪感を持たせることで自分の劣等感を打ち消したいのだと。
コイツのせいで両親が死んだ。
だから自分はこうして妹の力に肖っているのは正しいと。
自分を正当化したかった。
なんだ、利用しているのは自分も同じだ。
シオの、妹の、花の、能力に肖りたいと思っているのは俺も同じだ。
そうして縋っている自分を認めたくなくて。
堪らず俺は茫然と立ち尽くす妹を見て見ぬふりをし自室へと駆け込んだ。
また俺は逃げたのだ。
妹からも自分からも。
「ごめんね…」
妹がそう呟いたのを俺は耳にしたが聞こえていない振りをした。
何に対して妹は謝罪の言葉を口にしたというのだろう。
城下へ無断で行ったことへか?いや、そもそも俺は城下へ行くことを禁じていたわけではない。
自然と足が遠のいていた、敬遠していただけだ。
それとも俺か?両親か?
妹の真意を知ることはもうできないし。知りたくもない。
俺は部屋の扉を閉めるとすぐさま布団をかぶり泥のように眠った。
嫌なことはすぐに忘れた方がいい。
寝てしまえばこのまますぐに朝になりまたいつものようにシオと顔を合わせることができるだろう。
大嫌いな妹の顔を。
:
どれだけの時間が経っただろうか。
俺は微かな人の話し声に目を開けた。
生憎この部屋には時計がない。
というよりもこの家自体に時計はない。
そもそも時計などと言う高価なものを買える余裕が俺たち兄妹にはなかった。
窓を見やると月の光が差し込み部屋を照らしているためランプを点けずとも部屋の様子が伺える。
月の位置を見るにどうやら時刻は真夜中である。
寝入ってから随分と時間が経っていた。
話し声の主は妹だ。
だがこの家に妹と俺以外には存在しない。
つまり妹が話している相手は外部の者だとすぐに察しがつく。
だがこんな夜中に?
誰かと逢引でもしているのだろうか。
俺は純粋な好奇心に駆られて部屋の扉をゆっくりあけ隙間から様子を見る。
俺の部屋は玄関がすぐに見える位置だったのでそこまで身を忍ばせる必要はない。
だが扉の隙間から見える相手は妹の背に隠れてあまり見えない。
背格好からして妹と同じくらいだ。
頭までフードをすっぽりかぶっておりその表情までは窺うことはできない。
だいぶ怪しいもののただその声音と仕草からしてどうやら妹が話している相手は女性らしい。
逢引という可能性はここでなくなった。
女性というよりは少女、といったところが妥当だろうか。
その相手の少女はどうやら妹に対して説得を試みているようだった。
「わたしにはどうすることもできない。けど今は時間がないの。お願い。こうしている間にも…」
そういった相手に
「わかっています…でも…」
と口ごもるシオ。
一体何の話をしているのだろうか。
「もうすぐそこまで来ている。早くしないとあなたは自分でさいごの選択すらできなくなってしまう」
そう言われた妹は少し考え込んでからチラリとこちらへ視線を向けた。
そう、俺の部屋へ。
まずい、と思い慌てて身体を引きシオの視界に映らないようにする。
もともと部屋の扉は薄くしか開けていなかったため身体を引かずとも盗み見していることがバレるとは思えなかったが念のためだ。
それにしても随分と相手は焦っていた。
シオを利用とする患者のうちの1人かとも考えたがどうやらあの様子だと何か違うらしい。
悪巧みを考えているような人物の発言にしては必死というか、かなり切羽詰まったように感じられ節々にひっかかるものがある。
しかしシオを利用するための演技かもしれない。
相手の必死さからしてシオが相手に乗ってしまうことも考えられた。
だが、こんな夜中に来るとはよほど必死なのだろう。
もしや急患だろうか。
よほど体調の悪い患者でもいるのだろうか。
これまでそうした患者が訪れることは稀にあったがそうした患者はシオの目に触れる前に俺が断りをいれてきた。
だが今回こうして夜中まで押しかけてくる患者は初めてのことだった。
シオのことだきっとこの依頼を断ることはできないだろう。
だがあまり重傷な患者はシオにとっても負担がかかる。
シオは明日にも抱えている患者がいるのだ。
それに先ほどの様子からしてシオは風邪気味だ。
正直に先ほどのことがあるので妹とは顔を合わせるのは気が重かったがやれやれと思いつつ重たい足取りで俺は仲裁に向かおうと部屋の扉を開ける。
が、
「……」
そこには誰も居なかった。
ただ無造作に玄関の扉が開かれているだけだった。
俺はすぐに頭が回らなかった。
もしや妹は断りをいれて玄関を開けたまま自分の部屋へ向かったのだろうか。
それは考えにくい。
だとしたら、妹はあの相手、少女の話を受け入れ着の身着のまま家を飛び出したということになる。
それにしても玄関の扉を開けっ放しにしているということがただならぬえが雰囲気を醸し出していた。
そこまで性急な治療が必要なのだろうか。
とりあえず俺が目を離してからまだそれほど時間は経っていない。
ということは妹はまだ家の近くであの真夜中の来訪者に手を引かれている、ということになる。
「くそっ」
面倒だが仕方ない。
慌てて俺は玄関を飛び出す。
だがそこで思わぬ人物に声を掛けられることになる。
「すみませんが」
それは俺の家の前で待ち伏せしていたかのような、すぐ近くで声がした。
声の主の方へ顔を向けると。
そこには俺の嫌いな役人の顔がずらりと並んでいた。
ここで俺はようやく事態のただならぬ気配を感じ始める。
「どうか…なさいましたか。兵団の方々が揃いも揃ってこんな遅くに」
そう。
その役人とは普段ならば城下の治安を守る兵団の部隊だった。
胸に飾られているその紋章がそれを語っていた。
それも一人や二人ではない数十人という小規模ではあるが見回りにしては幾許か大げさすぎる気がする。
そもそもこの地区に見回りは無い。
城下で限定した見回りが主なはずである。
その兵団の一部が今俺の目の前にいる。
いや、実際には俺の、俺たちの、俺とシオの家の前にいる。
嫌な予感がさらに増した。
「これはこれは…まさかまだ起きておいでとは。夜分遅くに失礼。シオ殿はいらっしゃるかな?」
兵団を率いているだろうと思われる人物が俺にそう質問した。
予想していたことではあった。
咄嗟に俺はシオがこの場に居ないということを告げそうになったが、なぜかそれは躊躇われた。
こいつら兵団の目はまさに獲物を狩る目だ。
何かよくない予感がするのは兵団が居ることだけではない。
こんな夜中に兵団がシオを訪ねてくること自体が異常なのだ。
俺は咄嗟に、
「ええ、実は風邪を引いていて寝込んでいますので…」
嘘をついた。
ここで素直に引き下がってくれれば事態はそれほど急変ではないことがわかるし、何より次の対策を整えることができると考えたためでもあるが、何よりここに妹のシオは居ないと告げるほうが後々面倒なことに成りかねない。
そして何より自分自身が危険だと本能で感じたからだ。
ここで妹はいないと言い、外出していると言えばすぐさまこの兵団たちは妹の後を追うだろう。
そうしか考えられない。
妹がこの家から姿を消して間もないことを考えれば後を追われてしまったらすぐに見つかってしまうだろう。
兵団が妹を訪ねてきた(しかもこんな深夜に)理由を聞かされていない以上一応妹の身を案じたのだ。
俺は一応身の潔白を証明しようと妹の部屋に身を逸らし玄関の外から部屋の様子を伺い、風邪を引いている妹の身を案じる良い兄を演じる振りをする。
が、
刹那。
目端でなにか光るものを捕えた。
シュッと鋭い音を立てて、方から脇にかけて熱を感じた後、視界が真っ赤に覆われた。
意識が途絶える瞬間に目にしたのは目の前の兵団のうちの1人がその手にもつ真っ赤に染まった剣だった。
自分がその剣によって切られたのだと理解した瞬間。
俺の意識はそこで途絶え何も見えなくなった。