06.弘法も筆の誤り
暖香が珍しくやらかす話。後半に新聞部もちょろっと出てきます。
ここから次回以降、若干のストーリー性がつくかもしれません。短編集だけじゃもたなくなってきたんだよ←
あちこちから賑やかな声が響き、(表向きは)平和な時間が流れる、いつも通りの某高校。
三階の大職員室の隣に、でんっという効果音が付きそうなほどにふてぶてしく位置する生徒会室は、他の教室にも負けず劣らずの広さと立派さを併せ持つ。それは生徒会に所属する人間たちが妙な権力を握っているせいであり、その場所は実質、某高校の軸のような存在となっている。
その日、そこからは何故か、奇妙な低い唸り声が響いていた。
「ううぅぅぅぅぅ……」
声の主である栗色の髪の少女――生徒会副会長・藤山暖香は、地獄に続く門のように真っ暗で不吉なオーラを漂わせながら、自分の席に突っ伏していた。
その傍らでは二人の少女――生徒会長・中村鈴奈と生徒会書記・早川杏里が、困ったようにおろおろしていた。この不測の事態に、二人ともどうしていいか分からないらしい。
「ちょ、暖香……大丈夫?」
鈴奈が恐る恐る声をかけた。同時に杏里も心配そうに暖香を見る。暖香は顔を上げることなく、突っ伏したままくぐもった声で答えた。
「だいじょうぶじゃない……」
いつもの毒を含んだ強気な言葉遣いではない。明らかにいつもと様子が違うことがわかる。
いまだどんよりとしたオーラを漂わせ続ける暖香を見て、鈴奈は深くため息をついた。呆れたような表情で、職員室のある方向に視線をやる。
「まったく……今井ちゃんも、あんなに言わなくてもいいと思うんだけどな」
「そうだよね……」
杏里も困ったような表情で、鈴奈が見ているのと同じ方向に目をやった。
「いつもやり込められているから、ここぞとばかりに攻撃したのかもしれないね」
「だとしてもさぁ……なにも暖香だけが悪いんじゃないのに」
鈴奈は目を伏せ、不機嫌そうに唇を尖らせた。
暖香が落ち込んでいる理由は、生徒会が手掛ける書類――本来は会長である鈴奈の仕事なのだが、当の鈴奈は面倒くさがって全て暖香に丸投げしたのだ。まぁ、いつものことである――を作成する際に、とあるミスをしてしまったからだ。
それはほんの些細なことだったのだが、普段失敗など全くと言っていいほどしない完璧主義な暖香にとっては、相当な不覚だったらしい。さらにそれを見つけた生徒会顧問・今井琴子が相当きつく暖香を責め立て、『いつも仕事をきっちりこなせるからって、自分が完璧人間だと勘違いしていたんじゃないかしら』とか『生徒会の頭脳もここまでね』とか、チクチクとくる嫌味を言われたらしい。
そしてミスを犯した手前、それらの皮肉に対して暖香は反論することができなかったのだ。
そんな悔しさやイライラや絶望感が重なって、暖香はこのように、見事なまでに落ち込んでしまったというわけである。
「わたしが暖香に全部丸投げしちゃったせいなのかもしれないと思うと、ちょっと責任感じちゃうな」
鈴奈がポツリと言うと、杏里は苦笑した。
「鈴奈が仕事しないのはいつものことじゃん」
「まぁ、そう言われれば確かにそうなんだけどさぁ……」
鈴奈はやはり浮かない顔だ。少しぐらいは責任を感じているらしい。
「少しぐらいは手伝えばよかったのかな。そしたら暖香だけに責任が行くことはなかったのに」
「だったら、あたしだってそうだよ。人手がいっぱいいれば、誰に全責任が行くか分からないし……この責任だって、三人で少しずつ背負えたかもしれないじゃん」
その方がまだ楽だし、と杏里が続ける。
それぞれにやりきれない思いを抱えながら、暖香を見る。彼女は相変わらず机に突っ伏したまま動かない。時折あげる唸り声は、くぐもっている分やたらと悲痛に響く。
二人はそろって、大きくため息をついた。
……と、そんな感じで生徒会室に暗い空気が漂っていた、そんな時。
唐突にガチャリ、と生徒会室のドアが開いた。
「ちょ、藤山!」
同時に飛び込んできた若い男性教諭――生徒会補助の役割を担う教師・安浦恭一郎が、暖香を呼ぶ。一瞬遅れて、のろのろと暖香が身体を起こした。その表情には覇気がなく、顔は少し青ざめている。
「……何」
暖香はうつろな目で、ドアの前に立つ安浦を見る。
安浦は暖香の壮絶な表情に一瞬ぎょっとしたが、すぐに気を取り直し、ちょいちょい、と暖香に向かって手招きした。暖香は立ち上がり、どこか危ない足取りで安浦のもとに行く。
やって来た暖香に、気まずそうな表情で安浦が耳打ちをする。暖香はとたんに目を見開くと、こぶしを握り、わなわなと身体を震わせた。先ほどまで病的に青かった顔が、みるみる紅潮していく。
「何、ですって……」
地を這うように低い声が、暖香の口からこぼれる。
そしてキッ、と安浦を睨み付け、いつも通りに――いや、いつも以上に――芯の通った声で尋ねた。
「まだ、書類は提出してないんでしょうね」
「あ、あぁ……まだ職員室に」
気迫に圧されたように、おどおどしながら安浦が答える。
「わかった」
暖香は腕を組むと、安浦に向かって一言「ついてきなさい」と声をかけ、迷いない足取りですたすたと歩きだした。すっかり恐縮してしまった安浦が「は、はいっ!」と元気のいい(?)返事をして、その後を腰を低くしながら足早について行く。まるで親分にへこへこするその辺のチンピラのようだ。
その一部始終を鈴奈と杏里は、ただ呆気にとられたように口をだらしなく開けながら見ていた。
――どうやら書類に見つかったミスは暖香のミスではなく、今井の確認間違いで起きたものだったらしく。それを知った暖香はこれまでにないほど激怒し、大職員室内で暴走していたらしい……ということが、その後すぐに明らかになった。
「ひっどい! あんなに暖香が悩んでたのに!!」
「そうだよ! わたしたちだって責任感じて散々悩んだのに!!」
杏里と鈴奈も、これにはさすがに怒りを覚えずにはいられなかったようだ。その日はしばらく、各々の咆哮ともいえない何かが、生徒会室と大職員室にわんわんと響いていた。
そして、数日後。
生徒会室にやって来た安浦が、その場にいた三人に向かって告げたのは――……。
「突然だが、今日から生徒会顧問が変わる」
「「えぇぇぇぇぇ!?」」
さすがにそこまで話が進んでいるとは思わなかったので、驚きを隠せない鈴奈と杏里。そんな二人をよそに、暖香は一人、頬杖を突きながらニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
◆◆◆
生徒会メンバーに衝撃のニュースが告げられたのと、ちょうど同じ頃。
『生徒会顧問、突然の変更!! 生徒会の圧力か!?』
いったいどこで情報を手にしたのか、そんな見出しが躍る壁新聞を手にした少年――新聞部部長・大束修と、その隣を歩く少年――新聞部副部長・水無瀬友哉が、そろって掲示板のある方向に向かって歩いていた。
「それにしても……さすがに君は情報を仕入れるのが速いね。聞いた話だと、君が仕入れた時点では、生徒会メンバーにもまだその事実が告げられていなかったそうじゃないか」
まぁ、そのおかげでこうして速報ニュースとして取り上げることができたんだけれどね……と続けながら、修が呆れたように平然と隣を歩く友哉を見た。
それから、修は友哉が片手に持っている茶色の手帳を一瞥した。ことあるごとに友哉はこの手帳に何やら書き込んでいる。新聞部の記事の材料となる情報も、おおむねここからの発信だ。
もちろん、生徒会よりこのニュースを速く手にした理由も……。
「まぁまぁ」
友哉は手帳から目を離すと、まるで修をなだめるかのような穏やかな表情ではぐらかした。それから話を変えるように、
「それより……今井先生、解雇されちゃったらしいよ」
と付け加えた。
「え、そうなのかい?」
修は目を丸くした。顧問が変わったというのは聞いていたが、解雇されたというのは初耳だったのだ。
ぽかんとする修に、友哉がさらに続ける。
「詳しくは分からないけどね。……表向きは身体を壊したからこの時期に退職した、ってことになってるみたいだけど」
さぁ、本当のところはいったいどうなんだろうね?
友哉は手帳を閉じると、不敵に微笑んだ。
「いやはや、全く……本当に生徒会とは恐ろしい集団だね」
「本当だよ」
修がとりあえずといった風に発した言葉に応じるように、友哉はあぁ恐ろしや、と言いながらわざとらしく身震いをした。
「ところで……いったいそれには、何が書いてあるんだい」
目の前の友人に畏怖の念を抱きながら、修が尋ねる。友哉はにっこりと笑って答えた。
「ん? 秘密」
それよりほら、着いたから早く貼っちゃおうよ、と言いながらまたもや話をうまくはぐらかした友哉に、修は「生徒会より、一番深い謎は彼の存在かもしれない……」と半ば本気で思っていた。