30.上には上がいる
IRS編、一応終了?
今回は、藤山姉妹がメインとなっております。
某高校から帰宅後、自室で本を読みながらくつろいでいた藤山暖香は、コンコン、と控えめにドアをノックされた音に気付いた。ドア向こうの相手が何か言う前に、言葉を投げかける。
「どうしたの、涼香」
入りなさい、と声を掛ければ、かちゃり、と開かれるドア。そこには妹の涼香が、姉譲りの冷ややかな無表情で立っていた。
「失礼しますわ」
一つ屋根の下に住む家族の前でも、丁寧な口調と態度を崩さない。暖香はそんな妹のことを、自分より人の上に立つ才能があるだろう、と常々思っている。
それなのに、何であそこまで残念なことを……。
考えるだけで頭が痛くなるので、これ以上考えるのはやめておく。
そんな姉の心境を知ってか知らずか、涼香はいつもの調子で部屋に入ってくると、暖香が寝そべるベッドに軽く腰掛けた。姉さんに相談があるのです、と告げるその眼差しは、普段よりずっと真剣で、思い詰めたようでもあって……だからこそ、暖香は嫌な予感がした。
まさか……。
「姉さん、教えてください」
「……何よ」
あのことがなければ、涼香は暖香にとって自慢の妹だ。しかし涼香側にも、譲れないものというのは存在するようで。
涼香は真摯なまなざしを崩さぬまま、予想通りのこと――暖香の頭痛の種の一つでもあることを、きっぱりとした口調で紡いだ。
「どうしたら、我らの敵を……中村鈴奈を、やり込めるでしょう」
「――さまざまなことを、試しました。けれどすべて失敗でした」
「何を試したのか、言ってごらんなさい」
起き上がり、溜息を吐く暖香。その顔が険しくなっていることに、きっと顔を突き合わせている涼香も気づいている。
指折り数えながら、涼香は某高校の生徒会長である中村鈴奈――彼女いわく、非公認組織・IRS(今井零親衛隊)の敵と呼ぶべき存在、らしい――に対して行おうとしたことを順番に口にした。
「まず、上履きに画鋲を入れました……が、どうやら足を通す前に感づかれてしまったようです」
「鈴奈には、靴を履き替える前に一度引っくり返す癖があるからね」
「次に、体操服を隠そうとしたのですが……目的のものが見つからない、とみことから報告が」
「あの子、体操服はいつも制服の下に着ているの」
「次に、教科書に悪戯をしようとしたのですが……」
「鈴奈は置き勉しないのよ」
「また、机に落書きを……」
「それ以前に、自分で隅々まで落書きしちゃってるからね。本人いわく『暇潰し』らしいけど」
「極め付きは、階段の上から水を引っ掛けるという……けれど、見事に避けられてしまいました」
「……あぁ、あれそうだったの」
数日前、鈴奈と暖香、そして同じく生徒会役員である早川杏里の三人で廊下を歩いていた時、上から水が降ってくるという珍妙な事件……と呼ぶべきかどうかも微妙な出来事があった。
あの時は確か、少し前を歩いていた鈴奈がいきなり立ち止まり、『ちょっとごめん、忘れ物した』と引き返したのだった。そのため当の鈴奈はもちろんのこと、後を追って引き返した暖香と杏里も無事だったが、代わりにまったくもって無関係な生徒がまともに水を被ってしまうという大惨事につながったのである。
「どうしましょう、姉さん」
くっ、と悔しそうに涼香が唇を噛む。どうやら、とばっちりを喰った哀れな生徒のことなど眼中にないらしい。冷ややかな対応と容赦ない毒舌で有名な暖香でさえ、その生徒を哀れに思うほどだったというのに。
「……もう、打つ手がありません!」
真面目に頭を抱えてしまった妹を、憐れむように暖香は見つめた。軽い頭痛に眩暈を覚えながら、自らの頭に軽く触れる。
そして暖香は、先ほどからずっと気になっていたことを涼香に言った。
「っていうか、さっきからいちいち嫌がらせの内容が地味すぎるんじゃなくて?」
生徒会室までわざわざ乗り込んできたくらいなのだから、正々堂々と勝負を仕掛ければいいのに。
思ったことをそのまま言えば、涼香は「いいえ」と力なく首を横に振った。
「中村鈴奈は姉さんと付き合いのあるお方ですし、何より我らが通う某高校の生徒会長ですもの。クーデターまがいのことを起こすような危険な真似、いくらIRSとて許されるわけがございません」
それに、と言葉を切る。苦々しげな表情を浮かべる妹に暖香が首を傾げると、涼香は心の底から厄介だとでも言いたげに唇を噛んだ。
「出雲はどこまでも私に忠実ですから、問題ないのですが」
同じIRSのメンバーである小山内出雲は、涼香の言う通りどこまでも彼女に忠実だ。しかし口調や髪形、所属する部活など、何かと零の真似をする彼の真意は、正直なところどこにあるのかわからない。
単純に涼香が好きだから付き合っているのかもしれないし、それこそ噂されている通り同性である零のことが好きなのかもしれないし(本人は断固として否定しているが)。
さて、そこに問題がないとすると……。
「問題は、みことなのです」
やっぱり、と暖香は思う。涼香が抱える悩みの種は、思った通りそっちにあったようだ。
「どうやら、本気で惚れてしまったようで」
「惚れたって、鈴奈に?」
えぇ、と涼香はうなずく。暖香は、眉根をひそめた。
みこと――涼香、出雲と同じくIRSに所属する校倉みことは、普段から女の子の格好をしているが性別は立派な男だ。そしてどうやら趣味はちゃんとした(?)ノーマルらしく、宣言通り以前から鈴奈に対してモーションを掛けるような真似を繰り返していた。
しかし、生徒会顧問である男性教師・霧島慧に対しても似たようなことをしていた彼のことだから、単なるスキンシップ――ちょっとした戯れのようなものだろうと暖香も油断していたのだが……。
「『鈴ちゃんに危害を加えるのは、やっぱり嫌だよ』と、言ったのです」
これまでずっと、みことは涼香に従っていた。出雲と同じように、みこともまた、涼香に忠実だったのだろう。生徒会に彼の幼馴染である早川杏里がいるというのに、それを承知の上で宣戦布告を仕掛けてきたのだから。
どうやら涼香が相談したいという根本的な問題は、鈴奈ではなくIRS内部の方にありそうだ。
これを機に、涼香をどうにか説得できないだろうか。
考えた暖香は、頭を抱えて悩む涼香を刺激しないよう、落ち着いた声色で彼女に語りかけた。
「そもそも、涼香がIRSを結成した理由って何なの?」
意地悪な質問だと、自分でも思う。
涼香が某高校に入学して来て以来、暖香は毎日のように彼女の話を聞いていた。だから涼香が零に一目惚れしてしまったらしいことも、それ以来一途に彼を思い続けていることも、知っている。
「……愚問ですわ」
小さな、小さな声で涼香は呟いた。
「私は……あの人のことが、ただ単純に知りたかった。この気持ちを、誰かと共有したかった。みことと出雲を引っ張り込んで、IRSなんていう馬鹿げた組織を作ったのは私です。すべて、私のエゴでした」
二人が零先輩のことをどうとも思っていないことなんて、本当はとっくに知っていたのに。
「……初めは、恋愛相談だったんです。私はただ、あの人を好きになったから、何か行動をしたいと思った。誰かを好きになったら、相手を知りたいと思うでしょう。相手に、自分をアピールしようとするでしょう。最初はただ、私だって同じようにそうしようと思っていた」
それなのに、こんなにも歪んでしまった。
「本当は、こんなことしたくなかったんです。ずっと憧れていた中村会長を、糾弾するような真似は……っ」
けれど。
潜入だとか、ストーキングだとか、邪魔者の排除だとか……気付いた時には、そんなことばっかりがメインになってしまっていた。
中村鈴奈を、敵としてしか見ることができなくなっていた。
「私は、どうしたらいいのでしょう。姉さん……」
震える妹の身体を、暖香はそっと抱きしめる。肩口に当たった顔は、彼女が流したのであろう涙でしっとりと濡れていた。
「もう、楽になりなさい。涼香」
嗚咽を漏らす涼香に、暖香は優しく囁く。
「IRSのメンバー……校倉くんと小山内くんは、あなたの理解者なのでしょう。組織とか、使命とか、そんな難しいこと考えないで、あんたたち三人はただの友達に戻ったらいい。二人だって、きっと分かってくれるわよ。ここまで付き合ってくれた子たちなんだもの」
「……っ」
「最初の頃そうしていたように、今井くんにきちんと向き直って。ライバルだってつきものだし、不器用だっていい。時には校倉くんや小山内くんに相談したりしながら、普通にまっすぐ恋愛したらいいんじゃないの?」
「私に、出来るでしょうか」
「大丈夫。恋愛なんて、誰にでもできるものなんだから」
だからもう、そんな陰湿な真似はやめなさい。
背中をあやすように叩いていれば、涼香はだらんと下げていた両手をおずおずと暖香の背に回した。甘えるようにぎゅっと抱き着き、肩口に顔を擦り付ける。
猫のような仕草に、暖香の頬は自然と緩んだ。
◆◆◆
数日後。
「IRS解散?」
渡り廊下の壁に貼り出された校内新聞を見て、鈴奈は呆気にとられたように声を上げた。その右隣では暖香がやれやれといったように笑い、左隣では杏里が「そうなのぉ?」と無邪気に首を傾げている。
今回新聞部が取り上げたのはなんとIRSらしく、独占取材と銘打った彼らのロングインタビューが記載されていた。
興味を得たのかやけに真剣なまなざしで、鈴奈が新聞を読み進めていく。が……最後の数行を読んだ時、「はぁ?」と小さく声を上げた。
「どうしたの、鈴奈」
杏里が尋ねると、鈴奈が無言でその部分を指さす。暖香と杏里は顔を近づけ……ほぼ同時に、引きつったような笑みを浮かべた。
『これからはRRMとして、穏やかに活動していきたいと思います』
そう書かれた文章の横には、穏やかに微笑む涼香と、そんな彼女を両サイドで優しく見つめるみことと出雲のスリーショット。
そして、端っこに小さく記された脚注。
『RRM――零・鈴奈見守り隊』
「「「あんまり変わってないじゃん」」」
朝から声を揃えて、三人は突っ込みを入れたのだった。




